竜の焔は暁よりも早く

    作者:雪月花

     しん、と張り詰めた冷たさと静けさに、草木も眠る夜。
     深い山の中、その獣は苛立たしげにのしりと地面を踏みしめた。
     山羊と肉食獣の合いの子のような姿の、炎を発する獣だ。
    「オレタチ マッテルダケ、イイ イッタノニ。クロキバメ……」
     爪先に触れた小岩のような石を脇に蹴飛ばし、彼は湯気に包まれた小さな池のような場所を臨む。
     それは彼の縄張りの中心。イフリートが守る源泉だ。
    「コノママ ガイオウガサマ、フッカツ ムリ。……モウ、コレシカナイ!」
     鼻息も荒く源泉に進み入ったイフリートは、力を溜めるように身を丸めた。
     やがてその姿が、身を取り巻く炎が、変わっていく……。
     大地を轟かせるような灼熱の咆哮が、凍える空気を引き裂いた。
     
    「皆、新年早々集まってくれてありがとう」
     土津・剛(大学生エクスブレイン・dn0094)は、呼び掛けに応えてくれた灼滅者達の顔触れに若干ほっとしたような表情を浮かべる。
     しかし、その顔もすぐに厳しいものに戻った。
    「先日の戦いで獄魔大将として参戦していたクロキバの敗北で、彼と意を共にするイフリートの穏健派が力を失ってしまったようだ」
    「確かに、あの戦いで仲間を沢山失ったのだし、無理もないか……」
     それまでの彼らと学園の関わりもあってか、矢車・輝(スターサファイア・dn0126)の声音には何処か複雑な色が浮かんでいる。
    「それで、新たな兆しをサイキックアブソーバーが示したんだ。今まで穏健派に抑えられていた武闘派のイフリート達は、もう大人しくしてはいられないと行動を起こそうとしている。自分達の力でガイオウガを復活させると」
     とはいえ、イフリートの思考は獣同然。
    「彼らには、クロキバみたいな知恵はないと思うけど……」
     輝の疑問に、剛は顎を引いた。
    「自ら竜種イフリートとなり、ガイオウガ復活の為にサイキックパワーを集めようと行動する……つもりのようだが、竜種化すると知性が下がり、短絡的な行動しか出来なくなるようなんだ」
     その説明に、輝はちょっと困惑している模様。
    「ということは」
    「大方、ただ暴れ回るくらいしかないだろうな……」
    「えー……」
     折角パワーアップしても、それはなんとも残念な。
    「今まで抑えられてた反動と、ストッパーがなくなった勢いってのは分からなくもないけど……それで根本の目的を果たすのは無理があるんじゃないかなぁ」
    「だろう? だから、お前達にはこれから源泉に向かって、イフリートの竜種化を阻止して貰いたい」
     灼滅者達の目標は、イフリートを説得して竜種化をやめさせること。
    「ただ、彼らは穏健派よりも好戦的だ。戦いの中で説得していくしかないだろう」
    「拳で語るとか、そういう……」
     仕方ないなぁと溜息をつく輝に、剛が口許を緩ませる。
    「そうだな。ただ、戦闘中も竜種化の為の力は溜まり続ける。10分程で竜種イフリートになってしまうだろうから、それまでにある程度のダメージを与えて竜種になってもすぐ倒されてしまうのでは、と相手に思わせることが出来れば、諦めるよう諭せるかも知れない」
     幸い、このイフリートは特別強力な訳でもなく、標準的な強さといったところのよう。
    「名前はヒノヤギ。猪突猛進で、良くも悪くも真っ直ぐな武闘派らしい性格のようだ」
     剛は最悪、説得出来なかった場合はこのイフリートを灼滅して欲しいと頼む。
    「竜種化してしまえば説得は不可能だ。時間切れになりそうなら、皆も気持ちを切り替えて欲しい」
    「気が逸っちゃってるだけならなんとか留めてあげたいけど、その時は仕方ないね」
     気持ちを固めたように、輝も顔を上げる。
     剛もしっかりと灼滅者達の顔を見た。
    「お前達には心情的に難しい決断を託すことになるが、竜種イフリートが無差別に暴れ回るようなことにでもなれば、被害は大きくなってしまうからな……頼んだぞ」


