それは寂しい?

    作者:天風あきら

    ●喪失
     彼女は眠っていた。夫と一緒のダブルベッドだ。時刻にして二時半。眠っているのも当然だろう。
     そこへ、窓から音もなく侵入する影があった。宇宙服のような、不思議な衣装の子供。二階の窓からどうやって、とか、そもそも鍵は、とかいう常識を持ち合わせる者は、今二人とも意識がない。
     そして子供──少年は、彼女の耳元で囁くのだ。
    「君の絆を僕にちょうだいね」

     翌朝。彼女は二人分の朝食を作っていた。毎日の習慣。でも、何かが違う。何だろう。
    「おはよ~」
     寝坊助な夫が起きてきた。いつものようにダイニングのテーブルに座り、新聞を読み始める。
     二人とも三十代前半。子供にはまだ恵まれていないが、夫婦二人、それなりに幸せな生活……のはずだった。
     何故、私は『二人分の朝食』を作っているのだろう。目玉焼きが焼けていくのを見つめながら、彼女は自問する。
     料理は好きだ。だが、どうして『彼』の為に朝食を作っているのか。彼が『夫』だということはわかる。
     だが、彼を、夫を、美味しい朝食で喜ばせてあげようという気にはならない。
     何故かはわからないが、彼を夫として、家族として生活を共にする『情』が、どうしても湧いてこない。
    「おい、焦げてるぞ」
     台所の音と焦げ臭い臭いに気付いて、夫が声をかける。
     ──どうしてだろう。
     フライパンの中で、二つの目玉焼きが黒くなっていた。
     
    ●暗躍する者
    「皆、集まったね」
     篠崎・閃(中学生エクスブレイン・dn0021)は、教室に集まった顔ぶれを見て頷いた。
    「強力なシャドウ、絆のベヘリタスが動いている、という情報は知っているかい?」
     軽く首肯する情報通な者が数名。閃はそれに頷き返して、説明を続けた。
    「絆のベヘリタスと関係が深いと思われる謎の人物が、一般人から『絆』を奪っているらしい」
    「どういうことッスか?」
     白水・瞬(高校生ファイアブラッド・dn0190)が訊き返す。
    「『絆』を奪われると、『最も強い絆を持つ相手との絆』を忘れてしまうんだ。記憶が無くなるんじゃなく、『絆』を感じられなくなってしまう……目の前に愛しい人がいても、愛情を抱けなくなってしまっている、という風に」
    「それは……寂しいッスね」
    「……成程、センパイはそう解釈するんだね」
    「?」
     首を傾げる瞬と、首を振る閃。
    「で、『絆』を奪うと同時に、その対象の頭の上に『一般人には見えない紫と黒の気持ち悪い卵』が産み付けられる。『ベヘリタスの卵』と呼ばれるモノだ。ベヘリタスの卵は、ダークネスや灼滅者は目視できるけど、触ったり攻撃することは出来ない」
     閃は基本的な情報を連ねていく。
    「ベヘリタスの卵は、産み付けられ宿主となった一般人の絆──最も強い絆を持つ相手以外の絆──を栄養として、成長し、一週間後に『絆のベヘリタスの新しい個体』として孵化してしまう」
     ただでさえ強力なダークネス。それがもし一人、二人……と増えていけば……。
     瞬は唾を飲み込んだ。
    「確かに絆のベヘリタスは強力なシャドウ。だけど、卵の栄養となった絆の相手に対してのみ、攻撃力が減少し、かつ、被るダメージが増加してしまうという弱点を持つ。つまり、もし灼滅者が、卵を産み付けられた一般人と絆を結ぶことができれば……」
    「有利に戦えるって訳ッスか!?」
     瞬が思わず上げた大声に、閃は頷き返した。
    「皆には、この一般人に対して接触し絆を結び、有利に事を進めてほしい。絆を結ぶことなく真正面から戦えば、まず間違いなく負けるだろう……闇堕ちの可能性を入れても、二人は堕ちてしまってやっと互角、といったところか」
    「うわぁ……」
     瞬が嫌そうな声を上げた。

