欠けた光は戻らない

    作者:雪月花

     夏の日は長く、暮れることを知らないようだった。
    「まだ大丈夫だろ? カラオケ寄ってこうぜ」
    「……いや、俺はいいよ」
     長期休暇のさなか、久し振りに集まった友人達は明るいうちに解散するのが惜しいのか、次に遊ぶ場所を相談し始める。
     けれど、ひとりの少年が小さく首を振った。
    「やっぱ兄貴が心配か」
    「そんなとこ。悪いけど、また今度な」
    「気にするなよ、煌」
     また遊ぼう、と口々に言う友人達に少し眉を下げて微笑んだ煌(こう)は、彼らと別れて帰路に就いた。

     家にいるのは、双子の兄である蛍(けい)ひとり。
     両親は去年自動車事故で亡くなり、煌の家族は彼だけになってしまった。
     その蛍も、事故で大怪我を負ったのが原因で病気がちになり、気軽に外出も出来ない。
     奇跡的にかすり傷で済んだ煌だけが、大きく環境が変わったとはいえ『普通』の生活を送っている。
     そのことに呵責を覚えない筈がない……けれど、笑顔で送り出してくれた兄にそんな様子を見せたくなくて、彼は頬をぺしぺしと叩いて笑顔を意識してからドアノブを回した。
    「ただいま。……兄さん?」
     いつものベッドに蛍の姿はなかった。差し込む光を透かして、レースのカーテンが揺れている。
     窓際に駆け寄ると、庭先に佇む、ほっそりとした白い影があった。
    「おかえり、煌」
    「兄さん、具合は大丈夫なの?」
     問い掛けながら庭に降りようとした煌の背筋にぞくりと、冷たいものが走った。
     淡く飴色を帯び始めた日差しの下、振り返った蛍の顔は病人らしく白かったけれど、妙に艶々としていた。
     瑞々しい唇が笑みの形を作る。
    「今日はとても気分がいいんだ。あんなに重かった足も軽くて……」
     果たして、兄は杖も突かずに歩けたのだったか。
     兄の眼は、こんなに紅かったろうか。
    「おいで」
     衝撃が走る。
     すっと伸ばされた蛍の指先が、まるで煌の胸を射抜いたようだった。
     どうして。一体何が。
     訳も分からない恐怖と混乱、声にならない思いが渦巻いたけれど、それも一瞬のこと。
    「煌は僕を見ていつも苦しんでいたよね。でも……もういいんだよ。何も辛いことなんてない。何処にだって一緒に行ける。そう、一緒に……」
     深い闇に落ちていく意識の中、子守唄のようにうららかな声が響いていた。
     まるで、呪縛のように。
     
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は、ひとりの少年の人生が崩壊していく様を語った。
     たったひとりの肉親がヴァンパイアと化し、自らも闇に引きずり込まれてしまった煌という少年。
     だが、姫子のエクスブレインとしての能力は、一瞬閃いた光を見逃さなかった。
    「通常でしたら、闇落ちしたダークネスはすぐにダークネスとしての意識を持って、人としての心は掻き消えてしまう筈なんです。ですが、彼は元の意識を残したまま……ダークネスの力を持ちながら、そうはなりきっていない状況なのです」
     集った灼滅者達には二つの道が示された。
     煌が灼滅者の素質を持つのであれば、闇落ちから救い出し、この武蔵坂学園へ連れ帰ること。或いは、完全なダークネスになってしまうのであれば、その前に灼滅すること。
    「放っておけば、いずれは人の意識は失われ、完全なダークネスになってしまうでしょう。でも、少しでも可能性があるのなら……どうか、彼を助けてあげて下さい」
     灼滅者達にそう願った姫子が言うには、煌は主となった兄に命じられて単独で夜の街に繰り出し、人を攫おうとするとのこと。
     血をすする生贄か、新たな仲間を得る為か、女性や子供がターゲットにされ易いという。
     その日の『狩り場』は都内某所、繁華街から少し外れたうら寂しい路地。
     1人ないし少人数で、塾や職場から帰る一般人のフリをして囮になれば、誘き寄せられる可能性も高い。
    「煌さんは、元は明るく家族やお友達思いの優しい男の子でした。今表面に出ている人格はまったく別で、冷徹そのもの。お兄さんだったものに盲目的に従っています。力も強力で、皆さんを圧倒するくらいのものを持っています」
     闇落ちした者を救うには、戦って倒さなければならない。骨が折れそうな相手だった。
     でも、と姫子は視線を和らげる。
    「もし皆さんが彼の人としての意識に呼び掛けて、何か響くものがあれば……闇に傾く心を抑えることが出来るかも知れません」
     煌の中に残る人としての想いを引き出すことが出来れば、有利に戦闘を進められるかも知れないという。
    「助かったとしても、煌さんが天涯孤独の身になってしまうのは変わりないでしょう……」
     姫子は少し俯いて、寂しげに呟く。
     けれど、と次に顔を上げた時には、彼女の瞳は明るい色を映していた。
    「ダークネスになってしまえば、もう元には戻れません。でも、人として生きていれば、また笑ったり楽しい気持ちになれる時がくる……って思いませんか?」
     柔らかな微笑みの中で、姫子は祈りにも似た願いを灼滅者達に託した。


