6月。
それは、武蔵坂学園の生徒たちが心踊らせる季節。
出会いと始まりを迎えた春を越え、本格的な盛夏が来るよりも先に訪れる、世間一般で言う梅雨の季節。にも関わらず、手元の用紙を見下ろす生徒たちの瞳には、期待の光が宿っている。
そう、武蔵坂学園の修学旅行は、毎年6月に行われるのだ。
今年の日程は、6月24日から6月27日までの、4日間。
旅立つのは、小学6年生と中学2年生、高校2年生の生徒たちだ。
さらに、大学に進学したばかりの大学1年生にも、親睦旅行という名称で、同じ学部の仲間などと親睦を深める為の旅行が用意されている。
今年の行先は、南国の楽園――沖縄。
いったいどんな出会いと興奮が、沖縄で彼らを待ち受けているのか。
それを知る者は、まだいない。
6月25日。修学旅行2日目。
この日の宿泊先は、全客室がオーシャンビューのリゾートホテル。
沖縄にリゾートホテルは数あれど、今回の宿泊先となるホテルの大きな特徴は、プライベートビーチを所有しているところだ。
部屋からの眺望は、果てしないコバルトブルー。
ホテルを一歩出れば、肌身に感じる潮風。
スパ施設とビーチサイドのカフェを挟んだ目と鼻の先に、沖縄の美しい海が広がっている。
正に、南国リゾートと呼べる景色だろう。
しかもホテルが管理しているビーチだ。トイレとシャワーが完備されているだけでなく、オープンカフェやちょっとした売店もある。
真っ白なパラソルやデッキチェア、テーブルは既にビーチに設置されているため、自分たちで運ぶ必要もない。その身ひとつで、ホテルの部屋からビーチへ飛びこんでいける。
ホテルから繋がっている屋外のスパ施設を抜けると、バリ島をイメージしたオープンカフェへ出る。
木目のテラスやチェアなどが、リゾート気分を演出してくれる。もちろん、テラスから一歩出れば白い砂浜。そして広がるのは青い海だ。
ホテルで借りられるパレオやシャツを纏い、のんびり過ごす贅沢も良いだろう。
フルーツやトロピカルドリンクといった、リゾート気分を味わうための定番グルメから、タコライスやロコモコといった南国らしさ満点の軽食、今人気のエッグベネディクト、サトウキビアイスも注文できる。
テイクアウトもできるため、ビーチへ持っていくもよし、部屋へ持ち帰るのも良い。
ちなみに、カフェに隣接して、小さな教会がある。開放感に溢れた教会で、壁にくりぬかれた窓から海が臨めるのは、贅沢な雰囲気だろう。将来に想いを馳せて、教会を見学してみるのも良い。
ビーチもほぼ宿泊者専用だ。
ゆったりとしたひとときを、のんびり過ごしてもらいたいとのホテル側の配慮から、派手なアクティビティは無く、喧騒を離れて過ごせる場所でもある。そのため、海水の透明度も然ることながら、ビーチは「天然そのまま」の姿を見せてくれる。
ホテルのスタッフによると、ただただ波打ち際で戯れるだけの人や、ただただ泳ぐ人、ただただ波間に浮かぶ人といった、ある種「何もしない」過ごし方をする客も多いらしい。
唯一のアクティビティと言えるのは、チャーターヨットだ。
インストラクターによる操縦で、プライベートビーチの沖の方へ出て、プライベートな空間であるヨットの上で、少人数の仲間たちと持ち込んだ軽食を味わうのも、また素晴らしい思い出になりそうだ。
ただし、ヨットのチャーター費用は自己負担となる。
「どうかな。一緒に、リゾート気分を満喫するのは」
狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)が、柔らかく微笑んで、君に話し掛けてきた。
「泊まる部屋がオーシャンビューというだけでも贅沢なのに、ホテルの目の前がビーチだなんてね」
期待に胸を膨らませているのだろう。睦が纏う空気は楽しげだ。
「どう過ごそうかな。考えるだけでも楽しみだね。ねえ、君は……」
――どう過ごすのかな?
