安定した生活のために

    作者:一縷野望

     古びた立て付けの悪い玄関戸が開くと同時に、煤けたシャツの鼻垂れ小僧が飛び出してくる。
    「とーちゃん、おつかれさま! どーだった? しゅ、しゅ、しゅー」
    「就職活動」
     後ろから出てきたエプロン姿の娘は中学生ぐらいか、おずおずと顔色を伺うように父を見る。
     社会からの外れ者、酒浸りの父が仕事探しを始めたのはつい最近。もちろん、怠惰な男にまわってくる仕事はなく、帰りはいつも不機嫌に荒れるのだ。
    「ふっ」
     そんな父の肩が、揺れた。
    「ははっははははは」
     笑っている。
     人が変わったように朗らかに、笑っている。
    「昌子、純、だーいじょうぶだよ。パパね、お仕事できそうなんだあ」
    「わあ、ホント?!」
     無邪気に駆け寄る純の首が、ぽとり。
    「ひっ!」
    「まさこぉ……」
     腕の先禍々しくも神々しく輝く剣を振りかざし、父・茂は普段の陰鬱とは打って変わった清々しさで――娘の首も、もいだ。
     

    「就職活動に行き詰まってる人が、六六六人衆に闇堕ちする事件が発生してるんだ」
     灯道・標(小学生エクスブレイン・dn0085)はやりきれぬ想いで唇を噛んだ。
    「そうして、身近な人の首を跳ねる」
     残念ながら、と少女は添える。
    「もう、跳ねられ済み。娘の首をぶら下げて、榊原・茂(さかきばら・しげる)って六六六人衆は移動中。目的地は不明だけど、人のいる繁華街に差し掛かろうとしてる」
     現状、無差別殺人の兆候は見られないものの、彼を見咎める者が現れたらその限りではない。
    「その首はどうしたんだ、とか……聞いたが最期、その人は殺される」
     そんな悲劇が起る前に、どうか灼滅して欲しい。
     
     序列六六二位の榊原・茂へは繁華街手前の空き地にて仕掛ける事が可能だ。
     彼は殺人鬼とサイキックソードのサイキックを使用して応戦してくる。
    「幸いにも人通りはないよ。それこそキミ達が咎めたり問いかければ気が惹けるだろうね」
     ただ茂は非常に好戦的なため、会話で油断させて不意を突くのは考えない方がよいだろう。
     せいぜい一撃目を惹きつける程度に考えた方が、いい。
     
    「ロクデナシ、だけど、子供達のために仕事を求めたんだろうにね」
     その理由へ自ら手をかけて、彼は何処へ行くのだというのか……。
    「行き場なんて、ないんだ」
     その言い切りは灼滅という終焉をと願うようだった。


    参加者
    佐々・名草(無個性派男子(希望)・d01385)
    花檻・伊織(淪落アパテイア・d01455)
    リュシアン・ヴォーコルベイユ(橄欖のリュンヌ・d02752)
    若菱・弾(ガソリンの揺れ方・d02792)
    焔野・秀煉(鮮血の焔・d17423)
    篠崎・壱(非定型ステップ・d20895)
    古閑・柊(香ひの狩猟者・d25757)
    大和・猛(蒼炎番長・d28761)