    参加者
    神羽・悠(炎鎖天誠・d00756)
    柳・真夜(自覚なき逸般刃・d00798)
    不動・祐一(炎撃武・d00978)
    三条・美潮(大学生サウンドソルジャー・d03943)
    竜胆・山吹(緋牡丹・d08810)
    栗元・良顕(仕上げはお母さん・d21094)
    アレス・クロンヘイム(刹那・d24666)
    北護・瑠乃鴉(黒狼童子・d30696)

    ■リプレイ

    ●夜明けは遠く
     並の人間は易々とは登れない切り立った崖を越え、更に奥へ。
     未明の山中、各々が手にする灯りだけが行く手を照らしていた。
     深い色を重ねた世界に、光を頼りに目を凝らせば、立ち上る湯気が微かに見える。
     白い湯気の源に、そのイフリートはいた。
    「スレイヤー……? ナニシニキタ」
     源泉で力を溜め始めたところで姿を現した灼滅者達の姿に、ヒノヤギは訝しげだ。
    (「イフリート……暖かそう。源泉も温かいのかな……」)
     白い息で少し曇った眼鏡越しに、栗元・良顕(仕上げはお母さん・d21094)がなんとなく思っている間に、アレス・クロンヘイム(刹那・d24666)は一歩前に出た。
    「ヒノヤギ、お前が竜種イフリートになるのを止めに来たんだ」
    「ぼくたち、竜種になってしまう前に、ヒノヤギさんに思い返してみて欲しいって思ったです」
     メンバーの中で一番小さな北護・瑠乃鴉(黒狼童子・d30696)も、真剣な目をしてそう言った。
    「オレヲ トメニキタノカ。デモ、ジャマハ サセナイ」
     湯を跳ね上げながら源泉から出てきたヒノヤギは、灼滅者達を追い払うつもりのようだ。
    「私は一般人ですから、出来ればお話で解決したかったのですが……仕方ありませんね。――柳真夜、いざ参ります」
    「まぁ、ハナっから戦いになるのは分かってたからな――鎖解く天啓の焔、炎鎖天戟『焔ノ迦具土』!」
     柳・真夜(自覚なき逸般刃・d00798)と神羽・悠(炎鎖天誠・d00756)の声を皮切りに、スレイヤーカードを取り出した面々は殲術道具を纏った。
    「ただ退いてくれじゃダメならやるしかねーッスわな」
     痛いのは回数が少ない方が有り難い、とオーラを纏った三条・美潮(大学生サウンドソルジャー・d03943)は肩を竦めた。
    「さぁ、どちらが強いかはっきりさせましょうか?」
     艶やかな漆黒の髪を棚引かせ、踏み出したのは竜胆・山吹(緋牡丹・d08810)。
     拳に宿す雷と変えた闘気を、炎の翼を広げたヒノヤギに叩き込む。
    「良い感じにこんがり焼いてやんよ!」
     続き炎を纏ったエアシューズ『韋駄天』で駆け、不動・祐一(炎撃武・d00978)が放ったレーヴァテインによる延焼がヒノヤギの焔とせめぎ合う。
     悠が『神戟・焔ノ迦具土』で捻りを加えた刺突攻撃、真夜がふわふわの玉飾りの付いた白い靴で流星の如き跳び蹴りを加えたのに連携して、アレスと瑠乃鴉のレーヴァテインと畏れ斬りが交差した。
    「ごめんなさい、ちょっと重いのです」
     プレッシャーを加えつつ、呟く瑠乃鴉。
     全てが完璧に命中した訳ではないが、まずまずだ。
    「竜化? 自棄を起こすなよ? ガイオウガ狙ってる敵も多いんだろ? お前が灼滅されちゃダメだろ? 微々たるサイキックパワーの代償に守り薄くしてどうする?」
     狙い通りに制約の弾丸を撃ち込みながら、美潮が投げ掛ける。
    「オレタチニハ アトガナイ。ダガ、ガイオウガサマサエ フッカツスレバ、スベテハ……」
    「本当に強いってのは、恥辱に耐えて最後にゃ絶対目的を達成するって事だろ。今は退け。耐えて力をつけろよ」
    「モウ タエルジキハ オワッタ!」
     諭す言葉を跳ね退けるヒノヤギに、良顕が高速で操るなんか錆びてるチェーンみたいな鋼糸が迫るが、これは獣が身を捩り掠めるだけに終わった。

