素顔礼賛に告ぐ

    作者:森下映

    「……ざけんな」
     鏡に映る自分の顔に、口紅で大きなバツを描く。
     ――さすがにそれはヒくわー。
     初めて一緒に迎えた朝の、甘い空気をぶち壊したアイツの第1声。
    (「まただ」)
     どいつもこいつも、普段の顔と素顔の落差に驚いて、そして私をバカにする。 
     一重、エラはり、平らな鼻。ゲジ眉、ソバカス、スカスカまつげ。
     コンプレックスを、研究と投資と身につけた技術でカバーしてきた。
     メイクは楽しい。違う自分になれるから。
     その分寝る時は肌を休めると決めている。
     恋人だったらわかってくれるはず。どっちの顔も、私だ。
    (「そう……思ってたのに、」)
     ところせましと並べられた化粧品。積み上げられた美容雑誌。
     その合間で、つけっぱなしのテレビがわめく。
    「……やっぱり女性はすっぴん美人が1番、」
     バキン。
     液晶を叩き割ったのは馬のような蹄。
    「……許さない」
     ワンルームで生まれた怪物は、蹄を鳴らして外へ出る。
     プライドを傷つけたあの男に、罰を与えてやるために。

    「ブエル兵についてはみなさんご存知ですか? ソロモンの悪魔ブエルが生み出したとされる眷属です」
     ただ今回は、いつものブエル兵とはちょっと状況が違うのですけれど、と五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は付け加える。
    「今回灼滅していただきたいのは、一般人が変化してしまったブエル兵です。ブエル兵は、ブエル兵になる前に恨んでいた人間を殺そうとするようで、彼女は交際している男性を殺すため、男性が休日出勤している職場へ向かっています」
     ブエル兵になってしまったものを、人間に戻すことは不可能。説得も効き目はない。
    「せめてこれ以上の罪を犯す前に……みなさんの手で」
     姫子はオフィス街の地図を広げた。
    「ブエル兵とは、男性の職場があるオフィスビルのエントランス前で接触できます。休日ということもあって、付近に人気はなく、出入りする人も裏口を使っているので、警備員もいません」
     灼滅者たちが介入しなければ、無理矢理ビルの中へ侵入したブエル兵は、彼のいるオフィスへ辿り着き、男性を殺してしまうことだろう。
    「エントランス前は戦闘に十分な広さがあります。ブエル兵は戦闘で劣勢になっても撤退しませんが、これまで戦った眷属のブエル兵よりも戦闘力が高いので注意が必要です」
     またブエル兵は、目的の人間を殺害した場合にはすぐに撤退する。
    「ブエル兵はまだ人間の時の人格を残しているようで、素顔の女性を集中して狙う傾向があります」
     ブエル兵は、魔法使いと天星弓に相当するサイキックを使ってくる。矢の代わりに愛用のメイク道具が飛んでくるようだ。
    「危険な相手ですが、みなさんよろしくお願いします」
     姫子は頭を下げ、灼滅者たちを見送った。


    参加者
    幌月・藺生(葬去の白・d01473)
    真白・優樹(あんだんて・d03880)
    北斎院・既濁(彷徨い人・d04036)
    哘・廓(出来損ないの殺人者・d04160)
    斎場・不志彦(燻り狂う太陽・d14524)
    イシュタリア・レイシェル(曼珠沙華・d20131)
    エリス・バートランド(シルバーアロー・d29765)
    幡谷・功徳(人殺し・d31096)