    ■リプレイ


     生きるための基盤が安定しないと、人は倖せを感じにくくなる。
     闇へ堕ちた榊原茂は、一体何時からそうなってしまったのか……もう、思い出せない。
    『ふへへ、ああ、これで……これで……』
    「おい」
     爛々と輝く狂者の瞳で先を急ぐ茂を、明らかに咎めるような呼び声。
    『あァ?』
     娘の首を肩にのせ胡乱げな顔を向ければ、空地で腕組み黒鉄のキャリバーに背を預ける男が一人。
    「てめぇ……その首はどうした!」
     サングラス越しに殺意を孕ませて、若菱・弾(ガソリンの揺れ方・d02792)は真っ直ぐに糾弾する。
     ひゅ。
     玩具めいた蛍光が一閃。
     艶消しレザーの腕で受け止めた弾は躰をねじった。勢いのまま空地へ投げ出された後頭部を、凛然とした閃光が揺さぶる。
    「生きる為には働かねばならない」
     瑠璃の目配せに答えるように瞳眇めるは花檻・伊織(淪落アパテイア・d01455)。
    「働く場所がない人は――社会からも居場所がないんだね」
    『……くっ、くくっ』
     辛辣な伊織をにらみ据え奥歯を噛む。
     しかし物言いたげな表情何処吹く風、露わな首筋は古閑・柊(香ひの狩猟者・d25757)の手により無残に刻まれた。
    「六六六人衆に永久就職とか、普通より後が大変ですよねっ」
     陰の逆さまはいっそ陽気、それは六六六と背中合わせの殺人鬼故か。
    「まぁ」
     烈火の如し男の一撃。続けての飛雄威の毒は辛うじて阻んだ。
    「どの道、碌でもねぇ胸糞悪ぃ黒幕がいるんだろうけどよ……」
     しこたま喰らいながらもにたり嗤う茂に、焔野・秀煉(鮮血の焔・d17423)は人としての理が欠け落ちてるのを見て取る。
     それは、哀しい。
     とても、とても。
    「ねぇ、教えてよ」
     轟天を滑らせ入り口塞いだ佐々・名草(無個性派男子(希望)・d01385)は問わずにいられない。
    「聞かせてよ、僕達と――その子に、あなたの子供達にさ」
     安定した生活を求めた理由を。
     伸ばした影で縛れば轟天の銃撃音が続く。それはやがて気を集め傷塞ぐ弾の傍らのデスセンテンスのモノとも重なりゆく。
    『あっ、あはっあはははは!』
     二重の弾丸をはじき飛ばして、笑う。朗らかに。
    「もう何も聞こえないのかな。あなたは――」
     サウンドシャッターで封じた音が聞こえぬ一般人のままならば、どんなに良かっただろうか。
    「てめぇ……」
     ほぼ同時の音封じ、苦々しさ露わに握った拳を振るわせる大和・猛(蒼炎番長・d28761)は、堪えきれぬ感情を載せた殺気を放出する。
    「家族を食わせる為の職探しじゃろうに、なんちゅう事をしよる」
     それは慟哭めいた殺意。
     正直に言えば安穏とした家庭環境ではない、が、それでも家族へ気持ちを寄せ続けてきた猛にとって、この人格崩壊は充分に怒りを煽るものであった。
    『よっと……』
     立て直した六六六人衆は猛の怒りをいなし、状況把握すべく視線を巡らせる。
     所在なくぶら下げられた娘の首、吃驚と恐怖が滲む瞳を前に、篠崎・壱(非定型ステップ・d20895)は居たたまれぬと目を伏せた。
    「親しいひとの首斬んなきゃ六六六人衆に就職出来ないって言いたいのかしら」
     翳した指輪からの黒で貫き独りごちる壱へ、意外にも返事があった。
    『そう、そうなんですよ』
     まるで大切な書類を抱えるように娘の首を腰に押しつけて、茂はわざとらしくため息をつく。
    『いやはや、就職とは厳しいものですなぁ』
    「……見るに耐えないね」
     こんな終わりは。
     虚空に何かを生み出すように翳された指、繰り出すは鋼の糸。リュシアン・ヴォーコルベイユ(橄欖のリュンヌ・d02752)の華奢な身を包むように巡る糸は、彼が後ろに立つと思わせるが、しかし。
     踏み込み、少年は戒めを間近で放つ。
    「守るべきものを――重荷を下ろして、楽になれた?」
     忌々しげに払った糸より苛烈なリュシアンの台詞。嗚呼、それが彼の心を打ち据えるのであれば、どんなに良かっただろうか。


