孤独なビスクドール

    作者:立川司郎

     大切そうに抱えた古いアンティークドール。
     公園の日差しから避けるように、少女はベンチに腰掛けて隣に人形を座らせる。金色の髪は綺麗に梳かれ、服はやや色あせていたがほころびも丁寧に繕ってある。
     ぽつんと、彼女の前に影が落ちた。
    「……かわいいね」
     年格好は中学生くらいだろうか。突然話しかけられ、幼い少女は中学生の少女を驚いたように見上げる。
     思わず人形を抱えようとしたところ、中学生の少女が素早く手を伸ばして人形を取り上げた。
    「いいなぁ、これ誰にもらったの?」
    「おばあちゃんのお土産……返して!」
     少女がベンチから立ち上がって手を伸ばすが、中学生の背丈に叶うはずもない。くすくすと笑いながら、中学生は後ずさりをする。
    「おねえちゃん、お人形を集めてるの。コレ頂戴?」
    「駄目だよ、返して!」
     泣き叫ぶ少女を誘うように、けらけらと笑って中学生は走り出す。後ろを振り返ると、少女は転んでうずくまっていた。
     公園から出て再び振り返ると、母親らしき人が少女を助け起こしているのが見えた。しらん顔で彼女は歩き出す。
     別段人形がすごく欲しかった訳ではなかった。
    「あたしはこんなもの買ってもらえなかった」
     買ってくれなかったし、多分母も父も人形なんか買う気もなかった。だから、自分で手に入れたのだ。
     これで人形が三体。
    「明日はもっと遠くに行こうっと。……幸せそうな子の持ってる、高そうな人形やぬいぐるみ……全部あたしが奪ってやる」
     そして、あたしの部屋をぬいぐるみで一杯にするの。
     
     学園内が慌ただしい。
     それでも相良・隼人(高校生エクスブレイン・dn0022)は、扇子を手の内にもてあそびながら、灼滅者たちを待ち続けている。
     教室から依頼が途絶える事はないのだ。
    「来たな。……贖罪のオルフェウスというシャドウの動きについては、もうお前達も知っている事だろう。またお前達に、こいつの犠牲者の所に行って貰いたい」
     贖罪のオルフェウスは、人の心にある罪悪感を奪い、その罪の意識によって闇堕ちを促しているシャドウである。
     隼人が伝えた犠牲者は、アスカという名前の少女だった。両親は共働きで、深夜遅くにならないと帰らない事が多いらしいと隼人が話す。
    「今日は両親ともに深夜を過ぎるから、ソウルボードに侵入するなら夜十時から二時の間がいいだろう。それなら親も居ないはずだ」
     夢の中で彼女は、マリア像に祈りを捧げている。
     マリア像というあたりが、アスカの心理を表しているのかもな……と隼人は呟く。ともかく、この状態で普通に邪魔をすると、アスカはダークネスのような力を発揮して襲いかかってくるだろう。
     その能力はシャドウに匹敵し、ビスクドールのようなダークネスもどきを呼び出してこちらに差し向けてくる。
    「ただし邪魔だけじゃなく、アスカに罪を受け入れるように説得する事が出来れば、こいつとは別にシャドウもどきの敵が現れて戦闘になる。仮にシャドウアスカと呼称しよう、このシャドウアスカは普通に戦うアスカより少し戦闘力が劣る。それでもシャドウアスカはアスカを狙ってくるから、アスカを庇いながら戦わなきゃならねぇ。アスカが怪我をするような事があれば、シャドウアスカはさらに強くなっちまう」
     説得に失敗したりアスカがシャドウに殺された場合も、どちらもシャドウと合体して戦いを挑んでくる。
     強化されたシャドウアスカは、ビスクドール三体を配下として召還して戦わせる。本体自体は弱体化した時と変わらないが、敵が増えるとその分手を割かねばならないだろう。
     武器は蔦のような影業。
     スピードを生かした戦いが得意である為、スピードでは追いつくのが困難だろう。配下はナイフを武器として使う近接タイプ。
    「説得で弱体化していれば、シャドウアスカは配下を呼び出さないし幾分戦いやすいだろう。その為には、アスカを庇いつつけなきゃならない」
     こいつの中に、懺悔の気持ちはあるのかないのか。
     ……ある、と隼人は言う。
    「あるから、懺悔の夢なんか見るんだろうな。最初から罪の意識がなかったら、懺悔しようとはこれっぽっちも思わないんじゃないか?」
     隼人はそう言うと、ふと薄く笑った。


