奇妙な違和感を感じて、彼は目を覚ました。
真っ暗な部屋の中。枕もとの携帯で時間を確認すれば、ちょうどデジタルの表示が「02:00」から「02:01」に切り替わるところだった。
「……なんだ……?」
呟いて、上半身を起こす。
大きくなるばかりの違和感――だというのに、それを当然のように受け入れようとする自分がいる。
違和感を覚える自分、当然と受け入れる自分。
いったいどちらが本当の……?
「なんなんだ、これは」
頭を振って俯いた彼の視界に、自分の手のひらが映る。
――血が欲しい。
不意に湧き上がる衝動。
その手をきつく握り締め、ゆっくりと顔を上げた彼の瞳は血のように赤く染まっていた。
「とある高校生がダークネスになろうとしている」
集まった灼滅者たちを前に一之瀬・巽(高校生エクスブレイン・dn0038)が言った。
「彼の名前は篝・奏弥(かがり・そうや)。高校生だ」
近親者の誰かがヴァンパイアになってしまったらしく、それに巻き込まれ闇堕ちしたらしい。
「ヴァンパイアとしての衝動に駆られているけれど、それでもまだ、彼には『篝・奏弥』としての意識が残っている。だから……できることなら彼を救ってやって欲しい」
手にした資料を広げ、巽は続ける。
「彼は家族と一緒に暮らしているんだけど、たまたま彼以外全員不在でね。闇堕ちした彼は吸血衝動に駆られたまま家を出る」
家族が自宅にいれば、家族に手を掛けていたかもしれない――不幸中の幸いと言っていいだろう、と巽が呟く。
「彼の自宅は新興住宅地にある。まだ開発が始まって間もない地区らしくて、更地のままの区画も多い。戦う場所には不自由しないはずだ」
道沿いには街灯が設置されているが、まだまだ開発途中の地区である。深夜2時を過ぎようかという時間帯に屋外を歩いている人間はほぼいない。
「そんな中を男とはいえ高校生が、明らかに部屋着と分かる格好でしかも裸足で歩いているんだから他の誰かと見間違えるなんて事はないと思う」
いざ戦闘となれば、彼はダンピールと同種のサイキックを使い攻撃を仕掛けてくる。
「堕ちかけとはいえヴァンパイアだ。彼は、強いよ」
ただし、彼の人としての心に呼びかけ説得すればその力は弱まる可能性がある。
巽の広げた資料によれば、彼は本来理性的な性格で感情や衝動に引きずられるようなことはほとんどないらしい。
「今回の件についても、どこかで『何かがおかしい』と思っているはずなんだ。それと、彼が無意識に向かおうとしてる場所」
それは中学時代から付き合いのある同級生の自宅だった。別の高校に通うようになってからも交流があり、かなり親しいようだ。
「『篝・奏弥』としての、人としての彼がそこに行って何がしたいのか……」
そのあたりも説得の材料にできるかもしれない。
しばらくの間の後、巽は改めて灼滅者を見回した。
「何にせよ見過ごすことはできない。行って、彼を救ってやってくれ」
参加者 | |
---|---|
六乃宮・静香(黄昏のロザリオ・d00103) |
花蕾・恋羽(スリジエ・d00383) |
久瑠瀬・撫子(華蝶封月・d01168) |
クラウィス・カルブンクルス(叶わぬ夢に酔いしれて・d04879) |
笙野・響(青闇薄刃・d05985) |
桐城・詠子(逆位置の正義・d08312) |
綿津海・珊瑚(両声類・d11579) |
齋木・桃弥(星喰む夜叉・d22109) |
●
等間隔に並んだ街灯が夜道を照らす。寝静まった住宅街に、虫たちの鳴き声だけが響く。
今のところ灼滅者以外動くものの気配はない。けれど、この住宅街のどこかをヴァンパイアになった少年が歩いている――血を求めて。
六乃宮・静香(黄昏のロザリオ・d00103)がやるせなさ気に首を振る。
「……私の場合は兄でしたけれど、その絆で感染しても」
ヴァンパイアは闇堕ちする時、元人格の血縁や愛する者を同時に闇堕ちさせる性質を持つ。親類、縁者、想い人。元人格の大切だと思う人間に闇堕ちが『感染』してしまうのだ。
親しい人の家に向かおうとする少年の心の内を思い、花蕾・恋羽(スリジエ・d00383)が小さく息を吐く。
感染した少年に何かを感じたのか、クラウィス・カルブンクルス(叶わぬ夢に酔いしれて・d04879)は辛そうに眉を顰めた。
