灼熱のマンション

    作者:一ノ瀬晶水

     ……暑い。
     そのマンションの近くを通りかかった人間はそう思うだろう。いや、人だけでないらしく、周辺には犬も猫も、飛ぶ鳥すらいない。
     この夏も猛暑だ。しかし、そのマンションの一帯は異常だった。
     気温以上の焼けつく熱気が覆っている。そしてそればかりではない異様な光景が広がっていた。
     マンションの住民たちが、敷地内の広場や隣接する公園に集まっている。それだけなら、なんということもない。
     彼らは全員、自ら引きちぎったぼろぼろの衣服を身につけていた。中には若い女性もいてなかなか刺激的な姿だが、それを見て喜んでいる者はいない。
     公園やマンション前で大きな火を起こし、肉や野菜らしきものを豪快に焼いて食べている時もある。どこから調達した食材なのかはわからない。
     風呂も、服のまま水浴びをするだけ。さすがに暑すぎて、入浴しないわけにはいかないのが、周囲の住民にとっては不幸中の幸いだ。
     そして、ほうきやモップを槍に見たてて振り回しながら未開の国の原住民の真似のような踊りを踊り狂っている。
     中にはスーツの上着の袖を引きちぎり、ズボンの膝から下をギザギザに切った格好の男もいた。汚れ放題のシャツに、なぜか律儀にぶら下げているネクタイがどことなく物悲しい。その男は「あ~ああ~」と映画のターザンさながら叫び声をあげながら窓から垂らしたカーテンにぶら下がったりした。時々落ちていたが、力がみなぎっているのか怪我をしている様子はない。
     まるで、原始人のようだ。
     その異様な有様を遠まきに見る近所の人たちも、最近はなんだか頭がぼおっとして引きこまれそうな心持ちに……。

    「謎のイフリート」
     神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)は掌の知恵の輪から眼を上げた。
    「みなも知っているように、炎の魔獣とはまた違うイフリートだ。炎をまとった巨大なトカゲのような姿をして、不思議な力を使う。周囲にいる一般人の知性を落とし、原始生活を送らせてしまう能力だ。今はその影響を受けているのは、イフリートがいると思われるマンションの住民のみだが、ほっておくとどんどん広がっていってしまう」
     ヤマトは灼滅者たちを見回した。
    「裸同然の姿で踊ったりたき火で肉を炙ったり……笑える状況だが、笑っている場合ではない。どうかこの謎のイフリートを退治してほしい。本体だけでなく、強化一般人となった者たちもいる。効果範囲の影響を強く受けた5人が、影響範囲の中限定でイフリートに向かう君たちを妨害するのが予想される」
     そう言って手もとの資料に眼を落とした。
    「場所はそれなりにセレブなマンションだ。広い公園にも隣接している。そこも彼らのたまり場になっているので、今は近寄る人もほとんどいない。また、マンション内にも庭のような広場があるので、戦闘するにはうってつけだ」
     ヤマトは資料をめくった。
    「強化一般人は5人。イフリートを害する者を阻止しようとするが、知性的に考えることができないので、戦闘を回避することも可能かもしれない。もし戦うとなれば、彼らはほうきなどから作った槍を模した武器を持っている。螺穿槍に似た攻撃をするかもしれないね。ただ、強化一般人はイフリートを斃せばまた知性が徐々にもどるから、斃しても斃さなくてもいい」
     ヤマトは顔を上げた。
    「本体のイフリートは、当然炎をあつかう。具体的には、炎をまとった肢で薙ぎ払ったり体ごとぶつけるレーヴァテインのような攻撃と、口から猛火を吐くバニシングフレア。また、太いしっぽを振り回して、大きなダメージを与えることもあるようだ。こちらはレーヴァテインのような特殊効果はないが、攻撃は後衛にも届くので注意してほしい」
     表情をひきしめて、言葉を続けた。
    「獣型のイフリートと違って、こいつには知性というものはない。すばしこいので先手を取られる危険があるが、工夫次第で裏をかくことができるかもしれない」
     ヤマトは知恵の輪を握りしめた。
    「謎のイフリート……強敵だ。しかし、そのままにしておくことはできない。イフリートの影響範囲はこうしているうちにも、広がっている。危険な任務だが、ダークネスを灼滅して無事もどって来てほしい。君たちならできると信じている。そして、イフリートがいなくなった後、知性を取り戻した人々はとまどっているだろう。もしできれば、彼らを助けてやってくれないか」
     ヤマトは小さく頭を下げた。


