私の家族

    作者:邦見健吾

    「今日もいい天気だなー。ね、ジャン♪」
    「わんっ」
     日が昇って間もない朝、白い息を吐きながら1人の少女が愛犬とともに河川敷を散歩していた。香奈美にとって、ジャンの散歩をするのは毎朝の日課だった。暑い日も寒い日も、雨や雪が降らない限り欠かしたことはない。
    「わんっ」
    「うん、寒いね。えーと、手袋は……あれ?」
     ポケットから手袋を出そうとしたが、いつの間にか片方落としてしまったらしい。
    「はあ……」
     息を吹きかけ、手袋をしていない右手を温める。その手の平は、白く透き通る水晶に包まれていた。

    「とある少女がノーライフキングに闇堕ちしようとしています。皆さんには彼女を灼滅者として救出するか、灼滅するようお願いします」
     冬間・蕗子(高校生エクスブレイン・dn0104)が教室に集まった灼滅者に対し、説明を始めた。
    「少女の名前は志野・香奈美。中学1年生です」
     香奈美は比較的裕福な家庭で育った、心優しい少女だ。幼い頃に犬を拾い、両親の反対を押し切ってジャンと名付けて飼い始めた。
    「ジャンは志野さんにとって、一番の友達で家族でした。しかし先日、老衰によって息を引き取りました」
     それをきっかけに香奈美はノーライフキングに闇堕ちし、ジャンをアンデッドとして蘇らせた。
    「今はまだ人間として理性を保っていますが、このままでは周囲の人間を殺してゾンビにしようとするでしょう。その前に志野さんを止めてください」
     香奈美は自身に起きた異変やジャンの死に気付いてはいないわけではない。上手くすれば説得に役立てることもできるだろう。
    「志野さんはほとんどの時間を家にこもって過ごしていますが、毎朝の散歩の時だけは必ず外に出てきます。接触するならそのタイミングが最適でしょう」
     もし戦闘になれば、香奈美はエクソシストのサイキックを使用してくる。堕ちかけとはいえ、油断すれば痛い目を見るだけでは済まないだろう。
    「ジャンは戦う力はあまりありませんが、志野さんを守ろうと動きます。また、説得しないままジャンを倒した場合、志野さんを救うことができない可能性があります。注意してください」
     香奈美を救いたければ、一時は防戦に徹することも必要かもしれない。また説得が心に届けば、香奈美の戦闘力を下げることができるはずだ。
    「皆さんにお願いするのは、志野さんの救出あるいは灼滅です。選択肢があるということは忘れないでください……それでは、よろしくお願いします」
     そして蕗子は湯呑の茶をすすり、灼滅者を残して席を立った。


    参加者
    竜胆・藍蘭(青薔薇の眠り姫・d00645)
    埜々下・千結(杯掬う女帝・d02251)
    一之瀬・祇鶴(リードオアダイ・d02609)
    焔月・勇真(フレイムエッジ・d04172)
    メルキューレ・ライルファーレン(春追いの死神人形・d05367)
    雨来・迅(宵雷の兆候・d11078)
    聖刀・忍魔(雨が滴る黒き正義・d11863)
    ミーシャ・カレンツカヤ(迷子の黒兎・d24351)

