暴食のナスターシャ

    作者:さめ子

    ●夜の街にて
     ゆらゆらと左右に揺れながら歩く、背の高い女性が一人。人通りも随分と少なくなった真夜中のオフィス街を、妙に危なっかしい足取りで歩く。
    「ふふ……ふふふ……」
     釣り上げた赤い唇からは、熱に浮かされたような含み笑いが零れ落ちる。
    「自由って、なんて素敵なの……でもだめね……とてもとても、こんなのじゃあ足りない……」
     べろり、と唇を舐めた舌は街灯の下で不吉なほど赤く映える。白く、折れそうなほど細い首には、どこか不釣り合いな忌まわしい意匠の首輪がはめられていた。
    「もっと……もっと、たくさん、御馳走を探しに行かなきゃ……」
     おなかが空いてちゃ、なぁんにもできないもの。誰に聞かせるでもなく、歌うように零す。ふらり、ゆらり、どこかか弱げな足取りで夜の中を歩いて行く。
     彼女の背後、異様に静まり返った路地には、息絶えて打ち捨てられた人々の体がいくつもいくつも連なっていた。
     
    ●教室にて
     酷く青ざめた表情の園川・槙奈(高校生エクスブレイン・dn0053)が、集まった灼滅者達に向かって重々しく口を開いた。
    「皆さんに、ヴァンパイアの灼滅をお願いします」
     新潟ロシア村の戦いのあと、行方不明になったロシアンタイガー捜索しようとヴァンパイア達が動き出している。そのうち、『奴隷化』されたヴァンパイアが捜索の為に放たれたが、彼らはたまった鬱憤を晴らすため、自らの楽しみを優先してあちこちで凄惨な事件を引き起こしていた。
    「現れたのは『ナスターシャ』という名前のヴァンパイアです。他のヴァンパイアに比べると『大食漢』、とでもいうんでしょうか。開放されてから今までにたくさんの人の血を喰らい続けて……既に、何人もの犠牲者が出ています」
     沈痛な面持ちの槙奈が、ぎゅっと胸の前で手を握った。
    「彼女は、空腹が満たされればロシアンタイガーの捜索を始めると思います。でもそれまでには一体何人が犠牲になるか……。今、ここで彼女を止めなくちゃいけません」
     現れるヴァンパイアは、おおよそ20代半ば、黒髪のショートヘアで背は高く、ほっそりとした女性だ。
    「ですが見た目に騙されちゃダメです。能力を抑制されているとはいえ、相手は強力なダークネスです」
     ダンピールと同じサイキックが使えるようだが、とにかく隙あらば吸血したがる傾向がある。離れていても一瞬で距離を詰めてくるので油断できない。
    「現れるのは真夜中のオフィス街です。彼女は常に吸血する人間を探しているので、灼滅者のみなさんが連なって歩いていれば間違いなく向こうから寄ってきます」
     また、彼女は空腹を満たすことに非常にこだわっている。たとえ不利な状況でも灼滅者たちから逃げ出すことは考えないだろう。
     酷く真剣な顔で、槙奈が続けた。
    「これ以上の犠牲を出さない為に、お願いします。今の皆さんなら十分に戦える相手です。でも、どうか、気を付けて……」


    参加者
    九条・雷(蒼雷・d01046)
    色射・緋頼(兵器として育てられた少女・d01617)
    米田・空子(ご当地メイド・d02362)
    神乃夜・柚羽(燭紅蓮・d13017)
    スィラン・アルベンスタール(白嵐の吸血鬼・d13486)
    キング・ミゼリア(シーサイドフェアリー・d14144)
    天城・翡桜(碧色奇術・d15645)
    馬鞍・由岐(中学生火遊び主催者・d20766)

