マドンナリリーの愛した紅は

    作者:篁みゆ

    ●花を手折りて
    「あっ……」
     月の放つ淡い光を避けるように、高架下で2つの影が重なる。吐息じみた声を上げて女は腕を彼の背に回した。どのくらいそうしていただろうか、女の腕がずるりと下がった。力の抜けた四肢では立つこともままならない。もっとも意識を手放した女は立とうともしていなかったが。
    「……おやすみ」
     そんな女の崩れゆく身体を抱きとめて、彼は闇の中から月明かりを見上げる。闇に漏れ注ぐ月の光が照らしだした彼は柔らかそうな茶色の髪を風に揺らして。ピジョンブラッドの瞳は青白いを通り越した真っ白な肌に映えて。
     息をしてはいるが、血の気が引いた女の身体を地面に寝かせて立ち上がる。ふぁさりとマント翻らせて口元に浮かべるのは不敵な笑み。
    「あと何人の血を吸えば、灼滅者は現れるのかな?」
     彼に寄り添う影は何も答えなかったが、こうした行為を繰り返していればいずれ灼滅者の耳に入るだろうことは予測できた。
     月の光を厭うように、高架下の闇の中には何人もの女性が横たわっていた。
     

    「女性数人が失血状態で倒れているところを発見される、という事件がいくつかあったんだけど……どうやらヴァンパイアの仕業のようだよ」
     ただし、女性達は皆命に別条はなかったのだけど、と教室に集った灼滅者たちに、神童・瀞真(大学生エクスブレイン・dn0069)は和綴じのノートを広げて切り出した。
    「恐らくそれは、先日六六六人衆の闇堕ちゲームで闇堕ちした、ヘルマイ・アストロラーベ君だ」
     灼滅者達の顔色が変わる。瀞真はゆっくりと言葉を続けた。
    「ヘルマイ君は、あくまで命を奪わないギリギリの量ではあるのだけれど、女性達の血を吸い歩いているよ。目的は吸血だけでなく……灼滅者達をおびき出すこと。『ヘル』と名乗っている彼は、灼滅者に強い恨みを持っていて、灼滅者達を惨殺しようと考えている」
     元のヘルマイと比べて外見の変化はあまりない。肌が異様に白くなっているが、知人以上の者が見れば彼だとわかるだろう。
    「灼滅者の事を憎んでいるようだけれど……ヘルマイ君は学園生活の中で出来た友人達のことを愛する心を持っているのも事実だから、恐らく知人以上の仲であればより一層、言葉が届きやすいだろう」
     ヴァンパイアとなった恋人が灼滅された事で生まれた灼熱者への憎しみと、学園で生活するうちに芽生えた、仲間達への愛情。彼はその狭間に立っている。
    「彼を元に戻すには説得が欠かせない。その上で、彼を倒す力も必要だよ」
     ヘルマイは深夜のひと気のない海辺の公園に、一般人女性三人を伴って現れる。いつものように順に血を吸って去るつもりだろう。
    「赤系の服の女性、黒系の服の女性、白系の服の女性の順番で彼は血を吸っていくよ。ただ、今まで通り血を吸い尽くすようなことはしないから、最初の女性の血を吸おうとした時から最後の女性への吸血が終わるまでの間に接触すればいいだろう。ただ、血を吸われた後の女性達は意識を失ってしまって自力では動けないから、そこは注意して欲しい」
     戦闘に巻き込まないようにするには、彼女達を避難させたほうがいいかもしれない。
     ヘルマイはダンピールのサイキックと、影業、マテリアルロッドのサイキックを使用してくる。その中から何を使ってくるかはわからないので注意が必要だ。
    「彼は白、とくに白百合には深い思い入れがあるらしいね。説得のきっかけになるか、それとも挑発になるかはわからないけれど」
     そこまで告げて、瀞真は深く息を吐いた。そして。
    「彼はもはやダークネスだよ。迷いは致命的な隙になる。そしてもしも今回助けられなければ……彼は完全に闇堕ちしてしまい、おそらくもう助けることはできなくなるだろう。すべては君達にかかってる。……よろしく頼む」
     瀞真はノートを閉じ、ゆっくりと頭を下げた。


    参加者
    花房・このと(パステルシュガー・d01009)
    メルキューレ・ライルファーレン(春追いの死神人形・d05367)
    流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203)
    四刻・悠花(中学生ダンピール・d24781)
    ルイカ・ルイ(夢見る白蝙蝠・d24989)
    レイチェル・ベルベット(火煙シスター・d25278)
    京・玉藻(孤高の処刑女王・d27684)
    エステル・セラフィーヌ(蒼星詠歎・d27752)

