夢であれと願っても

    作者:篁みゆ

    ●一撃が
     今、目の前で起こったことに誰よりも信じられぬ思いを抱いているのは碧衣自身だった。いつものように練習していただけだったのに――キックミットを構えていたコーチがロープを超えてリングの外へ飛んでいったのだ。
     いつもミット打ちに付き合ってくれる大柄のコーチの身体が、まるで蹴り上げられた缶のように飛んで、大きな音を立てて天井付近の壁にぶつかり、そしてずり落ちた。汗の匂いの中に鉄サビのような匂いが漂い始めた。血が流れている。コーチは動かない。
    「――え?」
     ジム内が一瞬の沈黙に包まれた。皆、何が起こったのかわからないといった様子だ。小柄な碧衣が大きなコーチをキックで吹き飛ばすなんて、常ならば考えられぬこと。
    「ひ、人殺し!」
     誰かが甲高い声で叫んだ。それをきっかけにジム内は混乱に包まれる。コーチに駆け寄る人、電話を手に何かを叫んでいる人――碧衣はただそんな様子をぼーっと見ていた。見ているしかできなかった。
     最初は体力づくりとシェイプアップ目的でキックボクシングを習い始めた。けれどコーチが素質があるとすすめてくれたから、本格的に始めたんだった。その、コーチを……。
    「ぁ……」
     漏れたのは小さな声。もう、どうしたらいいのかわからなかった。
     

    「来てくれてありがとう」
     神童・瀞真(大学生エクスブレイン・dn0069)は静かに微笑みながら、訪れた灼滅者達に座るように示した。
    「現在、理由なく闇堕ちする少年少女がいるという話を聞いたことがあると思う。皆、格闘技を志していて……今回向かってもらうのも、そうした少女の元だよ」
     通常ならば闇堕ちしたダークネスからはすぐさま人間の意識は掻き消える。しかし彼女は元の人間としての意識を残したままで、ダークネスの力を持ちながらダークネスには成りきっていないのだ。
    「彼女が灼滅者の素質を持つのであれば闇堕ちから救い出して欲しい。もし完全なダークネスになってしまうようであれば、その前に灼滅を」
     灼滅者の素質を持つものならばKOすることで闇堕ちから救い出すことができるのだ。
    「彼女の名前は岩月・碧衣(いわつき・あおい)。高校2年生の小柄な少女だよ。キックボクシングのジムでのミット打ちの最中に力の加減が効かなくなってコーチを吹き飛ばしてしまう」
     コーチは派手に吹き飛んだが、命には別状はない。もっともコーチとして復帰するには時間のかかる怪我を負ってっているのには変わりないが。
    「碧衣君のいるキックボクシングのジムが入っているのは、スポーツジムなどが入っているビルの1階。幸い1階の奥にあるため、他のスポーツジム関係者が入り込んでくることはなさそうだよ。だが事件当時ジム内には他の訓練生とコーチが合わせて5人ほどいる。彼らを何とかする必要があるだろうね」
     混乱している碧衣と戦わなければならない。見知らぬ者達が碧衣に攻撃をするところを見たら、さすがに他のコーチ達は止めに入るだろうから対処が必要だろう。
    「碧衣君はストリートファイター相当のサイキックと、エアシューズ相当のサイキックを使ってくるよ。彼女を助けたいと思ったら、不安と混乱にまみれている彼女に声をかけてあげることも必要だと思う」
     そう言うと瀞真はなにか考えるように言葉を切って。
    「理由のない闇堕ちというのは不自然だから……もしかしたら何か裏があるのかもしれないね。格闘家を目指す少年少女……ケツァールマスクか獄魔大将であるシン・ライリー……」
     そう呟いて瀞真は和綴じのノートを閉じた。
    「裏はわからないけれどとりあえず今回は彼女への対処に専念して欲しい。よろしく頼むよ」


    参加者
    柳・真夜(自覚なき逸般人・d00798)
    赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)
    紫乃崎・謡(紫鬼・d02208)
    幸宮・新(伽藍堂のアイオーン・d17469)
    カリル・サイプレス(京都貴船のご当地少年・d17918)
    卦山・達郎(一匹龍は二度甦る・d19114)
    東・啓太郎(明日には笑えるように・d25104)
    破鋼・砕(百芸は一拳に如かず・d29678)