    ●燃える想い
     黒い日本刀を構えながら、瑠乃鴉は口を開く。
    「ぼくたち灼滅者は、ガイオウガさんのことを、よく知りません。どういう考えを持っているのか、ぼくたちのお話を聞いてくれる方なのか、まったくです」
     真摯な語り掛けに、ヒノヤギの耳が揺れた。
    「でも、ぼくたちは、竜種となった方たちが、本能のおもむくままにしか暴れられない姿しか見ていません。もし、ヒノヤギさん達が竜種になって、ガイオウガさんが復活した時に、その力をガイオウガさんに向けてしまうかも知れないです」
    「ソレハナイ」
     ヒノヤギはきっぱりと言った。
    「オレハ、ガイオウガサマノ チトナリ ニクトナル。ガイオウガサマニ キバヲムク コトモナイ」
    「えっ……」
     その答えに戸惑いを見せる瑠乃鴉。
     そういえば、と一昨年から学園にいる者達は思い出した。
     仲間の一部が感じた予兆の中で、少女の姿をしたイフリートがそんなようなことを言っていたと。
    「でもな、俺が今迄に出会った竜種化した奴らは自我を失い、ただその場で暴走していたことは変わんねぇぜ。ヒノヤギ、お前も同じようになりたいってのかよ!」
     語尾を強めた悠に、ヒノヤギは軽く頭を振った。
    「ホカノテ アレバ ヤリタクナカッタ。ダガ、モウソンナコト イッテイラレナイ。クロキバガ シッパイシタカラダ」
     彼の口振りには、切羽詰まったものを感じる。
     と、何処を見ているか分からなかった良顕の焦点が、眼鏡越しにイフリートに向けられた。
    「あんまり考えなしに暴れるなってさ……そんなことばかりしてると、いずれ灼滅されちゃうよ……私は別に竜種化しようがしまいが、どっちでも構わないと思ってるんだけど……。するなら倒すだけで、しないのなら戦わないってだけだし……」
    「オマエ ナニガイイタイ」
     困惑と苛立ち交じりに、良顕を見遣るヒノヤギ。
    「ちゃんと今の状況を見て考えて、ヒノヤギ自身がやりたいようにしたら良いと思う……達成したいことがあるんだよね……それが上手く行きそうかで決めれば良いんじゃないかな……」
    「ソウオモッテイルナラ ジャマヲシナイデクレ!」
    「今のその方法で続けるのなら全力で邪魔するから……他のやり方を探してみるのも良いと思うよ……」
     ちくちく刺せるストローっぽい注射器を緋色に染め、良顕はヒノヤギの肩を突く。
     ドレインは大好きだった。暖かい気がするから。
    「私の好みだと……生きてる方が暖かいよ……」
    「……オマエ、ホントニ イッテルコト オレ、ワカラナイ。ヤリタイヨウニシロ イイナガラ ジャマスル。ナゼダ!?」
    「ヒノヤギさん、落ち着いて下さい」
     真夜が宥める。
    「竜種になれば確かに力は手に入るでしょうけれど。妨害者は未だ健在な状況で、その力を闇雲に振り回しても目的は果たせません」
     攻防の合間に、諭すよう告げる。
    「特にアフリカンパンサーからはまだ取り返していないのですから。力と引き換えに、知性と、戦士の誇りまで捨ててしまうつもりですか?」
    「ム、ムゥ……」
     彼女の言うことは尤もだったようで、ヒノヤギは耳を伏せた。
    「デモ、イマノオレタチ アイツラニカナワナイ……」
     迷いを見せたヒノヤギの攻撃に割って入った祐一が、ニッと口端を釣り上げる。
    「俺と約束しよーぜ、ヒノヤギ! 俺達と戦って、負けたら竜種になるのを諦める。俺たちに負けるような雑魚がパワーアップしても高が知れてるしな。せーぜージンギスカンになって終わりだろ。あ、ジンギスカンはヤギじゃなくてラムだっけ? お前が勝ったら俺がイフリートになってお前の配下になってやるよ」
    「ジンギス……ナニイッテル? オレガワカラナイ オモッテ、バカニシテルカ!?」
     ヒノヤギはイラついた様子で祐一を一瞥した。
    「オレ、テシタナンカ イラナイ。ナカマハ ヒツヨウ。デモ オマエ、ホンキジャナイダロウ」
    「ちっ、バレたか」
     確かに祐一は、闇堕ちする気なんてさらさらなかった。
     化物になってまで叶えたい望み。羨ましいね、方法はバカ丸出しだけどな、バカ丸出し!
     山奥で大人しく草でも食ってなヤギ野郎――そんな思いもあった。
    「ソンナヤクソク ナシ ダ!」
    「んなこと言って……結局お前はさ、努力を放棄して逃げてんだよ。クロキバの方が足掻いてるだけマシだな。クロキバをどうこう言う資格なんざねーよ」
    「オマエ……クワレタイノカ?」
    「あまり彼を煽らないでくれ、不動さん。俺達は喧嘩を売りに来た訳じゃない」
     山羊の目に殺気が宿ったのを察して、アレスが窘める。
     狙い澄ました一撃を放った後、美潮も声を上げた。
    「俺たちゃ仲良しごっこをしてた訳じゃねぇ。目的が違う、いつか別たれる縁かも知れなかったよ。そういう厄介事に挟まれながらガイオウガ復活を模索したクロキバの意思を何でわかってやれねぇ?」
    「クロキバ、チエガアル。オレタチヨリカンガエル。ダカラ、コラエテ マカセタ。ダガ、アイツハ ダイジナトコロデ シッパイシタ!」
     低く唸る獣に押されず、美潮は言い募った。
    「お前がクロキバに言われてただ待ってるだけの間、俺たちゃ色んなモンと戦って来た。経験と力があんだよ。何も準備してこなかった奴に負けねぇよ」
     その言葉を聞いたヒノヤギの目が、カッと見開かれる。
    「ヴェエエエェェ!! シッタヨウナコトヲイウナ!!」
     イフリートは激昂し、吼えた。
    「オマエニナニガワカル! オレタチガ、ズット ナニシテキタカヲ!!」
     その怒りは、彼らガイオウガを望むイフリートからすれば尤もなこと。
    「そうですよね。彼らは何もしてこなかった訳ではありません。この源泉だって……」
     かつて、各地の都市伝説を喰らっていたイフリートを灼滅した時のこと等を思い出し、真夜は呟いた。
     他の要因もあれど、もう結構前から彼らの為すことを悉く潰してきたのは、他でもない灼滅者達だった。
     その灼滅者達と折衝し、人類への被害を抑える形でイフリート達を押し留め続けていたクロキバの作戦も、先の戦いで灼滅者達の前に潰えた。
    「そうだ……なんで『まだ何もしてねー癖に』って決め付けちまってたんだ……」
     自分だって、その手の依頼を受けていたのに。
     悠は青い瞳に愕然としたものを浮かべ、『焉剣・神堕ノ咎』の柄を握り締めた。
    「クロキバハ バカダ! スレイヤーナドニ オモネラナケレバ、イマゴロ ガイオウガサマハ……!!」
     ヒノヤギは、荒れ狂うような勢いで攻撃を繰り出してきた。

