凍れる温泉郷、ひとすじの焔

    作者:悠久

     早朝。厳しい寒さに包まれた奥日光、湯元温泉郷。
     湿原に点在する源泉から上がる、白くもうもうと湧き立つ湯気の中、ひとつの人影が揺らめいていた。
     燃え盛るようにうねる赤い髪は長く、その体は頑強でありながら肉感的な女性のそれだ。
    「……クロキバ、負ケタ! 許サナイ!!」
     激しい怒りに燃える双眸は金色。情動に突き動かされるまま、女性は源泉を覆う屋根を力任せに剥がした。
    「アンナ奴ニ、ガイオウガ様、任セラレナイ!」
     熱い湯と共に湧き上がるのは、力。
     今よりももっと強く、強く――誰も敵う者はないほどの力を手に入れれば、自らの目的が達せられると、純粋なまでに信じて。
     やがて、その肉体はゆっくりと伝説の『竜』を思わせる風貌へと変わっていく。


    「皆、まずは武神大戦獄魔覇獄の勝利、おめでとう」
     教室に現れた宮乃・戒(高校生エクスブレイン・dn0178)は書類片手にそう切り出す。だが、心なしかその表情は暗い。
     ――と、いうのも。
    「獄魔大将であったクロキバが敗北した事で、イフリートの穏健派が力を失ったようなんだ。残された武闘派のイフリート達が、自分達の力で、ガイオウガを復活させる為の行動を始めるらしい」
     その方法とは、自らが竜種化イフリートとなること。
     竜種化イフリートとなると、知性が大幅に下がり、目的を果たす為に短絡的に行動するようになる。今回の場合は『ガイオウガ様復活の為に、多くのサイキックパワーを集めようと暴れまわる』事になるだろう。
     もちろん、こんな方法でガイオウガ復活を果たすことはできない。
     だが、穏健派に抑えられていた反動と、それが失われた勢いで、実行してしまうイフリートが多数出てしまうという。
    「だから、皆には、源泉に向かってイフリートの竜種化を阻止して欲しい」
     今回、イフリートが現れるのは、奥日光にある湯元温泉だ。
     源泉は温泉街のはずれ、湯ノ平湿原の中に屋根で覆われるかたちで点在している。湿原といっても観光客のために足場は作られているし、出現時刻が早朝のため、周囲に人が近付く心配は皆無だろう。なにせこの時期の奥日光はとてつもなく寒い。
     出現するイフリートは女性の姿をしており、ファイアブラッドのサイキックを使用する。特に強くも弱くもない――普段から対峙する個体と同程度の力を持つが、ひとつだけ問題がある。
     戦闘開始から10分が経過すると、源泉の力により竜種化してしまい、戦闘力が強化されてしまうのだ。
     竜種化してしまえば、もはや理性は欠片も残らない。
    「でも、戦いの中でこちらの実力を見せて、『竜種化してもすぐに倒されてしまうのでは?』と相手に思わせることができたら、竜種化をやめるよう説得する事も可能だよ」
     最初から話が通じればそれが一番なんだけどね、と戒はため息ひとつ。相手はいわゆる『脳筋』のイフリート、殴ってわからせければいけないらしい。
    「説得か灼滅かは、現場の状況で判断して欲しい。竜種化してしまったら説得はできなくなるから、無理だと思ったら灼滅の方向に気持ちを切り替えることも重要だと思う」
     ごくり、誰かが息を飲む音がする。
     緊張に満ちた灼滅者達へ、戒はいつもどおりに告げる。
    「いずれにせよ……僕は、君達の活躍に期待しているよ」


    参加者
    ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)
    氷室・翠葉(キュアブラックサンダー・d02093)
    四天王寺・大和(聖霊至帝サーカイザー・d03600)
    リステア・セリファ(デルフィニウム・d11201)
    中川・唯(高校生炎血娘・d13688)
    居木・久良(ロケットハート・d18214)
    氷見・千里(檻の中の花・d19537)
    ファムネルエルシス・ゴドルテリアミリス(わんわんにゃぁにゃぁ・d31232)

