狼と逆巻く猟犬のパラドックス

    作者:日暮ひかり

    ●scene
     廃村の工場でひとり、落ち葉に埋もれて死んだように眠る男がある。
     寝癖だらけの痛んだ金髪に、薄汚れたフリースジャケット。そして目元に深く刻まれた隈。一見すると、若くしてホームレスとなった哀れな青年が、ついに行き倒れたかに見える。
     青年は死のにおいを纏っていた。
     ただし、それは他人のものだ。血と、肉と――それから、僅かな獣のにおい。
     
    「こんな所にいらっしゃいましたか。五七九……天童司狼様でございますね」
     どこからか現れた仕立ての良いスーツを着た男がそう尋ねると、青年はかっと目を見開き、野生動物のように飛び退いた。
    「っはは、そう警戒なさらず。……天童様。誠にご無礼ながら、昨年御参加された闇堕ちゲームの成績が芳しくなかったと伺っております。正月の暗殺ゲームも御欠席されたようですし……貴方様も重々ご承知かと存じますが、お立場が危ういのでは?」
    「……おじさんには関係ないでしょ? じゃあね」
    「私どもの会社に就職されませんか? 適度な御活躍の機会と、安全で快適な社宅を御提供致します」
     立ち去りかけた天童は、その言葉に足を止めて振り返った。スーツの男はすかさず契約書を押し付けると、余所行きの笑みを浮かべて雄弁に語りかける。
    「お耳を傾けて頂き光栄です。現在、六六六人衆の皆様に、弊社の社員として働く、いえ『戦う』だけの簡単なお仕事の御案内を………………何かお気に召さない点がございましたか?」
    「え? うん聞いてる聞いてる、読んでないけど。いいよ、オッケー!」
     天童は男の誘いをあっさり快諾すると、あっという間に紙飛行機と化していた契約書を闇の彼方に飛ばしてしまった。今にも閉じそうな眼でそれを見送り、天童は男についていく。
     犬嫌いの殺人鬼は子供じみた笑いを浮かべ、よく飛んだねと呟いた。
     
    ●warning
    「近頃話題のブラック就活事件で新たな展開があったぞ。最低な展開と最悪な展開があるが、どっちから聞きたい」
     特徴的な言い回しはいつも通りだが、今日はその顔に笑みがない。鷹神・豊(エクスブレイン・dn0052)はいつになく雑に机の上へ腰かけ、勝手に話し始めた。
    「例の組織の人事部長だとかいう六六六人衆のおっさんが、各地の六六六人衆をヘッドハンティングして組織に引き入れるとかいう最悪な計画を立ててる。いくら獄魔覇獄のために人材が必要だからってねーよ」
     鷹神はうんざりだといった風に溜息をつく。
     計画が成功すれば、それこそ最低最悪のダークネス組織ができかねない。
    「対抗策だが、一つ一つ確実に芽を摘んでいくしかあるまい。そこで君達に灼滅してきて頂きたい六六六人衆が……よりによってこいつとはな」
     鷹神は、資料と二冊の報告書を隣の机に放り投げた。ぴんと来ない顔をしている者も多いなか、イヴ・エルフィンストーン(中学生魔法使い・dn0012)が、ああっと大声をあげる。
    「……一年以上行方が知れなかった、六六六人衆の天童司狼の生存を確認した。俺もとっくにお亡くなりになられたかと存じていたが、誠に最低ながら益々ご健勝のようだ」
     最大級の嫌味をこめてそう言い放つと、間髪いれずに説明を続ける。
    「だが、残念ながらこの度は灼滅を見送らせて頂く運びに……というのがこれまでの俺達だったが、今回は違う。まず、奴は絶対に撤退しない。人事のおっさんがそう圧力をかけるからな……というか、奴自身逃げる気がない」
    「ふんふん……? あら、お助けしないといけない一般人の方もいないみたいですね」
    「ああ。加えておっさんの方は、君達が現れても天童に加勢することなく帰る……という好条件が揃った。この機会を逃すわけにはいかん。灼滅を狙うぞ」
     待たれていた一言に緊張が走った。
     
