The library of Utopia

    作者:海乃もずく

     ――あなたの望む場所をあげましょう。
     そう言った彼女が僕にくれたのは、好きなだけいていい『図書館』だった。

     外観は瀟洒な洋館。一歩中に入れば、書斎が連なる本の館。
     大きすぎない部屋に、壁一面の本棚、座り心地のいい椅子。古書も新刊も、一般書も稀書も、読みたい本は何でもある。保存状態は良いし、バックナンバーも揃っている。
     食事は2階の食堂で、寝室は好きな部屋が使える。好きなだけ本が読める、本さえ読んでいればいい、理想の図書館。
    「館長、また、入居希望の方が」
    「うん。こちらにお通しして」
     時々、噂を聞きつけた人が図書館を訪れる。同行の士と語り合うのは楽しい。家族も仕事も全てのしがらみを捨てて、本に囲まれて過ごす。
     一度ここに来たら、帰ることはできないけれど。どのみち帰りたくないし。 
     ……そして、週に一度、裏庭の井戸に、人を1人殺して落とす。代償はそれだけ。本を愛しているのなら、たやすいこと。
     たったそれだけで、ずっとここは守られる。
     本当にあの女性には、感謝してもしきれない。
    「皆さん、お集まりでしょうか。実は……ソロモンの悪魔による強化一般人の活動を見つけました」
     園川・槙奈(高校生エクスブレイン・dn0053)切り出したのは、ある避暑地の別荘の話。
    「そこは小規模ながらも居心地のいい図書館です。ここに、ひたすら本だけと向き合っていたい人たちが集まります」
     ただ読書に耽溺しているのなら、少なくとも害はない。ソロモンの悪魔の意図は別にある。
    「図書館に住む人たちは、たびたび外部から人を招きます。その中から帰りたいそぶりを見せた人、共に読書を楽しめないと判断された人は、裏庭の井戸に落とされ、殺されます」
     週に1人の犠牲で、この図書館が維持される――この館の住人たちは、そう信じている。
     もちろん、それはソロモンの悪魔が語る根拠のないでたらめ。居心地のいい場所を餌に人を闇墜ちへと誘う、ダークネスの罠。
    「今、『館長』と名乗る人物は仮名部・史典(かなべ・ふみのり)さん、20代の男性です。救いようの無いレベルにまで闇に染まっており、この人は殺す以外の方法がありません……」
     残念ですが、と槙奈は目を伏せる。
     史典は、元は静寂と本を愛する青年で、ミステリーと純文学を好むという。大学卒業後5年間は働いていたが、体を壊して休職。休職期間が終わる直前に、この『図書館』の館長になった。
     彼の他に、館には『図書館スタッフ』として強化一般人が5名、『図書館の利用者』として普通の一般人が10名程度いる。『図書館スタッフ』はKOで元に戻すことが可能、『図書館の利用者』は『館長』がいなくなれば『図書館』から離れるだろう。
    「侵入方法ですが……皆さんは、この図書館の滞在希望者を装って、表玄関から入ってください。『館長』のもとへと案内されます」
     最初は、軽い面談形式の会話がある。図書館にずっといたいという気持ちは本当か、と問われるという。
    「無理に『館長』さんと話を嗜好を合わせる必要はありません。本好きであることに信憑性があれば、それで」
     この時点で、室内には『図書館スタッフ』5名が同席している。
    「話に興じてくれば『図書館タッフ』は別室に引き下がります。そこで音を遮断するなどして『館長』だけとの戦いになれば、こちらが有利に戦えます」
     また、『館長』の部屋に案内されたらすぐに戦闘に入ってもいい。この場合は『図書館スタッフ』5人も戦闘に加わる。
    「『館長』は魔導書相当のサイキックとシャウトを、『図書館スタッフ』はリングスラッシャー相当のサイキックを使います。館長室はそこそこ広く、戦闘には支障はありません」
     スタッフは前に出て、『館長』は後方から、それぞれ戦闘を挑むという。
    「本だけに囲まれて過ごしたい、そのために闇に染まる……それは、正気の行動ではありません。ソロモンの悪魔の思惑、どうかくじいてください」


    参加者
    睦月・恵理(北の魔女・d00531)
    遊木月・瑪瑙(ストリキニーネ・d01468)
    マキナ・マギエル(小心翼々のアルカディア・d01837)
    室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)
    雪椿・鵺白(テレイドスコープ・d10204)
    綾辻・刻音(ビートリッパー・d22478)
    ナターリヤ・アリーニン(夢魅入るクークラ・d24954)
    榎並・柚亜(人の形の魔術師・d25422)

