アオイロの告白

    作者:零夢

     先週末は、父の誕生日だった。
     けれどそんなのはどうでもいい。
     だって今のあたしは学校帰りに偶然この道を通った一女子高生で、あの人にとっては価値のない落ちこぼれで――なにより、あたしの両親は今年の春に離婚しているのだから。そしてあたしは、父のもとから離籍したのだから。
     だからあの人とあたしは、『ただの他人』だ。
     家族仲なんて、とうの昔に冷め切ってる。
     右手に下げた通学鞄の中にはラッピングされた男物の財布。でもこれは別に、去年偶然見かけたあの人の財布がボロボロだったこととは何の関係もない。
     だって、もう新しい物を買ってしまったかもしれないのだから。
     だからこれは自分へのプレゼント。ただ、必要ならあげなくもない。
     そうやってあたしは、口実にもならない言い訳を重ねて一年前まで家路だった道を進む。
     三丁目の曲がり角、四件目の小さな家。
     見慣れた玄関の前に立ち、『他人』としてチャイムを押すのは変な感じ。
     そして、
    「何しに来たんだ」
     ドアが開くと同時に飛んできたのは、冷ややかな拒絶だった。
    「な、にって……」
    「お前のせいでどれだけ迷惑したと思っている。誰のせいで俺が今苦労しているのかわかっているのか。誰の為に俺が働かなきゃいけないのかなんてわかってないんだろ」
     だから能天気なツラ下げてこんな場所に来れるんだろ?
     心の勇気を掻っ攫えて踏み出した一歩は、全てを奈落に叩き落す。
     ――あたしは、何しにここに来たんだっけ? 何が言いたかったんだっけ。
     のどが痛い。
     目が熱い。
     胸に湧いたどす黒い闇が、あたしの全身を駆け巡る。
     もういい。
     考えたくない。
    「アンタなんて、父親でも何でもない」
     
    「そうして彼女、浅葱・アオイはデモノイドへと闇堕ちし、自らの父親を手に掛けた」
     と。
     このままではそうなるのだと、帚木・夜鶴(大学生エクスブレイン・dn0068)は集まった灼滅者達に予知した事件を説明する。
     だからその前に、灼滅者であるきみたちに介入してもらいたいのだと。
    「そもそも彼女と父親の不仲の原因は進路希望の食い違いという……まぁ、それだけ聞くなら些細といえば些細、よくある話といえばその程度のものなんだ」
     ただ、アオイの場合のそれは他人より大ごとになってしまっただけで。
     少しだけ複雑そうな微笑を浮かべ、夜鶴は説明を続ける。
    「アオイは今年の春に受験し、地元トップの公立進学校に落ちたものの、第二志望の有名私立には合格した。……したんだがな、タイミングが悪かった」
     娘の進学時期に、父の事業失敗の時期が重なってしまったのである。さらにはアオイ自身、もともと私立に行きたがっていたこともあり、父の怒りの矛先と八つ当たりの対象はアオイと、アオイを支えた母親に向けられた。
     その後、紆余曲折を経た夫婦は経済的な理由も含めて離婚。
    「いくらなんでもそのタイミングで離婚されては、娘だって思うだろ? 両親の離婚は自分のせいだ、と」
     むしろ平気な顔でいられる方が珍しい。
     まして久々にもらった言葉に心も情もなければ、そうそう立ち直れるものでもない。
     生みの親からの否定は、存在の否定にも等しい。
    「放っておけばアオイは理性を失い、化け物として父親のみならず、周囲の人間にも危害を加えるだろう。その前に、きみたちに動いてもらいたい」
     方法は戦闘。
     選択肢は灼滅と救出の二択。
     灼滅者が介入できるのはアオイが父親と接触した直後からになる。ただし、すぐに介入しない限り、間違いなくアオイは父親を殺すだろう。
     それほど彼女の精神は不安定であり、理性は闇に蝕まれている。
    「いいか、彼女が人間に戻りたくないと思ってしまえばおしまいだ」
     もっとも、灼滅によりケリをつけるのならば話は別だ。おそらく、今回の件は灼滅が最も簡単な方法であり、犠牲も少なく成功率も高い。
     闇堕ちしたアオイを助けられるかは、どれだけ彼女が人間に戻りたいと願っているかにかかっている。ただ倒しても、彼女が望まなければ戻れはしない。そして戻りたくない理由など、キリがないほどあるだろう。
     それでも灼滅者達が彼女の中の『人間』を繋ぎとめることができたなら、それは戦闘における隙となる。鍵となるのは父親の存在であり、同時にそれは、両刃の剣としての危険性も秘めている。
     失敗すれば完全なダークネスとの戦闘になることも忘れてはならない。
     これらを踏まえたうえで、どうするかをよく話し合ってほしい。
    「どんな結果になろうとも、私はきみたちの選択を信じるし、無事を祈っている」
     だから任せたと、夜鶴は話を締めくくった。