    「さて、今回の対象となる一般人は四ツ谷・美穂さん、三十二歳。パートに出てる兼業主婦だね。ちなみに旦那さんは広さん三十四歳。美穂さんは既に広さんとの『絆』を奪われてしまっている。今から彼女の元へ向かったとして、ベヘリタスの卵が孵化するまでおよそ三十五時間。その間に絆を結んでおくことを勧めるよ」
     美穂の一日は六時半起床、夫が職場へ出て行ってから家事を一通りこなし、午前中は料理教室へ向かう。昼食を兼ねた試食会の後、十四時にはパート先のスーパーへ。ちなみに担当はレジ打ち。十八時に帰宅、夕食作り等の家事を行い、夕食、入浴後、二十三時に就寝。
    「……で、その夜の二時半頃にベヘリタスの卵は孵化する。旦那さんは最近様子のおかしい奥さんを心配しながらも、泊りがけの出張に出かけているから、そちらへの心配はいらないよ」
     孵化した卵は、美穂に限りなく近い姿で現れる──表情を覆う禍々しい仮面以外は。
     攻撃手段はシャドウハンターと影業のサイキックを使う。
    「それと、戦闘が十分以上かかると、絆のベヘリタスはソウルボードを通じて逃走してしまう。気を付けて」
     今回の成功条件はベヘリタスの灼滅か撃退。もちろん、出来るならば灼滅が望ましい。
    「絆が強ければ強いほど、それだけ有利に戦うことが出来る。そして絆の種類に制限はない……憎しみでも感謝でも侮蔑でも……愛でも、ね」
    「成程……人妻に接触して浮気させても……って、冗談ッスよ!?」
     瞬の軽薄な台詞に、閃は嘆息しながら釘を打った。
    「絆のベヘリタスを倒せば、失われた絆は取り戻される。その後のフォローが難しい絆の結び方はお勧めしないよ」
    「わかったッス。頑張ってくるッスよ!」


    参加者
    空飛・空牙(影蝕の咎空・d05202)
    篠歌・誘魚(南天雪うさぎ・d13559)
    ティルメア・エスパーダ(カラドリウスの雛・d16209)
    東堂・昶(赤黒猟狗・d17770)
    ヴィンツェンツ・アルファー(ファントムペイン外付け・d21004)
    シュクレーム・エルテール(スケープゴート・d21624)
    クロード・リガルディ(眼鏡が本体・d21812)
    ファム・フィーノ(天真乱万・d26999)

    ■リプレイ

    ●あと三十五時間
    「新しく入った空飛空牙と白水瞬です。よろしくお願いします」
    「よろしくお願いするッス」
     四ツ谷・美穂の勤務先であるスーパーに、彼女より若干遅く入ってきた学生バイト二人。空飛・空牙(影蝕の咎空・d05202)と白水・瞬(高校生ファイアブラッド・dn0190)である。
    「よろしくね。一番混み合う時間帯だから、若い子が二人も入ってくれて助かるわ」
     美穂を始めスーパーは突然のバイトを、好意的に受け入れた。
     一通りレジの打ち方を教えて、美穂もまた自分のレジに付いた。
     そして。
    「おい、トロくせェンだよババア。さっさとしろよ、マジうっぜェな」
    「そうだな……」
     乱暴に買い物かごを置いたかと思えば、美穂のレジ打ちに難癖を付ける二人組が現れた。東堂・昶(赤黒猟狗・d17770)とクロード・リガルディ(眼鏡が本体・d21812) だった。
    「申し訳ございません。少々お待ちください」
     美穂もマニュアル通りの返答、ただしバーコードを読み込む手は早める。
    「大変お待たせ致しました。三千三百四十六円になります」
    「はっ、そんな手際でよく定価なんて請求できるよな。ちったぁ割り引けよ」
    「その通りだな……」
    「そのようなご要望にはお応え出来ません!」
    「おーおー、ババアのヒステリック超こえー」
     思わず声を荒げてしまった美穂に対し、昶は口元を歪めた。
    「ハッ。ババアの癇癪になンざ付き合ってらンねーよ、行こうぜー」
    「あぁ……」
     ぴったりの金を払うと、二人はレシートも受け取らず商品だけ持って帰って行った。
    「気にしなくていいっすよ。あんなの、こっちが手出せないのをいいことに粋がってるだけなんで」
    「……ええ、ごめんなさい。先輩なのにこんなところを見せてしまって」
     空牙がそっと声をかけると、美穂は力なく笑った。

