学園祭2014~大輪の雫が消えるまで

    作者:鏑木凛

     骨まで濡れてしまいそうな暑さの中、二日間にわたり開催された学園祭。
     青春を色濃く残した時間だ。
     クラブ企画や水着コンテストといったイベントで盛り上がり、準備のときから続いていた夏らしい気候の下で、すべては滞りなく進められた。
     そうして過ぎていった思い出はまだ新しく、つい今し方の出来事のように蘇らせることができる。
     まだ余韻に浸っているのだ。夏に灯す線香花火のように、徐々に光は小さくなろうと、決して心の奥から消えることのない思い出の余韻に。
     だからこそ、学園祭当日の夜であるこのひとときを、彼らは打ち上げのために使う。
     まだ、余韻が消えぬうちに。
     
     下駄箱から、玄関ひとつ隔てて広がるグラウンド。
     陽射しこそ眠りに就いたものの、若者たちはまだ眠らない。
     火の使用許可がグラウンドに出たこの日の夜、照明の下にはバケツや花火が置かれ、企画の出し物だろうか飲食物を持ち寄る学生たちが、姿を見せ始めた。
     学園祭が一段落した時間、彼らがグラウンドへ集った理由は他でもない。
     夏の夜に、花を咲かせるためだ。光の花を。
     それは大小を問わず開く傘。手元で、或いは足元で、或いは見上げた空で。それぞれの想いを、それぞれの祈りと共に開き、そして閉じることなく散っていく光の雫。
     企画を終えたお祝いに。学園祭で紡いだ絆の記念に。それとも何気なく。
     多くの理由を抱いて、光は花開くときを待っていた。
     グラウンドの一角から駆け寄る者、校舎の傍から友と足並みをそろえて向かう者。理由だけでなく、方角ですら疎らで。
    「キミも、花火を見に行くのかな?」
     下駄箱へやってきた学生――君へ、狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)が声をかけた。
    「……あ。花火をしに行くのかな?」
     花火大会ほど大きくは無いが、家族用の花火も打ち上がる。それを眺めるだけでも、素敵なひとときを過ごせるだろう。
     或いは、小さな花火を持って、自らの手で灯すか。
     どちらの楽しみ方もできるのが、学園祭の打ち上げならではだ。
    「僕はあそこへ行くんだ。楽しもうね、互いに」
     一足先に靴へ履き替えていた睦は、お先に失礼、と最後に告げて、校舎の玄関を潜っていった。

     場所は、花の光がこぼれるグラウンド。
     時間は、大輪の雫が消えるまで。

     さて、君はどうしようか?


    ■リプレイ


     空に消えていく色とりどりの花があれば、地上に咲き乱れる小さな花もある。
     人から人へ継がれていく炎は、光を絶やさぬよう彼らが身につけた――絆。

     白花が闇に淡く浮かび上がる。駆け寄るレティシアの辿った道に、白き花がはらはらと舞い落ちた。浴衣の柄が、あまりに夏の夜に眩くて。遠くからでもレティシアだとわかり、郁は頬を緩めて到着するまで待った。
    「花火買ってきたけど、する?」
     息が上がっているレティシアへ飲み物を差し出し、郁が尋ねた。そんな郁が抱えていた手持ち花火を見て、レティシアは驚く。小さな手持ちの花火に初めて触れるレティシアは、好奇心で瞳を輝かせながら頷いた。
     ねずみ花火に追い立てられる『吉祥寺高1-2』では、主に響斗と悠矢が賑やかな声をあげていた。点火の際に間合いを取っていた雨衣は、幾つものねずみ花火が弾ける中、自らもそれに狙われないように注意を払いながら、蛇玉を置いていく。置いたからには勿論、すべてに火を点ける。突如として出現する無数の黒蛇と立ち込める煙に、響斗と悠矢がまたもや大口を開けた。