    ■リプレイ

    ●本と暮らす館
     白樺の木立を抜けると、目的の洋館は目の前だった。
     睦月・恵理(北の魔女・d00531)は、抑揚豊かな声で滞在の希望を告げる。館長への取次はすんなり通り、恵理は静かな淑女の足取りで歩を進める。
     続く室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)も洋館の訪問者に似つかわしい、礼儀正しく静かな佇まいで。
    (「確かに、図書館にずっと居られたら素敵ですね……」)
     香乃果は書物で満たされた室内を見上げる。室内には座り心地のよさそうなソファと、対のテーブル。読書に没頭する人の姿もある。
    「ここにある本を全部読み尽くしたら、どれだけの知識が得られるのかなって、思うよね」
    「ありがとうございます。地下にも別に書庫があるんですよ」
     遊木月・瑪瑙(ストリキニーネ・d01468)の言葉に、案内の女性か誇らしげに頷いた。
     半分ぐらいは、瑪瑙の本音。もともと彼は実用書から娯楽、フィクションまであらゆるものを読む。
     館内を包むのは、心地良い静寂。
    「良いよね、静かなの」
     綾辻・刻音(ビートリッパー・d22478)がヘッドホンに片手を添えて、ぽつりと言う。雑踏は煩わしい、と。
    「ホン。たくさん、ひと。クニ。の、ものがたり。とても、ステキ。いっぱいいっぱい、よみたくなり、ます……!」
     ナターリヤ・アリーニン(夢魅入るクークラ・d24954)は瞳を輝かせ、ピンクの髪をふわりと揺らす。
    「本とは知識の源泉であり、歴史の証人であり、幻想への切符である……そういうものだと私は考えております」
     案内役の女性に話しかけつつも、マキナ・マギエル(小心翼々のアルカディア・d01837)は冷静に館内を観察する。逃走経路、出口までの距離、途中の障害物。
     雪椿・鵺白(テレイドスコープ・d10204)は、ミステリー小説の書棚にふと目をとめる。そこには鵺白も好きな作家の本が、デビュー作から新刊まで、きれいに整理されていた。
     本好きからすれば、この上もなく理想的な空間。
    「本を読み続けるのに最高の空間……」
     榎並・柚亜(人の形の魔術師・d25422)は読書好きとして、複雑な感情を抱く。
    (「惜しいね、誰かの犠牲を出すなんて場所じゃなければだけど」)
    「館長、お客さまが8人もいらっしゃいました。素敵な方たちばかりですよ」
     スタッフの女性が、扉を開けて楽しそうに告げる。
    「君がそう言うのは珍しい。歓迎するよ」
     顔を上げた『館長』こと仮名部・史典(かなべ・ふみのり)は、害のない笑顔で灼滅者たちを迎え入れた。

    ●館長と図書館
     品のいい調度に囲まれた応接室。アンティーク調のローテーブルを囲むソファに灼滅者たちは腰掛け、館長である史典と向き合う。
     館長の背には大きな窓。壁ぎわには図書館スタッフ5人が同席する。
    「……素晴らしい保存状態ですね」
     礼儀正しい挨拶に続き、恵理が続けるのは称賛の言葉。
    「本をこれ程良く保つには、さぞかし心をこめてなさっているのだと思います。見ていて嬉しくなりますね」
     当を得た褒め言葉に、館長の口もとがほころぶ。
    「此処は素晴らしいですね。本がこれだけ揃えられ、且つ『管理』された此処はまさに本好きに取っての理想郷といえるのではないでしょうか」
     マキナも恵理に同意し、場の雰囲気を友好的なものへともっていく。
     まずは歓談で館長の警戒心を解く。そして館長との話を盛り上げ、強化一般人であるスタッフの退室を促すことが目的だった。
    「君たちは、年齢も性別もバラバラだね」 
     どうしてここに来たの? と、館長は最年少のナターリヤと目を合わせる。
    「ホン。たくさん、ひと。クニ。の、ものがたり」
     つかえつかえながら、熱を込めて、ナターリヤは頷く。
    「ぼうけん、ユメ。も、タイケン、でき。わくわく、どきどき。いっぱい、つまって、おり。しらないこと。も、たくさん、しること、できる」
     うんうんと話を聞く館長は、問うように他のメンバーにも視線を向ける。
    「僕の場合は、純粋な本好きとは、少し、違うのかもしれないけど」
     瑪瑙はソファの背越しに身を乗り出す。猫被り全開で愛想良く。
    「本を読んで知識を吸収することを好んでいる、っていう方が、きっと正しい」
    「わたしが好きな本は、ミステリー系です。読みたかった本を、さっき、この舘の本棚で見つけました」
     鵺白もするりと話に加わる。真剣に、何処か楽しさも含んだ声色で。
     紅茶が入り、室内は茶葉の香りで満たされた。スタッフ達も、話が進むにつれてくつろいだ雰囲気になる。談笑の気配はしばらく続いた。
    「……ほう、そんな希少な書籍まで……是非拝見したいものです」
    「後で案内するよ、きっと気に入るだろう」
    「楽しみですね、そちらの蔵書を目にするのが」
     柚亜はそつなく、館長の好みそうな話題を選ぶ。彼の愛読書や好む作家、珍しい蔵書。
    (「裏が無ければ、きっと楽しめる会話だったのだろうけど」)
    「私、読み始めると本の世界に入り込んで、寝食も忘れてしまいがちで……」
     実際に本好きな香乃果は、素直に自分の言葉を口にする。
     会話が弾み出すと、話題の牽引役は柚亜と香乃果に移った。時折、恵理も加わる。
    「物語が終わりに近付く度、早く読み進めたい気持ちと読み終わるのが寂しい気持ちの両方を味わいます。それでもページを捲る手は止まらなくて……」
    「ああ、僕もそんな気持ちになるなあ」
     香乃果の言葉に、館長はくつろいだ笑顔で頷いた。
    「図書館って、耳障りな全てを横において、静かに一人の世界に没頭できるのが良いよね」
     刻音の言い回しは、感性に働きかけるもの。論理的なものは、苦手だから。
    「本を読むって行為自体が好きなんだと思う」
    「君は、本は何を?」
    「推理小説が好きだよ、ずっと考えてるのが好き」
     そう、と相槌を打った館長は、話を途切れるままに、しばらく何かを考え込んでいるようだった。