     天童司狼は、不眠症で犬嫌いの六六六人衆だ。
     序列は五七九で、これまでに2回武蔵坂の生徒と交戦している。
     前々回は寝ており、前回は起きていたが、今回は『睡眠不足でやたらハイテンションな状態』のようだ。戦法などもまた少し変わっている。
    「狙いは灼滅と言ったが、命あっての物種だ。追撃してくる気もないようだし、危なくなったら迷わず撤退するように。それと、奴へは特別に今までの行為への意趣返しを用意している」
    「ほ、本当にやるんですか、鷹神さん? いじめっ子ですねえ……」
    「お褒め頂き恐悦至極。こうでもせんと、奴に殺されてきた犬公も浮かばれんだろう」
     そこまで喋りきると、鷹神はやっと資料を手に取った。前回の報告書を読み返しながら、天童の思惑はどうにも読み切れん部分が多いと呟く。
     正常な倫理観の欠如。あまりに子供じみた狂気。今までの戦いでは、天童の発言や思考にはそういった特徴が見られている。
    「イヴもちょっと気になりました。さっき『天童さんにも逃げる気がない』って……」
    「……信じがたい事だが、天童は君達を待っている。『待ってるから、ちゃんと殺しに来てよ』か。いったい何のつもりだ……まあいい、知った事か。俺達の目標は唯一つ」
     エクスブレインはおもむろに立ち上がると、灼滅者達を見た。
    「奴との因縁に決着をつけるぞ。天童司狼を灼滅せよ!」


    参加者
    鏡水・織歌(エヴェイユの翅・d01662)
    皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)
    藤枝・丹(六連の星・d02142)
    若菱・弾(ガソリンの揺れ方・d02792)
    楯守・盾衛(シールドスパイカ・d03757)
    蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)
    関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)
    古閑・柊(香ひの狩猟者・d25757)

    ■リプレイ

    ●1
     無数の狐火が闇を駆けてくる。天童司狼は、即座にその正体を察した。
    「おじさん邪魔! どっか行って!」
     格上であろう相手に対し、平然と暴言を吐くさまはあまりに頑是なくぞっとする。しかし流石と言うべきか、人事部長は表情を崩さない。
    「いやはやお話が早い。では、また後程」