    「「うわぁあぁぁ!!?」」
    「……あれ? ちょっとした、大惨事……?」
     思いのほか、大量に用意した蛇玉の見た目にインパクトがあり、ねずみ花火と混ざって、『吉祥寺高1-2』は打ち上げ花火を堪能する前に、暫し片づけに追われることとなった。
     楽しそうな笑い声と共に。
    「グルメストリート3位入賞おめでとう!」
     炎と同じ色の瞳を揺らして、『たこ焼き屋『魚立早』』の朔耶が盛大に言葉を掲げた。リキも祝いに応じたのか、拍手に自らの鳴き声を混ぜる。
     店へ来てくれたお客様が満足してくださったおかげなのだと、ギィはしみじみとこの二日間へ想いを馳せた。そんなギィへ冷えきった飲み物を手渡した明日等は、花火を配っていた七葉を見遣る。丁度七葉も、配り終えたところだ。間もなくそれぞれの手持ちから、同時に火が噴きだす。輪になった彼らが生み出す花が、ぱちぱちと弾けて落ちていく。
     この輪の中に入ってもいいのだろうか。日が浅いことを理由に踏み込むことを躊躇っていた凛は、それでも、輪の中から抜け出さない。迎え入れてくれた皆のことを想い、黙って灯りへ胸の内を寄せる。
     ――私、役に立てたかな。
     灯りはやがて、凛の手の中で燃え尽きた。
     挨拶と片づけをするので精一杯だったと、架乃もまた学園祭を振り返っていた。だから他の皆が輝いて見えたのだ。その横ではさやかが、自分は学園祭でどうだったか、一つずつ思い返していた。巨大パフェの完食に挑み、特大チーズケーキを食べ、かき氷や抹茶羊羹で暑さを紛らわしていたと思い出す。蘇った二日間の思い出を前に、さやかは頭を抱えた。
    「……食いもんのトコしか行ってねぇ……!」
     さやかの言葉に、皆の口から楽しげな笑い声が零れる。
     打ち上げましょうと促したギィに頷き、明日等が用意しておいた打ち上げ花火へ火を近づける。耳を揺らす炸裂の音。夢のように儚く咲いた、一輪の花。夜を飾る光はしかし、すぐに命潰えてしまう。学園祭と同じだと、架乃は過ぎ去りし日々を呑み込んで、たーまやー、と声を張り上げた。二発目の打ち上げ花火にも、架乃に続いて皆で掛け声を放る。
     さて、と言葉を区切ったのはギィだ。
    「学園祭で皆が見て感じたこと、教えてはくれないっすか?」
     二日間たこ焼き器の前に居たギィの、知らないことを。最初に唇を震わせたのは七葉だ。
    「精一杯お手伝いして、同じように精一杯働き、目いっぱい楽しむ皆を見た、そんな感じの回答で良いかな?」
     さやかも続いて、他の部の企画について身振り手振りで説明する。ビハインドの朔と一緒に。
     賑やかに響く学園祭の思い出話。にあは瞼を伏せ、そっと喧噪に耳を澄ませた。惜しむ声と、楽しそうな音が耳朶を打つ。ラブリンスターの言葉を反芻しながら、芯から沸き起こる温かさに、にあは震えるほどの喜びを覚える。そして静かに瞼を押し上げ、にあが呟いたのは、
    「綿飴、食べたかったなぁ……」
     その一言だけだった。
    「たーまやー!!」
     カツァリダの掛け声が、海の断面のような空の色に溶けていく。
    「かーぎやー!」
     真咲もまた、カツァリダの傍らで叫んだ。そうしてはしゃいだ二人を睡魔が襲うまで、あと数分も無い。
     紅子が宙に光の軌跡を生む。手に持った花火の動きで描いた文字は、残像を緩く落としていく。何を書いたのかわかるだろうか。紅子がそれを奏夢へ問えば、当人の目の下が仄かに赤らんでいると気づいた。してやられたな、と奏夢が頭を搔く。そして天高く打ち上げられた光弾が花を咲かす瞬間に合わせて、紅子の耳へ返答を囁いた。
