薄い雲が張り付く青空の下、秋の空気を吸いこめば、鼻の奥がつんと痛む。
そんな中で行われるのが、マラソン大会だ。
武蔵坂学園を出発点として、市街地、井の頭公園、吉祥寺駅前の繁華街を抜け、心臓破りともいえる坂を駆けあがり、学園へ戻ってくる。その長さ、10キロ。
掲示されたマラソン大会のお知らせを読んでいる君の周りには、他の生徒たちもいる。
彼らも君と同じように、マラソン大会の詳細を確認していた。
「えっと、朝食は、軽く摂るのがいいんだったかな?」
君に、隣に居た狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)が声をかけてくる。
「水分補給もこまめにした方がいいんだよね。……あの、僕、こういうの詳しくなくて」
睦は少しばかり恥ずかしそうに微笑んだ。そして、夜更かしはもってのほかだよね、と掲示物との睨めっこを始める。
君も改めて、掲示物を見直した。
決行は10月31日。
周囲に大きな迷惑をかけなければ、多少の無理は問題ないようだ。
ただ、大会そのものからのエスケープを試みたり、不正を行おうとすれば、魔人生徒会の協力者に捕えられ、罰を受けることとなる。
「罰として、校庭をマラソンコースの距離だけ走らされる……だって。大変だね」
「普通に走っていれば問題ないよー」
睦が、別の生徒とも言葉を交わした。そしてぽつりと、普通にかあ、と呟く。
「……せっかくのマラソン大会だから、友だちと一緒に走るのも良いかな」
時には励まし合い、時には背を押し、手を引き、声をかける。
一人がむしゃらに走るのも良いが、仲間と共に駆け抜ける青春というのも、思い出に残る。
君が辺りを見回すと、集まった生徒の中には、「一緒にがんばろうね」と約束を交わす者や、「おまえには負けない」と睨みあう者もいた。一人では心細いから、仲間を誘いに向かった者もいるようだ。
「そういえばこの日って、ハロウィンだね」
不意に、睦が君の顔を覗き込む。君が思わず頷くと、睦は僅かに声色を弾ませて。
「仮装を楽しみながら、誰かと一緒に走るのも素敵だよね」
せっかくのハロウィンなんだし、と睦が微笑んだ。
ミイラや狼人間といった、ハロウィンらしい仮装は定番だ。
二人あるいは数人でテーマを合わせた衣装を纏い、完走を目指すというのも味がある。
一人で走るのではないからこそ、アイディア次第でいかようにも楽しめる。
「ふふ、この学園ならではのマラソン大会だね」
君の傍らで小さく笑って、睦が再び質問を投げてきた。
「君は、誰と一緒に走るつもりでいるのかな?」
――さて、どうしようか。
●
生徒が揃ったスタートラインは、壮観そのものだった。多くの想いが集った場所、ここ武蔵坂学園が彼らの出発点で。
何やら手荷物を抱えた『びゃくりん』もそこにいた。
「私たちの場合、ゴールした後がある意味本番ですからね」
その時のための荷物なのだろう。古海・真琴の瞳が煌めく。同意を示したのは狐に扮したセカイだ。りらくぜ~しょんぷらざ・びゃくりんの魅力を皆さんに伝えましょうと、セカイも意気込んでいる。
コーギーの着ぐるみを纏った悠花は、既に着ぐるみ独特の暑さを体感していた。そんなときこそ冷えたタオルなのだー、と名前の通り朗らかな笑顔で向日葵がタオルと水を仲間に見せる。
犬の耳と尻尾をつけた咲哉は、納薙・真珠と朝の挨拶を交わしていた。
「がんばってください。私、ここから応援を送ります」
そう答えた真珠へ、咲哉は猫の仮装セットを手渡した。
「これでお揃いだ。楽しもうぜ。一緒に」
犬耳を差して微笑む咲哉の言葉に、真珠の頬が微かに上気して見えた。様子を見守っていた悠花たちも、次々と真珠へ挨拶を向ける。いってきます、と。
集う『マーベラス』もまた、これから始まる戦いに備えていた。
準備運動を続ける登の傍ら、風邪を引き損ねたと呟く虚ろな白虎の眼差しに、普段の明るさは無い。