    「【蒼穹を舞え、『軍蜂』】!」
     蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)が封印解除の言葉を叫ぶと、青磁鼠の闘気が立ち昇り彼の身体を包んだ。白練の袴と橙の大鎧が、灯りに照らされ鮮やかに浮かび上がる。変化が一通り終わる頃には、彼は誇り高き武門の志士の顏をしていた。
    「序列五七九位、天童・司狼だな。初対面で不躾だがここで消えて貰うぜ」
     人事部長を無視したのは賢明だった。質問や観察が終わるまで天童が待っている筈がない。ライドキャリバー・デスセンテンスに騎乗した若菱・弾(ガソリンの揺れ方・d02792)が、縦横無尽に戦場を疾駆し、銃弾と設置型の照明をばら撒く。各自の照明が壊される可能性を考え、弾と皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)が余分に持参したものだ。
    「やるね。小細工はさせないってわ……」
    「ヒャッホォーーーイ! キャッフフッフゥーーー!! イヤッホォーーーーーゥ!!!」
    「うえっ、バカ犬!」
     自在刀を鎖鎌のように振り回しながら走ってくる楯守・盾衛(シールドスパイカ・d03757)を見て、天童は素っ頓狂な声をあげた。
    「てーンどーサーーン! 待ッててくれたから殺しにキタよッほほォーーーン!」
    「うるッさいな何、発情期? こんばんは待ってたよ死ね!!」
     互いの得物をぶつけあう二人は、傍から見ると随分楽しそうだ。よくあのテンションが持つなと幸太郎は呆れたが、無理もないかと思い直す。前回、盾衛と交わした『あの言葉』を、天童はまさか約束とでも思ったのか。
    「……忠犬もびっくりの律義さだな」
     ちゃんと来る俺達も負けずに律義だがね。そう思った矢先、新幹線が突っこんできたような風圧を感じた。
     三日月型の衝撃波が、吹き飛んできた盾衛ごと後衛を襲う。藤枝・丹(六連の星・d02142)、古閑・柊(香ひの狩猟者・d25757)、イヴ・エルフィンストーン(中学生魔法使い・dn0012)らも纏めて吹き飛び、壁に叩きつけられた。瓦礫が次々頭上に降り注ぐ。
    「もう一回いくよっ。せぇーーのッ!!」
     天童の右腕がひゅん、と空を切る。
    「させぬ。弾殿、峻殿、参ろうぞ!」
     敬厳が高らかに叫ぶと、関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)も頷き地を蹴った。弾もキャリバーを急旋回させ、落ちてくる瓦礫を巧みに避けながら射線に滑り込む。今度は盾になった前衛が跳ね飛ばされ、瓦礫の山へ突っこんだ。
    「面白い陣形だね」
     天童の表情は窺えない。
     『殺しに来てよ』、か。
     鏡水・織歌(エヴェイユの翅・d01662)が、一早く瓦礫からするりと抜ける。コードが木ぎれに引っかかり、黒いヘッドホンが転がり落ちた。大切なものなのだろうが、拾う様子はない。戦時には無用のものだ。
     瓦礫を踏み台に高く、高くへと跳ぶ足取りは身軽な猫の如く。空中で振るわれた鞭剣は、尾のようにしなり天童の脚を裂いた。
    「アタシとは初めましてか。お望み通りアンタを殺しに来たぜ……」
     ひらりと着地し、血で頬に張り付いた髪を雑に拭うと、織歌は大きな瞳を一層釣りあげ天童を睨む。そこに『内気で人見知りの織歌』の面影はない。
     今の彼女は『ソマリ』。気紛れで粗野な殺人鬼の娘だ。
    「猫の手も借りたいって? 家畜はペットショップに帰んなよ!」
    「無理っすね。人事部長とか獄魔覇獄とかややこしいけど、六六六人衆が待ってるっていうなら倒しに来るっすよ」
     俺達、灼滅者だから。
     いつの間にか背後に回っていた丹が、ナイフを振るい天童の脚に軽く斬りこんだ。この位は蚊に刺されたようなものだろう。天童は、何かひっかかる事があるのか微かに眉を寄せている丹を涼しい顏で一瞥した。
    「あれ獄魔覇獄の勧誘だったんだ。契約書とか読んでらんないよねー!」
     盾衛も瓦礫から飛び出した。痛手を受けた彼の腹部は裂け、下半身まで血塗れだが痛がる様子もない。二段後ろ跳びでコンテナの上に着地し、尋常ではない形相で吠えたてる。
    「そうそう細けェこたァ良いンだYO、さァ殺し愛だヒャッハァーーー!! ババウバウワウッ!」
     盾衛の合図で、工場の四方から小さな影が飛びだす。天童は『それ』を見て絶叫した。
    「犬ッ!?」
     10、20……それ以上だろうか。多種多様な犬達が周りを囲み、襲いかかり、吠え始めた。
     銀色の秋田犬はコーギーのぬいぐるみを咥えている。天童は知る由もないが、二年前の事件で使ったものとそっくりだ。それを見て、天童は直感した。
    「灼滅者!」
     盾衛はコンテナの上から跳ぶと、更に天井側の宙を蹴ってミサイルのように急落した。
    「キャー受け止めて天童サーン!」
     手甲に重い斬撃を浴びせ、馬乗りになり、更に自在刀の鎖で腕を縛る。次々じゃれてくる犬を天童はよけられない。
    「ねェねェDIE嫌いな犬にprprされちャッて今どンな気持ちィー?」
    「……な、な、何してんだよ……バカじゃないの!?」
    「発案者に伝えておこう。待たせたな、天童。ずっと会いたかったぞ」
     天童が犬と格闘している隙に、前衛も瓦礫から脱出した。仄青い白の盾を構えた峻が正面から天童に迫る。陰のある顔に、静かな喜色が滲んでいた。
     その底の底に潜む狂気を感じ、天童は凄い力で盾衛と犬を払いのけた。だが峻の動きは陽動だ。弾と敬厳が左右斜め後ろから襲いかかり、敵の後頭部を盾でがつがつと殴る。峻の服を見て、天童はぽんと手を叩いた。
    「死にぞこないのせきじま君だ! あと…………名前知らない人!」
     もう逢わないのだから、名乗る必要はないだろう。イヴと柊が後列を癒している。幸太郎は天童に挑発をかけながら、前衛の姿を虚ろな夜霧の中へ隠していく。
    「犬嫌いのくせに、自分自身が会社という組織の『犬』になるのは嫌じゃないのか。器用な性格だな」
    「べつにー? いい話じゃん。……君達を見てると、仲間内で殺し合ってるのがバカみたいに思えてくるよ」
     犬達を足蹴にしつつ、天童は虚ろな眼を見開く。
    「そういう所も嫌いなんだけどね!」

