駆け抜けた青い絆

    作者:鏑木凛

     空を思わせる瞳の青年は、その夜、いつものように机に向かっていた。
     しかし広げていたのは、学生らしさの象徴である参考書や問題集の類ではない。
     大学ノートだ。そこには数字と、打率、自責点、防御率といった用語が並んでいる。
     そして用語や数字の傍に書かれているのは、湿度や気温と「昨日より球に疲労が見えた」といった、端的な一言。
    「……あはは、コレじゃ俺があいつのマネージャーみたいじゃんか、なあ」
     そう零しつつも口の端で笑みを描き、寝床へ潜り込む。
     すべては青年にとって、日常の一環でしかなかった。
    「君の絆を僕にちょうだいね」
     宇宙服のような装いの少年が、寝ている彼の枕元に現れ、そう囁くまでは。

     横たわる空の中央を、白球がのびていく。
     グラウンドでは、野球部の青年たちが練習に励んでいた。
     青い瞳の青年がグラウンドの端へ向かう。いつもベンチ外の部員たちが練習をしている場所だ。
    「涼夜ー!」
     一際大声で、彼を呼ぶ存在がいた。そして続いて聞こえた言葉は、受けてくれよ、の一言。涼夜は思わず眉根を寄せる。
    「朝人。今は球拾い中」
    「今日も球拾い終えたら、投球練習してもいいって先輩が!」
     目を輝かせる朝人に構わず、涼夜は踵を返した。
     なんだよ不機嫌そうな顔して、と抗議の声が涼夜の背へ飛んだ。
    「投球練習、いつもやってることだろ。なんかあんの? 具合悪いとか?」
     無遠慮に言葉を突きつける朝人を、涼夜が睨み付けた。
    「……俺、マネージャーに転向する」
    「は?」
    「朝人なら、次こそベンチ入りできる。いい加減、俺は諦めるわ」
    「なっ……に、言ってんだ」
     呆気にとられる朝人に対して、未練は一切感じなかった。嗚呼、結局俺にとってはそれまでだったんだろうと、涼夜は彼に背を向け、歩き出す。
     それでも朝人が何度も名前を呼ぶものだから、周りで練習や球拾いをしていた部員たちが、なんだなんだと意識を向けてきた。
     しかし、涼夜は歩みを緩めない。
    「ずっとバッテリー組んできただろ!? どうしたんだよ涼夜! おい聞いてんのか!?」
     目指すところはいつも一緒だった。いつも同じ風を浴びてきた。
     けれど今の涼夜には、それすらも只の過去でしかない。
     部員たちには見えていないのだ。
     毒々しい紫と黒に支配された卵が、涼夜の頭の上に、産み付けられているのが。
     
