武蔵坂学園内掃討戦~死の嘶き

    作者:鏑木凛

     戦の余韻が未だ残る学園内で、その気配から遠ざかる影があった。
     青白い刻印を纏った黒き馬。
     無傷の黒馬は、人気の少ない方、少ない方へと歩みを進めた。蹄鉄の音が空しく響くほど、校舎内の奥まった廊下には、人影が見当たらない。
     ひと啼きした馬は、扉が開いたままの一室へ踏み入る。がらんとした一室は、清潔さを保つ真っ白なベッドや、それを仕切る幕があり、充分な包帯や薬も置かれていた。
     室内を見回して、ぶるる、と再び啼く。まるで、行き止まりであることを覚ったかのように、やがて黒馬は入口を振り返った。
     その瞳に、死の輝きを宿して。
     
    「サイキックアブソーバーを守ってくれて、ありがとう。本当に……」
     静かに頭を下げた狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)は、集った灼滅者たちへ開口一番、そう告げた。
    「僕は、僕にできることを精一杯するよ。これからも。キミたちが、そうしてくれるように」
     一人ひとりの顔を確認しながら睦は微笑み、少しばかり震えていた息を整える。本題に入るね、と口を開いたときにはもう、震えは微塵も感じられなかった。
     爵位級吸血鬼の作戦が失敗したことで、多くの敵戦力は学園から撤退していった。しかし、襲撃してきた数が数なだけに、全員が綺麗さっぱり撤退できたわけではないのだ。
     そう、学園内には、取り残されたままのダークネスたちがいる。
     彼らは、学園内の施設や校舎に潜伏したままだ。この状態で楽しい新学期を迎えられるはずもないため、残存勢力を掃討する作戦を決行する運びとなった。
    「僕からお願いしたいのは、三体のペイルホースが居る保健室だよ」
     眷属のペイルホース。死の馬とも称される、魔力に充ちた黒い馬だ。
     肉体には青白く輝く『死の刻印』が施され、兜のようなものを被っている。この兜のようなものは『頭鎧』と呼ばれ、『死の刻印』と連動して、魔力と運動能力を高めているようだ。
     取り残された存在とはいえ、戦闘力の高さは油断ならない。
    「馬蹄で蹴られたら、痛いのはもちろんだけど、プレッシャーに圧されてしまうよ」
     単体のみを蹴ってくるとはいえ、威力は侮れない。
     またペイルホースの嘶きも、単に啼いているわけではない。味方を回復するのはもちろん、攻撃力を一段階上昇させることもある。
     そして脅威となる技はもうひとつ。一列をまるまる叩いてくるデッドリー・ドライブだ。
    「ペイルホースが逃げ込んだことで、室内はちょっと荒らされた状態になっているね」
     保健室自体、そう狭い教室ではないが、机やベッドといった障害物と呼べるものが破壊されていることもあり、普段より広く感じるだろう。
     これらの物品が、戦いの妨げになることもない。
    「保健室へは、ドアから入ってね。ドアは二つあって、ペイルホースはドアの方を向いてる」
     ペイルホースが背にしているのは、窓だ。
     窓からの侵入も可能だが、ペイルホースが予想外の動きに出る可能性もある。
     開いていたドアから保健室へ入ったということもあり、窓を破るという考え方を知らないのかもしれないね、と睦は言葉を付け加えた。
     ――ここからはもしもの話しだよ。
     そう前置きをして、睦は灼滅者たちへ内緒話でもするかのように静かに語りだす。
    「撃破が難しかったら、彼らが逃げられるよう、退路を開けるといいかもしれない」
     何せ、撤退の際に取り残されたものたちだ。学園外への逃走が叶うのなら、彼らは逃げることを優先するだろう。
     万が一のことを考えておくのも大事なことだ。
    「……いってらっしゃい。ご武運を。それと……」
     睦は最後にもう一度、ありがとうと笑って、灼滅者たちを見送った。


    参加者
    秋津・千穂(カリン・d02870)
    篠村・希沙(暁降・d03465)
    冴泉・花夜子(月華十五代目当主・d03950)
    灰咲・かしこ(宵色フィロソフィア・d06735)
    天理・千華流(天上の蒼・d07682)
    雪椿・鵺白(テレイドスコープ・d10204)
    佐見島・允(フライター・d22179)
    セレス・ホークウィンド(白楽天・d25000)

