その殺意、文字に現る

    作者:篁みゆ

    ●嫉妬と焦燥
    「はい、響生君はここのハネとこっちのハライに注意してもう1枚書いてらっしゃい」
    「はーい……」
     朱の入った半紙を手に、響生はしぶしぶと自分の席に戻る。
    「渉君、上手ね。次の展覧会には渉君の作品を出そうと思うの」
    「!」
     思わず立ち止まって響生は振り返った。小さい頃からこの書道教室に通っている自分より、秋から通い始めたあいつの方が上手いなんて。展覧会に選ばれるなんて。
     嬉しそうに笑む渉の顔を見ていると、色々なことが思い出される。
     50メートル走も水泳も跳び箱もあいつのほうが上だし、テストの点だって勝てない。けれども唯一習字でだけは勝てると思っていたのに。
     響生の心のなかに湧き上がる黒い思いは殺意のような鋭さと、恐怖に似た揺れるものが混在していた。
    (「このままだと、得意の習字でさえオレは抜かれる……!?」)
     それに気づいてしまった途端、どす黒い感情が溢れだした。席へついた響生は新しい半紙を取り出し、まるでそれを抑えようとするかのように力を込めて文字を生み出した。
     

    「やあ、よく来てくれたね」
     教室に足を踏み入れると、神童・瀞真(大学生エクスブレイン・dn0069)が穏やかに灼滅者達を迎えた。椅子に腰を掛けるように示し、全員が座ったのを確認すると和綴じのノートを開いた。
    「一般人が闇堕ちして六六六人衆になる事件があるよ」
     通常ならば闇堕ちしたダークネスからはすぐさま人間の意識は掻き消える。しかし今回のケースは元の人間としての意識を残したままで、ダークネスの力を持ちながらダークネスには成りきっていないのだ。
    「彼が灼滅者の素質を持つようであれば、闇堕ちから救い出して欲しいんだ。ただ、完全なダークネスになってしまうようならば、その前に灼滅をお願いしたい」
     彼が灼滅者の素質を持っているならば、手遅れになる前にKOすることで闇堕ちから救い出すことができる。また、心に響く説得をすれば、その力を減じることもできるかもしれない。
    「彼の名は加治木・響生(かじき・きょうせい)。小学6年の男子だよ。彼は小さい頃から書道を習っていてね、学校でも褒められて市の展覧会に作品が出されたこともあるんだ」
     唯一の特技、唯一自信を持てること、響生にとってはそれが書道だったのかもしれない。秀才と言われる同級生の渉(わたる)に体育でも勉強でも勝てなくても、書道だけは勝てる、それが自慢だったようだ。だが秋ごろ渉が同じ書道教室に入ってきた所、その状況は変わっていった。
    「渉君はみるみる上達していったんだ。響生君は自分が追い抜かれる恐怖と同時に嫉妬がこうじて殺意のようなものを抱いた。ある日の帰り道、殺意は止められなくなってしまう」
     書道教室の帰り、同じ方向へと帰る二人は一緒に河川敷を通る。
    『僕はまだまだだよ。だってずっと習っているだけあって、響生のほうが上手いじゃないか』
     そんな渉の一言が響生のタガを外してしまう。
    「もちろん渉君は嫌味でそんなことを言ったわけじゃないと思うよ。けれども響生君の心を逆なですることになってしまったんだ」
     接触するのにちょうどいいタイミングは、渉が問題のセリフを言った後。
     響生が衝動的に渉を手に掛けるのを止められなければ、待っているのは悲劇だ。
    「君達なら何とか出来ると信じている」
     ぱたんとノートを閉じた瀞真は、よろしく頼むよと頭を下げた。


    参加者
    鷹森・珠音(黒髪縛りの首塚守・d01531)
    巳越・愛華(ピンクブーケ・d15290)
    ライン・ルーイゲン(ツヴァイシュピール・d16171)
    リリー・アラーニェ(スパイダーリリー・d16973)
    リーナ・ラシュフォード(サイネリア・d28126)
    阿礼谷・千波(一殺多生・d28212)
    伍伯・莱(葉剣士・d31102)

