身を灼く炎が消えるとき

    作者:六堂ぱるな

    ●Rage is died
     深夜、つつましい四畳半の部屋の中。
     健やかに寝息をたてる女性の枕元に、一人の少年が現れる。
     宇宙服のような不思議な意匠のいでたち。
    「君の絆を僕にちょうだいね」
     ひそやかに、囁きは流れた。

     窓から差し込む朝日に、彼女は目を覚ました。
     さて、今日も頑張って働かないと。アルバイトのかけもちは慌ただしいが、何も考えないで済むから楽だ。自分を置いて行方をくらました、父への怒りも忘れられる。
     ――父?
     彼女は茫然として、首を傾げた。
     何故だろう、あのつらくて悲しい胸を灼くような怒りが消え失せて、なんだか――。
    「諦められた、のかな」
     女性の頭の上には、誰にも見えない卵があった。
     
    ●Bonds is died, soon
     明るい日差しが差し込む教室の中で、埜楼・玄乃(中学生エクスブレイン・dn0167)は灼滅者たちを待っていた。席を立つと、ファイルへと目を落とす。
    「絆のベヘリタスと関係が深いと思われる謎の人物が、一般人から絆を奪うばかりか、ベヘリタスを孵化させようとしている」
     謎の人物が卵を産みつけている一般人は一人や二人ではない。放っておけばその卵が全て孵り、ソウルボードへと入り込むだろう。
    「卵は一般人には見えず、目視ができる灼滅者やダークネスにも孵化までは攻撃はおろか、触ることすらできない」
     産みつけられて一週間後の孵化の時しかチャンスはない。
     そこで重要なのが、孵るベヘリタスの特性だ。卵は宿主の絆を栄養に成長する。卵の栄養となった宿主と絆を結んだ相手には攻撃力が弱まり、その相手からのダメージが増加するという。
    「この弱体化する条件を満たして、撃破してもらいたい」
     
     肝要となるのは、孵化までに宿主の女性と絆を結ぶこと、である。
     宿主である水庫・氷織は19歳。父親と二人暮らしだったが、父親の失踪を機に高校を中退し働き始めた。午前中と19時から22時はスーパーの惣菜コーナー、13時から18時までは高校の元クラスメイトが訪れる甘味処でのアルバイトをかけもちしている。
     接触するとすればどちらかでとなるが、絆を結ぶのに使える時間はおよそ二日。
    「絆といっても種類は問わん。友情でも怒りでもなんでもいいから、彼女の印象に残ることが大切だ」
     一週間後、氷織がスーパーのアルバイトを終えた22時過ぎ、閉店したスーパーの業務用駐車場でベヘリタスが孵る。黄金の仮面をつけた、漆黒の炎を纏う鳥の姿でだ。
     このベヘリタスの能力は四種類ある。
     漆黒の羽根を敵の一列に撃ち込み、毒をもたらす。影をまとった脚で蹴りかかり、トラウマをもたらす。敵の一列に漆黒の炎を放って氷結させる。最後は鳴き声を上げて傷を癒し、破壊力を上げるもの。
     絆が強ければそれだけ有利に戦える。しかしベヘリタスは戦闘開始から10ターン経つと、ソウルボードに逃走するので注意が必要だ。
    「……あと、絆のベヘリタスを倒せば絆は戻ってくるから、可能なら彼女に何らかのフォローをして貰えないだろうか。無論、結んだ絆によっては困難だと承知している」
     絆が戻れば、怒りから解放されていた氷織は再び父への感情に苛まれることになる。
     それは彼女にとってつらいことだろうと予想はつく。
    「ベヘリタスの逃走は奴の勢力拡大を意味する。灼滅して、無事に戻ってきてほしい」 
     玄乃はぺこりと頭を下げた。


    参加者
    月見里・无凱(深淵紅銀翼アラベスク・d03837)
    月舘・架乃(ストレンジファントム・d03961)
    六車・焔迅(彷徨う狩人・d09292)
    紅羽・流希(挑戦者・d10975)
    霧月・詩音(凍月・d13352)
    雀居・友陽(フィードバック・d23550)
    雨時雨・煌理(南京ダイヤリスト・d25041)
    神桜木・理(ミストレイヴン・d25050)