    参加者
    小村・帰瑠(砂咲ヘリクリサム・d01964)
    神宮時・蒼(大地に咲く旋律・d03337)
    神木・璃音(アルキバ・d08970)
    ヘキサ・ティリテス(火兎・d12401)
    蛇原・銀嶺(ブロークンエコー・d14175)
    絡々・解(線引き・d18761)
    齋木・桃弥(星喰む夜叉・d22109)
    七篠・零(旅人・d23315)

    ■リプレイ

     そこは質素な教会であった。
     特別な飾りもなく、ただベンチが無くマリア像などが設置されただけの、飾り気の無い教会。狭さのせいか、幾分圧迫感を感じる作りではあった。
     扉を開けて中に足を踏み入れると、小村・帰瑠(砂咲ヘリクリサム・d01964)が周囲を見まわして声をあげた。
    「ああ、窓が無いんだねえ」
    「…光が、無いです」
     窓も無く、光もない。
     帰瑠の後ろを着いて歩きながら、神宮時・蒼(大地に咲く旋律・d03337)が天井を見上げた。マリア像の前にいた少女は驚いてこちらを振り返ったが、帰瑠は真っ直ぐに歩き進みながら声を掛ける。
     こんばんは。
     澄んだ帰瑠の声は、教会内によく響いた。ちらりと帰瑠が彼女を見ると、手元にアンティークドールがあった。
     おそらく、今回盗んだ人形なのだろう。
    「ちょっとお話ししたいんだけど、隣、いい?」
     少女、アスカはさっと人形を背に隠すようにして、後ずさる。それが自分のものだと言うように、ぎゅっと背に押しつけた。
     なんだかその様子は、小さな子供のようだった。
     帰瑠と蒼は顔を見合わせると、蒼が語りかけた。
    「…何を、真剣に…お祈り、しているのですか?」
     細く、たどたどしい口調で蒼が話しかける。蒼もまたどこか距離を置いた様子で、アスカは強気の視線を蒼に向ける。
     だがその前に立った帰瑠が腕を腰に当てて静かに見返すと、視線を反らす。
    「この人形って、高いのかな」
     ぽつりとアスカが口を開いた。
     この教会の中でのアスカは、懺悔のアスカ。外で言えない懺悔を残して行く為の教会で、帰瑠や蒼に対しても懺悔の心が少しはあるのに違いない。
     帰瑠が地下付くと、蒼は少し開けて立ち止まった。
    「そうだね。安い物じゃ無いよ。とても良い物だし、これをくれた人はすごく大変な思いをしただろうね」
    「そう……」
    「羨ましい?」
     帰瑠が聞くと、はっとアスカが顔を上げた。
     アスカをじつと見つめる帰瑠は、心を見透かしているようだった。
    「あんたは同じものが欲しいんだよね、すごくその子が羨ましいんだ。……でも、その嫉み僻みも全部、今生きてるアンタを造り上げてきたの。汚さも後悔も、アンタにとって全部大事なモノって事。奪い取った幸せに埋もれて、アンタは本当に幸せ?」
    「……何が言いたいの」
     低い声で、アスカが言う。
     蒼が問いかけた。
    「……おねえさんが、心の底から、望んでいる事は、なんですか?」
    「欲しい物をあたしのものにする事だよ!」
     アスカが叫ぶと、帰瑠は首を振った。
     本当に欲しかったのは人形じゃないし、高価な玩具でも無い。
     アスカの視界に、また一人二人と扉を開いて入ってきた。