     学園祭の熱が、まだ深く空気に染みている。
     滅多に花火を見てこなかった憂は、志郎へ手本をせがむ。すると志郎は、抓んだ花火の先端を宙へ向ける。噴きだす光がちりばめられ、闇に残像を落としながら描いたのは、ハートの形。目をしばたたかせた憂は、光の軌跡を理解した途端、弾けんばかりの勢いで志郎へしがみつく。そして手の甲へ這わせた指で、しかと肌を包む。なぞり伝えたのは、志郎が見せたのと同じ形。不意に、志郎は仏頂面をくしゃりと歪めた。
    「やっぱ、お前には敵わねェわ」
     灯るのは、火薬の匂いだけではない。はじめの夏に灯る心は、その瞬間を共有した者たちだけの――。
     永遠は何処にも売っていないと、そう告げられたのはいつだったか。赤音は目を細め、ただ散り行く火花を見つめる。一滴一滴が眩く光る。時間で言えば一瞬ともいえる炎。その花火は特別製なんだと囁いて間もないシンへ、目は向けずに念を押す。
    「簡単にくたばるんじゃネェですよ」
     一瞬、長生きのおまじないがかかった花火が、強い色彩を放つ。すぐには返せず、シンは火の勢いが治まった頃に漸く、声を発することが叶った。
     ――覚えている。隣にいてくれたことも。一緒に見つめた、この火のことも。
     喧騒からは少し遠く、静けさに包まれて過ごす者も少なくない。
     綺麗だけど儚い。そう線香花火を称したのは拓馬だった。人気を避けたグラウンドの片隅で、静かに過ごす夏の夜。拓馬の呟きに、樹は夜の熱気を吸い込んでから、こう言った。
     それはね、儚いから綺麗だって思えるのよ、と。
     一通り遊んだ小太郎と希沙は、並んで線香花火を見つめていた。幻覚ではないか。夢ではないか。もしかしたら錯覚かもしれない。互いが、互いに、恐れていた。散り行く大輪を寂しく感じるように、名残惜しさはあるのに、伸ばせずにいた。ずっと。もうずっと、長いこと。だから跳ねる鼓動を厭わずに、小太郎が意を決した。
     ――もう少し、隣にいてくれますか。
     吸い込んだ温い空気で、喉から出た声が掠れる。汗ばむ肌を撫でていく夜風に、希沙は頬に纏わりついた髪を払って。
     喜んで、と。短く、その一言だけ口にした。
     生彩に富む学園だとセレスが感じたのは、今日が初めてではない。藍色の眼に映る、花の色艶。せっかくだからとセレスは睦を花火へ誘う。手持ち花火は初めてで、と花火を摘まみながら惑うセレスに、睦はにこりと微笑んで、持つの逆さまだよ、と告げた。


     甘く、爽快な時間。それはクラブの雰囲気のように。
     瓶サイダーを花火の光に照らしながら、颯音が『つれてふ』の皆の前でそう口にする。カナさんて、実はポエマーですよねと流零が感想を述べると、颯音は咄嗟に胸元を押さえた。ぐさっときたらしい。そんな颯音に構わず、すずりや蓮静は持参した食べ物を広げだす。綿菓子とフローズンフルーツだ。合わせて櫟も持ち帰り用の林檎飴を差し出した。お洒落なフローズンフルーツに圧倒されながらも、流零は夏祭りの定番――焼きそばを置く。
     思いがけないプチトマトの食感に潮が感激を口にする横で、颯音は綿飴と焼きそばに浮気をする。
    「夏ってカンジするよなー」
     夜空の下で美味しそうな匂いを漂わせる食べ物を眺め、蓮静が目を輝かせた。
     ぱっと夏の風物詩が上がったのは、そのときだ。
     すずりが煌めく花弁に見惚れる横で、颯音がお決まりの掛け声を空へ放つと、やや気恥ずかしげに潮も大きな声で同じ言葉を昇らせ、日々音も遅れずに叫ぶ。