    ■リプレイ

    ●真夜中の街
     真夜中のオフィス街通りを街灯が明々と照らす。しかし、ふと路地を覗き込めば奥が見えない暗闇が広がっていた。すれ違う人もほとんどいない。
    「いやあ、いろいろ聞けてほんま勉強になるわぁ」
     馬鞍・由岐(中学生火遊び主催者・d20766)の声が、静かな街に反響する。今回の敵は、向こうから寄ってくる。それなら待っている間ベテラン灼滅者に色々と話を聞いておこうと考えたのだ。こちらの居場所を知らせるついでに自分の勉強にもなる、一石二鳥の作戦だ。話が一段落したところで、由岐はゆっくり辺りを見渡した。
    「……そろそろ来てもええ頃やな」
    「うーん、なんだかもう近くに居そうですね」
    「ええ、近いですね」
     きょろきょろと周囲を探索している米田・空子(ご当地メイド・d02362)に、すぐ隣の色射・緋頼(兵器として育てられた少女・d01617)が、小さく頷いてスレイヤーカードを取り出した。
    「それでは、灼滅者の役割を果たすと致しましょう」
     灼滅者たちが次々に足を止め、オフィス街がしんと静まり返った。こつん、と響いた足音は、思っていたよりもずっと近い。すぐさま九条・雷(蒼雷・d01046)が殺界形成を発動する。ほとんど同時にゆらりと姿を現したのは、細見の女性――ナスターシャだった。スィラン・アルベンスタール(白嵐の吸血鬼・d13486)のサウンドシャッターが、瞬く間に周囲をおおう。
    「はァいお姉さん、素敵な夜だね」
     にっと口端を釣り上げた雷に、ナスターシャが夢うつつのような顔で微笑んだ。
    「ええ……今日は、いい夜だわ……」
     街灯の下、禍々しく赤い瞳が、武装した灼滅者たちをゆっくりと見渡す。
    「こんなにたくさんごちそうがあるって、とっても素敵ね」
    「ねぇ、知ってる? 『暴食』って大罪の一つだってコト」
     まるでひるむ様子もなく舌なめずりしたヴァンパイアがキング・ミゼリア(シーサイドフェアリー・d14144)に向かって薄笑いを浮かべる。真っ赤な唇から牙がのぞいた次の瞬間、細い体が灼滅者たちの中に飛び込んだ。狙った先は、一番後方に構えていた由岐だ。
    「なん……っ!」
    「由岐さんっ」
     考えるよりも早く天城・翡桜(碧色奇術・d15645)の身体が動線へと割り込んだ。肉薄したナスターシャと至近距離で見つめあう。まるで時間の流れが止まったような錯覚の中、剥き出した牙がひどくゆっくりと迫ってくるのが見えた。
    「させませんっ!」
     空子のワイドガードがナスターシャと翡桜の間に展開され二人を強引に引き離す。とっさに飛びのいたナスターシャに向かって、キングの振りかぶった腕が叩きつけられる。頼りない細身では耐えられるはずもないのに、わずかにたたらを踏んだのみで顔色一つ変えずに唇をぬぐった。
    「お食事中に邪魔するなんて、悪い子ね」
    「吸いつくして放置する貴女のほうが、食事マナー的に宜しくないですよ!」
     神乃夜・柚羽(燭紅蓮・d13017)が影喰らいを放つ。続けざまに緋頼のフリージングデス、そして雷の拳がナスターシャを襲った。
    「そんなに酷い血の匂いさせて、まだ足りないの? あたし達と遊ぼうよ、どうせなら若くて血が豊富な方良いでしょ?」
     パシッと打ち鳴らした拳からは、宿った雷激が火花のように散った。
    「ただしお腹を壊さない保障は欠片もないよ」
    「ふふふ、それはとっても怖いわ」
     にこにことしたナスターシャが、ふらりと体ごと首を傾ける。こちらを睨みつける灼滅者たちにまるで臆した様子もない。いっそ無邪気にすら思える軽さで続ける。
    「じゃあ、まずは味見からしなくちゃ。ねえ、あなたはおいしいかしら?」
    「血が……欲しいのか?」
     チェーンソー剣『望み、餓える者の墓標』を構えなおしたスィランが切っ先をナスターシャに向けた。鋭い灰色の視線が、笑う吸血鬼を貫いた。
    「俺は……お前の血が、欲しい」
     
