始源の海で踊れ

    作者:瑞生

     北海道某郡某町。
     7月下旬に海開きを海開きを控えているこの海岸は、シーズン以外はほとんど人のいない静かな海である。この時期に海岸に来るのは、海水浴シーズンに海岸で唯一の海の家を営む、近所の民宿のオーナー夫妻くらいだ。
    「ヒャアアアアアアアアアアッ」
    「ウオオオッ!!!」
     その夫妻が、奇声を上げていた。
     海の家の壁を自分たち自身でぶち壊し、確保しておいた食材を、文明の利器である調理器具は使わず焚き火で焼いてがつがつと食らい、踊り狂う。
    「ウキャッ! キャッ!!」
    「ウホッ、ウオオオッ!!」
     その姿には、理性や知性といったものは微塵も感じられない。
     焚き火で焼いたソーセージを食べ尽くした夫妻は、新たな食糧を求めて崩壊した海の家の残骸を漁りに、海岸を駈けて行った。
     
    ●始源の海で踊れ
    「謎のイフリートがね、現れたの」
     須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)が灼滅者たちへとそう切り出した。常日頃から朗らかな笑顔を浮かべる彼女だったが、今日はその笑顔は少々引きつっている。
    「これまで皆が出遭ってきたイフリートとは全然違うの。爬虫類とか恐竜とか……そういう感じの外見でね。能力や行動も、今まで見て来たイフリートとは違っているの」
     猛獣の姿でも無ければ人の姿を取ることも無いというそのイフリートは、自分の周囲の気温を上昇させ、そのエリア内の一般人を原始人化させてしまうのだという。
    「最初は狭い範囲だけど……徐々に範囲は広がっていっちゃうの。最終的には、都市一つが原始時代みたいになる、なんて事態になっちゃうんじゃないかな」
     文明社会に生きる者としては、それはどれ程恐ろしい事だろう。
    「それでね。イフリートがこの原始人化させちゃう効果範囲の中心地点になるから、すぐ見つかると思うよ」
     ただ、とまりんが付け加える。
    「巻き込まれた人は原始人化するだけじゃなくて、強化一般人化してイフリートを守る配下になっちゃう可能性もあるから……放っておくと、もっと対処が難しくなっちゃう」
     灼滅するのであれば、まだ被害の少ない今のうちに、迅速に行わなければならない。
     まりんが一枚の地図を机に広げ、北海道のある海岸を指差した。
    「場所はね、ここの海岸。幸い、海開きがまだだったから、町への被害はほとんど無いんだけど……毎年海の家をこの海岸で営業しているご夫婦が、準備のために範囲の中に入っちゃって、原始人化しちゃったの」
     強化一般人と化した夫妻は、自分たちの海の家を壊し、海水浴客に提供する筈の食材も自分たちで食べてしまっているのだという。そのまま遭遇すれば、こちらに対して攻撃を仕掛けてくるだろうが――。
    「でもね、もしかしたら、戦わないで切り抜けられるかもしれないよ」
     眼鏡の下で、まりんの瞳が輝いた。
    「原始人化したご夫婦が喜びそうなことを一緒にしたり、何かあげたりしていれば、戦闘を回避してイフリートとの戦いに集中できるかもしれない」
     交渉次第では夫妻との戦いを避けて、イフリートと戦うだけで済ませる事も可能だろう。 戦うとなれば、強化一般人と化した夫妻のうち、夫は影業のサイキック、妻は魔導書のサイキックに酷似した能力を使用する。
     一方のイフリートはファイアブラッドと酷似した能力を持ち、更に炎を光の輪に変えて操り、リングスラッシャーに似た動きをさせる事が出来るらしい。上手く夫妻との戦闘を回避できれば、敵はこのイフリートだけだが、恐竜のようなその外見に相応しく非常に体力が高く、長期戦は免れないだろう。
    「このイフリートさえ灼滅できれば、原始人化してしまったご夫婦も、徐々に知性を取り戻して、普通の状態に戻るよ。……ただ、我に返った瞬間はきっと動揺しちゃうと思うから、上手くフォローしてあげられると良いかもね」
     自分たち自身で海の家を壊してしまった事は忘れているのだ。我に返った夫妻の目の前にあるのは、破壊された海の家、ということになる。いきなり自分たちの海の家が破壊されていたら、混乱せずにはいられないだろう。
    「今はまだ、誰かが怪我したり、死んでしまったり……そういった被害は出ていないけれど、もうすぐ海開きがあるから、そしたら大変な事になっちゃう。そうなる前に、イフリートを灼滅して来てね。お願い」
     そこに住む人、そこを訪れる人が楽しい夏を迎えられるように。そう付け足して、まりんが笑顔で灼滅者たちを送り出した。


