畜生の挽歌

    作者:瑞生

     グチャアッ。
     ――ドサッ。
     夜の住宅街。その一角にある公園で、いささか粘り気を持った水音が響く。さらに一拍置いて、何かが地面へと落下する音が鳴った。
    「キャン、キャンッ!!」
     けたたましく吼える子犬には目もくれず、男は地面へ広がる血溜まりへと倒れ込んだ躯を見下ろした。
    「己も畜生の分際でありながら、畜生を飼おうなどとはなぁ……? 僭越、救いがたし」
     ジグザグに切り刻まれた身体は最早何も語らない。その胸を踏みつける男の口元が、嘲笑によって彩られる。
    「畜生は畜生らしく……解体してやらねば――ッ!?」
     長刃のナイフを握る手を振り上げたところで、男の足元に痛みが走った。
    「グルルルル……」
     突き立てられたのは小さくとも鋭き牙。主を害した敵に向かって、子犬が噛み付いたのだ。
    「……ちっ、黙っておれば見逃してやったかもしれんのに。小さくとも畜生の性根よ」
     舌打ちして、男がナイフを振り下ろす。
     キャンッ。
     けたたましく公園に響いていた子犬の声も、その小さな悲鳴を最後に途切れた。
     公園に静寂と、そして血臭が満ちてゆく。
     どんな花よりも酒よりも芳しい、その鉄錆に似た匂いを吸い込んで、男は笑った。
    「嗚呼……これぞ裁きよ。汚らわしい畜生を消し去るのは、実に、快い――」
     自身の首に嵌められた、忌々しき隷従の証の存在は意識の片隅に追いやって、男は殺めた人と犬の更なる解体作業を始めた。
     
    ●畜生の挽歌
    「新潟ロシア村の戦いの後、行方の知れなくなったロシアンタイガーをヴァンパイア達が探している事は、皆さん、ご存知でしょうか」
     きり、と表情を引き締め、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)が口を開いた。
     サイキックアブソーバーによって、爵位級のヴァンパイアたちは動くことが出来ない。その代わりに、捜索部隊として解き放たれたのが、爵位級ヴァンパイアによって奴隷化された、もっと力の弱いヴァンパイアたちだ。
    「奴隷から解放され、単独での捜索を命じられた彼らは、長い間の奴隷生活で溜まった鬱憤を晴らす為に事件を起こしています」
     また一つ、そんな事件が見えたのだと、姫子が苦々しくかぶりを振った。
    「あくまで鬱憤を晴らしているだけ。ある程度満足すれば、事件を起こすことを止めて、本来与えられたロシアンタイガーの捜索に戻るのでしょうが……」
     果たして、それまでに幾つの惨劇が繰り広げられるのだろうか。教室に重い空気が立ち込める。
    「これから起きる事件の一つが、見えました。皆さんには現場に向かって、その蛮行を阻止して欲しいんです」
     場所は、とある高級住宅街の公園だ。
     周辺も比較的新しい戸建の分譲住宅が大半を占めており、早朝や夕刻には犬の散歩をしている人の姿が多く見られる。
     夏の訪れと共に、暑さに弱く本来夜行性である飼い犬を慮って、夜になってから犬の散歩をしている飼い主も少なくない。そうして夜に犬の散歩で公園に立ち寄った一般人が、ヨハンという奴隷化ヴァンパイアの餌食になるのだという。
    「犬を連れている人をターゲットとして狙うようですね。ですから、皆さんも、犬の散歩という体で公園に向かえば、ヴァンパイアは自ずと現れます」
     厳密には連れているのは犬そのもので無くとも構わない。犬変身は勿論のこと、人狼の狼変身でもある程度は誤魔化せるだろうし、誘き出す際の演技次第では犬のぬいぐるみを持ち歩くだけでも良いだろう。『飼い犬を連れている人間』という演出さえ出来ていれば、ヨハンの気を引くには十分だ。
     ヨハンはダンピールと同等の能力と、手にした解体ナイフを操る。本来であれば、灼滅者たちでは叶う相手では無いが――。
    「奴隷化ヴァンパイアはその能力を制限され弱体化しています。今なら、皆さんにも勝ち目は十分以上にあります」
     とはいえ強敵であることに変わりは無い。けして油断はしないで欲しい、そう告げて、姫子が灼滅者たちをじっと見つめた。
    「どうかお気をつけて。ご無事をお祈りしています」