    ●血に飢える
     鮮血色のオーラを帯びた『墓標』がナスターシャの体を斜めに切り裂いた。
    「血を……飲みたい、か。俺もそれ……分かる。アイツが……同族の血を、血肉を……『貪り尽くせ』と、俺の中から喚いてる」
     パッと散ったナスターシャの血をペロリと舌で舐めとり、衝動を全開にしたスィランが吼えた。
    「今日……俺は、宿敵を……『喰う』!」
    「ほらほら、まだお腹減ってるでしょう? 死ぬほど血に溺れさせてあげる」
     一瞬ひるんだナスターシャに、すかさず雷が切りかかった。バトルオーラ『 You are not eye 』をその身にまとったキングが、くらりと体制を崩したナスターシャへ一気に詰めよる。
    「逃走の心配がないのはありがたいわ。だって確実にアナタを仕留められるんですもの」
    「ええ、これ以上被害を増やす前に、灼滅させてもらいます」
     キングの、そして緋頼の拳が細い体に捻じ込まれた。
    「容赦が必要無い相手は好きです。思いっきり潰しに行けるので」
     注射器を華麗に操る柚羽が、宣言通りに容赦なくナスターシャへと殉教者ワクチンを打ち込んだ。続けざまに攻撃を受け、さすがのヴァンパイアも体勢を崩して片膝をついた。
    「ああ、もういや。これじゃあもっとお腹すいちゃうわ」
     どこか悲しげに零したナスターシャだったが、緋頼は嫌悪感を露わにして冷たく言い放った。
    「吸血は許しませんよ。ましてそれを愉しむ奴なんて……。貴女のやってきたこと、絶対に許せません」
    「自分の欲望を満たすためだけに、罪もない人が死ぬなんて、あっちゃいけません」
     ビハインドの唯織が、翡桜に寄り添う。タイミングを合わせて飛び出し、翡桜が縛霊撃を、そして唯織が霊障波を放つ。
    「あーもう! せわしない!」
     おもわず叫ぶ由岐も、指先の光を味方へと打ち出しながら戦場を駆け回る。
    「次はどちらさんが入り用やー?」
     同じようにナノナノの白玉ちゃんも忙しそうにあちこちを飛び回った。
    「空腹を満たしたい欲求はわからなくもないのですけれど……」
     柚羽が傷口を乱暴に振るう。隙あらば噛みついてくるヴァンパイアの、鋭い牙の痕が残る腕を見下ろした。
    「血を吸いつくして殺してしまったら、もう同じ味は楽しめないですよ勿体無い。生かしてまた次の機会を得たいとは思わないんでしょうか」
    「たしかに食い散らかしって美しくないなァ、品のない吸血鬼なんて居るんだね」
     肩をすくめた雷が、拳を握りなおしながら言った。
    「まァ、そんな感性を求めたって無駄かな。ちょっとマナーを教えてあげようか、レディの基本だよ」
     長い三つ編みを残像の様になびかせる。
    「……今後使える機会があるかどうか、それは分からないけど」
     戦いに酔いしれたような色を瞳に浮かべ、雷の黒死斬が閃いた。よろけた敵に向かってクルセイドソードを構え、しかし柚羽は声を掛けた。
    「貴女は一体何処から来たのです? 突然沸いたわけでは無いでしょう?」
     口端からこぼれた自分の血を舐めとりながら、ナスターシャはうっとりと微笑んだ。
    「素敵な問いかけね。何処から? ……そうねえ、たくさん歩き回ったわ」
     それはまるきり言葉遊びだった。柚羽は肩をすくめ、そうして瞬時に戦闘へと頭を切り替える。どれだけ切られても叩きつけられても、顔色一つ変えないヴァンパイア。しかしそのダメージはゆっくりと、確実に彼女の体を破壊し始めていた。
    「はあ、もう、全然おなか一杯にならない……」
     ペタリとへこんだ腹を押さえ、苛立ちを滲ませるナスターシャ。スィランはその飢えをよく知っていた。
    「その渇き……分かる。だから……俺はそれを『喰って』、強くなる!」
    「向うには向うの理屈があるんやさかい、お腹空くんはわかるけどな。それと同じで、ウチらにも正義があって、そんなん許すワケにはいかへんねん」
     そう話す間も由岐は皆へと祭霊光を打ち出し続ける。
    「ほんでアレやろ?仕事サボって食べ歩きしてはんねやろ? 食われてる方が言うんも変やけど~……ナメてんちゃうで、アンタ」
     じろり、と睨む先には薄笑いをやめないヴァンパイアの姿。
    「誰かの軛から逃れて『自由』を感じるのは確かに爽快よね。でもだからといって何でも好き勝手にやってもいいワケじゃないのよ」
     自由とは全ての制約から解放された状態の事ではなく、一定の制約の中で束縛なく動き回れる状態の事を指すのかもしれない。そうキングは考える。
    「……アナタにもアタシにも多分見えない鎖がどこかに付いていて、その長さの中でしか動けないの」
     キングの言葉を聞いても、ナスターシャはただ曖昧な笑みを浮かべただけだった。
     
