苛烈少女~信じるより他は無く~

    作者:君島世界

     少女『新見・ヘレナ』は、道場内での稽古を許されていなかった。朱色の短髪と、小学生離れしたその眼光を見れば、少女が粗暴だからとか、行状が悪いとか、そういう理由からと見られることも多いが、実情はそれとはすこし異なる。
     強くなることに対する熱意と、努力を苦ともしない性格、いわば剣道に対するストイックさは正に人一倍であり、その点だけは師範も認めていた。ただそれ故か、共に切磋琢磨していくべき仲間に対してすら、少女は容赦の心を持たぬ。
     待ったを大人しく聞き入れたことが無い。参ったを快く受け入れたことが無い。
     戦闘不能にするかされるかまでが、少女にとっての一区切りなのだ。
     それを知った師範は、少女が道場の床を許可無く踏むことを固く禁じた。以来、入口から神棚に礼をしたら、その足で裏庭に向かい、素振りと足運びといった一人稽古に没頭するのが、少女の日課である。他に教え子たちのいない時、稀に師範が道場内に招いては、少女が気を失うまで胸を貸すこともあったが、そのことに少女が異を唱えることは無かった。
     そんなある日のことである。夜、他の教え子たちが帰った後、少女の一人稽古を見守っていた師範は、突然、裏庭に落雷が落ちたものと錯覚した。轟音に揺らぐ頭を支えて目を開くと、そこには肩を上下させ、全身から熱気を立ち上らせるあの少女の姿があった。先程の轟音は、手にした竹刀で樫の立木を叩き割った時のものらしい。
     少女が言う。
    「ぶしつけを、どうぞ、おゆるしください、せんせい」
     そして少女は足裏を丁寧に拭って道場に上がり、神棚へ恭しく一礼し、その場に行儀よく座った。
    「けいこ、おねがいします、せんせい」
    「…………」
    「とめて、ください、おじいさま」
     その頼みを、師範は――覚悟し、受け入れた。
     少女が師範を完膚なきまでに撲殺するまで、残り数分。
     
    「ええと、一般の方が闇堕ちし、ダークネスになる事件が発生しようとしているのですけど……、すこし、いつもとは様子が違うようでして」
     鷹取・仁鴉(中学生エクスブレイン・dn0144)は、そう曖昧な笑みを浮かべながら告げた。見落としが無いかと、資料の束をめくりながら話を続ける。
    「いえ、確かに、通常の闇堕ちのように人としての意識がすぐさまかき消えるのではなく、しばらくの間はダークネスの力を持ったまま、その方個人として動くことができるというのは、特別なパターンではありますわ。この新見・ヘレナ様の場合は、それ以上に不審な点がありますの。
     闇堕ちした理由が、よくわからないのですわ。人とは違う状況・性質を自覚しながらも、ご本人は負けじと鍛錬を続け、それを見守る厳しいが優しい師匠もいらっしゃって……言わば、全くの『日常』の最中に突然闇堕ちしてしまった、ということですのね」
    「日常、ね。仁鴉さん、その子が人知れずストレスを溜めてたとか、修行中に突然嫌なことが起こったとか、そういうことはないのかしら」
     席についていた柿崎・泰若(高校生殺人鬼・dn0056)が問うと、仁鴉はゆっくりと首を振った。
    「いえ、小学校での生活に問題点は特にこれといっては。嫌なことというのも、お師匠さんが――ヘレナ様の祖父に当たる方なのですが――見守っている前でというのは、すこし考えにくいかと思いますわ。
     疑問点が多いとはいえ、現実問題として、闇堕ちはゆっくりですが確実に進行してしまっていますわ。皆様にはまず、彼女が灼滅者の素質を持つのであれば救出を、そうでないのなら灼滅を、お願いしたいと思いますの」
     