    「絆のベヘリタスが動き出したみたいだよ」
     そのベヘリタスと関係が深いであろう人物が、今回の事件を起こしている。そう狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)は続けた。
     謎の人物は、一般人から絆を奪い、ベヘリタスの卵を産み付ける。卵の殻を突き破って誕生するのは、他の何者でもない。絆のベヘリタスだ。
    「卵にとって、宿主の絆は栄養なんだ。どんどん成長して、最後には孵化するよ」
     睦はそこで、ただ、と一度言葉を切った。
    「……宿主が絆を結んだ相手に対してのみ、ベヘリタスの力が弱まるんだ」
     単にベヘリタスの攻撃力が下がるだけではなく、ベヘリタス自身が被る傷も深くなる。
     つまり、宿主との絆をうまく結べば、ベヘリタスの灼滅も難しくない。もちろん絆が強ければ強いほど、灼滅者側に有利に働く。
     絆といっても種類は問わない。信頼や感謝といった形の他、たとえ憎しみや侮蔑であっても該当する。
     だが、ベヘリタスの撃破に時間をかけると、ソウルボードへの逃走を許してしまう。そうなれば当然、灼滅も不可能だ。
     ベヘリタスの逃走を許すことは即ち、ベヘリタスの勢力の強大化を意味する。極力避けたいところだろう。
    「卵の宿主は、大学二年生の小堤涼夜さん。野球部のキャッチャーだよ」
     その涼夜と長年バッテリーを組んできたのが、同級生の水島朝人。涼夜が失った絆は、彼、朝人とのものだ。
     二人は幼馴染で、小中高でもバッテリーを組んで出場していた。
     しかし大学では試合に出るどころか、ベンチ入りも未だ果たしていない。
    「……絆を紡げるのは、試合前日の早朝から、試合当日の朝まで」
     ベヘリタスの卵は、試合当日の朝――試合開始の約十分前に孵化する。
     ベンチ外の部員は皆、応援席で準備を整え終える頃だ。
     トイレを理由に抜けてきた涼夜が、球場裏のゴミ箱にノートを捨てる。卵はそこで孵化する。
     また、ベンチ入りしていない部員は当日、各自で球場へ赴くことになっている。
     涼夜は朝人よりも早い時間に家を出て、一人、バスで移動する。そのため朝人と涼夜は、球場まで会わない。
    「試合前日も、朝練と放課後の部活があるよ」
     練習では、ベンチ入りの部員がグラウンドを大きく使う。それ以外のメンバーは、マネージャーたちと共にフォローに回ったり、グラウンドの片隅で練習をして過ごす。
     部員総数の多い部だ。潜入時は、同じ野球部員やマネージャー、通学している大学生やその身内になるのが手っ取り早い。
    「二人とも同じ文学部だけど、幸いなことに、試合前日の授業は、ひとつも被ってない」
     涼夜を問い詰めたいであろう朝人のことは気になるが、授業で二人が顔を合わせる心配は無い。重点を置くべきは、やはり部活動だ。
    「絆を結べば弱体化するって言っても、強敵だからね……ベヘリタスは」
     孵化したベヘリタスは、赤黒い爪で切り裂いてくる他、真っ白な無数の球を撃ち、距離を問わず相手単体に痛みと毒をもたらす。
     また、不気味に尾を成すクラブを象った影で、一列を突き刺してくる。武器封じも伴うため、油断は禁物だ。
     ベヘリタスを倒せば、失われた絆は戻る。二人に対してフォローができれば最良だが、絆の結び方によっては、それも難しくなる恐れがあるだろう。
    「取り戻してあげて。二人の絆を。キミたちにしか、できないことだから」
     静かに願いを向けた睦は、いってらっしゃい、と柔らかい笑顔で彼らを見送った。


    参加者
    藤柴・裕士(藍色花びら・d00459)
    奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)
    蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)
    氷霄・あすか(高校生シャドウハンター・d02917)
    石動・茜歌(花枯守人・d06682)
    アイナー・フライハイト(フェルシュング・d08384)
    九十九坂・枢(飴色逆光ノスタルジィ・d12597)
    由比・要(迷いなき迷子・d14600)