    参加者
    椿森・郁(カメリア・d00466)
    夕凪・千歳(黄昏の境界線・d02512)
    紀伊野・壱里(風軌・d02556)
    村雨・嘉市(村時雨・d03146)
    黒蜜・あんず(帯広のシャルロッテ・d09362)
    鈴木・昭子(かごめ鬼・d17176)
    多鴨戸・千幻(超人幻想・d19776)
    結川・叶世(夢先の歩・d25518)

    ■リプレイ

    ●放課後の瓦解音
    「誰のせいで俺が今苦労しているのかわかっているのか」
     突き刺さる。
    「わかってないんだろ。だから能天気なツラ下げてこんな場所に来れるんだろ?」
     突き刺さる、突き刺さる、言葉の刃。
     そして――。
    「アンタなんて、父親でも何でもない」
     吐き出された否定とともに、少女の肉体を内側から取り込むように青色の寄生体が隆起する。
    「「「アオイさん!」」」
     そう呼び掛けると同時に、周囲に身を潜めていた灼滅者達は一斉に動き出していた。
     突然の眠気に倒れる父親。
     振り上げられる青の巨腕。
     父娘の間に割り込む複数の人影。
     一拍の間を置き、衝撃音に震える空気――しかしその振動は、鈴木・昭子(かごめ鬼・d17176)のサウンドシャッターで戦場内に閉じ込められる。
    「重っ、た……ッ!」
     夕凪・千歳(黄昏の境界線・d02512)は大きく広げた障壁で一撃を受け止めると、膝を曲げて踏みとどまる。
     ただ振り下ろされただけの拳が、なぜこれほどにも重いのか。思い当たる節は、哀しいほどに存在する。だがそれは、ここで立ちはだかる理由にこそなれ、身を退く理由になりはしない。
     彼の背後では父親を眠らせた結川・叶世(夢先の歩・d25518)がしんがりに控え、椿森・郁(カメリア・d00466)が怪力無双で父親をアオイの鞄と共に玄関の奥へと運び込む。
     大切なものを、壊さぬように。
    「彼女が死なずに済むように、祈ってて下さい」
     眠りに落ちた意識の向こう、届かぬと知っていて言わずにはいられなかった。
     でなきゃあまりに、切なすぎる。
     ガチャリと閉ざされる玄関の戸。
     瞬間、青色の異形はもう一方の腕を振り被り、内から湧き起こる衝動のままに突き伸ばした。
     即座に反応する紀伊野・壱里(風軌・d02556)。翳した指輪で魔弾を放ち、動きの自由を抑え込む。
     腕を伸ばしたのがアオイであれデモノイドの破壊衝動であれ、今はまだ、ここを通すわけにはいかない。
    「歯ぁ食いしばれよ!」
     村雨・嘉市(村時雨・d03146)は構えた槍に力を込め、穿つように捻り込む。全身から溢れる殺気は、『力』持たざる者の一切を戦場に近づけぬことを意味していた。
     ここは、少女の大切なものを取り戻すために闇がぶつかり合う場所。
     黒蜜・あんず(帯広のシャルロッテ・d09362)が撃ち込む妖冷弾、反撃に持ちげられた巨腕はぐにゃりと歪み、鋭利な刀となって襲い来る。
     風を切る音、が、僅かに短い。
     腕が振り切られる直前、多鴨戸・千幻(超人幻想・d19776)がその身を割り込ませていた。左腕に斬撃を受け止め、踏みしめた足は弧を描くように、車輪の付いた靴裏で荒々しく地を擦る。そして、摩擦の火花を炎に変えると思い切り蹴り上げた。
     燃え移る炎、怯んだ一瞬の隙。
     すかさずあんずは叫んでいた。
    「アオイさん、落ち着いて。今、あなたがどうして悲しいのか、傷ついているのか考えてみて」
     かつて闇の中にいた自分がもがき求めたように、今の不器用な自分に重ねるように、ありったけの想いを乗せて。
     なのに答えは、
    「あ……、ぁァああアアあアぁぁァぁああああア!!!!」
     威嚇とも悲鳴ともつかぬ咆哮。
     青い闇の暴走は止まらない。