     ヘレナを闇堕ちから救う為には、『戦闘してKO』することが必須となる。彼女は闇堕ちが完遂されてしまうまで道場から出ようとはしないので、戦いを仕掛けることに不都合は無い。道場に防音設備は無いが、周囲は塀に囲まれており、覗き見される心配はない。
     またこの道場には、ヘレナが闇堕ちする時点では、彼女の師匠が一人残っている以外には誰もいない。ただ、その時に起こる『落雷に似た音』を聞きつけて、野次馬が数分後には門前に集まりはじめるようではある。
     突入タイミングを見誤ってしまうと、ヘレナに師匠の殺害を許すこととなり、このことによる精神へのダメージが闇堕ちからの救出を困難にしてしまうおそれがある。落雷音と同時に道場内へ入るか、あるいは事前に内部で控えておくか、いずれにせよ闇堕ちから間をおかず彼女と接触できるようにしておくとよいだろう。
     ヘレナは、この年齢の剣道者としては珍しく二刀流を学んでいる。闇堕ち直後でもスタイルは変えず、日本刀と無敵斬艦刀のサイキックを放ってくることとなるようだ。アンブレイカブルとしてのサイキックも、稀にだが使ってくることがある。戦闘能力だけを見るならダークネスとなんら変わりはないので、油断は禁物だ。
     
     そこまで説明すると、仁鴉はふうと溜息をついて資料を教壇に置いた。
    「やはり、闇堕ちされる理由はよくわかりませんわね。ただ、強力なアンブレイカブル……ケツァールマスクですとか、獄魔大将であるシン・ライリーなどが関わっている可能性は捨て切れませんの。その関連について考えを巡らせておくのは、よいかもしれませんわね。
     さて。何が裏にいるとしても、その企みを放置することはできませんわ。ですから、皆様はヘレナ様の救出を第一にお考えくださいませ。戦いに集中できずに返り討ちというのは、決して皆様の望むところではない、ですわよね?」


    参加者
    マリア・スズキ(悪魔殺し・d03944)
    埜口・シン(夕燼・d07230)
    村井・昌利(吾拳に名は要らず・d11397)
    鬼追・智美(メイドのような何か・d17614)
    ブリジット・カンパネルラ(金の弾丸・d24187)
    百合ヶ丘・リィザ(新世界の小飛虎・d27789)
    天枷・雪(あの懐かしき日々は・d28053)
    八宮・千影(白霧纏う黒狼・d28490)

    ■リプレイ

    ●万里一空
     秋の日は釣瓶落とし。道場から続々と出てくる門下生たちは、この時間の暗さを当然のものとして、夜空を見上げることもなく家路を急いでいた。
     その手前、民家の屋根の上に、じっとこちらを眺める者たちがいると、気づくはずも無く。
    「今の子で最後かな。どう思う、智美さん?」
    「あ、玄関の灯が落ちました。なら、きっとそういうことなのでしょう」
     柿崎・泰若(高校生殺人鬼・dn0056)と鬼追・智美(メイドのような何か・d17614)たちは、そうして道場の人の出入りを監視していた。泰若が小学生くらいの男子が坂を駆け下っていくのを見守る一方で、智美はじっと内部の様子を観察している。
     そんな彼女の従える霊犬『レイスティル』は、主の横に大人しく伏せていた。加えてもう一人、ある大柄な殺人鬼青年が、こちらは泰若たちと背中合わせに控えている。
    「そちらの首尾は」
    「ん、みんな上手く隠れてるわ」
     青年の問いに泰若が返した。見れば道場は塀の上に白犬黒狼が潜み、また内外問わずあらゆる位置に人影がいて、各々息を殺し続けている。それらは全て、もちろん『侵入者』などではなく、これから起こる事態にいち早く対応するために先んじた灼滅者たちであった。
     ――ゴドォオオオオオオン!
     程なくして、雷鳴のような轟音が響き渡った。智美は瞬間的にレイスティルの背を押す。
    「レイスティル、お願いっ……!」
     霊犬は主の意を汲み、無音で道場内に駆け込んだ。そこにいた少女の制止を受け、共にゆっくりと現場へと近づいていく。
     やがて、板張りの上に正座した老人が、その孫娘と相対する姿が見えてきた。
    「ヘレナ、お前」
    「けいこ、おねがいします、せんせい」
    「…………」
     少女――百合ヶ丘・リィザ(新世界の小飛虎・d27789)の目には、その光景はしかし、祖父と孫娘の会話としては写らなかった。あそこに漂う空気は、そんなのどかさとは正しく対極にある。
     だから――。
    「その必要はありませんわよ、『後輩』さん。
     私が、私たちが『先輩』として、貴女の全部を受け止めてさしあげます」
     実の祖父を巻き込まんでしまう前に、干渉せねばならない。
    「…………」
    「ッ!」
     落ち着き払った孫娘とは対称的に、心底驚いた様子の老人が立ち上がった。それを皮切りに、隠れていた灼滅者たちが次々と介入を始める。
     その中でも最も速く踏み込んだのは、埜口・シン(夕燼・d07230)であった。彼女は老人を背後にかばう様に立ち、前傾姿勢を取る。問答無用で来るかと警戒はしたが、孫娘は正座したままで、こちらを眺めていた。
    「はじめまして、でしょうか」
     ――邪魔を、しますか。
     穏やかな口調の裏に、しかし、焦燥を隠す。
    「うん。はじめまして、だね」
     ――止めるよ、絶対。
     はやる気持ちを抑えてシンは、孫娘を見つめた。

