貝の色

    作者:麻人

     ぷく、ぷくぷく……。
     肌にねっとりと絡みつくような熱い潮風の吹く岬に、鍵尾をぴんと伸ばした一頭のニホンオオカミがいる。
     スサノオ、とそれを知る者は言うだろう。
     彼がゆっくりと立ち去った後、ずるり、と粘着質な音を立てて海から這いあがる不気味なものがあった。
     かっちん、かっちん。
     周囲で踊るのは蛤で、動く度にかちかちと貝殻が音を立てる。
     ずるり――……ずる、ず……。
     岩礁を這い、月夜に体を起こしたそれは巻貝めいた頭をぐいん、と伸ばして龍のような仕草で陸を目指しはじめた。

    「栄螺鬼、って知ってる……?」
     日輪・ユァトム(汝は人狼なりや・d27498)はそんな風に話を切り出した。
     栄螺鬼――サザエオニ、と読む。
     房総半島に伝説が残る、サザエ貝が鬼となったもの。あるいは、海に投げ込まれた女が姿を変えたもの。
     スサノオによって甦る古の畏れが、またひとつ、動き始めたのだ。
     ユァトムはうまく言葉がまとまらないので、代わりに地図を取り出した。
     ここ、と指で海岸沿いを示す。
     エクスブレインの協力を得て、栄螺鬼の出現する場所と時間が特定されたのだ。

     すぐに現場へ向かった場合、古の畏れ――栄螺鬼が陸に上がる前に接触できるはずだ。
     海岸にはキャンプ場があり、道を隔てた先にはすぐに住宅地が広がる。被害を出さないためにはどうしても水際で叩かなければならない。
    「……足場、気を付けて」
     栄螺鬼と鉢合わせる岩礁は夜明け前ということもあって、足元が心もとない。ごつごつと突き出した岩に、足元をさらう潮水。満月が近く水位もあがっている。
     好色な女の成れの果てとも言われる栄螺鬼の好物は、若くて健康な男。サザエの貝から白くて長い妖怪のような体をくねらせて捕え、かぶりつく。
     配下の蛤は栄螺鬼の補佐として動き、近づくものに噛みついたり栄螺鬼の回復を行ったりするようだ。
     
    「男……」
     まだ小学生のユァトムには、栄螺鬼の趣向はまだよく理解できない。彼はきょとんと首を傾げ、集まった灼滅者たちを見渡した。


    参加者
    ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)
    アルヴァレス・シュヴァイツァー(蒼の守護騎士・d02160)
    アリス・クインハート(灼滅者の国のアリス・d03765)
    レビ・カーター(あんごらー・d05899)
    日輪・瑠璃(汝は人狼なりや・d27489)
    日輪・ユァトム(汝は人狼なりや・d27498)
    虚牢・智夜(魔を秘めし輝きの獣・d28176)
    鳴海・歩実(人好き一匹狼・d28296)

