鯉の泳ぐまち

    作者:草薙戒音

    「ねえねえ知ってる?」
     セーラー服姿の少女がやはりセーラー服姿の少女に問いかける。
    「え、なに?」
    「ここの水路さ、鯉がいっぱい泳いでるでしょ?」
    「泳いでるね」
     答える少女の視線の先には、道路脇を流れる水路が。
     水路を流れる清流の中では、たくさんの鯉たちが泳いでいた。
    「夜中になるとこの鯉たちの王様と女王様が泳いでるらしいよ……空中を」
    「は?」
    「空中を大きな鯉が2匹泳いでてね、出会うと水中みたいなトコに連れてかれて帰ってこれなくなるんだって」
     よほど怖がりなのだろうか、もう1人の少女がびくりと体を震わせた。
    「やめてよー、私そういう話本当に苦手なんだから」
    「ごめんごめん、でも本当にそういう話があって……」
     少女たちが歩く通りの別名は――鯉の泳ぐまち。
     
    「鯉が泳いでいるんだそうだ」
     集まった灼滅者を前に巽が言った。
     場所は豊富な湧き水とそれが流れる水路を泳ぐ鯉たちが観光名物ともなっている長崎県の某所。
    「夜中にその通りに行くと大きな2匹の鯉が空中を泳いでいて、それに出会うと水中のような空間に閉じ込められるらしい」
     その空間に閉じ込められたからといってこの鯉たちが襲ってきたり、ということはないのだが……。
    「空間を作り出している鯉たちを倒さない限り、そこから出られないんだ。夜中にそのあたりを歩く人間は滅多にいないらしくて、今のところ実害は出ていないんだけれど」
     だからといって放置しておいていいものでもない。
    「ちょっと遠いけれど、被害が出る前に灼滅してきて欲しい」
     灼滅しなければならない相手は、大きな鯉2匹。
     1匹は大人1人ほどのサイズの黄金色の錦鯉、もう1匹は一回り小さい紅白の錦鯉。
     戦闘になると黄金色の錦鯉は影業のサイキックに良く似た能力を、紅白の錦鯉はダンピールのサイキックに良く似た能力をそれぞれ使ってくるようだ。
    「こちらが手を出さなければ空中を泳いでいるだけだからこちらから仕掛けることができるし、皆なら普通に戦えば勝てる相手だと思う」
     戦う場所は必然的に鯉たちが生み出した空間の中、ということになる。
    「普通の……現実の空間に水が満たされているような感じ、といえばいいのかな?」
     巽が少しだけ首を傾げつつ言う。
    「実際に息ができなくなったり動きが鈍くなったりするわけじゃないんだが、『そう感じてしまう』ようなんだ」
     息苦しく感じたり、水の抵抗を感じたり。水中のように髪の毛がふわりと宙を漂ったりもするらしい。
    「それで攻撃の威力が落ちるとかダメージを受けるってわけじゃないけど」
     多少煩わしさは感じるかもしれない。
    「それから、灼滅が完了したらできるだけ急いで戻ってきたほうがいい」
     どうにも嫌な感じがする――そう言うと、巽は小さく息を吐いた。
    「ともあれ、都市伝説自体の灼滅はそう難しくないはずだ。面倒かもしれないけれどよろしく頼むよ」


    参加者
    照神・侑希(衝撃の炎弾・d02687)
    森田・依子(深緋・d02777)
    ニコ・ベルクシュタイン(花冠の幻・d03078)
    藤平・晴汰(灯陽・d04373)
    多々良・鞴(じっと手を見る・d05061)
    大條・修太郎(一切合切は・d06271)
    由比・要(迷いなき迷子・d14600)
    糸木乃・仙(蜃景・d22759)