    ■リプレイ

    ●闇の音
     闇に抱かれた公園に響くのは、穏やかな波の音。しかしこれからここで始められようとしているのは、穏やかならざる行為。月光より眩い街灯の明かりを漏れ受けて、男は連れてきた三人の女達と談笑していた。
     エクスブレインの指示したタイミングの中でも比較的に捉えるのが難しい瞬間を灼滅者達は狙うことにしていた。それは、これ以上彼に誰かを傷つけてほしくないから。
    (「赤い服、黒い服、白い服……それは彼の心の内を表しているのかな」)
     ヘルマイ――ヘルの心の中を推し量りながら、ルイカ・ルイ(夢見る白蝙蝠・d24989)は離れた所から彼を見ていた。同じ闇ではないけれど暗い場所にずっといた事があるルイカとしては、あたたかな場所の事を思い出してほしいと思わずにはいられなかった。
    「仲間の為に闇堕ち。かっこいいけどシャレにならんぜ。ぜってー連れて帰って笑い話にしないとな」
     小さく呟いたレイチェル・ベルベット(火煙シスター・d25278)の横で京・玉藻(孤高の処刑女王・d27684)が頷く。玉藻は彼と面識はないが、仲間であることには変わりないと思っている。
     灼滅者である以上、闇堕ちは決して他人事ではない。既知の仲であれば殊更心配だってする。
    (「だからこそ、わたしたちが彼を説得して皆で学園に帰りましょう」)
     その為に物陰から彼をじっと見つめながら、花房・このと(パステルシュガー・d01009)は小さく拳を握りしめた。
    「……」
     エステル・セラフィーヌ(蒼星詠歎・d27752)には遠目からでもわかる。今の彼は姿形こそ大きく変わってはいないが、中身は変質してしまっていることが。親しい友人――もしかしたらそれ以上の想いに変化するものを持っている相手が唐突に闇堕ちしてしまったのだ、戸惑うなという方が無理だろう。同時に襲ってくるのは、自分が堰となれなかったのかという思い。
     視線の先の彼が赤い服の女性に手を伸ばし、抱き寄せる。そして首筋に顔を――その瞬間を待っていた。灼滅者達は飛び出し、一気にヘルとの距離を詰める。
    「!」
     メルキューレ・ライルファーレン(春追いの死神人形・d05367)の斬撃がヘルのマントを襲う。四刻・悠花(中学生ダンピール・d24781)の『棒』を避けた彼は口元に笑みを浮かべて赤い服の女性から手を離した。もはや今の彼にとって女性達は意識の外。だって、灼滅者が現れたのだから。
    「……久しぶり。随分待たせちゃったのかな」
    「来てくれて嬉しいよ」
     流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203)の言葉に応えて、彼は踊るように地面を蹴った。

    ●彼の為に
    「僕らで引きつけるから大丈夫、できるだけ安全な所に逃げてね」
    「わかりました。さあ、こちらへ……」
     ルイカの言葉に頷いて、向坂・ユリア(つきのおと・dn0041)は藍花とビハインドのそーやくんと共に女性達を促す。ヘルの関心は他の灼滅者達に向いていたが、念の為こちらに攻撃が来ないようにと有無は彼らを庇うように動いた。嵐は積極的に駆けつけた仲間達が協力できる態勢を作り出す。王者の風、パニックテレパスからの指示、怪力無双の使用で一刻も早くこの場から一般人達を退去させるよう動いて。殺界形成にサウンドシャッターと救出に集中できる環境作りは万全だ。これも皆、彼を取り戻す為に最善の状況を創りあげようと努力した結果である。