    ■リプレイ


     突き抜けるような青からは程遠く、梅雨独特の湿り気を帯びた曇天が、大空に横たわっていた。
     雨が降り出す気配こそないものの、少し体を動かすだけで汗ばんでしまう暑さだろう。鈍色の空と肌に纏わりつく湿気が、まるで涼夜の置かれた状況を表しているかのようだ。一番の絆をベヘリタスに奪われた、青年の状況を。
     野球部の朝練を見学していたのは、アイナー・フライハイト(フェルシュング・d08384)だ。彼の視線の先には、頭の上に卵を産み付けられた小堤涼夜と話す、由比・要(迷いなき迷子・d14600)の姿がある。要は涼夜に、フォームを見てもらっていた。
     球には不慣れだが懸命に練習をしていたことで、涼夜も多少感化されたのだろう。バッテリーとしての絆を失い、マネージャーへ転向すると宣言した身とはいえ、失われていないものが、そこにはある。
     涼夜が一度要から離れる際、アイナーは要へ控えめに手を振ってみせた。二人のやり取りに、涼夜が口角を僅かにあげる。
    「なあ、小堤」
     突然青年を呼び止めたのは、蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)だった。
    「小堤はなんで野球はじめたんだ?」
    「大したきっかけじゃないよ。朝人がやってたのを見て、やりたくなったんだ」
     バッテリーを組んでいた相手だというのに、同じ部にいても、涼夜は朝人の方を見ない。意識しているのではなく、むしろ気にしていないのだろう。絆を失った今の彼に、朝人は単なる部活の仲間でしかない。
     ちらりと、徹太は朝人を見遣った。窺うようにこちらを凝視しているが、意外にも、積極的に接触してこないだけ、ややこしくならなくて済みそうだ。
     続けて徹太が尋ねたのは、恐らくその朝人も問いただしたいであろう、転向が本気か否かという点で。しかし返答は簡単だった。ああ、と。それだけで。
    「マネージャーだって戦友だ。けど一番近くで一緒に突っ走れる9人は、特別じゃないか?」
    「……そう思ってた時期が、俺にもあったな」
     自嘲気味に笑って、涼夜は人だかりへと向かった。そこは、マネージャーたちが中心となって集まっている場所だ。
     エイティーンを使用した石動・茜歌(花枯守人・d06682)が、近づく涼夜を手招きする。相談事があると話せば、マネージャーであるがゆえ拒まれることもなかった。
     テーピングの巻き方について話せば、なるほどな、と涼夜が唸る。相談に応じた彼は、頭を掻きながら、まだまだ勉強不足だなと苦笑いをした。ノートに記録を書き溜めているとはいえ、マネージャーとしてはまだ知識も経験も浅い。相談を持ち掛けたにも関わらず、二人で一緒に勉強するような形になり、茜歌は少々くすぐったい気持ちになった。
     そうして、話しながら関わっていくうちに、茜歌はぽつりと、身の上話を始める。
    「……ほんとは選手として参加したかったけど、いろいろあって、無理で」
     声は、妙に実感がこもっていた。そっか、と涼夜が視線を地面へ落とす。
     やや長い沈黙が走った二人の元へ現れたのは、九十九坂・枢(飴色逆光ノスタルジィ・d12597)だ。
     基礎知識を得た上での枢が尋ねたのは、目に沁みへん日焼け止めとかご存じですか、というものだ。
    「やっぱり、実際体動かしてはる方の意見大事やと思いますし」
     運動は苦手でもできることはあると誇らしげに告げた枢に、涼夜も茜歌も、思わず頬を緩めた。


