影の迷宮

    作者:るう

    ●夢の中の迷路
     少女は、泣いていた。
     淋しさ、心細さ、そしてひもじさ。不定形の闇が壁のようにどこまでも続き、すがれるのはただ、僅かに足元を照らす光のみ。
     ここから抜け出すには歩き続けるしかない少女は、疲れて棒のようになった足に鞭打ち進み……止まった。
     また分岐だ。
     正しい道はどちらだろう? それとも彼女は、とっくの昔に誤った道に踏み入れてしまったのか?
     打ちひしがれ、ついに蹲った少女の絶望を、闇がゆっくりと脈動して吸い上げていった。

    ●武蔵坂学園、教室
    「女の子が夢の中で、シャドウの作った迷宮に閉じ込められています」
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)の深刻な口調には、姶良・幽花(中学生シャドウハンター・dn0128)も不安げな様子を隠せずにいた。
    「このまま閉じ込められ続けたら、どうなるの……?」
     その問いに、姫子は答える。
     高い、凝り固まった闇でできた迷宮の壁は、一切の光を吸収する。一見、無限に闇が続いているように見える上、遠くから聞こえてくるのは悲鳴のような声や獣の咆哮。
     夢の中の少女が恐怖に呑まれ、完全に絶望に支配された時。現実の少女も……死ぬ。
    「ですので皆さん、女の子……くーちゃんが迷宮の外に出られるように、手助けしてあげてくれませんか?」

     ソウルボードに入った灼滅者たちの前にも、闇の迷宮は広がる。正攻法で少女に辿り着こうとすれば、とんでもない時間がかかるだろう。
    「もちろん、壁を破壊してショートカットする事はできます。けれど、実はその迷宮自体がシャドウの眷属なので、破壊した壁は怪物に姿を変えて襲って来るでしょう」
     怪物は決して強くはないものの、度重なれば消耗を強いられる。最後、少女を囲むようにシャドウ本体──高い壁の中でも特に目も眩むような高さの壁が現れ、それを破壊せねばならない事を考えると、そう何度もやりたいものではない。
    「最後の戦いの最中も、シャドウがくーちゃんを傷つける事はありませんし、皆さんの攻撃が当たってしまう心配もしなくていいでしょう」
     なので幸いにも、灼滅者たちは迷宮攻略とシャドウの撃破に集中できるはずだ。


    参加者
    ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)
    空井・玉(野良猫・d03686)
    リュシール・オーギュスト(お姉ちゃんだから・d04213)
    白波瀬・雅(光の戦士ピュアライト・d11197)
    静闇・炉亞(无幻を魅せし器・d13842)
    野乃・御伽(アクロファイア・d15646)
    ティルメア・エスパーダ(カラドリウスの雛・d16209)
    ユージーン・スミス(暁の騎士・d27018)

    ■リプレイ

    ●真なる漆黒
     ソウルボードに降り立った灼滅者たちがまず見たものは、永夜の中に浮かぶ、何もない巨大な空間だった。
     否。闇があまりに光を吸収しすぎるので、迷宮が鎮座する部分だけ、見る者に無限の空間が続いているように錯覚させるのだ。
    「この様な場所に一人閉じ込められているとは……大人でもどれだけ耐えられるか分からぬな」
     周囲を巡ってようやく見つけ出した入口にランタンを翳し、ユージーン・スミス(暁の騎士・d27018)は唸る。何せ、壁の切れ目すら見えないので、道の先が行き止まりなのか、それとも左右に道が続くのかすら、近くに行くまでわからないのだ。彼の銀色の西洋鎧にも、周囲の漆黒が映り込む。
     それでも彼らは、進むしかない。夢の中の絶望で人を殺す……そんな事は決して許してはならないと、静闇・炉亞(无幻を魅せし器・d13842)は少女のような瞳を闇の奥へと向けた。そこに棲み潜む存在にこそ、死の影を見通さんと。
     炉亞の懐中電灯も、やはり大した役には立ってはいない。けれど、光が傍にあるというだけで、人は大きな安心感に包まれるものだ……特に、白波瀬・雅(光の戦士ピュアライト・d11197)の体を包む、力強い光などには。
    「くーちゃーん! どこにいるのー!」
     既に変身を終えた雅……ピュアライトが、迷宮全体から響いてくる無秩序な声に負けぬよう大声を上げると、胸元に提げた小さなランタンが揺れる。
     その揺れが二度、三度と繰り返された時、ようやく微かな声が返ってきた。
    「わからない……!」
     消え入りそうな、震える声。
    「ずっと閉じ込められて、怖かったよね。助けに来たから、もう大丈夫だよ」
     そんなティルメア・エスパーダ(カラドリウスの雛・d16209)の声が届いたかどうかはわからない。何故なら、助けがきたとわかって安心した少女は、すぐに泣き出してしまったからだ。
    「くーちゃんの笑顔が見たいし、早く助け出そうね」
     ティルメアは仲間たちに、とびきりの笑顔を向けた。彼ら自身が笑顔でなかったら、どうしてくーちゃんを笑顔にできるだろう?
     そうね、とリュシール・オーギュスト(お姉ちゃんだから・d04213)もそれに倣う。彼女が歌うように語りかけると、天使の声は揺り籠のように、少女と迷宮を包み込んだ。
    「私は、迷子の味方のお姉ちゃん。これから悪い魔法使いから、きっとあなたを助けるわ」
     けれど、こちらの声を聞かせるだけでは、くーちゃんの居場所はわからない。くーちゃんの答えを待つのではなく、無理にでも答えさせる方法はないかと頭を捻っていたギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)が、こう、くーちゃんに呼びかけた。
    「そうだ、しりとりしやしょう! まずは『カレーライス』でどうっすか?」
    「ス……『スイカ』!」
    「『カレールー』!」
    「『ルール』!」
     次第に元気を取り戻してゆく声。けれどくーちゃんを本当に助けるためには、これからの探索が本番なのだ。