    ●正々堂々
    「おう、なんじゃお主らは! 神聖な道場をなんだと思っておるか!」
    「ご無礼をお詫びします、お爺さん」
     老人が指さすその先に、ブリジット・カンパネルラ(金の弾丸・d24187)がすうと入り込む。ブリジットは恭しく一礼すると、よく通る声で事情を話し始めた。
    「お孫さん、ええと、ヘレナさんでしたか。ヘレナさんは今、尋常ではありませんでして……率直に言いますと、危険な状態なんです。お爺さんも含みで」
    「尋常で、ない?」
    「そう。闇堕ち……普通じゃ、なくなった」
     マリア・スズキ(悪魔殺し・d03944)だ。彼女はスレイヤーカードを取り出すと、口中で何言かを呟いた。その瞬間。
    「大丈夫。私達も、普通じゃない……から。だから、止めて欲しいなら……。
     私達が、相手になる」
     老人が目を見開いた。スレイヤーカードの開放に伴う身体能力の爆発的上昇に、今のヘレナの異状と同じ物を感じ取ったからだろうか。が、さすが武人と感心している暇はない。
     ヘレナは、マリアの方をじっと見ていた。祖父の方ではなく。
    「尋常でないというお主等の言い分。頷き難いが……認めざるを得ぬか」
    「では、お爺さん――」
    「ならば尚の事。身内の事は身内で片付けるのが筋というもの。お主等、ここはお帰り願おう」
    「なるほど。いい覚悟ね、あなた」
     と、道場の裏庭に、綿のように白い犬のシルエットが滑り落ちた。それは瞬きの後に、天枷・雪(あの懐かしき日々は・d28053)の形として立ち上がる。
    「その思いは受け取った。――でも、貴方じゃ無理。それはどちらもわかってるんでしょ?」
    「……それ、は」
     老人は言いよどむ。愕然となる老人に、八宮・千影(白霧纏う黒狼・d28490)は優しく微笑んだ。
    「ね、お爺さん。いきなりこんなことになっちゃったけど、ボク達はその子を助けに来たんだって、それだけは信じて欲しい」
    「……あっ」
     目に見えてしょげ返った老人を無視するかのように、ヘレナが呟く。言葉にすこし、楽しそうな感じが混ざっていた。
    「おおかみだった子、ですよね。うん、たぶんおおかみ」
    「え。ボクがいたこと、わかって……?」
    「わかるように、なってましたので。そしてあと、ひとり」
    「――そりゃあこの間合いなら気づくっすよねえ。闇堕ちしてんだし」
     言われ、村井・昌利(吾拳に名は要らず・d11397)も、軒先側から入場する。さりげなく老人側に歩きながら――。
    「別に自分、アンタ相手に隠れて不意打ちを狙ってたとか、そういうワケじゃないですよ。自分としてはちゃんと正面から」
    「あ、それは、どうでもいいです。『われ常在戦場、ゆえ奇襲上等』。いつでもこい、でした」
     ――眉をひそめた。
    「じいさん。アンタ」
    「面目ない。つい」
    「まったく……」
     雪は小型PCを閉じると、ポケットから小さなカプセル剤を取り出す。これこそは、人造灼滅者となった自分が、今後ずっと摂取しなければならなくなった薬品であり……。
    「困ったお祖父さんね」
    「そうでもありませんよ」
     それを戦闘準備と受け止めたヘレナは、両脇の竹刀を取り、すっと立ち上がった。
    「わたしをとめられるのは、おじいさまだけですから。……あなたたちでは、なくて」