    参加者
    江良手・八重華(コープスラダーメイカー・d00337)
    西海・夕陽(日沈む先・d02589)
    椙杜・奏(翡翠玉ロウェル・d02815)
    杜羽子・殊(嘘つき造花・d03083)
    高瀬・薙(星屑は金平糖・d04403)
    アルディマ・アルシャーヴィン(詠夜のジルニトラ・d22426)
    スペチアリヌイ・アフタマート(ペネトレイトアビスウォーター・d25565)
    果乃・奈落(理由なき殺意・d26423)

    ■リプレイ

    ●夜に歩く
     その夜も酷く蒸していた。
     住宅街の中にある公園も、湿気を含んだ重たい闇が立ち込めている。ちかちかと明滅する切れかけの街灯が、更に暗い雰囲気を醸し出していた。
    「ほーら、着きましたよー」
     西海・夕陽(日沈む先・d02589)が頭の上に乗せていた小さなポメラニアンへと声を掛けた。きゃん、と小さく鳴いて、ポメラニアンが地面へと飛び降り、夕陽を見上げる。
    (「……わたし、おかしくない?」)
     視線で問いかけるポメラニアンの正体は、犬変身した杜羽子・殊(嘘つき造花・d03083)だ。
    (「犬か……、一体何をしていればそれらしく見えるのか……」)
     果たして上手く犬の真似は出来ているのだろうか。少々気難しげに小さく唸るシベリアンハスキーは、アルディマ・アルシャーヴィン(詠夜のジルニトラ・d22426)が変身した姿だ。リードを微かに揺らして、大丈夫だよ、と語りかけるように椙杜・奏(翡翠玉ロウェル・d02815)が目配せをする。
    「しかし、暑いな。……公園で少し休むか」
     江良手・八重華(コープスラダーメイカー・d00337)がボーダーコリーに変身した高瀬・薙(星屑は金平糖・d04403)のリードを引く。しょうがないなぁとでも言いたげにわんと鳴いた薙と八重華に続き、犬の散歩に出かけた少年少女が公園に足を踏み入れる。
    「果乃さんに、それからシフォンも。お菓子をあげるのじゃよー」
     満面の笑みでスペチアリヌイ・アフタマート(ペネトレイトアビスウォーター・d25565)が屈み込む。抱っこしていた立派な黒いシェパード――果乃・奈落(理由なき殺意・d26423)を下ろし、鞄から犬用の菓子やビーフジャーキーを取り出す。奈落、そして犬用の服でめかし込んだ霊犬シフォンがぱたぱたと彼女に駆け寄った。シフォンが着ている犬用の服は、霊犬を普通の犬に見せる偽装の為にと、薙が不満げな視線を送っていたシフォンを宥めすかした成果である。
    「にはー……幸せじゃのぅ♪」
     これは演技で無く本心だ。もふもふ、と犬変身した仲間たちを撫で、スペチアリヌイが更に表情をふにゃりと緩ませたそのとき、頭上から小さな舌打ちが聴こえた。
    「畜生が畜生に首輪をつけ……更に、サーヴァントにまで畜生の真似をさせるとは。灼滅者、実に悪趣味なり」
     樹上から黒い影が軽やかに舞い降りた。面を上げたのは、白い肌、赤い瞳、そしてその首に嵌められた首輪が印象的なヴァンパイアだ。灼滅者たちを一瞥した男は、シフォンに目を止め口元に嘲笑を浮かべる。
    「あれ、バレてたか」
     言葉とは裏腹に、表情は柔らかなまま、奏が殺気を周囲へとばら撒いた。
     犬変身した灼滅者たちだけであれば、ぱっと見で気付かれる事は無かったかもしれない。だが、退魔神器を銜えた霊犬に偽装されるなら、着ぐるみの中に完全に隠すくらいしなければならなかっただろう。もっとも、霊犬に犬用の服を着せる行為も、男の気を引くという意味では十分過ぎる程に効果を発揮していた為、作戦としては成功だ。
    「いくら自分の飼い主に不満が有るからって、他の飼い主達を羨んで八つ当たりしたら駄目だろ」
     更に自分たちへと注意を引くように、夕陽が音の鎧戸を公園に下ろす。これで、公園の外に音が漏れる事は無い。音が遮断されたと同時、誘き出す為の演技ももう十分だと判断し、犬変身していた4人も変身を解く。
    「……クク、全部灼滅者とは。恐れ入った」
     霊犬の存在に気付いた時点で、ある程度予測はしていただろう。心にも無い言葉を吐き、男が髪を掻き上げる。余裕を感じさせる声音とは裏腹に、その瞳は憎悪でぎらりと輝いていた。
    「わたしが生きる、証明を」
     静かに殊がスレイヤーカードを取り出し、解除の言葉を呟いた。
    「我が名に懸けて!」
    「アクセルローズ」
     高らかにアルディマが、静かに八重華が宣り――灼滅者たちが、カードに閉じ込めた力を解放する。
    「我が名はヨハン。我が直々に、裁きを下してやろうではないか」
     くつりと笑い、ヨハンが外套……否、その背に宿した翼を広げた。