    「「「たーまやーっ!!」」」
    「……たまや」
     響く周りの声に紛れて、櫟も掛け声を零した。少しばかり、心許ないながらも。
     本当に空に花が咲いたみたいだと、蓮静が金色の瞳に色彩を宿しながら呟く。
     それぞれが感動の声をあげるのを見て微笑んだ颯音は、そわそわと記念写真を提案した。取り出したカメラとその一言に、『つれてふ』全員の生き生きとした顔が同時に振り向く。
    「撮ったやつ、後で分けてなー!」
     そしてカメラは任せろと胸を叩いたのは潮だ。
    「勿論、後で俺も入れてくれよな」
    「もっちろん!」
     思い出を写真に残しながら賑やかな表情と声が降り注ぐ。その光景の中で、日々音は静かに瞼を伏せ、一緒に思い出を作れる幸福に、ただただ感謝を寄せた。
     同じ頃、別の場所では――。
     何を賭けよう。
     くるりと回した瞳で九里が捉えたのは、真魔の手に乗った紙皿。屋台で買い漁ってきた二人に残る、最後のつくね。
    「きゅうりちゃンたら……食いしン坊さンやね」
     くすりと笑みを零す真魔に動揺など微塵もせず、勝負と参りましょう、と九里は鋭く言い放った。ここから、実際に勝負開始となるまで、また時間を要する。何故なら、九里が長持ちする線香花火を選ぶのに、ついつい真剣になってしまったからだ。その間も、真魔は急かさず生姜麦茶で涼むばかりだった。
     緊張のあまりもじもじと身を揺らすティナを前に、重五は平然と打ち上げられていく花火を鑑賞していた。やがて、行き場を失ったティナの手が、微かに重五の手を掠める。それでもティナは視線を泳がせ、重五は動じずにいた。終わっちまうのは寂しいと息を吐いた重五に、来年も一緒に見ましょうと、それを言うだけでティナは精一杯だった。
     何だこれいいな、と興奮の声をあげていたのは『空部』の供助だ。二枚重ねの紙コップ――外側の紙コップは、紙飛行機型に切り抜け、内側の紙コップに塗られた青空と夕焼けと合わせて回せば、まるで紙飛行機が飛んでいるかのよう。シューナちゃんっていつもオリジナルアイディアが満載だよねぇ、と瑠音も紙コップを用意した本人である朱那へ、目を輝かせた。手招きして仲間を集めたアシュが、朱那へ音頭を頼む。伸ばした腕の遥か先、堂々たる姿を見せる火の花の下で、朱那は皆の顔を見回し、とびきりの笑顔を浮かべた。夜空に響く、幾つもの乾杯の言葉。
    「一杯飛んだ飛行機は見ものだったな」
     企画の思い出を想起して、供助が花火を仰ぎ見た。今は花火が昇る大空に、嘗て舞っていた紙飛行機の数々。ふと思いついたように供助は胸の内で呟いた――こいつらといる時、空見てることが多いな。
     やはり空は見ていて楽しいと、ソーダを飲み終えたアシュは盛大に寝転ぶ。何度見ても飽きない。だから明日の空が楽しみになるのだと、夜を見遣るアシュの目には、きっと今も見えているのだろう。遥か彼方まで続く、記憶に新しい空が。
     花火が再び、どんと鳴り響いた。瞬間の煌めきだけを、目に、心に残していった花火。幸太郎はふと、遠い未来へ思考を飛ばした。何十年後かにもきっと、大輪の華咲く空を知る機会が、あることだろう。そのときに蘇る空の記憶は、きっと。
     打ち上げ花火に見惚れていた瑠音は、大空を染めて、すぐさま消えゆく色彩の美しさを、そっと胸へ焼き付ける。
    「私たちが集まる時は、いつも空があるんだね」
    「そりゃ『空部』だもん」
     瑠音の言葉を掬い取り、朱那がにっと笑いながら告げた。
    「あたしたちはいつも空を見て、空と共に」