     開け放ったままの扉の向こうから、涼しい風が差し込む。
    「夢の中で祈ったって、誰も赦しちゃくれねぇぜ」
     ヘキサ・ティリテス(火兎・d12401)の声が、教会に響く。
     最後に入った蛇原・銀嶺(ブロークンエコー・d14175)は、猫の姿のまま扉をするりと抜けると入り口の前で座り込んだ。周囲をぐるりと見まわし、襲撃に警戒しながら猫化を解くタイミングを計る。
     アスカが心配そうにしていると、絡々・解(線引き・d18761)がすうっと前に躍り出た。
    「……あなた達、誰なの?」
    「僕は名探偵。……真実を見つけるのが仕事だよ」
     ふと笑って解が言う。
     大勢で押しかけてごめんねと解が断ると、零が丁寧に一礼した。柔らかな物腰で、七篠・零(旅人・d23315)が口を開く。
    「何か悩みや不満があるなら、言葉にしてみませんか?」
     ……無い。
     仏頂面で俯いたまま、アスカが言う。
    「……あります。おねえさんの、思い、ボク達が全部、受け止めます。…だから、ぶつけて、ください」
     蒼は一歩足を踏み出し、アスカに言った。
     もしかすると、親に引け目を感じているのかもしれない。ヘキサは、アスカの顔をじっと見つめて、アスカが腰を下ろした台座の横にちょこんと座る。
    「こうやって懺悔してても事実は無くならねぇ。それは積み重なって、結局押しつぶされちまうんだぜ」
     もっとストレートに行けよ、とヘキサは言う。
     零はアスカの様子を見ながら、聞き返した。
    「思った事を、親と話してみた事はありますか? 自分の気持ちを、このマリア像に話したように話した事はあるんですか?」
     親に話してみれば。
     多分それは、言えなかった事だし解決しなかった事なのだ。欲しい物が手に入らなかった事、それはそう望んでも満たされなかった事実なのだと帰瑠は何となく察していた。
     だって。
    「……本当に欲しかったのは、人形じゃないもんね。分かるよ」
     帰瑠の言葉にアスカが顔を上げた。
     少し後ろで入り口をぼんやり見ていた神木・璃音(アルキバ・d08970)が、こちらに向き直って見つめる。
    「奪った人形は、親の代わりになりましたか?」
     家族ってそんな単純なものじゃないと璃音は話す。
     奪う度に、アスカはひとりぼっちで寂しい心を抱えてきたのではないかと璃音は教会を見まわした。
     アスカの心象のここはとても狭くて、寂しいから。
    「買ってくれない、聞いてくれない。でも自分勝手を押しつけるのは、あんたの親がやったのと同じでしょ」
     ヘッドホンを外すと、璃音がきっぱりと言った。
     欲しいのは多分、大切な家族が買ってくれるもの。
     齋木・桃弥(星喰む夜叉・d22109)が言うと、解がうっすらと笑った。
    「キミには、キミの為に贈られたものが一番似合う。……でも、そんなものが無いなんて言うもんじゃあない。人形だけじゃなくて、服や御飯といったものもキミだけの為に選ばれたものだ。それじゃあ駄目かな?」
    「違うよ! あたしが欲しいのは……」
     欲しいのは多分、たった一人自分の為に買ってくれた心からの贈り物。その言葉を飲み込んで、桃弥が影をゆらめかせた。
     いわなくとも彼女は多分、分かって居る。
    「……それよりも」
     桃弥がちらりと入り口の銀嶺を振り返ると、彼は猫化を解いた。と、同時にマリア像の傍に、アスカによく似た『影』が出現した。

     影からアスカを庇うように、解が手を引いて後ろに庇う。シャドウの足元から伸びた影は、蔦のように床を這ってアスカを狙う。
     解の足元に絡め付いた蔦に、自身も影で振りほどきながら解がちらりと背後に声を掛ける。
    「ミキちゃん」
     攻撃の指示を解の声で察し、ビハインドが霊障波を放つ。
     解にぴたりと合わせて攻撃を放つミキであったが、するりと躱してシャドウが影刃を放った。シャドウの攻撃に晒されるのは前衛であるが、背後のアスカを何としても守らねばならない。
     帽子を目深に被りながら、解はシャドウの前に立った。
    「ミキちゃん、アスカ君を後ろに庇っていてくれ。……罪を改めようとするする女の子の気持ちを、別のことに使うような犯人は……名探偵として許しておけない」
     名探偵として?
     アスカが首をかしげると解はにんまり笑った。
    「君に反省を促すのも名探偵の……仕事。真実をねじ曲げるシャドウを倒すのも、名探偵の仕事さ」
     蔦にシャドウの力が満ちていく。
     解が身構えるが、その蔦が解の足元をすり抜けてアスカを狙う。すると、その前に帰瑠が立ちはだかった。
    「……ヒトの心に、土足で踏み込むんじゃないよっ!」
     シールドを広範囲に展開した帰瑠を、影が強打した。
     ちりりと心の底に衝撃が伝わったのは、痛みだけではなく彼女が思い出した幾つかの思い。シャドウの攻撃をまともに受けるのは、受け流すのとは痛みの桁が違う。
     息をついた帰瑠を、すぐ背後から零が矢を放っていやしていく。癒しをもたらす矢の衝撃が、傷と痛みを取り払う。
    「まだ立てるかい?」
    「……当然だよ」
     零は帰瑠のその返事を聞いて、ふと笑った。それなら、力の限り後ろから支援しようか、と言葉を返す零。
     ひとまずアスカは帰瑠に任せておけば大丈夫そうだ。突然の出来事で怯えているアスカに手を伸ばし、桃弥は最後列の自分の後ろにアスカを避難させた。
    「大丈夫。御前は僕達が傷つけさせはしない」
     攻撃を防ぐ帰瑠を見つめていた桃弥が、ちらりと振り返る。
    「御前は自分の過ちを理解しているし、それを認めて受け入れる事が出来る。こうして、御前はここで懺悔していたのだからな」
     語りながら、桃弥が縛霊手を翳して蔦を切り裂く。戦いながらも桃弥が声を掛けると、少しアスカはほっとしているようだった。
     攻撃は帰瑠が阻止している。
     桃弥は彼女と仲間を支えながら、縛霊手を振るった。