    ●2
     静かに、激しく、時が流れた。
     レザーから覗く弾の精悍な肉体に、癒えきらない傷が目立ち始める。その隣にデスセンテンスの姿はない。
     スナイパー主体の堅実な攻めで天童の体力を削ってきたが、決定力を欠き戦況は劣勢だ。前衛陣の尽力によって後衛は初撃以来無傷だが、彼ら三人はそろそろ危うい。
     全員で怒りをひき、誰かに攻撃が集まるのも避けた。それでも限界は、来る。衰えぬ天童の猛攻を前に、敬厳は決意を固めた。
    「イヴ殿、背中は預けたでの」
    「蜂さん……?」
     彼の武器の中で唯一名前のないシールドに目を落としたまま、敬厳は振り向かない。本番で上手く扱えるよう、必死に訓練してきた。天童の爪痕と血が幾重にも刻まれたそれは今、わずかに風格をもち始めている。
    「因縁のある皆が満足な結果を得られるよう、わしは盾として尽力したいと思うておる。ここで倒れるべきは皆ではないじゃろう」
     峻は約束の為。弾は信念の為。それぞれ敵を討ちたい理由がある。なれば誇りある武士の末裔として、その道切り拓くのみ。
    「奴の最期、わしに代わってしかと見届けい」
     天童が爪を振るのを察すや、敬厳は真っ向から受けに走った。爪の乱舞を受け、袴の白が塗り潰されていく。足元からじわじわと立ち昇る夜霧の中で、仲間の血を浴びながら、峻と弾は黙して己の傷を癒す。もののふの生き様に応えるように。織歌と丹も目配せのみでタイミングを合わせ、天童の脚を斬りつける。
    「この……早く死になよ!!」
    「まだ、まだじゃ……退いてやらぬぞ、天童殿!」
     イヴも妨害するが、ついに敬厳が倒れた。すかさずラフ・コリーが天童の腕に噛みつき、ぶら下がる。目線はなぜか幸太郎の方だ。首にマゼンタとシアンのシュシュ――ピンときた。
    「蜂を頼む」
     眼が、頭が、今夜は最高に冴えている。幸太郎の一声で【漣波峠】の仲間が走った。頭に照明をつけたアラスカン・マラミュート、ランプを大量に装備したサルーキ。朝日めいた眩しさに敵が怯んだ一瞬、紫のバンダナを靡かせた黒柴と大人しい犬が敬厳を保護する。首に包帯を巻いた犬を蹴飛ばしながら、天童は舌打ちした。
     体の痺れに、イライラする。
    「ああ、聞き覚えがあると思ったら……随分前にアンタ撤退させるの手伝ったことある」
     槍に冷たい妖気を集めながら、丹は漸く当初からの引っ掛かりが取れた顔をした。顔を合わせたわけではないので忘れていたのだ。
    「君もか」
     一人では小さな力でも、集まればきっと脅威になる。
     知っていても、対抗手段は――ない。
     放たれた氷柱を天童は避けようとしたが、よろけた。回復が間にあわぬ程傷が集中する脚は、満足に動かなくなりつつある。丹が狙いすました通り、氷柱は鳩尾につき刺さる。
    「ッ。これが狙いか……!」
     そう。戦略に狂いなど、なかった。
     狙撃手達が一斉に獲物を構える。ここから、戦局をひっくり返す――!
    「くるくる狂々、回ッて狂ッて踊れオラァ!」
     盾衛は刀を分解延長すると、鎖の中心を握り思いきり振り回した。四方からの斬撃が天童の四肢を一通り抉れば、柊も剣を振るい、物陰から飛び出した縄文犬とサルーキが一糸乱れぬ体当たりを放つ。回避を落としきれば、人体の急所を狙うのも容易い。一撃でごっそり体力が削られ、黒死斬の殺傷率がだめ押しとなる。
     天童は策にはまった。
     丹の遠い記憶が徐々に蘇ってくる。
     あの頃、圧倒的な差があるって言われてた。なのにここまで手応えを感じるようになったんだから。
    「成程、確かにこれは好機っすね」
     育ちの良さそうな黒い瞳に、好戦的な光が宿る。
     殺そう。
     天童はそう考えたが、弾と峻が邪魔で、苛立って、ままならない。
    「……あまり楽そうに見えないな、天童」
     殺人鬼になれば楽だよ。そう、言ったくせに。
    「今でも『天童くん』の方が幸せだと、そして俺を可哀想と思うか?」
    「……『天童くん』、いつもイライラしてたよ。隣に越してきた家の犬がうるさくて寝れない、勉強できないって。だから、僕がそいつら殺しちゃった」
     死を間近にしてなお、天童は峻へ無邪気に語る。
    「可哀想。みんな、みんな」
     殺せばいいのにね。
     峻は、彼に一番言いたかった事を告げた。
    「俺は、俺達を待ってたお前の気持ちが解る気がする。……待っててくれて有難うな」
     一瞬、時が止まった。
    「……ふふっ。あはは……ははっ、あははっ、あはははは……!」
     天童は本当に楽しそうに、心から無垢な子供のように、暫く笑い転げ続けた。
     涙が出るまで笑った後。
    「僕を殺したら、やっぱり君、悲しい?」
     息も切れ切れに、尋ねる。
    「六六六人衆って、そういうのないから。あいつらより、君達と戦って死ぬほうがいくらかマシかなって」
     薄い涙がはりつく頬には、奇妙なほどに喜色しかない。
    「嫌いな奴が悲しんでたら『僕』は最高に嬉しい! 君達は……『天童くん』は、違うの?」
     峻は先程から激しい違和感を覚えていた。そして、あまりに救えない考えに行きついた。
     逃れようのない殺意。殺人鬼の本質は、あらゆる形で本当の心をねじ曲げる。