     またひとつ、赤や緑を備えた大輪が、彼らの頭上高くで咲き誇った。
     火薬の匂いが鼻腔をくすぐる。揺蕩うように丸く不安定な橙から目を逸らせないまま、茅花は息を潜めた。遠い喧騒の中、空では花が鳴き、震えが肌を伝う。重みを増した肩を見遣った唯は、そこからは存ぜぬ瞳の揺れを想像する。ただ唯に解るのは、茅花の睫毛にかかる光の粒だけ。
     叶うかな――吐息に近い音で茅花が呟いた。だから唯は、きっと叶うでしょうと祈りを乗せる。預かった頭も、それを撫でる温もりも消えない。ゆるく浸かった幸せの中で互いに願った。伝う温度が、同じであるようにと。
     昇りゆく白い光弾が、色彩を増して花開く。爆ぜた花火は闇へ溶け、堕ちていく。その様をじっと眺めながら、白馬は焼きそばをつついていた。
     ――僕の在り方は、花火とは違う。
     生死の境目を味わう大戦を乗り越えれば、穏やかな学園生活が待っている。ひとときの華でも、散るのを解りながら咲かす花でもない。
     何があろうと、どこまでも生き続けていくのだ。


    「ケーキ入刀!」
     花夜子と共に握った花火を手に、桐人の飛ばした言葉が、それだった。気恥ずかしさに桐人が赤面すると、花夜子もまるで茹で蛸のように染まる。
     付き合い始めてからの月日を思い返し、花火に灯した火が煌々と燃え上がるのを視界に捉えながら、二人は同じ想いを寄せ合った――これからも、ずっと一緒だと。
     ありがとって書いたんだぞ、とナノナノの王子を抱きしめていたのは『銀庭』の璃依だ。初めての花火にそわそわしていた湊詩が、すぐ近くでサーヴァントを羨ましそうに眺めながら、小さめの花火を手に取る。茨もまた、ビハインドのワルギリアスを他のサーヴァントの元へ向かわせて、仲間たちがうまく火を灯せるか見守る。そんな折。
    「さーて、覚悟はイイかい?」
     イイ笑顔の楸が、なんとも恐ろしい宣言を口にした。意味を問うよりも早く、楸が手持ち花火を持ったまま男性陣を追いかけだした。織玻と、マッチでの着火を試みていたまほろも、追いかけっこなら負けないと意気込んで加わる。暫し『銀庭』が騒がしくなった。あの使い方はアリなのだろうかと、銘子も首を傾ぐ。直後、それまで追い回されてばかりだった茨は、ねずみ花火を鬼ごっこの鬼たちへ向けて投げた。一目散に退避したのはまほろだ。悲鳴が断末魔のように尾を引く。
     楸と織玻が抗議の声を挙げていると、すかさずカメラを構えていた銘子が口を挟んだ。
    「写真、撮れないじゃない。ちょっとくらい止まらないの?」
     指摘された途端に大人しくなった楸たちの様子でさえ、立花は楽しそうだと胸を温かくさせて見物していた。
     そうしている間にも、茨が打ち上げ花火へ火を向けている。
    「準備はいいかな。3、2、1……イケメン!」
     着火時の妙な掛け声に合わせて、バケツの番をしていた杣と佐助、そして豆大福が、揃って一鳴きを宙へ届かせた。
     犬の鳴き声から少し遠い場所では。
     堪え切れずに蓮二の噴出した笑いを、耳まで赤く染めて鵺白が笑わないでよと抗議した。唇を尖らせる仕草さえも愛おしくて、蓮二はごめんごめんと告げながらこっそり風上に腰を下ろす。どうして線香花火はこんなに綺麗なのかしら――鵺白の紡いだ疑問に、灯したる花火がぱちぱちと弾ける。蓮二には、夜の闇に浮かんだ線香花火が小さな太陽に見えた。柔らかい橙が輪郭をぼかし、頬の生気を照らす。その横顔を見つめながら、想像する未来の中には決まって君がいるのだと、蓮二は咥内でのみ呟いて笑う。その拍子に、彼の太陽が音も無く地へ沈んでいった。
