暁に染まるスパース・ナ・クラヴィー

    作者:麻人

    「うーん」
     空港のトイレで男性がうなっている。大好きな日本滞在最終日というのに浮かれてスシを食い過ぎたのがまずかったのか……最近よく眠れなかったし、体調もよくなかったかもしれない。
    「くっ、ぬぬぬぬ……!! ハッ、カミガナイ!?」
     ――ゴースパジ!!
     彼はロシア語で「なんてこった!」とさけんだ。

     重厚そして血塗れた歴史と建造物の数々を備える北の国、ロシア。
     ソウルボードの中は朝焼けにそびえ立つ正教会の塔。丸みを帯びたたまねぎのような形の屋根に二羽の巨大な鳥が羽を休めている。
    「暇だねー」
     任務をいいつかったシャドウの少年は道化めいた格好で腰を下ろして、ふわふわと足を揺らした。
     配下の鳥たちはくるる、と喉を鳴らして翼を広げた。地上数十メートルはあろうかという塔の天辺から、ゆっくりと舞い上がる。

    「――シャドウの一部がね、日本から帰国する外国人のソウルボードにひそんで国外脱出しようとしてるみたいなんだ」
     須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)が言うには、今回のターゲットとなったのはロシア人の四十代男性で、ソウルボードにひそむシャドウは十歳くらいの少年の姿をしているらしい。
    「ほら、サイキックアブソーバーの影響でダークネスは日本国外で活動できないはずでしょ? シャドウの目的はわからないし、そもそもこの方法で国外に移動できるかどうかもわからない」
     しかし、最悪の状態は想定できる。
     万が一、日本外に出た時点でシャドウがソウルボードから弾き出されてしまったら……。
    「飛行機の中で実体化、なんてしゃれにならないよね」
     だから、これを阻止して欲しいんだ、とまりんは言った。

     シャドウはソウルボードのなかで暇をもてあましている。今のところ事件は起こしておらず、一応、おとなしく国外に出るまで待機しているつもりのようだ。
     少年はシャドウハンター同様の影や闇を具現化した単体攻撃を操る。配下の鳥は右が回復、左が攻撃。連携をとって戦場を飛び回る。左の攻撃タイプは攻撃するため下りて来るので近接攻撃も可能だが、回復の右は常に浮いているため、遠距離攻撃が必要だ。
    「まずはソウルアクセスするために問題のロシア人男性と接触すること、かな。ちょっとお腹の調子が悪くてトイレにこもってるみたいだから、これはそんなに難しくないと思うよ」
     まりんは具体的に男性がいるはずのフロアとトイレを空港のパンフレットを使って示した。

     シャドウは実体化していないためにそれほど強くはないが、油断できる相手でもない。「気を付けてね」とまりんは説明の最後に続けた。
    「いったいどんな裏があるのかわからないけど、最悪の状況だけは避けたいもんね。皆なら何とかしてくれるって信じてるよ!」


    参加者
    宗谷・綸太郎(深海の焔・d00550)
    逆霧・夜兎(深闇・d02876)
    羽場・武之介(滲んだ青・d03582)
    七六名・鞠音(戦闘妖精・d10504)
    祟部・彦麻呂(破綻者・d14003)
    深海・水花(鮮血の使徒・d20595)
    シェリス・クローネ(へっぽこジーニアス・d21412)
    広末・天馬(ニアデスチキン・d25176)

