冷たい雨の夜に

    作者:二階堂壱子


     それは、住宅街の片隅で誰に気付かれることもなく現れた。冷たい雨の夜、街灯の光が届かない暗がりで息づく影。
    「……もっとだ……もっと、抑えなければ……」
     脈打つように収縮しながら、揺らぎ、翻り、徐々に輪郭を明瞭にしていく。やがて人型に収束した影は立ち上がり、調子を確かめるように腕や首の関節を回した。
     遠目にはレインコートを着た男性に見える。が、遠目にも、そのレインコートの中の肉体に凶暴な力を宿していることが見て取れる。
    「ふん、動けるとはいえ、これっぽっちの力しか残らんか。だが、まあいい。次は実戦といきたいところだな……」
     不満げな声を漏らしつつ、獲物を探して路上へと出る。見回せば、前方の街灯の下に人影があった。家路を急ぐサラリーマンだろう。狙いを定めた影は、嬉々として地を蹴る。
    「模擬戦だ! 付き合え!」
     その声とほぼ同時、サラリーマンの体が撃ち抜かれ、手にしていた傘が宙を舞った。水溜まりが見る間に赤く染まっていく。その中央で動かなくなった男の首をむしり取り、影は眼前に掲げた。
    「……まあ、こんなものか」
     フードの中で返り血を浴びたその頬には、真紅のダイヤのマークが刻まれていた。


    「皆さん、揃ってますね? では、説明を始めます」
     教室に集められた灼滅者達を見回してから、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は切り出した。
    「普段はソウルボード内で活動しているシャドウが現実世界で事件を起こすことがわかりました。雨の夜に住宅街へと現れたシャドウは、たまたま近くを通りがかった帰宅中のサラリーマンを襲い、殺害してしまいます。皆さんには、サラリーマンが襲われる前――つまり、シャドウが現実世界に現れた直後に接触していただくことになります」
     現実世界に現れたシャドウは、レインコートを着た筋肉質の男のような姿をしているという。全身が真っ黒で、両頬にダイヤのマークが刻まれているらしい。闇に紛れやすい相手ではあるが、戦闘場所となる住宅街には街灯もあり、シャドウは特に身を隠すようなこともしないため、接触タイミングさえ間違わなければ遭遇は難しくないはずだ。
    「通常、現実世界に現れたシャドウは強大な力を持つ反面、一定時間内にソウルボードへ入らなければいけないという制約も持ち合わせていました。ですが、今回のシャドウは、力をセーブすることで長時間の戦闘にも耐える能力を得ているようです。といっても、残念ながら、その力はセーブされてなお、並のダークネス以上……どうか気を付けてくださいね」
     唯一の救いといえば、眷属などは現れず、シャドウ1体のみとの戦闘に集中できるということだろうか。シャドウのポジションはジャマー、シャドウハンターおよび魔導書のサイキックに類似したサイキックに加え、回復手段も持っているという。
    「勝てない敵ではありません……ですが、強敵であることも確かです。決して油断しないでください。そして、どうか無事に帰ってきてくださいね」
     そう締めくくり、姫子は心配そうに灼滅者達を送り出すのだった。


    参加者
    両角・式夜(黒猫ラプソディ・d00319)
    古室・智以子(中学生殺人鬼・d01029)
    高宮・琥太郎(ロジカライズ・d01463)
    晦日乃・朔夜(死点撃ち・d01821)
    神威・天狼(十六夜の道化師・d02510)
    綾小路・麗夢(闇に囚われても天使を守る姫・d08462)
    黒橋・恭乃(黒々蜻蛉・d16045)
    暁月・燈(白金の焔・d21236)