    ■リプレイ

    ●潮の嘆き
    「これでよし、と」
     件の岩礁を前に鳴海・歩実(人好き一匹狼・d28296)は履き替えた磯用の靴先を地面に軽く押し付け、履き心地を確かめた。遠い水平線を見据え、つぶやく。
    「夜の海はなんか……怖いね……」
     ぶる、と震えた腕を軽くさする。
     現場は持ち込んだ幾つものライトによって眩しく照らされていた。各々が準備した磯靴のスパイクが岩場を歩くときに起こるカッ、カッ、という無機質な音が相伴に預かる夜明け前の作戦決行。
    「被害が出る前に灼滅しなければ、ですね」
     アルヴァレス・シュヴァイツァー(蒼の守護騎士・d02160)は眼鏡を押し上げながら言った。既にカードの封印を解除して、断罪輪が手にある。アリス・クインハート(灼滅者の国のアリス・d03765)が頷いた。
    「はい……!」
     見据える海岸線に揺らめく影。
     ……ずる、ずるりと這う濡れた音。カチャ、カチャと繰り返す貝殻の音。レビ・カーター(あんごらー・d05899)は軽く口笛を吹いた。奴さんの姿はまだ見えない。ダブルジャンプの具合を確かめながら、笑う。
    「好色な女……つまり男好きってこと? 俺、大事な子いるしそういうの苦手だから勘弁なんだよなー。任せた」
    「えっちなおねえさんは大好きっすからね」
     別にいいですけど、と断ってからギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)は肩を竦めた。
    「まあ、十分間に合ってるんで古の畏れにはお引き取り願いやすが」
    「……?」
     二人のやり取りをアリスが不思議そうな顔で見ている。
     料理が得意なアリスは、壺焼きや刺身、炊き込みご飯に使われるコリコリとした歯ごたえの栄螺を思い出した。あれが妖怪となったのが、これから戦う栄螺鬼である。
    「でも……男の方がお好きなのは、女の方が元になったのなら当たり前では……?」
     好色の意味を捉えそこね、首を傾げた。
     日輪・ユァトム(汝は人狼なりや・d27498)が鉢巻のようにライトを巻き付けるのを手伝っていた日輪・瑠璃(汝は人狼なりや・d27489)が、微笑ましそうに頬を緩めた。
    「ユァトムさん、靴の紐は大丈夫ですか?」
    「う、うん……」
     陸上の狩りとは違う、気を付けなければ――とユァトムは神妙な顔つきで頷いた。ふと昔の記憶を思い出す。あの、カチャカチャという貝殻の擦れる音のせいだ。修学旅行で訪れた砂浜で貝殻を拾い集めた。しかし、今回は違う。
     ぎゅっと、黒い狼のぬいぐるみを抱きしめた。
    「生きた貝、そ、それも古の畏れ……」
    「……まさに大漁といったところか……」
     両手をズボンのポケットにしまい、海に向かって仁王立つ虚牢・智夜(魔を秘めし輝きの獣・d28176)はやけに芝居がかった声色で言った。
    「蛤に栄螺、海の幸だ……。なあ、朝食は海産物にしないか。早く片付けて探すとしよう」
     呟くと同時に解除。
     妖槍を携え、バトルオーラを展開する。
    「――殲具解放」
     同じく、ギィも力を解放。
    「さてと……人に仇名す前に貴様等を灼滅する……」
     アルヴァレスの殺気が人を遠ざけ、
    「呟きも囁きもこのヴェールの前にはひとしく散華する。我、ここに無音の領域たる闇の一幕を賜わん」
     智夜が音を遮断する。
     ず、ずるる……――。
    「来た」
     歩実が呟いた。
     いよいよ栄螺鬼はその姿を岩上に現し、醜悪な声で啼いた。栄螺の殻を被った口元がにたりと笑う。まるで獲物――否、『好物』を見つけて微笑んだようにも見えた。 