    ■リプレイ


     大戦の匂いが、辺りに残っている。
     余韻だと言えば、風情があるだろうか。
     灰咲・かしこ(宵色フィロソフィア・d06735)は、その匂いを確認するかのように鼻先をすんと鳴らした。もぬけの殻となった校舎の廊下を走ってきた彼女たちは、まだ消えない匂いの中で、それを見つける。一室に入り込み、行き場を失った奇妙な兜をかぶった黒馬――ペイルホース。三つの馬が、灼滅者たちの視界に飛び込んできた。
     ――逃げ遅れたなんて、少し可哀想ね。少しだけ。
     彷徨いこんだペイルホースを覗き見、雪椿・鵺白(テレイドスコープ・d10204)が瞳を揺らす。
     彼らペイルホースが迷い込んだのは、独特の匂いに充ちた保健室。備品がとにかく多く、普段から賑やかな場ではないが、今日はより一層、静かに思えた。
     横に並ぶ相棒、塩豆を一撫でした後、秋津・千穂(カリン・d02870)が先陣を切る。開いていたドアから突入した灼滅者たちに、馬たちは驚きと興奮を隠さない。突然の敵襲を目の当たりにしたことで、震えるように啼いたり、蹄で床を搔き出した。戦いに向け、体勢を整えているようにも見える。
     佐見島・允(フライター・d22179)は、がしがしと頭を搔いた。
     ――吸血鬼の奴ら、余計なもん残して行きやがって……。
     本来であれば、置き土産はそっくりそのまま返品したいところだが、允は鋭い眼をさらに鋭くさせただけだ。残し物は返さない。そう、強く意志を宿して。
     仲間が全員突入したことを確認し、篠村・希沙(暁降・d03465)は部屋の扉を閉めた。簡単に逃がさへんで、と気合も充分だ。
     ペイルホースの一体が、馬蹄で鵺白を蹴り上げた。鈍い音が空気を引き裂く。よろめいた鵺白は、槍に螺旋を思わせる捻りを加えて馬を突いた。此処で散ってもらうわと。ペイルホースをねめつけながら加えた一撃。初っ端から容赦の欠片も見せない灼滅者に、馬たちの鼻息も荒くなる。
     逃走経路になりかねない扉の前で仁王立ちしたのは希沙だ。突如、彼女の背が引き裂かれる。彼女自身の手によって。しかし現れたのは血しぶきではない。仲間に癒しと破魔の加護を齎す、燃えたぎった翼。
    「迷子のお馬さん。あんたらのお家はここやないよ」
     帰す気もないけど。そう咥内でのみ呟いた。
     三体の中で、前衛としてどっしり構えた堅い馬の一体を、千穂の片腕が飲み込むように殴りつける。巨大化した見目に違わぬ腕力に、馬が呻く。だが、すぐに殺気の矛先は灼滅者へと向けられた。大戦で逃げ遅れた彼らも必死なのだろう。
     千穂の相棒、塩豆の斬魔刀が、その必死さに負けじと牙を立てた。ぐるるると唸る塩豆を振りほどくように身を揺らし、ペイルホースはその馬蹄で塩豆を蹴る。
     そうしている間にも、かしこはダイヤのスートを胸元に具現化させていた。かしこの胸の奥に広がる、果て無い闇へ魂を傾ける。闇堕ちに傾ぐことで、かしこの力はより強さを発揮できるようになった。
     そして、一体のペイルホースが、まるで猛攻に怯える仲間を助けるかのように嘶いた。ペイルホースの嘶きは、ただのそれではない。死から黒馬を遠ざける、癒しを得る嘶き。
     薬の瓶に、綿棒やガーゼ、脱脂綿。消毒用の液体――。
     腕を広げて得物を構えたセレス・ホークウィンド(白楽天・d25000)は、物が散乱し、荒れ果てた床をちらりと見遣る。そして流すようなまなざしはすぐに、敵を見据えた。馬が校内を走り回る学校は、それだけ聞けば愉快そうではある。だが。
    「……さすがに勘弁願いたい」
     吐息に、僅かな呆れが含まれた。それでも斬撃はしなやかに、邪を破るセレスの輝きによって空気を分断した。
     馬は三体とも、それぞれ異なる配置についている。だからこそ、灼滅者たちの狙いはわかりやすい。守りの要を連想させる名を冠し、逞しく佇む黒馬。そこへ雨のように降り注ぐ猛攻。
     天理・千華流(天上の蒼・d07682)は、分裂させた小光輪を、味方の盾とした。
    「さぁ、夏休みの後片付けと行きましょうか」
     透き通るような千華流の青の瞳にも、盾と同じ輝きが灯る。
     蒼い輝きで跳ねるかのように血を蹴った允が、杭を轟音と共に激しく回転させた。そのまま掛け声と共にペイルホースへと突き刺す。深々と。その際に間近で拝んだ黒馬の兜姿に、允はぞっと寒気を覚えた。
    「……馬に……兜……嫌いじゃねーけどセンスが不気味すぎんだろ……」
     禍々しさが増した姿は、死そのものを招きそうでもある。
     すかさず、冴泉・花夜子(月華十五代目当主・d03950)の掌が、炎の奔流を放つ。
     煌々と燃える赤が、今度こそ黒馬を死へと誘った。