    ■リプレイ


     時折明滅する街灯の光に照らし出されるのは、銀色の雨粒と白い息。濡れた路面には8人分の影が伸びていた。灼滅者達だ。緊張、覚悟、あるいは微笑、もしくは無表情。それぞれの思いを胸に、住宅街の一角にわだかまる闇を見つめている。やがて現れる、さらに深い闇の化身を迎え撃つために。
     やがて、闇の奥からゆらりと人影が現れた。雨に打たれて僅かに揺れるレインコート。シャドウだ。
    「お、おいでなすったな」
     両角・式夜(黒猫ラプソディ・d00319)が口角を上げてサウンドシャッターを展開するのと時を同じくして、古室・智以子(中学生殺人鬼・d01029)が広範囲に及ぶ殺気を放つ。
     それが合図となったのか、シャドウの視線が灼滅者達に向けられた。無言のまま歩みを進めてくるシャドウの姿が街灯に晒される。漆黒のフードの陰に浮かぶダイヤのマークがにやりと歪んでいた。
    「灼滅者か。ちょうどいい」
    「力を試したいの? なら、わたし達が付き合うの」
    「力がないヤツじゃ力試しにならないだろうしね。俺たちと一戦どーかなっ?」
     淡々と言う智以子に続いて、神威・天狼(十六夜の道化師・d02510)も口を開く。
     薄笑いを浮かべたままのシャドウの後方には、被害者となるはずだったサラリーマンが踵を返していく姿があった。それを視界の端で見送りつつ、晦日乃・朔夜(死点撃ち・d01821)は油断なく武器を構えた。シャドウが彼を狙うならいつでも割り込む算段だ。
    「灼滅者風情が、大きく出たものだ。肩透かしに終わらなければいいが」
    「こちらとしては多少は骨があると見込んでいるのですから……さっさと相手しろよ、ダサコート」
     挑発を受け流す酷薄な笑みに、さらに強気な挑発を返すのは黒橋・恭乃(黒々蜻蛉・d16045)。対照的に、綾小路・麗夢(闇に囚われても天使を守る姫・d08462)は、初めて宿敵と対峙する緊張から、微かに肩を強張らせている。その肩を軽く叩いて、高宮・琥太郎(ロジカライズ・d01463)が一歩踏み出した。
    「テメエら狩るのがお仕事なんでね、覚悟しとけよ」
     言い終えるのと同時に、琥太郎は地を蹴る。現実世界に現れたシャドウの力とそれゆえの恐怖を経験しているからこそ、気後れが命取りになることを彼は知っているのだ。
    「行きますよ、プラチナ」
     白い息と共に霊犬のプラチナに呼びかけ、暁月・燈(白金の焔・d21236)も前衛位置へと駆ける。強敵であることは重々承知、だからこそ――その決意が吐息をさらに熱くしていた。


     琥太郎の黒死斬に続き、智以子は揺らめくオーラを拳に集中させて連打を見舞う。その隙に前衛陣の守りを固めつつ、式夜は後方に目配せを送った。それに応え、霊犬のお藤が飛び出す。
    「悪くはなさそうだな。悪くは……」
     余裕の表情を崩さぬまま斬魔刀をかわしたシャドウが呟いた。その視線が後列を捉え、危険な予感が漂う。
    「おっと、この守りはそう簡単に突破させねぇぜ?」
     すかさず下がったのは式夜だ。反応の遅れた麗夢を背中に庇うのと同時に、対象を直接破壊する魔力の炎が炸裂する。
    「両角さん!」
    「大丈夫大丈夫。あっ、でも回復してくれたら嬉しいなぁ、なんて」
     心配する麗夢を肩越しに振り返り、体内で燻る炎など存在しないかのように笑いながら軽口を叩く式夜。その余裕に、麗夢の緊張も幾分か解けたようだ。
    「今のうちに前を固めましょう」
    「それがいいの。向こうの好きなようにはさせないの」
     シールドを広げる燈に頷き、朔夜も癒しの矢を放つ。それを受けた天狼が間合いを詰め、手にした槍で深々とシャドウの脇腹を穿った。そのまま肉薄しながら、天狼はあざとい笑みを浮かべる。
    「俺、雨ってあんまり好きじゃないんだよねー。だから、さっさと倒れてくれると嬉しいんだけど?」
     軽い口調と笑みの奥には、酷薄な一面とシャドウへの嫌悪感を秘めている。加えて、天狼は冬の雨の夜を好まない。表情とは裏腹に、さらに深く抉るように槍を握る手に力を込める。
    「残念だが、その程度ではな」
     鼻で笑って槍を引き抜き、天狼から距離を取るシャドウ。が、プラチナの六文銭射撃が追い縋り、それをかわして着地したところで、恭乃の大震撃による衝撃波が足元に押し寄せた。
    「あんまりチョロチョロ動かないでもらえませんか? 目障りなんで」
    「お互い様だろう」
     攻撃も挑発もものともせず、冷たい笑いが返ってくるばかりだった。戦線補強と多少の回復に人数を割いているとはいえ、攻撃の手数は圧倒的に灼滅者達に分があり、連携も充分。それでいてなお、シャドウの余裕が崩れる気配は依然として感じられない。それがなんとも不気味だ。
    「悪くはないな。悪くはない……が」
     ふたたび呟いたシャドウが智以子のマテリアルロッドをするりとかわし、消えた――そのように見えた。
    「麗夢センパイ!」
     唐突に後方で上がった声に前中衛のメンバーは咄嗟に振り向く。そこには、琥太郎に支えられる麗夢の姿があった。
    「大丈夫……私は大丈夫だから、みんなは戦いに集中して!」
     気丈な声。しかし、その傷が浅くないことは誰の目にも明らかだ。
    「準備運動は終わりだ。そろそろ模擬戦の本番と行こう」
     街灯の上に佇むシャドウの両頬で、ふたたびダイヤのマークがにやりと歪んでいた。