    ●不惜身命
     そこからの戦い、人知を超えたサイキックの応酬を、老人は正確に把握することはできなかった。それでも道場の正面に座して、老人は眼前の光景を観続ける。
     至近距離からの雷光にすら、目蓋を閉じず。
    「――シッ!」
     昌利は踏みつけるようなローを布石に置き、本命の抗雷撃を己ごと打ち上げた。が、それは下がるヘレナの肘、薄皮一枚を裂くに留まり、一方昌利は天井板を払って間合いを離す。
    (「初見でこれを……か!」)
     それとは別方向に、少女は踏み出した。間合いに居たシンに、踊るような足運びから、二掌を一つに繋げての袈裟斬りを見舞う。竹刀はとうに弾けて消えていたが、ダークネスとしての力を操る今のヘレナならば、問題なく斬り、潰すことができる筈だ。
    「すごい『気魄』だね。でも、それには私も自信があるよ」
     サイキックソードを構えるシンに、ヘレナはその下の木床ごと威力を押し込んだ。あえなく砕けた床材に、シンはエアシューズ『holomua』の車輪を走らせる。
    「だから君の拳も怖くはない。全力で戦おう――何度でも、おいで」
     刹那の摩擦に燃えるholomuaが、避けるヘレナの道着の裾を焦がした。驚異的な反応を見せる少女に、息をつかせること無くリィザが追いすがる。
    「…………」
     ヘレナの頬には笑みがあった。それはリィザも同じ。曰く付きの装備『ゆりりんのとっぷく』をはためかせ、駆ける!
    「楽しいですわね、お遊びではない果し合いは!」
    「たのし、い……?」
     ガキィイイン!
     ヘレナの手刀とリィザの『木刀』とが、両者の間で一瞬拮抗する。そこに、千影が視線の銃口を向けた。自身に爪を立て、内側を削り取る。
    「呪創弾、氷呪――」
    「とびどうぐ……」
    「――呪われし狼姫の牙、その身に受けてもらうよ」
     一瞬早く察したヘレナが飛び退った。その軌道を、千影の放つ冷たい炎が追い抜き、喰らう。
    「あ、あれ……!?」
     道着をむしばむ氷を、ヘレナは手で打って落とそうとする。その行動に意味がない事を察した時には、間合い内への雪の侵入を許していた。
    「余所見はダメって、教わらなかったのかしら?」
     滞空時間の長い――少なくともヘレンにはそう感じられた――跳躍から、雪は屈めた全身を一気伸ばす。相手を足場にとんぼを切るようなドロップキックが、ヘレンをその場に釘付けにした。
    「まだ、続けるよ。あなたを止めきってはいないから」
     マリアがそう言うが早いか、彼女の周囲に数多の氷柱が形成される。冷気に霜を吐く穂先を差し出すと、それらは螺旋を描いてヘレナに殺到した。
     ヘレナは――悪戯がばれた時のような、ばつの悪い笑顔を見せていた。
    「だいじょうぶです。ちょっと、びっくりした、だけですので」
     そして、わずか一拍の間に。
     振り回される双の手刀が、氷弾のことごとくを撃墜する。
    「せんせいでもないのに、おもいあがって。そういうのを『増上慢』だって、おじいさま、おっしゃってました」
     ヘレナの構えが変わった。左指を円く曲げ、右甲に付ける。そして重心を前に傾げ、そのまま左肘を引く格好だ。極端すぎる型だが、それだけに、灼滅者たちの背を冷たい汗が落ちていく。
    「え」
     振り抜いた一閃に断音はない。技の入りも定かではない。ただ結果だけが一つ、大きく身を開いたヘレナの前に落ちた。
    「わんこ……?」
     傷ついたのはレイスティル。偶然か狙ってのことか、ディフェンダーたる霊犬は、ヘレナ渾身の一撃をその身をもって受け止めていた。
    「だ、大丈夫!? 結構ざっくりいったっぽいけど」
    「……わぅ、わん!」
     というブリジットの心配声に、レイスティルは尻尾を立て、つぶらな瞳を光らせる。ブリジットはほっと胸をなでおろし、両手を天に掲げた。
    「ごめんね、もう少し頑張って。お願いっ!」
     ジャッジメントレイの厳かな光が、スポットライトのように差し込む。ヘレナがつけた傷が、両者の回復サイキックで見る間に塞がっていった。その輝きを前に、少女は――。
    「ッ!? お前、ヘレナ……か?」
     ――実の祖父が見まがうほど、凄惨に。