    ●本のユートピア
    「スタッフは2人ばかり残ってくれないか。一緒に、この客人の話を聞いてほしい」
     館長の言葉に、灼滅者達は目を見交わした。
    「話、といいますと……?」
     恵理がさりげなく水を向けると、館長は苦笑気味に頭をかいた。
    「君たちが本好きで、ここをとても気に入ってくれたことはわかった。けれど、外の世界を捨ててまでここにいたいと思ってくれているのか、判断がつかなくてね」
     その表情に、灼滅者に対する疑いの色は、今のところは見られない。ただし。
    (「『この図書館にいたい』という意思表示を、もう少しするべきでしたか」)
     マキナは内心問いながら、状況を確認する。残ったスタッフは2人。話を続けるという方法もあるが、これ以後、スタッフの退室をうながせるとは限らない。
     ……潮時だろう。
    「それでは、話の続きをしようじゃないか」
    「いや、いい。……興味深い話だった」
     マキナの視線を受けて柚亜は立ち上がり、ソファに座ったままの館長を見下ろす。
    「キミがソロモンの悪魔に取り込まれてさえいなければ、蔵書を見ながら続けたい懇談だったよ。残念だ」
     刻音は扉の前へ、香乃果は窓の前へ。
     灼滅者達は、一斉にスレイヤーカードを展開する。
    「君達は……っ!?」
    「本好きは結構だけど、やってることは結局ただの自分勝手な引き籠りだよね」
     先ほどまでとは打ってかわり、瑪瑙は冷ややかに指摘する。
     バベルの鎖を瞳に集める恵理が、サイキックソードを手に冷たく言い捨てた。
    「貴方のは結局、悪魔に楽に本を集めて貰って楽に環境を維持する、他人に支払わせるお坊ちゃま悪事。そんな事の言訳に本を使わないで下さいな」
    「君達は敵なのか!? ……いや、ここは僕が得た僕のユートピア。壊す者は排除する!」
    「館長、危険です!」
     スタッフとして残っていた、案内をしてくれた女性が前に飛び出す。香乃果の繰り出す槍が、螺旋を描いて彼女の肩口を貫いた。
     2人のスタッフへと、灼滅者は攻撃を集中させる。負傷を重ねるスタッフの姿に、館長の表情には焦りが浮かぶ。
    「ユートピア……それは存在し得ないが故の理想郷。維持の為の生贄までがシステムなら、此処は最早、管理された地獄郷でしかない」
     マキナのガトリングガンから、爆炎をまとう弾丸が次々と撃ち出される。
    「ホン、まもるため、といえど。もっと、タイセツな、モノ。うばって、よい。はずは、ない、です」
    「知ったような口を利くなあっ!」
     館長の魔導書を起点に、魔方陣がいくつも空中に生み出される。精神を暴走させる魔術の紋様が飛び出した瞬間、ナターリヤはビハインドと共にそれらを体で受けとめた。
    「すぐ治すわ、ナターリヤちゃん」
    「ありがとう、ござい、ます……!」
     鵺白の祭霊光が、素早く傷を癒やす。
    「推理小説の他に、もう1個好きなジャンルあったよ。バイオレンスなやつ」
     その間にも刻音が放つ氷の刃が、スタッフを切り刻む。
    「人が切り刻まれたりする奴かな…こんな感じに…!」
    「犠牲を簡単なことだと思うなら 君の命だって所詮はそれだけの価値なんでしょ」
     瑪瑙の右腕が鬼神に変じ、振り下ろされる。直撃を受けた女性スタッフは、床に強く叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
    「次は、君が犠牲になってみたら?」
     戯れのように言葉を紡ぎながらも、館長に向ける瑪瑙の笑みは冷たい。
    「何ということをする……!」
    「本が好きだからこそ、こんな風に本や図書館を利用する事が赦せません。決して人を殺めて良い理由になんかならない」
     決然と言う香乃果。香乃果が相対していたもう一人のスタッフが、バトルオーラの致命打でくずおれた。
     気づけば室内には、灼滅者と館長しか残っていない。
    (「私と同じ、本が大好きな人。救えないのは哀しいけれど……」)
     香乃果は祈りも似た気持ちを抱きながら、戦いを続行する。