    ■リプレイ


    「間に合ったみたいだな」
     斎場・不志彦(燻り狂う太陽・d14524)が言った。
     オフィスビルに特に混乱は見られない。幌月・藺生(葬去の白・d01473)が殺界形成を発動し、灼滅者たちはエントランス前でブエル兵を待ち構える。
    「メイクはしたことがなかったけれど、いい練習と思ってやってきてみたよ」
     と言ったのはエリス・バートランド(シルバーアロー・d29765)。
    (「……綺麗に見せたい相手がいないわけでもないし、ね」)
     イシュタリア・レイシェル(曼珠沙華・d20131)も両手を頬の横に添え、
    「イシュちゃんも軽くお化粧してみたのです。……と、あれ、優樹さんサングラスですか?」
    「うん、素顔の女性が狙われる、ってことでお化粧してきてみたけど……今ひとつ自信がなくて」
     腰まで届くストレートの黒い髪に青いキャスケット。そのつばをいじりながら、真白・優樹(あんだんて・d03880)が答えた。
    「私はいつでもすっぴん、今日もすっぴんですけれど、綺麗にお化粧してる女性には憧れます」
     囮役のため、素顔で挑む藺生が言う。
    「それに女性がお化粧するのは身だしなみですもんね。少しギャップがあったって寛大な男性なら許せるはず……そもそもお化粧しなくても綺麗な女性って少ないんじゃないのかな?」
    「そうですね。素顔も受け入れてこその愛だと思います」
     同じく囮役を担う、哘・廓(出来損ないの殺人者・d04160)もメイクはしていない。
    (「まあ……内面の仮面はそうそう拭えるものではありませんが……」)
    「痴話喧嘩くらいで済めば良かったのにな……」
     そう言って藺生はため息をついた。
    「彼女も、別に何か悪いことしたわけでもないっていうのにね。何でこんな理不尽にあわなきゃいけないのかな……」
     と、優樹。元凶はきっとダークネス。わかっていてもどうすることもできないということが、優樹は悔しい。
    「最近、突然眷属化する事件が多いのです。これも何かの実験段階なのでしょうか」
     紫の瞳をくるくる煌めかせながら、イシュタリアが不思議がる。優樹は、
    「目的も気になるけど、どうやってこれだけの数のブエル兵を生み出してるのかも気になるところだね」
    「裏で操っている人物がいるのでしょうか……いずれにしても、ブエル兵になってしまったらもう救えませんもんね……」
     皆自らの闇が引き金になっているとはいえ、藺生はダークネスが世界を操っている力が強くなっているような気がしてならない。
    「元には戻らないって意味じゃ、強化一般人化と似てるな」
     改造されたばかりの強化一般人なら救出できることもあるが、時間がたてばそうはいかない。北斎院・既濁(彷徨い人・d04036)は一般人のブエル兵化について、病院の技術を奪われている可能性や何らかの儀式が行われている可能性など、考えを巡らせていた。
    (「何か手がかりが残らないものか」)
    「ボクたちにできることはただ灼滅するのみ、か」
     エリスが言う。
    「後味が悪いけれど仕方がないね」
    「重ねた努力は報われず、何も掴めず、最期は僕等に倒される……哀れな話だわな」
     いつも通り、飄々とした調子の不志彦。すると、
    「ま、俺は何かを殺したいからきてるだけだけどな? なにしろ率先して汚れ仕事をしに来るほど自己犠牲精神に溢れちゃいないんでね」
     辺りを見まわっていた幡谷・功徳(人殺し・d31096)が、ボサボサの髪をかきあげながら戻ってきた。
    「とはいえ、今日の俺の仕事は足止めと嫌がらせだ。殺しはおたくら殺しのプロに任せるぜ」
     自分が初任務であるということをふまえての功徳の軽口。灼滅の任務を殺しと捉えている灼滅者たちが果たしてどれくらいいるのか、功徳にはわかっていない。例えば自らを『理由なき殺人鬼』という既濁。自分の根底が純粋なサイコパスであると自覚しながらも殺人鬼を忌避し、殺人鬼のサイキックを使用しないと誓っている廓。彼らには功徳の言葉はどう聞こえたのだろうか。
     思いはそれぞれの胸のうちに。戦いの幕は、蹄の音とともに自動的に開く。