    ■リプレイ

    ●混乱を鎮めるために
     突然の出来事に一瞬の沈黙。それからの混乱。
    「ひ、人殺し!」
     混乱に彩られた叫びが、碧衣の心を負に傾ける。
     この時点ですでに動いていたのは、事前にジムに入り込んでいた柳・真夜(自覚なき逸般人・d00798)と赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)だった。真夜はコーチの元へ、布都乃は碧衣の元へ。乾いた砂に水分を零したように一気に広がった混乱を鎮めたのは、カリル・サイプレス(京都貴船のご当地少年・d17918)の声だ。
    「まずはコーチさんの手当てがだいじなのです!」
     割り込みヴォイスを使ったその声は、混乱に溺れる人々の耳に飛び込んで。ざわ、ざわ、ざわとさざめく人々。碧衣よりもコーチに意識を向けた一般人達だったが、混乱からかなかなか動けずにいるようだった。
    「何かあったのかい?」
    「こ、コーチ、が……」
     甲高い声を聞いて駆けつけた風を装って紫乃崎・謡(紫鬼・d02208)が尋ねると、一般人の一人がジムの奥で倒れ伏すコーチを指さした。
    「まずいね。応急処置をしよう。一応医大に通っているのでその心得くらいはある」
    「大丈夫、出血は有りますが命に別状はありません。……だから、彼女のことを『人殺し』だなんて言わないであげてください」
     幸宮・新(伽藍堂のアイオーン・d17469)の静かな怒りのような、悲しみに似たような言葉を受けて、「人殺し」と叫んだ訓練生はバツの悪そうな顔を見せた。
     謡はコーチに向かって駆ける。混乱とプラチナチケットのお陰で深く追求されることなく駆けつけることができた。謡と共に倒れたコーチに駆けつけた東・啓太郎(明日には笑えるように・d25104)は『祖龍の鉤爪』を使いコーチを癒やす。
    「担架があれば用意してください。あと、救急車を呼んでください」
    「は、はいっ!」
     真夜に指示され、混乱していた一般人達がそれぞれ動き出す。
    「よし、これで平気だろう」
     治療を終えた啓太郎の言葉に頷き、謡は担架を持ってきた訓練生に指示を出す。
    「ゆっくり、なるべく揺らさないように担架に乗せて。あなたはコーチかい? なら負傷者の身元確認のため救急車に同乗して欲しい」
    「救急車は呼んだ? なら運ぶ時も揺らさないように……そう、そうやってビルの入口近くまで運ぶんだ」
     プラチナチケットを使っている啓太郎もキビキビと指示を出す。その様子から医療の心得のある者に見えたのだろう、一般人達は疑問を口にしたり逆らうことはなかった。
     真夜も謡や啓太郎と共にコーチの運び出しについていく。他の仲間達が対処に回ってくれている碧衣のことが気になったが、根本的な解決をするためにも今は一般人をジムの外へ出すのが先だった。
    「状況からして仕方ないとはいえ、人殺し呼ばわりは傷ついたと思いますよ」
     誰にともなくポツリと告げると、担架を持つ訓練生の肩が揺れた。
    「力加減を誤っただけなら事故でしょう」
    「俺も気が、動転していて……。彼女には後で謝るよ」
     血の跡の生々しいコーチを見つめて、訓練生は己の口にしてしまったことを後悔しているようだった。