    ●理性なき無意識
     やがて咆哮がやむも、残響が灼滅者達の鼓膜を叩き続ける。
     容赦なく斬りつけられた千幻の左腕は、サーバント達、棗とさんぽが二匹がかりで治療していた。当たり所が悪ければ、それだけでは済まなかったかもしれない。
     理性が無ければ躊躇いも無い力。
     だが、そこに感情までもが無いのだと言い切れるのだろうか?
     無表情に玄関へ踏み出すデモノイドに、昭子が地を蹴り滑走する。
     衝突の寸前、大きく飛び上がると重力すらも味方につけた飛び蹴りで行く手を阻む。
     今日この場に立つために、アオイは様々なことを思ったはずだ。
     本当に拒絶されているかもしれない。
     実はただの八つ当たりかもしれない。
     お父さんだって、理由を重ねて勇気を振り絞らないと向き合えないのかもしれない。
     そんなたくさんの『かもしれない』に頭を抱えて、それでも大切なものを信じたくてここに来た。
    「アオイちゃん。あなたはアオイちゃんです。アオイちゃんが苦しかったことも、哀しかったことも、ぜんぶ本当の本物です」
     昭子は繰り返しアオイの名を呼ぶ。
     嬉しかったことも楽しかったことも好きだったことも、嘘になったりしない。
     嘘にしては、だめなのだ。
    「絆を失って苦しいのは、心が動くのは、貴女がそれに満たされていたから。大切な物を失くして苦しいのは当たり前」
     ――だって、人間なんだもの。
     包み込むように言った叶世が風刃を放てば、郁も重ねて問いかける。
    「誕生日を忘れずにいて、贈り物を綺麗に包んでもらって……きっと時間をかけて迷ったりしながら選んだんだよね。アオイさん、それ持ってここまで来たのは、なんで?」
     わだかまった感情を吐き出させるように叩き付けた盾は刃を成した腕に弾かれ、郁は押し返される。だが、アオイへ伸べられる手は途切れない。
    「よーく考えて。お財布はどうして男物なの? それは、渡せなくても本当に後悔しない……?」
     寂しさをたたえた深い瞳で、あんずはアオイへ歩み寄る。
     素直じゃないつらさは人一倍よくわかる――だってあたしもそうだから。
    「あたしもなかなか素直になれないの。上手く気持ちを伝えられなくて誤魔化して、自分自身にも隠しちゃって……」
     でもね、とあんずは続ける。
    「思いが伝わらなかったり、受け取ってもらえなかったらやっぱり悲しいの」
     だから戻って来て、そして、もう一度踏み出しましょう?
     一気に距離を詰め、伸ばした槍で胴を貫く。それでもデモノイドは止まることなく、邪魔者を蹴散らすように巨腕を薙いだ。
     潜りかわす壱里、真っ直ぐにアオイを見据えた彼は、静かに告げる。
     殺してしまったらアオイの気持ちは伝わらないよ、と。
    「拒絶されて悲しかっただろ? 理解してほしいと願ったんじゃないのか?」
     本当はありがとうと、そう言って欲しかったんじゃないのか。
     撃ち放つのは漆黒の弾丸。返されるのは肯定でもない否定でもない、ただ壱里の声を掻き消さんがための怒号。
     だが、それを上回る声量で嘉市が叫ぶ。
    「目ぇ覚ませ! 全部捨てようとすんな! 思い出せ、一緒に過ごした時間が家族の絆だろ!」
     懐へ入り、叩き付けるフォースブレイク。体内で激しく爆ぜる魔力に青色の巨体が僅かに揺らぐ。
     今の籍が違っても、今までの時間が消えるわけじゃない。
