●籠の中の巫女
人々の寝静まった夜の本殿で、巫女装束の少女が、扇と鈴を手に静かに舞っていた。
夜遅くといっても、この神社と農家くらいしかない山奥の小さな村である。
日が長くなってきたとはいえ、この村の夜は早い。
蝋燭の灯りに照らされながら、白みがかった灰色の長い髪を翻し、少女の舞は続く。
古い風習の続く村で、生まれてから村の外に一度も出ることなく、巫女として育てられてきた。
何もない静かな村ではあったが、少女にとっては、それが当たり前のことであった。
このまま一生をこの村で生きる……そのことに何の疑問も抱いたことはなかったはずである。
それでは、なぜ自分は何かを鎮めようと、何かを祓おうと、こんな夜更けに舞を捧げているのだろうか。
どちらかといえば、自分は暢気な性格の人間だと思っていた。
この抑え難い衝動は、年頃の少女にありがちな麻疹のようなものだろうか。
今の生活を壊して自由になりたい。
そんな自分の考えが怖ろしくなって、少女は手を止める。
その額には黒曜石の角が、蝋燭の光に反射して輝いていた。
心細くなった少女は、溜息をひとつ吐いてから、その足を両親の寝所へと向ける。
細かった少女の手は、異形のものとなり、手にした扇と鈴を握り潰してしまっていることに、少女はまだ気づかない。
●未来予測
「ある女の子が、羅刹に闇堕ちしようとしています」
教室に集まった灼滅者達を前に、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)が、今回の事件について説明を始めた。
「羅刹に闇堕ちしようとしているのは、上海・いさな(かみうみ・――)さん、中学2年生の女の子です。このまま放って置けば、彼女は闇堕ちして、彼女は両親をその手にかけてしまいます」
通常ならば、闇堕ちしたダークネスは、すぐさまダークネスとしての意識を持ち人間の意識はかき消えるのだが、彼女は、元の人間としての意識を残しており、ダークネスの力を持ちながらも、ダークネスになりきっていない状況なのだ。
「もし彼女が、その手で両親を殺してしまえば、彼女は完全にダークネスになってしまうでしょう」
そうなってしまったら、彼女のことを、ダークネスとして灼滅しなくてはならなくなってしまう。
「皆さんは、本殿で神楽を終えた上海さんが、両親の寝所に向かうために、渡り廊下を歩いているところで、彼女と接触できます」
人間の意識を残しているとはいえ、ダークネスの力を使える彼女と正面から戦えば、苦戦は避けられないだろう。
「彼女の心は、まだダークネスの力に抗っています。もし彼女の人間の心に呼びかけることができれば、ダークネスの力を弱めることができるかもしれません」
彼女に灼滅者としての素質があれば、彼女に人間としての意識が残っている内に、彼女を倒すことで、灼滅者として救い出すことができるかもしれない。
「上海さんが両親を殺害し、闇堕ちすれば、次は村の一般人の方達にも危険がおよぶでしょう。そうなれば彼女を灼滅しなければなりません。そうなる前に、どうか皆さんの力で彼女を救い出してあげて下さい」
参加者 | |
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夜空・大破(白き破壊者・d03552) |
高遠・彼方(無銘葬・d06991) |
霧野・充(月夜の子猫・d11585) |
宵凪・空是(尽きぬ感謝を灯に代えて・d24646) |
ザフィアト・シェセプ(幽世のアメンヘテプ・d24676) |
宇佐・紅葉(紅蓮浄焔・d24693) |
天羽・小鳥(飛べない小鳥・d28779) |
セレスティ・ランダマイズ(小学生神薙使い・d28898) |
●湖上の社
「巫女とはまた珍しい……いや、そうでもないか」
高遠・彼方(無銘葬・d06991)は知り合いの顔を思い浮かべながら頭を振った。
「ま、同じように上手く収まってくれるといいんだが」
農村の奥に広がる湖の中ほどに迫り出した陸地の上に建つ神社を灼滅者達は眺める。
「……どこにでも、似たような話はあるものですね」