「ペースはどうする? オレのじゃ早すぎるかな」
登の質問に、アッシュは眩いばかりに煌めいた青を瞳に浮かべて、ぐっと腰を深く落として構える。
開始を報せるピストルが掲げられた。銃口は遥か天を向き、そして。
タァンッ――乾いた銃声が、鳴り響く。
「全力疾走あるのみなのです! ジャパーンッ!」
「っていきなり全力!? 待ってよアッシュ!」
飛び出したアッシュを追い、登と白虎も突入していった。
大小さまざまな靴音が地を震わし、砂埃が陽射しを浴びて煌々と舞う。
全長10キロに及ぶマラソン大会の、戦いの火蓋が切って落とされたのだ。
みんな可愛いし似合ってるなー、とリズムを崩さないまま『井の頭1H』の勇介が胸を躍らせる。そんな勇介へ視線を寄せたコロボックルの志歩乃と黒猫律に気付き、彼は堂々と胸を張って、騎乗槍と立派な盾を構える。アイスのコーンと、市松クッキーの形をしているが。
「やぁやぁ我こそはスイーツ国のナイト・ユースケであるっ!」
高らかな名乗りに、志歩乃と律も拍手を重ねた。めんこくみえるねえ、と笑いながら、志歩乃は螺湾蕗を模った傘を担ぐ。
大きなバッグを持ってきた律は、尻尾を揺らしながら、さっそく道行く人にハロウィン特有の呪文を口にして回りだす。お菓子の収穫祭が、律の中で始まった。
碧は走る。手足の振りを最小限に。日頃から培ってきた体力は、その見目からは図れぬ底の深さがある。景色を時折瞳に映しながらも、彼女が見据える先はただ一つ、ゴールのみ。漆黒の髪を風に遊ばせながらも、弾丸のように駆ける碧の姿は、流麗そのものだった。
肩を通す棒が痛い。『天剣絶刀』のギィは、ボロを着た案山子としてコースを辿っていた。仲間の前に立つ日和も、走り難そうな格好の仲間たちを時折振り返っては、ペースを合わせていく。
「悪い子はいねーかー!」
唐突に、木こりに扮した瑛が斧を振り上げた。びくりと仲間たちの肩が飛び跳ねる。その反応が嬉しくて、瑛は面の下で男らしく笑った。悪戯しなきゃ損だぞ、と豪快に。その様子に皆と歩調を合わせるエリノアも、僅かに頬を緩めた。ライオンを連想させる装いがまた、風を勇ましく感じさせた。
一方、何度転んでも立ち上がれるさと自信たっぷりに話すのは、『刹那の幻想曲』のゆまだ。柔らかく弾力のある南瓜の被り物は、既に薄汚れてきている。一方の百花は、よろけながらもドレスの裾を持ち上げて、懸命に走っていた。
そして再び転倒により、ゆまが転がっていく。南瓜の丸みが勢いに拍車をかけた。
甲冑の音を高らかに響かせて、エアンと日々音が慌ててゆまの救出に向かう。
「おむすびもとい、水瀬さんころりん!?」
日々音が真顔でそう呟く間にも、ゆまの前へと回り込んでいた百花が、ドレスをこれでもかと広げて構える。広い布に阻まれて、南瓜頭は漸く静止した。
よたよたと立ち上がったゆまは、お詫びにと懐からパウンドケーキを取り出すが、あれだけ派手に転がった後だ。当然、ケーキも見るも無残な姿に変形していて。思わず、皆で爆笑した。
「ひよひよ、走ってるときって、何考えてるー?」
鈴音の質問に、はたりとまばたきをした緋頼は、自分のペースや風景について考えていると素直に述べる。すると鈴音も、緋頼の話しに同意もしつつ、自分は考える内容を変えていくのだと話した。
「……そうですね。ひとつのことだけだと、飽きたりもしますよね」
人によって、走る間の思考も違う。それがいかに楽しいことかを、緋頼は今、身をもって実感した。
気を遣わせてばかりだと、歩みに落としてからずっとルルは感じている。気になるのは、風樹が楽しめているかどうかだ。そんな心が、ルルの眼差しを窺うように風樹へ向けてしまう。しかし想いを他所に差し出されたのは、頼もしい掌で。一緒にゴールしようと、彼が笑う。だから少しばかりの戸惑いの後、ルルは手を重ねた。