    ■リプレイ

    ●別れの始まり
    「う~、今日は寒いね、ジャン」
    「わんっ」
     やっと日が昇った早朝の河川敷を、香奈美とジャンが歩みを揃えて歩く。川から流れる風は、肌を刺すように冷たい。けれど、ジャンと一緒なら寒さなど苦ではなかった。
    「おはようございます、お散歩ですか?」
    「あ、おはようございます。そうなんですよ」
     そこに、埜々下・千結(杯掬う女帝・d02251)が普通に挨拶を交わした。千結の目から見ても、香奈美のジャンはごく普通の、幸せそうな愛犬と飼い主に見えた。千結も大切な存在を失う悲しみは知っている。これから来る別れの痛みを想像すると胸が痛むが、だからこそ香奈美を支えたいと思う。
    (「僕もエクソシストとして、同じ仲間を見捨てるわけには行きませんね」)
     灼滅者たちは香奈美を警戒させないよう、接触する人数を絞っていた。竜胆・藍蘭(青薔薇の眠り姫・d00645)は橋の支柱に隠れ、香奈美たちの様子を見守る。
    (「能力が覚醒したのは、気持ちがお別れ出来るようになるまでのロスタイムだったのかもな」)
     説得が上手くいくことを願いながら、焔月・勇真(フレイムエッジ・d04172)も香奈美たちの様子を伺った。佳奈美が別れを受け入れてくれるよう、できるだけのことをするつもりだ。
    「おとなしい犬……お前の名前は何だい?」
    「ジャンといいます。おはようございます」
    「わんっ」
    「ああ、おはよう」
     聖刀・忍魔(雨が滴る黒き正義・d11863)が尋ねると、香奈美が素直に答えた。挨拶のつもりなのか、ジャンも忍魔に向かって一声上げた。
    「そうか、カッコいい名前を付けて貰ったんだな」
     かがみ込み、ジャンの頭を撫でる。温かいはずのその体は、氷のように冷たかった。
    「でも、お年寄りみたいだね……」
    「え、えと、はい。昔から一緒にいたから……」
     忍魔の言葉に、答えづらそうにする香奈美。歯切れの悪くなった香奈美に、忍魔は追及を始める。
    「もしかして……ジャンはもう死んでいるんじゃないか?」
    「え……」
     その瞬間、香奈美の表情が凍りついた。香奈美から笑顔が消え、一瞬呆然とした顔で忍魔たちを見つめる。
    「違います! ジャンは死んでなんか……死んでなんかいません!」
    「ジャンが死んでしまったこと、本当は気付いているのではありませんか?」
    「――!」
     香奈美が必死に否定するも、さらに千結がその言葉を否定した。香奈美は言葉を失い、その場に立ち尽くす。
    「少し、話を聞いて下さい。私たちは、あなたを助けるために来ました」
     捕捉するように、メルキューレ・ライルファーレン(春追いの死神人形・d05367)が話を始めた。自分たちが何者なのか、香奈美の身に何が起こっているのか、そしてこれから香奈美がどうなってしまうのかを、慎重に、言葉を選びながら説明していく。
     メルキューレにも、香奈美の気持ちは理解できる。けれど、生者の都合で死者を振り回すことは、あってはならない。
    「そん、な……」
     メルキューレの話を、香奈美はただ呆然と聞いていた。いや、耳を塞ぐことも、逃げ出すこともできなかったのだ。
    「違う、違う、違う!」
     そして香奈美は首を横に振りながら、光条を降らせて灼滅者たちを襲った。

    ●終わらない別れ
    「あ……あ……」
     咄嗟に放った攻撃に、自分で唖然とする香奈美。それは、否定したいはずのメルキューレの説明を裏付けるものだったからだ。
    「さぁ、終わりを始めましょう。 悲しみの、終わりを」
     待機していた灼滅者たちが香奈美の前に立ちふさがり、殲術道具を構えた。一之瀬・祇鶴(リードオアダイ・d02609)も眼鏡を外し、カードから殲術道具を解放する。大事な家族を失う辛さは、想像するまでもなく知っている。だから、誰かが手を差し伸べなければいけないのだ。
    「グルル……」
     ジャンも香奈美を守ろうと、低く唸りを上げた。小さな体で牙を剥き、灼滅者たちを威嚇するように鋭く睨む。
    「主人想いだね。でも、ボクたちはキミの主人を助けに来たんだ。彼女のためにも、ここは退いてくれないかな」
     ミーシャ・カレンツカヤ(迷子の黒兎・d24351)の言葉にも、ジャンは微動だにしなかった。そして灼滅者たちを敵と認識し、牙を立てて襲いかかる。
    「わうっ!」
    「ジャン、やめて!」
    「おっと」
     雨来・迅(宵雷の兆候・d11078)の腕に、ジャンが食らいついた。牙が食い込み血が流れるも、灼滅者にとっては大したダメージではない。
    「貴女が好きだったその子は、誰かの命を奪うような存在だったのかしらね」
    「……」
    「その力は、素晴らしくとも何ともない。ただ、虚しいだけよ。前を見なさい、悲しみは乗り越えられるけれど、後悔は自分を蝕むわよ」
     目の前の現実を受け止めきれない香奈美に、祇鶴が言葉をかける。香奈美は俯き、その表情を見ることはできない。
    「自分の異変を恐れてはいけません、僕達が必ず救って見せます。ですから僕達を信じて下さい」
    「でも、ジャンは……ジャンは……」
     藍蘭の言葉にも、香奈美は首を縦に振らなかった。頭で理解していても、大切な家族との別れを簡単に受け入れることはできなくて。光り輝く十字架を頭上に生み出すと、無数の光を雨のように降らせた。抑えきれない想いが光となって周囲に降り注ぐ。
    「ジャンが死んじゃうなら、化け物になっても……」
    「でもな、このまま過ごしても香奈美の心は食われてく。そしたら、ジャンのことをちゃんと見送ってやれないままお別れになっちまうんだ」
     それはできないと、勇真が首を横に振った。このままではジャンも香奈美も、中身が違う別物になってしまう。そんなの悲しいだけだと、勇真は思う。
    「じゃあ、私は……」
     ジャンを救うことはできない。幸せに天寿を全うした命に、救われる余地などありはしないから。あとはただ、香奈美が受け入れることができるかどうかに懸かっている。