    参加者
    篠雨・麗終(夜荊・d00320)
    玖珂・双葉(黒紅吸鬼・d00845)
    月夜・結奈(中学生ダンピール・d01212)
    桜木・栞那(小夜啼鳥・d01301)
    天城・桜子(淡墨桜・d01394)
    字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787)
    レイン・ウォーカー(隻眼の復讐者・d03000)
    羽室・葵(黎明の繊月・d05219)

    ■リプレイ

    ●夜に狩るもの
     うだるような暑さの名残が漂う、けだるい夜だった。
     繁華街の賑わいも遠く、虫の声すら聞こえない静かな夜道を、小さなふたつの影が歩いていく。
     髪を肩の辺りで切り揃えた、色白の大人しそうな少女と、幾つか年下に見える、長い髪の勝気そうな瞳をした少女。
    「姉さん、こっち近道なの知ってる?」
     勝気そうな少女が枝分かれした道を指差す。
    「でも……」
     今いる通りよりも少し細く、寂しげにぽつぽつと街灯が点っているだけの路地を見て、姉と呼ばれた少女は躊躇する。
    「大丈夫よ、すぐに通り抜けられちゃうから」
     妹らしき少女に手を引かれて、大人しそうな少女も靴先を脇道へ向けた。
     そして、徐々に遠ざかっていく彼女達の背を見守る、6つの影。

    「後を追うのは、もう少ししてからの方がいいね」
     少しカーブした道の壁に身を寄せながら、羽室・葵(黎明の繊月・d05219)は仲間達に告げた。
     時折街灯に照らされ小さくなっていく影は闇に溶けてしまいそうだが、狩人が何処から見ているか知れない。
     先行く桜木・栞那(小夜啼鳥・d01301)と天城・桜子(淡墨桜・d01394)は、塾帰りの姉妹を装った囮なのだ。
     濃色の艶やかな髪の2人が並び歩く姿は、傍目には仲の良い姉妹と映る。
     深く被ったニット帽の下で、鋭い視線を周囲に巡らせた篠雨・麗終(夜荊・d00320)も頷いた。
    「この先……低い植え込みの民家があるな。明かりは点いていないようだし、そこで待機しよう」
    (「初依頼か、緊張するなぁ……」)
     いよいよと思うと玖珂・双葉(黒紅吸鬼・d00845)は肩に力が入り、ふと今まで作戦に集中していて思い至らなかった事柄に気付いた。
    (「……というか、男俺だけかよ」)
     葵と麗終は服装や雰囲気から一見男子のように見えるが、れっきとした女性だ。
     女性に免疫の低い双葉は、女子に囲まれていることを意識してしまい、腕を強張らせた。
    「ダンピールな僕達の、闇に堕ちた存在、か……」
     だが、字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787)の呟きに、意識を持って行かれる。
     奇しくも依頼遂行に集まった灼滅者は、全員ダンピール。
     元々闇落ちした者に希望があるのなら救いたいという思いが望にはあったが、自分達と同じルーツを持つのなら殊更だ。
     望に強く同意を示したのは、レイン・ウォーカー(隻眼の復讐者・d03000)だった。
    「煌さんは、心までダークネスになっていないわ……」
     白く長い前髪から覗く左目の紅い光は、静かに、けれど固い決意の色を湛えている。
    「例え可能性が低くても絶対に諦めないわ。なんとしても『こちら側』に引き戻してみせる……!」
     レインの想いにそれぞれが肯定の意を見せる中。
    「好きにすればいいわ。強力はしてあげる」
     月夜・結奈(中学生ダンピール・d01212)はそっけない言葉を吐いた。
    「……でも、いざという時は灼滅させて貰うからね」
    「ああ、俺もその時のことは考えている」
     麗終がそっと目を伏せるのを見て、結奈はプイと顔を背けた。
    (「まったく、甘い連中よね」)
     心の中でまで悪態をつくのは、いざという時の覚悟の表れでもあった。彼女にとっては、会ったこともない少年より学園の仲間の方が大切なのだ。
     ……そうと口にすることはなくても。