さて、きみはプライベートビーチで、誰と、何をしようか。
それを考える時間は、たっぷりある。
●
プライベートビーチ。それは、格別の贅沢だ。
武蔵坂学園の修学旅行生が訪れたプライベートビーチもまた、ほぼ手つかずの自然を残し、共生していく人々がいるからこそ、圧倒的な透明度の高さを誇る海が、大きく横たわっていた。
「修学旅行、晴れて良かったな」
写真や映像で見るよりも美しい沖縄の海に、アンティーク五人衆の一人、小袖がぽつりと想いを落とす。
太陽の眩しさに目を細め、リグレットは髪をかきあげた。アンティーク五人衆で借りたヨットの上で感じる風は、ビーチで受けるものとはまた違う。これはいいものだ、と知らず知らずに唇で笑みを刷いてしまうほどだ。
「あ、すごい派手な色の魚いるよ。めっちゃ不味そう」
南国らしいトロピカルカラーで充たされたドリンクをあおりながら、雷が船から身を乗り出す。隣で螢も同じように水底を見物していた。
「魚はグロテスクなのは美味しいと聞くわね」
「勇気がいるな、それは。……そういえばここ泳いでも良いのかな?」
雷が疑問を言い終えるより先に、リグレットがパレオを脱ぎ捨てる。
「ライ、やったもの勝ちと言う言葉がある」
語尾は落水の音に掻き消された。
海なんだからいいに決まってると、莉子は雷の背を後押しして、文字通り海へ突き落す。もちろん自分も後に続いた。冷たい、気持ちいいといった声が、海に飛びこんだ仲間から跳ね返ってくる。その感想にそわそわしていた小袖は、シュノーケルやダイビングも出来るみたいだと道具を手にした。
「小袖ちゃん、どうも。雷ちゃんとリグさんに続いて私も、っと……!」
シュノーケリングの道具を受け取った螢は、迷いも躊躇いもせず仲間に続いた。どぱん、と勢いよく水柱があがる。
海の彼方で生じたその水柱を遠目に、瓜二つの顔を並べて、カフェで眼の前に並んだ料理の数々と睨めっこする姿がある。柚羽と未羽だ。
半分こを提案して注文したメニューは、どれも見知らぬものばかり。大きな瞳をくるりと動かした未羽が、家でも作ってねと弟を見つめる。色鮮やかな美味しさを自宅でも味わいたい。そんな姉の願いに、柚羽は一瞬考えてから頷いた。
「アイスはちょっと無理だから、東京で売ってるとこ探しにいこう」
二人で。最後に付け足した柚羽の言葉に、今度は未羽が頷く番だ――いつだって、二つの影は並んで歩く。旅先でも、何処ででも。
同じくカフェで所狭しと並べられた南国メニューを頬張る朝乃は、くいと指先で帽子を押し上げ、近くの席に座っていた睦の顔を覗き込む。
「美味しそうに食べてるね、それなぁに?」
「エッグベネディクトだよ。はい、あーんして?」
卵の乗ったイングリッシュマフィンを切り分け、睦は開いた朝乃の口へそれを放り込んだ。とろける卵の食感に、朝乃は目を輝かせて、店員へ追加注文をした。
食器のぶつかる音と食べ物の香りが風に乗った、カフェの喧騒を少しだけ離れた場所――そう、カフェに隣接した教会だ。
装飾こそ控えめでも、荘厳さを失ってはいない。 傍らをみれぱ、紫色の水着姿にパレオを巻いた霧がいる。神流はその幸せを噛み締めるように、差し込む光の麓で語りかけた。
「もう一度、こんな形でここに来るなんて」
「確かに……随分色々あったものだ」
じっと見つめてくる神流に、あまり見るな恥ずかしい、と視線を外した霧の耳は真っ赤だ。その様子に、神流は情を吐息に乗せる。
そんな神流の傍らにいることを、霧は霧で改めて幸運と思いながら、人生とは解らないものだと、考えとは裏腹に幸せそうな表情を浮かべてみせた。
教会に居たのは、もう一人。