着物とは全く違う姿の皓。海賊にもかかわらず、街の人たちに笑顔で手を振る姿を見せた皓に、楽しそうだね、と近くを走っていた睦が声をかける。いつもと違ってわくわくしてくるですね、と皓は頭に巻いたバンダナを嬉々として揺らした。
シンデレラのドレスを纏うえなは、タキシード姿の飛鳥と共に走る――というより早歩きで進んでいた。
シンデレラらしい高いヒール。美しくはあるが、非常に走りにくい。そんなえなが気がかりな飛鳥だが、耐え抜こうとする姿勢を尊重して、あまり声をかけずに付き添っていた。だが直後、盛大にバランスを崩したえなは、片方の靴を落とすどころではなく、ヒールを根元から折ってしまった。飛鳥はそこで漸くえなの手を引いて先導する――12時の鐘には、まだほど遠い。
吼えながら闊歩する翼が生えたライオンの中では、毬衣が懸命に声を張り上げていた。
多くの仮装で行列を成しているマラソンの光景に、ロジオンは気を取られっぱなしだ。
「ロジオン前前ーっ!」
咄嗟に目つきの悪さが印象的な黒猫――直哉が忠告を向けるも、時すでに遅し。ロジオンは電柱に真正面から激突してしまった。障害物が多くて大変でございます、と上半身が左右に揺れる。
その一方で、霊犬の着ぐるみを纏った歩とアラビアンナイトを連想させる装いのミカエラが、沿道の人たちへお菓子をねだりに向かっていた。
「わんわん! お菓子くれないと、こちょこちょもふもふするぞ~!」
「いたずらしちゃうぞー!」
ハロウィンらしい彼らの行動に場が和む中、レミからペットボトルを貰っていた直哉は、とつぜん立ち止まると、コートをばさりと翻して。
「事件の陰に探偵アリ、謎ある所に着ぐるみアリ、着ぐるみ探偵参上!」
レミの叩くカスタネットの音が、鳴り響く。これが『文月探偵倶楽部』の日常だった。
●
両手を振って倭を急かすのはましろだ。けれど景色を味わうことは急いでいても忘れないらしく、色づき始めた公園の葉を見上げて、ましろは大きく息を吐いた。見頃になったらお弁当を持って来たいなと、胸の内だけで呟いて。
「ちょっとだけ、充電させて」
早速疲労がきてしまったらしく、瞼を半分落としながらましろが倭の腕を引く。
「休憩して眠っても30分で容赦なく起こすからな」
しかし、倭の予告が言葉通りに実行されることはなかった。
緑に溢れた光景で寺を思い出すのだろうか。化け猫に扮した寂蓮の足取りは軽く、同じく化け猫を模した射干を、ちらと見る。常より鋭い目つきが輪をかけてきつくなっている。疲労が溜まってきているのだろうかと心配していると、そんな彼へ射干がペットボトルを差し出した。存外、自分も疲れた顔をしていたらしい。妙にくすぐったくなった寂蓮は、小さく笑うとチョコを射干の掌へ転がせた。
「犯人はこの中に……って、探偵しかいないね!」
赤い蝶ネクタイをびしりと決めた『探求部』の希紗が嘆く。決め台詞が決められずに嘆く。なんだか走りにくい格好を選んでしまったかもです、と真琴もグレーのテーラードジャケットの襟を整えた。
モノクル越しに藍を捉えた統弥は、その姿も愛らしく凛々しいね、とシルクハット姿に相応しい言葉を選んで感想を手向けた。すると藍も、気恥ずかしそうに笑って。
「統弥さんこそ似合っていますよ。凛々しい上にちょっと茶目っ気がありますね」
よれよれの袴を合わせ直した結衣奈は、艶めく彼らの空気にも押されずに、ぱんぱんと手を叩き、仲間の意識を引き戻した。そのまま、ハロウィンの柄が入った包み紙の飴を、結衣奈が皆の掌へ転がせる。
「糖分補給したらもうひとっ走りだよ! 道草終了!」
「こっ、これは道草でなく探求です!」
公園の木に近寄り、虫眼鏡で観察していた七波少年探偵の首根っこを、結衣奈が掴んで引っ張って行った。
鳥が数羽、公園からはばたいた。平穏な光景に突如として現れた、二人の騎士を警戒したかのように。