    ■リプレイ

    ●静
     冬の夕方は暮れるのが早くて、人々が足早に帰路を行く。散歩に浮かれた犬が時折足を止めて草むらを嗅ぎまわるが、しばらくすると飼い主の声掛けで何事もなかったかのように歩き出した。
    (「目の前に助けられる人がいるなら助けたい! このまま闇堕ちなんてさせてあげないよ」)
     現場となる場に近い橋の下でリリー・アラーニェ(スパイダーリリー・d16973)と共に響生達を待っているリーナ・ラシュフォード(サイネリア・d28126)は強く思う。
    「絶対に助けよう」
    「ええ」
     リリーに返され、意気込みが言葉として漏れていたことに気がつく。二人は顔を見合わせて頷き合った。
    「人と人との付き合いって難しいものよねぇ」
    「難しいですよね。でも響生さんも渉さんも、こんなことで悲しいことになっちゃいけませんよ」
     唸るように呟いた阿礼谷・千波(一殺多生・d28212)の隣で伍伯・莱(葉剣士・d31102)は二人とも絶対に助けてみせますと誓う。鷹森・珠音(黒髪縛りの首塚守・d01531)とライン・ルーイゲン(ツヴァイシュピール・d16171)は周囲を見渡して、他の一般人の姿がないことを確認した。
     響生と渉の後ろを距離を保って歩くのはレイシー・アーベントロート(宵闇鴉・d05861)と巳越・愛華(ピンクブーケ・d15290)だ。クラスメイトのこと、先生のこと……他愛ない会話を繰り広げている二人はだんだんと橋のある辺りに近づいていく。タイミングを間違えてはいけない、灼滅者達の間に緊張が走る。
    「僕はまだまだだよ。だってずっと習っているだけあって、響生のほうが上手いじゃないか」
     渉の口からその言葉が漏れた瞬間、レイシーは殺界形成を展開。二人に走り寄った愛華が渉の腕を引いて自分と彼の位置を変えた。リリーがサウンドシャッターを使い、リーナもまた背後に渉を庇う。
    「あぁぁぁぁぁぁぁっ!」
    「傷つけさせないわよ」
     渉を狙おうとする響生の一撃を千波が代わりに受けた。
    「逃げるのじゃよ!」
    「えっ……」
     珠音が渉に叫ぶ。だが彼はいまいち事態を把握していないようだ。無理もないだろう、突然友達と引き離されて知らない人に逃げろと言われたら、友達の身が心配になる。けれども殺界形成の効果が彼にも及んでいるからして、無意識に遠ざかろうとはしているよう。
    「行くんよ!」
     一刻も早く渉を遠ざけたい。珠音は自ら彼の手を引いて走りだした。途中、犬を連れた女性にも声を掛けて、戦場からできるだけ遠ざかるようにする。
    「加治木さん、あなたが筆を持つのは誰かに勝つためだけ、ですか?」
     ラインの静かな声が、響生に迫った。

    ●動
    「響生にとって、習字って競争の道具か? 好きだからやってたんじゃないのか? 字ってのはお手本通りに書くのも大事だけど、それだけじゃないんだぜ」
     渉と引き離した灼滅者達を睨み据えるようにして、響生は次の一手を繰り出す隙を狙っているようだった。自分と渉との間を隔てる数人を、簡単に抜けるとは思えていないのだろう。勿論こちらとて簡単に抜かせない。レイシーは彼の動きに注視したまま、続ける。
    「そりゃ渉のほうが先生に褒められるてるかもしれないけど、響生の字にだって良いところがあるんだ。渉はそれを知ってるから褒めてくれたんだ。先生の評価だけが絶対じゃないんだぞ」
    「加治木さんは誰かを下に見るために、書道を始めたのですか?」
     続けたラインの言葉に響生は口を開きかけたが、音が言葉となって出ることはなかった。
    「あなたが初めて筆を持った日のことを、思い出してください。楽しかったですか、それとも、悔しかったですか?」
    「……最初は、親に無理矢理……」
    「でも、これまで続けてきたのは、加治木さんの意志ですよね?」
     それは必ずしも上手くなりたいという一心ではなかったのかもしれない。悔しさも楽しさも辛さもあっただろう。どれもが響生に筆を持たせ続けた大切な気持ち。
    「頑張るのはいいことだし、勝ちたい、負けたくないって気持ちもわかるな。でも、何でも他人と優劣を付けなくたっていいじゃない。響生くんの一筆は、響生くんだけのモノなはずだもん」
     明るく、諭すような愛華の言葉に響生は顔を上げた。
    「それが書道のいいところなんじゃない? 焦らないでもう一回、頑張ってみようよ?」
     もう一回、と小さな呟き。直後、響生がびくんと大きく身体を揺らした。何かを堪えるように自身の体を抱きしめる響生。
    「で、も……抑えきれな……」
     抑えきれぬのは殺意。眼の色変えた響生は、手にした符を投げた。