     戦闘開始から十分余が経過し、雨足は強さを増していた。シャドウの狙いは依然として後列に集中し、前衛陣の守りが固まっているだけに歯痒い状況が続いている。庇いに入るディフェンダー陣の消耗も重なり、吐く息の白も心なしか濃い。
    「でも、倒れるわけにはいきませんから……!」
     決意の呟きと共に、後列に放たれるゲシュタルトバスターを受け止める燈。それと同時に、隣にいたプラチナの気配が消え去るのを知った。それでも、俯かない。
     そんな燈の姿をちらりと横目で見てから、式夜はお藤に視線を送った。すかさず浄霊眼の構えを取るお藤だが、その身も炎に焦がされている。そこに朔夜が声をかけた。
    「今、動いたら危ないの。少し待ってほしいの」
     言うが早いが、手にした剣から優しい祝福の風が放たれ、お藤の炎はもとより麗夢と琥太郎を蝕んでいたBSもまとめて浄化されていく。
    「ふん……お前は、小癪だな」
     恭乃の黒死斬に掠められながらシャドウが呟き、列単位でのキュアを唯一行える朔夜を新たな標的に定めた。放たれるのは漆黒の弾丸。そこに、誰より深いダメージを負っていながら相変わらず笑みを崩さない式夜が割って入る。その姿に、朔夜は思わず呟いた。
    「……今は自分の身を守ったほうがいいと思うの」
    「はは、そうかもねぇ。でもまぁ、さっきお藤を回復してくれたお礼ってことで」
     軽口を叩く式夜だが消耗は激しく、自ら集気法で回復を図り、麗夢のジャッジメントレイもそれを後押しした。
    「そろそろ倒れてほしいの」
     表情なく呟いた智以子はジェット噴射の勢いに乗り、携えたバベルブレイカー『貪欲の黒』を振り下ろす。その動きに合わせ、琥太郎が槍の穂先から妖気の氷柱を放ち、天狼もマテリアルロッドを振り抜いた。次々に見舞われる攻撃はいずれも重く、シャドウの表情から余裕が消える。
    「ぐっ……何故この程度で……!?」
     痛みや危機感に先行して浮かんだのは疑念だった。先程までは余裕でかわしていた攻撃のはず――
    「そろそろ効いてきましたかね? あ、今さら気付いても遅いですから」
     そう言う恭乃の手が影を帯び、シャドウの足元を刈り取るように切り裂く。彼の言葉どおり、執拗に付与された足止めの効果は簡単に振り払えるものではなくなっていた。たとえ強敵だろうと、能力を削ぎ落とせば勝機も見えてくる。
    「影狩屋の面目躍如、貴方は私の糧となるのです――頭出せ」
     慇懃にして無礼な恭乃の言葉。背筋が冷たくなる感覚は決して雨のせいではないと、シャドウは悟った。


    「今がチャンスなの。一気に攻めるの」
     先行する智以子に続き、灼滅者達は一斉に攻勢へと転じた。強烈な打撃や斬撃に加え、体内で広がっていく氷によるダメージも軽視できないほどに重なり、シャドウを蝕んでいく。
    「くそっ! こんな模擬戦で……!」
    「コレは模擬戦なんかじゃねーよ。オマエはもうココで終わるんだ」
     ふたたび妖冷弾を撃ち出しながら琥太郎が言い放つと、シャドウは歯噛みして大きく後退した。
    「逃がしません!」
     撤退の気配を敏感に察した燈がいち早く追い、その勢いに乗せて縛霊手を振り抜いた。
    「獄魔覇獄への参戦を目指しているのでしょうけれど、諦めて下さい」
     豪快な打撃と共に網状の霊力でシャドウを絡め取った燈は、そのままシャドウを引き倒す。
    「この先の戦いの前に、あなたにはここで死んでもらうの」
     淡々と死を宣告した朔夜が、シャドウを死角から容赦なく斬りつけた。足元から削ぎ落とすように裂かれた傷口からは、闇が液状に溢れ落ち、黒々と濡れたアスファルトの路面に溶けていく。やがて断末魔の残響も消え、静寂が戻った。
    「――お、雨止みましたかね……?」
     恭乃の声に、一同は揃って空を見上げた。いつの間にか雲が切れ、星が覗いていた。張りつめていた空気も少しずつ緩み、住宅街は平穏な夜を取り戻していく。
     不意に、智以子が小さなくしゃみをした。
    「はやく帰って、おふろで温まりたいの」
     冬の雨に打たれれば無理もない。手早く戦闘の形跡を隠し、灼滅者達はそれぞれ家路についたのだった。

    作者:二階堂壱子 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年12月12日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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