    ■リプレイ


     かたや石垣、かたや鎧張り――日本風の外壁に挟まれて伸びる石畳の道路。その脇の水路を流れる清流を泳ぐのは、幾匹もの錦鯉。
     水路を覗き込み、鯉たちの顔をまじまじと眺める糸木乃・仙(蜃景・d22759)。
    「鯉って雑食なんだね、道理で凶暴な顔して……っと」
     軽く息を吐き、手元のスマートフォンに視線を戻す。
    「横道にそれないで準備しないとね」
     彼女が行っているのは周辺地図の確認。
    「……うん……このルートなら最短ルートで撤退出来そうだな……」
     仙と共に地図を覗き込み、照神・侑希(衝撃の炎弾・d02687)も撤退ルートを確認している。
    「君達とお喋りできたら、後で話聞きに来るのになぁ……」
     時間帯のせいだろう、ほとんど動かない鯉たちに向かって藤平・晴汰(灯陽・d04373)が独り言を呟く。
     彼らがが気にしているのはエクスブレインの言った「嫌な感じ」という言葉だった。彼らだけではない、他の灼滅者たちも多かれ少なかれこの言葉を気にしている。
     灼滅が完了次第戻ったほうがいいというアドバイスを考えれば、都市伝説を灼滅し終わった後に何かイレギュラーなことが起こる可能性が高い。
     しかしまあ、何はともあれまずは都市伝説を灼滅することが先決には違いなかった。
    (「大人サイズの鯉……目を合わせたくないが……」)
     今回の都市伝説の姿を想像し、大條・修太郎(一切合切は・d06271)はほんの少し遠い目をした。
    (「やっぱり口をぱくぱくしてるんだろうか」)
     遠目でも見えたら――などと考え、軽く俯き息を吐く。気を取り直し顔を上げた彼の目の前には……鯉の巨大な口が。
    「うっ?!」
     慌てて飛びずさる修太郎。それを気にする風でもなく、巨体をゆっくりと動かし宙を泳ぐ2匹の鯉。
    (「わぁ、大きな口……」)
     ぽかんと口を開け呆気にとられていた晴汰が、慌てたように口を閉じた。鯉たちの生み出す特殊な空間に引きずり込まれたからだ。
     そこは、空間に水が満たされた――ように感じられる――世界。
     彼はつい反射的に息を止めてしまったのである。
    「……確かに……水中に居るような感覚を覚える……大した物だな……これは……」
     侑希が軽く目を見張る。
    「……ふふ、この感じ、ちょっと楽しいね」
     小首を傾げながら言う由比・要(迷いなき迷子・d14600)に仙が頷く。
     人にもよるのだろうが、やはり寒い地方では「水に浸かる」という機会は少なくなりがちだ。寒冷地方出身の仙にとって今の水の中の感覚が新鮮に感じられているのかもしれない。
    (「スキューバダイビングってこんな気持ちでしょうか、面白いかも」)
     感じたことのない感覚に、多々良・鞴(じっと手を見る・d05061)も笑みを浮かべている。
     どこか楽しげな3人とは対照的に、深い水の中が苦手な森田・依子(深緋・d02777)はお守り代わりの指輪を握りしめきつく目を閉じていた。
     そんな彼女の耳に、パシン! と何かを叩く音が響く。
     驚いて視線を上げると、そこには自分の頬を両手で挟みこんだ晴汰の姿が。先ほどの音はどうやら感覚に飲まれそうになった彼が自分にに喝を入れた音だったらしい。
     それを見て、意を決したように依子は大きく深呼吸をした。
    (「大丈夫……息は、できる」)
     自分はちゃんと戦える――。
     周囲を見回し、改めてしっかりと顔を上げる。その視線の先には、優雅に泳ぐ鯉の姿があった。
    「王様に女王様……幻想的だけれど陽の下で本物が良かった、な」
     その姿を注視したまま、依子はサウンドシャッターを発動させた。鯉たちはそれでものんびりと泳ぎ続けている。
    「っと」
     ふわり、と浮き上がりかけた三角帽子を片手で押さえ、ニコ・ベルクシュタイン(花冠の幻・d03078)も殺界形成を発動させた。
    (「大きな鯉、学園の池で泳いでくれないでしょうか」)
     こちらを攻撃するでもなくただ泳ぐ鯉の姿にそんなこと考える鞴だったが、いかんせん相手は都市伝説である。
     気になることは多々あれど、まずは鯉たちを灼滅すること――それぞれの得物を構え、灼滅者たちが2匹の巨大鯉に対峙する。