     十七時半過ぎ。休憩室に下がった美穂と空牙、瞬。空牙は一層明るく、笑いながら色々な話をしていた。
    「そうそう、こいつ手品できるんですよー」
     瞬の首をがばっと抱えこんで、空牙は笑った。
    「あら」
    「ほら、瞬」
    「わ、わかったッス」
     予め傷をつけておいた指先の絆創膏を剥がし、瞬はそこから滴る血の代わりに炎を吹き出させた。ひとつ、ふたつ、みっつと炎をお手玉する。
    「あら、凄いわね」
    「いやぁ」
     調子に乗る瞬。
    「でも、火災報知機が鳴らないかしら」
    「あ」
    「あばばば!?」
     慌てて炎を消す瞬。絆創膏も新しい物を巻きつける。
    「ふふ。面白いわね、あなた達」
     美穂は笑った。

     別方向へ帰る二人と別れ、美穂も家路に。
     そろそろ自宅が見えるという所で気付く。あの、人がいるのは我が家の玄関先ではないか?
    「……あの」
     美穂がそっと声をかけると、俯いて座り込んでいたヴィンツェンツ・アルファー(ファントムペイン外付け・d21004)が顔を上げる。
    「この家の人ですか?」
    「え、ええ」
     印象深く目を見て話すヴィンツェンツ。
    「散歩してたらちょっと疲れちゃったので。勝手にすみません」
    「あら……じゃあ」
     美穂は自分のバッグの中から、缶コーヒーを取り出した。先程、スーパーを出る際に夕食の材料と共に買ったものだ。
    「暑さにやられたのかも。まだ冷たいから、飲むなり体を冷やすなりして」
    「これはありがとうございます。それでは失礼」
     その場を辞するヴィンツェンツ。その際、一瞬のことだが……彼の後ろにドレスの少女が見えた気がした。
    「……?」
     彼の後姿をもう一度見た時にはもう見えなかった。

     二十三時。二階の灯りが消えた。
     その頃、庭に現れたのはシュクレーム・エルテール(スケープゴート・d21624)。彼女は髪をほどき湿らせ、巨大な山羊の角を生やし、スカートの中にはドライアイスを仕込み足元から煙を出して……と、一見して人間には見えないような姿。更に闇を纏い、一般人には視認できない。
     そしてその傍には、クロードの姿もあった。
    「怪奇現象に私はなるのである」
     と言ってシュクレームが取り出したのは──毛玉。服の袖や裾から、わらわらと。予め香水を含ませてあった。
     それを二階の、最後に灯りが消えた窓へと、クロードと一緒にぽんぽん投げる。
     ただの毛玉とは言え、灼滅者の腕力で同じ場所へピンポイントに投げつけられれば、窓硝子など脆い。一時間もそうしていただろうか、硝子にヒビが入り、そして割れた。
    「何……!?」
     二階の灯りが点き、惨状を確認した美穂の声がした。窓からそっと下を覗きこむと、庭には見覚えのある青年。どこで会っただろう、ああ、昼間のスーパーで……。
     するとその隣に、不気味な少女サイズの何かが忽然と現れた。双眸らしき輝きと目が合うと……ソレはにたりと笑った。
    「ひっ」
     窓を閉める音。慌てているのか、乱暴に階段を下りる音。これ以上は厄介なことになりそうだ。
     シュクレームは闇纏いで再び姿を消し、クロードもその場を退散するのだった。