    ■リプレイ


     早朝――奥日光、湯元温泉郷。
     湿地の中、点在する源泉を覆う屋根の隙間からは、もうもうと上がる白い湯気。空気は冷たく凍り付き、周囲の山々と大地は純白に染まる。
     濁ったような薄灰色の空を、氷見・千里(檻の中の花・d19537)は静かに見上げていた。
     その唇からも白い吐息。ずっと隣にいた『彼女』は、今はもう、いない。
     1人で大丈夫だろうか、と。冷気と共にしんしんと押し寄せる不安がある。
    (「……大丈夫だ、きっと。もう大丈夫だと、別れるときに言ったのだから」)
    「千里、大丈夫? 体冷やし過ぎちゃダメだからね」
     元より口数の少ない千里を気遣うように、氷室・翠葉(キュアブラックサンダー・d02093)はそっと彼女の隣へ。
    「はぁ……寒い。温泉、と言っても入浴するために行くわけじゃないのがなぁ……」
     千里の選んだ別離を知っている。だからこそ――大丈夫? なんて、軽々しく口にはできない。
     ただ傍にいて、『彼女』の代わりに千里を守る。もしもつらいなら助けてあげたいから。
    「それにしても冷えるっすね。目が覚めるっす。皆さん、使い捨てカイロいかがっすか?」
     ぶるりと身を震わせ、ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)は仲間達を見回す。
     とはいえ、すぐにこの冷えた空気が恋しくなることだろう。
     白く霞む景色の向こう、源泉の傍らにゆらりと浮かぶのは、ひとつの人影。
     女性だ。その周囲に立ち上るのは溢れんばかりの熱気。凍る世界を溶かすほどの。
    「おはようっすよ。イフリートの姐さん」
     ギィの呼びかけに、女性――いや、炎獣は明かな怒りの気配を見せる。
    「……灼滅者!? ココデ何シテル!」
    「お姉さんのこと、止めに来たの。むやみに暴れられると困るんだよね」
     と、中川・唯(高校生炎血娘・d13688)は探るように相手を見つめ。
    「お姉さんはクロキバさんが何でわたし達と手を組んでもいいと考えたのか、わかってる?」
     クロキバも目の前の炎獣も、目的は同じ『ガイオウガの復活』。そこに至るまでの手段が力ずくか否かの違いは、些細ながらひどく断絶している。
    「竜種化みたいに敵を増やす行動は、目的から遠ざかると思うけど。どう思う?」
    「ダマレ! ガイオウガ様ノタメ、誰ヨリモ強クナル!」
     やはりと言うか、炎獣は聞く耳持たないようだ。むしろ、灼滅者達への敵意を強めるばかり。
    「考エル必要ナイ! 考エタクロキバ、負ケタ!!」
    「所詮は獣か……」
     リステア・セリファ(デルフィニウム・d11201)は呆れたように首を振った。赤い髪が鮮やかな彩を散らす。
     リステアにとってイフリートは怨敵。だが、彼女の目から見ても、大局的に物事を捉えているのはクロキバの方だと思えて。
     けれど――と、居木・久良(ロケットハート・d18214)は少しばかり申し訳ない気持ちになる。
     結局のところ、求めているものは灼滅者達にとって都合の良い結果だ。
    (「ガイオウガを復活させたくないって言うのも、クロキバを助けたいって言うのもどっちも本当の気持ちだしね」)
     それでも。
     たとえ相容れないとしても今はまだ争いたくない。それを理解してもらうために、戦う。
    「邪魔ハ、許サナイ!!」
    「竜だろうがなんだろうが、おいら達の敵じゃないわん」
     怒りに燃える炎獣へ、ファムネルエルシス・ゴドルテリアミリス(わんわんにゃぁにゃぁ・d31232)の左手、犬のパペット『わん』が勇ましくそう告げて。
    「さて……分からせるか」
     スレイヤーカードをベルトに挿した四天王寺・大和(聖霊至帝サーカイザー・d03600)が青い炎に包まれる。
    「灼装……聖霊、至帝! サー、カイザー!!」
     容赦はせんで、と大和は腰の刀を掴み、抜刀。獣の姿へ変じ、凄まじい勢いと共に襲い来る炎獣へ、上段から素早く重い斬撃を振り下ろした。


