惑いの猪

    作者:西灰三

     山と町の間、正確には山を町が切り開きながら広がろうとするその場所。土や木々が排された空き地に黄色の重機が夜の外気に当てられて、ボディを休めている。そんな静かな場所にとある異物が現れる。
     何処から現れたのは、白い狼の姿をした何か。知識がある人ならこれがスサノオと呼ばれる存在であることを知っている。そして何を引き起こすのかも。
     スサノオは低く唸り、短く吠える。同時に何もない空き地から黒く蠢くものが生じ始める。スサノオはそれを認めると来た時と同じ様に宵闇の中へと消える。
     残された黒い塊は次第に猪の形を取る。目覚めた周りが山で無いことに怒りを覚えたのか、大きく唸りを上げて近くの重機へと突撃する。全てを破壊尽くしたあと、猪は町へと向かうだろう。
     
    「スサノオに生み出された古の畏れ、新しいのが見つかったんだ」
     有明・クロエ(中学生エクスブレイン・dn0027)が灼滅者を出迎えて開口一番に伝えたのは新しき敵についての話だった。
    「場所はある地方都市の建築現場、まだ建物の影さえも無いけれど土を掘ったりする重機がいくつか置いてある空き地みたいな場所なんだ。そこが夜を迎えた時に古の畏れが現れるの」
     クロエはこれを倒して欲しいと言う。どのような相手かと問われれば彼女は次の説明を始める。
    「姿は大猪……普通の猪よりももっと大きい体の猪だよ。その大きくて鋭い牙も、勢いをつけての突進も脅威だけど何よりも気をつけて欲しいのはこの猪の吐く霧なんだ」
     それがどのような力を持つのかと問うと指を一本立てて解説する。
    「それに包まれると、まるで山の中で霧に見舞われた時のように周りがはっきりと深く感じ取れなくなるの。敵意を感じて攻撃してしまえば仲間を攻撃してしまう事もあるよ。そうやって前後不覚になった相手を一人一人確実に倒していくんだ」
     ダークネスでは無いもののその強さは決して劣るものではない。
    「この古の畏れはそのままにしておけば、重機を破壊して町へ行ってしまうかもしれない。そうなる前に必ず倒してきてね、それじゃ行ってらっしゃい!」


    参加者
    天祢・皐(大学生ダンピール・d00808)
    アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)
    新城・七波(藍弦の討ち手・d01815)
    由津里・好弥(ギフテッド・d01879)
    海藤・俊輔(べひもす・d07111)
    漣・静佳(黒水晶・d10904)
    十文字・天牙(普通のイケメンプロデューサー・d15383)
    朝霧・瑠理香(うつろいゆくもの・d24668)

    ■リプレイ


     月に叢雲、と言う言い回しがある。夜、殺風景な工事現場に集まった灼滅者達の視界に風情のあるものは何一つ無い。月明かりの代わりにと用いたのは幾つかの照明。それを手にすれば遠くを見るのには心細くも、戦うには問題のない明かりを得る。
    「古の畏れ、初めての対戦ですね」
     何処からやってくるともわからない相手に警戒しながら新城・七波(藍弦の討ち手・d01815)がスレイヤーカードから力を引き出す。
    「巨大な猪か、『古事記』に似た話があったわね」
     アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)曰く、神の化身である猪を使者と間違えて殺そうとして天罰を受けた男の話。
    「……私達も油断せずに行きましょう」
    「なんかえーがに出てきそうだよねー、そういうのも含めてさ」
     海藤・俊輔(べひもす・d07111)が槍の柄を背中にかけて言う。
    「ちょーど白いスサノオオオカミもいるしー、後は狩人と物の怪のお姫様がいれば完璧かなー?」
    「………?」
     漣・静佳(黒水晶・d10904)がよく分からなそうな顔で俊輔の話を聞いていた。そもそも本以外の記録媒体には疎いのだろう。
    「要するに物語の話ですよ」
     天祢・皐(大学生ダンピール・d00808)が彼女に伝えると、理解したようにゆっくりと首を縦に振る。
    「今回ならさしずめかつて山に住んでいた動物たちの怒りという事だろうか」
     果たして朝霧・瑠理香(うつろいゆくもの・d24668)の言うような存在なのかどうか。
    「……霧が出てきたな」
     十文字・天牙(普通のイケメンプロデューサー・d15383)が周りの様子が変わって来たのを見て体勢を整える。これが相手の現れる予兆だろう。
    「霧、口から吐くんですよね。……臭そうです」
     由津里・好弥(ギフテッド・d01879)の懸念は杞憂に消えそうだ、それは周りにあったはずの重機すら見えなくなるほどの霧に包まれてきても臭いは無かったから。
    「……すごい、霧」
     静佳がぽつりと呟いた。深い霧の中、敵の姿さえおぼろげなまま静かに戦いが始まった。