描いた十字が光の残像をはらみ、ナターリアは静かに瞼を閉ざす。吹き込んだ潮風が、覆っていたヴェールと戯れた。幸せなひとときを願うナターリアの祈りに、まるで応えるかのように。
●
荒くも大人しすぎることもない今日の波は、ヨットを浮かばせて過ごすには、もってこいだ。照り付ける太陽にも負けじと、修学旅行生たちは活動を開始していた。
黒ビキニ姿の夜宵は、日焼けなど物ともせず、ヨットの上で大胆に背中をさらけ出した。
「ねぇ、オイル塗ってくれない?」
紫の髪を集め、願いを向けるさりげない動作にも、艶がある。快く引き受けたヴァルケは、躊躇いのない夜宵の姿に唸った。
――これが大人の女の余裕か。
旅行に参加できたことも含め、いい勉強になるな、とヴァルケは改めて自分の運を誇った。
一報、別のヨットでは。
アンリと沙耶々が二人きりの時間を過ごすのは、久しぶりだった。
だからこそヨットの上で何度も写真を撮り、言葉を交わしながら、思い出を一枚一枚に残していく。チャーターから何から全てを仕切ったアンリを頼もしげに見つめ、沙耶々は船独特の揺れに身を委ねる。よろめく沙耶々を咄嗟にアンリが支えた――までは物語的にロマンチックだったのだが、直後、これはボディタッチだと自覚したアンリが耳まで赤くして、石のように固まってしまった。
そんな姿に、沙耶々は笑わずにいられなかった。頬を紅潮させながら。これもまた、二人の物語の形だ。
二人の物語が、沖縄で紡がれるのなら。物語に添える色をつけるのもまた、沖縄での行動だろう。
透明感と一緒に、青の絵の具をまき散らしたかのような海は、真っ白なヨットを運んでいく。
そんな光景ですら、平穏でしかなく、寄り添える日々の中に、香澄とミハイルは居た。
「夫婦水入らずの休日も悪くない」
視界に広がる青と白は、翼を休める二人を祝福するかのように清々しく、大きなパラソルは、彼らを陽射しから守っている。それでも防ぎきれない熱は、言うまでもなく身を焦がす想いそのもので。
「ミーシャ、ちょっとこちらを向いてください」
囁きに応じ何気なく振り向いたミハイルへ、香澄はひと夏の思い出を贈った。
入れる区域を探し、そこから入った海で水を両手で大きく掬ったのは、スポーティーな水着だ。
「シア、ほら」
ぱしゃりと弾ける水飛沫。アリシアはパレオを揺らして水をかけ返す。
このまま時間が許す限り遊んでいたいと願い、華琳が続けて水を飛ばした。すると、それに応えるかのように、アリシアも、広い世界での出会いに感謝しつつ、精一杯の水を降り注がせた。
多くの言葉は要しない。
ひとつだけ解るのは、こんな楽しい時間は、今しかないのだということ。それだけだった。
今しかない時間を、もったいぶらずに遊んでいる面々がいる。
罰ゲーム付き輪ビーチバレー。それは、ボールを地に落とした回数が、一番多い人の敗北となるゲーム。
吉祥寺2Gが挑む恐怖のゲームだ。罰ゲームといっても過酷なものではなく、全員にトロピカルジュースを奢るというだけのもの。お財布的には過酷だが。
まさか藍ちゃんが言い出すとは、と驚きを隠せずにいる沙希への、藍の答えは「勝負事は好きですよ」という短い一言だった。負けるわけにいかないと自らを奮い立たせる男性陣は、しかし直後、侮れない自然の驚異を目の当たりにすることとなる。
「しまった! 太陽が視界に入りやすい!」
「男の子なんですから、細かいこと言っちゃだめなのです」
登の苦情を堂々と却下する沙希は、太陽を背負って眩しい。考えましたね、と清美を始め仲間たちが感心するほどだ。そんな清美も、もっと左へ寄るよう良太をさりげなく誘導した。途端に、視界の隅に何を見たのか、良太の視線が泳ぎ出す。そこへ。
「アナスタシアスーパーアターーック!」