     シャドウは蔦による攻撃を続けて来たが、狭い教会内を縦横無尽に飛び回る。蒼はガードを崩さず、糸を教会内に張り巡らせた。
     糸をくぐり抜け、シャドウは笑い声を上げて飛び回る。
    「……捕らえ、きれない、です」
     小さく、蒼が呟く。
     ダメージを少しでも減らす為に璃音が白光とともに一撃を繰り出すが、受け止めきれないダメージが璃音の体を血に染める。
     蒼の影が食らいついたその時、シャドウの体にスペードのマークが浮かび上がった。すさかず、璃音が声をあげる。
    「傷を塞ぐぞ!」
    「同時に行くぞ」
     銀嶺はシャドウの前に飛び出し、魔導書の力を解放した。魔導書が閃光を放ち、同時に璃音が剣を構えて飛びかかる。
     魔導書のエネルギーと剣がシャドウのマークを切り裂くと、シャドウが甲高い悲鳴を上げた。
    『……よくもォォォォ!!』
     シャドウの叫び越えを、銀嶺は表情無く聞く。構えを解いて攻撃に転じた銀嶺は、続いて縛霊手を振りかざした。
     蒼の糸は届かなかったが、自分が先に攻撃すれば……。
     銀嶺がちらりと蒼に視線を向けると、蒼はこくりと頷いて追従した。銀嶺の縛霊手が糸を紡ぎながら、シャドウに覆い被さる。
     巨大な手がシャドウを掴むと、それを更に包むように蒼の糸が絡み取った。
    「……捕らえ、ました!」
    「こいつで、狙いを定めて行けよ!」
     零がまずヘキサ、そして彼に合わせて刀を構えた璃音へと次々と矢を放つ。矢の力が体に衝撃となった伝わり、ヘキサの意識を研ぎ澄ます。
     エアシューズを滑らせて火花をまき散らすヘキサ。
    「その罪ごと、テメェを喰い千切るッ!!」
     そして彼の背に続いた璃音のエアシユーズも、焔を巻き上げる。ヘキサの蹴りが焔を纏いたたき上げると、体勢を崩したシャドウの体を璃音の刃が横凪に一閃した。
     二つのラインが生み出した焔は、シャドウを切り裂き焼き尽くす。
    「……」
     燃えて消えていくシャドウを確認すると、璃音はゆっくりと後ろを振り返った。揺らぐ景色の中、少女はじっとシャドウを見つめる。
     ふわり、とその体を帰瑠が抱きしめた。
    「独りじゃないよ」
     帰瑠の声と腕は、温かい。アスカが子供のように、彼女に抱きつき返す。その様子を見てほっと息をつくと、零は頭を撫でてやった。
     この笑顔が、本当のアスカの笑顔なのだろう。
     零は笑顔で優しく撫でてやる。
    「……消えるか」
     桃弥は教会を見守り、その壁面が崩れ欠けているのに気付いた。崩れた教会の向こうには青空が見える……ああ、ここはこんなに景色のいい所だったのだ。
     きちんと自分の犯した事と見つめ合えるように、と桃弥が伝えるとアスカが恥ずかしそうに頷いた。
    「お前はもっと我が侭言って、もっと甘えてもいいんだぜ」
     ヘキサが言うと、困ったようにアスカが眉を寄せる。
    「もう中学生なのに、そんな事言ってどうするの」
    「小学生の時でも甘えた事ないんだろ、お前」
     ヘキサはちょんとアスカの額を指で弾いた。
     景色が薄まっていくと、解がうっすら笑う。
    「じゃあ、これで名探偵の仕事もおしまい」
     キミの心の事件も、おしまい。

     ……現実に戻ると、アスカはどこか吹っ切れたように安らかな表情で眠っていた。
     彼女の表情を見つめた解が、ようやく終わりを確認して踵を返す。
    「だけど……贖罪のオルフェウス。彼は今後もやっかいな相手になりそうだね」
    「……でも、もうおねえさんは、大丈夫」
     眠っているアスカの横に、蒼がそっと狐のぬいぐるみを置いた。これは、蒼からの贈り物……他の誰でもなく、蒼からアスカへの。
     銀嶺はそんな眠る彼女を見つめて口を開いたが、そこから何の声も音も漏れる事はなく、静かに猫の姿へと戻った。
     ベッドにするりと上がり、カーテンを引くと窓から月光が差し込んだ。
     美しい月夜をしばし眺め、銀嶺はするりとその場を離れて闇に解ける。既に伝えるべき事は、伝わっただろう。
     ……夢の中で。

    作者:立川司郎 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年9月8日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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