(「巻き込まれ型の闇落ちは、ヴァンパイア特有ですね」)
仲間の様子に気遣わしげな視線を送り、久瑠瀬・撫子(華蝶封月・d01168)は思う。
巻き込まれた人間には何の非もない。今闇堕ちしかけている少年にも当然、落ち度は何もないはずだ。
(「望んでなったひとなら、ばっさり灼滅してあげるところだけど」)
望まずにダークネスになるなんて、と笙野・響(青闇薄刃・d05985)が軽く目を伏せた。
「……助ける以外の選択肢は、取りたくありませんね」
クラウィスが思わず漏らした呟きに、桐城・詠子(逆位置の正義・d08312)が応じる。
「彼が闇に堕ちる前に、正しき場所へと導きましょう」
皆が頷き、彼らは改めて奏弥の姿を探す。
「――見つけた」
どれくらい経っただろうか。齋木・桃弥(星喰む夜叉・d22109)が道路の先を指差した。
灼滅者たちの視線が彼の指差す先を追う。
そこには、伝え聞いたとおりの少年の姿があった。
綿津海・珊瑚(両声類・d11579)と静香をその場に残し、灼滅者たちは近場の空き地へと身を隠す。
「――行きましょう」
珊瑚と静香が頷きあった。
●
「今晩は」
掛けられた声に少年――篝・奏弥が立ち止まる。
「貴方も月を見に?」
柔らかな笑みを浮かべる静香と珊瑚を、奏弥は黙ったまま見つめる。その視線にどことなく不躾なものを感じるのは獲物として品定めされているからだろうか。
「良い月夜ですが――その足では、月ばかり見て夜を歩けませんね」
僅かに目を細め、静香は彼の裸足のままの足元に視線を落とす。
「そんな格好で来るほど好きなんですか」
珊瑚も彼がゆったりとしたパジャマ姿であることを半ば呆れ顔で指摘する。
「…………」
自らの足元を見下ろし、パジャマの前合わせ部分に手をやる奏弥。
「とりあえず今の時期にその格好は寒そうです、よければコレどうぞ」
珊瑚が差し出す上着に目を遣りながらも、奏弥はそれを受け取ろうとはしない。
数秒の間の後、静香は意を決して口を開いた。
「その姿で何処にいくのです? 何をするのです?」
まるで自分の中の何かに駆り立てられてるかのように――。
彼女の問いかけに奏弥が顔を上げる。
「貴方は誰か知り合い……それも信頼できる方のところに行こうとしてますね」
痛ましげな表情で珊瑚が続けると、彼の紅い瞳に剣呑そうな光が宿った。
「行って何をしようとしてたんです? 相談、懇願、それとも……」
「俺が何をしようとお前たちには関係ないだろう」
淡々とした冷たい口調で奏弥が返す。
「そんな状態で会って大丈夫だとお思いですか? その衝動に身を任せた状態で会って、その方が無事だとお思いなんですか?」
珊瑚の訴えに、奏弥の目が一瞬だけ大きく見開かれる。
「貴方は今の状況がおかしいと自覚しているはずです」
抗えぬ衝動に突き動かされていても、その心の奥底の違和感は消えていないはずだ。
奏弥を真っ直ぐに見据え、静香もまた言葉を紡ぐ。
「喉が乾いているからと、絆ある人の血を飲めばもう二度と戻れなくなる。喉の渇きは、心の乾きに変貌してしまう。その、前に」
「……なにができる」
言いながら奏弥が俯く。
「だからって何が出来る」
暗い声に宿るのは『奏弥』の諦めか、『ダークネス』の嘲りか。
「できます」
「だから一緒に、来てください」
いずれにしても、戦うしかないのだから――。
静香と珊瑚、2人に連れられ奏弥は空き地へと足を踏み入れた。待ち構えていた6人の灼滅者を目にし、皮肉そうに顔を歪める。
「ああ、そういうことか」
2人に説得され、一応大人しく空き地までやってきた奏弥だったが……やはりまだダークネスの意識のほうが強いらしい。
敵意を隠そうともしない彼に詳しい説明をする時間はないだろう。だからクラウィスは単刀直入にこう言った。
「篝様、私たちは貴方と戦わねばなりません」
自らの身長よりも長い十文字鎌槍を構え、撫子が続ける。
「今から君を倒します。だから全力で抗って下さい」
●
クラウィスが手にした聖剣を振るう。咄嗟に身を引いた奏弥の肌を、破邪の光を放つ斬撃が掠めていく。
奏弥が僅かに目を細め、反撃に転じようとした時――彼の足首から血飛沫があがった。