     放課後。試合を控えた前日で、空気が張り詰めている中での、行動となる。
     野球部員の弟として潜入した奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)は、捕手に憧れていることを理由に、涼夜とキャッチボールをしていた。多少ならばと引き受けてくれたのだ。受験を終え、早くきちんとした野球をここでやりたい――そう目を輝かせる烏芥に、涼夜が噴きだす。どうしたのかと烏芥が驚くと、涼夜は軽く首を横に振って。
    「……昔の俺みたいだなあ、と」
     細めた瞳に光を宿し、キャッチボールを終えた。
     グラウンドの外できょろきょろと辺りを見回しているのは――そう、藤柴・裕士(藍色花びら・d00459)だった。球拾いのためにグラウンドの片隅へ来ていた涼夜を、捕まえる。
    「野球の練習やってるグラウンドって、ここですか?」
     迷子の裕士が、困ったように頬を掻く。そうだよと些細な親切心で応えた涼夜を、裕士は逃さなかった。
     弾むとまではいかなくても、話が通じるならば有り難い。部活のこと、この学校のチームのことなど、白球回収に励む青年へ質問を投げていく。すると、律儀にとまではいかなくても、一応ひとつずつ返答はしてくれていた。彼の人柄がわがわかり、裕士は少しばかり頬を緩める。
    「試合が近いんやっけ、いつです?」
    「明日」
    「明日ぁ!?」
     目玉が転がり落ちそうなほど、驚愕して見せた。球を集めた涼夜は、そんな裕士にもおかまないだ。
    「明日の試合ぜっったい行くわー! 頑張ってな!」
     大きく掲げた腕を振り、裕士は踵を返した涼夜へ想いを投げた。
     代わりに別の部の部員として行動していた氷霄・あすか(高校生シャドウハンター・d02917)が涼夜へ声をかけにくる。
    「小堤さん、これから練習ですか?」
    「いや、練習はしないけど」
     迷いのない返事だ。
     いつも頑張っていたのにもったいない、と気落ちした素振りを浮かべてあすかが言うと、涼夜は眉を八の字にして笑った。そしてあすかから離れ、彼は今日一日で耳にした言葉を反芻する。
     試合。練習。頑張っていたのに。もったいない。そんなワードばかりを。
     小柄な身体でグラウンドを駆け回るのは茜歌だった。マネージャー業務の大変さを実感しつつ、かつて野球に勤しんでいた時代を想起して、心を弾ませた。
     飲み物を摂取しにきた涼夜は、ひいひい言っている茜歌を見て、小さく笑う。そんな彼が再びグラウンドへ去ってしまう前に、茜歌はマネージャー用に部で用意されていたノートをめくった。
    「選手が試合に集中できるようにするのは、たいへんだと思う」
     ぴたりと涼夜が足を止める。
    「……支えられている人も、ちゃんとわかってるから、嬉しい」
     茜歌の言葉に、涼夜は無言のままその場を後にした。
     それでも練習をせずに帰ろうとした涼夜を、徹太が待ち構えて制止した。
    「やっぱ納得いかねえ」
     苦く噛み締め、ぽつりと漏らす。
    「どうしてもマスク脱ぐなら一打席勝負しろ、お前のリードで俺から三振取ってみろ」
     強気で叩きつけられた挑戦状に、涼夜の眉がぴくりと震える。
    「一打席、か。それなら、いいぞ」
     言葉こそ淡泊にも思えたが、その声からは熱意の欠片が滲み出ていた。
     灼滅者たちと触れ合ったことで、彼も確実に変わりつつあるのだろう。


