少女ハ――。漆黒蝶二包マレテ

    作者:一縷野望

     墨がちぎれては形作る漆黒蝶の影、さざめく羽ばたきが掠れると現れるは、葉桜に身を預けなんの表情も宿さぬ少女。
    「あたしは、何にだったらなれたのかなぁ?」
     名前を呼ばれた記憶はもたず、誰か誰かと甘やかしてくれる人を探していたのはいつのコトだろう。
     縋って、棄てられて、それが嫌だから、自分も同じ間違いを繰り返して棄てて……。
     気がつけば、他のお母さんと子供を全て壊してしまいたい、そんな気持ちに充ち満ちていた。
    「何にだったら、なれたのかなぁ?」
     何に、なりたかったんだろう?
     答えの返らぬ問いかけ、また漆黒蝶が少女の姿を隠す前に――。
    「灼滅されて尚、残留思念が囚われているのですね」
     慈悲深さをそのまま調べにしたような声音が響く。
    「あたし、囚われてるんですねぇ」
    「私は『慈愛のコルネリウス』」
     虚ろを映す少女の瞳に映る華奢で清楚なシャドウは、慮るようり瞼を少し下ろす。
    「傷つき嘆く者を見捨てたりはしません」
    「そう、あたしは傷ついてるんですねぇ」
     何も分からない。
    「……プレスター・ジョン。この哀れな子をあなたの国にかくまってください」
     ただ響くコルネリウスの声を聞き、口元には三日月のような微笑みが刻まれる。
     

    「もう10ヶ月前になるかな、六六六人衆に『無子(なこ)』ってダークネスがいて、灼滅された」
     灯道・標(小学生エクスブレイン・dn0085)の話を、機関・永久(リメンバランス・dn0072)は黙って促した。
    「そして今、慈愛のコルネリウスが、無子の残留思念に力を与えて、どこかに送ろうとしてる」
     かつての力を取り戻した無子は、すぐになにか事件を起こすわけではなさそうだが、
    「無子は母子を害するコトに執着するダークネスだった。だからまた胸が悪くなるようなコトを企む前に、速やかに対処して欲しい」
     硬い表情で結ぶ。
     具体的には、慈愛のコルネリウスが残留思念に呼びかけを行う所に介入し、無子の残留思念を斃す流れになる。
    「現場にいるコルネリウスは実体はなく戦闘力もない。そしてキミ達と会話をする気はさらさらないよ」
     なによりコルネリウスに関わっている暇はない。力を与えられた無子が牙を剥いてくるのだから。
    「戦場、人質に……なりそうな、人は?」
     辿々しい永久の問いに、標は口元を緩ませる。
    「現場は夜の公園、幸いにも母親と子供はいないよ。もちろん他の一般人もね」
     避難誘導の必要はない。
     人質を取り嬲るように仕掛けてくる無子、そのアドバンテージが大きく削がれているのは幸いか。
     とはいえ元序列第五三六位、殺人鬼と蝶を模した影業の力は生前から陰りなく苛烈に灼滅者達を追い詰めるだろう。
    「コルネリウスが何をやりたいのはわからない。そして――無子も力を与えられたのをどう思っているのかも」 
     もし、意味を持たせるコトがあるのだとしたら、恐らくは灼滅者と痛みを伴う血肉の殺し合い、そして感情交わしあう邂逅が生み出す『何か』だろう。
    「お母さんって……こんなに拘りをうむモノなんだね」
     母のいないエクスブレインの台詞に、記憶持たずの永久は黙り込む――そんな沈黙が出発の合図と、なった。


    参加者
    金井・修李(進化した無差別改造魔・d03041)
    水無瀬・楸(蒼黒の片翼・d05569)
    唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)
    朱屋・雄斗(黒犬・d17629)
    時雨・翔(貫く意志・d20588)
    七塚・詞水(ななしのうた・d20864)
    型破・命(金剛不壊の華・d28675)