     今すぐ分かり合えなくても、ここで諦めたら一生分かり合えないままだ。
    「だから、『人であること』を諦めるんじゃねぇ!」
     眼光鋭く言い放てば、拒絶のように撒き散らされる強酸の雨。
     避けきれず被った飛沫に、焼け付くような痛みが全身を襲う。それでも必死に歯を食いしばり、アオイから目を逸らさぬ彼を、千歳が集気法ですぐさま癒す。全快からはいささか遠いとはいえ、痛みが和らぐだけでも大分違う。
     ましてデモノイドも今や万全の状態ではないのだ。
     あと少し――あと一押しの先に残るのは、救出された『アオイ』なのか灼滅された『デモノイド』なのか。それは誰にも読み切れない。
     だからこそ、千歳は語り続ける。
    「離婚の事もさっきの暴言も、全部君のせいじゃないよ」
     それはきっと、アオイがずっと求め続けて己に言い聞かせ、そして、信じ切れなかった言葉。
     ――アオイちゃんは、よく頑張ったね。
     小さく、柔らかく笑い、千歳はアオイの不安と苦悩を受け止める。
    「でも壊して取り戻せなくなって……それで満足じゃないだろう?」
     愛されていなかったわけじゃない。ただ、すれ違ってしまっただけなんだ。
     タイミングの悪さは時として、人から多すぎるまでのモノを奪い去る。
    「色んなことが重なっちまうとさ、全部まとめて受け止める余裕がなくなっちまうんだよな」
     自らの間の悪さを省みた千幻が、独白のように洩らす。
     それでも、人は時の流れがもたらす落ち着きと共に、やりきれない物を消化しようと動き出すものだから。
     振り下ろす縛霊撃。絡みついた霊力の網がデモノイドの動きを奪い去る。
     アオイだって、ここまで来ようと思えたならあと一歩だ。
    「アオイさん」
    「アオイちゃん」
     叶世と昭子が彼女を呼ぶ。
     『アオイ』が道を違わず、帰ってこられるように。
    「貴女は確かに、お父さんの事を思っていた。その気持ちを嘘だなんて、言わない」
     それは貴女の中の、悲しいまでの人の心。
    「だからアオイさん、貴女は人に戻れるよ」
     私はそう、信じてる――言った叶世に、昭子もきっぱり肯定する。 
    「アオイちゃんは、間違っていません」
     と。
     本当の事は向かい合わないと判らない。
     どんな可能性も、叩き潰したらずっと判らないままだ。
    「子どもだから何も判っていないだなんて、思われるのは悔しいです。判っていたって来たのだと、胸を張って言いましょう」
     ちりん、と昭子の身につけた鈴が鳴る。それは、彼女が此処にいる証。
     凛と放たれたその言葉に、一際高くアオイが哭く。
     つらかったんだろう、苦しかったんだろう――なんて、他人の気持ちなんて結局、想像することしかできない。
     何かしてあげられるなんて、思い上がりもいいところ。
     でも、誰かのせいにせずにいられない時があるように、誰かの為に何もせずにはいられない時だってあると、郁は思う。
    「暴れて叫んでわめいて泣いて、そーゆーのは全部私たちが引き受けるから。だから、思う存分吐き出したら――」
     強い意思を宿した瞳は赤く煌めき、足元の影は郁子となってデモノイドへ走り出す。
    「……戻って来て、アオイさん」
     絡みつく蔦、刃となった葉には祈りを乗せて。
     深々と刻まれる鮮やかな傷口。
     ――そして、全身を覆い尽くす青色の鎧が綻んでいく。