    ■リプレイ

    ●結構よくあるかもしれない悲劇
    「きな臭ぇ話だな」
     広末・天馬(ニアデスチキン・d25176)はトイレの前に看板を置きながら、他の仲間とシャドウについての見解を意見交換していた。
     まあ、と頭をかいて空港内の男子トイレを振り返る。
    「リアルで臭い仕事だがな……」
    「いったいどういう企みなんでしょうかね。あえて国外に行くという事は、それなりの理由があるという事でしょうが」
     羽場・武之介(滲んだ青・d03582)の放つ殺気は他の利用者をトイレ近辺から遠ざける。
    「それとも、本当に目的なんてない思いつきだとか?」
     冗談なのか本気なのか分からない口調で武之介は言った。逆霧・夜兎(深闇・d02876)は興味なさそうな顔で暇をつぶしている。別に、こんな仕事は夜兎にとってはいつもと変わらないルーチンワークなのかもしれない。味方に合わせて命中率の高い攻撃から順番に繰り出して、危険な味方を庇い、ナノナノに回復を任せる――それだけだ。難しい仕事ではない。
    「宗谷くんはどう思う?」
     いくつかの報告書に目を通していた祟部・彦麻呂(破綻者・d14003)は、無言で控えている宗谷・綸太郎(深海の焔・d00550)を見上げた。
    「少しくらいは手がかりを掴みたいけど、この事件のシャドウはあんまり会話とか乗ってくれないみたいだし……どうにも狙いがわからないんだよね」
    「別に」
     と、綸太郎は視線も合わせないまますげなく言った。
    「俺にとっては、相手が何だろうとどんな思惑があろうと関係ない。できれば任務内容について質問してみようとは思ってるけど」
    「……敵さんにその目的を聞いたって、普通は教えてくれないですよねぇ」
     彦麻呂は頬に手を当て、溜息をついた。
    「今回のシャドウは道化でしたっけ? どのシャドウもだんまりじゃ、無個性って感じですよぉ」
    「予知があるといっても、私たちにできることは今のところ対処療法のようなものですからね……」
     深海・水花(鮮血の使徒・d20595)は頷き、それでも、と続けた。
    「楽しい旅の最後に余計なお土産を持たせるわけにはいきませんから。密航者には、此処で降りて頂きましょう」
     少しばかり落ち着かないのは、ここが男性用トイレのど真ん前だからだ。仕方がないとはいえ、作戦会議にはあまり相応しくない場所である。
    「うむ、このまま放っておくわけにもいかんからな。全力で国外脱出を阻止するのじゃ!」
     シェリス・クローネ(へっぽこジーニアス・d21412)がトイレの入り口をくぐると、七六名・鞠音(戦闘妖精・d10504)がトイレの紙を投げ入れるところだった。
    「紙、どうぞ」
     少女の声では不審がられるだろうという配慮から、少年のように低めた声で言う。
    「アリガトウ!!」
     男性は本当に嬉しそうに言って、しばらくごそごそとした後に水を流して個室から出てきた――ところを、「えい」とばかりに彦麻呂の風が眠りに誘う。
    「うぅ、こんなふわっと香る魂鎮めの風、なんか嫌……」
    「同感。ま、何はともあれお仕事開始と」
     天馬が独り言ちる間に夜兎と鞠音のソウルアクセスによって、彼らは一路、男性の精神世界――血塗れた歴史を刻む北の大陸へと侵入を果たした。
    「……紙が無いことに気付いた時って、焦りますよね」
     最後に武之介は、意識のない男性に同情するように言ってから仲間の後に続いた。

    ●スパース・ナ・クラヴィー
     外壁はレンガを基調に、タイルやモザイク画あるいは大理石。種々様々な素材を贅沢に使い、彩りは荘厳にして華麗――朝焼けに支配された正教会は精神世界の中心にそれのみがぽつんと存在している。
     雪が積もらぬように玉ねぎのような形に設えられた屋根はエナメルによって色鮮やかに塗装されており、とにもかくにも豪奢だ。
    「おっとと」
     足を滑らせないように気をつけながら、シェリスは屋根の上に立って二羽の鳥を従えるシャドウと合いまみえた。金の髪を風になびかせつつ、問いかける。
    「国外に脱出とは何を企んでおるのじゃ。誰かの差し金か?」
    「…………」
     道化の少年――シャドウは肩を竦めた。
     真っ向から聞かれて、答えるわけがない。とでも言いたげな仕草である。
    「この国外脱出、誰の指示ですか?」
     重ねて、武之介がたずねた。
     しかし、返答は無し。僕に聞かれたって困るよ、といった感じで眉をひそめている有り様だ。鞠音は解除した武器とコートを纏い、既に臨戦態勢。雪風、とバスターライフルの名を呼んだ。
    「貴方は何故外に行こうとするのですか」
    「……」
    「貴方は夢を見飽きましたか?」
    「……」
    「私は――」
    「あーもうっ、うるさいよ!」
     シャドウは立ち上がり、両側の鳥が右は空高く舞い上がる。左は好戦的な鳴声をあげて灼滅者達に襲いかかった。
    「けち!」
     言い放って、彦麻呂は槍を引き抜く。
     練られた妖気が冷弾となってシャドウ――ではなく、空中の鳥を射抜いた。
    「道化だったら少しは観客楽しませてくれたっていいじゃないですかー」
    「暇ならゆっくりしていけよってな。怪人がいなくて手薄なロシアに……ねぇ。慈愛って奴は偉そうな事言ってるが火事場泥棒みたいな事が趣味らしいな」
    「――」
     僅かにシャドウが反応したように、水花には見えた。
    (「慈愛?」)
     絆に自愛、そして贖罪は別の動きを見せていたのでこの事件の裏には残りの『歓喜』あたりが噛んでいるのではないか、と思っていたのだが――。
    「っ!」
     シャドウの放つ闇弾が頬を掠め、あやうく体勢を崩すところだった。
    「大丈夫か?」
    「はい」
     天馬のワイドガードが味方の眼前に光の盾を形成する。
    「焦らずじっくり行こうぜ」
    「ああ」
     綸太郎の返事は短く、簡潔に。
     言葉より先に天馬のそれと二重に展開したワイドガードが前衛と後衛を防御する。月白、と呼ばれた霊犬は瞬く間に浄化の瞳を輝かせた。
    「どうも」
     軽く礼を言ってから、夜兎は影業をひたりと朝焼けの陰影に忍ばせる。
    「さて、始めようか」
    「まあ、暇つぶしくらいにはなるかな」
     シャドウは笑って自らの影業を解放。丸い突起がひとつ、ふたつ、みっつ……。クラブ、と彦麻呂が呟いた。
    「天網丸、構え」
     戦闘体勢に入る武之介の目じりが鋭く細まった。霊犬は僅かに顎を引き、主人の指示を理解する。
     ――戦いが始まった。

