留守番黒猫のはなし

    作者:宮橋輝


     学校帰り、一軒の空き家の前で、二人の小学生がこんな会話を交わしていた。
    「……そういえば、この家、出るんだって」
    「出るって、何が?」
    「留守番する黒猫」
    「何だそれ。ぜんぜん怖くねー」
     拍子抜けしたように、大げさに肩を竦める少年。もう一人の少年は眉を寄せると、声のトーンを落として話を続ける。
    「いいから聞けって。あのな……」

     昔、この家には四人家族が一匹の黒猫と暮らしていたのだという。
     しかし、一家はある日突然、黒猫を残してどこかに引っ越してしまった。
     置き去りにされた黒猫は、がらんとした家で家族の帰りを待つ。
     どれだけ待っても、家族は誰も帰ってこない。
     寂しくて。悲しくて。黒猫は声を限りに鳴き続け――やがて、痩せて死んでしまった。

    「この家に入って『ただいま』って言うと、その黒猫が出てきて殺されるんだって」
    「マジかよ」
     訝る少年も、先程までの勢いはない。
    「……とりあえず、行こうぜ」
     二人は足早に、空き家から遠ざかっていった。
     

    「皆さん、揃ってますね」
     教室に集まった灼滅者たち、一人一人の顔を見て。五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は事件の説明を始めた。
     現場は、都内のとある街に存在する空き家。そこで、都市伝説が発生したという。
    「都市伝説は『留守番黒猫』と呼ばれています。飼い主に置き去りにされた黒猫が、死んでしまった後も家族の帰りを待って、たった一匹で留守番をしている――という、よくある噂話ですが」
     囁かれる噂話を恐れる人の心がサイキックエナジーと融合した時、この哀れな黒猫は都市伝説として実体を持ってしまったのだ。一般人に被害が出る前に、これを討伐しなければならない。
    「空き家の居間に入って『ただいま』と言うと、留守番黒猫が出現します」
     普通の猫に比べるとかなり大きく、異様なほど痩せているので、野良猫などと見間違えることはないだろうと姫子は言う。
    「留守番黒猫は、猫撫で声を上げて心を惑わせたり、無邪気に飛びついてじゃれつくことで攻撃を仕掛けてきます。その場にいる全員が攻撃の対象になりますが、中でも、『ただいま』と言った人を優先して狙う傾向があるようです」
     これを上手く利用すれば、ある程度は留守番黒猫の攻撃を誘導できるかもしれない。
    「敵は一体だけですが、油断できない相手です。どうか、気をつけて行って来てくださいね」
     姫子はそう言うと、灼滅者たちに向かって小さくお辞儀をした。


    参加者
    若宮・想希(希望を想う・d01722)
    更科・五葉(忠狗・d01728)
    星野・奈津(彩の漉き手・d02345)
    赤威・緋世子(赤の拳・d03316)
    ステラミラ・セレスティン(黎明の剣・d04754)
    滝摩・翔(中学生殺人鬼・d06109)
    天城・迅(高校生ダンピール・d06326)
    鈴見・佳輔(小学生魔法使い・d06888)