     自らの背を切り裂き炎の翼を顕現させ、炎獣は灼滅者達へ飛び掛かる。
     燃える前脚を西洋剣で受け止め、翠葉は破邪の白光を放つ斬撃を返した。
     正直なところ、翠葉にこのイフリートを助けようという気持ちはない。少し説得したくらいで、考え方や気持ちが変わるとは思えないからだ。
    「悪いけど、倒すつもりで行くよ」
     とはいえ、絶対に灼滅したいというわけでもない。それは、凛と立ち向かうリステアも同じこと。
     忌まわしき炎獣は、常ならば滅ぼすべき相手。けれど、今のリステアは1人の灼滅者であると同時に武蔵坂学園の生徒だ。灼滅を望まない仲間がいるのであれば、その意志は尊重する。
    「でも、暴れる気なら容赦しないわ」
     長柄の大刀(ロンパイア)に青い炎を纏わせ、リステアは狙い澄ました斬撃を繰り出した。
     その身を炎纏う刃に切り裂かれてなお、炎獣は怯むことなく鋭い爪を振るう。咄嗟にそれを受け止めたのは、ファムネルエルシスの『わん』。
    「にゃはは、姿形を変えた所で無駄にゃ」
     と、間髪入れず、右手の猫パペット『にゃぁ』が神霊剣で反撃。炎獣の纏う炎の翼をかき消した。
     だが、敵の勢いは留まるところを知らず。
     前衛目掛け荒れ狂う、炎の奔流。それが収まると同時、千里は西洋剣を掲げ、前線で仲間達を守るディフェンダー陣の炎を振り払うべくセイクリッドウインドを生み出した。
    「……大丈夫。私が、皆の背を守る」
    「最初から全力だ、出し惜しみはしない」
     祝福の風に背中を押されるように、久良が戦場を見据える。
    「あなたに、しっかりとわかってもらうためにね」
     相対する炎獣の瞳を真っ直ぐに見つめ、口にするのは誠実な言葉。その意志を示すように、構えた454ウィスラーから放たれた弾雨が戦場を蹂躙した。
     銃撃の間隙を縫うように駆け抜けるのは、サーカイザーに変身した大和と相棒のカイザーサイクル。
    「ホイール・ビーム!」
     高らかな言葉と共に、両肩の車輪からリング状の光線が放たれる。命中と共に炎獣の体は強かに地面へ叩きつけられた。と、そこに迫るはライドキャリバーの突撃。
     1人と1台、決して容赦も油断もせずに攻撃に集中する。10分の後、炎獣から竜種へ変じる意志を失わせるためだ。
     大和のご当地ビームを受け、炎獣は怒りのまま強大な咆哮を上げた。
     だが、無敵斬艦刀の間合いを保つギィは、その姿に僅かに眉をひそめて。
    「……あんたらも、鶴見岳でソロモンの悪魔から逃げ出したことのある口でやしょうに」
     ぴくん、と炎獣の毛並みが跳ねた。
     鶴見岳での敗走を発端として箱根に逃れた炎獣の一派との関わりをきっかけに、武蔵坂学園はクロキバと奇妙な縁を結んだ。
    「戦いは常に勝つか負けるか。一度負けたくらいで相手を見限るなんて、了見狭くないっすか?」
     言葉と共に放たれた斬撃が、炎獣の体へ消えることない炎を刻み付ける。
     続け様に伸ばされるのは唯の影業。どこか躊躇う素振りを見せた敵を、一瞬で飲み込んだ。
    「クロキバさんが何をしたいのか。ちゃんと聞いたほうがいいんじゃない? 目的は同じなんだから」
     霧散するように影が消えてもなお、炎獣は自らを苛むトラウマに苦しめられて。
     炎、武器封じ、トラウマ……徐々に増えゆく行動阻害は、確実に炎獣の戦力を削いでいた。
     自らの狙いが効果的であることを認め、唯は再び走り出す。その手には解体ナイフ。
     ――最初こそ互角だった戦いは、徐々に灼滅者達の有利へと傾き始めていた。