    「可哀想な白百合ですね。――意に沿わぬ血に染まって」
    「あなたが闇堕ちしたのは、仲間を救うためだったのですか? それとも灼滅者を殺すためだったのですか?」
     白い服に白百合の鎌を持つメルキューレ、ヘルの斬撃を受けながらも言葉を投げる悠花。
    「しかも致死量まで血を吸わないなんて、血を吸った相手が闇堕ちするのが怖いだけなんじゃないですか?」
     悠花のあからさまな挑発の言葉にヘルは肯定も否定も示さずに血の滴る影、『ワイヴァーン』を引き寄せた。口元には笑みを浮かべたまま。
    「『心には一人分の居場所しかない』……だっけ。心の中にいる誰かのために、君は復讐するの? ヘルマイくん……」
     問いかけと共に放たれた知信の一撃をひらりとかわしてマントを揺らす。ふと視線を動かせば、クロスした視線の奥の瞳はなにか言いたそうに見えた。
    「部長……いえ、ヘルマイさん。貴方は、絶対に助けます。前は教えて頂けなかった、私に似た方のお話を、聞かせて頂きたいですから」
    (「貴方の傷を、少しでも癒して差し上げたいから……」)
     彼はエステルがいつもと違う弓を持っていることに気づくだろうか。エステルは癒やしの力を込めた矢を顕現させ、放つ。
    「どのようなことを乗り越えて学園で生活を共にしていたのか、わたしには微かなものを察することしか出来ません。それでも、確かに学園で積み重ねてきた日常は本物でしたでしょう」
     自身の力を底上げしながら穏やかな語り口でこのとは語る。僅かでも言葉が届けば、彼を帰還させる力添えになると信じて。ナノナノのノノさんはそんなこのとの言葉届けとばかりにふふっとシャボン玉を放った。
    「君達に何が分かるんだい? 『彼』の持っている暗闇は心地がいいんだ。手放すことができようか」
    「ゴタクはいいからかかってきな」
     言い捨てて『― TRITONE ―』をかき鳴らすレイチェル。ルイカの十字架から現れる光線はヘルを逃してしまった。
    「そう言えば、貴方の過去調べさせてもらったんです。これ、綺麗ですね? 貴方の思い出に悪いけど、私以外に似合うヤツなんていませんよ?」
     そう言い捨てて玉藻は用意していた白百合を自身の髪へと挿した――瞬間。影の刃が白百合とともに玉藻の頭を切りつけた。結っていた髪がはらりと降りると同時に、地面に散った白い花にぽたぽたと血の花が咲く。
     他の者が白百合を身につける事を許さないなんて傲慢さはないはと思うが、彼はあえてその挑発に乗ってきた。憎き灼滅者が目の前にいるのだ。身体中から吹き出す殺意はすべて灼滅者へと向いていた。
    「吸血の衝動には抗えんのかもしれんが、このまま闇に堕ちて悪逆の限りを尽くすのがお前の望みではないだろう?」
    「楽しそうにハロウィンの仮装などの話もされていましたよね? 憎しみを忘れろと、無責任なことは言えません。けれど喜びと楽しさを消してしまわないでください」
     程なく聞こえてきた声は、どうしてもヘルマイへ言葉を届けたいと駆けつけた誉と真雪のもの。それは一般人の避難が終わったと戦っている者達に知らせることにもなった。引き付けに徹する必要がない、説得に力を注げる。
    「ヘルマイさん! わたしも、クラスの皆も帰りを待ってるよ! 戻ってきてくれたら、きっと焼き芋をご馳走するから!」
    「とっとと帰ってこい、クラスメイトとしてまだ挨拶もしてないんだし」
     聞こえてきたのはヘルマイの所属するクラスの仲間達の声。花菜と銀都につづいて小鳥と静香も声をかける。
    「ヘルマイ、お前英語得意だろ? 今度のテスト前に教えてくれよ」
    「また、あの陽だまりのクラスで笑い合いましょう? ……隣の席で、待ってますよ」
     それは彼の日常の一端を思わせる言葉たち。
    「うちのクラブの男子、植物系神父とか、喧嘩とジャージしか興味ないとか、イワシの着ぐるみ着たりする人とかしかおらんのよ! 貴重な純粋イケメン成分が居なくなると困りますから!」
     平時であれば思わず笑ってしまいそうな結希の言葉にも、日常が溢れている。
    「ねえ、あんたを必要としてるひと、いっぱい居るんじゃないの、ヘル? 大切なひとのこと、憶えてるだけでも、アタシはあんたが羨ましいわよ」
    「学園祭で君と作った万華鏡は、今でも大事に持っています。忘れないで、あなたには帰るべき場所があるんです」
     壱とリンの言葉が、闇に染み入るように広がっていく。
    「どうか、無事に帰ってきてください。そして、貴方のことを教えてくれると嬉しいです」
     今はあまり知らない同士でも、戻ってくれば先はあるから。司の祈りがヘルマイの心を目指す。
    「命の重さを知るお前だからこそ、必ず還ってくると信じてるぞ」
     彼が闇堕ちするのを目の前で見た脇差には、彼が命を守るために堕ちたことが痛いほど分かる。だから。
    「…大切な人を喪った傷は癒える事などないのかもしれない。そこから生まれた憎しみも、また。ですが……貴方が学園の仲間を大切に思っていたのも事実の筈。そして皆もまた貴方に手を差し出している……貴方の虹は、ここにはありませんか?」
     いつか見た虹を、あの七色の光を思い出して欲しい、海碧の願い。
    「ヘルマイを想っている人は大勢いる。夢色万華鏡の皆がヘルマイの帰りを待ってる。テメェが作ったテメェの居場所だ、ちゃんと戻って来い!」
     日方の一喝は、ヘルの奥に眠るヘルマイに向けて。
     皆、願い、祈っている。思い出して、ねえ思い出して。こんなにも光満ち溢れた日常にあなたもいたということ。