    ●接
    「リリーも小さい頃からずっと編み物や機織りに打ち込んできたわ。人並み以上に努力もしてきた。それでもまだまだだと思っているし、上には上がいる……」
     リリーが『DNCデストロイヤー』を打ち込むのに合わせて千波が拳を繰り出す。
    「けど、あなたが渉に負けたのはまだ今回一度きり」
    「男の子なら、実力で勝ち続けて認めさせなさい!」
     一歩飛び退って告げるリリー。最接近したまま言葉を打ち込む千波。
    「字で追いつかれそうになったから、暴力で解決とか……それが正しいと思っちょるの?」
     渉達を避難させて戻ってきた珠音は前衛に霧を纏わせてその力を高める。
    「字は人の心を写す。このままだと、二度と満足のいく字、書けなくなるよ!」
     びくっ、響生の身体が震えたように見えた。
    「人の感情って難しいね……でもこういう事を乗り越えていくと強くなれるんだよね?」
     誰にともなく問うて、リーナは駆け出す。
    「その機会を得られるように、助けてみせるよ!」
     振り上げた盾に思いを込めて振り下ろす。霊犬のちこもリーナと同じように響生へと迫った。莱が『山賊刀05型』を手に接敵し、そして振るう。
    「唯一の特技なら、譲れない意地があって当然です。……だから、自分自身と真っ向勝負しなくちゃいけないんです」
     言葉だけでは伝わらないものもあるだろう。そこは、剣で語るつもりだ。
    「なあ、うちの学校でも毎年芸術発表会があってさ、書道部門もあるんだ。響生なら、いい線いくんじゃないかな」
     まるで仲間に話すように言葉を紡いだレイシーが一瞬の後に響生の死角で『宵鴉』を振るう。『響生』に語りかけはしたが、斬りつけた相手はダークネスであると主張するように。
    「やり直せるよ。人の心があればね!」
     だから戻っておいで、愛華は異形巨大化した腕を叩きつけた。追うようにラインがギターで響生を殴りつける。
    「シャル、Bitte!」
     命じられたナノナノのシャルは、ハートを飛ばした。
    「あぁぁぁぁぁ! 殺す殺す殺す殺す殺す!!」
     響生の発生させたどす黒い殺気が前衛を蝕む。リリーは素早く自らの背中を切り裂いて、片翼の炎を出現させた。
    「拮抗した実力で高め合える相手、渉は殺すべき相手なんかじゃない」
     真っ直ぐに、響生を見つめるリリー。
    「知ってる? こういうのはね、『ライバル』っていうのよ。妬むんじゃなくて大切にしてあげなさい」
    「私も習字やってるの、早くこっち側に戻ってきてアンタの字を見せてよ」
     死角へ入り込んだ千波は、優しく語りかけるように告げて。
    「気づいた時には巣の中。黒髪縛り――【大蜘蛛】!」
     珠音の糸が響生を絡めとり、その動きを鈍らせる。
    「心の闇に負けないように頑張って! そうじゃないと自分が自分でなくなっちゃうから……」
     響生の懐に入り込んだリーナは、無数の拳を浴びせかける。この中の一撃でいいから、彼の目を覚まさせる事ができますようにと。主の願いを感じ取ったのか、ちこも懸命に攻撃を続ける。
     莱は再び剣を振るう。言葉にならない意志は固く、響生がダークネスに打ち勝つまで、どんなに厳しい状況になっても諦めない、その気持が感じられた。
    「俺は親父が外国人だけど、和の心って奴はそれなりに分かるつもりだ。なんせ親父が日本大好きだからな。書はその線一本にも人の心が現れるって言うしな」
     相変わらず仲間にそうするように、レイシーはダークネスの奥にいる『響生」に言葉をかける。けれども『宵鴉』の刃は鋭いまま。
    「たぶん、響生の字は先生が気に入るような優等生な感じじゃないんだろ。でも、まっすぐで元気で、良い字を書くんだろーなって、俺は思う。……だから、闇堕ちなんかで歪ませちゃダメだぜ」
    「ほら、みんな待ってるよ」
     炎を纏った愛華の激しい蹴撃が響生の身体を揺らす。
    「加治木さんの字は、加治木さんにしか書けません。他の上手だと言われる人でも真似、できないんです」
     ラインはギターを掻き鳴らし、前衛を癒やす。シャルは響生へと迫っていった。
    「だからもっと、ご自分の字を書いて、みませんか? わたしはそれをもっと見たいと、思います」
    「じぶ……の、……字……」
     ラインの願うような声掛けに、微かに絞りだすような声。それは確かに『響生』の声で。
     響生の中のダークネスは符を繰って結界を作った。リリーはそれに動じることなく。
    「リリー達も頑張るわ。だからあなたも頑張って」
     ミニスカートからこぼれる脚を躊躇うことなく使った飛び蹴りで、響生の後押しをする。
    「私も習字やってるの、早くこっち側に戻ってきてアンタの字を見せてよ」
     リリーの蹴撃で倒れかけた響生の死角をいち早く見つけて、千波は彼を斬り裂いた。珠音は自らの指から広がる霧で前衛を癒やす。
    「ちこ、行こう!」
    「わんっ」
     リーナとちこは息を合わせて響生に迫る。追うように莱も距離を詰めて。
    「自信のつけ方、きっと分かるはずだよ。一緒に頑張ってみようよ」
     愛華の腕が響生を叩く。ラインがギターを掻き鳴らし、「Gehen Sie!」と命じられたシャルが攻撃に向かった。
    「戻れ……戻りた……戻れな……消え……黙っ……」
     まるで壊れたラジオのようにとぎれとぎれに発せられる言葉。響生がダークネスと戦っているのだと、わかる。発せられる殺気は前衛を包んだが、先ほどの威力は感じられない。当然だ、灼滅者達の言葉で響生は、戦うことを決めたのだから。
    「千波」
    「ええ、リリーさん」
     頷きあった千波とリリーが同じタイミングで踏み切る――そして。
     傾き、アスファルトに倒れゆく響生の身体を、ラインがしっかりと受け止めた。