     試合当日。灼滅者たちが小堤涼夜という人間と関わってから、あっという間の時間だった。
     既に多くの人が球場へ入り、試合開始を待ち望む中、灼滅者たちは早めに球場裏を訪れていた。身を潜め、息を殺していると、やがて待ち焦がれた存在が姿を現す。涼夜だ。応援席を抜け出してきた彼は、球場裏のゴミ箱に、一冊のノートを捨てる。それこそが、研究成果と想いの塊でもあるノートだ。
     話に聞いていた通り、事は運んでいる。順調に行けば勿論――。
     ぱきっ。
     空気を引き裂くような、乾いた音が木霊した。まさか自分の頭に不気味な卵が乗っているとは、露ほどにも思っていない涼夜には当然、異変が見えていない。混沌を連想させる紫と黒の卵にひびが入った。殻を突き破って現れたのは、奇怪な面を付け、表情どころか感情さえも読み取れない淡泊な影――紛れもない、絆のベヘリタスだ。
     宿敵シャドウの姿を目の当たりにし、烏芥はきゅっと唇を引き結ぶ。
     ベヘリタスの出現と同時に、時間を把握するため、徹太がタイマーのスイッチを入れる。制限時間は十分。案外短い。
    「……涼夜さん、ほんまに好きなんやろ、野球」
     突然現れた灼滅者にも驚きつつ、涼夜は裕士の言葉に耳を傾けていた。
    「だから止められなかった。マネージャーとしても、やりたいって。それやったら……」
     細い指で、ぐっと拳を握る。
    「負けたらあかん! ベヘリタスなんかに!」
     裕士の叫びに重なるように、あすかと徹太が飛び出した。両者ともに涼夜をベヘリタスの攻撃から守るためだ。
    「涼夜先輩っ」
     すかさず烏芥が名を呼び、あすかたちが身を挺してベヘリタスの行く手を阻んでいる間に、ビハインドの揺籃はノートを拾い、烏芥は涼夜を連れ出す。救出の際に触れた肩から、そっと念を添えた。
     ――御寝坊さん……試合が始まったら起こしてあげますよ。
     夢うつつと錯覚させるように、さりげなく。
     そして保護した涼夜を、烏芥は枢君へ託した。すぐに揺籃と視線を合わせれば、線へと復帰する。
     大事なノートと、絆の持ち主である青年。戦闘の余波が及ばないよう、枢がどちらも避難させた。そして状況を理解できていない涼夜に対し、魂鎮めの風を送り、眠りの世界へと誘う。
     そうしている間にも、灼滅者たちの戦いは始まっていた。
     要の螺穿槍がうねる。突き出された槍の先端がベヘリタスを捉えた。普段の柔らかさを損なわずとも、要の腕は違うことなく敵を穿つ。ごめんね、と槍に乗せた言葉に容赦の欠片も無い。ベヘリタスをただただ抉るのみ。
     構えたアイナーが振り上げたのは、複数の武器。まっすぐに重い斬撃を繰り出せば、闇の色をしたベヘリタスの身がぐにゃりと曲がる。すぐに元の体勢へ戻ったものの、着実に痛みを与えているようだ。
    「大事な絆、潰すんは許さへん!」
     掛け声のように口にして、裕士が飛びこむ。死の名がついた一撃をベヘリタスへ浴びせ、一刻も早い決着を望む。
     もちろん、ベヘリタスも押されてばかりではない。赤黒い爪があすかの腕を裂く。寸でのところで守りを固めることが叶ったのは、恐らく、あすかが防御を司る立場にいたためだろう。
     ――直撃を受けていたら、冗談では済まなかったかもね。
     弱体化の程度が判り辛いものの、その効果があったうえで今の威力ならば。あすかは無意識に息を呑んだ。シャドウの恐ろしさが、痛みとなって肌を伝う。
     風を、と茜歌が宙へ言葉を投げた。咄嗟に茜歌があすかへ齎したのは、祝福の言葉による安らぎ。
     一陣の風が戦場を駆け抜ける。灼滅者たちが築いた、絆と共に。