     拝借した民家の庭先に潜み待つ時間は、妙に長く感じられた。
     周囲には、他に生者はいないのではと錯覚するくらいに。
    「……っ、きゃああああ!!」
    「誰か……!」
     甲高く、耳に覚えのある声が静寂を切り裂いた瞬間、彼らの影はすぐさま植え込みを飛び越えてアスファルトに靴音を響かせた。
     駆けつけると、桜子を庇うように前に出た栞那の姿、そして……闇夜に滲むような黒いコートを纏った少年が彼女達の行く手を遮るように立っている。
     煌。
     依頼のターゲットである少年の顔に表情はなく、ただ何処かから光を反射しているかのように瞳を金色にぎらつかせているのが印象的だった。
    「大丈夫か二人とも!」
     走りながら望が呼び掛ける。
     桜子は庇われる位置からすぐに護りのポジションへ移行する準備があったが、まだ攻撃らしきものは受けていない。鞄の陰でスレイヤーカードを隠し持ったまま、機を計る。
     煌も足音で灼滅者達に気付いていたようだったが、動きを見せてはいない。
    「デイブレイク!」
     人差し指と中指で挟んだカードを掲げ、葵は殲術道具を呼び出した。仲間達も闇を駆けながら、次々に武具を纏っていく。

    ●対峙
     灼滅者達が栞那と桜子の前に身を滑らせるようにして並び立つ間に、2人の少女も殲術道具を手にした。
     ジャマーの双葉以外は皆クラッシャーかディフェンダーという、超前衛的な布陣で半月状に煌を取り囲む。
    「もう大丈夫だ、行くぞ!」
     望が声を掛けながら霧を展開した。漂うヴァンパイアの魔力が、仲間達に破壊力の向上を齎す。
     冷ややかに一同を見ていた煌は、片腕を挙げた。
     武器は持っていないが、禍々しい力が収束していくのを感じる。
    「煌さん、もうこんなことはやめて下さい」
     その手が振り下ろされる前にレインは声を上げるが、一気に距離を詰めた煌は彼女に飛び掛かっていた。
     すかさず葵が割って入り、攻撃を肩代わりする。
     強い衝撃と、生命力が奪われる感覚。
    (「これは……ディフェンダー以外が食らうと結構きついかも知れないね」)
     相手がダンピールの能力、単体攻撃しか持たないのが救いか。彼女は仲間に注意を促し、解体ナイフを構えた。
     武器を手に相手を説得しようという矛盾に悩みながらも。
    (「このまま堕ちてしまったら、本当に悲しいから……」)
     煌を包むように広がる黒い殺気の渦は、双葉と栞那が放つ鏖殺領域だ。
    「あなただって、本当はこんなことしたくない筈よ!」
     レインの呼び掛けを耳に、麗終はチェーンソー剣の腹を向け振るうと、腕でそれを受け止めた煌と競り合う。
    「大事な兄貴が罪を重ねることを望んでいるのか? お前はそれを手助けするだけ、それでいいのか」
     射抜くような藍の瞳で、静かに語り掛ける。
    「罪……?」
     初めて煌が口を開いた。
     何を指してそう言うのか、分からないといった口ぶりで。
    「不自由な体の兄貴を見ているのと、他人を不幸にする兄貴を見るのどっちが辛いよ!?」
    「あなたの好きだったお兄さんは、こんなことをさせる人じゃない筈よ!」
     双葉が追い討ちを掛けるように言葉を浴びせると、レインも間を空けずに続けた。
     微かに瞳が揺れた気がしたが、すぐに嘲笑の色に塗り替えられる。
    「何言ってるんだ、お前達。まさか、こうやって人を狩ることが罪だと……?」
     麗終を突き放すと、見下すように肩を竦める。
     自分達の仲間にもなれない人間なんて、ただの家畜と変わらない。
     兄を助け、尽くすのが自分の役目なのだと、攻防の中で煌は語った。
     それは、今彼を支配しているダークネスの思考なのだろう。
     彼の闇落ちはダンピール達にとっても他人事ではなかった。煌の姿は未来の、或いは過日の彼らの姿でもあるかも知れず――それが胸に過ぎれば、痛みや苦いものが込み上げる。
     桜子の目に怒りとも悲しみともつかない光が走る。
    「っ、貴方のお兄さんがどんな人だったか……貴方が、あんたが一番知ってるでしょうッ!?」
     ぴくりと煌の指先が跳ねる。
    「今、あなたがそばにいるのは、あなたの大好きなお兄さん?」
     激しい鉄拳を浴びせようとする桜子とは対照的に、栞那が静かに問うた。
     けぶるような睫に彩られた大きな金の瞳に捉われて、カッと煌の目が見開かれる。
     苛立ちか、動揺か。
     まるでそれ以上喋るなとでも言うように、緋色の逆十字が彼女に向かって放たれた。