    ●夜に嗤う
     その瞬間、飛び出したのはアルディマだ。WOKシールドを突き出しヨハンを殴りつけ、肉薄したその距離から挑発の言葉を投げかける。
    「所でその首輪、よく似合っているが何処で手に入れたんだ? 犬変身したときに付けるのに丁度良さそう――っ」
     挑発への答えは、ちらつく街灯に煌めくヨハンの短剣だ。
     一閃。禍々しく折れ曲がった刃が、アルディマを斬り刻む。
     重い。短剣から齎された衝撃とは思えぬ程の重さに次いで、焼けつくような熱い痛みが走り、複雑にえぐられた傷口から鮮血が溢れる。
     ヨハンを縛る首輪を視線で捉えて、八重華が鍔が無く、柄も鞘も黒い日本刀の刀を抜き放ち、ヨハンの死角だった膝裏を切り裂いた。闇夜に現れた白刃が闇の中に輝く。
    「足元にも気を配るべきだ」
     冷たく言い放たれた言葉にも、その斬撃にも、ヨハンは表情を変えない。ボスコウが与えた首輪はヨハンの力を削いでおり、今この場に限るなら、灼滅者にとっての助けとなっている。だが、それでもなおこのヴァンパイアが灼滅者たちよりも格上である事には違いないのだ。
    「一の太刀っ、もといっ一の拳っ。いざ参るっ!」
     夕陽が繰り出した右腕が巨大な異形のそれへと変化し、ヨハンの脇腹を殴りつける。攻撃に特化した一打に、流石のヴァンパイアも一瞬息を止める。だが直ぐに体勢を立て直し、続く奏の炎を纏わせた斧槍をいなした。
    「犬猫同士でじゃれあう様などは至極癒されるというのに……お解りにならないとは嘆かわしいことです」
     勿体無いと苦く眉を寄せて薙が光の法陣を展開し、アルディマの傷を癒し天魔の加護を宿らせ、それとほぼ同時にシフォンが駆けて退魔神器で斬り掛かったが、それをかわしてヨハンはその面に余裕を取り戻す。
    「貴族さんになりたかったのかの? でもでも奴隷さん、自由だとしても一時だけなのじゃろ?」
     スペチアリヌイが無邪気な笑顔で問いかけるその言葉は、同時に行われた殲術執刀よりも余程、ヨハンの心を抉っただろうか。余裕に満ちていたヨハンの笑みに、果たして誰に向けたものであったか、嘲りの色が混ざる。
    「それも長き路の一歩よ。だが……こうして外界へと出て見れば、畜生が闊歩する汚らわしきこの世界に、少々憂いもするというもの」
    「憂さ晴らしか……迷惑な野郎だ」
     呆れたように呟いて、奈落が脚部に炎を纏わせ、ヨハンの脇腹へと叩きつける。フードの下からヨハンを見据える赤に宿った感情は、果たして如何なるものだったのか。それは、この至近距離からでもヨハンが窺い知ることは無い。
    (「これだから、吸血鬼は嫌い……」)
     反吐が出そうな気分だが、その感情はあくまで胸中に留め、殊がヨハンのものとそう長さの変わらない解体ナイフに緋色のオーラを宿し、ヨハンの肩を突いた。
    「貴様らとて生きる為に畜生を飼い慣らし、畜生を食らうだろう。……畜生を屠る事の何が悪い?」
     主が自身の犬へと与える愛情。飼い犬の、主に対する忠義。――生きる事と死ぬ事。その大切さ。それらを知らぬ、そして知ろうともしない者に、果たして人の命を奪う権利などあるのだろうか。
     ダークネスの思考から言えばそれは当然の事なのだろうが、悪びれもしないヨハンの反応に、ただでさえ緊迫している戦場の空気が、更にぴりぴりと張り詰めた。
     ヨハンが短剣から巻き起こした毒を孕んだ竜巻が、前中衛の足元を抜けて、後衛の3人を包み込む。闇夜の公園を竜巻が駆け抜ける中、牙を見せて、吸血鬼は狂喜に満ちた笑みを浮かべた。
    「少しはやるようだが――だが、所詮貴様らも畜生よ。大人しく、我に裁かれるが良い」