    ■リプレイ


     蝶番の錆びた扉が、酷く軋んだ音を立てる。
     玄関から家の中に入ると、カビと埃の臭いが鼻をついた。
    「餓死した黒猫か……未練も根深そうだな」
     灰の瞳で注意深く周囲を見渡しながら、天城・迅(高校生ダンピール・d06326)が口を開く。スレイヤーカードから殲術道具の封印を解いた鈴見・佳輔(小学生魔法使い・d06888)が、この家で発生した都市伝説――『留守番黒猫』に思いを馳せた。
     ただ一匹置き去りにされ、死んでしまった後もなお、戻らぬ家族を待っている黒猫。
     都市伝説は、人の恐怖や畏れがサイキックエナジーと融合して生まれたものだから、元になった噂話が事実とは限らない、けれど。
    「……でも、痛ましい話だよな」
     そう呟いて、佳輔は龍砕斧の柄を強く握り締める。手に馴染んだ武器のはずなのに、今は何故かずしりと重い。彼の言葉を聞き、更科・五葉(忠狗・d01728)が僅かに視線を落とした。
     どこを探しても、どんなに願っても、決して会えない人がいるのは五葉も同じ。たとえ都市伝説であったとしても、家族を待ち続ける留守番黒猫に自らの過去を重ねずにはいられない。
    「猫かー、可愛いよなぁー」
     赤威・緋世子(赤の拳・d03316)が、しみじみと言った。
    「黒猫は不吉だっていうけど可愛いもんは可愛い! 都市伝説じゃなきゃ愛でてるところだぜ!」
     拳を握って力説する彼女に、星野・奈津(彩の漉き手・d02345)が頷きを返す。
    「俺も猫派だから辛いな。事情はわからないから、元の飼い主を責めはしないけど――」
     それでも、置いていかれた黒猫はひたすらに哀れだ。どんな理由があったとしても、黒猫に罪はなかったはずだから。
    「噂話に過ぎないけど、ホントだったら悲しい話だよね」
     傍らのライドキャリバーと共に廊下を歩むステラミラ・セレスティン(黎明の剣・d04754)が、念を押すように声を重ねた。
    「犠牲になる人が出ないよう、ボクらの力でしっかり退治しないとね」
     大切なのは、都市伝説を確実に討伐し、一般人に被害を出さないこと。他校の制服を身に纏った滝摩・翔(中学生殺人鬼・d06109)が、小さく溜め息をついた。
    「しかし痩せた猫か……もふもふとは縁遠いな」
     どうせなら、もふもふの猫と触れ合いたいものだが、そう贅沢も言っていられまい。

    「皆、準備はいいですか」
     居間に続くドアの前に立ち、若宮・想希(希望を想う・d01722)が仲間達に確認する。全員の返答が得られた後、彼は眼鏡をそっと外した。できれば力を高めておきたいところだが、今ここでエンチャントをかけたとしても、戦いが始まれば解除されてしまう。
     想希はドアを開け、居間の中に足を踏み入れた。家具も何もない、がらんとした室内が寂しさを煽る。
    (「ずっと待ち続ける黒猫、か……。帰れない……帰らない俺と、正反対、だな」)
     家族を巻き込まないために家を出た自分の境遇を思い、苦笑が漏れた。
     気を取り直し、居間の中央に立つ。今は、ここを自分の家だと思って――黒猫が最も欲しかった言葉を、家族の代わりに言ってやろう。
    「ただいま」
     瞬間、猫の鳴き声が響く。
     ――にゃーう……。
     ガリガリに痩せた、それでいて巨大な黒猫が、金色の瞳を輝かせて立っていた。


     留守番黒猫の出現を確認し、灼滅者たちが居間に突入する。全員が各自のポジションにつき、陣形を整えた直後、黒猫が想希を見て嬉しげに鳴いた。惑わしの声が、彼の心を強く揺さぶる。
    「では、始めるとしようか」
     前衛に駆けた迅が、冷静な表情を崩すことなく魔力の霧を展開した。彼とて猫は可愛いし、気の毒だとも思う。だが、一般人に仇をなすというなら話は別だ。
     並んで前に出た佳輔が、龍砕斧に宿る『龍因子』を解放して自らの守りを固める。彼らのやや後方、中衛に立った緋世子が、全身を覆うオーラを両手に集中させた。
    「はぁぁぁあああ!! いっけぇぇえ!!」
     撃ち出されたオーラが、黒猫の痩せた体を過たずに捉える。
    「さあ、おいで。一緒に遊ぼう」
     鮮血の如き緋色を宿す日本刀を閃かせ、想希が黒猫を誘った。奈津が、組紐で整然と束ねられた護符の中から一枚を手に取る。守護の力を秘めた符が、想希の傷を癒した。
    「捨てられて……忘れられても、まだ飼い主を待つか……」
     妖の槍で黒猫を貫き、螺旋のエネルギーで力を高める五葉が、甘えるように鳴く黒猫を見て微かに眉を寄せる。おそらく、あの猫には灼滅者たちが家族に見えているのだろう。
     後衛でスナイパーを担当する翔が、ガンナイフの銃口を黒猫に向けた。
    「一般人に危害が出る前に片付けねぇとな……」
     彼にとっては、学園に来て初めての戦闘である。自分の役割は、しっかりと果たしてみせなければ。
     発射された漆黒の弾丸が、黒猫の胴を射抜いた。バベルの鎖を瞳に集中させたステラミラが、自らのライドキャリバーに命じる。
    「猫の足を止めて」
     足元をすくうように掃射された機銃が、黒猫の動きを鈍らせた。
     ――にゃおん?
     黒猫が、小さく首を傾げる。今日の遊びはずいぶん変わってるね、とでも言いたげな仕草だった。身を低くして尻尾を揺らし、前衛たちに向かって飛びかかる。常識外れのサイズと、鋭い爪がもたらす攻撃の威力を除けば、その動きは飼い主にじゃれつく無邪気な猫そのものだ。
     腕を裂かれた迅が、流れる血と同じ色のオーラをロケットハンマーに纏わせる。
    「これも結構使い易いのだよ、回復も出来てな」
     彼は体重を乗せて一撃を叩き込むと、同時に黒猫の生命力を奪って自らの傷を塞いだ。佳輔が、構えた龍砕斧を魔法の杖に見立てて軽やかに振るう。
    「穿て、破魔の弾丸!」
     詠唱により圧縮された高純度の魔力が、黒い毛皮を深々と抉った。黒猫が先のじゃれつきで術力を高めたのを見て、緋世子が前に躍り出る。
    「そんなもん……ぶち壊してやる!! 食らえ!!」
     小柄な体格からは俄かに想像できぬ威力を秘めた赤き拳が、黒猫のエンチャントを真っ向から打ち砕いた。それを見た五葉が、己の体内から生み出した炎を槍に纏わせて黒猫を貫く。燃え移った炎が黒猫の全身を紅く染めると同時に、悲痛にも聞こえる鳴き声が響いた。