咄嗟に振り返った奏弥の目に、槍を振り抜いた撫子の姿が映る。
「自覚なさい。今の状態を」
君を助ける為に全力で私達も望みますから。
「衝動のままに誰かを襲ってしまえば、もう戻れなく成りますよ」
撫子に気を取られていた奏弥の耳に、別の少女の声が響く。
「あなたは、吸血鬼になりたいわけではないでしょう?」
ごく近くで聞こえた声に、奏弥が身構える――が、それは一瞬だけ遅かった。
素早い動きで死角に回りこんだ響が奏弥の体をその服ごと切り裂く。思わず地面に片膝をついた彼に煤竹の柄の小刀を突き付けながら、響が告げる。
「自分の意志と反するなら、戦いなさい。わたしたちができるのはお手伝いだけよ」
「奏弥さん、衝動に任せて大切なものを失ってはいけません」
漆黒の弾丸を放ち、詠子もまた声を掛ける。
「このままでは貴方が貴方でなくなってしまいます」
壊れたものは直らない。失った大切なものは……決して戻らない。だから、そうなる前に。
「黙れ!」
奏弥の腕に鮮血のような緋色のオーラが宿る。
緋色の手刀と化した彼の腕が響に迫り、彼女は一瞬後に来るであろう斬撃に備え身構えた――が。
『ギゥ!』
2人の間に割って入った小さな影が、緋色の手刀に斬られ小さな声を上げる。
「豆大福!」
主に名を呼ばれ、恋羽の霊犬「豆大福」はぶるぶると体を大きく震わせた。そして大丈夫だとでもいうかのように一声鳴く。
「ヴァンキッシュも皆さんを守ってくださいね」
囁く詠子に応じ、彼女のライドキャリバー「ヴァンキッシュ」がタイヤを鳴らした。
「自分でも何かがおかしいと言う事に気がついているのだろう? そう思っている内ならまだ大丈夫だ」
灼滅者を睨み付ける奏弥に向かい、桃弥が右腕を突き出した。
「人でなくなることを恐れてはいけない。ほら、眼の前にもいるだろう?」
言葉と共に桃弥の右腕が異形と化す。巨大化した腕を振り上げながら彼は奏弥に肉薄する。
その動きに合わせて後退しようとする奏弥に構わず、その右腕を思い切り振り下ろす。
巨大な異形の腕から身を守るべく翳された奏弥の両腕が、それをまともに受け止めてミシリと嫌な音を立てた。
「っ!」
衝撃の凄まじさに、奏弥の口から小さな呻き声が漏れる。
「これでも普段は普通に学生生活を送っている。御前の中にある衝動に耐えることができれば、御前も何時も通りの生活を送れるだろうよ」
「奏弥さん、中学時代から付き合いのある同級生の家へ向かおうとしていたみたいですね」
その指先に仲間の傷を癒す霊力を集めながら、恋羽が問い掛ける。
「何故、そこに向かおうとしていたんですか? その方の家へ向かって何をしようとしていたんですか」
暗く赤い瞳のその奥にはまだ『奏弥』としての意識が残っているはずだ。
「奏弥さんは、心の何処かでその人に止めてほしかったのでは……?」
恋羽にはそう思えてならなかった。
(「けれど、それはただの一般人には……」)
口には出さず、彼女は思う。
その人に、奏弥を止めることはできない――闇堕ちしかかった人間を止められるのは自分たち灼滅者だけなのだから。
●
住宅地の一角で、戦闘は続く。
堕ちかけとはいえ相手はヴァンパイア。灼滅者たちが攻撃のたびに受けるダメージは決して少なくない。
8人の中で最も体力の少ない珊瑚に向けて、奏弥の手が伸ばされた。
半ば突き飛ばすような形になりながらも珊瑚を庇うクラウィス。赤いオーラの逆十字が彼の体を引き裂いたのはその直後のこと。
攻撃を終えた奏弥の一瞬の隙を狙い、彼の懐に飛び込んだ静香が紅蓮斬を放つ。
「そうやっても人を傷つけてでも、血が欲しいのですか?」
自らも血を流しながら静香が問う。
「よそ見していたらダメですよ。私を見て下さいな」
言いながら、撫子はまるで槍舞でも待っているかのように槍を振るった。穂先から撃ち出された冷気のつららが奏弥を穿ち、その身を冷たい氷が覆い始める。
「御家族も御友人も君の欲望を満たす為の餌ではありません」
もちろん、自分たちも。
純粋に闇堕ちに巻き込まれただけの人間を、助けるためにここにいるのだから。