    ●別れの終わりの始まり
    「わうっ、わうっ!」
    「ジャン……ジャン!」
     香奈美は地面にへたり込み、灼滅者たちに跳びかかろうとするジャンを必死に抱き留める。ジャンを止めたかったわけではない。香奈美はただ、ジャンを離したくなかった。そんな香奈美とジャンを灼滅者たちが見守る。
    「ジャンはあなたに大切にされ、幸せに旅立ったのだと思います。ですがジャンを蘇らせるのは、その幸せを、ジャンが生きてきた命を踏みにじる行為です」
    「でも、でも……!」
     メルキューレの厳しい言葉に、香奈美はかぶりを振った。香奈美も頭では理解できているはずだが、心がついていかないのだ。
    「俺も犬を飼ってるから、何となくわかる……」
    「わんわんっ!」
     忍魔がゆっくりと、香奈美に歩み寄る。ジャンが大声で吠え散らすが、忍魔は止まることなく、またジャンの頭を撫でた。
    「でもジャンも……優しいお前に、堕ちて欲しくないと思ってるはずだ。こんなになってジャンを生かしたって……きっとジャンは喜ばない」
    「うう……ぐすっ」
     そう言って、泣きじゃくる香奈美の頬に触れる。涙に濡れる瞳は、水晶へと変わりつつあった。
    「あのさ、人として、君が彼に大好きだよと伝えてあげるのが一番だと思うんだ」
     迅はジャンに噛まれた腕を顧みることなく、香奈美に優しく語りかける。
    「大切な友達や家族を亡くすのは悲しいことだけどね、けどそうやってずっと引き留めるのはジャンにとって良いことなのかな?」
     迅も大切な人を失ったことがある。しかし、もし生き返らせることができたとして、それが正しいとは思わない。きっと、気持ちを伝えることが恩返しだと迅は思う。
    「ボクはペットを飼ったことがないから……ううん、ジャンのことを知らないから、香奈美の気持ちを本当の意味で理解することはできない」
     ミーシャが真剣な瞳で香奈美を見つめた。大切なものはいつも突然いなくなる。それはどうしようもなく理不尽で、覆しようがなくて、そしてとても悲しいこと……だけれど。
    「……でもね、ボクがもしジャンの立場だったら、香奈美には死を受け入れて、そして前に進んで欲しいと思うんだよ」
     香奈美を残して逝くジャンも辛いかもしれない。けどそれでも、ジャンは香奈美が自分に縛られることを望まないはずだ。
    「ジャン……ジャン……ううっ、ひっぐ……」
    「わうっ、わうぅっ!」
    「確かにジャンの代わりはいない。大切な存在を失う事はとても辛くて、悲しい」
     もはやジャンに呼びかけることしかできない香奈美に、そっと語りかける千結。そこに普段のか弱さはなく、優しく、けれど力強く想いを伝える。
    「だけどその現実から目を逸らしたら、ジャンからも目を逸らすことになる。ジャンを、ちゃんと見てあげて」
    「ジャン、を……?」
    「うん。愛してあげて、ジャンが生きてきた全てを。……悲しさで潰れてしまいそうなら、わたしたちが、支えるから」
    「うう……うぅ……うん」
    「わん、わん!」
     千結に諭され、香奈美は涙を拭いてジャンを一心に見つめる。
    「ごめんね、ジャン……こんなに冷たくなって」
     香奈美が力なく微笑み、ジャンを力いっぱい抱き締めた。その瞬間白い光が降り注ぎ、ジャンを温めるように、香奈美とジャンを包み込む。
    「ありが、とう……大好きだよ」
    「わうぅ……」
     そうして香奈美の腕の中で、ジャンは静かに眠りについた。