    「回復は俺が。攻撃は皆にお任せするよ」
     後列で癒し手を担当する奈津が、優しき浄化の風を呼び起こして前衛たちの体力を取り戻す。周囲にしっかりと目を配り、味方の背中を支えるのが彼の役目だ。
    「こっちだよ」
     素早く死角に回り込んだ想希が、黒猫の気を惹きつつ攻撃を繰り出す。ステラミラが、すかさず床を蹴って細い身体を宙に舞わせた。ライドキャリバーの背に降り立ち、そのまま黒猫に向かって走らせる。上段から振り下ろされた斬撃が黒猫を捉えた直後、ライドキャリバーの突撃が艶の失せた毛皮にタイヤの痕を刻んだ。
     なおも遊んで欲しそうに灼滅者たちを見る黒猫に、翔が叫ぶ。
    「もふもふ以外にじゃれつかれても、ときめかないんだからな!!」
     彼は心の深淵に潜む想念を集めて黒き弾丸を作り上げると、ガンナイフの銃口からそれを撃ち出した。込められた毒が、黒猫を体内から蝕んでいく。
     ――にゃう……うにゃーお……!
     黒猫が翔を狙って惑わしの声を上げたのを見て、佳輔が咄嗟に己の身を割り込ませた。『龍因子』により防御力を高めた彼は、その一撃に悠々と耐える。
     気魄による攻撃が次第に見切られつつあるのを悟った緋世子が、雷に変換した闘気を己の拳に宿した。
    「っと、同じのばっかじゃつまらねぇだろ、攻防一体……これでも食らいな!」
     深く身を沈めてから高く跳躍し、勢いを乗せて顎に拳を叩き込む。佳輔に防護符を飛ばした奈津が、黒猫に向けてそっと口を開いた。
    「ごめんね。みんな目に見えないものが、怖いんだ」
     留守番黒猫を生み出したのは、その存在を信じた人々の心。無責任な噂話と、それに対する恐怖が、家族に置き去りにされた哀れな猫に実体を与え、この家に縛り付けてしまったのだ。
    「急によりどころを無くした君のほうが、ずっと不安で怖くて心細かっただろうにね」
     がらんとした居間でただ一匹、悲痛に鳴き続ける痩せた黒猫の姿が脳裏に浮かぶ。飢えに倒れ、とうとう声も出なくなった時、この猫は何を思ったのだろう。
     最期まで家族が帰ることを信じ、待ち続けていただろうか――。
     漆黒のポニーテールを揺らし、翔が前方に駆けた。銃身に取り付けたナイフを鮮やかに閃かせ、黒猫を側面から斬り刻んでいく。
     ――にゃーお……。
     黒猫が、ひときわ甘えた鳴き声を上げて宙に身を躍らせた。全身から血を流しながらも、懸命に前衛たちにすり寄り、じゃれつこうとする。あたかも、置いていかないでと哀願するかのように。
    「そろそろ終わりにしようか」
     己の感情の全てを、沈着冷静を貫く面の奥に封じて。迅が、ロケットハンマーを構える両腕に力を込める。紅蓮を宿した一撃が、黒猫を強かに打った。
    「今となっては何もしてやれねぇけど、ただただ待つのからは解放してやるよ……」
     五葉が、鍛え抜かれた超硬度の拳を正面から叩き付ける。立て続けに攻撃に晒された黒猫の身体が、大きく揺らいだ。
     すがるような視線を、想希は真っ直ぐに受け止める。
     この黒猫が、悪いわけじゃない。それでも、関係のない人を殺させるわけにはいかないから。悲しい留守番は、ここで終わり。
    「もう……待たなくて、いいんだよ」
     何もかもを包み込む微笑みとともに、彼は刀を振るった。緋色の斬撃が、黒猫を追い詰める。
     ――うにゃーぁ……。
     か細い鳴き声を聞きながら、ステラミラが再び跳んだ。
    「あくまで、ただの噂話――」
     武器を鞘に収め、空中でトンボを切る。ライドキャリバーが機銃の掃射で黒猫の足を止めた瞬間、ステラミラの鋭い抜き打ちが戦いの幕を引いた。