    ●燃え盛る、想い
    「拙いね……」
     メディックとして回復に努めていた矢車・輝(スターサファイア・dn0126)が呟く。
     小次郎と銀嶺が仲間の回復を手伝ってくれていたし、義和と璃理も防御面でサポートしてくれたお陰で祐一の霊犬・迦楼羅が消滅した以外はまだ皆健在だ。
     だが、ヒノヤギも少しずつ押されながら、思った以上に粘っている。
     7分、8分、時は刻々と過ぎていた。
    「私達の方が上のようね。竜種になってもバカになるだけで、ガイオウガ復活出来ないわよ。竜種になるのを止めるなら見逃すわ」
    「ミノガス? ナニサマノツモリダ!!」
     怒り心頭のヒノヤギに、山吹は更に言葉を重ねる。
    「自分の信じる『ガイオウガ復活』という目的の為に手段を選ばない純粋さは、好ましいと思うわ。でもね、ただ暴れまわるだけの理性の無い獣は要らないのよ」
    「イラナイノハ、オマエタチダ! サッサト ココカラ サレ!」
     あくまで彼を屈服させようと迫る山吹の態度を見て、ヒノヤギは更に業火を滾らせた。
    「確かに拙いな」
     アレスも懸念していた。
    「あんなに怒っていたら、冷静な判断は出来ないかも知れない……」
     もし自らに分がないと悟れたとしても、思い止まることが出来るのだろうか?
    「お前の怒りは尤もだ。だが、その体でこちらの攻撃に耐えられるかな?」
    「ウルサイ!」
     アレスの声も振り切って、ヒノヤギは炎を撒き散らした。
     刀の鍔に指を掛けた竜鬼は、時を見極めるように見守っている。
    「くそっ、分かってくれよ!」
     歯噛みしながら悠が振り下ろした一撃は、本来ヒノヤギを灼滅する筈のものだった……が、その攻撃の直後、彼のダメージは癒された。
     手加減攻撃で倒したダークネスは灼滅されず、衝撃ダメージの分回復した状態になるのだ。
     驚いた様子ながら、ヒノヤギは戦闘態勢を解かない。
     9分……。
     その目には、依然刺すような光が入り混じっている。
    「スレイヤー……ナゼ、オレヲ コロサナカッタ?」
    「お前を助けても俺らにメリットは無いけど、お前の熱く強い想いは伝わった! だからこそ、無謀な真似をしてるお前を止めたい! それだけだ!」
     悠は半ば叫ぶように告げた。
    「……オマエタチノ カンガエルコト ワカラナイ。ダガ……」
     仄かな逡巡と苦悩。
     もし、もう少しヒノヤギの心が灼滅者達の言葉に傾いていれば。
     悠の声は、瀬戸際で彼を押し留める決定打になり得たかも知れない。
     灼滅者達の言葉は、決して全てが無駄だった訳じゃない。
     中にはヒノヤギにも響いたものがあった筈なのだ。
     けれど……。
    「モウ オソイ」
     10分。時は無情だ。
     ヒノヤギの後方、源泉の方から、熱気のような気配が這い上がってきていた。
     それは瞬く間に彼を包む炎へと変わり、獣のシルエットが変容し始める。
     より大きく、原始的な姿に。
    「ヒノヤギさんっ!」
     木霊して悲痛な色を帯びる瑠乃鴉の声。
    「トメタイト イウナラ、ナゼ オコルヨウナコト イッタ」
     獣の呟きも、何処か悲しげで……それが彼の意思ある最後の言葉となった。
     間を置かず炎を裂くように現れたイフリートは、恐竜のような姿と化していた。
     その咆哮は清しい空気を乱し、灼滅者達の肌に突き刺さる。