    ■リプレイ


     漆黒蝶の群れが弧を描く真向かいで、夜露抱く甘き菫が震えるように腕を翻す。
     嗚呼、なんと秘めやかにして壮美なる饗宴か。なんの変哲もない公園で繰り広げるには余りに異質。
     そんな硝子ケースに綴じられたようなシーンへ、カラコロと景気の良い下駄音が更に異なる音を添えた。
    (「母親、かぁ」)
     漆黒蝶が割れると伸びた前髪で瞳を隠した少女が露わとなった。
     ――彼女は母に愛されぬ子であり、母になり損ねたらしい。その生い立ちに、二人の母を大切に思う彼は何を紡げるか。
     着流した袖の中で腕組み、止んだカラコロに代わり黒曜に結わえた鈴がしゃんと啼くのに型破・命(金剛不壊の華・d28675)は心地よさ気に瞳を細める。
     時同じくして、朱屋・雄斗(黒犬・d17629)の腕からの光が円形に切り取った場へ、物々しい重機めいた漆黒の獲物を携えた少女が駆け込んできた。
     ――コルネリウス!
     そう呼びかけたのは、金井・修李(進化した無差別改造魔・d03041)。
    「前に会った時は言えなかったけど、夢は楽しいのもあれば、怖いのもあるけど、大抵は忘れちゃうものなんだよ」
     雄斗の展開した音封じの中、大きく響き渡る修李の声。だが、向けられた者の姿は朧に熔けはじめていた。
    「でもそれが本来の夢の姿だから、介入する事自体が間違ってるんだからね!」
     構わず言い切り『バルカンガン M2A』1を構えあげた影で、アリスも喉を振り絞る。
    「どうか、力を与えようとなさらないで下さい。思念になってなお、悲しい事を繰り返させないで……」
     無子を静かに送って欲しいという願いを伝える前に、エメラルドの髪飾りふわり、コルネリウスは一切の反応も返さずに身を消した。
    (「相変わらず傍迷惑なコトしてくれてるんだねー」)
     考えの読めぬ慈愛へは何処かうんざりと、水無瀬・楸(蒼黒の片翼・d05569)はぽかりとあいた空間を瞳に映す。
     だが、目の前で今まさに再び存在を得た宿敵を感知すれば、明朗な人格は粗野へ。六六六人衆の狩人へと変じた。
    「……来るぜ」
     果たしてその通りに、左右に割れた蝶の狭間で顔あげた少女は、底の見えない夜海の瞳で虚空を見据え、口元には狂った三日月を描いた。
     刹那、
     おはようの産声をあげるように皆殺しの意志が世界を満たす。


    「今晩は、お嬢さん」
     今宵の舞台、幕をあげたのは彼女から――観客であり演者でもあるのは灼滅者だけで充分と、力なき者遠ざける結界を広げ、唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)は癒しの風を招いた。
     ゐづみの赤が血飛沫浴びてより鮮やかに、翻る袖はぱたりと風鳴らし無子を刻まんとす。
     一瞬で赤色地獄と化した前衛に小さく息を吐き、楸もまた殺意を射出する。
    『こんばんは』
     殺意を真っ向から蝶で潰した少女は蓮爾へ目配せ一つくれる。
     続けて見知らぬ誰か達と最期に見た誰か達へ均等に瞳巡らせると、再び仕掛けるように人差し指と中指をすっと伸ばした。
    『あたしを定義してくれる人、タチ……?』
     疑問系に人好きのする瞳を瞬かせた時雨・翔(貫く意志・d20588)は、言葉を探しながらも大剣握る指に力を籠める。
    「何にならなれたんだろうね」
     渾身の力でもって振り下ろした剣は、やはり蝶が絡みつき主を傷つけることを阻む。蝶は彼女で、彼女は自ら盾を作らねばならぬ程に誰にも護られなかったのだと、かつて母に護り育てられた翔は理解した。
    「君が何になりたかったのかが気になるけれどね」
     だから、一心の剣も躰傾け躱す彼女へ問うてみる。
    『何が欲しかったなんて、わからないですよぉ』
    「やっぱり欲しかったんだね」
     頷く翔の後ろで、それが何よりの本音なのだろうと雄斗は報告書から切り出した『無子』を描き腑に落ちる。
     ただそれは無機物に描き出された彼女であり生身ではない、故に語る言葉は持たぬともとより寡黙な男は唇を一文字に引いた儘で。
     そしてまだ、言葉を交しあうには無子の怖気立つような殺気が多すぎると、無骨に前へと踏み出していく。
     爆ぜあがった研ぎ澄ましし一撃は、蝶をモノともせずに無子の頬を張る。
     それに続けと、修李の足下から戒めの影が伸びる。無子は初めて足を地から浮かし、翻るように躱した。更に朱塗りの杯翳す命に気付き、踊りの続きのように上半身を反らす。
     収束するバベルの鎖にて射手としての精度を上げた瞳の先、ふわり散る鎖骨撫でる髪は一月と同じ形。肉体の器得て霧散し損ねた魂を、ヒルデガルド・ケッセルリング(Orcinus Orca・d03531)は静かに観測する。
    「お母さんも子供も、どちらか片方いなくなっても駄目だよ……」
     やるせなさ滲む修李の声に、命はおうと頷き胸を反らす。
    「誰だって母親がいたからこそ、生きてんだ」
    『けれど、生んでから拒絶する人もいるわ』
    「……」
     母という存在への妄執は、未だ。
     その返答に、ヒルデガルドは彼女の記憶が最後の直前で保持されかつ固定されていると判断した。
     記憶なしの機関・永久(リメンバランス・dn0072)は執着へ憧憬と共に足首を糸で縛る。レイラの慮る視線を受け止めながら。
    『勝手なお母さんなんて、いらないですよ』
     だから消すの、全部。
     狂気の奥の悲鳴を確かに七塚・詞水(ななしのうた・d20864)は聞いた。
     人は、苦しみに突き落とされた時に助けが得られぬことよりは、そもそも助けを請えない方が辛い。
     そして彼女はずっと助けを口に出来ずに、きた。
     死で区切りをつけて、残留の思念にまでなった今ですら、助けを求められないで、いる。
    「はじめまして、詞水です」
     命の胸ぐらを掴み喉元に揃えた指を当てる彼女へ、詞水はそう名乗る。
    『無子』
     癒しの矢をつま弾き命の傷を塞いだ一瞬後、新たな傷が開き血花が咲いた。