    「何処に行くつもりですか?」
    「そこまでなのです! これ以上先に行かせるわけにはいかないのです!」
     白昼のオフィスビル。異様としか言いようがないブエル兵の前に、廓とイシュタリアが立ち塞がった。
     サウンドシャッターを展開する功徳。ブエル兵の獅子面の目がぎょろりと動く。
    「色即是空――イグニッション!」
     廓がスレイヤーカードを解放する。ほぼ同時にブエル兵の口から巨大なハサミが吐き出され、盾に使った廓の左腕に突き刺さった。
    「……まだ足が動き腕が使えるのなら、問題ありませんね」
     廓は腕のハサミを引き抜きもせず、鋼のような拳でブエル兵の顔面を貫く。
    「こっちよ!」
     藺生が叫んだ。
    「彼を殺したければ……まず私と勝負するのです!」
     ブエル兵の振り向きざま、藺生は手の甲に装着した盾から展開したシールドで、ブエル兵を殴りつける。
     連続での強力な近距離攻撃に身体をぐらつかせたブエル兵。しかし、すぐにその脚を回転させ始めた。が、
    「まあ、待てよ」
     ボトリ。
     死角に周りこんでいた既濁の斬撃により、切り落とされた1本の脚が地面に落ちる。
     そこへイシュタリアの神秘的な歌声が響き渡った。空気の震えと伝わる攻撃にダメージを受けつつもブエル兵は脚を再生して突破を狙い、その動きを、エリスが縛霊手から構築した霊的な結界が阻む。
     刹那、宙を舞う黒髪。優樹の『妖の槍・紅牙』へ螺旋の如き捻りが加わり、動きを鈍らせたブエル兵を狙う。
     攻撃を攻撃で喰い止めることを狙い、リップスティックに似た弾丸を発射するブエル兵だったが、
    「遅かったな!」
     不志彦の異形巨大化させた鬼の腕の掌がそれを喰いつぶし、そのままブエル兵を打ちつけた。次いで間髪いれずにブエル兵を穿つ優樹の朱色の槍。
    「すげえ……」
     経験ある灼滅者たちの戦いに感嘆をもらしながら功徳が放った鋼糸が、ブエル兵を縛り上げる。ナノナノのふわふわハートが廓に届き、ブエル兵は自らをなにやらドロドロした肌色の液体でぐっしょり濡らし傷を癒やすと、より鋭くなった眼差しで藺生と廓を睨んだ。
    「……執念てこわいね」
     その姿を見て、エリスが言った。


    「容赦はしない。凍てつけ」
     エリスが目には見えない死の魔法を放った。べとついた表面ごとブエル兵の身が凍り、大きく揺らぎを見せる。
    「こっちは目に入ってねぇって感じだな」
     体勢低く回りこんでいた不志彦が蹴りで撃ち込んだ斬撃が、下側の脚を根元から切り落とした。瞬間、功徳の鋼糸が仕掛けられ、抜け出た不志彦と入れ替わるように接近した既濁の攻撃と同時にブエル兵を斬り裂く。血とも体液ともつかない何かが激しく飛び散った。
     確かにこれまでに戦った眷属のブエル兵より、この怪物の攻撃力は高かった。しかし元の女性の人格を残していたことが幸いし、狙ってくるのはしつこいくらいにディフェンダーの2人。加えてクラッシャーの攻撃力と命中率の高さ、メディックからの攻撃に伴うブレイク、足止めを狙う攻撃によるサポートの効果が揃い、灼滅者たちの攻撃は流れに乗る。
    「うわっ」
     藺生、廓と同じ前衛であることから、ブエル兵の列攻撃を受けた既濁。ネバネバした液体のすぐ後に大量のまつ毛、さらには息ができなくなるほどの粉と、ブエル兵はかつての愛用品を威力の強い武器に変え、次々と射撃してきている。既濁は感触の気色悪さに思わず眉を顰めながら『岩砕の悪脚』を走らせ、その場を離れた。
    「もう、なにこれ!」
     雪色の髪に貼り付いたまつ毛を払いながら、藺生は聖剣の輪郭を霊的なそれに変える。
    「……戦闘技術のない私は、身を削り打ち砕くのみ」
     七色の粉が肌に触れるたびに刻まれる傷にも、声1つあげず駆ける廓。その闘気が、雷に変換されていく。
    (「メイクした時もしてない時もどっちも自分か……素の自分を受け入れてもらえないっていうのは悲しいね」)
     優樹が、肩に刺さったペンシルを抜き取って投げ捨てた。そして狂ったようにひたすら藺生と廓を狙うブエル兵に並走。足元には炎が燃え上がる。
    「でももう助けてあげられないんだ……ごめんね」
     ブエル兵を下から高く突き上げる廓の拳の一撃。のけぞるようにはねたブエル兵を優樹のエアシューズが蹴り上げ、その魂のみを藺生が一刀に断った。
    「何があって何を思ってこんなことをするのですか!」
     地に蹄を着き、攻撃体勢に入りかけたブエル兵の正面に、イシュタリアが立つ。ブエル兵は狙いを定めた2人を探し、目の玉をぐるぐると左右バラバラに360度回転させ始めた。
    「ウ……、ウウ、」
    「理由を聞いているのです!」
    「ウ……、ウ……、ユル……サナイ、」
     恨み事を漏らすブエル兵。イシュタリアは目を閉じると魔導書を両手で唇の下へ構え、活性化していなかった魔力の光線を放つサイキックのかわりに、霊体を直接破壊する禁忌の呪文を唱える。
    「あなたはそれで……満足なのですか!」
     イシュタリアが目を開けるとともに、ブエル兵を爆発が襲った。と、爆風からブエル兵が抜け出るより早く、中へ飛び込む影が1つ。
    「おっと、邪魔させてもらうぜ」
     再生が追いつかず、残り少なくなったブエル兵の脚が功徳によって次々に切り裂かれる。ナノナノは既濁を回復。ブエル兵は傷だらけの脚を藺生に振り上げて吠えかかったものの、その蹄はバキリと藺生の炎を纏ったエアシューズに蹴りつぶされ、顔面は優樹のオーラを集束させた拳に叩きのめされた。
     浄化の手段をもたないブエル兵。異様な姿は激しく崩れ、それでも何かに突き動かされるようにビルへ向かって突進する。
    「行かせないよ」
     エリスが縛霊手から祭壇を展開した。廓から伸びた影が触手化し、残ったブエル兵の脚を縛り上げると同時、エリスの結界が霊的因子を停止させる。
    「イシュちゃんたちに助ける力はないのです、だからとどめをささせてもらうのです」
     もはや動くことができないブエル兵へ、見切りの起こらないサイキックを選び、イシュタリアがつま先で舞い踊る。スカートのフリルがひらめき、イシュタリアがこなれたポーズを決めるたびに、グシャッ、グシャッと歪んでいく獅子の顔。その後ろから、摩擦熱から生み出された炎を足元にたたえ、既濁が真っ直ぐに跳び出した。
    (「他人が用意した理由にゆだねて誰かを手に掛ける、って事が1番嫌いなんだよな」)
     不志彦の足元では激しく風が渦巻き始める。任務なので仕方がない。仕方がないから殺す。不志彦はそれを飲み込むことができない。
    「『ブエルが気に食わないんで、軍門に下ったお前は殺す』」
     そう言った不志彦の目線の先、既濁の燃える『岩砕の悪脚』が地面を蹴った。合わせて不志彦は大きく片脚を引く。
    「後付けっぽいがそういう事にしておいてくれ。じゃあな。地獄で会おうぜ、お姉さん」
     不志彦の蹴りからは風の刃、既濁の蹴りからは炎。風の刃が炎を煽り、炎は刃を乗りこなす。うなり声、悲鳴、呪い、未練。どれともとれる断末魔を残し、ブエル兵は消滅していった。