疾駆の騎士からは、がちゃがちゃと甲冑の音が鳴っては零れゆく。首なし騎士デュラハンと相対する騎士の律希は、巨体に向かって、今日こそ決着をつけようではないか、と叫んだ。正義感溢れる言葉に返すのは、また負けにきたか、と悪役らしい笑い声。デュラハンに扮した正流が、律希との間合いを計りながら剣戟に勤しんだ。作り物の刃を交えて駆け抜ける二人の姿に、何かの撮影と思った者もいるとかいないとか。
くるくるくる。黒いレースの傘が回る。あそこはなぁに、あの木はなぁに。尽きず沸き起こる未知のものを、セレティアは止まず尋ね、旭はそれに丁寧に応える。最終的にセレティアが興味を強く寄せたのは、桜の木。春になると薄いピンク色の花が一斉に咲くのだと旭が説明した途端、薄氷のような瞳が揺れる。だから旭も、春になったら見に来やしょう、とグラス越しの瞳を和らげた。
「光画部ーっ、ファイト!!」
重なった掛け声が、青々とした空に木霊する。
体力を温存していた私の出番ですよと、鼻を鳴らした沖次郎は、先頭にいたまぐろを突然抱き上げた。それも俗に言うお姫様抱っこの体勢だ。
「ちょっ、わ、私は疲れてないわよ! おろして!」
「大丈夫ですよー、まぐろさんひとり軽い軽い!」
だから疲れてないってば、というまぐろの叫びが空しく宙に消える。騒がしくも仲睦まじそうな掛け合いを繰り広げる二人を前に、桐香は湧き上がる情動を抑えるのに必死だ。これはもう弄るしかありませんわね、と不敵な笑みを零し、カメラでお姫様抱っこのまま運ばれるまぐろを記録し始めた。
前方の賑やかさに反して、ややペースダウンしていたいちごを心配したのは、由希奈だ。足並みをいちごに揃えて隣に立ち、ひょいと顔を覗き込む。大丈夫か尋ねた直後、顔の近さに己の行動をすぐさま自覚し、ぼんっと音が聞こえてきそうな程に赤面する。
「……ちょっとだけペース、落としていい?」
ささやかに告げられた願いに、いちごは小さい頷きだけで応えた。
赤ずきんを食べるのは狼と相場が決まっている。
だから遊も、食っちまうぞー、と脅しながら桃香を追走していた。はずなのだが。
「うぅ、まってくださ~い!」
いつの間にか追い抜いていた。無理すんなよ、と狼らしからぬ優しさを放るほどに、桃香の肺が悲鳴を上げていて。そんな桃香を突如として襲ったのは、悪戯するにも程があるほどの強風だ。慌てて赤ずきんのスカートを掻き集めるように押さえる桃香と、無意識にガン見した遊だったが。
――あ、うん。そりゃ、ちゃんと穿くよな、下に。
お望みのものは拝めなかったようだ
光莉の足が緩まる。
「システィナさん、ご覧になって。こんなにも秋を感じるの」
促されて見上げたシスティナは、寒さと共に色濃くなっていく秋の景色に、息を漏らした。ふわりとワンピースが揺れ、風に遊ばれたことを楽しそうに告げる光莉が、橙や黄といった秋色に溶けていく。追いかけられるはずの時計兎は、そんなアリスを追うように、駆けて行った。
それぞれの衣装が目新しく、賞賛と感想で和気あいあいとした雰囲気を醸し出し走るのは、『箱庭』の面々だ。
マイクを握りゴールへまっしぐらな照は、真っ直ぐゴールしないと狼に食べられちゃうと、赤ずきんに扮した真珠を一瞥して話す。アイドルらしい発言に、真珠はくすくすと笑ってから、帽子屋眞榎を見遣った。
「そうね、寄り道したら、怖~い狼さんに食べられちゃうもの」
「いや確かに狼やけど狙っとらんよ!? 狙っとらんから!」
人狼の主張も、笑い声に紛れ空しく消える。
突如、こほんと咳払いをしたのは照だ。マイクを握る姿も様になってきている。
「えー、天気予報をお伝えします。令之の天気は晴れのち雨でしょう」
名指しされた令之の肩が揺れた。令之もまた、照と同じくアイドルに扮していた。しかしどうにもシルエット的にはデザートのパフェそのもので、アイドルの世界って深くて怖いなと、眞榎は口端を引きつらせる。