    ■リプレイ

    ●接近と接触
     小さな甘味処の暖簾を出す女性を灼滅者たちは確認した。
     水庫・氷織。その頭上には黒と紫が混じり合う、なんとも不吉な卵が鎮座していた。
    「家族がいるのも良いのか悪いのか……だね」
     飾り気のない氷織の様子に、思わず月舘・架乃(ストレンジファントム・d03961)が呟きをもらした。頷いたものの、一般人にいい思い出がない霧月・詩音(凍月・d13352)には『良い』方がありうるのか理解できない。氷織の気持ちが少し理解できる程度だ。
     痛ましげに眺めながら、紅羽・流希(挑戦者・d10975)がぐっと拳を握りこむ。
    「形がどうであれ、絆とは己で繋ぐ物ですよ……。それに他人が干渉して良い物ではありませんねぇ……」
    「流石はダークネスってところか」
     眼鏡を光らせ、冷静に月見里・无凱(深淵紅銀翼アラベスク・d03837)が頷く。その傍らで神桜木・理(ミストレイヴン・d25050)は表情を歪めた。
    「どんな感情であれ、それはそいつのものだ」
     それが父親への怒りだとしても、それはきっと乗り越えるべきもの。
    「シャドウは本当に不可解な存在だな。……とりあえず、今できることをしよう」
     焦点がわかりにくい、とろりとした瞳の雨時雨・煌理(南京ダイヤリスト・d25041)がそう言って振り返った。忌々しげに卵を睨みつける雀居・友陽(フィードバック・d23550)もまた、言い尽せぬ想いを胸に抱えて頷いた。店に一番手で入るのは彼と煌理だ。
    「頑張りましょうね」
     一同を振り返った六車・焔迅(彷徨う狩人・d09292)の笑顔は物静かで、柔らかで――そのかわり、譲らぬ意思に満ちていた。
     絆を奪い返しに、灼滅者たちが一歩を踏み出す。

     アルバイトとして甘味処に来た煌理に、氷織は端的に仕事の要点を伝えた。続いてスレンダー過ぎる煌理の身体が心配になったらしい。
    「具合が悪くなったら言ってね」
    「大丈夫ですよ、先輩!」
     店が小さいこともあり忙しい。オーナーがアルバイトを増やすのも道理だ。そのオーナーが他所からの紹介だと丸めこまれているなど、氷織は夢にも思っていなかった。
     開店してまもなく友陽が白衣で乗り込んだ。最近湿気が多いからところてんがうまい。
    (「大丈夫女でも店員でオレは無害な客。害はない怖くないダッピーが付いてる」)
     因みにダッピーとは鞄についているクマだ。
    (「奴の思い通りにはさせねえ、何時間だって食ってやる」)
     女性が苦手な彼がそうまで踏ん張るのは、相手がベヘリタスなればこそだ。続いて架乃がナチュラル系のファッションで入店した。
    「素敵なお店ですね。どのスイーツも美味しそう!」
    「ありがとうございます」
     氷織のおすすめに従ってクリームあんみつを注文する。打ち合わせ通り焔迅と詩音が店へ入ってきて、彼らの注文の品を出し終えた氷織に架乃が声をかけた。
    「美味しいー! 私、甘いもの大好きなの!」
    「よかった。私も好きなんです」
     嬉しそうな笑顔に年相応の柔らかさを感じて、架乃はなんだかほっとした。
    「店員さん、美人だし優しいなあ」
     氷織が頬を染める。そこへ无凱が、少し遅れて周辺で人払いをかけた流希が店へ入った。これで満席、邪魔が入る心配もない。