    ●燃え尽きる、想い
    「こうなっては仕方ない」
     それまで後方の木の下で静かに見守っていた竜鬼が、刀を抜き戦いに合流する。
     竜種イフリートと化したヒノヤギは、目の前にいたサイキックを放つ生き物――灼滅者達――を真っ先に標的にした。
     その様は一方的な蹂躙に近く、なんとか対抗しようとした灼滅者達に容赦なく深い爪跡を残していく。
     猛攻にディフェンダーの祐一は倒れ、アレスも一度は踏み止まったものの、後がない。
    「これはもう、受け流すどころの話ではないな……」
     吹っ飛ばされ、立ち上がりながら溜息をつく義和。
    「一気にこんなに持ってかれちゃ、回復が追い付かねぇ!」
    「……」
    「まだまだですよ☆ マジカル・クルエル・ヒーリング♪」
     小次郎が思わず本音を零す横で黙々とヒールサイキックを放つ銀嶺と、この状況でもノリノリな璃理。
    (「このままでは全滅か、そうでなくとも荒らすだけ食い荒らした勢いのまま何処かに行ってしまいそう……」)
     真夜は旗色の悪さに、覚悟を決めるしかないだろうかと、拳を握り構え直しながら思った。
    「ダメだよ……」
     ぽつりと零された言葉に、真夜ははっとして振り返る。
    「輝?」
     輝はその目に暗いものを澱ませ、表情を失っていた。
     あぁ、そうか。彼も自分と同じように崖っぷちに立たされている心境なんだ、そう悟る。
    「彼らだって、今まで色々やってきたり、大事な場所を追われたり……最近はずっと我慢してたんだ。それが本当に自分達の利になるか分からなくても。でも、こうなってしまったらもう、誰もが幸せな結果になんてならない」
     輝が歯を食い縛ったその時。
    「馬鹿野郎……」
     誰に対してなのか、何に対してなのか。
     地の底からのような低い呻きに、輝は目を見開く。
    「悠、さん……」
     仲間達の視線の中心で、悠はもう変わり始めていた。
     雰囲気が、その姿が。
     炎纏う半獣へと転じゆく悠は、風のようにヒノヤギに飛び掛かっていく。
     それはもう、獣と獣の戦いだった。
     互いに喰らい合い、撒き散らした炎が周囲の草を焼き、茂みを焦がし、易々と木々を薙ぎ倒した。
     その合間に、まだ健在だった灼滅者達は傷の回復を急いだ。
     どうしますか、と真夜が皆に視線を巡らせる。
     その間にも、激しくぶつかり合った1人と1体はそのまま源泉に突っ込み、派手な飛沫と大量の湯気が上がった。
     ヒノヤギの負傷具合を見たアレスが、重い口を開く。
    「竜種化した彼も、神羽さんのことも放っておけない……このまま押し切ろう」
    「ヒノヤギも元々無傷じゃなかったものね。灼滅出来るまで戦うまでよ」
     同意した山吹も、交通標識を構えた。
     それから灼滅者達は、2体のイフリートの激闘の隙を縫うように攻撃を重ねていった。
     壊アップを乗せまくった山吹が道を切り開き、皆少しでも確実なダメージを与えていく。
    「ヒノヤギさん、ごめんなさい……っ!」
     大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、瑠乃鴉は様々な畏れを纏った『黒雛』を勢いよく振り下ろす。
     ヒノヤギは一際大きく叫び、仰け反る。
     そのまま源泉の中にどうと倒れ、撒き散らされた湯が漂わせる白い空気の中で前足を痙攣させた。
     山羊の目が光を失い、巨体が燃え尽きていく。