    ●揚陸阻止作戦
     何本ものライトが交錯しながら照る、夜の岩礁。朝焼けの気配もまだ見ぬ戦場に割れた蛤の貝殻が幾枚も散った。
     無敵斬艦刀『剥守割砕』の一振りで蛤の群れを薙ぎ払ったギィは、それらに守られつつ、にゅるりと白い靄のような体をくゆらせる栄螺鬼に注意を払い続ける。
    「覚悟を決めてもらいましょう……散れっ!」
     アルヴァレスの手元を離れた断罪輪は鋭い回転を加えながら撃ち漏らした蛤を一体ずつ、丁寧に撃破していった。一体一体はそれほど強くはない、が――数が多い。
    「えいっ」
     アリスが両手を振り下ろす度に、海岸には罪を象る十字架が突き刺さる。眠りに誘われた蛤は次第に大人しくなり、コロンと岩の上に転がった。
    「堅実にいきましょう」
    「おっけ!」
     瑠璃とレビはそれぞれフリージングデスとギルティクロスを中心に蛤の掃討を勧めた。このところめっきり冷え込んで、今も八月だと言うのに肌寒い。
     そこへ、更なる冷気が襲いかかる。
     雪の結晶、あるいは氷の欠片。
     瑠璃が動く度にそれらは増殖し、蛤たちを絶対零度の世界に誘う。
    「凍て付く祈りよ、愚かにも我に抗う者に厳かなる裁きを齎せ」
     ようやく解放されたかと思ったところへ、次の氷死陣が襲いくる。智夜は右手を掲げ、長い詠唱と同時に――放つ!!
    「よ、っと」
     レビはダブルジャンプで足場の悪い部分を飛び越えると、十字の形をした傷跡を次々と蛤たちに刻み付けた。
    「蛤退治は順調ー」
     そこで、あっ、と気づいた。
     にょろにょろと前衛の間を縫うように動いた栄螺鬼がユァトムに迫っている。
    「はわわわわわわっ!!?」
     栄螺鬼の、口元だけがやけにリアルな唇に迫られたユァトムは顔を真っ赤にしつつ青ざめるという器用なことをしながらシャウトを連発、麻痺を自ら振り払う。
    「まあ」
     瑠璃が目を瞬かせる。
     怒っているのか驚いているのか、判断のつきづらい表情だ。
    「おいこら、こんな小さい子のトラウマになったら可哀想でしょ!」
     と、駆け付けたレビだったが栄螺鬼のにたりと笑う唇を見て、「あう」と軽く身を引いた。
    「どうしたんっすか」
     斬艦刀を肩に負って尋ねるギィに、「別に」と平静を装って言う。
    「いやほら、俺最年長ですし、お兄さんが守ってあげなくちゃかなーって」
     レビが引きつった笑顔で言うと、智夜が偉そうに頷いた。
    「ふ……見上げた心がけだ。よきにはからえ」
    「あの、何でそんな口調なんですか」
     歩実の疑問に智夜は無邪気に言った。
    「えっ、何か間違ってる? かっこいいよねこれ」
    「…………」
     ぴこぴこと狼の耳と尻尾を振る智夜。
    「とか言ってる間にまた来ましたよ。慣れない武器は使いたくないんですが……そうも言ってられません……ね!」
     周囲に寄って来た蛤の群れを一掃する、アルヴァレスの回し蹴り――レガリアスサイクロン。まるで戦場に小型の竜巻が生じたかのようだった。
    「薙ぎ払う……吹き飛べっ!」
     アルヴァレスの宣告通り、蛤は随分と数を減らして残りは数体。追撃を呼びかけるより早く、アリスが小柄な身体で岩場を文字通り跳ねた。兎に似た、軽やかな動作。滑り込むエアシューズの巻き起こした炎が蛤を焼いていく――!!
    「この炎で……、壷焼きにして差し上げますっ」
     お酒と味醂がもし、ここにあったなら――。
    「素晴らしい」
     焼いたらうまいのに、と思っていた智夜はヴェノムゲイルで援護しながらアリスのグラインドファイアを褒め称えた。
     ジュッ、と貝柱を開いてゆだる蛤。
     隙を逃さず、歩実の槍が的確にその急所を刺し貫く――! 焼け焦げた蛤たちはしばらくの間、かたかたと岩の上で揺れていたが、そのうちに跡形もなく消えていった。