     日常生活の中で見る保健室は、白に包まれ、爽やかな風が優しく痛みを拭い去っていくような場所だった。そこにあるのは安心感。傷も、苦しさも、保健室ならどうにかなると信じてしまう雰囲気が、そこにはあるのだ。
     だが今の保健室には、微塵も感じられない空気でもある。千華流は眉根を寄せた。だからこそ。
    「ガンガン行っちゃって!!」
     千華流の手を離れた小さな小さな光の輪は、休む暇なく仲間の背を後押ししていく。
     直後、鵺白の握る武器が、非物質の存在と化して黒馬を貫いた。見目では、傷がついたことすら覚られない。ただ霊魂そのものにつけた傷は、確実にペイルホースを追いつめている。
     苦悶の嘶きが、黒馬の口から溢れ出る。ただの悲鳴にも聞こえる鳴き声だが、紛れもなく、味方を癒すための嘶きだ。希沙の元より放たれた影が、一瞬で伸びてそんなペイルホースを縛り上げる。
     ――誰も。
     魔力の光線が、千穂の指先で生み出された。
     ――誰も、倒れさせない……!
     サイキックを否定する光線が、黒馬を射抜く。負けじと跳ねまわっていた塩豆も、六文銭射撃で応戦した。
     攻撃を重ねるにつれて、暴れる度合いも酷くなる黒馬を前に、かしこは動じず、肩を竦める。
    「保健室は静かにすべき場所だと言うのに」
     ひとりごちながら、かしこがペイルホースへと殴りかかった。瞬時に、網状の霊力が放射され、黒馬の自由を損ねる。忙しなく動く黒馬を前に、かしこは小さく息を吐いた。
     セレスの妖冷弾がペイルホースに撃ちだされた直後、何度目になるかわからない馬の嘶きが、戦場に轟いた。嘶きのタイミングに意識を傾けていた允が、矢継ぎ早にサイキックを否定する魔力の光線を向ける。光は迷うことなく、ペイルホースを貫通した。
    「こりゃ、ジリ貧は避けてーな」
     意外にも、という単語をつけると本当に意外に思えてしまうのだが、灼滅者たちが思っていた以上に、ペイルホースの体力はしぶとい。攻撃に専念すると決めていた允でさえ、妙な汗が垂れる。
     ゆっくりと振り上げた鎌を握り直し、花夜子は黒き波動で敵を薙ぐ。
     もう一体のペイルホースが、狂ったように前足を掲げた。今まで見せなかった動きに、咄嗟にセレスが反応する。何かくるぞと叫んだ。だがその注意喚起と重なるようにして、ペイルホースは疾駆した。
     勢いをつけ、駆け抜けるように前衛を叩く――デッドリー・ドライブだ。