    「天童、お前まさか、」
     俺達が羨ましくなったのか。
     言葉の代わりに、口から血の泡が溢れた。

     二度とは言わない。全ては峻の理想が描いた幻で、彼はただの純粋に気の狂った悪魔かもしれないから。
    「どうも有難う」
     激しくせきこむ峻に、天童は再度吸血の爪を振るった。

    ●3
     キャン、と短い声がした。峻が顔を上げると、蜜柑色の首輪をした白っぽい紀州犬が傷を負い倒れていた。唐草模様のマフラーを巻いた柴犬がその前に仁王立ちし、天童に吠えかかっている。
    「……穂純……健……」
    「邪魔ッ!!」
     先の表情が嘘のように、天童は激怒した。その背に重い、重い蹴りが叩きつけられ、背骨を大きく軋ませる。
    「ぐ……ッ」
    「てめぇみたいなド外道を叩き潰すのが俺の生業でな」
     サングラスの下の眼光を益々鋭くし、弾は怒気の滲んだ声で低く言う。六六六人衆を絶対的な悪と定める男の眼に一切の迷いはない。天童のような『無邪気な殺人狂』を弾は特に厄介に感じていたが、先のやりとりで天童を潰す意志を一層固めたようだ。
     次はない。ここで必ず、終わりにする。
     ふわふわした犬と、不思議な光沢を放つ黒柴が飛びかかった。黒柴の水色パーカーと眼鏡は、天童に因縁深い二人の顏を思い起こさせる。
     あれから得た敵に喰らいつく意思を、今まで待たされた鬱憤をぶつけるように二匹は牙をむき、肉球を叩きつけた。払っても、払っても、しつこく向かってくる。
    「本当に君達は、いつも……!」
    「余所見すんな。アンタがどれだけ犬が嫌いだろうが知った事ねぇ」
     どすり、と。
     織歌の槍が天童を背中から串刺しにし、地面に縫いとめた。槍を抜く事なく天童の前髪を掴み、自分の方を向かせる。
    「アンタも殺す仕事与えられたなら、こっちもその仕事をこなすだけ」
     遠慮なく、望みを叶えてやる。
     この男とのしがらみは、彼女達の中には存在しないのだから。
    「……仕事がないと殺さないの? 僕は殺すよ。普通に。いっぱい。こんなに殺したいと思ったの……君達が初めて」
     貫かれたまま、天童は鬼気迫る笑みを見せた。
    「……ね。本気で君達を殺したければ、僕だって死ぬ気でやらなくちゃ!!」
     音もなく。
     イヴの喉に、暗器の手裏剣が刺さる。
     隣の丹は咄嗟に彼女の方を向いたが、イヴは首を振る。大丈夫。友達の一人である敬厳があれだけ頑張ったのだ――大丈夫。
     その意を汲み、丹は前方へと走った。重ねて天童に力の限り槍を突き刺すと、織歌と協力して瓦礫の山の方へぶん投げた。傷口から大量の血が流れ、それでも天童は怯まない。
    「逃げる気はないか……上等だぜ」
     弾が呟く。処刑、執行だ。
     彼が指を鳴らすと、集まってきた犬達、そして霊犬達が一斉に吠え始める。
     先頭に立つ黒い雑種犬と、火の様な毛並みの北海道犬は、密かにずっと天童の行いに憤っていた二人だ。
     絶対に逃さへん。犬の子達に、どれほどの無念があったか。
     嫌いな犬に囲まれて、嫌いな声を沢山聴いて。
     覚めない嫌な夢を、ずっとずっと見たら良い。
    「……黙れ……黙れよ……ッ、うあぁあぁぁあああぁ!!」
    「ゲーム・オーバーだ。もう不眠に悩む必要はない。……永遠に、眠れ」
     天童はついに頭を抱え、発狂した。自らの心の深淵から、幸太郎は漆黒の弾丸を生み出す。永眠へと誘う弾丸が心臓を撃ち抜き、天童は血を吐き、膝をついた。