    ●一意専心
     その頃、道場玄関前では。
    「すっ、すいませんでしたあああ!」
     と、スマートフォンを握り締めた二十代くらいの男たちが、ほうほうの体で逃げていくところであった。
    「うん、上出来上出来。情報拡散は怖くないけど、念には念を入れて……ね♪」
     男たちから目線を切って、泰若は眼鏡を掛け直す。そんな彼女の隣では、クラスメイトの男子が別の一般人をあしらっていた。
    「――というわけで、なんでもなかったようですよ。ご心配おかけしまして申し訳ありません」
    「あらあらいいのよ~。またあの赤毛の子が何かやったのかと思っちゃってねえ」
    「赤毛の子……そんな子いたかしら。まあ何でもいいわ、アナタも遅くならないうちに帰るのよ?」
     納得したのか、近所の主婦たちが帰路に着く。まだ野次馬はちらほら見られるが、いわゆる物見高い人々は早々に来て即座に追い返されたようで、騒動初期のようなラッシュにはならないだろう。
    「落ち着いたかしら。それじゃあ智美さんも、他の皆も、そろそろ本隊の応援に行っていいわ。気になるでしょ?」
    「あ、いえ……はい。すいません泰若さん、私、レイスティルのところに行ってきます!」
     智美は頭を下げ、意を決して道場内へと入っていく。途中の上がり框でつまづいた痛みを我慢して進んでいると、すぐに、それを忘れるほどの緊張感に圧倒された。
     堕ちた少女との死闘が続いている。

    「君の望みを叶えるよ」
     シンのチェーンソー剣が、機械の唸り声と紅のオーラに包まれていく。
    「これは私の一番きらいな力、血を啜る真紅の力。君なら、受け止められる?」
    「ちからくらべは、すきです。いちばん、わかりやすいですから」
    「そうか……なら!」
     悠然と笑うヘレナに、シンは容赦なく紅蓮の牙を衝き込んだ。手元のトリガーは握りっぱなしで、巡り帰ってくる刃はヘレナの生命力をぞくぞくとえぐり取っている。
    「――ッ!」
    「くるしいの? それは……かなわないから、そうなんでしょう?」
    「それは違うよ、ヘレナさん!」
     その周囲を、千影の影業が取り囲んだ。ヘレナの反応は、今度こそワンテンポ遅れる。トラバサミにも似た噛みつきの斬影刃が、千影の腕を振る仕草と共に形を成した。
    「力を使うのは、苦しいって人もいるよ……? 本当は傷つけたくない、傷つきたくないって」
    「じぶんからいどんでおいて、それは」
    「そうすることが必要だからだよ! 誰かが、キミが、苦しむってわかってるから!」
    「…………」
     これは、救う者にとってはありふれた理屈だ。それだけに、本心で語ることができる。
    「よまいごとです」
     しかし迷いの只中にある少女には、まだ届かない。ヘレナは手刀を解いた掌で目元を覆うと、一瞬の瞑想を終えた。再び外を見るその眼は、赤く血走っている。
    「おじいさまのように、つよくなければ、ことばは、いみを……!?」
    「隙あり! おりゃああああ!」
     口上を述べるヘレナの上方から、片足を伸ばしたブリジットが落ちて来た。その衝撃で絡まりかけるところを、両者は各自とっさの判断で脱出する。
     ヘレナの目のぎらつきが、いつの間にか消えていた。