    参加者
    椎木・なつみ(ディフェンスに定評のある・d00285)
    氷室・翠葉(キュアブラックサンダー・d02093)
    森田・依子(深緋・d02777)
    布都・迦月(幽界の神名火・d07478)
    フィリア・スローター(ゴシックアンドスローター・d10952)
    天槻・空斗(焔天狼君・d11814)
    黎明寺・空凛(此花咲耶・d12208)
    狩家・利戈(無領無民の王・d15666)

    ■リプレイ


     寄せては返す漣の音。
     それだけが聴こえる筈の海には今、叫び声が響き渡っていた。
    「ウホッ! ウガアアッ!!」
     どんがらがっしゃん。いっそ痛快な程の音を立てて、先程まで海の家であったものが破壊されてゆく。もともとは備品としてここに置かれていたのだろうスコップで壁を破壊しているのは、他ならぬ海の主のオーナーであった。
    「キィィィィィッ!!!!」
     瓦礫の中をガニ股になって漁るのはオーナーの妻だ。躍起になって瓦礫をごそごそと漁る姿に、文明社会に生きる人間の面影は感じられない。
     イフリートに察知されないよう遠巻きに海岸を監視している椎木・なつみ(ディフェンスに定評のある・d00285)だけが、今この場では唯一の現代人と言っても過言では無かった。
     ふと、夫妻が手を止める。
     匂いが、する。鼻孔をくすぐるのは、香ばしい、食材が焼ける匂い。
    「わんっ!」
     ぐるるると鳴く腹の虫に導かれるままに向かう途中で、夫妻の目の前を一匹の犬が横切った。犬変身した天槻・空斗(焔天狼君・d11814)である。
    「キャッ、キャッ!!」
    「ウホッ、ウオオオオ!!!」
     更に炎を作り出してその肉を炙ってみせるパフォーマンスに、夫妻は大はしゃぎだ。肉を銜えたまま走る空斗を夫妻が追いかけてゆく図は、ある意味で浜辺にありがちな光景であった。恋人同士の戯れでは無く、犬と原始人の追いかけっこという図ではあるけれども。
     更に導かれて進んだ先で、手慣れた手つきで火を熾していた黎明寺・空凛(此花咲耶・d12208)が駆け寄って来た夫妻へと歓声を上げてみせる。豹柄のサマードレスとマンダリンの花を模した髪飾りで整えた姿は、原始時代であればファッションリーダーになっていた事だろう。
     手際良く焼かれ追加された魚や肉に、夫妻がまじまじと焚き火の中央で炙られている食材を見つめた。強引に奪おうとしないのは、原始人化してもそれだけの分別があるのか、それとも警戒をしているからか。恐らくは後者だ。
     ぱくり。森田・依子(深緋・d02777)が一口分、毒味をしてみせる。大丈夫、と身を持って伝える事で、漸く夫妻の警戒は解けたようだった。どうぞ、と視線でフィリア・スローター(ゴシックアンドスローター・d10952)が促すと、程良い焼き加減の肉が刺さった串を地面から抜き、貪るように2人して齧りつく。
    「キャンプファイアーと言えば聞こえは良いが、微妙な気分になるのは何故なんだろうか……」
     夫妻には聴こえない程度の、ほぼ呼気だけのぼやきを布都・迦月(幽界の神名火・d07478)が思わず零した。一般人が原始人化しているこの事態に、常日頃より冷静な彼も、少々気遅れしてしまうのは、仕方がない事だろう。
     原始人化してまだそこまで時間が経過していないせいか、ボロボロになっているとはいえ、夫妻の衣服が元々はシンプルながら品の良いものだった事が窺える。それが一層、原始人化している現状とのギャップを感じさせて、気遅れさせる一因になっていることだろう。
     そして、灼滅者たちも揃って、原始人っぽい雰囲気を醸し出せるように原始的な雰囲気の簡素な服装で揃えている。おかげで夫妻も特に怪しむ事も無く、肉を食らい野菜を平らげ、ご満悦とばかりに蟹の脚に齧りついてその身をしゃぶる。
    「……」
     あっち、とイフリートがいるだろう方角から離れるように氷室・翠葉(キュアブラックサンダー・d02093)が指し示す。そちらにはもっと食べ物があるよ、とでも言いたげな彼の視線を受けて、狩家・利戈(無領無民の王・d15666)が歓声を上げた。
    「ひゃっはー!」
     すっかり食材に懐柔された夫妻を誘導しようと、まんが肉をこれ見よがしに頭上へ掲げ、駆け出した。風に乗って流れて来る香ばしい匂い。太陽に照らされて艶めく、僅かについた焦げ目が、どうしようもなく食欲をそそる。
     利戈を追いかけて夫妻が走り去ってゆく。その背を灼滅者たちが見送ったとき、海岸を監視していたなつみが合流した。
    「お疲れ様でした。イフリートはあちらです!」
     夫妻が駆けて行った方向とは真逆を指差す。その先を目指し、灼滅者たちが砂を蹴って駈け出した。
    「ようし! じゃあ、受け取りやがれ―!」
     利戈の声と、夫妻の雄叫びが、少しずつ遠くなってゆく。