     不意打ちは狙えぬと言われていた中、挟撃及び数発を加えられたのは上々の出だしである。
     迎撃開始した茂は、膨れあがる殺意で複数を包み、間に挟む輝剣で手当たり次第に切り伏せる。
     まるで力を持つのを赦さぬというように付与を壊す。必要なければ脊髄だのの急所を執拗に抉る。
     猛は大きく息を吐くと、めまぐるしく入れ替わる仲間と茂を視界に捉えた。一人でも欠けさせるものかとの気概で、翳した輪から癒しの力が膨れあがり秀煉へと射出された。
    (「誰も来る気配はねぇか……」)
     同時に空地に接する道へも視線を飛ばす、力なき者が巻き込まれる事を漢気ある番長は特に嫌う。
    「ありがとよ。さぁて、人を捨てちまった奴ぁ、燃やし尽くしてやんぜ!」
     雑草を焦がし滑る地面から一気に踏み切り赤の踵を振り下ろす。
    『くっ! そんな素行だと、仕事につけずに苦労しますよぉ?』
    「心なくして出来る真っ当な仕事なんざ見た事も聞いたこともねぇけどな」
    「そうですよっ」
     海のように空のように澄んだ蒼玉は、重苦しさが帳のように落ちる中で一際明るい音色を響かせた。
    「誰かの心配ができる余裕があると思ってるんですか?」
     ひらり。
     遊ぶように舞う柊の紺瑠璃。相反するように突きだした剣が捌く腹は、赤々と爛れるように避けて腸を晒す。
    「同情の余地はないですねー」
    『心配、同情……』
     そう、誰も心配も同情もしてくれやしなかった。
     事業が失敗し子供を抱えて途方に暮れた過去、誰も手を差し伸べちゃくれなかった!
    『ああ、時子! なんで死んじまったんだ』
     握って離さぬ娘の首へダークネスは娘とは違う名前を呼びかけた。その様に壱は口元に指をあて小さく俯く。
    「あの子達のお母様……」
     問いとも呟きともつかぬ言葉には、六六六人衆は下を向き唸りをあげるのみ。
    「……怠惰で酒浸りだったとしても、子供達を大切にしてたの、よね」
     そこに心を見て取りながら、壱は握りしめた拳を思う様叩き込む。
     斯様にダークネスは罪深い。もう遅いのかもしれないけれどこれ以上、手は汚させない。
    「本当に」
     急所という急所を裂かれ動きを止める茂、その隙を逃さずにリュシアンは糸を張り巡らせた。
    「親も子もお互いに、生きようとしてたのに――守ろうとしてたのに」
     絡み絡んだ意地が悪い人生という糸は、そんな父親の手で娘と息子の命を奪わせた。
    『お金がない守れないんですよぉ。仕事しないと、ただの畜生ですから』
     つぷり、つぷり。
     リュシアンの糸で希く深く紅を描かれながら、再び笑みが浮かび上がる。
    『――そう、畜生』
     何度もそう罵られたと、笑顔の下でうねる怒りや恨みがあからさまに告げる。
    『仕事しないロクデナシは、畜生』
     ぜいぜいと荒くなる息は、光剣が糸に阻まれ上手く下ろせないからだけでは、ない。
    『でもね、ようやく』
     攻撃を諦めてつり下げた娘の髪を撫でつける茂から、負の感情が洗ったようにかき消えた。
    『就職が決まりそうなんですよ!』
    「それは、あなたの望んだ世界(日常)なのかな」
     日常の破壊者たるダークネスを前に、名草は敢えて淡々とした話調で問う。
     答えは、ない。
     構わず歩み寄り、ゆるめた拳を握り込むと真実を突きつけるように顔面へめり込ませた。
    「あなたが見るのは誰? 誰が一番今のあなたを許さない?」
    『……純、昌子ぉ』
     吐かれた酒臭い息に表情を変えず、名草は言い切る。
    「それは、それを悔やむあなた自身だ」
     と。
    『ああ、純、昌子……でもな、パパようやくなぁ』

     ――社畜になれるんだよ。

     風の中、既にこの世にいない子供達へ男は自慢げに胸を張る。
    『お前達の首で『社会』の畜生になれるんだよ! 過労死するまで働いちゃうぞー! あっはははは!』
     以降、壊れたレコードのように『社会』『社会』と男は繰り返す。
     それは『社会』からはじき出されいじけた末、怠惰に浸った男の劣等感の発露。
    「墜ちたばかりだが救う余地はないようだな」
     サングラスを押し上げた指を下ろし見限るように言い捨てた。
     弾のように束縛という寄る辺を嫌ったわけでもなく、むしろそこを闇につかれて心を罅割れさせた。
    「……」
     仲間を庇い装甲の剥がれたデスセンテンスがエンジンを吹かし耐える意思表示、主もまた祭壇の光を自分へ向ける。
    「どんな事情であれ六六六人衆を野に放つ訳には行かねぇ」
     崩れぬ盾を誓う影から、繊細なる雪白が現れた。硬質なる蒼の双眸は、優しき言葉をかけてくれるのではと相手に期待させる。
    「そう、やはり社会に居場所が欲しかったんだね」
     だがフラットな声音は、その期待を無残に砕く。
     つまりは『お前は社会に居場所はなかった』という、コト。
     悠然と眼前まで来た伊織は、かすかに柄を撫でた。
     音なく降る雪のように、
    「首を刎ねられる恐怖、少しは分かるかい?」
     刹那晒された刃は何処までも深く『ヒトデナシ』の喉元をついた。
    『あっ……がぁふっう』
     傷を塞ぐように転げ回る彼を見ても、伊織の瞳に憐憫が宿りはしない。
    『じゃあ、何処ならいられるって言うんだあ!』
     それに激高したか娘の首をかなぐり捨てて、両手持ちで光剣を振り上げる。
    「……っ」
     これ以上娘の首を辱めたくないと愁いていたリュシアンが息を呑む、それを感じ取った柊が滑り込むようにして首を受け止めた。
    (「死んでしまったものは仕方がないです、でも……」)
     弔いたい。
     その気持ちが分からぬ程のヒトデナシではないから。
    『おおあっああああ!』
     がむしゃらに柊へ向かう光、ほぼ同時に割りいったのは弾と秀煉だった。
    「てめぇの相手はそっちじゃねえ!」
     肩から吹き出す血の痛みを厭わずに見据える弾は気を吐く。
    『あ、ああ』
     呑まれたのは怠惰でどうしようもない、大人。
    「あんた……」
     その横っ面がねじ曲がるように外を向いた。
    「ホントは何の為に働き口探してたんだい?」
     やるせなさ載せた問いかけは秀煉。
     此方を殴れと命じる真っ直ぐな痛みに、茂は口中の血を吐き出すぐらいしかできやしない。