    「なあ天童、お前がどう言おうが」
     辛うじてまだ息のある彼に、峻は歩み寄る。
    「最後に逢えて良かったよ」
    「……ふふ。そうやって君は一生苦しむんだね。いいよ、地獄から見てる」
    「ああ。逃げはしない。……全てを背負うさ」
     それが天童の思惑通りでも構わない。悲しい、悲しくないの問題でもないし、救ってやったとも思わない。
     けして消えない悪意と、純粋な憧憬の間で、彼があがき抜いた事を信じ、その死を背負って進む。それだけだ。
     峻、幸太郎と無言のタッチを交し、盾衛が傍に立った。このまま放置しても死ぬだろうに、わざわざ介錯をしてやろうという彼にかける言葉はない。
    「はぐれ狼が群れてみたのが運の尽き、リクルート失敗ッてな。ンじャ寂しくなるケドゆッくりオヤスミ、天童サ……」
     天童は盾衛の足を噛んだ。
    「『最後まで諦めない』でしょ」
     痒いだけの噛み痕を一瞥し、盾衛は参ッたネと舌を出す。
    「遺言は」
    「大っ嫌い」
     言葉に反し天童はにィ、と笑った。
     盾衛も、笑い返す。
     そして存外にあっさりと、彼は二年に渡る因縁を断ち斬った。居合いで刎ね落した首には一瞥もくれず、自在刀をゆっくりと納刀する。
    「好き嫌いじャねェ。利害の衝突と好みの違いで、狼と犬の咬み合いッてダケさネ」

    ●4
     悪臭に満ちた戦場から外に出ると、澄んだ空気と美しい星が皆を出迎えた。幸太郎は恒例の缶珈琲を開け、もう答えの出ない問いを口にする。
    「……なあ、元々の『天童くん』って、どんな奴だったんだろうな」
     『五七九』の語った事が全てではないだろう。けれど誰もが死を惜しむ好青年だったかというと、現実はたぶんそこまで甘くも、苦くもない。
     だから感傷的になる必要はない。流しこんだ微糖の珈琲は、いつもと同じ味だ。
    「人事部長か。どこの誰かは知らねえが、探し出して叩き潰してやる……絶対にな」
     弾はそう言い、復活したキャリバーを飛ばして一早く闇の中に消えた。まずは一人。妨害作戦は順調で、学園の仲間から阻止成功の報告が次々入っている。纏め上げ、組織化しよう等という目論見は、絶対に許すわけにはいかなかった。
     ――君達を見てると、仲間内で殺し合ってるのがバカみたいに思えてくるよ。
    「……止めないと」
     天童の言葉がふと思い返された。耳につけ直したヘッドホンに触れ、織歌は誰かへ話すように呟く。一つ心残りがあり、振り返ると、血臭を嗅ぎつけた野犬が工場に入っていく所だった。
     織歌は獣の後ろ姿を見送る。そして困ったように眉を下げ、俯くと、皆の背を追って小走りで去っていった。

    作者:日暮ひかり 重傷:蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965) イヴ・エルフィンストーン(ホロスコーププリンセス・dn0012) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年12月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 14/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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