「ぼ、僕の天気? なんだか不吉な予報……」
「レノちゃんだけに、はレノちあめ、なのね!」
作り物の龍を掲げていた吾桜が、無邪気に感想を述べたその僅かな時間、眞榎がひらひらと靡く龍へ、掴みかかってしまった。
引っ張らないでとの懇願も空しく、均衡はあっという間に崩壊した。おかげで、すぐ目の前を走っていた令之が、二人の下敷きになってしまった。大惨事である。
「うう……ところにより吾桜くんと眞榎くんが降ってきた……」
とんだ災難に見舞われた令之を他所に、照くんの予報大当たりねぇ、と口元に手を添えた真珠が、声を弾ませた。
好奇心旺盛な『あかいくま』の月夜の瞳が動く。
「葉っぱのお色も、綺麗になったですねっ」
背負ったリュックから氷の音が零れた。そんなペンギン月夜のペースどころか、意識が景色に囚われすぎていて、嘉月は見守りながらゴールを目指す。
本当は走るの苦手だけど、大好きなお友達となら最後まで走れそうな気がする。なひろが、初めてできたお友達と顔を見合わせれば、ふにゃりと零れる笑顔。
アリス姿の春陽が月人へ発破をかけて先に出発すると、月人も渋々歩みを進めた。風の悪戯が起きたのはその直後だ。風は、無防備なアリスを後ろから盛大に撫で上げていく。
「……月人さん、み、みた?」
身体だけでなく瞳も声も震えている。月人の目が盛大に宙を泳ぐ。
「位置的に俺しか見えなかったと思うし、安心していいんじゃねーかな。んじゃ!」
気だるげな時計兎が脱兎のごとく駆けだし、アリスは両腕を振り回しながら彼を追いかけていった。
少し休もうか、と透る緑に見つめられ、心臓が破裂しそうに脈打つ識は頷いた。木陰で一度足を止めたものの、まともに言葉を発せない程、息の上がった識の頬へ、売僧がそっとペットボトルを当てる。溢れんばかりの優しさを噛みしめて、絶対に一緒にゴールしようと識は決意を改めた。
「なぜか、俺が、アリス、だ! なぜだ!」
困惑を重ねに重ねて叫んだのは『千川キャンパス1-3』の菖蒲だ。そして訴えを棄却されるよりも先に仲間から逃げた。全力で。
命からがらといった様子の菖蒲を追いかける眠り鼠の藍凛と帽子屋は、アリスのスカートから目を離さず駆け回る。
「このおれが必ず仕留めてみせますぜ!」
「……そう。スカートの中を」
「みみみ見られたって平気だぜ下にズボン履いてるし!」
追跡者である、れん夏と藍凛の気合いに充ちた一言を背に受け、菖蒲が再び叫ぶ。
桜と小唄は、スカート捲りに挑む二人へ声援を送った。チェシャ猫と三月うさぎが楽し気なその光景を、時計兎のヒノエと、ジャバウォックの美冬が撮る。見事な連携プレイだ。
「ヒノエくん、お茶ー。おかしー」
「そうですね。マラソンの後にお茶会を開きましょうか」
小唄の催促に薄く笑んだヒノエが辞儀を見せれば、シルクハットから生えた兎の耳が、優しく震えた。
●
黒いローブの裾を引きずるように、菊香が坂道を駆けあがる。魔女と共に並ぶのは、着物を纏った狐――桃香だ。笑って走ろうと、元より笑んでいるように見える狐が言うと、全身黒づくめの魔女が、汗だくになりながら笑顔を返す。ひと月かけて練習した記憶が、二人の脳裏に蘇る。苦しくとも失くすはずのないものが、二人にはある。だから見えたゴールまで、二人から笑顔を奪いとることができるものは、いなかった。
このクラスでこういうの出るの初めてだ、と息を切らして喜ぶイオンは『境南町高2-6』の生徒だ。彼らは後方で、カードを投げ合うという、訓練染みたポーカーの真っ只中にいる。もちろん走りながら。首かけ板を提げて。本格的に。
九十九がカードを配り始めた。しかも風を切るように投げて。ナイスコントロール、と圭一も賞賛を向ける。九十九のスマートな投げ方を見ていて、目を輝かせたのはイオンだ。
「カードをカッコ良く、誰が一番遠くまで飛ばせるか競争とかしたいな!」