    「へぇ、これがシャドウの迷宮か」
     今や、仲間たちやくーちゃんの声の陰に隠れてしまった咆哮や悲鳴に耳を傾けながら、野乃・御伽(アクロファイア・d15646)は心地よさそうに独りごちた。それから、高い闇の壁の隙間からちらりと見えた箒を眺めて呟く。
    「やっぱ空飛べるって便利だな」
     けれど、ないものねだりをしても仕方ない。こっちにだって、心強い味方はいるのだ。
     ぽん、と空井・玉(野良猫・d03686)がボディを叩くと、ライドキャリバー『クオリア』は分岐の一方をしばらく進み……そこで一旦停止した。この地点にさらに分岐アリ、の合図だ。
    「こんな感じかな」
     地図に線を書き入れると、玉は灼滅者たちの約半数を引き連れて、その先を目指す……帰り道を示す糸を、足元にしっかりと残しながら。

    ●影の迷宮
     実のところ、如月・縁樹の上空からの偵察も、そこまで芳しいものにはならなかった。闇の壁は互いに繋がり合い、真下の地面以外の全てを黒一色に塗り潰している。見える道は、地上からとそう変わらない。
     それでも、壁の向こうを覗けるだけでも、それには大きな意味がある。壊すべき壁がどれか……その判断を、たとえ小さな範囲であっても正しく下せるようになるのだから。
    「ここだな」
     アルスメリア・シアリングの炎が、上空に向けて合図を描いた。この壁を破壊する、先行偵察せよ、の意味だ。
     炎に円形に切り取られた闇が、不意に色を帯びて形を変えた。
    「灰色の肌に、醜い顔の小鬼……ゴブリンか。最初の敵としては悪くない」
     闇を纏いし小鬼の棍を、太刀が大きく跳ね上げる。シフォン・アッシュの妖槍は、生じた隙を見逃さない!
    「こんな雑魚、私たちだけで十分よ! キミたちは先を急いで、シャドウしっかり倒してきて!」
     シフォンの叫びが辺りに響く。先を進んだ者たちの後方から小鬼の断末魔が聞こえてきたのは、それから数分と経たない頃だった。

    「いやぁ済まねえ、さっぱりだ」
     橙色の大型犬は、バスタンド・ヴァラクロードの姿に戻ると肩を竦めた。ゴールから逆走する形では仕方もないが、道に少女のものらしき匂いはない。
     けれど、そんなバスタにもう一度犬変身するよう頼み込むと、辻・蓮菜は幸せそうに、バスタの首輪に繋がれたリードを握り直した。
    「あれ? こうしてるとなんかお散歩みたいっすね?」
     お散歩というか、何だか特殊なデートのよう?
     帰ったらちゃんとしたデートしよ、とバスタに抱きつく蓮菜の服からは、一本の赤い糸が垂れている……二人は、決して迷わない。