登と良太をターゲットにしていたアナスタシアの、猛烈な攻撃と声が降りかかり、良太は顔面にボールを喰らう羽目になった。
作戦成功を喜んだ清美はしたり顔だ。そんな清美に、ついつい菜々乃もぱちぱちと手を叩く。どんな作戦だったのかを菜々乃が尋ねれば、周りのカップルが見えていたら集中力が欠けるでしょう、との答えが返った。菜々乃は二度目の拍手を彼女へ贈る。
男性陣が罰ゲームを担うこととなり、皆で楽しまないと損だと微笑んで、藍が二人へロコモコをプレゼントする未来まで、残り数分もなかった。
集っていた『魔女の研究室』からは、黄色い声があがる。
「海きれーだねー、きもちいいねーっ!」
太陽にも負けない明るい髪を揺らして、アイリスが海面を蹴った。
そして音色は、近くの波打ち際で手のひらを浸し、寄せては返す波と戯れていた。不意に飛沫が唇に触れ、ぺっぺと吐き出す。
「うあ、しょっぱい……?」
初めての海の味だ。
時間が経過してもまだ海で遊んでいる彼女たちを、パラソルの下からエリスは眺めていた。陽と水のきらきらに照らされたアイリスに、エリスは目を細める。太陽の下で遊び回るのが似合うと、穏やかな心持で。そんなエリスの近くでは、ルナが深いため息を零していた。海に出るのが恥ずかしい、とみんなの水着姿と比較して気落ちしてしまう。
そこへ、慌ただしく音色とアイリスが戻ってきた。泳がないのかと二人に尋ねられて、ルナはドリンクのストローを咥えて頷く。砂のお城でも作ってよっかな、と耳まで赤くさせて。微笑ましい光景に、エリスはそっと唇に笑みを刷いた。
砂のお城と言えば、天文台2Hも負けてはいない。
カフェでのんびり過ごした後、ビーチを訪れた天文台2Hでは、ゆいながいつの間にか砂に埋もれていた。顔だけを露出させた状態で。
大好きなカフェオレを飲み干せてご満悦な明里が、せっかくだからとゆいなの上に砂で胸部を模る。それもやたら大きく。そこでぴこんと閃いた八重子が、爛々と目を光らせて砂を掻き集めた。
「お城立てちゃうのも面白そうです」
「リアルな……お城……日本の……造ってみたい」
ちまきの後ろにくっついていた空もぽつぽつと期待を零し、それを耳にしたちまきが腕に力こぶを作って意気込む。なんだか面白いことになっていると、楽しい気持ちで胸をいっぱいにさせたエクセルシーラも、砂遊びに加勢した。
人数が増えたことにより、みるみるうちに築城されていく。
「あ、あれ、これなんか違くない? ちょ、むきゃああああ!!?」
砂浜に転がるゆいなの悲鳴は、さらさらの白い砂のように容易く流れていく。
後からカフェを出た亮が、抱えるスイカを落とさないよう意識を尖らせたこともあってか、仲間の元へ戻ってすぐにはゆいなに気づかなかったらしい。踏みかけて感触の違いに驚き、慌てて後ずさる。すぐに抱えていたスイカをゆいなの隣へ置き、悪ィ、と謝った亮の後ろで、天文台2Hメンバーの視線が重なった。
「「目指せ落城!」」
「……お城、落とす……?」
「落とすのはどちらかというとスイカですよね」
「落とすというより割る、かな。これは」
暴力良くない、と訴えるゆいなの悲鳴も、今度は波と風の音で掻き消されてしまった。
●
どう、似合う? となんとも可愛らしい質問を颯へ投げていたのは、水着姿をお披露目したセルマだ。波打ち際で向き合う二人の足元を、冷たい海水がさらりと撫でていく。足を冷やされたことで、その場に繋ぎとめられてしまったかのようだ。
武蔵坂学園を訪れるまで、海で泳いだ回数も数える程度だったセルマは、僅かに視線を落とす。咄嗟に押さえたそうになった右脇腹だが、颯の前ということもあり、表情はそのままに堂々と佇む。そんなセルマの心配をよそに、颯は今にもロケットのように撃ちだされそうな勢いで、拳をぐっと握りしめた。