小さな村で、神子として生きてきた過去を持つ夜空・大破(白き破壊者・d03552)は、自分の境遇と上海・いさなを重ねていた。
田舎を絵に描いたような村には、不釣り合いなほど立派な造りをした神社を見れば、この神社が村の精神的な支柱であることが一目でわかる。
「今大事なのは、上海さんを堕ちさせない事……今を壊したいなんて、きっと上海さんの思いではないのですから」
いさなには過ちを犯させまいと、大破は前を見据えた。
(「昔の自分みたいでいらつくな。家の事情で振り回されて、それでも何も出来ないでいる。そんなところが、本当に」)
古くからの因習が、いさなの自由を縛り、それが彼女を鬱屈とさせ、闇がその隙に入り込んだのだと、宵凪・空是(尽きぬ感謝を灯に代えて・d24646)は心の中で思った。
「闇堕ちしかけの少女か。助けられるならいいんだが」
天羽・小鳥(飛べない小鳥・d28779)は、もう自分の手の届く範囲にいる何者も助けられずに失いたくはないと、強い覚悟を持って入念に殲術道具の点検を行う。
「今の、場所を壊したい、出ていきたい気持ち、ちょっとだけわかる……気がする。私も、ずっと、病院にいたから……」
偶然ではあるが今回の事件の依頼には、セレスティ・ランダマイズ(小学生神薙使い・d28898)を始めとして、『病院』出身の人造灼滅者が多く参加していた。
彼らは多かれ少なかれ、外の世界を知らずに過ごしてきた、いさなの境遇に共感を覚えていた。
「外の世界は広いです。奴隷から解放されたときに改めてそう思いました。上海様も後悔せずにご自身の道を歩んでいただきたいです」
霧野・充(月夜の子猫・d11585)の一言を合図にするように、灼滅者達は目的の神社へと向かって歩き始める。
●月下の巫女
「よう、夜分遅くに物騒なカッコして何処いくんだ?」
本殿から居住用の家屋への渡り廊下を歩くいさなに、ザフィアト・シェセプ(幽世のアメンヘテプ・d24676)は声をかけた。
街灯はなくとも、月明かりで境内は意外なほど明るく、いさなの白い髪と巫女装束に青い影を落としている。
虫の声しかしないはずの夜の神社の中で、家族以外の声で呼び止められ、いさなは歩を止めて振り返る。
灼滅者達は一目で彼女はあまり感情を表に出さないタイプの物静かな少女であることを、その雰囲気から見て取った。
しかし、そんな彼女が驚いていることも、その瞳を微かに見開いていることで、灼滅者達は察することができた。
それも無理のないことだろう。
滅多に外の人間のやって来ることはない村で、住人同士知らない顔などないし、この神社を神聖視している村人達は、こんな夜更けに神社を訪れることは、ほとんどない。
「……どちら様でしょうか?」
一拍置いて気を落ち着かせたいさなが、異邦人達に問いかける。
「お前さん、今何をやろうとしてたのか……自覚、あったか?」
「自覚、ですか?」
名乗るより先に彼方の行った確認に、いさなはキョトンとした様子で、小さく首を傾げた。
その反応から彼方は、いさな自身に両親を殺して自由になろうという意思がないことを察する。
「少しお話を聞いていただけますか? 私は霧野充と申します。上海様は、ご自身の腕や額の角の変化にお気づきでしょうか?」
丁寧な物腰で、充はいさなに話しかける。
充の言葉で、いさなは初めて自身の両腕が鋭利な爪を持った異形のものになっていることに気づき、恐る恐る黒曜石の角に振れることで、その存在を確認した。
「私たちは貴方と同じ、その衝動を持つものです。その衝動は、誰でも持っているものです。自分が自分でなくなるもの……貴方の奥底に眠る闇、それが貴方を苛んでいるその衝動の正体です」
大破の説明は、いさなにとって素直に受け入れられるものであった。
村の外への憧れがないと言えば嘘になるが、いさなは今の生活に不満を持ってなどいなかった。
徐々に自分の意思を侵そうと囁き誘う自由への渇望こそ、『誰か』の声であると言われた方が納得できる。
自分達も同じ存在であるという大破の言葉の説得力は、戦闘態勢を取っていた宇佐・紅葉(紅蓮浄焔・d24693)やザフィアトの姿が一役買っていた。