     呼吸を乱されながらも、鵺白はしかとふんばり、槍に加えた螺旋の捻りで馬を突く。息を整える間もなく、希沙の影縛りが飛びこんできた。だが、影は馬の蹄すら掴むことがままならない。
     ぐっと奥歯に力を入れて噛む千穂は、次の瞬間には地を蹴っていた。ローラーダッシュの摩擦が激しい駆動音を立てる。散った火花は炎と化し、重たくも軽やかな蹴りが、千穂の足で繰り出された。ペイルホースの巨体が揺らぐ。
     ――ここに、爪痕は、要らない。
     これ以上、この場所を荒らすのは許さない。そうペイルホースを睨み付ける視線を心配してか、塩豆が一鳴きした。千穂は幾度か瞬きをした後、塩豆の頭をそっとなでる。
     その間に、彼女の蹴りを受けたペイルホースは、跡形もなく消えてしまっていた。
    「君達が残っていると、私も安心して読書に勤しむ事が出来ない」
     かしこの日常である読書のひとときを邪魔されるのは、不愉快なことでもある。だからこそ、サイキックを拒む光で、最後となるペイルホースを攻めた。
     きらり。儀礼用の短剣に似た刀身が、馬が放つ禍々しい蒼の光を浴びる。剣の主であるセレスは、その光もろとも肉を絶つように、華麗な執刀を思わせる一撃を加えた。しかし、ペイルホースも黙って見ているわけではない。振った頭で刀身を払うかのように、セレスの一撃を凌ぐ。
    「これで!!」
     千華流の投げた防護符は、常に見誤ることなく前衛陣を癒していく。幾度となく蹄で蹴られることとなる前衛は、ただでさえプレッシャーに圧されやすい立ち位置だ。メディックである千華流の癒しは、大きな助けとなっている。
     しかし、ペイルホースも決して容赦しない。手加減も、油断も、彼らはしないのだ。デッドリー・ドライブが、ふたたび前衛を襲う。直撃を喰らい、膝から崩れた允は、震える手で胸元のタリスマンを握りしめた。限界ぎりぎりのところで、意識を手放さずに。
     そして、蹴る。冷たい大地を。
    「俺らの校舎だ。これ以上好き勝手すんじゃねー!」
     駆け抜けた先、エアシューズの摩擦により生まれた炎を足に纏い、允の踵が馬の喉元を抉った。
     お馬さんには悪いけど、と允に続いたのが花夜子だ。彼女もまた、炎を這わせている。足ではなく、手のひらに、
    「学園から出ていってもらわないとね!」
     渦を巻くように、炎の奔流が馬の肌を焦がす。 
     ペイルホースの足元がおぼつかなくなったのを、千華流は見逃さなかった。
    「あと少しよ、みんな!! がんばろう!」
     傷を癒すだけがメディックではない。
     言葉で、声で、空気で、仲間の背を押すのもまた、メディックとしての役目でもあるのだろう。
     鵺白の槍が黒馬の胴を突き、その間にセレスが祝福の言葉を風に変えて吹かせ、疲弊が激しい前衛陣を支える。
     優しい風が戦場を吹き抜けていくのを見ながら、希沙はふと、サイキックアブソーバーを死守するために戦ったときを想起していた。無意識に、拳が震える。
    「逃さへんよ! もう一発殴ったろ! それとも同じ黒に縛られる方がええ??」
     荒げた声さえ、震えているようだった。
     希沙は言葉に違わず影を招き、微塵のためらいも見せずにペイルホースへと飛ばした。黒き馬に、その黒よりも深くてひっそりとした影がまとわりつく。
     そして。影に覆われた馬が次に見たのは、恐らく、眩いほどの一筋の光だろう。影と相反する輝きは、かしこが生み出したもので。
    「残念だけど……」
     あどけなさの残るかしこの表情が、光にあてられ、影を溶かす。
    「死を与えるのは、君たちではない」
     窓辺で、保健室の白いカーテンが、囁くように揺れている。
     彼女が言い終える頃にはもう、最後のペイルホースの姿は、影も形もなく、消滅していた。


    「あー……やべぇな、こりゃ大掃除だ」
     静まり返った保健室を見回して、允が頭を搔く。これ以上保健室が荒れないよう、注意を払っていたのは灼滅者側だけだ。さすがにペイルホースが気を遣ってくれるはずもなく、すっかり変わり果ててしまった室内の中で、大きなため息が重なる。
     手近に転がっていた、脱脂綿の入った瓶をセレスが掬い上げる。幸いにも破損はしていない。
    「……保健室だしな」
     セレスがぼそりと呟いた。それっきり黙々と片づけ始めるセレスの背に、せやね、と希沙が目を細める。
    「せめて足の踏み場ぐらいは……つくれるといいな」
     椅子や戸棚を起こしながら、千穂は物が散乱した床の現状を見て言った。片づけを開始していた誰もが、千穂の言葉に頷く。
     針が狂ってしまった体重計を元の位置に戻した允は、ふと、保健室の匂いを吸い込む。
    「そういや俺、身体測定以外でここ入るの、初かもしんねー」
    「健康的な証拠だね」
     真顔の允に、近くで箒を掃いていたかしこが思わず返す。
     思い思いに保健室を整えていく中、しばらくして廊下の様子を見に出ていた花夜子が戻ってくる。花夜子によると、どうやら近くには他に敵もいないようだ。これで漸くいつもの学校生活が戻るのだと安堵した輪の中で唯一、はっと息を呑んだのは千華流だ。突然青ざめた彼女の顔を、仲間たちが覗き込む。
    「ね、ねぇ篠村さん、冴泉さん、良かったら勉強会とか、どう?」
     その一言で皆も覚った――テスト期間が迫っていたことを。
     理解した途端、誰からともなく笑い声が零れ落ちる。
    「ふふ、テスト……あったわね、そういえば」
    「すっかり忘れちゃってた」
     鵺白の笑いに、花夜子も乗った。
     戦いの音と匂いに塗れていたはずの校内に、よく耳にする笑い声や、よく目にする普段の表情が帰ってくる。

     それは紛れもなく、灼滅者たちが死闘の末に取り戻した、日常の姿だった。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年9月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