    ●別れの終わりと出会いの始まり
    「んん……」
    「大丈夫ですか?」
     灼滅者たち攻撃を受けて倒れた香奈美が、目を覚ました。ずっと様子を見ていた藍蘭がすぐ言葉をかける。
    「うん、大丈夫……」
     どうやら無事灼滅者として覚醒することができたようだ。これで闇堕ちの危機はひとまず去った。
    「お帰り……優しき王……」
     忍魔が目を細め、ほっと息をついた。マフラーをしているせいでわかりにくいが、これでも笑みを浮かべているらしい。
    「ふう、良かったー」
     勇真も安心して胸を撫で下ろす。香奈美は灼滅者に覚醒し、自分の意志でジャンとの別れを受け入れることができたのだ、これ以上の結果はない。今回はライドキャリバーの出番はあまりなかったが、致し方ないだろう。
    「ジャン……」
     香奈美はジャンの亡き骸を抱き、優しく撫でた。けれどジャンが動き出すことは、もうない。
    「ありがとうと、そう言って見送ってあげましょう」
    「まだやる事があったな。ジャンの墓を作って、祈ってやろう……」
    「はい……」
     メルキューレと忍魔が手伝い、ジャンの墓を作った。手を合わせ、ジャンの冥福を祈る。
    「ありが、とう……。……ジャン……うう……うわあ……ああ、あああっ」
     ジャンの墓を前にして、香奈美がせきを切ったように泣き出す。灼滅者たちは何も言わず香奈美を見守った。
    「命はいつか終わる……それを受け止めて進むのが、俺達……いや、命じゃないかな……?」
    「きっとジャンはあなたの中に生き続けるわ。それを忘れないで」
    「はい……」
     ひとしきり泣いた後、忍魔と祇鶴が声をかけた。香奈美がこれから、幸せに生きていけますように。
    「よく頑張ったね」
    「うう……ひぐ」
    「よしよし」
     迅がそっと言葉をかけると、香奈美がまた嗚咽を漏らして泣き出した。迅は急かすこともなく、香奈美が泣き止むのを待った。
    「香奈美も武蔵坂学園に来てみませんか」
    「え?」
     顔をぐしゃぐしゃにして涙が枯れ果てるくらい泣いた後、藍蘭が武蔵坂に誘い、その説明を加えた。
    「そうそう、良かったら学園に来てみない? ボクたちみたいな仲間が沢山いるよ」
     ミーシャも笑って手を差し伸べる。武蔵坂なら、きっと心を通わせられる仲間も見つかることだろう。
    「こんな子もいますよ」
    「わわっ!?」
    「ナノ~」
     千結の背からナノナノのなっちゃんが飛び出し、香奈美の周りをくるくると回る。突然現れた珍生物に、香奈美が驚きの声を上げた。
    「どうですか?」
    「えと……その、じゃあ……お願いします」
     そしてなっちゃんが新たな仲間を祝福して飛び回る中、香奈美は涙の乾いた顔で、照れ笑いを浮かべた。

    作者:邦見健吾 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年12月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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