    ●あと十七時間
     翌朝。美穂がいつも通り料理教室へ向かうと、そこには見知らぬ姿が三人あった。篠歌・誘魚(南天雪うさぎ・d13559)、ティルメア・エスパーダ(カラドリウスの雛・d16209)、そしてファム・フィーノ(天真乱万・d26999)。
    「ああ、四ツ谷さん。今日新しく来た子達なの。良ければ面倒を見てあげてくれないかしら?」
     料理教室の先生の言葉に、三人が頭を下げる。美穂は快諾した。
    「四ツ谷さん? 四ツ谷美穂さん、でしたっけ? お久しぶりです」
    「え?」
     誘魚が明るく微笑んで、ぺこりと頭を下げる。
    「ちょっと前に料理教室で一緒したのですけど、覚えていませんか?」
    「そうだったかしら?」
    「はい。今日もよろしくお願いします」
    「え、ええ、よろしくね」
     最初は困惑していた美穂だったが、誘魚の言葉に笑顔を返した。
    「エート……お姉さん、センセイ? いっぱい、教えて!」
    「やだ、お姉さんなんて歳じゃないわ」
     明るいファムの声に、場の雰囲気が和む。
    「で、何か作りたいものはある?」
    「はい、是非──目玉焼きを」
    「目玉焼き?」
     一瞬、美穂の脳裏を過ぎる光景。焦げた目玉焼き。
     あの記憶が脳裏を掠める。しかしそれも、見つめてくる三人の視線にかき消された。
    「そうね、でもそれだけだとすぐ出来てしまうから、目玉焼き乗せハンバーグにしましょうか」
    「アタシ、野菜肉炒めの目玉焼きのせがいい!」
    「じゃあそれも作りましょうね」
    「わかった」
    「良いですね、美味しそうです」
     そうして調理にかかる四人。
    「あら、ファムちゃん。左手はパーじゃなくて猫の手にしなきゃ」
    「ネコ、の手?」
    「そうよ、こう……」
     不慣れなファムに、包丁の使い方から教える美穂。
    「美穂さん、塩コショウってどれくらい?」
    「大体、これ、くらいね」
     経験者は、初心者ティルメアにも丁寧に。
     合挽き肉その他諸々を手で混ぜる。
    「これ、タノシイ!」
     ファムがハンバーグの種を両手で叩いて空気を出していく。
    「そうね」
    「食べてくれる相手がいる料理って楽しいね」
    「そう、ね」
     ティルメアが発した一言は、美穂に一瞬の影を生み出した。食べてくれる相手。
    「四ツ谷さん、広さんはお元気ですか? 前お話した時はすごく仲好さそうでしたけど」
    「やぁね、すごくって訳じゃないわよ」
    「あ、出来ました」
     経験者ということで野菜の調理を任されていた誘魚が、手を上げる。彼女の言葉で、は、と我に返った美穂は、野菜の味を見る。
    「うん、美味しいわ。あとはハンバーグと、目玉焼きを焼くだけよ」
    「はーい!」
     まずはハンバーグから。焼けたのを確認してから皿へ。
     そして最後に目玉焼き……何故だろう、焼く前から緊張する。
    「お姉さん、ダイジョブ?」
    「え、ええ」
     洗ったフライパンを再び熱し、油をひいて玉子を落とす。
     玉子が焼けていくのを、じっと見守る。
     美穂がフライ返しで四つの玉子を分け、皿に盛ったのはちょうど半熟具合の頃だった。
     美穂は小さく「よかった」と呟いた。良かった、また焦げなくて。

     試食会後の別れ際。
    「スゴイね、よつやさん。アタシ、お姉さんみたい、奥さん、なりたい!」
    「いやー、楽しかったし美味しかった! ありがとう美穂さん」
     そう言って帰っていくファムとティルメア。
    「あ、プレゼントをあげますね?」
     と、最後に誘魚は美穂に向かって懐から何かを取り出した。
     美穂が受け取ろうとすると、誘魚はそれを地面に投げ落とす。それは──生玉子だった。
    「あ!」
    「ぐずぐずしていないで、しっかりしなさいよ」
     誘魚は更に、割れた生玉子を踏みにじる。
    「人間関係なんてこの玉子みたいにもろいんだから」
    「……?」
     首を傾げる美穂に、誘魚は追い打ちをかける。
    「そんなことだから目玉焼きも焦げてしまうのよ」
    「!」
    「あなた自身が玉子に食われないように、少しは自覚しなさい」
     言うことを全て言うと、誘魚は足早にその場を去った。

     午後のパートは、比較的楽だった。若い空牙と瞬は物覚えも早く、トラブルもさほど大きなものは起きなかった。
     料理教室で出会ったティルメアが訪れたのは偶然だったのか、「また会えて嬉しいな」と人懐っこく挨拶をしてくれた。
    「そういや、お客によって態度変えたりするんですかね? 今の人みたいに、知り合いが来たら?」
    「あ、本当は知らないふりをするのだけれど……今みたいに、ちょっとした挨拶を交わしちゃうことはあるわね」
     空牙の疑問に、苦笑で答える美穂。
    「旦那さんとかも?」
    「え、ええ……」
    「やっぱ仲良いんですか? 旦那さんとは」
    「まぁ……でも最近……あ、ごめんなさいね!」
    「最近、何かおかしいんですか?」
    「! ……そうね、何か。変」
    「……俺は他人な上ガキだけども、それでいいんすかね?」
     黙る美穂を嘲笑うように、卵が大きく揺れる。