    ●心の天秤、傾く先は
     煌の破壊的な攻撃力もディフェンダーならば軽減されるが、催眠に陥った仲間にまで数度攻撃されてしまうと流石に厳しい。
     だが、灼滅者達はひとりではない。
     体力が心許なくなった者は退いて回復に専念することにより、戦線を保っていた。また、望以外は自分のみを回復する術しか持たなかったことで、催眠状態で煌を回復してしまう事故を防いだ。
     時折避けられたり相殺されることもあったが、手数に勝るクラッシャー陣の攻撃により、確実に煌のダメージは回復が追いつかないくらいになっている筈だ。
     時が過ぎるにつれ、雲耀剣によってレインが狙う煌の攻撃力低下や望の放った炎、双葉のジャマーによる効果の増幅もじわじわと効果を発揮してきていた。
    (「手加減なんてする余裕あるのかと思ったけど……大丈夫そうだな」)
     そう判断した双葉も、セブンスハイロウの合間に手加減攻撃を加えるよう切り替えていく。
     灼滅者達は当初から、或いはそれぞれ決めたタイミングで手加減攻撃を織り交ぜていた。手加減と付いてはいても、サイキックによる攻撃よりも極端にダメージが少ない訳でもないようだ。
     煌自身の動きも、当初より精彩を欠いているように感じる。
     それは、単なるダメージの蓄積ではなく内面的な何かが、灼滅者達の呼び掛けに反応しているということ。
     受け止められたナイフの柄を力いっぱい押し付けながら、葵は訴え掛けた。
    「煌さんも気付いてるんじゃない? もう自分の身体は普通じゃないって。お兄さんは煌さんの一歩先まで行ってしまってる。
     今のままじゃ煌さん、誰かを殺めることをやめられなくなっちゃうよ!」
    「やめろ! 兄さんは……兄さ、ううっ」
     弾かれたように振った腕を食らう前に、飛び退る葵。
    「そろそろ思い出したんじゃないの、貴方の兄がどんな人間だったか」
     突き刺さる結奈の声。裏腹に、日本刀の刃を翻して。
    「貴方の心の中にいる人はどんな人間よ、訳の分からないものに従ってるんじゃない!」
     厳しい言葉と共に、峰で打ち据えた。
     刀身はこれまでの攻防で、彼女の黒髪になびくリボンのように既に赤く染まっている。
     それは煌の流した血だ。自分達と同じ、赤い血。
     煌の喉骨が、空気と何かを求めてゆっくりと上下する。
    「血が欲しい? のどが渇く?
     ……でもね、きっと。今踏み留まれなかったら、ずっと満たされることがないんだよ」
     刀の柄を握り締めながら、栞那が囁く。
     自分も深く暗い場所に堕ちそうになっていたこと、そこから掬い上げられたことを思い出しながら……。
     今の煌は、揺れている。きっと、その身を支配する存在と本来の自分の心がせめぎ合っている。
     そのせいか動きは鈍り、攻撃手段も単調になりがちだ。
     彼の縁となっていた兄は、もう人間ではない。煌にとっては、とても認め難いことだろう。
     だが、それを受け入れて灼滅者になれなければ、ここで滅される運命だ。
     ダークネスを灼滅するのが、灼滅者のさだめなのだから。
     緋色のオーラを纏った腕をすれすれで避け、双葉は叫んだ。
    「そういう選択肢を叩きつけてる俺を恨んでもいい! ただ、手を取るなら同じような連中がいる学園へ引っ張っていってやる。なんなら住む場所だって紹介してやるよ!」
    「う……るさいっ、煩いッ!」
     遮二無二振るわれた腕は大きく空振る。
     煌は反撃から逃れようと大きく跳び退り「どいつもこいつも邪魔しやがって」と呟く。
     それは、灼滅者達だけに向けられたものではないようだ。
     救えなければ自らの手でと思っていた麗終にも、はっきりと希望が見えた気がした。
    「そうだ、ダークネスに抗え。そうしたら、俺らが助けてやる……!」
     そして、お前が兄貴を助けろ。
     強い瞳で見据え、呼び掛ける。
    「っ……るあああぁぁぁ!!」
     煌は物凄い形相で我武者羅に麗終目掛けて突っ込んだが、彼女はチェーンソー剣を翳しひらりとかわす。
    「!!」
     隊列に深く踏み込みすぎた。
     煌が気付いた時には、桜子は地面に柄を突いた槍の勢いを借りて跳躍し、彼の襟元を掴んでいた。
    「目ぇ覚ましなさい、このドアホウがッ!!」
     鉄拳制裁、とばかりに愛らしい顔に似つかわしくない頭突きが繰り出される。
     その衝撃に、煌はぐらりとよろめく。
    「よし、今だ!」
     望の声に、灼滅者達は武器を殺傷力の低い部位を使えるように構え直しながら、アスファルトを蹴る。
     着地した桜子も、スカートが翻るのも厭わず飛び蹴りの体勢を取った。
    (「……必ず救うぞ!」)
     それは、望だけでなく、皆等しい思いだったろう。
     駆け抜けた灼滅者達。
     その背後で、煌の身体は重力に従い傾いでいく。纏っていたコートは灰のように崩れ、散っていった。