    ●刷り込み
     オーダーを取りにきた氷織へ、无凱は声をかけた。
    「君が、水庫・氷織だね?」
     おしぼりを置く氷織の手が止まる。その腕を掴んで、続けて囁きかけた。
    「君の父親が作った借金、いつ返してくれるのかな?」
     一瞬、氷織が目を瞑った。
     こんなことが何度あったのだろう。
    「なんなら、君の躰で払ってもらってもいいんですよ?」
     无凱の眼鏡が照明を反射してきらりと光る。その時、架乃が席を立った。
    「ちょっと! しつこいと警察呼ぶよ!」
     无凱が手を緩めるとさっと氷織が身を引いて離れる。焔迅があんみつのスプーンを入口へと向けて声に力を込めた。
    「……此処は、甘味を楽しむ場所です。そうでないなら……」
    「……警察を呼びますよ」
     詩音も口を添える。立ち上がった无凱が出ていくと、明らかに氷織はほっとした様子になった。またくるね、と声をかけた架乃が会計を済ませて出て行くと、すかさず流希が苛立ちを装って口を開く。
    「……オーダー、まだ取りにこれませんかねぇ……」
     時間がかかるように仕組んでのことだ。急いでお冷やとおしぼりを持ってきた氷織へ、流希は不機嫌そうに告げた。
    「まともな教育を受けているのでしょうかねぇ……」
    「申し訳ありません!」
     頭を下げる氷織の手の震えに、流希はひどく心を乱していた。
     我ながら酷い事を言っていると思うが、彼女の印象に残れば残るほど、ベヘリタスを打ち破る力になる。胸の裡でひたすら詫びるしかない。
    (「本当に、すみませんねぇ……」)
     氷織の前に煌理が飛び出してくると、流希に食ってかかった。
    「事情があったのは見てて分かったでしょう! 文句があるなら帰って下さい!」
     流希が立ち上がり、店を後にする。戸惑った表情の氷織に、煌理は微笑みかけた。
    「大変ですね、先輩……。いつもこうなんですか? 次からも応援に行くんで頼っちゃっていいですよ!」
     少し恥ずかしそうな笑顔へと、氷織の表情が移り変わる。お客さまにあんなこと言っちゃだめよ、とお説教もついてきたりして、煌理もしっかり印象に残りそうだ。
    「大変スね……」
     支払いを済ませながら友陽が呟くと、爽やかな笑顔を心がけてクリームあんみつ分の小銭を余計に置いた。
    「よかったら、仕事上がりにでも食べてください。疲れたときは甘いモン!」
     早口にそう言い置いて店を飛び出す。呆気にとられて見送る氷織の様子を確認して、詩音も店を出るべく立ち上がった。『御馳走様でした。美味しかったです』と書いたメモを、テーブルに残して。

     夕方甘味処を出た氷織は、急ぎ足でスーパーへと向かった。タイムカードを押した氷織が、惣菜の品出しのために台車へ商品を移し替え始める。同じ制服を身につけて近づくと、理は話しかけた。
    「お久しぶりです」
     氷織の手からパックを取って台車に乗せると、言葉をつけたす。
    「……高校で一度、話をしたことがあったのですが覚えていないでしょうか? もう一度話をしたいと思っていました。まさかバイト先で再会するとは思っていませんでしたが」
    「あ、ごめんなさい。よく覚えていなくて」
     それはそうだ、初対面なのだから。理は店の責任者に見つからないよう顔をうつむけて、戸惑う氷織を促し台車を押して店内へ入って行った。
    「他所でもバイトしてるんですか?」
    「事情があってね」
    「……お父さんが失踪したとか、噂でしたが」
     氷織はそれには応えなかったが、同じ高校だったと騙る理にはわずかに心を開いたようだった。

     翌日行ける面子でもう一度甘味処へ行き、甘いもの好きで絆を深めることにした。煌理は鯛焼きを焦がすなどドジっ子アピールも効いているようだ。スーパーへ向かう氷織には无凱が姿を見せて、打てる手は全て打った。
    「やる事はやったから……後は待つのみかな」
    「……仕留めてみせる、絶対にな」
     架乃の呟きに理が応じた時、バックヤードから氷織が姿を現した。退社時間らしい。
     彼女が駐車場に差し掛かったその時、卵は孵化を迎えた。