     自宅に帰ると、またあの青年が玄関先に座り込んでいた。
    「ああ、今日もすみません」
    「いいのよ。またコーヒーは必要?」
    「いえ、大丈夫です」
     立ち上がるヴィンツェンツ。ただし昨日と違うのは……あのドレスの少女を伴っていることだった。今度ははっきりと、その姿が確認できる。
    「これ見えてます?」
    「──!」
     そう言われると……どうも答えようがない。
    「気持ち悪かったよね。ごめんなさい。だけど僕にもこれにも害意は無いので」
    「え……と」
     どうしようかと戸惑っているうちに、ヴィンツェンツはその場を去ろうとしていた。
    「ああ、そうそう。最近ちょっと具合が悪かったでしょう。でも、もうすぐ良くなるから大丈夫ですよ」
    「どうして」
     それを、と問う前に、彼は少女を連れてその場を去っていた。

     扉を開けて中へ入ると同時に、美穂の後ろから屋内へと入った闇纏いしているシュクレームと七音。特にシュクレームは昨日放り込んだ毛玉と同じ香水をつけて。
    「……?」
     何だろう、何かいるのに視えない、そんな感じがする。
    (「くっくっく、気付かないのである」)
     そして美穂の就寝後、彼女達が闇纏いしたまま玄関と窓の扉の鍵を開けていく。
     後は、待つだけ。

    ●孵化
     深夜二時半。就寝する美穂が、不意に瞼を上げた。彼女の頭上の卵。それにヒビが入り、やがて割れる。中から現れたのは、美穂と同じパジャマ姿の、仮面の女だった。
    「……!?」
     驚きのあまり悲鳴も出ない美穂だったが、すぐにその意識は途絶えることになる。ファムが放った魂を鎮める風によって。
    「ゴメンね、辛坊、あと少し」
    「チビ尻尾、コイツ頼む!」
     と、美穂が意識を失った瞬間にその襟首を引っ掴み、勇騎に向かって投げつける昶。
    「って投げる奴があるか、馬鹿!」
    「まあ良い。空飛、こちらは任された」
    「ああ、頼んだぜ」
     有無の頼もしい台詞に、べヘリタスから目を逸らさず応じる空牙。
    「うちらは行くで!」
    「はい!」
     そして七音、湊と共に四人で美穂の安全確保に回る。彼女を抱えて階段を下り、玄関の外へと。
    「さて、こちらも準備を」
    「ああ……」
     ヴィンツェンツが近寄りがたい殺気を放ち、クロードが戦場の音を遮る結界を張る。
    「ギ、ギ、ギ……」
     美穂のものとは似ても似つかない声。唸りなのか、呻きなのかわからない声と共に、頭を徐々に傾ける。人間にはあり得ない角度まで。
    「人と人の絆を食い物にするなんて、悪趣味な相手ですね。許しませんよ」
     誘魚が突っ込んで、槍の一撃。仲間の援護を頼りにしているからこその、最初からの全力。
     ドッ!
     べヘリタスの脇腹を穿った槍の突き。
    「大事な絆、返したってや。差し上げられるもんやあらへんさかい」
     一浄がその傷に向かって、両手に集束したオーラを放つが、思ったように効果は見られない。
    「寂しいかどうかは分からないが、奪われるに足る絆があるのは羨ましい……ここはひとつ、頑張らせて頂きましょうか」
     ヴィンツェンツが周囲に防壁を広げ、状態異常への耐性を高める。
    「狩らせてもらうぜ? お前のその存在を」
     その恩恵を受けた後、空牙が半獣化した腕を力任せに振り下ろし、敵の腹を裂く。
    「続くよ! 絶対に倒す……!」
     仮面の女に、ティルメアの影が襲い掛かる。ずぶずぶとその存在を飲み込む影は、同時にトラウマの影を生み出す。
    「クッソ……さっさと死んどけ!」
     昶が槍の妖気を冷気へと変換し、空牙の与えた傷口へと投擲。べヘリタスの傷口を凍りつかせた。
    「行くぜ……!」
    「微力ながら加勢する!」
     理と流希が攻撃……したが、強力なシャドウであるべヘリタスの、それもソウルボードから出て現実世界に顕現した個体は、絆を結んでいない二人からの攻撃にはさほど堪えていない様子だった。
    「無理はしないのが賢明なのであるよ」
     その二人の間から、走り抜ける影。前に立ち、結界を広げるシュクレームの姿は、戦女神か悪魔か。
    「……行くぞ」
     未だ攻撃を受けていないため、回復役のクロードも攻撃に参加する。契約の指輪から放たれた呪いが、べヘリタスの爪先を固めた。
    「絆、食べた分、全部、吐き出して! アタシの絆……本物、違う! でも、それでも……そんなの、寂しい!」
     ファムが叫んで床を叩き付けると、床板が撓み、更にべヘリタスの体勢を崩す。
    「俺の中のイフリート……力を貸すッスよ!」
     瞬が言葉を紡ぐと、彼の獣化形態のような炎の翼が生え、舞う火の粉が最前線を張る者達に破魔の力を付与する。
     これで、初手に紡げる分は全部出し尽くした。後は相手の出方を見て……。
     と思っていた矢先、べヘリタスは影を伸ばしてヴィンツェンツとシュクレームを殴りつけた。
    「ぐっ……」
    「くぅっ」
     小さな悲鳴の後、彼らの前に現れたのは、己にしか視えない己の影。
    「すぐに癒す……!」
     純也がシュクレームに向けて指先に集約した霊力を放つと、その影はすぐに消え去る。
    「さて……これから、だな」
     誰からともなく上がった声は、激戦を予感させた。