     ドンっと言う鈍い音。
    「ぐっ!」
     霧の向こうに二つの光る瞳が見えたと同時に天牙の脇腹に鈍い痛みが押し寄せる。そのまま彼を踏みにじろうとした猪はさっと身を翻して静佳の石の呪いを避ける。
    「これが古の畏れ……、白き炎よ、われらを覆え」
     七波が強化している間に、既に本体は少し離れたところへ退避している。
    「鎖に繋がれていないのは……この霧自体が檻のようなもの、だから?」
     アリスが魔力の矢を放ち猪に当てるが、突き刺さらずに毛皮で止まる。それでも痛みはあったのか霧の中に逃げる。
    「どうやら相手は一対多の戦い方をわきまえてるようだね」
     皐が落ち着いた声で呟く。
    「少しでも情報があれば……」
     幸いにしてまだ身を削ぐほどの霧、言い換えればエクスブレインの言う混乱をもたらす霧は使われていないようだ。好弥は霧の向こうを睨む。
    「どこから来ると思うー?」
    「分からん、だがどこから来ても……」
     俊輔と瑠理香が小声で話す。その二人の背中に突如ぞわりと違和感が走る。
    「……!?」
     まるで小さな氷の礫を背中に突き立てられたようなそんな感触。瑠理香が振り向けば霧の向こうで黒い影がこちらを見ていた。
    「そこか……!」
     瑠理香が刃を手に踏み込む、振りぬかれた刃は霧ごと影を切り裂いていく。
    「危ない!」
     七波の声が響く、同時に彼女の腕に違和感が届く。敵を切り裂いた感覚ではない、もっと硬質の金属のようなものを叩いた感触。霧が晴れればそこには武器を斜にして刃を逸らす皐の姿と彼女に守られるアリスの姿があった。
    「これは……」
    「相手の術中に嵌っちまったってところか……」
     天牙が自分の傷を癒やしつつ周りを見る、おそらく迂闊な攻撃は相手に利するだけになるだろう。
    「少しでもこれで霧が晴れればいいんですが」
     好弥は清めの風を呼び、濃密な霧を少しばかり疎にする。それでも戦いの行方は未だ霧の中に包まれており予断を許さない。
    「………」
     霧に飲まれた者達を回復しながら、ふと静佳の胸に去来するものがある。
    「悲しい、の?」