     耳を劈く轟音と眩い光に掻き消されれば、誰かに見られることも無いだろう。
     そう考え人気のない場所を選んだ流希は、目尻を指で拭いながらも、既に思考は来年の学園祭へと向いていた。
     一世一代の告白というものは、男であれば誰にでも訪れる試練でもあった。
     陽太にとって、今が正にそのときだ。振り絞った勇気で震えながら、彩澄の手を握った。雰囲気を作り、流れさえできれば、あとは――。
    「花火きれいだよねー」
     何の疑念も無く、水飴のようにとろける笑顔で言われてしまい、陽太はがっくりと肩を落とす。しまいには、この笑顔が守れるならばと、告白は結局二の次にしてしまうのだった。
     微笑ましい光景を見守る風が、背を押すように撫でて過ぎていく。
     大好き。そう紡がれる智の声を、生温い夜風が攫って行く。一年。長くもあっという間だった一年で募っていった感情。それは永久に変わらないもの。確かめるように、真琴と智は掌を合わせ、寄り添った。
    「……僕も、大好きだよ智ちゃん」
     大輪の雫が、優しく見守るかのようにちらつきながら消えていく。
     夜空の花は消えど、この想いは咲き誇る。これからも、ずっと。
     離れたところで、せーのの合図で灯された、二つの線香花火。
     丸く柔い光を放つ橙色に、仁奈と奈兎は勝負をかけていた。先にぽとりと玉が着地したのは、奈兎の線香花火。水着の感想を所望すると胸を張った仁奈に、狡いと言いながら奈兎は顔を手で覆った。感想など、ひとつしかない。可愛すぎるから誰にも見せたくない。ただそれだけを奈兎が口にするのに、少しばかり時間がかかった。
     その頃『風灯り』では、藍がなんとも穏やかな笑顔で真剣な声を発していた。
    「武藤さんの体にくくりつけて打ち上げる……どうですか?」
    「ちょ、待ってそれ熱いすっごく熱い!」
     雪緒が必死にかぶりを振ると、ウチの今年の功労者なんだから労ったげなさい、とキティが過激な行動に走りかけていた仲間たちを制する。あらゆる意味で楽しげな笑いが飛び交う仲間たちを眺めていた松庵は、来年も再来年も同じように騒げることをひっそりと願う。
     小さな花火から次第に大きなものまで灯していき、統弥は膨れていく心のように、辺り一面を明るくさせた。学園祭の疲労を体に残しつつも、キティは賑わうグラウンドを一瞥する。幸いな過ごし方。その一言で表せる状況に、自然と笑みが零れた。
     来年はちゃんと手伝わないと、と呟いた咲耶の語尾を攫って、打ち上げ花火が威勢よく飛び出す。
     空気が震える。身体の芯が震える。
     藍へ何事か囁いた統弥に返ったのは、穏やかに笑う藍の表情。そして何の前触れもなく弾けたのは、まとめてあったロケット花火だ。幾つもの光は道を描きながら昇り、天に文字通りの大輪を生む。
    「……よし。どんな戦いも乗り越えて、来年の学園祭も成功させるよっ!」
     ロケット花火が無事打ち上がったのを確認して、珠緒がぐっと親指を立てて笑う。これ以上にないほど、とびきりの笑顔で。
     ドン。またしても大きな花火が上がる。
     翳したスノーグローブから覗く光彩に目が眩み、烏芥は揺籃と共に線香花火を灯し始めた。夕陽から零れたような色。互いに好きな、空の色。何方ともなく合わせた夕陽の花が、大きなひとつの雫と化す。重ねた掌が熱を帯びる――終えるときも尽きるときも、共に。


     線香花火はいつか落ちる。それがどれだけ長く人の目を惹こうとも。
     落ちた子は見向きもされないと大空に咲く花を仰ぎ見るレーネへ、既濁は頭を搔いて言葉を手向けた。大事に思ってくれるヤツがきっといるんじゃねぇかな、と。そんな既濁を振り向きもせず、レーネは二つ目の問いを口にした。