     紅化粧を施された蝶は公園の空を幾度も幾度も黒紅へ染める。その度に、手を貸す灼滅者達は気を揉み息を呑んだ。
     器を再び得た無子は死を無造作に痛烈にばらまいてくる。その様は状況を把握しているだけのようにヒルデガルドには見えた。
    (「混乱……いや、困惑か」)
     故に前回の攻撃との類似性は安堵をもたらすのか。影で編んだシャチが黒の飛沫伴い向かってくるのには口元がゆるんだ。
    『蝶で喰いきれない』
     まぁいいかと痛みと共に溢れた血をぺろり、次のコマでは人差し指と中指が修李の喉元へ当てられている。
     パラパラと紙を繰るように、少女は戦陣を縫い的確に人を害していく。
     街頭の燐光受け滑る指、修李は悲鳴を堪え、気を絶するのも辛うじて堪える――凌駕。
    「……ッ」
     庇えなかったと蓮爾は臍を噛む。
     いや、彼とゐづみは充分にやっているのは、紅の衣が裂かれボロボロなのからも明らかだ。
     なにより辛いのは、まるで無子が周囲も道連れに心中を図っているようで……でも、まだ告げたい言葉はこの陰惨な殺し合いの場では声にできない。
     癒し手の詞水を支え防戦に徹せざるを得ない護り手、だがそれで防げぬほどにパーティの中の綻びを突く無子の攻撃は苛烈すぎる。
    (「回復が無駄にならないのは複雑だぜ……」)
     攻撃手一人一人へ丁寧に狙い付与を施した楸は、これ以上は防戦に回ってもジリ貧だとも気づいた。
     ――ならば、当てて切り開く。
    「求めるだけじゃなぁんにも手に入るわきゃねぇだろ」
     悪辣な声音は『殺人』を息するように犯す六六六人衆への嫌悪の結晶。辿った道筋が同情招くモノだとしても、堕ちた時点でそれらは意味を為さない。
    『じゃあ、どうすればいいの?』
     ――手に入らないからと言って他人のモノを壊す行為が赦されるわけもない。
     そう、答える代わりに、楸は彼女の視界から姿を消した。
     と。
     軽い音。
     だが、
     ぐしゃり、
     派手に吹き出す、紅。
    『……く、随分な事するんですねぇ』
     人殺しみたい。
     足の付け根を深く抉られた無子は視界がぐらつくのに舌打ちする。
     楸の付与と攻撃、時間は要したがようやく命中が期待できる所まで引き摺り落とした。チャンスを逃すわけには、いかない。
    「悪いけれど、君にはもう誰も傷つけさせないよ」
     一心が命へ癒しの眼差しを向けるのを背に、翔は斜めに傾ぐ無子の首筋へ針を突き立てる。
    「母子を害し続けても望むものは得られなかったんじゃないかと思うよ」
     過去形にしたのはもう二度とそんな事は繰り返させない誓いでもある。
    『……』
     命吸われた無子は、かくんと首を下げた。
    「そうだよ、殺された方は凄く悲しいもん」
     数射出し当てに行く、そんな修李の気合いが乗り移ったように無子の躰に多くの弾痕が刻まれた。
    「己には二人いる」
     血で滑り転びかける無子の肩をつかみ、命は手刀で胸から袈裟に欠く。
    「生んでくれたおふくろと、引き取ってもらった母さん」
     どちらを欠いても『命』は存在しなかったと、ゆるく笑み添えた。
    『んっ……そう、なんだ』
    「……」
     伝えるのは攻撃しながら、それでも雄斗は誰かが声を上げる時は、手を止め静かに待った。
     そうして、声と声の狭間に大柄な躰を差し込み彼女へ終演を与えるべく力を振るう。
    『あぁ、熱い、熱い……』
     足下からの炎に顔を覆い少女は砂漠で水求めるように嘆く。だが雄斗は蹴打を止めない。
    「もう終わって楽になりなさい」
     こんなにも容易く勝敗天秤の傾きが変わるのかと、経験を脳裏に灼きつけて、夜空は思わずの憐れみを零す。
    『まだ……終われない、です』
     まだ、見える。
     どうすれば効率よく攻め落とせて最終的に沢山の命を奪えるかが。
     ……見えて、しまう。
    『まだ、見つけてないもの……あたし!』
     自分が、ナニモノだったのか。
     慰めるように少女を包む漆黒蝶が、怨嗟に似た叫びと共に爆ぜ空へ散る。ばらまかれた殺意は、修李と命の意識を奪い取った。
     いきなりがらりとあいた前に、詞水は口元を覆う。だがすぐに気持ちを立て直して翔への矢をつがえ打った。それを支えるように靱のリングが蓮爾の肩口で旋回している。
    「探しものは……」
     悲しくて、哀しくて……でも、まだ伝えるにはきっときっと彼女を受け止めきって、いない。