    ●彼のいた光
     不敵に笑みながら軽やかに攻撃を仕掛けてくるヘル。外見の変化は灼滅者だった頃に比べてあまり見られないが、その頃とは比べ物にならないほどの強さが彼がこれまでの彼と違うことを示している。今の彼は、紛れも無くダークネスなのだ。
    「貴方の憎しみはこの程度です?」
     白い法衣に血のシミを作りながら、『紅キ災ヒノ大鎌』を構えたメルキューレはそれを振るう。
    「なら……その憎しみは断ち切らせていただきましょう」
    「中途半端な吸血鬼にしかなれないなら、滅ぶか、いっそ戻ってきたらどうです?」
    「――中途半端?」
     悠花の、炎を宿した一撃と言葉を受けて、ヘルはピクリと表情を揺らした。彼が殺さない程度に吸血するのは、彼の中の大切な約束の一つ。だから。
    「中途半端と誹られようとも、約束をたがえるつもりはないんだ」
     それは、彼の中にまだ、約束を守ろうとする『ヘルマイ』が残っているという証ではないか? 本能のまま衝動のままに動くダークネスになりきっていないという証ではないか?
    「ねえ、ヘルマイくん。みんなと過ごした時間、守った誰か……学園で積み重ねてきたもの。君がやろうとしている復讐は、そういうの全部をなかったことにしてしまうんだよ」
     悲しげに言葉を紡いで。影を伸ばすのは知信。いつもなら静かに話を聞いてくれるヘルマイが自分達への攻撃の手を全く緩めないことに、寂しさと悲しさが募る。
    「今ある、大切なものを捨てて……自分を傷つけてまで、遂げなければいけない復讐なの?」
     いらえはない。ならば。
    「……全部捨ててでも復讐を遂げるっていうなら……僕が君を止める。君とみんなで築いたものが、他でもない君に否定されるなんて……悲しいから」
     影がヘルの身体に絡みついて。知信の想いの強さを表すかのように締め付ける。エステルの矢が飛んだ。それはメルキューレの傷を癒やして。エステルは瞳を真っ直ぐにヘルへと向けた。
    「貴方を傷つけ、大事な人を奪った方々も確かに居たのでしょう」
     彼の傷を、想いを否定することはしない。
    「けれど同時に此の学園には、貴方を慕い、助け、傍に居ようとする人達も居ます」
     でも、復讐という一言で今まで彼がいた光ある場所までも否定されてしまうのは、我慢ならなくて。
    「本当にヘルマイさんの心の内は、今もまだ憎しみだけに囚われているのでしょうか?」」
     このとが魔法の矢を放つのに合わせて、ノノさんが仲間を癒す。
    「あんたは自分がどういう状態か解ってるか? ……ヴァンパイアに成りきってるなら女の人たちを此処にに連れてくる必要ないだろ。意味無く殺して回った方が確実だ」
     レイチェルのガトリングガンから大量の弾丸が吐出される。その爆音に負けぬよう、彼女は声を張って。
    「ホントのところ人を襲うなんて御免だって思ってるんだ。……それならあんたは戻れる。人に戻って学園に帰ろう。そっちの方が楽しいに決まってるぜ!」
    「先程も言いましたが、貴方の事、調べさせてもらいました。生涯を共にすると誓った女性が『最期に行い・望んだ』事と同じなのでしょう。しかし、その恋人がこうする事を本心から望んだでしょうか? いえ、望んだとは思えませんね」
     きっぱりと言い放ち、玉藻は符を五芒星に配する。
    「……何故なら苦しいから。さぞ彼女は苦しんだ事でしょう。そんな事を貴方に望むとは思えません。『お前に何が分かる!?』とか止めて下さいよ? これは女の直感、というヤツなのです」
     説得は耳に入っているはずだ。それでもヘルは攻撃をやめない。大切にしてきた『想い』と『約束』に触れられて、瞳は氷のように冷たさを増していた。『ケーリュケイオン』が喚んだ竜巻が、容赦なく灼滅者達を襲う。
    「……!」
     竜巻の中から飛び出してきたルイカに対して防御態勢を取るヘル。だが竜巻で傷を負ったルイカはヘルに攻撃を加えようとはしなかった。伸ばされたのは、手。
    「君の心の痛みはこんなものじゃないよね……つらいよね」
     接触テレパスによって流れこむのは彼の想い。