     霧の中で防御と回復に軸足を置きながら戦う灼滅者達。それは山の中で悪天候に見舞われたパーティの行動にも似て、その時を待ちながらの戦いになる。猪が身を表に出し攻撃を仕掛ければその隙に灼滅者達も相手の身を削り、霧が惑わすのなら落ち着いてそれを払う、そんな静かであるが緊張感を要求する戦いである。
    「……本当、伊吹山の神様のみたいな芸をする」
     自分の傷を癒してアリスは呟く。古の畏れが言い伝えから生じるものだとするのなら、猪もまた山の主として語られる存在であったのだろう。俊輔の言うような映画のモチーフとなったのも無関係ではない。
    「でも古の畏れに過ぎません。倒せる相手です」
     霧の中から走りこんできた猪の姿を認めると皐はその勢いを剣の峰で挫き、返す刃で敵の腰を切り裂く。僅かな時間でも戦い慣れてみれば、普段の戦いとは変わらない。ただこの霧の中では灼滅者ですらも惑わせるほどの深い霧が突然訪れるだけだ。もっともそれが一番の脅威なのだが。
    「………」
     天牙は機が熟するのを待っていた。防御や回復に専念するだけでは削られ続けるだけで、時折相手に攻撃が命中してもそれが線となって繋がらない。その身や牙が灼滅者達を徐々に追い詰めてくる。
    「ぐっ……」
     猪の牙が七波の脇腹に深く突き刺さり静佳が即座に治療しようと動く。猪が距離を取ってもう一度助走をつけようと後退する。その猪の視線は割って入ってきた瑠理香のみ。
    「今だ!」
     踏みつけるようにスターゲイザーを放つ天牙、視線を彼から外していた猪はそれを避ける事が出来ずに衝撃に弾かれる様に地面に転がる。
    「確かに今ですね」
     好弥が追撃するように相手の反対側に立ち更に切り裂く、二重の攻撃で猪の機動力は先程までとは比べ物にならないほどに落ちている。それでも相手の戦意は衰えること無く目を爛々と光らせながら灼滅者達を睨みつける。
    「スサノオも厄介なものを呼び起こしてくれるわ……!」
     足を引きずりながらも飛びかかってきた猪はアリスの結界をくぐり抜けて牙で切り裂いていく。だがその攻撃しているタイミングこそが隙である。
    「斬り裂け……!」
     七波の影から始まった連携は好弥の槍と天牙の足技が続き、更に猪を追い詰めていく。
    「貴方は、」
     静佳は相手が傷だらけになっていくのを見る、傷つけば傷つくほどに荒く吐息を吐く様はまるで。
    「貴方の、居場所、守りたかった、のね」
     山を裂く場所に生じたのも、全てを覆い隠そうとする霧も、尽きることのない怒りも。それら全てが猪の持つ想念の現れのように見えて。
    「彼の存在がその通りならば、私達を狙うのも分かる」
     重機という道具ではなく、それを扱う人を先に狙うとなればその可能性もあるのだろう。瑠理香は切っ先を猪に向けて言い放つ。
    「私達が憎いのだろう? キッチリ退治してやるからさっさとかかってきな!」
     その挑発の意味を果たして猪は理解していたのか否か、どちらにせよ高らかに呼びかけられた声に従って猪は彼女に向かって突き進む。
    「………!」
     その勢いの一撃を彼女はその身に受ける、同時に肺の中の空気が無理矢理に吐き出され体の中から強い痛みがこみ上げる。けれども瑠理香は奥歯を噛み締めてそのまま剣を振り上げる。
    「その怒りごと吸い尽くしてやるよ……楽に逝けるようにな!」
     赤く染めた刃を相手の身へと突き立てる、同じ色の霧が切り口から溢れ出る。
    「………!」
     猪の口から山颪にも似た悲鳴が上がる、ここに来て初めて相手が痛みを表現した。
    「皐さん、早く決着をつけよー?」
     俊輔の言葉に皐は小さくうなずくことで返し影を走らせる。人工の灯火が照らす地面を生き物の様に動き、猪の体に噛み付いた。先程と同じ様に赤い物が吹き出していく。最初の力を失いつつある相手に向かって俊輔は走り、そして跳躍する。
    「これで最後―!」
     足先に生まれたのは炎、それは霧と畏れを灼き払った。


     最後の一撃が行われたと同時に、一瞬だけ目も開けられないような風が吹いた。灼滅者達が瞼を開けば、ここに来た時と同じ何の変哲もない工事現場だった。今はどこにも靄の一つですらない。
    「私達、灼滅者のコンビネーションの方が一枚上手だったってことですね」
     敵の気配が無いことを察した皐は俊輔と軽く手を打ち合わせた。
    「これで一安心ですかね。あまり重機が壊されていないと良いのですが」
     七波が周りを見渡せば瑠理香が問題無いと頷いた。
    「形から能力まで『古事記』の神様と同じだったわね。猪と言い霧と言い」
    「猪……牡丹……」
     アリスの言葉を聞き、好弥の脳裏に土鍋が浮かぶ。
    「……お鍋にするにはまだまだ暑いですし」
    「……腹減ったのか?」
    「え? いや、私は腹ペコキャラじゃないですし。あんなに活きのいいの見て食べることとか考えるわけないじゃないですか」
     好弥の独り言に対する天牙の突っ込みに、彼女はそう返した。とりあえず空腹疑惑も上がったところで一同はこの場を後にする。
    (「おやすみ、なさい」)
     一人瞑目していた静佳は帰りの気配を感じると立ち上がる。彼女が持っていくものは怒りと悲しみ。
    (「これで、貴方も、静かに」)
     今度こそ何者にも起こされる事のないように。仲間達の背を見ながら彼女も歩き出す。今宵は月さえも雲に隠れて静かであった。

    作者:西灰三 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年9月4日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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