    ●血を満たす
     唐突に、空子が懐からあんぱんを取り出した。
    「お腹が空いているのでしたら、空子のあんぱんをあげるのですよっ」
     意外なことに、ナスターシャは空子のその言葉に振り返った。次の瞬間にはすでに間合いを詰められていた。
    「ありがとう、うれしいわ」
     満面の笑みで礼を言いながら、ナスターシャが空子のあんぱん……を持った腕を掴む。腕がみしりと鳴った。
    「ち、ちがいますよ、あげるのはあんぱんですよっ? きゃーっ!」
     防ぐ間もなく噛みつかれて空子は悲鳴を上げた。
    「これ以上はさせません!」
    「ほらーボケッとしてたらアカンでー!」
     翡桜が強烈な回し蹴りを浴びせ、さらに由岐のガトリング連射を喰らってさすがのヴァンパイアも空子から距離を取る。
    「くうぅっひどいですっ、でも血を分けて差し上げたんですからボスコウの情報か鞍馬天狗の作戦について教えてください! なにかご存知でないですか?」
     転んでもただでは起きないのがご当地メイド。痛む首を抑えながらも気丈に質問をぶつけた。慌てて空子の元へ飛んできた白玉ちゃんが一生懸命にふわふわハートを飛ばす。
    「……ん、その名を聞くだけで嫌な気分ね……」
     ナスターシャはボスコウの名に眉をしかめこそしたが、それだけだった。緋頼も問いかけをなげる。
    「貴女は、上のヴァンパイアが何を企んでいるか知っていますか?」
    「さあ……どうかしら。教えてあげない」
    「そう? 本当は、下っ端で知らされていないのでは?」
     ぎろりと動いた眼が緋頼をとらえる。緋頼の挑発を無視できなかったようだ。
    「ええ、そうね。でもそんなこと貴女に言われたくないわ!」
     まなじりを険しくしたナスターシャが、一足飛びに緋頼へと掴みかかる。しかしわずかに早く放たれた氷の魔術がそれを阻んだ。ギリギリのタイミングでカウンターを成功させ、緋頼は無意識に詰めていた息をはいた。
    「メイドキック!」
     空子がふわりとメイド服をひるがえしてジャンプキックをお見舞いする。翡桜もエアシューズの軌跡を流星のように煌めかせ、飛び蹴りを炸裂させた。
    「宿敵……ヴァンパイア。全部……全部、『喰らってやる』!」
     相手の存在そのものを喰らい尽くそうとする『貪喰』の衝動のまま、スィランは凄まじいモーター音を響かせた。唸りを上げて襲いかかる巨大な墓標、その切っ先は狙い違わずナスターシャを引き裂いた。
    「これで、終わりですね。成敗!」
     緋頼の閃かせた銀糸がナスターシャに絡みつく。ごとん、と落ちた片腕が、陶器の様に砕けた。
    「暴食の報いは消えて償って下さい」
     柚羽の影業がナスターシャを飲み込む。
    (「何らかの束縛があるからこそ『自由』が欲しいと熱望するものなんでしょうね」)
     キングが片腕を叩き付けたまま、ナスターシャに向かってぽつりと言った。
    「……欲しかったのね、自由」
     ヴァンパイアが、ニコリと笑った。パリパリと音を立てて亀裂が広がっていく。
    「……いやだわ……空腹なのは、嫌いよ……」
     ふう、とため息のように零したのが、最後の言葉になった。
     
    ●灰の降る夜
     かろうじて形を保っていたナスターシャはついに自らの灰の中に崩れ落ちた。くずれ、風に舞い上がる灰の山を見下ろして、キングが小さくつぶやいた。
    「少しは満喫できたかしら。鎖付きの、自由を」
     さらさらと砂のようにほどけてゆく灰を、スィランはじっと見ていた。
    「お前でも……ダメみたいだ。俺の……『餓え』は、治まらない」
    (「どれだけ『喰らって』も満たされない。これを満たすのは母の姿をしたヤツだけだと、体の内から叫ぶ『貪喰の』アイツ……」)
     自らの内なる吸血鬼に思いをはせ、スィランは目を伏せる。雷が周囲を軽く見渡し、けれども静かなオフィス街には怪しい影は見当たらない。半ば以上風にとけた灰の中から、埋もれた首輪をすくい上げた。実に趣味の悪いアンティーク風の首輪が雷の指先で揺れる。
    「よき主だったら、所有された者は主の為に忠実に動きますよ。首輪なんていらないくらい」
     柚羽が首輪を見つめる。
    「でもこのヴァンパイア、先に自己の欲を優先して動いたという事は、よくない主なのでしょうね」
    「きっとそうなんでしょうね。空子だって素敵なご主人様なら一生懸命お仕事がんばりますもの」
     うんうん、と頷くメイドさんの謎の説得力。緋頼と翡桜が顔を見合わせて小さく笑った。
     ふう、と由岐は大きくため息をついた。
    「夜中やけどお腹すいたー。誰かお茶いかへん?」
     どことなく張りつめていた空気を緩ませる、明るい声。なんとなくホッとした雰囲気になった灼滅者たちは、緩やかに灰の舞い散る静かなオフィス街を後にしたのだった。

    作者:さめ子 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年7月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