    ●終焉
    「どうなっているんだ、誰か近くにいないのか!?」
    「残念ながら、この部屋の音は、外に届かないのよ」
     鵺白の展開する結界は、少しずつ館長の動きを制限していく。
    「ユートピア文学の描いた理想郷が今日ではディストピアに変わった様に、理想郷を楽観的に思い描いて地獄卿を作り上げたとなっては、文学史を笑えませんね」
     マキナは神霊剣を振り下ろす。よろめいた館長へと、柚亜は注射器を押し当てる。
    「キミをここに誘った女はどんな奴だ?」
    「はっ、答えるわけが――」
     ひきつり気味に答える館長に、柚亜は注射針を深く差し込んだ。
    「答えたくないならそれでもいい、やることは変わらないから。誰かの命で保つ快適さなんて許されるものじゃない……閉館の時間だよ、館長」
    「僕はっ、僕はこの場所を守るんだ。お前達などに、いいようにはさせるものか!」
     館長の手元から炎が舞い、室内を焼きつくさんばかりに広がる。炎を断ち切るように全身をぶつけ、ナターリヤは炎を裂く。その間から飛び出す瑪瑙が、マテリアルロッド『骸の器』を突き出す。
    「本の世界と現実と、両方を行き来してこそ意味があると思うのに」
    「瑪瑙様の、いうとおり、です。ホン、おすき、なら。きちんと、むきあい、ましょ……?」
     瑪瑙が繰り出す魔力の奔流に、耐えきれず館長の体が吹っ飛ぶ。
     劣勢になってからも、館長はよく粘った。時折視線が窓やドアを向くのは、退却の機会を狙っているのだろう。
     しかし最後まで撤退の機会はなく、状況はくつがえらない。
    「……貴女は、自分が何を読んでいるか忘れてしまったんです。もう一度思い出していらっしゃい、物語が何から生まれ与えられるのかを」
     哀しみを帯びた口調で恵理は言う。半獣化した恵理の銀爪が、館長の体を斜めに切り裂いた。香乃果の妖冷弾が、続けて館長を撃ち抜く。
    「貴方がソロモンの悪魔にさえ出会わなければ……間に合わなくてごめんなさい」
     消え入りそうに小さな、香乃果の囁き。
    「僕は、ここを……、……、……」
     男の言葉は続かない。喉から吹き出す鮮やかな赤い血が、どくどくと服を染める。
     館長の背後には、ティアーズリッパーの手刀で喉を切り裂いた刻音が立っていた。
    「貴方の音、聞こえなくなっちゃったね」
     どさりと倒れる館長のうつろな瞳は、もはや何も映していない。
    「それじゃ、バイバイ」
     そう言って、刻音はヘッドフォンをつけ直した。

     館内を確認し、一般人への対処を済ませ、灼滅者達は館を後にする。
     警察への通報は柚亜が済ませた。井戸に収容する遺体があれば、彼らがするだろう。瑪瑙と恵理の手で、調査と弔いはなされている。
     最後にと、香乃果は館長の遺体へ花束と本とを供える。
    「……どうか、安らかにお眠り下さい」
     短時間で無人となってしまった館には、整然と並べられた本だけが残っていた。

    作者:海乃もずく 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年8月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 9
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