「よく似合ってる! 可愛いぞセルマ!」
感極まって声が普段より大きさを増す。飾り気のない絶賛の嵐に、セルマは瞳を輝かせて、颯に抱き付いた。
神羅くんいくよ、と澄み切った空へ声が突き抜ける。声の主は吉祥寺2B、なゆたのものだ。クラスメイトでビーチバレー対決を行う彼らの声が、ボールと同じように弾んでいた。なゆたからのスパイクを、深く腰を落として神羅が静かにあげる。
「簡単には抜かせぬよ!」
明るくみずみずしい色のビーチボールが、頭上でくるくると回転した。
上がったボールを睦が叩く。大した威力も無い攻撃を、なゆたが軽々と受ける。再びボールは弧を描いて空を舞った。
「透流さん、ぱーす!」
名を呼ばれてぴくりと瞬き、透流がボールの芯を捉えるべく、砂を蹴り上げる。小柄な体がふわりと浮いた。
「それ……っ!」
掛け声と共に透流の放った一撃が、神羅と睦の間を抜けて砂浜をやんわり抉る。すごいね、と睦が目を見開いて思わず拍手をした。
決着がついたことで、吉祥寺2Bの面々は次なる遊びへ意識を向けていく。
一頻り動いた後に造る砂の城は、思い出や絆にも似て、強固なものとなった。目に見えぬ、確かなもの。
賑やかにバレーを楽しんだ人たちがいる脇で、浜辺を打ち寄せる波に沿って歩く人影もある。
浜辺を歩く羽衣の手を、宵帝はしかと握っていた。
「こうやってのんびり歩くのもいいな」
自然と、絡めた指に力が籠もる。それに応えるように、羽衣は湧き上がる喜びを金の瞳に宿した。
「あなたが一緒なら、何処であろうとわたしはしあわせよ」
そっと宵帝の腕に抱きつく。絡んだ腕に沿って指を這わせ、手の平へと辿りつけば、羽衣は彼の手中に小さな巻貝を収めた。
しっとりと過ごす人々から離れ、ビーチの隅で贅沢な蒼に魅入られていた烏芥は、ふと白波の狭間に漂う揺籃を見つめる。人魚みたいだと至った思考に乗り、儚さが湧く。その想いすらも離さぬよう、烏芥はそっと、綺麗な貝殻と共に揺籃の手を握った。
同じころ、陽射しを浴びた広大な蒼の世界に、白と黒を落とした灼滅者がいた。鏡花と蒼香だ。
去年と同じ水着でひと泳ぎした後、腰まで浸かった状態で水を掛け合う。煌めく飛沫が互いの表情をより華やかに彩り、舌へ伝う塩気に二人して顔を顰めた。思わず、同時に噴きだす。
「蒼香、そろそろカフェで一休みしましょう」
「オシャレなドリンクもありそうですしね、いってみましょうか」
海からあがるタイミングも、砂を蹴り出した足も、二人で揃って――。
●
くるり、くるりと浮き輪が回る。華月と千穂を乗せて、二つの浮き輪が波間で回る。
つい先ほどまで星の砂を掬っては零していた指も、今では夏の宇宙を漂うための操縦桿だ。
「宇宙なら流れ星が必要よね華月ちゃん……隙あり!」
「ぴゃ!? 秋津さんったら……何の負けるかー!」
重なるのは、水面のきらめきと、水飛沫に咲く笑顔。
忘れられない宇宙旅行が、またひとつ、二人の思い出となった。
思い出は、試練も苦難もなく築かれるものばかりとは、限らない。
波に攫われかけた千佳を救出したかまちと千慶は、砂風呂という次なる課題に直面していた。
「りっぱな涅槃像にしてあげますね」
課題という名の試練に当たったのは、主に千慶だが。
造形にこだわる千佳。砂に埋もれる千慶。ちゃんと海っぽく、と告げたかまちがせっせと模ったのは、千慶の胸部にこんもりとできた巨大な二つの山。
「宗原さんはなんなの? 涅槃像にそれは付いてねぇよってマジレスすればいいの?」
「わたしもきょにゅうになれますように! なむさん!」
「南無三」