    「あれですね……!」
     眼鏡の奥、深緑の瞳を細めた依子の声は日頃の穏やかな調子よりも、多少興奮が勝るだろうか。目の前にいるのは、まるで竜のような炎の獣。クロキバを始めとした人型をとるイフリートたちとは全く異なる存在に、宿敵への嫌悪感と好奇心が混ざり合い、鼓動が速くなる。
    (「突然変異みたいなのか……。うーん、それよりはスサノオみたいにどこかに封印されてたとか……かなぁ」)
     その存在に気が気で無いのは翠葉も同様だ。ただし彼の場合は彼自身の宿敵だからでは無く、溺愛する少女がファイアブラッドだからというところが大きい。彼女も闇堕ちしたら、こうなりはしないだろうか、そんな不安も僅かに首をもたげていた。
     じっと身を丸くしていたイフリートも、自身の周囲の空気に飲まれない人の姿に、頭を上げて灼滅者たちの方を振り返る。元々、夫妻と遭遇するよりも前に利戈が殺界形成を放っていたのだ。灼滅者の存在自体には気付いていた事だろう。
     炎を纏う紅蓮の鱗、鋭い角と牙。そして燃え盛る焔の瞳。立ちはだかる炎の竜は、どこかのファンタジーにでも出てきそうな姿である。
    「目覚めろ。疾く翔ける狼の牙よ。吼えろ、焔天狼牙」
     空斗が、そして他の灼滅者たちが各々の解除コードを唱えてカードに込めた力を開放する。
    「よし、狩りだ」
     弓を構えた迦月の表情は、夫妻の相手をしていたときの気後れが無くなり、戦意も昂揚している為、ある意味で生き生きとしていた。細めた紅の瞳に戦意を宿して左腕を鬼のそれへと変化させて、イフリートを殴りつける。
    「オオオオオオオッ!!!」
     前のめりな立ち位置からの一撃に、こちらへの敵意を確かなものとしたのだろう。イフリートが頭上を仰ぐ。ぴりぴりと鼓膜を揺さぶる程の音量で咆哮しながら、鋭い爪を持つ手から炎の奔流を放つ。砂浜を奔る炎が前衛を抜け、フィリア、空凛、翠葉のナノナノ『佐藤さん』を包み込む。フィリアの傷を、空凛の霊犬『絆』が急いで癒した。
     横を走り抜けて行ったその熱量に圧倒されつつも、依子が光を放つ『Passiflora』をイフリートへと叩き込み自身の身体を聖戦士化させ、それとほぼ同時に翠葉が鋼糸を炎の竜の腕へと巻きつける。だが、捕縛するには至らずに、巻きついた強固な筈の意図は、イフリートの爪によって断ち切られた。
    「はあああっ!!」
     気合の声を上げたのはなつみだ。頭に思い描くのは、アニメやテレビ番組で観た格闘家たち。その軽やかな動きを真似ながら動き、背手の型でWOKシールドを叩き込む。
    「撒いて来たぜ!」
     夫妻を誘導し終えた利戈が戻って来た。一仕事終えた達成感と解放感に身を任せるように軽やかに跳躍し、バベルブレイカーをドリルの如く回転させてイフリートの鱗を貫かんと叩き込む。
    「お疲れ様でした」
     労いながら、空凛が星の名を冠した光輪のサイキックエナジーを分裂させ、迦月を守る盾を作り出す。
     空斗が振り下ろしたのは両刃の剣。闇色の炎を纏った刃が埋め込まれると、炎の竜がその巨体を煩わしげに捻った。
     静かに紫眼を細め狙いを定め、フィリアが冷気を撒く。炎を纏う鱗の幾つかが熱量を奪われ凍りつき、ぱきんと欠けて砂浜へと落ちてゆく。
    「……この竜種から武器や防具が作れそう」
     そんなフィリアの言葉が通じたのなら、恐らくイフリートは怒り狂った事だろう。だが、人の言葉を解さないのか、特に言葉には反応を示す事は無く、ただ灼滅者たちの攻撃を鬱陶しがるように、サイキックエナジーの光を分裂させて、前衛を薙ぎ払う。
     熱が、ただでさえ夏の陽光にぎらつく海岸を支配する。