     斯様に、灼滅者とダークネスの戦いはどちらが勝ち馬かなんて、容易く変わっていくモノ――。
     一気に削れたクラッシャーを補填するように、ヒルデガルドは攻め手へと身を変えていた。
    『次はあなた。ごめん、嘘です』
     横浜で狩れなかった命の間近で微笑む無子の背を、夥しい蝶が飛び立っていく。黒の軌跡をしかと見据えた蓮爾は、いち早く着地点を察し土を蹴る。
    「!」
     降るような蝶の群れが自分に向いていると気付いた雄斗が頭を覆う。ほぼ同時に腕の隙間の視界が横へ流れた。
     蝶は貪る、雄斗の代わりに護り手たる蓮爾の身と心を。
    『……あたし』
     惨い光景を前に、無子は呆けた声をあげる。
    『なんでコンナコトしてるんだろ……もう殺しても序列あがらないのに』
     斃れた二人と、疵だらけの灼滅者達を視界に入れる。骨砕け、肉が散る感触に心躍る、でもそれは終わったはずで。
    「…………」
     裂こうとした指をヒルデガルドは下ろす。
    「確固たる敵対関係」
     可聴域ギリギリの無子にしか届かない声。
     拘束具に包まれた胸が僅かに上下する、それだけが彼女の存在を示す。
    「相容れず、それでいて最も近い存在」
     例えば家族を殺した自分と今の自分。
     例えば母の愛を欲して子を護りたいかった彼女と、他者である母子を壊す彼女。
    『闇は優しかった……お母さんと子供に死を突きつければ、子供を見捨てる母親がいて』
     そうじゃない母親もいっぱいいたけれど、其れからは目を背け。
    『それを見る度に「あたしを捨てたお母さんがひどいわけでもなくても、子を放り出したあたしが冷たいわけじゃない」って……』
     背中合わせの闇は、少女の慰め。
     斬り裂き揺らぐ背へ、楸の声が覆い被さる。
    「はっ、そうやって言い訳を探してたわけだな」
     壊された家族はどれだけあったのだろうか、彼らは倖せだったはずなのだ、自分と妹と両親のように!
     楸が放つ矢も言葉も鋭く、穿たれた無子は崩れるように膝を折った。
     ああ、と蓮爾は彼女が灼滅対象である事も忘れて抱き留める。
    「もう、傷付けなくて良いのです」
     辿り着きかけた終末へ導く言の葉を。
    「もう、傷付かなくて良いのです」
     泡沫の身は祓われようとも心はせめて。
     足に触れる一心の前脚、癒しの波動を受け止めながら切に願う。
     ――母亡くし、父知らずで、無償の施しで生きた彼女は、身に渦巻く愛情注げる先を探した自分を見出しながら。
    「やっぱり……」
     翔はため息と共に、蓮爾の腕から立ち上がった無子と向かい合った。
    「君は母親に愛される普通の子になりたかったんだね」
    『どうなのかなぁ?』
     伸ばす指先に絡む漆黒蝶。
     ――あたしを護れ、奪う前に奪い去れ、そういう盾の使い方しかあたしは知らない。護って貰ったコト、ないから。
     道を誤ってしまった姿に寂寞浮かべ、だが一切の手心を加えず翔は腕を断ち切るように大剣を振り下ろす。
    「……どうあがいても、取り戻せないものはある、かな」
     と。
     どさり。
     千切れ飛ぶ腕を無子は他人事のようにただ見ていた。顔には苦が浮かんでいないのがせめてもの幸いか。
     ――終演は、すぐそこ。
     仲間を懸命に支えていた彼らも、殲滅道具を下ろすと無子へと近づいてくる。
    「きっと全て完全に「無」では無かった筈なんです……」
     空っぽなんかじゃないと伝えたいレイラ、もしかしたら糸繰る彼へも、か。
    「苦しいよね」
     拘り続けた少女の肩を支え、靱は続ける。
    「お母さんと子どもを壊しても、君は癒されることなんかなかったんだから」
     おやすみ。
     その声は、靱と優生で重なる。