     喉元を横一文字に裂かれた黒猫の姿が、目の前で薄らいでいく。
     五葉は咄嗟に両腕を伸ばすと、傷にまみれたその身体をしっかりと抱えた。
    「留守番お疲れ様だ。もう、ゆっくり休め……」
     痩せて骨の浮き出た背中を、優しくさすってやる。消滅の瞬間――黒猫が満たされたように目を細めたのを、緋世子は確かに見た。
     居間に、静寂が戻る。帰らぬ家族を待ち続けた留守番黒猫は、もうどこにも居ない。その終わりを見届けた佳輔が、短く黙祷を捧げた。
    「――それじゃ、帰ろうか」
     髪を束ねたリボンを直しつつ、ステラミラが仲間達に撤収を促す。何事か考え込んでいた翔が、ふと口を開いた。
    「急いで帰る用がないなら、部屋を見て回っていいか?」
     都市伝説は噂に過ぎなくても、かつて、この家で暮らしていた一家は確かに存在したのだろう。どんな人達が住んでいたのか、そして猫は飼っていたのか。それだけでも、知りたいと彼は思う。
    「だから、どうしたというわけでもねぇんだけどな……」
     感傷と言えばそれまでだが、翔の言葉に意を唱える者はいなかった。眼鏡をかけ直した想希が、そっと口を開く。
    「猫の遺体があったら、庭に埋めて、花でも飾ってあげたいです」
     去っていった家族の代わりに弔うくらいは、きっと許されるはずだから。

     灼滅者たちは家の中をくまなく探したが、猫の遺体らしきものは一向に見つからなかった。
     やはり、ただの噂に過ぎなかったのだろうか。皆が諦めかけた時、奈津が玄関の片隅でボロボロに朽ちた鈴の首輪を見つけた。
     この首輪が、都市伝説の元になった黒猫が身に着けていたものかどうかは分からない。もしかしたら、どこからか迷い込んだ猫が、落としていっただけかもしれない。
     それでも――奈津はその首輪を、そっと拾い上げる。少し錆び付いた鈴の音は、どこかあの黒猫の鳴き声にも似ていた。

     結局、収穫は持ち主不明の首輪が一個だけ。猫の遺体は、とうとう発見できなかった。
     噂が真実であったのかどうかは、最後まで明らかにならなかったが――確かなことが、一つだけある。
     たとえ、人の恐怖心とサイキックエナジーが生み出した都市伝説に過ぎなくても。『留守番黒猫』は、実体を持ってこの家に存在していたのだ。最期の最期まで、失われた家族の愛を求めながら。
     迅が、持参した線香に火を点けて庭の隅に立ててやる。旅立った黒猫に捧げる、せめてもの餞だった。
    「これでもう苦しむ事はないだろう。静かに眠りにつくと良い」
     そう囁いた後、彼は空を見上げる。
     灼滅者たちの祈りを乗せて、白い煙はゆっくりと、天高く上っていった。

    作者:宮橋輝 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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