    ●栄螺の……
     深く考えないようにしよう、と歩実は最初から決めていた。
    (「考えても仕方ない」)
     このまま放っておいても犠牲者が出るのなら、ここで倒すほかないのだから。それはある種の諦めであり、槍の穂先が迷うことを自らに許さない自制の呟きであったのかもしれない。
    「大丈夫?」
     襲いくる栄螺鬼の体を槍の柄で押し返して、歩実は言った。
    「……外見サザエなら問題ないと思ってた俺が間違いでした……」
     ぞっとして粟立つ背中。レビはバイオレンスギターを抱え直して、問題のものから距離をとった。集気法で呼吸を整えつつ、後退。
     両者の間を埋めるのは烈しく敵を引き裂く真紅のギルティクロス。「えい、えいっ」と攻撃するアリスは真っ赤になって言った。
    「! 男の方が好きって、そういう事だったんですか、え、えっちなのは、いけないですっ」
     槍ごと歩実の体を突き飛ばした栄螺鬼の姿は、ライトに照らされてその全てを晒されている。闇と親和するはずの存在は今、暴かれている。体をしならせるさまは恥ずかしがっているようにも見えた。
    「好色な女の成れの果て、ですか。醜悪なものですね」
     と、瑠璃。
     硬そうだから柔らかくしてあげようか。
     鋭い刃に形を変えた影業が、さくり、と栄螺の殻をそぎ落とす。
     ォォオオオ……!!
    「う、すごい声です!」
    「る…るる…ぐるるるぅぁぉぉぉぉおおおおおおんっ!」
    「こ、こっちもっ」
    「ご、ごめん……」
     ユァトムは少し照れたように言った。
     集気法を使う時、人狼としての本性が顔を出してしまう。
    「星々の観測者よ、因果律を超え、究極なる新星の誕生を――うわっ」
     絡みつかれた智夜は、必死に抵抗する。
    「待て、我は人じゃなくて狼……喰らい付く経験はあれど、喰らい付かれた経験は……ま、待たぬか……」
     とらえた獲物に唇を寄せる栄螺鬼をアリスの巻き起こす風と援護に入った歩実のキュアで無理やり引きはがす。やれやれと呆れた顔のギィが軽く手招きした。
    「やらしいこと大好きな、えっちな男子がここにいるっすよ。ちゃんと遊んで下さいな」
     ただし、と迸るレーヴァテインが近寄る栄螺鬼の顔を焼いた。抱きつかれるだけならまだしも口づけは御免である。
    「だいたい、陸地まで行けるんすか?」
     ちら、と栄螺鬼を海に繋ぐ鎖を見やる。多分、行けてもこの町の付近まで。逆に言えばその範囲内の全てがこの古の畏れの被害に遭う可能性があるというわけだ。
    「覚悟を決めてもらいましょう……散れっ!」
     ギィが注意を引き付けている間にアルヴァレスの断罪輪と百裂拳が交互に栄螺鬼を追い立てる。遂にそれは力を失い、砕けた殻を飛び散らせながら海に還ろうともがいた。
    「これで終わりにさせてもらいます……!」
     逃がすまじ、とアルヴァレスが追いかける。
     アリスの手元で空色の光焔に生まれ変わる、愛用のクルセイドソード――名をヴォーパル。レビの放つギルティクロスが弾け、開いた傷口を更に歩実の畏れ斬りが追撃を食らわせた。
    「鋭き真理――ヴォーパルの剣戟で、終わりにしてさしあげます……!」
    「切り裂き給え、ミナカタの神威っ!」
     ユァトムの叫びと同時に鬼神化していた右腕は少年のそれへと戻り、掴んだ剣を小さな体ごと敵に突っ込むようにして薙ぎ払った。道は瑠璃のフリージングデスが作る。凍てついた体を十字に切り裂く二つの剣閃きによって破壊され尽された栄螺鬼は恨めしげな声をあげながら夜明けを待たず灼滅されたのだった。

    「あんなのとは付き合ったらダメですよ」
    「う、うん。気を付ける……」
     瑠璃ののほほんとした顔に対して、ユァトムは無駄に神妙な顔つきで答えた。
    「そうだ、わ、忘れないうちに日記帳に今日のことを書いておこう……」
     初めての海辺での戦いをしたこと、それに勝利したこと――興奮さめやらぬうちに、文字にして綴っておきたい。歩実はあくびをかみ殺し、「本日もお疲れ様でした」と一緒に戦った仲間を労った。
    「帰ったら寝よう」
    「そっすね。過激な潮干狩りも終わったことですし」
     ギィが賛成。
     アルヴァレスは朝靄に満ちる海を振り返り、つぶやいた。
    「さようなら。黄泉路に御気を付けて」
    「栄螺鬼さんも、今度は、普通の人間の女の人として生まれ変わってこられたら良いです……」
     しばらくの間、アリスは朝焼けが海を照らしてゆくのを見守った。レビと智夜が声をあげる。
    「早く朝ごはん食べにいこ!」
     ぐう、と鳴ったのはいったい誰のお腹だったのか。
     古の物語が終わりを告げた海岸にて、彼らの仕事もまた夜明けとともに終わりを迎えたのだった。

    作者:麻人 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年8月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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