頼むから拝まないでくださいと、千慶の声が空しく砂浜に木霊した。
十六夜と唄音がチャーターしたヨットで広げたのは、生ハムやミニサンドといった軽食だ。水飛沫がかからないよう、十六夜はヨットの中央部でミニサンド片手に過ごしている。不意に十六夜は、悪いな、と唄音に囁いた。
「もっと泳いだりしたかったろ?」
きょとりと唄音が目を瞬かせる。
「へーきだよ? 今日はご主人とお茶するって決めてたもん」
泳ぐのはここでなくてもできると胸を張った唄音は、船の縁で振り返る。
「ボクも精一杯、協力するから!」
日差しに溶けてしまいそうな笑顔を目の当たりにして、十六夜は眩しさに目を細めた。
別のヨットでも、胃を刺激する香りが漂っている。
井の頭百合に所属する二人は、洋上で気ままなランチタイムを味わっていた。
一日目で購入した土産類を結留が広げ、アシリアはサンドイッチを持参していた。来年には中学生ですわね、と少しばかり先の未来へアシリアが期待と不安を寄せると、結留が伸びた髪を風に遊ばせながら、楽しみだねと応じる。少しずつ、二人は言葉を交わした。少しずつ、互いの表情を覚えた。
そうやって、二人は二人なりの方法で絆を紡いでいくのだ。
しかし食べ物が広げられているヨットは、そこだけではなかった。
スバルがもってきた、おむすびとサンドイッチが並ぶヨットでは、おむすびを黙々と食べていたレイアスは突然、閃いて目を見開く。
「胃を休めたら……競争する?」
「ん? 運動系はちょっと自信あるよ?」
スバルが瞳をきらんと光らせると、レイアスも不適な笑みを浮かべた。
「負けた方は、一晩勝った方の言うことを聞くとかどうだい?」
「あんまり無茶なお願いは無しだよっ!」
腹拵えを済ませた二人が陽射しで煌めく海面へ身を沈めるまで、あと少し――。
ビーチの片隅にあるチェアで体を楽にしたのは円蔵だった。そしてアロハシャツの隙間からしゅるりと滑り落ちた二匹の白蛇が、円蔵が頬張っていたサトウキビアイスの器に巻き付く。溺愛して止まないオブさんとオスさんが、まるで構って欲しいかのように絡みつくものだから、
「南国でも本当可愛いですよねぇ」
円蔵は口端で笑みを象れずにいられなかった。
哲学部の面々も、多くの者たちと同じように浜辺にいた。
デッキチェアに身を預けるアリスは、通りかかった睦にサンオイルを託した。塗ってもらう間、アリスが彼女に尋ねたのは、楽しんでいるかということ。睦は「うん、とても」といつもと同じように薄く笑う。
津比呂はマット型浮き輪に身を委ねて、ただただ波間を漂っていた。そして心地よい揺れの上で口にするのは、サトウキビアイス。
「オレ……最高にダラダラしてるなー……幸せだなー」
津比呂同様のんびりと過ごすのは、信志だ。波打ち際をゆっくり歩いて、指を撫でていく波と戯れる。沖縄といえば海。海といえば賑やかに遊ぶ印象が付きまとう中、だらだら過ごす贅沢を、信志は潮の香りと共に吸い込んだ。
――こんな風にしてると、ついいろんなコト考えちゃうわね。幸せってなんなのかしら、とか。
普段は巡らせないような思考を、胸に抱いて。
哲学部の皆が楽しんでいる姿を、アリスは遠目に眺めて微笑んだ。
パラソルの下での至福の時間を味わっている人は、他にも居た。
南国に花を咲かせたパレオで肩を守る蕾羅は、その肩へ寄りかかる重みに、頬を緩めていた。普段とは違って髪を一つに結い上げた姫歌が、ナノナノのボールを抱きしめたまま、目を閉じている。
すうすうと肌から伝わるのは、規則的な吐息。そして耳を打つのは優しい波の歌。蕾羅は姫歌の髪を、そっと撫でた。
●
玉川上水高2の9は、他と異なる空気を醸し出していた。