    ●奪還の闘争
     流希は殺気を解き放って人払いをかけた。
    「現れたか……べへリタス!」
     唸る无凱が音を遮断しながら崩おれる氷織に駆け寄る。すぐに詩音が无凱から氷織を引き受けると後方へ下がり、焔迅が前へ出た。影は厚みを得て伸びあがり、もたげた頭には黄金の仮面がついていた。広がる漆黒の翼、漆黒の脚。その身体を漆黒の炎が包む。
    「Endless Waltz,総てを肯定し抗い続ける」
     无凱の解除コードが宣言されると同時、友陽も人の姿をかなぐり捨てる。脳天へと湾曲する角が生え、竜の尾がしなり、敵意も露わに武骨な杭打ち機を構えた。
     耳障りな鳴き声を上げるベヘリタスの身体の表面で、クラブのスートが蠢く。

     流希の拳が連撃で入り、反対側から焔迅が狼の本性を露わした腕を振り上げ爪を揮う。避ける暇を与えず友陽のバベルブレイカーが炎を纏って叩きつけられ、ベヘリタスへ无凱は独り言のように呟いた。
    「絆ね。……奪ってやろうって事もあったりするからな、否定はしないさ」
     だが肯定もしない。絆とは奪うモノじゃなく育むモノだ。
     石化の呪いを放つ煌理と彼女のビハインド、鉤爪の霊障波によるコンビネーション。詩音の足元から膨れ上がった影に飲みこまれ、苦鳴をあげる漆黒の鳥へ无凱は宣告した。
    「だが、今はその絆返してもらうぞ。例えそれが……当人にとって辛いことだとしてもだ! 覚悟はいいか?」
     クラブのスートを浮かび上がらせる彼の傍らを架乃の放った影が奔り抜け、理からは仲間を守る盾が広がった。
     怒りの叫びをあげるベヘリタスから、黒い羽が雨のごとく詩音と友陽に降り注ぐ。咄嗟に理が詩音の、鉤爪が友陽の前に割って入り傷を引き受けた。共に庇い手であるにも関わらず、鋭い羽の一撃が二者をよろめかせる。
     と同時、堀川国広の刀身が抜き放たれ、反射した街灯の灯りが戦場を抜けた。
    「そんなに絆が欲しいなら、俺が与えてやるよ。絶望って名の絆をよ」
     囁きより早く、踏み込んだ流希の放った一撃はベヘリタスを引き裂く。
    「ブレイズゲートで何度も灼滅してるのに懲りないね。分身かもしれないけど、シャドウを倒せる大チャンス。絶対逃がさないよ!」
     影を宿したPunishmentの台尻を叩き込んで架乃が素早く下がり、前へ出た友陽の注射器が突き刺さって鳥が苦鳴をあげた。焔迅から回る白い炎、煌理から集気法がとんで仲間を癒す。
     鉤爪が霊撃を放つ後ろで詩音と理が仲間の回復を急ぐ最中、踏み込んだ无凱の光を放つ斬撃がベヘリタスを捉えた。即座に闇を纏った蹴りの反撃が无凱を襲う。
     素早く踏み込んだ流希の大鎌が唸りをあげ、架乃から更なる影が絡みつく。焔迅から迸った炎が、詩音から滑りだした影は漆黒の鳥を苦しめ、炎色の瞳をした友陽が迫った。ベヘリタスの秘宝――それがあれば今も那須病院にいる仲間を解放できるかもしれないという想いがある。
     友陽の攻撃に、群青色のメタリックな縛霊手を構え、グラマラスな鉤爪を従えて煌理が遅れじと続いた。
    「気張れよ鉤爪……私の先輩だぞ! 一度でも世話になった者に報いず終わるなど、修道女として、聖職者として赦される筈がないのだ!」
     傍らに滑り込む鉤爪の身体さばきの艶めかしさ。鎖や鍵を鳴らしながらの煌理の縛霊撃に、絡みつくような鉤爪から霊障波が息を合わせて放たれる。
     右手首にはめた珊瑚ビーズの2連珠に銀結晶の鈴束ブレスレットに触れ、无凱もまた断罪輪を繰り出す。彼を集気法で癒す理が、焦りに表情を歪めた。回復が追いつくだろうか。