    ●悪夢の中の彼女
    「落ち着いてくれ。アンタのコーチにゃうちの仲間が手当するからよ」
     一番に碧衣の元へ駆けつけた布都乃は、彼女の肩に手をおいて親しげに語りかける。
    「私、私、コーチを殺……」
    「コーチさんの怪我は大丈夫なのです!」
     駆け寄ったカリルが安心させるように碧衣の手を包んだ。
    「お前の大事なコーチは俺らの仲間が癒してくれてっから心配するな」
     卦山・達郎(一匹龍は二度甦る・d19114)の言葉は先程の布都乃と同じ内容ではあるが、混乱収まりきらない碧衣には重ねることで効果がある。
    「アンタが慌ててりゃ落ち着いて治療出来ねぇ、そうだろ?」
    「きちんと息を吸って、吐いて、落ち着いて聞いて。僕達も君と同じような力を持ってるんだ、君はまだ力の使い方が分からないだけだよ」
     布都乃の言葉に震えるまま頷いた碧衣は、新に言われてぎこちなく深呼吸をした。ちらり、倒れたコーチの側には見知らぬ男女がいる。彼らの言葉通り手当をしてくれているのだとわかれば、少し落ち着くことができた。
    「突然に与えられた力に戸惑っているようだけれど、抑えられない事はない筈よ。格闘家は、日々身体と心を鍛えているのだから」
     同じく格闘家である破鋼・砕(百芸は一拳に如かず・d29678)が碧衣の前へ立つ。
    「どうしても抑えられないなら私を殴らせましょう。私なら簡単には倒れないわ」
     力強い彼女の瞳が真実味を帯びて見える。
    「うん、大丈夫、僕達は簡単には倒れたりしないよ」
     新も優しい表情で砕の言葉に同意を示した。
    「でも……」
     碧衣の声が不安に揺れている。当然のことだろう。また先程みたいに人を傷つけてしまうのでは――そんな不安が彼女を支配しているのだから。
    (「突然すごい力が出るなんてすごくびっくりしちゃうのですよ。とても心細くて怖いと思うのです」)
     包んだままだった碧衣の手を、カリルはきゅっと握る。力になりたい、困っている人を放って置かないのがヒーローなのだ。
    「碧衣さんの力の暴走を止めに来たんです! 力を抑えるお手伝い、しますのですよ!」
    「俺らも同じ力を持ってる人間だからな、最初のその気持ちはよくわかるぜ」
     達郎は真っ直ぐな瞳で碧衣と視線を合わせて。
    「だから、まずはあり余った力を俺らにぶつけろ! コーチ含め、お前のことも助けてやる!」
     力強い宣言が、碧衣の心を揺らす。
     ちらり、布都乃は出入口からコーチと一般人達が出て行ったことを確認してサウンドシャッターを展開した。そして。
    「その力鎮める為に、戦わせて貰うぜ」
     彼女を救うために拳を繰り出した。