     戦場にタイマー音が鳴り響く。五分経過の報せだ。
     音に混ざって無数の白球が飛ぶ。容赦なく襲ってきた球の雨を二つの得物で掻き分け、徹太は集めた想念で弾丸を模り、ベヘリタスへ反撃した。漆黒の弾丸が、禍々しい色をしたベヘリタスの身を貫通する。攻撃は確かに効いている。そのことを理解し、徹太は眠りの底に沈んでいる捕手の姿を、視界の隅で捉えた。力を入れていた口端が緩む。本人でも気づかぬほど僅かに。
     ――野球への情熱まで盗られたワケじゃない。そう、奪えやしない。
     強き絆をいかに掠め盗ろうと、人が持つ情熱までは。決して。
     そしてその情熱が、再び絆を紡いでいく。だから。
     ――小堤ならきっと大丈夫。
     眠る青年を一瞥した要の指先が、魔法の矢を生む。矢は流れ星のように敵へ一直線に放たれ、矢の軌道に沿ってアイナーが踏み込んだ。
    「……断つ」
     産み落とされたばかりの影を光刃が斬り、光の矢が貫いた。
     眩さの余韻が残る中、枢が紫の瞳でベヘリタスを睨みつける。ローブをふわりと揺らし、槍の妖気を冷気の氷柱へと変貌させて。
    「あんた自身の絆は、何処にあるん?」
     そうベヘリタスへ問う。
    「何処にもないから人のんを餌にするん?」
     ベヘリタスは答えない。絆を冠する身でありながら、赤子のように、声を発した枢を見つめるだけだ。
     冷気の氷柱がベヘリタスへ降りかかったのに合わせて、烏芥が得物へ影を宿す。為るものか、と吐息だけで意志を告げ。
    「彼等の唯一無二……奴の餌になど」
     シャドウを狩る者としての気勢があがる。烏芥と呼吸を揃えて揺籃も霊障波を撃ちだした。
     そこで絆を喰らった張本人の死角へ飛びこんだのは、裕士だ。
     ――大事なもんやのになぁ。なんとかせんと。
     唇と眼差しだけで宣戦布告し、素早い動作でベヘリタスを切り裂く。
     不意に、ベヘリタスの尾が揺れた。クラッシャーのいる列を鋭利な尾が突き刺す。反射的に、あすかが祝福の言葉を風に変換した。風はすぐにアイナーと裕士、要を包み込んで癒す。
    「返せよッ!」
     茜歌の内で常に駆け巡り続ける感情を、剥きだしにして。
    「それは、お前なんかが持ってっていいもんじゃない!」
     死角から浴びせた斬撃が、ベヘリタスの命を絶つ。
     影は本来、紛れゆくもの。しかし打ち砕かれたベヘリタスという名の影は、紛れることも許されず、地上から姿を消した。
     絆を奪還するべく息を切らせた、若き戦士たちの手によって。

     空色の瞳がぼんやりと灼滅者を捉える。
     まどろみがまだ消えていないのかもしれない。だから烏芥は、おはようと声をかけ、手を貸した。ふらつきながら立ち上がった涼夜がいくら見渡しても、あるのは静寂に包まれた球場裏。
     首を傾ぐ涼夜に、枢が少し歪んだノートを差し出した。
    「大事なもの、なんでしょ?」
     その問いに、涼夜は唇を引き結ぶだけだ。首を縦にも横にも振らない。見兼ねた枢が、ノートと共に塩飴の袋も手渡した。みんなで食べてほしいとの願いを込めて。
    「上手く伝えられなかったり、喧嘩して、解けてもいいんだよ」
     そうして何度も結び直した絆が、一番強い絆なのだと、最後までは言い切らずに要は口を閉ざす。
     紆余曲折を経て繋いだ絆が、いかに強固か、灼滅者たちは知っている。だから伝えるべきだと思ったのだろう。各々の胸に募った意志を。
     まだ間に合うよ、と茜歌もノートと涼夜を交互に眺めて。きっとまた繋がる。嘗ての自分を奮い立たせるかのように、涼夜を後押しする。
     ノートを受け取らないままの涼夜に、捨てないでくれと強く願ったのは徹太だ。
    「それは絆だけじゃない。自分自身だろ」
     空色の瞳が、大きく見開かれる。ゆっくり、ゆっくりと涼夜の手が、ノートと塩飴を掴んだ。そして先日突如として沸き起こった迷いも、相棒への言動も、ひとつずつ想起するかのように黙り込む。
     そのとき。灼滅者たちの耳朶を打ったのは、多くの声援。試合の時間だ。
     急ぐようにアイナーが涼夜を促す。みんな待ってるで、と裕士も彼を急かした。
    「また練習がんばってくださいね」
     あすかの笑顔に、ありがとうと、彼は短く礼を述べた。
     たったそれだけの返答だというのに、卵を生み付けられていたときと違うと、灼滅者たちは実感していた。
     涼夜が、賑やかなスタンドへと足を向ける。迷いなき一歩。目指すところへ辿り着くための、力強い歩み。灼滅者たちはその背中を見送りながら、胸を撫で下ろした。

     風を切って駆けだした青年の後ろ姿――。
     灼滅者たちはそこに、捕手としての影を見た。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年6月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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