    ●アオイナミダ
     デモノイドが消えたあとには、ひとり仰向けで泣きじゃくる少女がいた。
     左右の手で両目を多い、それでも抑えきれない涙とともに、のどの奥から嗚咽が洩れる。
    「……っ、たし、――っ、き、…………ったのかなぁ……っ?」
     ――あたし、好きだったのかな。
     ちゃんと、お父さんの事。
     途切れ途切れに吐き出すアオイに、昭子は傍らに膝を折ると温く濡れた手に手を重ねた。
     なにも言わず、ただその想いを支えるように力を込める。
    「ほんと、は……っ、泣いていいの、あたしじゃないんだ。泣きたいのも、泣いていいのも……っ」
     それは懺悔にも似た、アオイの告白。
    「あたしにとっては『お父さん』と『お母さん』で、でも二人にとっては『夫』と『妻』で、……お父さんと、お母さんは……『恋人同士』だったんだって、思ったら……」
     大きくしゃくりあげると、堰を切ったように指の隙間から涙があふれ出す。
    「……っなのに……っ、あたしのせいでわかれちゃ……っ、たと――もったら……っ!」
     大好きだったんだ――ごめんなさい。
     彼女はずっと自分を責め続け、傷口と向き合い続けてきたのだろう。でも、時には目を塞ぐことだって赦されるはずだ。
    「ねぇ聞いて、アオイさん。苦しみを数える為に、貴女はいるんじゃないのよ」
     叶世が優しく言葉を紡ぐ。
     貴女が抱える傷は、貴女が家族を大切にしていた証。
     貴女がお父さんを大事に思っていたこと、私、ずっと覚えてる。
    「――……っ」
     引き結んでいた唇を解き、声もなく少女が泣く。
     泣いて、泣いて、誰にも言えなかった叫びを吐き出して。
     やがて落ち着きを取り戻すと、アオイは真っ赤に腫れた目で世界を見上げた。
     そこにいるのは、八人の灼滅者と二匹のサーヴァント。
     ――まぶし。
     口の形だけでそう呟いて、ゆっくりと起き上がる。
    「……おとうさん……と、あれ、あたしの鞄……」
    「お家の中で眠ってるよ。鞄も一緒。大切なもの、入ってるもんね」
     郁の答えに、アオイは俯きがちに頷く。じっと見つめる先には自分の膝。
     すると、
    「……ね、アオイさん」
     再び悩みに蹲りそうな彼女に、あんずが声をかけた。
    「もう一度、頑張ってみない? 一人が怖かったら、あたしたちもいるから」
    「もう、いちど……」
     繰り返したアオイに千歳も頷く。
     勘違いしたまま永遠に和解できないなんて、悲しすぎる。
     関係が終わりだと決めるのは、不満も感謝も、互いにすべてを伝えてからでも遅くはないはずだ。
     千幻もさんぽと並び静かに見守っていると、アオイはぎゅっと膝を抱きしめ、それから、立ち上がる。
     大きく深呼吸すると無言のまま踏み出して、玄関の戸に手を掛けて、そして。
     ――そこで、彼女は固まった。
     指が、震えている。
    「なぁ」
     言って、沈黙を破ったのは壱里だった。
    「アオイは、どうしたいだ?」
     彼女が抱える問題が一筋縄じゃいかないのは誰の目にも明らかだ。ましてや肉親からの罵声を浴びた直後、怯んだからとて責められるものではない。
     答えぬアオイに、壱里は穏やかに、もう一度聞く。
    「……どうしたい?」
    「……っ、……ごめん。あたし、いま会ったら絶対平気じゃいられない。でも」
     でも、でも、でも――。
    「いつか絶対、向き合うから」
     ガチャリとドアを開けた少女は足音を忍ばせ素早く玄関に上がり、鞄を掴んで外へ走り戻る。
     鞄を開けて取り出すのは、少しだけ包装の縒れたプレゼントと小さなメモ帳。
    「……ありがと、あたしのヤケを止めてくれて」
     なのに、意気地なしでごめん。
     アオイは震える声で灼滅者達にそう伝えると、メモ帳を一枚切り離し、素早くペンを走らせた。
     ――誕生日、おめでと。
     小さな紙にそれだけしたため、器用に折り畳みプレゼントと一緒に郵便受けへカタンと落とす。
     それは一度に全てを背負いきれない彼女が出した、いつか全てと向かい合うための決断。
     もし、自分だったら。
     嘉市はふと己の家族に思いを馳せ、やはり何を選んでも痛みからは逃れられないのだろうと思い直す。
     何が正解かなんて、今は誰にもわからない。いや、十年後にだってわからないかもしれない。それでも、
    「……行くか」
     いつまでも蹲ってはいられないから。
     嘉市の声に頷くと、アオイは一度だけ玄関を見据え、背を向ける。
    「うん」
     いつかまた、少しだけ強くなって、ここに戻ってこられるように。

    作者:零夢 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年9月22日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 4/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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