    「この道は行き止まり、です! です!」
     脇道を調べ、その入口に道標を残すのは手繰・真言だ。もっとも本隊が壁を壊して進む以上、あまり意味はないのだが。
     その頃、松本・聡美は誰とも別れ、気の趣くままに迷宮を散策していた。必要なのは迷宮を楽しむ度胸と、その先に何かがあると信じる心……が。
    「そろそろ単調で飽きてきたな」
     そう思ったところで気付く聡美。戻る道は……はて?
     二人の鉢合わせが起こったのは、そんな時だった。
    「他の人は?」
     真言は一瞬にして理解する……彼女は、迷子だと!
    「この道標を辿ればいいです! です!」
     道標は、思わぬ役立ち方をするものだ。

     道は、二本が四本、四本が八本へと分かれてゆく。灼滅者たちはその度に数を減らし、再び誰かの合図で合流し、もっとも少女に近いと思われる壁を壊し始める。
    「ここは私が引き受けるから、みんなは早くくーちゃんの元へ!」
     壁の穴から現れた骸骨の頭に、成瀬・ピアノの飛び蹴りが炸裂する! けれど、首を百八十度回転させた骸骨が、両手でその足を抱え込んだ。
     骸骨がピアノに気を取られている間に、仲間たちは先を急ぐ。けれど、その最後尾にいた千布里・采が、穴を潜ろうとして不意に振り返った。
    「幾ら何でも、一人にはしておけへんわ」
     霊犬の振るった刀が骸骨の腕を切り落し、采の夜明色の瞳が、骸骨を睨む。
    「そろそろ『歓喜』はんにも動いて欲しいもんやけど、今はそれどころやあらへんなぁ」

    ●闇の中の希望
    「る攻めとか、良く知ってるっすねぇ……」
     しりとりの次の言葉に詰まり、ギィは思わず肩を竦めた。少女の気を紛らわすつもりで始めたこのしりとりだが、ギィの言葉のストックには、少女にもわかるであろう『る』で始まる言葉は、もう残っていなかった。
     けれど、これ以上は続かない、と言えば絶望的だが、少女に勝ちを目指す余裕が出来たのだと考えれば、決して悪い兆候ではない。
    「そう、お父さんが教えてくれた作戦なのね」
    「うん、お父さん大好き!」
     リュシールに答えるくーちゃんの声は、最初の頃よりもずっと大きい。既に距離が半分ほどまで縮まっているのに加え、声自体も、かなりの生気を取り戻していた。
    「なら、お母さんは? 好きな人、好きなもの、好きな場所……怖いことは今は忘れて、好きなことを考えましょう。私たちが必ず、その好きのところへ連れ戻してあげるから」
    「くーちゃんさん、将来の夢ってありますか?」
    「美容師さん!」
     炉亞の質問に対しても、くーちゃんは元気な声を返す。それならこんな悪夢吹き飛ばさなきゃですね、と炉亞が語りかけると、早く来てね、という嬉しそうな声が戻ってくる。
    「そう、それでいいんだよ。悲しい顔でいるよりは、笑顔の方が元気になるからね」
     笑うよう言うティルメアに、くーちゃんは力強く、うん、と答えた。絶望のダンジョンを攻略する武器は、既に彼女に届いていたようだった。

    「悪ぃなぁ、雑魚の相手ばっかりさせちまってよ」
     赤い鋼鉄の棍を肩にかけて言う御伽の口ぶりからは、悪びれた様子も感じられない。
    「お気になさらず。皆さんをシャドウの元まで送り届けるのが、私たちの仕事ですから」
     上名木・敦真の全身には、今や残骸となって転がるゴーレムから仲間を守ってできた青痣が広がっている。
    「しばらく休んで回復したら、また皆さんを追いますよ……ふわぁ」
     が、欠伸する敦真の方を、御伽は既に見ていなかった。
     痛みを分かち合う意味を、何も知らないわけじゃない。けれど奴は奴の仕事をし、俺は俺の仕事をする……少なくとも今はそれが最高のやり方と、御伽は信じているだけだ。