    ●決着、そして
    「残り二分だ!」
     戦場に響いたティルメアの声。タイマー付きの腕時計が知らせた時刻に、緊張が走る。
     あと二分で撃破出来なければ……。
     仮面の奥が、笑みを浮かべたように感じられた。
    「胸糞ワリィ……ンなヤツには、灼熱地獄がお似合いだよなァ!」
     槍に体内から発する炎を纏わせた昶が、その槍でべヘリタスの傷口を広げた。
    「逃がすワケねェだろ、ボケが。……テメェはココで死んどけ」
    「その通りなのである」
     続きシュクレームが口に解体ナイフを咥え、床を蹴ったと思うと壁に両手を付き、天井に飛び、べヘリタスの頭上から襲い掛かる。斬り裂いた一撃は、べヘリタスの足を揺らがせた。
    「くっ……」
     まだ回復し切れていないが、仕方がない。クロードも回復を捨て、攻撃に移る。指輪から放たれる光弾で行動を制約する。
    「もう、少し!」
     ファムが叫んで走り出す。仲間に守られる背後から四足で走り抜け、べヘリタスの目の前で四足を解き前足……巨大化した腕で殴りつける。その膂力は、べヘリタスが己に付与した力さえも破壊した。
    「そう、もう少しッス!」
     己に任された回復の任を自ら解き、瞬もまた攻撃へ。チェーンソー剣を両手に一刀ずつ構え、奔る。振り下ろされた二刀は唸りを上げ、傷口を広げながら強引に斬りつけた。
    「ギ、ギ……」
     呻き声を上げながら、べヘリタスは飛び出して来たファムを影で捕らえようとするが、彼女のするすると動く四足走行に追いついて行かない。
    「これで本当に最後……喰らいなさい!」
     その隙に、誘魚の杖による打撃。直撃した瞬間、誘魚は魔力を注ぎ込み、べヘリタスは体内から爆破され、その身を四散させたのだった。

     クイッと眼鏡を上げてふぅっと一息つき、周りが無事かを一応確認するクロード。
    「……皆、無事か」
     美穂を外へ運び出した仲間達と協力し、彼女を寝室のベッドへ戻す。もちろん、戦闘の痕跡を出来るだけ掃除してから。
    「嫌な思いをさせてしまったらごめんなさいね。ご夫婦仲良く暮らせますように祈ります」
    「オヤスミナサイ。また……会える、ウレシイ! あ、アタシもお祈り、する!」
     誘魚と顔を見合わせて笑うファム。
    「サンキュ。……それから、荷物持ち付き合え」
    「……荷物持ちは構わねぇが……どんだけ買ってんだよ」
     憮然とした昶が勇騎へ突き出したのは、昨日買い物したスーパーの買物袋。勇騎は肩を竦めつつも、それを受け取った。
     そうして若者達は、四ツ谷家を去るのだった。どこか幸せそうな笑みを浮かべて眠る、主婦を残して。

    作者:天風あきら 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年7月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 6
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