突拍子のない話であっても、自分が異形化しつつあることを確認してしまったいさなにとって、信じるに足るだけの材料である。
「神を祀る神聖な場所で暴れんのは、巫女として不本意だろ? 広くて邪魔の無い境内に行こう」
そう言って紅葉は、湖に浮いた島の上に建つ神社に続く桟橋のような石畳の参道を指差した。
意外なほど、はっきりとした受け答えのできているいさなだが、その外見は既に羅刹のそれに近い。
未来予測では、彼女自身に殺意があったわけではないのに、この後で彼女は衝動に負けて両親を殺害してしまうはずだった。
儚く佇んでいるように見えるいさなの内心では、今もきっとダークネスの誘惑に抗い続けているのだろう。
それを予想し、言葉を交わすことで察しているからこそ、紅葉達は最初から人間形態のまま接触せずに、臨戦態勢を取っているのだ。
紅葉の言葉に頷くと、いさなは静かにゆっくりとした歩調で、灼滅者達の後についてきた。
●鬼退治
「申し訳ありません。もう長くは抑えておくことはできないでしょう。どうか皆様、逃げるか……私が誰かを手にかけてしまう前に……」
参道の中ほどまでついて来たいさなは、苦しそうに胸を押さえながら蹲る。
「呑まれるな。もしお前さんがその闇に打ち勝つことを望むなら、俺達が手を貸してやれる」
いさなに抑え込まれたダークネスが、無理矢理に体の主導権を奪って、彼方の槍を反射的に手で掴むが、回転する穂先に手の平の肉が抉れて血が飛び散った。
「気をしっかり持って下さい。対抗するには負けないこと、自分自身に負けないことです」
大破の槍を反対の手で掴むが、その動きは彼方や大破と大差がない。
そこにダークネス特有の圧倒的な力の差を見ることはできない。
「皮肉なもんだよな……神を祀る巫女が鬼を宿しちまうんだからよ。でもな、鬼退治も俺らだけじゃ無理なんだよ。上海さん……あんたの強い心が一番必要なんだ。だから、俺らに力を貸してくれ! んで、一緒に鬼退治と行こうぜ!」
紅葉はいさなを飛び越えるように宙返りをしながら、縛霊手の爪を使い殲術執刀法でいさなの角の1本を摘出する。
「自由になりたがっていたのは、お前の中のダークネスだったか。だが、その闇を討ってお前を自由にしてやるには、お前の意志が必要だ。諦めるな!」
無数の帯状になった空是の影業が、いさなを覆おうとするが、ギリギリのところで、いさなは強く石畳を蹴って後方に跳躍し、その攻撃を躱した。
「ここまで耐えてこられたんだ。ボクも出来る限り協力する。だから、戻っておいで」
小鳥は小柄な体を利用して、低く低く姿勢を保ちながら走り、通り過ぎ様に殲術執刀法で、いさなの異形化した腕の肉を抉り取る。
「灼滅者になっても、いいことばかりじゃない……でも、みんなと、力を合わせるれば、きっと楽しいことも、嬉しいことも、沢山あるから。こっちに、戻って、きて……!」
仲間達の連続攻撃に、いさなが硬直したところを狙って、セレスティのマテリアルロッドが強襲し、いさなの体を芯で捉えて吹き飛ばすが、それを追撃する魔力爆発を、いさなは参道を転がるようにして回避した。
「…………」
いさなの体を動かす羅刹は、灼滅者達をぐるりと一瞥すると、空是を狙って鬼神変で異形化した腕を振りかぶり突進した。
しかしその動きは、ダークネスの動きというには、些か精彩を欠いていた。
異形の拳が空是に振り下ろされるより早く、ザフィアトが間に割って入って、その拳をガシリと掴む。
「御前がそのまま闇に堕ちるっていうなら、私は御前を本当に冥府へ連れていかなきゃなんねぇ。俺たちに頼れ。絶対に救い出してやる」
額と額をつけるほどの至近距離で視線を合わせながら、ザフィアトはいさなに呼びかける。
その間にも、ザフィアトの節々は軋み、足が石畳を割って沈んだ。
いさなの意思の力が、ダークネスの力を抑え込んでいるとはいえ、その一撃は決して軽いものではない。
「上海いさな、お前さんはどうしたかったんだ……! 思い出せ……!」
彼方は槍の石突きで、いさなを突き飛ばし、ザフィアトから引き離すと、妖冷弾による連撃で、貫いたいさなの四肢を凍りつかせた。