    参加者
    神凪・陽和(天照・d02848)
    西院・玉緒(鬼哭ノ淵・d04753)
    ミカ・ルポネン(水平線を目指して・d14951)
    内山・弥太郎(覇山への道・d15775)
    八重沢・桜(泡沫ブロッサム・d17551)
    ホテルス・アムレティア(斬神騎士・d20988)
    桜庭・成美(ダンボガールスタンディング・d22288)
    ディエゴ・コルテス(黄金悪鬼エルドラード・d28617)

    ■リプレイ

    ●焼肉パーティ
    「そうっと……ね」
     西院・玉緒(鬼哭ノ淵・d04753)は、マンションの反対側から隣の公園に入り込んだ。
     さりげなく、人の少ない場所で焼肉の用意をする。幸い、放置されているたき火の名残りがあった。
     彼女は持ってきた密封容器を取り出した。中には、焼肉のたれに漬け込んだ肉がたくさん入っていた。
    「焼き肉パーティの……始まり、なのです……」
     たちまちあたりにかぐわしい匂いが立ち上る。
     最初は遠巻きにしていた原始人(?)が、彼女のところへ寄って来た。先頭にいる数人は、長いものを握っている。ほうきや棒きれの先にカッターナイフを取りつけたもので、槍のつもりのようだ。他の人たちを先導している。
     三……四……五。
     強化一般人が全員そろっているのを確認し、玉緒はさらに景気よく肉を焼き始めた。いい匂いの煙が風に乗ってあたりに広がる。
    「普段は、味気ない……食べ物ばかりでしょうし……どんどん、食べてください……」
     原始人たちは、肉に釘づけになった。
    「まだまだ、たくさん……ありますから……」

    ●炎のドラゴン
    「うぅん……いつ見ても……この光景は異様なのです」
     八重沢・桜(泡沫ブロッサム・d17551)は眼の前の光景を見て唸った。
     マンション敷地内の広場に、彼らはいた。あちこちに破壊された電化製品の残骸やたき火の跡がある。
    「改めて見ると、マンションで原始人の格好なんざ、シュールってレベルじゃねェな」
     ディエゴ・コルテス(黄金悪鬼エルドラード・d28617)の言葉に、
    「原始化させるイフリート……噂には聞いていましたが相対するのは初めてですね」
     内山・弥太郎(覇山への道・d15775)はうなずいた。隣を歩く霊犬サイゾーも、同意するように小さく吠えた。
    「確かに頭がおかしくなりそうな暑さ……。僕、暑いのは本当ダメなんだよね」
     ミカ・ルポネン(水平線を目指して・d14951)は色白の頬を紅潮させて言う。その隣で、真っ白なハスキー犬の霊犬、ルミも大きく舌出して息をしていた。
     普段は肌を見せない桜庭・成美(ダンボガールスタンディング・d22288)も、今日ばかりは原始人スタイルだ。
     七人は暑さに顔を顰めながらも、さらに熱源を探りながら進んでいく。
     ほどなく、広場の隅、備品などが入っている物入れに隠れるように炎の色がちらちらするのが見えた。一行の間に緊張が走る。神凪・陽和(天照・d02848)が音を遮断する結界を張った。
    「我が宿敵ながら、はた迷惑な竜種イフリート。謎過ぎるんですが、このまま存在し続けるのもよくないので、灼滅ですっ!」
     陽和が戦いの口火を切った。彼女の片腕が逞しい獣の前肢となり、銀に光る爪がイフリートの鱗を切り裂く。
    「それにしても、竜型はかっこいのです……! でも、おとぎ話の国へ、お帰りくださいね……?」
     桜は加護がこめられた札をホテルス・アムレティア(斬神騎士・d20988)へと飛ばした。
     イフリートは吠えた。炎を纏った前足を、弥太郎へ叩きつける。
    「なんの!」
     弥太郎は衝撃をものともせず、狼の耳と尾から白い炎を噴き出した。その炎は、彼自身と傍にいる仲間を守るように包み込む。つけられたばかりの彼の傷がみるみる小さくなった。弥太郎の後ろに控えている霊犬、サイゾーも短く吠えて、主人に癒しの視線を向ける。
     ミカはガントレットのように祭壇を振るった。霊力が弾けてイフリートを絡め取るように覆う。そこへすかさず、白いハスキーが咥えた日本刀で斬りかかった。
    「ドラゴン……。かっこいい……」
     暴れる炎竜に成美はうっとりとしながらも、えぐるように槍を打ちこんだ。槍から彼女に、破壊の力が注がれる。
    「ふむ、竜退治ですか」
     ホテルスは構えをとる。
    「我が祖のなした行為とは異なりますが、騎士として挑むかいのある戦いですな」
     そう言うなり、彼の体から疾風が吹き上った。銀の長い髪がうねり、竜の炎を照り返す。風は竜の鱗を傷つけ、正面で対峙している陽和の青より深い髪を舞い踊らせた。
     灼滅者の攻撃が加わるごとに、イフリートは叫びながら四肢をふりまわす。
    「知性ってもんがねェようだな……んじゃあ、話すことなんざ、なにもねェな」
     ディエゴは、巨大な刀を振り上げた。彼の金の瞳は炎を受けて燃え上がり、力強さを増す。
     陽和のロッドが唸り、桜の護符が仲間を守る。
    「あう……っ」
     イフリートの体当たりに、ミカは足を踏みしめた。勢いで、ミカの体に火花が燃え移る。しかし、彼の体を焼くかと思った矢先、ぱちぱちと音をたてて消えてしまった。火花を振り払ったミカの足元の影が伸び、炎竜にまとわりつく。
     続けて、弥太郎の輝く爪が襲い、成美の蹴りが星の輝きを放つ。ミカが、己の腕に装備した武器をイフリートに叩きつけた
     ディエゴが渾身の力で斬りつけた刀を下ろした時、傍の道具入れの屋根からなにかが落ちてきた。
    「えいっ!」
     玉緒は勢いよく竜の背を蹴り、その勢いのまま跳躍して地面に降り立った。
    「ん……申し訳、ありません……ずいぶんと、遅くなって……しまいました……」
     飛び降りたはずみで、魅惑的な体のいろんなところが揺れている。
    「そろいましたね。早く斃して、マンションの人たちを元に戻してあげましょう」
     成美も妖しの槍を構え直した。
     狼たちの鋭い爪、自在の影、禍々しい槍が次々と炎竜に襲いかかる。イフリートは怒りの声をあげて炎を吐いた。
     オレンジ色の濁流が、イフリートの前にいた灼滅者たちを巻き込む。
     桜の弓から癒しの矢が休む間もなく仲間に放たれていた。灼滅者を蝕む炎は、霊犬サイゾーが癒しの瞳で消し止めている。霊犬ルミも負けじと古銭を炎竜に投げた。