    ●夜に吼える
     双方の体力が、まさに身体に回る毒のように、じわじわと削られていた。
     立ち位置を心得たヨハンの攻撃は的確に毒を始めとしたバッドステータスを灼滅者たちへと与えている。加えて、比較的体力の低い後衛に狙いを定めて攻撃していた。ある程度はアルディマ、殊、シフォンが庇う事で被害を受け持っているものの、薙とシフォンはかなりの割合で回復に追われていた。
     アルディマはヨハンを怒らせる事で、自分へ攻撃をある程度は集中させていたが、彼は後衛を癒す術を持たない。本来中後衛のサポートにと考えていた殊の集気法も、前衛に立つ彼女からでは届かない。セイクリッドウインドで援護するものの、単体回復に比べれば如何せん回復力が劣る。時折他の仲間たちも癒し手として動くものの、回復に集中し過ぎては今度は攻撃手が足りなくなってしまう。――結果として、徐々に消耗している事は否めなかった。
    「弱体していて、これか。コイツの飼い主とやる時は骨が折れそうだな……」
     奈落が騒音を上げるチェーンソー剣を振り下ろし、ヨハンの得ていた加護を解いた。
    「ふ……所詮は畜生の集まり。大人しく我らに隷従すれば良いものを」
     灼滅者たちを嘲りはするものの、ヨハンも消耗している。攻撃と同時に灼滅者の生命力を奪ったり、癒しの術も行使してはいるが、灼滅者たちに与えられたダメージ全てを癒せる訳では無かった。奈落に齎された傷を癒し、解かれた加護を再び得ようとヨハンが吸血鬼の魔力を霧に変えて展開する。公園内に、禍々しい霧が立ち込めた。
    「犬を見ると、まるで昔の自分を思い出すのだろうか、お前は」
     ヨハンが畜生と連呼し、人が犬を飼う事を毛嫌いする理由とは。八重華の冷ややかな声が、耀く雲の如き刀と共に、ヨハンへと突き刺さる。
    「音速を超えて蹴り込むっ! 気炎万丈っ、燃え尽きろっ」
     地面を蹴り上げた夕陽の蹴撃を、間一髪でヨハンがかわす。
    (「支配される側はたまったものじゃないよね」)
     支配される側の奴隷への同情が無い訳では無いが、その手を緩める理由にはならない。カチリと小さく歯車の音を響かせて、奏が振るった白亜の斧槍がヴァンパイアの身体を薙いでゆき、その外套の一部を燃やす。
     スペチアリヌイが飛ばした導眠符がヨハンの心を惑わせ、アルディマが前衛に癒しと加護を齎す。今この瞬間であれば攻撃に転じる事も出来るだろう。薙が高めた気は紅き逆十字の形を描くように迸り、ヨハンの黒衣を切り裂いた。
    「ク……ッ」
     黒衣が燃え、じわりと齎される熱と痛みに僅かな呻き声を上げたヨハンが短剣を振り上げる。
     牙を向いて笑ったヨハンが短剣を振り上げる。
    「残念。庇わせて、貰うよ?」
     八重華へと向けられた紅蓮の刃を受け止めて、殊が笑う。脳裏を過るのは愛しき人の影。だが、胸をちくりと刺すようなその記憶は、今この場で戦う原動力となっていた。オーラを集めて受け止めた傷を癒せば――まだ戦える。