「それがたとえダークネスに植えつけられた願いであったとしても、自由になりたい、外にいきたいと思うことは悪いことではないのですよ。無理に押し込める必要はございません。それを抑えつけず、受け入れてもいいのです」
充は天使の歌声でザフィアトの傷を癒やしながら、いさなに呼びかける。
羅刹によって引き起こされる衝動も、それをいさな自身の願いにしてしまえば、それは闇に抗うための強い人間としての意志となるだろう。
「自由になりたい、それはもしかしたら貴方も心の奥で思ったのかもしれません。ただそれは、今を壊してなろうとしたものではないはずですし、貴方自身が犠牲にならなければならないほど、悪い願いではありません」
大破の振り抜いたマテリアルロッドが、いさなを水面を切る小石のような勢いで転がし、そのままの勢いで湖まで転がって盛大に水柱を上げた。
「あんたが人間としての意識を保ってる間に、親殺ししようとするふざけた羅刹を祓ってやる。よく見てな、俺みたいな人造灼滅者だって闇は祓えるんだ……この次は、あんたが人の闇を祓う番だぜ!」
紅葉は、いさなを追いかけて湖に飛び込むと、馬乗りになりながら、至近距離から制約の弾丸を、いさなに撃ち込んだ。
「こんなことはお前が犠牲にならなくてはならないほど、大それたことではない。安心しろ。俺達が最後には、笑って終わらせられる様にしてみせるさ」
紅葉と入れ替わるように踏み込んだ空是の鬼神変が、再びいさなを湖面に叩きつける。
「いい加減、上海さんを解放してもらうよ」
小鳥の放った冷たい炎が、夜の湖面を染め上げ、ユラリと立ち上がったいさなの足許を凍りつかせた。
「上海さんは、きっと、こんな戦い、望んでない……だから、貴方は、早く、眠って……!」
戦闘前に言葉を交わしたいさなは、物静かで争いを望むような少女ではなかった。
氷に足を取られて身動きの取れないいさなに、セレスティの渾身の鬼神変が炸裂する。
その一撃でダークネスの力は失われ、黒曜石の角や異形化した腕が、闇に溶けるように霧散し、いさなは元の姿に戻った。
●学園への招待
「よく戻ってきてくれた。歓迎するよ」
小鳥は湖から、いさなの手を引いて、参道に引っ張り上げながら、安堵の表情を浮かべる。
「私達の学園に来れば、力の使い方も習えますし、同じような境遇のご友人もできるかと」
充は、いさなが落ち着いたのを確認してから、武蔵坂学園について説明をした。
「世界は私にも宿っていた闇、ダークネスに支配されているのですね。そして灼滅者となった私は、皆様の集う武蔵坂学園に行くべきなのでしょう」
いさなは静かに瞳を閉じながら、自分の中で確認するように、充から説明されたことを反芻する。
「難しいことは後だ。ま、新しく踏み出した一歩に乾杯って事で」
彼方は缶コーヒーを取り出すと、それを軽く放っていさなに渡す。
「…………?」
缶コーヒーを無事にキャッチしたいさなであったが、不思議そうに缶を色々な角度から眺める。
「缶コーヒー、初めて見るのか。こうするんだよ」
たぶん知識がないわけではないのだろうが、この村には自販機がなく、いさなは缶コーヒーを見るのは初めてなのだろう。
彼方は自分の分を取り出すと、プルタブを開けて、いさなの目の前で飲み干して見せる。
「ありがとうございます」
いさなは、彼方に倣って缶コーヒーを開けると、少しづつ口をつけた。
「すぐに出発しなきゃならないわけじゃないけどさ、親御さんに挨拶してきなよ……帰りを待っていてくれる人がいるってのはいいもんだぜ?」
「はい、そうですね」
紅葉の言葉に、いさなは微笑んで返すのだった。
作者:刀道信三 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年7月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 3/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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