    ●佳境
     玉緒の蹴りがはずれた。彼女は拳を握り直し、気合いを入れる。
     イフリートは見た目からは予想もつかないすばやさで、ホテルスの巨大化した腕をも逃れた。
    「――桜さん!」
     炎竜は桜を目がけて尻尾を振り下ろそうとしていた。間一髪、弥太郎が彼女とイフリートの前に滑り込む。眼の前でかかげた狼の前肢に、燃えさかる爬虫類の尻尾が阻まれた。
    「ありがとうございます、弥太郎さん」
    「いえ、僕も怪我を治してもらいましたから……」
     二人は視線を交わし、あらためて敵を見据え直す。
     桜やサイゾーが回復に専念してはいたが、イフリートの吐く炎でじわりじわりと疲労が 重なっていた。特に、陽和、玉緒、ホテルスは息があがりかけていた。
    「やべェな」
     ィエゴがオーラに包まれた拳を叩き込みながら呟いた。
    「わたしは、このままみなさんの怪我を癒します。どうか一刻も早くイフリートを……」
     桜の言葉に続くように、愛らしい柴犬も小さく吠えた。弥太郎の霊犬も、絶えず癒しの瞳を主人の仲間たちに向けていた。
    「大丈夫!」
     ミカは炎のドラゴンを指差した。
    「あっちも動きが鈍ってるよ」
     見ると、イフリートの体に輝く霊力の糸や細く伸びた影が絡みついている。まとわりつく星の光も、イフリートの眼をくらませているようだ。
    「よし、全力でいきましょう」
     ホテルスが気合いとともに腕の武器を眼の前に構えた。
     陽和と玉緒、ホテルスが裂帛の気合いで武器を振るい、成美とディエゴが的確に打ち込む。弥太郎とミカは仲間を庇う。二人につき従う霊犬も援護する。
     知性のない、表情の読めない謎のイフリート。それでも首は垂れ、尻尾の動きは徐々に鈍っていく。
     ――いける!
     もう一息だ。と灼滅者たちが顔を見合わせた時、弥太郎が慌てたように声をあげた。
    「イフリートの取り巻きがこっちに向かってるよ! 今、サイゾーが教えてくれた……」
     柴犬の視線の先には、今はまだなにも見えない。しかし、ルミも同じ方向を凝視している。
    「そんな……あんなにたくさん、お肉を……用意、していたのに……」
     玉緒が驚いたように言った。
    「あれを、全部……食べてしまう、なんて……そんなに、おいしかったのでしょうか……」