「投げるのはいいが人様に当てねぇようにしろよイオン。俺はお前を狙うけど」
きらりと圭一の目が輝く。指の間にトランプを数枚挟んでポーズを決めた彼は、そこでふと一緒に走っていたはずの狼煙がいないことに気付き、圭一が辺りを見渡す。
すると、ゴールはもうすぐです、と声をかけながら苦しげに走る人を姫抱きの姿勢で運ぶ、勇猛な狼煙の姿が。イオンたちが感心する中ただ一人、九十九だけは心に引っかかる闇でもあるのか、その光景を見たまま立ち止まってしまう。ぱらぱらと雪崩落ちるカードにも気づかずに。
完走したら望みを一つ聞く。赤く色づく景色の下で、そう提案したのは久遠だった。隣に温もりを感じながら、言葉は買い物に付き合って欲しいかもと呟く。だから久遠は頬を緩めた。お安い御用だと、迷わず返して。
「睦、動くな!」
背中へかけられた声に睦が振り返ると、ガンナーに扮したアシュが、銃の玩具を構えながら追いかけてきていた。
「そう言われると、余計に動きたくなるよ」
微笑んだ睦は、スピードを緩めない。追跡者アシュもまた、足を止めることなく任務を遂行した。
フリーシアンは、次々と抜かれていくことに哀しさを感じていた。だから置いていってくださいとみるひへ懇願する。そんな彼女へ喝を入れたのは、他の誰でもないみるひだ。
「誰に抜かれたって構わないよ! 最後までシアンと一緒なんだから!」
響く言葉に、フリーシアンは自分の両頬を挟むように叩く。気合いは入れ直した。ならば二人で目指す場所は、一つだけだ。
負けないよ、と菜々と式が睨みあう。そこに籠もるのは熱情。踏み込む足の裏までもが熱い。賭けの勝者となった暁に想いを馳せる二人は、同着となる少し先の未来を、まだ知らない。
競り合う丹とホナミの足は、いかなる坂であろうと勢いを殺さず進む。肩をぶつけるように並走しながら、目が合った瞬間、ホナミが先に勝気な言葉を放る。
「私と一緒にゴールしたいなら、遅れないでね!」
「ほなみんこそ、しっかりついて来て」
ふふんと鼻で笑ったホナミに、丹も負けじと言い返した。最難関の地を掻い潜る二人の前に、敵は無い。
怖さの増したゾンビが二体と、段ボール製の鉈を掲げたホッケーマスクの悪魔が、『うたたね』のメンバーを追いかけていた。くるみちゃんってわかっていても怖い、とめいこが全身で震える。くるみのゾンビももちろんだが、壇のゾンビ姿も負けてはいない。はみ出す内臓のクオリティが高い。やけに気合いが入っているなと瀬宮・律もさすがに驚くぐらいだ。
「めーこちゃん、早いじゃない。よーし、スピードアップよー!」
壇とくるみは一切の遠慮もなくめいこたちを追いかけた。もう少しホラー要素を強めればよかったかな、と段ボール製の鉈を見つめながら、千鶴が首を傾ぐ。悩む千鶴をよそに、追う者と追われる者の早さは増す一方だ。
「コースアウトしたらどうすんすかー」
瀬宮・律の呼びかけにも応じず、『うたたね』は嬉々とした声と悲鳴を重ねて駆け回った。
距離が空きそうになったと気づき、誠士郎は足を止めた。白猫が柘榴色の瞳を濡らす。私のことは気にしなくていいと告げたかしこの声すらも、誠士郎は包み込んだ。少女の掌と共に。
「少し歩こう」
尻尾を揺らした黒猫が白猫の手を引く。手から伝う暖かさが、冷えた皮膚にじわりと滲む。さすがに、これは卑怯ではないだろうか。かしこの呟きは、黒猫の耳には届かなかった。
昇り切った先へ飛びこめば終わるのだと薫も理解していた。だからこそ「もう少し」である今の距離が、肺から空気が抜けきったように苦しい。ゆっくりでいいんですよ、と翔也の声が耳朶を打つ。応援を、一歩でも先へ進む力に変えて、薫は優しいジャック・オ・ランタンと共に坂を駆けあがっていく。
――絶好の航空日和だな。
そうモノクル越しに空を見上げたのは『SS空賊団』の喬市だ。