その原因として挙げられる志織梨と十四行を、少し距離を置いて眺めていたのは幸谷だ。画板に画用紙、鉛筆といった写生用具を手に、セレブ気分を満喫中の志織梨と、そんな志織梨をそよそよと扇ぐ下男ごっこの主役を、ただただ傍観している。
自分の置かれた状況に疑問を投げ掛けつつも、十四行は適応力の高さを表したかのように下男として馴染んでいる。
「気持ちいいわよねぇ……」
鼻唄混じりの志織梨をよそに、十四行は幸谷へ先程調達してきた飲み物を手渡した。ろくに物を見もせず、喉の乾きを癒すべく飲み込んだ幸谷は、思いがけない味と香りで、盛大に噎せる。
「わはは。皆のそういった顔が見たいんだよ、俺は」
豪快に口を開けて笑った十四行は、今度こそ本物のトロピカルジュースを彼へ差し出した。
一気に口直しをした幸谷は、口端に笑みを浮かべると、突然二人へ真っ白な画用紙を突きつける。
「お前ら全員ガチでモデルにしてやらぁ! そこに自然体で直れーいっ!」
画用紙に描くものが、どうやら決まったようだ。
同じ頃。
それぞれの性格を表したかのような水着姿で、桃子、もいか、みかん、ちとせの四人は沖縄の透る海を満喫していた。燦々と輝く太陽の恵みを浴びて、青の世界へと飛びこむ。そこに広がる景色は、いうなれば楽園だ。
「すっごーい! すっごいすっごいすっごい!!」
ちとせの声が、遥か高い空に木霊した。ビーチへ着いたときに一回、砂を自らの足で感じたときに一回、波の音へ耳を傾けたときに一回――何かを知る度、感じる度にちとせはすごいと興奮した。
「あたし、すごいすごいばかり言ってる!」
「無理もないよねぇ♪」
微笑ましげにみかんが告げる。新調した水着ではしゃぐ桃子も、胸部の格差社会を実感しつつ景色に見惚れるもいかも、彼女たちと同じだ。夢のような世界で遊べることを、ただただ喜んで受け止める。
直後、彼女たちの平穏を震撼させる出来事が起こった。悲鳴と共に彼女たちの目に飛び込んできたのは、悟狼に胸を触られているみかんの姿。よそ見をしていたらぶつかった、と言いながら咄嗟に悟狼が手を放そうとしたが、それよりも早く少女たちからの蹴りとハリセンが彼を灼熱の砂地へ沈めた。
麦わら帽子を押さえて見上げた花織に、眩い陽射しが降り注ぐ。陽でやや白んだ空は、明るさそのものだ。学園や故郷の空とは違う、突き抜けて高い、澄んだあお。花織が初めて知るあお。熱で焼ける色を心と瞳へ刻み付け、風で遊ぶ髪をふわりと舞わせた。
花も遊びたくなっちゃった。景色に映る賑やかな声と幸せを目にして、花織はあおの世界へと飛びこんでいく。スケッチブックに、残りの色を重ねないまま。
ぱしゃり。
刻まれた音は、水をかけた音などではなく、利恵のカメラが発したシャッター音だった。防水仕様のカメラを持参した利恵に怖いものは無く、ただただ、京香や周りで遊ぶ仲間たちを記録に収めていく。
弾む声も、穏やかな波の音も、そこで思い思いの時間を過ごす仲間たちの姿も。利恵のカメラは、それらを思い出として残していった。もちろん、京香の姿も。沖縄の青々とした海を堪能していた京香へカメラを向ける。すると京香が少々恥ずかしそうに頬を赤らめ、自ら視線をカメラへと投げてきた。利恵は、そのシャッターチャンスを逃さなかった。
大いなる海は、戦いの日々を送る彼らを祝福した。
懐でそっと抱きしめて、灼滅者たちの日常を確かに約束したのだ。
作者:鏑木凛 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年6月25日
難度:簡単
参加:76人
結果:成功!
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