    ●取り巻きたちが
     強化一般人たちが到着した時は、イフリートはさらに弱っていた。
     灼滅者たちの攻撃を避けることもできず、さらに垂れた頭は地面に近い。
     体当たりを受けた陽和に桜が癒しの矢を放つと、竜は怒りのこもった咆哮を叫ぶ。声とともに、前肢を振りあげた。
    「おらおら!」
     それをディエゴはさらりとかわす。
     強化一般人は手作りの武器を、てんでに灼滅者たちへ向けていた。
     魔力のロッドが、星をまとった足が、狼の爪が、動けない炎竜を襲う。傷が増えるごとに、竜は叫ぶ。しかし、その声は徐々に弱々しくなっていく。
     成美の中のダンピール力がイフリートの生命力を奪う。
     ゆっくりと、ミカの昏い影が巨体を包み込み始めた。
    「援護いたしましょう」
     ホテルスが炎竜のふところに飛び込んだ。異形の腕を、鱗も砕けよと叩き伏せる。
     竜のイフリートは肢を折った。ゆっくりと地に崩れる。
     大きく地響きが響いた。
     炎のドラゴンから、最後の火花が飛んだ。それは、ルミの白い毛の先をかすめ、空気に溶けた。
     傷だらけの鱗に覆われた四肢も尻尾も頭も力なく伏せている。
     灼滅者たちはいっせいに大きく息を吐いた。炎竜が動く気配はない。
     なにかが地面に落ちる軽い音が立て続けに聞こえた。振り返ると、強化一般人たちが粗末な武器を地面に取り落としていた。ほうきや定規が転がっている。
    「正気にもどったか」
     ディエゴは、さっそくアクセサリーを身に着けながら笑った。原始化した住民を刺激しないため、派手なアクセサリーは外していたのだ。
     桜がどこからともなく、たくさんの衣服を取り出した。
    「原始人さんたちにお洋服を持ってきました。そのかっこうだと恥ずかしいでしょうし。……わたしも、眼のやり場に困ります……」
    「俺も服ならたくさん持って来たぜ。使いやがれ!」
     ディエゴが景気よく、とりどりの衣類をそこへ置いた。汚れたネクタイをぶら下げた男性が、さっそくスーツを手に取った。
     サイゾーがどこからかシーツのような布をくわえて引っ張ってきた。へたりこんでいる若い女性の強化一般人に、弥太郎がそれをかぶせかける。
    「女性がこの姿だと、かわいそうです」
     ミカとルミはぐったりと動けない人たち、茫然としている人たちを建物の中へ誘導していた。
    「知性を捨てても、人間は野生には戻れませんのよね……」
     成美は原始人スタイルの自分の姿と、マンションの住民たちを見ながら呟く。
    「ひどいありさまですな。わたしは片づけをお手伝いいたしましょう」
     ホテルスはゴミや機械の残骸のようなものを拾い出す。それを見て、我に返りつつある何人かの住民も彼に続いた。
    「これでまた一体、我が宿敵が灼滅できました」
     ふっと微笑んで言う陽和の言葉に、
    「それにしても竜種はどこから出てきたのでしょう……? 闇堕ちと関係があるのでしょうか……」
     成美は訝る。
    「取り巻きの人たちと戦わずにすんでよかったです。……もう少し、お肉を……用意したら、よかったのですけど……」
     玉緒がほっとしたようにあたりを見た。そして、
    「わたしも、お掃除を……してきますね……」
     と、片づけをしているホテルスたちの方へと駆けて行く。
    「そうですね。片づけていきましょう」
     陽和が後に続く。他の仲間もうなずきながら、微笑を交わした。

    作者:一ノ瀬晶水 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年8月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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