    「例え、望むものになれなかったとしても……存在自体は揺るがない……君は、君だ」
     里親の本当の望み叶える人を探し続ける彼へ、無子は微睡むように瞳眇める。
    『あ……久しぶり、ねぇ』
     落ちかけた瞼は、最期の記憶彩る彼女たちを認めて再びもちあがる。
     絶えた一族ヒトデナシ、狂気に至る愛は歪んではいたけれど、
    「……愛し愛されてたのは確かだったかな?」
     キミの母もそうだったかも、しれない。
     いろはの言葉に救いを探し、無子は『かもね』と囁き落とす。
    「覚えててくれたんだね」
    『……でも、違う?』
     ソマリと織歌、今日は織歌。
    「私も……お母さんからの愛は結局貰えなかった。けれど」
     告げられた母からの所行は余りに同じで無心に何度も頷いた。
     其れが自分を見ている様で、本当に辛くて辛くて――そんな本音。
    『蒼い、蝶』
     そう呼ぶ無子を蒼月はしっかりと抱きしめる。
     ――やり直しのためには、終わりが必要。
     名。
     彼女の証し、刻んだ者達が口にすれば彼女を辿れるモノ。
    「名前、新しくしませんか?」
     奇しくも蓮爾と蒼月が抱く願いを幼い声が形にした。
     詞水は血にまみれた掌をそっと引っ張り出すと、その上に綴る。
    「無子、さん」
     無の左側に、添える『手』
    「これで、撫子(なでしこ)さん」
    『…………なで、しこ』
     終ぞ誰にも伸ばせずに、ただただ誰かを害するコトで身と心を護り続けた指先を包み込み、詞水ははにかむように破顔する。
    「これが、誰かに助けを求められる手でありますように」
     欲したものは余りにささやかだったのに、求め方すらわからなかったあなたへ、望み叶える『手』を今からでも贈りたい。
    「よかったですね、撫子さん」
     慈しみ深い蓮爾の声で呼ばれ、其れは無名の子の名としての縁を得る。
    「撫子は、いらなくなんかないんだよ」
    『本当、に?』
     蒼月の声に伺うような瞳、返るはいくつかの肯定。
     ――ああ、手を伸ばすのはこんなに簡単なコトだったのか。
    「僕は絶対に撫子を忘れないから」
     ……輪の外でヒルデガルドは月の瞳に全てを収める。
     何者にも成れず、何者も成り得ない――撫子は、最初から彼女であった、刻むコトはなにも変わりは、しない。
    「撫子さん」
     詞水に呼ばれ、
    『ん?』
     返事、ただそれだけなのに心地よくて、撫子は擽ったそうに口元に弧を描く。
    「こだわりが洗われてよかった」
    「……呼び戻されたのは無意味じゃなかったんだね」
     靱に頷き、重ねていた織歌は少しだけ心が軽くなる。名は重要だと、ソマリを得た彼女は知っている。
    『お母さんはくれなかったけど、いいかなぁ。もう……』
     満たされた声を合図に雄斗は手向けの炎で撫子を包む。
    「……今度は」
     更に重なるは楸の炎、アンダーテイカーさながら弔いの熱。
    「真っ当な親にあたるよう祈っとけ」
     そう。
     もしまた命得ることがあるのならば――似た祈り捧ぐ彼らの目の前から、無子であった残滓は撫子として其の生涯を、終えた。

    作者:一縷野望 重傷:金井・修李(進化した無差別改造魔・d03041) 型破・命(金剛不壊の華・d28675) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年11月6日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 9/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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