    「だけど、そうやって暗闇の中にいたら、ずっとずっと永遠に……苦しみが続くだけだよ。君は一人じゃない。帰りを待ってくれる人がいるんだ。こっちに戻っておいでよ」
     手をそのままにしてルイカは飛び退る。最後まで触れていた指の先で、『彼』を引きずり出すイメージで。
    「灼滅者を憎むより自分を憎みなさい! そして自分が出来る償いを考えなければ意味がない!」
     白百合の大鎌が血に濡れる。確かに切り裂いた手応えがあった。その傷口からメルキューレの、皆の思いよ染み込めと。
     自分は攻撃を避けられると思っていたのか、目を見開いたヘルの懐に入り込み、悠花は無数の打撃を繰り出す。
    「……お願いだから、僕に友達を殺させないで」
     絞りだすように言葉を零し、知信はヘルに近づきハンマーを振るう。
    「かなり痛いだろうけど……我慢してよね!」
     思い切り打ち出したそれは、ヘルの横腹に食い込んだ。
    「喪失は辛い事です、けれど今在る大事なものまで、失って良いのですか?」
     彼をこれ以上傷つけたくない。でも、たとえ憎まれてでも彼には現実を見てもらいたい。だから……躊躇いながらもエステルは漆黒の弾丸を打ち出す。思い出して、あなたのそばにたくさんの人がいることを。光の注ぐ場所に、あなたの席があることを。
    「どうか、思い出してください。学園での日々は、ヘルマイさんに憎しみ以上の感情と思い出をくれたはずです!」
     このとの叫びとともに射出されたリングスラッシャーは、真っ直ぐにヘルを狙う。ノノさんはその影で仲間達を癒して。
    「僕、は……灼滅者たち、を……」
     いつの間にか、ヘルの表情から不敵な笑みが消えていた。戸惑うような、葛藤するような表情で発する言葉はきっと、己に言い聞かせるためのもの。そう、言い聞かせねば、思いを保っていられぬのだろう。闇の渦と光の導きが、ヘルを、ヘルマイを惑わせている。放たれた攻撃は、まるで光に傾きそうになっている己を引き留めようとしているようだ。
     ヘルの深く、重い一撃にも灼滅者達は屈さない。絶対に彼を、連れ戻すと決めてきたのだから。
     レイチェルが武器に纏わせた影が、ヘルを殴ったことで彼にトラウマを見せる。今の彼は誰の姿を見るのだろうか? ヴァンパイア? 恋人? 自分自身?
    (「それとも、今となっては学園の友人達が一番の恐怖なのかな」)
     追い打ちを掛けるように玉藻の魔法の矢が、ルイカの影がヘルを苛む。
    「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
     その叫びは何故か。白い手で自分の顔を覆ったヘルの前に立った知信は。
    「……帰ってきてよ」
     力強く、ヘルマイを呼び起こす一撃を放った。

    ●帰る場所
     声が、聞こえる。
     おかえり、おかえりなさい。
     ヘルマイを出迎えたのは、灼滅者達の笑顔。さっきまであんなにも憎んでいた相手だったのに。笑顔で出迎えられると少しくすぐったくて。
    「ヘルマイさん、おかえりなさい」
     玉藻が差し出したのは白百合の花束。
    「これからも、仲間として宜しくお願いしますね」
     帰ってくることで「これから」を得たのだ。
    「その花にふさわしい道を歩めることを、祈っております」
     メルキュールの言葉にヘルマイは小さく頷いた。
    「……帰ってきてくれてありがとう、ヘルマイくん。そして……おかえり」
     知信が差し出した手を、ヘルマイは握りしめて。
    「……ありがとう、ただいま」
     いつもの穏やかな笑みを、浮かべた。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年10月10日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 7/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 3
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