白を基調とした衣装に身を包んだイコが、斬りこみ隊長として先行した坂道の上で、振り返ってぶんぶん両手を振る。まだまだ元気いっぱいのイコを見上げ、十織は頬に垂れる汗を拭った。
「……キョウ、ちょっと引っ張ってくれ」
重い工具箱を所持していることもあってか、とうに限界を超えていた十織が助けを求める。
「俺の仕事は頭脳労働のはずなんだがな」
山高帽を目深にかぶり、喬市はやれやれと肩を竦めた。
口ではそう言いながらも、仲間は見捨てない。一方、燻銀の丸ゴーグルを首から下げて、イコは補給を差し上げますわと試験管を掲げた。そして。
「空賊団の名に賭けて。風になって、最後まで!」
喬市と十織めがけて、スポーツドリンクが入った試験管を解き放った。
さて、秋空舞った試験管を大きな励みに、彼らはもうひと踏ん張り――。
●
金属音が小刻みに鳴る。『月訪狐屋』の清美のものだ。姫騎士の姿と音は、周りの目を惹く。
アリス風のスカートを揺らす菜々乃は、通り過ぎる風景に視線を散らせては、自らと仲間たちを励ます。
「二人とも可愛いから大丈夫、完走できるよ! だって可愛いもの、うんっ」
清美と菜々乃を褒めちぎる二足歩行の黒猫には、夕月が入っている。実に暖かそうだ。
マラソンと聞いて憂鬱さも抱いた清美だが、仲間と並んで走る楽しさを味わい、頬を緩めた。
途方もない坂を見上げて走るのは極志だ。
「フェケテさんもう少しっすよ! 顔をあげるっす!」
アスファルトとばかり見つめ合っていたイロ-ナが、漸く視線を正す。坂の上に広がる青まで登りきりたいと思った。あの空へ向かって歌いたいと感じた。
だからイロ-ナは、嗄れた声で「がんばりマス」と極志にそう返した。
同じ頃広樹は過去のマラソンを想起していた。自己記録更新を求めていた頃とは違う。麻生、と呼びかければ、広樹から離れない澪音の姿がそこにはある。
「麻生なら、この坂も越えられる。だろ?」
広樹は、足の裏が擦り切れそうでも諦めない澪音へ手を差しのべた。誰かと一緒に達成する喜びを、二人が味わうまで、あと数十秒――。
ペースを乱すことなく坂までこぎつけた『人狼研究部』は、難所を前にしても平静さを欠くことがなかった。
「……足さえ止めなければ上りきれる」
紅が真っ直ぐ伝えるのは、眼の前の事実。紅は終始ペースメーカーとしての役割に従事した。
頼もしいなと、友衛はそんな先輩の姿を網膜に焼き付ける。そしてちらりと振り返れば、息も絶え絶えな樹里を気遣う浅葱の姿が、そこにはあって。
「樹里ちゃん、坂を超えてしまえばあと少しよ!」
浅葱も続けて声をかけた。だからこそ、眩暈がするほどの苦しさの中でも樹里は諦めない。熱を帯びた足裏でアスファルトを蹴る。
坂を上りきった先、彼らを待っていたのは――気が遠くなるほどに澄んだ、秋晴れの空だった。
ゴール地点を超えたと同時に、へなへなと澪が座りこむ。もう走れないのです~、と涙声を零す彼の眼鏡は盛大にずれていた。
また、ゴールを超えた先で紡がれる絆も多い。
シグルスはよろめくシュガーベルの肩を支える。ローズの瞳が、そんな彼を映して揺れた。
「あ、ありがとうシグ、ちょっと眩暈がしただけ。もう大丈夫」
淡い瞳に映った自分を知り、シグルスは咄嗟に飛び退く。隣にいてくれて心強かったと、道中の想いを吐息に乗せてくれたシュガーベルへ、シグルスは歯を見せて笑う。
「こっちこそありがとな! また何かやろうぜ、一緒に!」
耳まで朱に染めたシグルスの言葉に、シュガーベルもまた、同じ色で頬を染めた。
作者:鏑木凛 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2014年10月31日
難度:簡単
参加:117人
結果:成功!
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