     ゆっくりと泳ぐ紅白の鯉に狙いを定め、ニコは一気に鯉との距離を詰めた。「流星」の名を冠した妖の槍を、螺旋のような捻りと共に突き出す。
     槍に穿たれ身を捩る紅白鯉。
    「鯉ってすごいね、優雅なんだねぇ」
     要がふんわりと笑う。柔らかな笑みが、その舞うような動きが……異形となり巨大化した彼の腕の異質さを際立たせる。
    「でもごめんね?」
     言葉と共に紅白鯉の脳天目掛けて振り下ろす。
     依子の妖の槍が悶えるように暴れる紅白鯉のわき腹に突き刺さる。捻りを加えられたその穂先が、肉を抉るようにして鯉の体に穴を開ける。
    (「大きな鯉、正直壮観です……できれば、学園に来るように誘ってみたいけれど」)
     思いながら、鞴は引き絞った天星弓に矢を番えた。彗星と見紛うばかりの威力を秘めた矢が、違うことなく紅白鯉の体を射抜く。
     立て続けに加えられた灼滅者の攻撃に、紅白鯉がまるで怒ったかのように大きく体を震わせた。そして、侑希目掛けて猛スピードで泳ぎだす。
     咄嗟に侑希の前に立ちふさがった修太郎の目前で、紅白鯉はくるりと体を反転させた。鯉の大きな紅い尾鰭が彼の体を強かに打つ。
    「でっか……暗がりでみたい物体じゃない……」
     自身の力を吸われるような感覚と、巨大な鯉に対する不気味さとで思い切り顔を顰める修太郎。
     黄金の鯉も、先ほどまでとは違う動きを見せる。黄金の鯉が胸鰭を大きく広げた次の瞬間、無色の刃が水中を走りニコに襲い掛かった。
    「チッ!」
     小さく舌打ちし、ニコが柊で出来た杖を振り下ろす。撃ちだされた魔法の矢が無色の刃が正面からぶつかり、消滅する。
     紅白鯉に攻撃を受けた侑希と修太郎も反撃に転じていた。異形巨大化した腕で紅白鯉を強かに殴りつけ、修太郎がそのまま脇へと飛びのく。
     彼の背後から飛び出した侑希の体が鯉の目前で大きく沈み込む。
    「……やっぱ間近で見ると気持ち悪ぃな……」
     雷を宿した拳を構え、しゃがみこんだ態勢から飛び上がるようにして紅白鯉の顎を思い切りアッパーカット。
     一瞬力なく浮かび上がりかけた紅白鯉が、ぶるぶると体を震わせ体勢を立て直す。
    「回復、任せた!」
    「了解っ」
     声に答え、晴汰が護符を飛ばす。修太郎の背に張り付いた護符が鯉に受けた傷を癒し、彼を守護する力に変わった。
     仙が紅白鯉の背後へと回り込む。鯉の目の届かぬ位置で得物を一閃。尾鰭の付け根を斬りつけられ、紅白鯉は苦悶するかのようにばたばたと身を捩った。
     どう考えても異常な大きさの鯉が口をぱくぱくさせながらビチビチと動く様はお世辞にも美しいとは言いがたく――。
    (「巨大化するとやっぱり凶悪だ」)
     ほんの少しだけ眉を寄せ、仙は心の中だけで呟いた。