    ●全身全霊
    「……これは、おはずかしいところを」
    「んー、私にはそういう所よくわかんないんだけどさ。あまりそう……無鉄砲というかアレな感じだと、お爺さんも心配が絶えないんじゃないのかな」
    「そう、で、しょう……か?」
    「そうなのです」
     今度はマリアが横から飛んでくる。狙い済ました靴裏がヘレナの横顔を踏みつけ、ごろごろと転がすほどに蹴っ飛ばした。
    「保護者とは、出来の悪い……子に、余計な心配を抱えるもの。お爺さん、そうでしょう?」
    「……足癖が悪い」
    「これは失敬」
     マリアは乱れたコートの裾を払い、姿勢を正す。対するヘレナは尻餅を付いたまま、きょとんとした表情でこちらを見上げていた。
    「もう一つ。思い出してみて……どうして貴女は、今まで、頑張ってきたの?」
    「そうです……そうですよ、ヘレンさん!」
     と、智美が縛霊手とは逆の手でレイスティルを抱き、非難では無く憂いの声を上げる。いまや負傷をほぼ完全に癒されつつあるレイスティルは、機嫌よさそうに主人の腕の中で尻尾を振っていた。
    「貴女が鍛えた剣の技は、こんな事の為に使うためではないのでしょう……ね?」
    「わんこ……おこって、ないの?」
    「叱りに来たのではありませんよ。繰り返しになるでしょうが、助けに来たと、そういうことです」
     その笑顔から、ヘレナに繋がる線のさらに先側から、ヒュウと風を切る音がした。妖の槍を長メス代わりに、雪が殲術執刀法を完遂した音だ。
    「あまり人の話を聞かないタイプなのかしら。でも、この話はちゃんと聞いて頂戴」
     雪は槍を引き戻すと、石突を床に置いて立てる。まだ警戒はするが、切っ先は向けない。
    「ねぇヘレナ。貴女が全力でぶつかってもいい相手。共に『強く』なっていける友達は欲しくないかしら? そういう子、武蔵坂ならそれこそ学校単位で用意できるんだけど」
    「ああ、私のことですわね!」
     リィザが目を輝かせた。ヘレナがよろよろと立ち上がると、リィザは少女の鼻先に木刀を向け、挑戦的に微笑む。
    「分かりますわよ、貴女の気持ち。ええ、何が待っただ、何が一本だ。そんなお遊びで、死線を超えて高みに至れるものですか!
     貴女のご学友は、少々お覚悟に欠いていらっしゃった!」
    「……!」
     老人が頭を抱えたようだが、今は気にするまい。
    「その点私たちでしたら、毎日ぶっ続けでも、本気で立ち合ってさしあげますわ♪ まあ入学試験として、これから私たちとちょっと死合っていただくのですけど」
    「もう、やってる……!」
     先手を取ったヘレナと、それに慌てて対応したリィザとの間で、斬撃の火花が散った。その攻防が一段落したところで、文字通りの真正面から、昌利が歩み寄る。
    「この程度が死合いか……それは違うぞ新見・ヘレナ。触りだけだが、今から見せてやる」
    「なに……? あなたのわざは、さっき」
    「甘えるな!」
     昌利の打ち出した腕が、怒号に怯えたヘレナの目を越え、無造作に奥襟を取る。
    「……だが、お前はよく足掻いた。あとの『喧嘩』は俺が請け負う」
     そして決定した意識の暗転へ続く、瞬きにも満たない時間の中で。
    「お前をその境涯に堕とした黒幕は、必ず、潰してやるさ……!」
     そんな声を、聞いたような、気が、した。

    ●一生懸命
    「ッ!」
     がばりと起き上がったヘレナの身は、柔らかな何かで包まれていた。道場の床に引いた布団だと気づいた彼女は、即座に裏庭に駆け出し、月光の下で息を吐く。
    「夢……? いいえ、私は」
     身のほてりが取れていない。ならばと、試しにあの手刀の型をつくり、振るってみた。
     ザンッ……。
     ――もはや、あの恐ろしい切れ味の手刀ではない。ほっとしたような残念なような気持ちが、ないまぜになってヘレナの心中に踊った。
     けど、あの出来事は夢ではない。あの戦いは幻ではない。
     なら。あの言葉も嘘ではない。
    「あ、あの……ね、お爺様?」
     自分の『希望』を受け止めてもらおうと。
     ヘレナは、こちらを見守る祖父のもとへ駆け出した。

    作者:君島世界 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年10月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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