    ●答
    「おかえりなさい」
     夕日が落ちて闇のほうが強くなった河川敷の街灯の下、瞳を開けた響生に最初に声をかけたのはラインだった。膝枕から慌てて起き上がろうとする彼を手伝う。
    「目が覚めたようでよかったわ」
    「よく頑張ったんよー。諦めなければ、きっと字でも負けんのよ」
     リリーがほっと息をつき、戦闘の痕跡を消していた珠音は、駆け寄って響生の掌に金平糖を乗せた。
    「美味しいんよ」
     言われるがままに金平糖を口に含む響生。
    「……美味しいな」
     甘さが、染みこむ。それは生きている証だと知っているから、リーナは「良かったね」と笑みを浮かべて彼の頭をなでた。その様子を、莱も見つめて安堵の笑みを浮かべる。
    「今から響生の身に起こったことを説明する。すぐには信じられないかもしれないが、事実だからな」
     レイシーと愛華がわかり易い言葉を選んで、ダークネスのことや闇堕ちのこと、学園のことを説明していく。
    「オレ、渉のこと、殺そうとしたんだよな」
     自分の中のダークネスという存在が悪いと言われても、すぐには割り切れぬものだ。愛華はぽんと響生の肩に手を置いた。
    「学園へ来るといいよ。これからの楽しいこと、辛いこと。大切なことを共有できる、本当のお友達が見つかると思うから……!」
     その言葉に響生が頷いたのを見て、千波は傍らのリリーへと視線を向ける。
    「ふー、無事終わってよかったわ。リリーさん、ご飯でも食べて帰りましょうか?」
    「ええ。いい考えね」
     丁度夕食時だ。万が一響生を止めることが出来なかったとしたら、響生の家も渉の家も夕食どころではなかっただろう。だが彼を止めることが出来た今、家では暖かいご飯が帰りを待っているはず。
     少年達を、その未来を救うことが出来た実感を噛みしめるようにして夕飯をいただくのも、悪くはないだろう。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2014年12月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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