     紅白鯉の尾鰭が眼前を掠める。
    「クソが!」
     回避のために行ったバックステップ1つにさえ感じる水の抵抗――体の動きが鈍くなるその感覚に、ニコが思わず悪態をつく。
     感覚に引きずられそうになるのを堪えニコが紅白鯉の顔面にオーラを纏った拳で容赦ない連打を浴びせると、紅白鯉はぷかりとお腹を上に向け……宙を漂いながら消滅していった。
    (「やっぱり、消滅しちゃうんですね」)
     消えていく紅白鯉を目の当たりにして、鞴は少しだけ残念そうな顔をする。
     紅白鯉が消えてしまった以上、黄金の鯉もまた同じ運命を辿ることになるだろう。できることなら大きな鯉が多摩川を登ってくるのを見てみたかった――。
     残った黄金の鯉に向けて要のウロボロスブレイドが伸びる。鯉の巨体に巻きついた刃が肉を裂く。
    「えへへ、一本釣りっ! ……なんてね、ごめんね?」
     要の動きに合わせるように、花飾りのリボンがふわりふわりと宙を舞った。
    (「月の上にいるのってこんな感じかな?」)
     視界の隅を掠める白いリボンに、要が楽しそうに微笑する。
    (「この感じ、なんか少し楽しいかも」)
     時間的な制約はあるものの、戦闘そのものは何のトラブルもなく順調そのもの。だからこそ、ということもあるのだろう。仙は水中にいるような感覚を少しだけ楽しんでいた。
     エアシューズで地面を蹴った仙の足が炎を纏う。彼女の蹴りが黄金鯉に炸裂した瞬間、鯉の体に炎が燃え移った。
     不思議な感覚を楽しむ者がいれば、それに違和感を覚える者もいる。
    「……分かっちゃいても……妙な感覚だな……」
     自身の体から噴出す炎と、鯉の体で燃え続ける炎。水中で揺らめいている――ように見える――2つの炎に、侑希はなんとも言えない表情で呟く。
    「悪ぃがあんま時間が無ぇんだ……!」
     炎を縛霊手に宿し、黄金鯉の側面を殴りつける侑希。鯉の体を覆う炎の勢いが激しさを増した。
    「何か……息苦しい……いやいや、これはまやかし!」
     思い切ろうとぶんぶんと修太郎が頭を振った。その動きに合わせて髪の毛が宙を舞う。纏わりつくような水の抵抗、おまけに決して消えない息苦しさ……。
    「あーもうくっそ、気のせい気のせい! これでもくらえ!」
     半ば苛立ち紛れに、修太郎は黄金鯉にグラインドファイアを叩き込む。
     黄金の鯉は炎に包まれたまま、大きく尾鰭を動かした。鯉の影が蠢き、晴汰を飲み込まんと大きく広がる。
    「任せて」
     短く言い切り依子が軽く晴汰の体を押した。影は晴汰ではなく依子を飲み込み、そのトラウマを発現させる。
     出現したトラウマ故か、あるいは水中への苦手意識のせいか……きつく唇を食い締めながらも、依子は妖の槍の穂先から冷気のつららを撃ちだした。
     依子が放った妖冷弾が命中する。鯉の巨体をぴしぴしと音を立てて氷が覆う。
     消えることのない炎と溶けることのない氷に苛まれ、黄金の鯉は悶絶するかのように体を跳ねさせる。
    「申し訳ないんだけど、俺達早くここから出なきゃなんだ」
     のたうつ鯉に、晴汰が閃光百裂拳を叩き込む――その瞬間、一瞬だけ鯉と目が合ったような気がした。
    (「うぅ……顔の迫力に負けるな俺!」)
     空気を求めるかのように、ぱくぱくと激しく口を開け閉めする巨大鯉。なんとか再び泳ぎだそうとしたところへ、仙の零距離格闘が炸裂する。
    (「綺麗ではあってもやっつけるのに躊躇いが出ないのは助かる」)
     ガンナイフを操りながら、ちらりとそんなことを思う仙。
     泳ぐ気力もなくなったのだろうか、ぷかぷかと漂い、時折鰭を動かすのみとなってしまった黄金の鯉に、ニコと侑希が迫る。
    「お前達にくれてやるものは何も無い」
    「焼き鯉なんて聞いた事ねぇけど、これでもくらえ!!」
     ニコの杖から流れ込んだ魔力が鯉の体内で爆ぜる。侑希の炎が、その巨体を焼く。
     そこへ駆け込んだ鞴がWOKシールドで強かに鯉を殴りつけ、要の放った光刃がその身を裂く。
    『―――!』
     黄金の鯉がその巨体を大きく振るわせた。
     咄嗟に身構える灼滅者たち。
     鯉がその巨体を大きく仰け反らせる。
     けれど、そこまでだった。
     鯉の体から力が抜ける。黄金の鯉は紅白の鯉同様その腹を見せたまま宙に溶けて消えた。


     都市伝説の本体であった鯉たちが灼滅されたことで、鯉たちが作り出していた空間もまた消えた。
     元いた場所に戻された灼滅者たちの耳に、清流のせせらぎが聞こえてくる。
     息苦しい空間から開放されたことを実感するかのように、大きく1つ深呼吸をする修太郎。
     その間も、彼が気を抜くことはない。そしてそれは、彼に限ったことではなかった。
     武装を解除し、光源を消す。念のためにと戦闘の痕跡の有無を確認する灼滅者たちから漂う緊迫感は、都市伝説と戦っていた時以上に強くなっている。
     ピリピリとした空気の中、鞴が口を開く。
    「戦闘の痕跡は残っていないみたいですね」
    「そうだな。あの空間に引きずりこまれたのが幸いって感じか」
     鞴の言葉にそう続けて、ニコが仲間たちを見回した。
    「長居は無用だ、引き上げるぞ」
     その言葉を合図に、灼滅者たちは急いでその場を離脱する。
    (「僕達が相手の裏を書いたのか、それとも相手に翻弄されているのか」)
     足を止めることなく、鞴はちらりと後方を振り返った。
     徐々に遠くなる鯉の泳ぐまち――今のところ異変は起こっていないように見える。
    「今は無事に帰ることを考えよう」
    「興味と思考を続ければ、結果は必ず出るよ」
     晴汰と要、2人の言葉に鞴がこくりと小さく頷いた。

     水路の水音が遠くなる。水路を泳ぐ鯉たちは、この後いったい何を見るのだろう―?

    作者:草薙戒音 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年10月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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