     しかし灼滅者によって影を仕掛けられ、攻撃力を削がれ、炎に焼かれ、トラウマに襲われたベヘリタスは後がなかった。理が異形の腕を振り上げて叩きのめし、
    「絆奪いし罪人 其の身は罪と共に、憤怒の炎で焼き尽くされるだろう――」
     詩音の歌声が高らかに響く中、タイマーが鳴った。あと5分でベヘリタスが逃走する。
     流希が鋭く閃かせる国広、友陽の唸りをあげるバベルブレイカーが同時に敵を捉えた。
    「どうせソウルボードから出られねぇだろうが! 一生檻に籠もってろ!」
     友陽の咆哮とともに、ベヘリタスは闇の中に解けていった。

    ●別れと誓い
     氷織の意識は混濁していたようだった。違和感に額を撫でながら辺りを見回した氷織が、架乃に気がつくと首を傾げる。
    「あれ……」
    「たまたま通りかかったら倒れてたけど、大丈夫?」
     夢を見ていたような気がする。ここ数日会った人たちが一斉に出てきたような。氷織の身体を支えていた詩音がぽつりと呟いた。
    「お父さんを、呼んでいました」
    「父を?」
     そう言った途端、胸の裡に怒りが噴き上がったことに氷織は衝撃を受けた。
     自分を置いていった父。人を裏切った父――。この数日絆を蝕まれ平穏な気持ちでいた彼女にとって、自らの醜さを突きつけられる想いだった。
    「なんで……諦められた気が、してたのに」
     嗚咽をもらす氷織の背中を撫でて、詩音はそっと口を開いた。
    「……深くは追求しません。された事を許す事も、忘れる必要も無いでしょう。忘れられない程の事をされたのなら、当然です」
     思いがけない強い言葉に、氷織は驚いて詩音を見返した。無表情のまま、詩音が続ける。
    「……ただ、これからの人生を怒りで占められて良いものなのか。一度、考えてみても良いかと」
     その淡々とした言葉が氷織の頭を冷やした。隣にしゃがみこんだ煌理が頷く。
    「私も孤児みたいなもんでした。こういう境遇って、案外いるもんです」
     目を瞠る氷織に、煌理は困ったような笑みを浮かべた。
    「今どれだけ充実した人生を生きられるか、じゃないですかね」
     いま、と呟く氷織の手を取って立たせながら、理が精一杯の気持ちを口にする。
    「どうか過去と今を糧にして、未来を生きてほしい。今に負けない強さを手に入れられる人だと、そう思っています、きっと……」
     それは一緒に数日働いた理の正直な気持ちだった。焔迅が穏やかに続ける。
    「……どんなに悲しく、腹立たしくても、絆は絆。いつか自分なりの決着をつけるその日まで、どうか負けないでください」
    「人生悪いことばかりじゃないよ。事実、こうやって心配してくれる人がいるのはとても良い事じゃないかな!」
     架乃の言葉に氷織が言葉を詰まらせる。
     また明日会うように挨拶をして、灼滅者たちは氷織と別れ歩きだした。
     道の向こうで氷織との接触を避けた流希と无凱、友陽が待っている。振り返り、焔迅は彼女の背中を眺めた。
     彼女がいつか胸にわだかまるものに別れを告げられるよう、そっと願いを投げる。
    (「……願わくば、その時のお姉さんが幸せでありますように」)

     氷織はポケットに何か入っていることに気がついて取り出した。甘味処で使っているコースターだ。裏返すと短く、謝罪と激励の言葉が書かれている。
     不機嫌そうに席を立った青年の姿が頭をよぎった。
     もしかしてあの人も、そう問おうと振り返った氷織の前には、もう誰の姿もなかった。

     未来のことなど、考えたこともなかった。
     でも借金を残して消えた父の娘、という現実に囚われ俯いていたら、気遣う眼差しにも差しのべられた手にも――隠された想いにも気付けない。
    「私の人生を、生きないと」
     父に置いて行かれた娘の人生ではなく、一人の女性として。
     コースターを握り締めて、氷織は歩きだした。

     いずれバベルの鎖は彼女の記憶を奪う。
     けれど喪われた記憶の向こうで、灼滅者たちとかわした言葉は、確かに彼女のこれからを支えていく。今度こそその身を灼く炎を打ち消す、大切な想いと共に。

    作者:六堂ぱるな 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年6月14日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 5
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