詠子と恋羽の祭霊光が仲間の傷を癒す。幸いなことに奏弥の攻撃は誰か1人を対象としたもののみ。しかも灼滅者が続ける説得の効果か攻撃の威力はかなり弱まっている。戦闘が終わらねば癒せないほどの傷を除けば、詠子と恋羽の2人で大部分のダメージをカバーできるようになっていた。
「貴方の名前を、大切な友人の名前を思い出して――」
言葉を紡ぐ詠子目掛けて奏弥の手刀が襲い掛かる。しかしそこにヴァンキッシュが割り込み機銃を掃射する。
横なぎに振り抜かれた手刀が懸命に何かを振り払っているように見えて、詠子は更に言葉を重ねた。
「貴方の、奏弥さんの大切な人達を守るために抗ってください」
「……貴方は『人』としてその人に会いに行くべきです」
どこまでも蒼い大鎌を構え珊瑚が告げる。
放たれた影が刃となり奏弥を切り裂く。
「堕ちて、その人を悲しませる様な事はしないでください」
受け続けた傷ゆえか、あるいは続けた説得の賜物か――奏弥の動きが止まった。
そのタイミングを見逃さずクラウィスがクルセイドソードを振り上げる。
振り下ろされた剣が非物質と化し奏弥の内面のみを傷つけ、破壊する。
「こんなのは、嫌だ」
痛みに顔を歪める奏弥が呟いた。
「こんなことは、したくない」
「大丈夫よ」
響が言い切る。
「言ったでしょう、手伝うと」
その口元に微かに笑みが浮かんでいるのは殺人鬼としてのポテンシャルゆえか。
「わたしたちがしっかり倒してあげる」
髪を書き上げながらそう言って、彼女は奏弥の死角に回り込んだ。
響の得物に腱を切り裂かれ、奏弥が大きくバランスを崩す。
「何かあった後では御前は人に戻れなくなる。だが――」
体をふらつかせた奏弥に桃弥が迫り、マテリアルロッドを彼の胴へと思い切り殴りつける。流し込まれた魔力が奏弥の体の中で爆ぜ、奏弥は地面に膝をつく。
「御前はまだ戻れる」
「歯を食いしばってくださいね」
顔を上げた奏弥の顔に、詠子が容赦なくトラウナックルを叩き込んだ。
撫子の体から噴出した炎が槍の穂先に宿る。突き出す動作に合わせ、火の粉が花弁のように舞う。
「内に潜む闇よ、燃え尽きなさい」
奏弥の体を炎が包む。それ以上意識を保つことができなかったのだろう、奏弥はその場に崩れ落ち――そのまま静かに目を閉じた。
●
「迷惑をかけてしまったようで申し訳ない」
意識を取り戻した奏弥は開口一番そう言った。
「何故か、止められなくて……」
申し訳なさ気に息を吐く彼の姿がクラウィスの胸の奥底にある悔悟の思いを刺激する。
「それは仕方がないことです」
言いながら持参した着替えと履物を差し出しながらクラウィス。
ひとまず上着と履物だけを身に付けた奏弥に彼は今回の事態と現状の説明をした。止めようとして止められる事態ではなかったのだ、と付け加えて。
説明を聞き終わった奏弥は黙って考え込むような仕草を見せた。
「己の力を不思議に思った時期、僕にもあった」
座り込み顎に拳をあてたまま考え込む奏弥に、桃弥が話しかける。
「けれど時期が過ぎれば案外自然と受け入れられてしまうものだ」
灼滅者は皆、ごく普通に学園生活を送りごく普通に――ダークネスや都市伝説、眷属との戦いだけは普通とはかけ離れているかもしれないが――生きている。
「私と静香さん、それにクラウィスさんは奏弥さんと同じダンピールなのです。でもこうやってちゃんと、自分を保って普通に生活しています」
奏弥の瞳を覗き込み、恋羽が語りかける。
恋羽の言葉に頷き、静香が柔らかに笑う。
「愛や温もり、他人が大切だと忘れずにいれば大丈夫です」
「もしよろしければ学園にいらしてください」
撫子から渡された資料を手に、奏弥が答えた。
「そう、だな。考えてみるよ」
「とりあえず、今日は帰りましょう」
響の提案に頷く奏弥。その瞳からは暗さと険しさが消え、理知的な光が戻っている。
「……ありがとう。本当に……助かった」
篝・奏弥。新しい灼滅者がまた、1人――。
作者:草薙戒音 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年9月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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