     闇に堕ちて仮初めの力を手にした所で、そもそもが扱える器ではなかったのだろうか。
     それとも、個を握りしめる灼滅者達を前に、格というモノが負けていたのだろうか。
     いつしか誰か一人を地につければチャンスがあると縋るような攻撃を繰り出す茂、だが既に時遅し。弾と秀煉の壁に阻まれて、手が届かない。
    「誰かを首切っただけで席が空く」
     そんなわけないのにと、名草は首を緩く揺らす。
     もはや、憐れみしか、ない。
     子供達を手にかけ世界を自ら壊してしまった愚かな獣へ、名草は世界を壊す黒曜の影を伸ばす。
    「あなたを捕えるのは貴方の心」
     悩み悶える内はまだ、日常。
     でも。
    「もう、終わってしまった」
     斯くして、彼の舞台は闇に閉ざされる。
     終演前にできれば想い出しますように――なぜ目指したのか、安定した生活を。
    『まだ、まだ出勤してないんです』
     惨めな程に血塗れの畜生を前に、猛は掲げたリングを下ろす。
    『はっ、はは……社畜! パパ、社畜になれるぞ』
     とっくに手放した娘の首、されどまだ手にしているかの如く丸まる指が、猛の激情に火をつけた。全力で前に出た彼は組んだ手を思い切り叩き下ろす。
    「何のために仕事探してたかァ、言ってみんかい!!」
     骨の砕ける感触、惨めに震える唇は終ぞ答えを吐かぬまま。
    「……」
     苦しげに壱は唇を噛みしめる。
     闇に堕ちた弱い心。
     その前から堕落していた愚かな大人。
     それでも……冷たくあしらわれながらも職を探した茂は、父である最後の一線は越えずいたのだろうに。
    「『お父さん』を、返してもらうわ」
     この星が標となりますように――壱の足下に生じる綺羅は目映くて。
    「ねえ」
     その綺羅を細い糸で拾い紡ぐようにリュシアンは掌を掲げる。
     素っ気ない伏し目の翡翠には、覆い隠した感情の彩が浮かんでは消え浮かんでは消え。
    「最期くらいは……父親として、逝きなよ」
     一、
     二、
     三、
     四、
     縦に横に斜めに、戒めるように糸を今一度。
    「ブラックにも程がありますよー」
     戦いに巻き込まれぬよう置いた昌子を背に、どうしようもない感情が渦巻く。
    「殺して、殺して……」
     剥がれぬ仮面のようにどんな言葉を吐く時も笑顔。時に無神経にも映るが、柊自身は悪が倒される御伽噺を好む唯の少女でしか、ない。
    「その先になにがあると思ったんですかー?」
     躊躇わずに茂の胸に置いた指を、横へ。
     ひぎゅり。
     闇が弾け出すように溢れる血飛沫、それが白磁の頬を汚しても伊織は眉一つ動かさない。
    「人殺しに行き場所なんて無いんだ」
     冷涼さすら抱かせる氷に、バベルの鎖の綻びが映る。
    「父であり人である事を放棄した以上……」
     肉晒す胸元へ切っ先をつきつける。
     と。
     重さなく、しかし絶妙な力は、茂を死へ連れ去る中心点へ吸い込まれるように注がれる。
    「もうどこにも居ちゃいけないんだ」
     ――子供達の傍にすら。

     消失した躰が何処へ逝くのかはわからない。けれど冥福を祈るぐらいは赦されるはずだ。
     せめてと娘の首を整えてやる者、彼らの住処に在る弟を慮る者、弔い願い通報する者、悲劇を導いた黒幕への怒り……灼滅者達は思い思いの感情を吐露した後で、空地を去る。
     斯くして幕は落ちる、一人の弱き大人とそれに引き摺られて命を手放した子供達の物語の――。

    作者:一縷野望 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年10月31日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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