    「咲かない華は、もう何処にもいけないですか?」
     突然、帽子越しに頭を撫でられる。
    「自分が行けなくても、そいつが華のことを遠くに運んでくれるさ」
     帰ってきた言葉に、レーネはそっと睫毛を伏せた。
     赤い粒が熱を散らしていく。あまりの儚さにイコが身を小さくしていると、届くのは円蔵の声。
    「静かに弾ける様も、玉が落ちた後の名残惜しさも」
     全部愛おしいですねぇ。
     紙縒りに輝く橙へ、円蔵がそう吐息を零す。溶け落ちる、二日間の楽しさを想いながら、イコは円蔵の言葉に静かに頷くだけだった。
     腕を引き寄せられたと信彦が察したときには、既に遅かった。触れるだけの唇が、生々しく感触と吐息を落とす。硬直した身にも構わず、奏はすぐに闇が深い方へ顔を背けてしまった。じゅぼ、と音を立てて花火に火が点く。奏の握るものだった。夜の匂いに紛れた熱が、互いの首筋を火照らせている。これではどちらも、顔色を窺うことすらできない。だから信彦は、まだ熱を帯びたままの唇を指の腹で撫でながら、来年も、と声を掠れさせて伝えた。
     爆ぜる音が闇を裂き、溢れ出す光の雨が辺りを明るくする。
     七星の服を掴んでくいくいと引っ張りながら、儚は懸命に、その音と光を伝えようとしていた。仕草のひとつひとつが愛らしくて、七星は灯した花火の火を、儚へゆっくりと分け与える。
    「お星さまには手が届かないけれど」
     分けられた光で儚が紡ぐのは、遥か天上に漂うお星さま。
    「こうすれば届くような気がしたの」
     ふわりと優しさを孕んだ空気が、七星の鼻をくすぐる。だから思わず七星は、儚の手を握りしめた。
     近くでは晶子が突然、誰かに引き寄せられていた。
    「おいおい、こっちの花火さんは随分萎れてんじゃねぇか」
     耳朶を打つ声は祭魚のものだ。がっちり組まれた肩に、思わず顔を覗き込む。
    「俺たちにゃ、高校生活最後の学園祭だろ? ほれ、あの花火さんみてぇな笑顔でいにゃ……」
     ――水ぶっかけられちまうぜ。
     高く、高く天を昇り行く光の筋を指さして、祭魚が告げる。光の筋はやがて、最高点へ到達するや否や、美しく花開いた。そうですね、そうですね、と晶子は何度も頷いた。笑みを唇へ刷きながら。
     一方、その頃。
     肩を寄せ合う二人の距離は、ゼロに近い。否、ゼロなのかもしれない。
     ジンはちらと彩を一瞥した。微かに色づいた頬に、線香花火の橙が触れている。その表情を、温もりを知った瞬間、鼓動が跳ねたのをジンは実感する。
    「これからも、二人でこうして……」
     か細い声に、思わず彩は淡い色の瞳を揺らす。動揺にではなく、溢れんばかりの幸福に。だからジンは精一杯の笑顔で応えた。これからも一緒に、いっぱい楽しもうね、と。
     夏の風が、後夜祭を楽しむ若者たちの頬を撫で、髪を浚っていく。熱い風にも負けない声を重ねていたグループもいた。
    「「「かんぱ~い!!」」
     咲哉の音頭で杯を掲げあうのは『びゃくりん』のメンバーだ。後夜祭への参加は、二日間お疲れ様という労いは勿論、彼らにとって別の目的もあってのことだった。真琴が徐に拍手を響かせる。
    「おめでとうございます~」
    「はい、鯛焼き型の誕生日ケーキ♪」