    ●夜に消える
     数の違い、そして連携の有無によって、次第に灼滅者側へと形勢は傾いていた。回復を行う頻度を増やすことでヨハンの攻撃が鈍れば、それだけこちらには体勢を立て直す余裕が出来る。吸血鬼の面にも、もはや余裕など無かった。
    「犬嫌いのヴァンパイアの走狗。……所でお前の種族は何だったかな?」
     誇り高きヴァンパイア。だが、己の現状はどうだ。その事実をアルディマが聖剣の斬撃と共に突きつける。
     かは、と血を吐き出す音が汚らわしい。耳障りな音を立てたのが己であるという事実に、高慢な吸血鬼が唇を噛む。
    「……畜生ども、が……ッ。大人しく、高貴なる我らの、糧となれば良い、ものを……っ」
     ふらつきながらもヨハンが放った毒霧にも表情は変えずに奏が応える。
    「こっちが被害を被るのは、ただの迷惑だよ」
     支配された鬱憤を解消させる為に被害を被る謂れなど無い。
    「……だから君の事、灼滅させて貰うよ」
     至近距離からの一撃。奏がヨハンと同様に、逆十字のオーラを刻み、ヨハンの身体を引き裂いた。ぼろぼろになった黒翼が力なく垂れてゆく。
    「畜生か……首輪つきの貴様も似たようなものじゃねぇか?」
     蒼き刃を持つ聖剣『QamarーMisericorde』を非物質化させて、奈落がヨハンの魂を削る。
    「ヨハン氏、畜生は貴方のほうだったのかもしれませんね」
     八重華が起こした清らかな風が、立ち込めていた毒を浄化して、前衛の傷を癒す。シフォンによって傷を癒して貰い、攻撃に回るだけの余裕を漸く得た薙が、ヨハンと酷似した――ダンピールの力を解き放つ。紅蓮の斬撃がヨハンを裂けば、生命力が鮮血となって零れ落ちた。
    「貴方になんか、裁きも救いも受けたくない」
     感情を殺し、殊が冷たく言い放つ。『斬閃』が青く閃いて、非物質化された刃がヨハンの魂を抉ってゆく。
    「にはー……あれじゃの? やってることを見てると自分の事を一番畜生だと思っておるのは奴隷さん自身じゃの」
     可哀想じゃ、とスペチアリヌイが向けた憐憫の眼差しも、ヨハンを抉る刃でしか無い。地面を蹴って跳躍する少女はさながら流星。弾丸のように飛び出して、スペチアリヌイが飛び蹴りを放つ。
    「刮目せよ! これが乾坤一擲の一撃なりっ!」
     気炎を上げた夕陽が、無敵斬艦刀に炎を纏わせて。
    「焔刃顕現っ、一刀両断!」
     叩きつける。巨大な鉄塊の如き刀身がヨハンを押し潰し、炎が燃え広がる。吸血鬼の黒い翼も、ヨハンを縛りつけていた首輪も燃えて、跡形も無く消滅した。

    「……消えてしまったか」
     ヴァンパイアたちを奴隷へと落とす、ボスコウの首輪。それを手に入れられれば――そう考えていたアルディマだったが、ヨハンの消滅と共に消えうせてしまった。間に合わなかったか、と僅かに残念そうに双眸を伏せる。
    「おびき出す為とはいえ、犬真似は……もう二度と御免だな」
     と奈落が深く息を吐くと、スペチアリヌイが残念そうに肩を落とした。
    「えー……残念じゃのぅ。お持ち帰り……したかったのぅ」
    「シフォンで良ければ、遊びますよ。ね、シフォン?」
     薙が慰めると、同意するようにシフォンがわん、と鳴いてみせる。
    「そろそろ戻るか。これから散歩したいって奴もいるだろう」
     八重華が促すと、夕陽も頷く。
    「そうですね。……ああ、確かにどこかで鳴いてるみたいです」
     殺界形成の範囲内の犬たちは、暫し夜の散歩はお預けを食らっていたのだ。
     わおーん、とどこかの家で飼われている犬が、催促するように鳴いている。
    「……大丈夫?」
     気遣う奏の声に殊が面を上げて、大丈夫と小さく首を振る。宿敵への苛立ちや、過去への想いは今は抑えて。
     切れかけていた街灯は、戦いの最中にいよいよ切れてしまっていたらしい。
     けれど、見上げた月明かりは――何だか、さっきまでよりも明るいような気がした。

    作者:瑞生 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年7月10日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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