    ●取り戻したもの、戻らぬもの
    「煌さん……!」
     駆け寄るレインを視界に、結奈は刀を振るい、血糊を落とすと静かに鞘に収めた。
     灼滅者達は煌を取り囲むように集まる。
     と、徐に槍の穂先で煌の足をつつく桜子。
     つんつん。
    「……もう動かないわよね。こっちもあまり余裕ないのよ?」
    「さ、桜子ちゃん」
     栞那がおろおろする。
     煌の全身から、あの禍々しい気配は消え去っていた。
     憑き物が落ちたような表情は、目を閉じているせいもあって何処かあどけなく見える。
    「おいおい、もう気ぃ失ってるって」
    「大丈夫? ホント? おっけー? ならいいわ」
     苦笑交じりに双葉も止めに入って、桜子はやっと安堵した。
     心霊治療まで必要な状態でないことに、彼もほっとしていた。
     少し経てば、煌は回復するだろう。

     意識を取り戻した煌に、灼滅者達は事情を話す。
    「偉そうなこと言ってごめんなさい。ボクだって、こうして人を傷つけてるのに……」
     葵の謝罪を聞いた煌は、穏やかに首を振った。
    「俺の中のあいつを倒してくれて、ありがとう」
     そうして、少し寂しげに微笑む。
    「俺は……認めたくなかったんだな。兄さんが兄さんじゃなくなってしまったって」
     たったひとりの愛する家族の幻に縋って、固く固く心を閉ざしていた。
     けれどもう、受け入れなければならない。
     ずっと一緒にいた、そしてこれからも、そう思っていた存在は消えてしまった。
     ダークネスに破壊された魂が戻った前例は、ない。
     兄を救うには、兄だったものを灼滅するしかないのだ、と。
     欠けた光は戻らない。
     けれど彼は……もう独りではない。
     それを示すように、右手を包む小さなぬくもりに琥珀色の瞳を向ける。そして、その手の主に。
    「ずっと、こうしていてくれたの……?」
     問われて、栞那はほんのり恥ずかしそうな色を滲ませて微笑んだ。
     戦いの間、ずっと願っていた。どうか還ってきて、と。
     仲間達も、彼を救いたいと願い……想いは届いたのだ。
     煌も微笑んで、ゆっくりと立ち上がる。
     ありがとう、これからよろしく。
     それは今までの日常に別れを告げ、彼らと共に往くという決意。
    「別に、あなたを助けたくて助けた訳じゃないんだから」
     思わずつんと口にしてしまった結奈に、小さな笑いがさざめく。
     いつの間にか、蒸し暑さを拭うように秋の涼しい風が吹いていた。

    作者:雪月花 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 8
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