     その巨躯に相応しく、と言うべきだろうか。広範囲の攻撃でさえも、その一撃は重い。佐藤さん、絆、そして癒し手として立つ空凛は、かなりの頻度で回復に追われていた。
    「……危ない、椎木」
     怒りを付与し、極力自らへと攻撃を集めていたなつみを気遣いつつ、フィリアが死角からイフリートを切り裂いた。
    「ありがとうございます」
     礼を述べつつ、なつみが得物に紅蓮のオーラを纏わせてイフリートを一閃する。致命傷には至らないものの、ダメージが積み重なっている事もまた事実だ。
     2人の斬撃に雄々しき竜のような脚の腱を斬られたイフリートの動きが鈍り、その方向にも苦痛が混ざる。雄叫びと共に自身の傷を癒し、イフリートは守りを固めようとするが、それを行えば攻撃の手が鈍る。せっかく強化一般人にした夫妻を、自身を守る戦士として使えなかった事は、イフリートにとって誤算となったのだろうか。
    「堅い、ですね……!」
     けれど、傷を癒して守りを固めたイフリートの鱗に致命傷を与えるのが難しくなっているのも事実だ。回復の手を緩められる僅かな暇を逃さず、空凛が身に纏わせたオーラを集約しイフリートへ投げつけ、絆もまた斬魔刀を振るい、その守りを少しずつ剥いでゆく。
    「……良し、今だな」
     迦月が女神の名を冠する弓、『木花開耶【散】』を引き絞る。殆ど曲線を描かず真っ直ぐ飛翔する矢の軌道はさながら彗星。霊力の矢がイフリートの鱗の隙間からその堅い皮膚へと突き刺さった。
     もしかしたらドラゴンのダークネスもいるのだろうか。いるとしたらロマンだ、と考える利戈は戦いの疲れも感じさせない。
    「龍だろうがなんだろうが、ぶち抜いてやらあ!」
     豪快に言い放つ彼女の影がざわめきながら伸びてゆき、イフリートの四肢を捕え、更にその動きを鈍らせた。度重なる影の妨害を受けていたイフリートは、もう灼滅者たちの攻撃をかわす事も出来ない。もはやその巨躯は、非常に当てやすい的と化していた。
     佐藤さんが作り出したハートによって痛みを和らげて貰い、翠葉がイフリートを睨みつける。
    (「……誰かが封印みたいなのを解いたなら……?」)
     原始人化する事も含めて、報告されるようになったのはごく最近だ。急に現れるようになった理由は何だろう。
     疑問は尽きないが、今はまずは目の前の事を片付けなくてはいけない。軽くなった身体で砂浜を蹴り、破邪の聖剣に光を纏わせて叩きつける。
    「俺の黒き焔に喰われろ! デカブツが!」
     気勢を上げて空斗が砂を蹴り、一気に距離を詰めてイフリートの懐へと潜り込む。ざざざ、と砂を巻き上げながら摩擦を起こしその脚に黒炎を纏わせ、強烈な一撃を炎の竜へと見舞った。
     やはり言葉は通じないだろうか――眼鏡越しに訝るような視線を向けながら、依子が叫ぶ。
    「何がしたいの……全部原始に戻し、獣になればいいのですか!?」
     しかし、やはりそれに対する反応は無い。これまで遭遇したイフリートとの手口の違い、統率も取れているようには見えないその行動に疑問はあれど、これ以上得られるものは無さそうだった。
     周囲の空気が冷えてゆく。依子が握る槍の穂先に集まった冷気が、氷柱となって陽光に煌めきながら跳んでゆき、イフリートの心臓部を貫いた。
    「アァァァッ!!」
     荒々しい断末魔を上げた炎の竜の身体が崩れ落ち、消えてゆく。後に残されたのは、戦いの最中で生じた熱気だけだった。