    「……人殺し、か。レイにはこんなことはさせたくないね。ボクがやらなきゃ……」
     ブエル兵が消滅した後をながめながら、エリスは、溺愛している幼馴染のことを考える。
    「いや、ほんとすごいっすね、みなさん!」
     少々興奮気味に灼滅者たちを賞賛する功徳。戦闘前に叩いた軽口を謝りながら、殺戮への歓喜が自分の中に存在したことを自覚したせいで、笑顔の裏ではわずかに自己嫌悪もしていた。
    「一般人がブエル兵化する事件……まだ続くのかな……」
     藺生がつぶやく。
    「今までのブエル兵と、何が違うのやら、ね」
     エリスが顔を傾け、一緒に銀の髪が流れた。
    「これだけ一気に増えたのは何のためだろ」
     優樹もサングラスを外し、考えこむ。
    「話を聞く限りでは、ブエル兵と化した一般人は大事なものやプライドを傷付けられたり捨てられたりしたことからその身を変えられているようだが……」
     獄魔覇獄に向けての戦力増加か、それとも別の狙いか。この依頼が無事に成功したことで、既濁は他の事件との共通項を今後調査していくことを決めていた。
    「それから余談だが……ブエルは悪魔書とかによると大体晩秋から立冬頃に召喚できるらしいぜ」
    「へぇ〜! だから今の時期なのですかね?」
     イシュタリアが人差し指を口元にあて、首を傾げる。
    (「……ブエルには、いつか必ずこの理不尽の代償を払ってもらう」)
     キャスケットのつばをひきおろしながら、優樹は心に誓った。
     廓は、何も知らない男性が働いているであろうビルにそっと背を向け、
    「……帰りましょうか」
    「だな。っし、みんなお疲れ」
     不志彦も歩き出す。
     戦場だった場所を、乾いたビル風が吹き抜けた。灼滅者たちが去った後には、何事もなかったかのように、穏やかな秋空が広がっていた。

    作者:森下映 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年11月3日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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