    ●制御の為に
     碧衣が繰り出した蹴撃。新はそれを受け止めて、平然な顔をして彼女を見つめる。
    「……ほら、倒れない」
     先ほど彼女に投げかけた言葉を体現してみせたのだ。実際はとても痛いが、顔には出さない。そして雷を宿した拳で彼女を打つ。
    「俺らは力の使い方を知ってる先輩だからな、お前を助けてこれから力の使い方ってやつを教えてやる!」
     達郎が『三牙ノ顎』を操り、力の使い方を示すべく碧衣を穿つ。碧衣の懐に飛び込んで無数の拳を繰り出すカリルを追うように、霊犬のヴァレンも碧衣へと迫る。
    「こちらからも行くわよ? いい?」
     槍を手に接敵した砕は鋭くそれを繰り出して、碧衣の腹にうずめる。
    (「一つ転べば非現実、か。才能があるだけに余計災難なこった」)
     その才能に目をつけられたのだろうか。けれども彼女を救わずにダークネスの思い通りにさせるなんて選択肢は布都乃の中にはない。流星の煌きを宿した蹴撃で碧衣に対する。
    「っ……!」
     碧衣の超高度の拳が砕を打つ。思わず「うふぅっ……」と艶めかしい声を上げたがそれは戦闘中の高揚が彼女をそうさせているだけだ。勿論簡単には倒れない。彼女にそう宣言したのだから。
    「キックボクシング、頑張ってたんだってね。君のその努力は、僕達の所に来ればきっと力になる」
     届けとばかりに言葉を紡ぎ、新は『鬼ノ爪』を彼女の肩口に突き刺した。
    「お前なら、きっとすぐに力の扱い方を覚えられるはずだ!」
     まるで稽古をつけているように『双斧卦龍』をもってして達郎は彼女に迫って。
    「だいじょうぶなのです。きっと、せいぎょできるようになるです!」
     導くように加えた打撃。霊力で絡めとりつつカリルは、願うように訴えかける。ヴァレンもカリルの思いを感じているのか、言葉による指示がなくとも彼に合わせるように動く。
    「うふふ……」
     相変わらず艶かしい笑みを浮かべた砕の一撃の後に、碧衣に迫ったのは、真夜の蹴撃だった。一般人の誘導を終えた彼女達が戻ってきたのだ。
    「コーチは怪我はしていますが、命に別状はありません。急に力が制御できなくなったせいですから、これは事故です」
     蹴撃を受けて体勢を立て直そうとする碧衣を見つめて真夜は紡ぐ。
    「その力も正しく理解すれば制御できるものです。だから恐れないで。ご自分と私たちを信じてください」
    「本当だよ。さっきの人、命に別条ないよ。貴女は人殺しじゃあない。後でお見舞いに行くことだ。その為にも己を見失わないようにね」
     届くかはわからない。けれども伝えることを怠りはしない。狂える武人の同族集めは迷惑な話だと思っている謡だが、救いの目があるなら尽力したいと思う。理由なく堕ちるには、まだ早い。
    「落ち着いて、コーチは無事です。しっかり確認しました。貴女は誰も手にかけてません、大丈夫」
     謡のしなやかさを帯びた攻撃を彼女が受けている間に、啓太郎は首に掛けたハートに十字架のネックレスを引き千切り、『ペネトレイトハート』を介して出現した純白の羽の舞う癒しの風で前衛を癒やす。主人の命に従って一足先に戦線に加わっていたナノナノのグルメはうすっぺらなハートを飛ばして傷を癒やした。碧衣が自分の力で人を傷付けることで動揺し、再び混乱してしまわないように、啓太郎は手厚く回復を施すことにしていた。
     実際にコーチに応急処置を施して運びだした三人が同じ証言をしている。それは碧衣を安心させるのに十分な効力があった。
    「コーチ、無事……」
     湧き出る力に支配されつつも零された言葉は本来の碧衣のものだろう。
    「次はアンタが助かる番だ。少しの辛抱だ、しっかり自分を保ってくれよな……!」
     カリルを蹴りつけた碧衣に告げ、布都乃は炎宿した蹴りを放つ。達郎の手加減なしの蹴撃が碧衣の腹に決まった。手加減するつもりはない。早く彼女を解放してあげたかった。カリルやヴァレン、砕も全力で挑む。啓太郎とグルメは仲間の回復を第一に動いて。真夜の一般人ダイナミックで地面にたたきつけられた碧衣を縫い止めるように、躊躇いなく謡の氷柱が降り注ぐ。
     なんとか上半身を起こした碧衣に新は異形巨大化した腕を振り下ろして。
    「……ナイスファイト」
     意識を失って倒れゆく彼女の上半身を支えて、そう囁いた。

    ●新しく見えた道
    「少しは力の使い方がわかったんじゃねぇの?」
     意識を取り戻した碧衣の傷を癒しつつ、布都乃が問う。
    「みなさんが、同じような力を持っていることは分かりました」
    「私は一般人ですから」
    「……一般人、ですか?」
     真夜の口ぐせに碧衣は首を傾げる。少なくともここにいる皆のような不思議な力を持っている時点で一般人といえるのだろうか、その表情からそんな思いが見て取れるが、突っ込むかどうか迷っているようだった。
    「今日のことは夢じゃない。もし気が向いたら、僕達が通ってる学校に来てみてよ」
    「それがいいのです!」
    「力の使い方に困ったら、教えてやるよ」
     新の提案にカリルが嬉しそうに同意し、達郎は任せておけと胸を叩く。啓太郎が学園の場所を教えると、碧衣は頷いてみせた。
    「ところで、この数日で変わったことはありませんでしたか? 何か変な声を聞いたとか、何か変なものを食べたとか」
    「……? そういえば誰かに呼ばれている気がしたけれど、今はもうそんな気はしないです」
    「そうですか」
     なにか得られればと真夜は問うてみたが、碧衣自身にもはっきりとはわからないようだった。
    「コーチのお見舞いに行くかい?」
    「あ、はいっ!」
     謡は手を差し伸べて碧衣を立ち上がらせる。
    「今度は共闘できるのを楽しみにしているわ」
     砕の言葉に碧衣は、嬉しそうに微笑んだ。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年11月5日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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