    「……うう、ん」
     夫妻が目を覚ましたのはほぼ同時だった。
    「わああああっ!?」
     意識を取り戻し、いの一番に出たのは悲鳴だ。どこで意識が無くなったのか明確には覚えてはいなかったが、気付いたら海岸にいて、しかもそこにある自分たちの海の家が跡形も無く壊され、ただの瓦礫の山と化しているのだ。仕方がない事だろう。
    「あのー」
     事態が飲み込めずおろおろとする夫妻へと、海岸沿いの道路から声が掛けられた。
    「今そこを通ったら、お二人が倒れていたのですが大丈夫ですか?」
     尋ねたのは一人の青年――迦月だ。彼の周囲にも、心配そうにこちらを見つめる若者たちの姿がある。
    「まあ、私たち、倒れて……? でも、どうしてこんなところで……?」
    「しかも、海の家が……」
     声を掛けてくれた人の存在は、混乱する夫妻にとってはそれだけで救いであっただろう。だが、それでもまだ事態はさっぱり飲み込めず、夫妻は首を傾げるばかり。
    「あー……こりゃひでえや。あんたらこれの持ち主?」
     尋ねたのは勇ましい口調の女子高生、利戈だ。そうだと頷く夫妻の様子を見て、豪気な彼女も心配そうに眉を寄せる。
    「大丈夫ですか? 少し休まれた方が……」
    「……あげる」
     空凛が妻を支えて、砂の上に座らせる。そこに、フィリアがスイカを差し出した。髪と肌の色に加え、その白いワンピースが更に白い印象を与える少女が差し出したスイカは、鮮やかな赤。
     食欲は無い。意気消沈している為と夫妻自身は認識しているが、先程まで肉やら何やらと食べていたのだから当然だ。けれど、それでも不思議なもので、スイカを齧ると、口の中に広がる爽やかな甘さと水分に、少しずつ意識が落ち着いて来る。
    「ひとまずあれだ、警察に連絡するとかした方が良いんじゃねえ?」
    「そ、そうですね。電話……ああ、持ってない! ちょっと戻って掛けてくるから、済みません、妻を頼みます」
     すっかり原始人化していたせいか、携帯電話を持ち歩いていなかったらしい。利戈の言葉にその事実に気付き、慌てて夫が自宅のある方向へと踵を返し駆けてゆくのを見送って、わん、と犬変身した空斗が鳴いてみせた。
    「あら……あなたたちのワンちゃん?」
     お座りして待機する空斗を見て、やっと妻が表情を僅かに綻ばせた。
    「私たちで良ければ、片付けや修復のお手伝い、させて頂けませんか?」
     現状を飲み込み切れた訳では無いだろうが、何とか落ち着いてきたらしい夫人へと依子が尋ねると、まあ、と夫人が目を丸くする。
    「ありがとう。……でも、良いのかしら?」
     申し訳無さそうな夫人に、気にしないでと翠葉が緩く首を振り、砂浜へと視線を落とす。イフリートがどこからやって来たか、それを辿れるような痕跡は、波に流されたのか、見つからなかった。
    「それじゃ、出来る範囲で始めましょうか。海水浴、楽しみですし」
     なつみが言うと、夫人がおかしそうに、そして嬉しそうに微笑んだ。一人水着姿のなつみは、『海開きが待ちきれなくてついつい水着で来ちゃった女の子』に見えたのかもしれない。
    「おーい、連絡してきたぞー!」
     遠くから夫の声が聴こえて来る。バベルの鎖の効果で、警察に連絡してきたとしてもこの事件が過剰に伝播する事も無い。後は、夫妻の心が一刻も早く癒えることを願うばかりだ。
     海が楽しげな、賑やかな笑声で満たされるようになるまで、あと少し。いよいよ北の大地にも、本格的な夏が訪れる。

    作者:瑞生 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年7月26日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
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