    ●黒詰草
    「神の名の下に、断罪します……!」
     シャドウのどこまでも闇でしかない漆黒に対する、水花の――エクソシストの光輝。身軽に屋根の上を飛び回る前衛と建物の端に身を置いて着実に攻撃を重ねる後衛のちょうど中間において、水花の存在は戦場の中心と呼ぶにふさわしい。
    「影を操るなら、こちらは光です……!」
     雷のように天から降り注ぐ裁きの光に巻き込まれた鳥が羽を散らせて落下する。同族がやられたのを理解しているのか、もう一羽の鳥がギャァギャァと激しく鳴いた。
    「すぐに同じところへ送ってやるのじゃ!」
     ドッ、ダダンッ!!
     シェリスの右手には妖槍、左手にはマテリアルロッド。
     射出の勢いを殺すために回転しながら、交互に繰り出す妖冷弾とマジックミサイルによって鳥の黒羽は次第に凍てついていった。
    「やってくれるね」
     闇弾をジャグリングのように操るシャドウの攻撃が、いやらしくも回復役の天馬を狙って投擲――!!
    「させるか」
     しかし、間一髪滑り込んだ綸太郎が庇いきる。
    「さっすがぁ♪」
     彦麻呂が歓声を上げ、鞠音はバスターライフルを振り回すようにして鳥を叩き落とした。その動きには慈悲も容赦も皆無。
    「雪風が、敵だといっている」
     力なく墜落する鳥に照準を合わせ、――不可視の刃で切り裂く――!!
    「あっ」
     シャドウが僅かに焦った声をあげた。
     その前に鞠音は立っている。
    「僕の鳥……!」
    「これで、貴方と話せる」
    「――」
     知りたい、と鞠音は思っている。
     知ってどうするの、とシャドウは考えている。
    「どうせ僕なんて使い捨てなのにさ――」
     朝焼けを覆いつくさんばかりに、クラブの形状をした影業が攻撃に出た。切り裂くための先端を、三人のディフェンダーが順番に迎撃する。
    「来るぞ! 気をつけろ!」
     大きく腕を広げ、ソーサルガーダーを召喚する天馬が叫んだ。
    「防御はそっちが頼りだ。頑張ってくれよ」
    「ああ、任せろ」
     軽く請け負い、夜兎は自らの闇を解き放つ。
    「少し大人しくしてろよ」
     ナノナノを従えた夜兎の、挑発めいた台詞。
     敵の矛先が己を捉えるのも構わず、冷静にその動きに注意を払って放つ――影喰らい!!
    「ちっ」
     腕と足を切り裂かれたシャドウは、じり、と後退を始めた。それ以上は足場がない、という位置まで下がっても動きを止めない。その意味を悟った水花が顔を上げた。
    「逃げるのですか」
    「待て」
     心の傷を抉るトラウマをセイクリッドウインドで解除しつつ、綸太郎は呼び止めずにはいられなかった。まだ何も聞いていない――……。
     ああ、あれに似ていると武之介は思った。
     吹き飛んだ帽子を拾い上げ、こんな風に帽子を被った探偵小説の主人公はいつもいつも、犠牲者が殺されるのを止められないのだ。
    (「あれはそう、犠牲者が出ないとトリックが完成しなくて読み物にならないという大人の事情で……」)
    「いや、しかし。フィクションならともかく現実でそんなこと、できないでしょう」
     フォースブレイクの一撃がシャドウの腕を強かに打ち据えた。水花のホーミングバレットが彦麻呂のオーラキャノンとほぼ同時に弾け、それを機にシャドウは撤退の意志を見せる。
    「あっ、こら待つのじゃ!」
     シェリスが慌ててロッドを構えるが、シャドウは「ばいばい」と手を振った。
    「こらー! 退屈しのぎに付き合ってあげたってのに、お礼にちょっとくらい情報漏らしてくれたっていいんですよ! ヒント! ヒントでもいいですから、ね??」
     彦麻呂は屋根の上を器用に飛び跳ねて追いかけるも、シャドウはさっさと姿を消してしまった。

    「う、うーん……はっ、ワタシはなぜネテイル!?」
     空港のトイレで目を覚ました男性は、慌てて時間を確かめた。何とか搭乗時間には間に合いそうだ――が、すぐに「ウッ」と腹を押さえて蹲る。
    「シャ、シャクが再び!!」
    「大丈夫ですか、よかった薬をどうぞ」
    「あ、アリガトー!!」
     差し出された薬のおかげで男性のお腹は持ち直したようだ。綸太郎はため息をつき、男性が去ってゆくのを見送った。
    「看板、片付けておきましたよ」
     武之介と水花が戻ってくる。
    「シェリスは?」
    「男性を搭乗口まで送って送っていかれました」
     なるほど、と天馬は納得しかけるがよくよく見ると鞠音の姿もない。
    「夢にお土産は持っていけるのでしょうか」
     土産物屋に紛れ込んだ鞠音は、自分の舞台の夢のこともわからない不思議の如くそんな言葉を呟いていた。

    作者:麻人 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年8月19日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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