     灼滅者達は被った湯に濡れたまま、佇んでいた。
     ここへ来た時とはひとり足りない人数で。
     彼らの性質や今までの約束事を思えば、ヒノヤギ1体を灼滅したところでイフリート達との関係が即変わるということはないだろうが。
    「出来れば説得して収めたかったですね……」
    「そうだね……でも仕方なかったんだと思う」
     やるせない気分で紡いだ真夜に、輝は瞼を伏せた。
    「わかりあえたら、よかったのに……」
     声も肩も震える瑠乃鴉の側で、良顕は何処か上の空な様子で源泉を見た。
     減っていた湯量は、湧き出る源が何処かにあるのか少しずつ戻ってきているように見える。
    「源泉、熱かったな……熱すぎた……かも」
     ヒノヤギの焔も想いも、暖かいというには激しかった。
     なのに、身体の芯が寒い時のように震えるのは、どうしてだろう?
     掛ける言葉がない。
     アレスは2人の少年の肩に、そっと手を置いた。

     やがて山間から曙光が溢れ出し、薄暗い源泉の周囲にも光が差してくる。
     新たな朝だ。
     けれど、その泉を守っていたイフリートは、もういない。

    作者:雪月花 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:神羽・悠(炎鎖天誠・d00756) 
    種類:
    公開:2015年1月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 1/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 3
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