    ●嘲笑う絶望
     出来たばかりの穴を潜れば、少女の声はさらに近く。けれど灼滅者たちの正面には、右と左、二つの道が待ち受けていた。
     キャリバーに乗って、玉は左に、空本・朔和は右に。
     玉は、今までの戦いの喧騒は、とっくに少女に聞こえているはずだなと思い巡らす。
    (「不安がらせてなければいいけど」)
     もっともくーちゃんを励ますのは、皆が皆でやる必要はない。そう思いつつ玉は、目の前の壁をじっと見上げた。そして静かに、今来た道を引き返す……この道が行き止まりだったとくーちゃんに気取られ、落胆させる事のないように。
     一方の朔和の行く手にも、闇の壁はそびえ立つ。
    (「オレはすわんがいてもちょっと寂しいのに! 許さないぞ、女の子を誘拐する変態シャドウめ!」)
     壁に登ろうと手足をかけるが、気持ちの悪い反発力を受けてその場に転ぶ。
    (「ちくしょう……後ちょっとなのに!」)

     壁は、恐らくあと数枚。遠回りの道をあと少し探索すれば、少女に辿り着ける筈だった。
     けれど、今は元気に見える少女も、何かの拍子に再び闇に心を蝕まれないとも限らない。助けが遠のいたと思わせてしまうのは……少なくとも、絶対安全とは言い切れなかった。
    「ならば、この私が力を貸してやらんでもない……この先の壁を、一気に突破する!」
     尊大かつ愉快そうに、倫道・有無が言い切った。が、その自信の根拠はどこに?
     答えの一つが、闇の中から現れたスキンヘッドの男だった。
    「おう、面白いじゃねえか」
     男の名は木嶋・キィン。今回、有無の片腕としてついてきた男だ。
     そしてもう一人。
    「無論、お供いたします。このような戦い、わくわくす……い、いえ。すみません」
     瑠璃花・叶多の姿は古式ゆかしい美青年なれど、その心には実年齢相応の挑戦心が、有無の戦闘指導とあいまって燃える。
     準備は万端。少女の元へと繋がる道が、今、新たに作られる!

     畏怖すべき咆哮。赤き瞳と燃え盛る炎。闇から生まれた圧倒的な巨体に、ユージーンの目が惹き付けられた。
    「ドラゴンか……俺の魂の宿敵よ」
     が、すぐに目を逸らし、次の壁に斧を叩きつけるユージーン。自分が戦うべき竜は、こんな紛い物ではないのだと言い聞かせ。
     破壊した壁から、次々に闇が実体化する。それらは個々の魔物になる代わり、続々と竜の尾に喰らいつき……。
    「ヨルムンガルド……!」
     それは、山田・透流が思わず口に出した名に相応しい、巨大なワームであった。ただでさえ狭い迷宮をさらに手狭に、闇雲にその巨体をくねらせる!
    「大きければ強いとでも思っているのかね?」
     有無の外套がひるがえり、巨体ゆえの死角を鎌が打つ。
    「僕たちも、この試練を乗り越えましょう」
     叶多は剣を鮮やかに。キィンは、的がデカいから当てやすいな、などと竜を挑発しつつ、前のめりな二人の援護に徹している。
    「この先は、私も食い止める。武蔵坂学園に編入してからの一年間……その成果、今こそここで見せるとき」
     雷を宿した透流の拳も、竜の鱗に突き刺さる!

    ●迷宮の王
    「光が見えた!」
     弾けるようにこちらへと駆けてくる少女の姿を、ピュアライトの瞳は確かに捉えた。彼女も両手を大きく広げ、少女のもとへと駆け寄って……。
     その時、闇が蠢く。
     少女の周囲を包み込むように、黒い光としか形容できないものを纏った壁が、周囲の地面からせり上がる!
     ピュアライトの両手から、白い光が溢れ出す。一瞬怯んだ闇の隙間を、魔法少女の体が通り抜ける!
    「もう大丈夫。あとは私たちに任せて!」
     すぐに穴を閉じ、遥かな高みまで伸び上がった影の壁の中で、彼女は内側に迫り出し威圧する闇を睨んでいた。光の魔法を立て続けに放ち、闇よりも強い光の力を少女に証し!
     外からは、仲間たちの声が聞こえてくる……そして、剣戟の音が。