     次々と降り注がれる祝福の言葉に合わせて、向日葵が運んできたのは、鯛焼きを模ったチョコレートケーキ。思いがけない祝いの仕方と、そのケーキの形に驚いて、誕生日を迎える咲哉は目を見開いていた。しかも綺麗な鯛焼きの形。感服のあまり瞳を揺らし、咲哉は花火とは異なる優しい火を吹き消す。煙が余韻を残す間、再び拍手の波が押し寄せた。もちろん悠花は、ケーキにコセイが飛びかからないようきっちり鼻の頭を押さえ続けていて。
    「え……と、その、あれだ。あ、ありがとな。こ、コセイもケーキ食いたいのか?」
     照れの感情をどこかへ逃がしたくて、咲哉がコセイへ視線を投げる。餌付けダメ絶対、と言わんばかりに悠花が鯛焼きからコセイを遠ざける。
     その光景に、虫除けのアロマキャンドルを灯しながら、真琴は小さく笑った。
     どんっ――。
     笑い声を連れて空に花が咲く。向日葵が文太がささっと隠れてしまったことに目をしばたたかせ、そして再び夜空を見上げる。闇夜を彩る光が、皆の瞳に煌めきを刻む。
     セカイは昨年を想起した。諦めなければ叶うのだ。一人も欠けることなく後夜祭に参加できるようにと祈った嘗ての自分へ、それをすぐにでも伝えに行きたかった。だから。
    「願わくば来年……そしてそのまた次も」
     流れる星の代わりに、人々の心を震わせる大きな花へ、セカイはまたひとつ、願いを飛ばした。
     少し離れたところでも、花火を始める面々がいた。
    「千穂は何本持つ?」
    「先輩は先輩の落ち着きを見せるべく、一本ですっ」
     きりっとした表情で、朝顔柄の浴衣を纏った千穂が颯夏に宣言する。『czas』の面々だ。複数本を持つ者もいれば、一本に絞る者、色が変わるものを欲する者と、花火ひとつとっても個性に溢れていて。人様に迷惑かけるなよー、と一哉が釘を刺す。
     その忠告を聞いてか聞かずしてか、瑛多は手にした花火で単語を空へ描きあげた。チロルが、花柄の浴衣が乱れることも厭わず跳ねるように、えーたセンパイすごいと絶賛する。
    「すごい器用ね。書いてほしいのがあるんだけどー」
     千穂の頼みにも、お茶の子さいさいと胸を叩く。すずめが携帯で撮ろうかと設定を弄っている後ろで、歩夢は噴きだすタイプの花火を数本握りしめた。白地に並ぶ藤模様の浴衣が、歩夢の肌と明るい色味をぼんやり闇夜に浮かばせていて。そんな淡い色に似合わず束にした花火を着火させようとした歩夢を、すかさず一哉が制止する。止められた方は、きょとりと首を傾げるだけだ。
    「……一哉くんは、こういうときでもまじめだね」
    「いっちー、ちゃんと保護者頼むよ」
    「誰が保護者だって?」
     颯夏に煽られて一哉がたまらず言い返す。
     そうして戯れていた彼らを、すずめがカメラ片手に呼び集めた。その間にも、じめっとした空気にも負けず、息を呑むほどに昇った種が、豪勢な音を散らして花開いていく。並んで並んで、とすずめは皆を急かした。そしてひときわ大きく咲く大輪を待って、シャッターが切られる。
     光の玉が、一瞬のうちに視界いっぱいに広がった。
     今にも火の粉が落ちてきそうな、伸ばせば手が届きそうな、鮮やかな色の光が、雨となって降り注ぐ。
     けれど決して頭上には触れない。光はすぐに、褪せて消えてしまうからだ。
     束の間の輝きを、けれど学園の生徒たちはしかと見届けた。

     大輪の雫が消えるまで。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年8月5日
    難度:簡単
    参加:97人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 3
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