    「迷宮の主よ。これよりは懺悔の時間だ」
     ユージーンの戦斧が、闇を削る。
    「さぁ、黒い揺り籠を壊す時です……なんて」
     お辞儀するように体を折り曲げて闇を叩きつけてくる壁を、炉亞の生んだ光の盾が押し戻す。
     だが闇は、そう簡単には屈しない。壁が小刻みに震えたかと思うと、周囲の地面から影の触手が伸び上がる!
     しかし、灼滅者たちは畏れず。触手を姶良・幽花が抑えている間に、反撃はすぐに壁へと押し寄せる!
    「この調子で壁全部に一斉に襲って来られたら怖いっすねぇ」
     暢気に言っていたギィの目元が、不意に真剣味を帯びた。
     殲具解放。怖いとは言ったものの、元より退く気など毛頭なし。壊したらさぞすっきりするっしょ、などと軽口を叩きながら、宝玉の嵌まった斬艦刀で一太刀。返す刀に黒き炎を纏い二太刀。
     たとえどんな敵であっても、特別な事など何もない。それは、玉にとっても同じことだ。
    「行くよクオリア。いつも通り、為すべき事を為す」
     回転するホイールで触手を蹴散らしたクオリアの座席を、玉の片足が踏み台とする。狙い済ました杭の先端が埋まりゆく傷跡をこじ開けて……その隙間へと別方向から駆け込んでくる、さらなる赤!
     鋼鉄の棍を軽々と振り回す御伽の口元は、自然と楽しげに吊り上がっていた。
    「よぉ、シャドウ。俺らが相手だ。まさか今ので終わりなんて事ぁ言わねえよなぁ?」
     棍を呑み込んだ影の壁に、炎の拳を叩き込む。攻撃一辺倒の戦技に防御などはなく、顔は悪鬼の如くニヤリと笑い。
     再び屈んだ影の天辺を、ティルメアの手が優しく撫でた。びくりと震えた壁が急激に伸び、勢いで空高く放り投げられても、彼の笑みは失われない。
     落下するティルメアの踵が燃えた。炎は壁の頂上から中ほどまで、真っ直ぐに闇を引き裂いてゆく。それからティルメアは一度宙返りすると、壁から距離をとって着地した。
     いまだ蠢き続ける闇へと、リュシールは命じる。
    「さっさと消えなさい、あの子はここから帰るのよ」
     反抗する闇が、逆に恐怖を吹き付ける……けれど。
    「……私、お姉さんなのよ?」
     リュシールの魔力が膨れ上がる。そして影の壁を縛める!
    「迷子の弟や妹を見つけた、その想いを知っている私の前で!」

     僕の右目が囁くんですよ。そう、炉亞はシャドウに言い聞かせるように説いた。
    「そう、君の死の宿命をね……なんて」
     次の瞬間、炉亞の姿が消える……否、半呼吸も経たない瞬間に、壁の裏側に回ったのだ。
     ごうという、風を切るような低い音。一瞬にしてその体を切り刻まれ、仰け反ったシャドウが発した、言葉にならぬ悲鳴だ。
    「聖霊よ、我に加護を賜え」
     竜の咆哮にも負けぬ叫びと共に、ユージーンの戦斧が掲げられた。狙うはただ一つ……繰り返し仲間たちの攻撃を受け、最も薄くなっているはずの壁の一点!
    「砕け散れ!!」
     振り下ろされた白銀の刃が、闇に深々と突き刺さる! 衝撃がさざなみのように壁に伝わり、内側から光がほとばしり出る!

     闇が、そして影の迷宮が、風に吹き飛ぶように消えていった。
     ユージーンの斧と向かい合わせに突き出たピュアライトの拳が、輝かしい光を煌かせていた。

    ●光の中へ
    「もう、怖いものはいなくなったよ」
     ティルメアに頭を撫で回される少女は、もう泣き出しはしなかった。常に、誰かが励まし続けていてくれたために。
     中でも、特にくーちゃんを気にかけていたうちの一人が、雅だった。
    「よく頑張ったね」
     雅がそう労うと、少女はまず最初に雅に、次に他の灼滅者たちに笑顔を向ける。
    「あなたは強い子よ」
     リュシールはしゃがんで彼女の視線に合わせてから、ぎゅっと強く抱きしめた。願わくばこの先も、そうあり続けて欲しい。
     そんな願いを密かに篭めて、ユージーンのランタンがそっとその場に置かれた。再び悪夢が訪れたとしても、再び光が祓うように。
     少女は、日輪・朔太郎が変じた大人しい狼を心地良さそうに抱えながら、安らかな表情を見せていた。一つの物語が終わりを告げた、その証拠の微笑みを。

     次の夜には少女に良い夢が訪れる事を願いつつ、ギィはその場を後にする。そして、少女との別れを名残惜しみながら、一人、また一人。
     なぜなら夢の中の物語が終われば、少女には朝がやってくるのだから。

    作者:るう 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年9月25日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 10
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