     炎獣の体に、炎が激しく燃え盛る。自らの生み出したものではない、灼滅者達の手によるものだ。
     時間と共に苦痛は増していく。痛みのためか微かに身を捩りながらも、炎獣から戦う意志が消える気配はない。
     だが――。
    「これでわからせるよ、オレの方が熱い!!」
     久良は炎獣目掛け大きく踏み込み、ロケットハンマーが真っ赤になるほどエンジンを吹かす。
     炎獣が反応するより早く、その脳天に力いっぱい振り下ろされるハンマー。
     押し潰されるように地面へ伏した炎獣は、よろめきながらも、体勢を立て直そうと四肢を踏ん張らせた。
     だが、追い打ちを掛けるように鬼神変を叩き付け、リステアはきつく吐き捨てる。
    「アナタは私たちに負けたクロキバを嫌ってるみたいだけど、クロキバの方がよほど強かったわよ?」
     負ける気はない。こんな、理性を捨て去ろうとする、ただのけだものには。
    「例え竜種になろうが私がアナタを滅ぼす」
    「数は力、だよ」
     間髪入れず縛霊撃を繰り出すと、唯は網状の霊力に捕縛された炎獣の瞳を真剣に見つめた。
    「1人じゃ、わたし達には勝てないよっ!!」
     炎獣の胴を縛霊手が抉るたび、ぱっと火花が飛び散る。
    「強クナル……今ヨリ、ズット、ズット……!」
     だが、炎獣はなおも怯むことなく、灼滅者達へ炎の奔流を放った。
     後衛へ襲い来る炎流。千里の元へと届く刹那、翠葉はその前に立ち塞がり、自らの身で攻撃を防ぐ。
    「大丈夫、千里?」
     顔だけで振り向き千里の様子を確認すると、翠葉は素早く鋼糸を繰り、炎獣を追い詰めるようさらに縛めた。傍らでは佐藤さんがふわふわハートを飛ばし、翠葉を始めとしたディフェンダー陣の回復に急ぐ。
     翠葉の呼びかけに小さく頷いた千里は回復の手を止め、攻撃のため日本刀を構えた。
    「私達はまだ未熟だ」
     鋼糸に縛められた炎獣を凛と見据え、一瞬の後に抜刀。光の如く閃く斬撃。
    「……だが、未熟な私達が、貴方を倒す」
     千里は――灼滅者達は、その力を以て選択を迫る。
     竜種になってすぐ倒されるか、無駄だとわかって諦めるか。もはや結末はその2つだけ。
    「さて、どうする?」
     探るように敵を見つめる翠葉。
    「竜種に変わったところで、すぐに灼滅するっすよ」
     ギィは無敵斬艦刀『剥守割砕』を上段に構え、炎獣の脳天目掛け振り下ろす。
    「そうなれば、ガイオウガの為に働く事は出来なくなるっす」
     ――ガイオウガ。炎獣の体がぶるりと大きく震えたのは、斬撃の余波のみならず、その名に反応してのことだろう。
     またも灼滅者達へ飛び掛かる炎獣。だが、そこに僅かな迷いが生まれたのを、『わん』で攻撃を受け止めたファムネルエルシスは見逃さない。
    「……本当に、この方法で目的を果たせると思っているのですか?」
     パペット達の口を借りてではなく、自らの言葉で向ける問い。返す刃は、相手を灼滅することのないよう手加減されて。
     ――『相手が竜種化を止めるべきか悩んでいる素振りがある』。
     それが、あらかじめ事前に打ち合わせておいた、手加減攻撃を行うタイミング。
     時計を確認すれば、戦闘開始から8分が経過している。ここで一気に決める、と大和は一息で踏み込んだ。
    「残念やが……お前が竜種化しようと、俺らは負けん」
     ぴたり。瞬時に抜き放った日本刀の刃を、負傷にふらつく炎獣の首筋へ当てる。その毛並みが逆立ったように見えたのは、錯覚か、それとも。
     大和が判断するよりも早く、炎纏う獣の体からゆっくりと力が抜けていく。
    「……ワカッタ、灼滅者。ワタシノ、負ケ」
     間もなく人型へと戻った炎獣の女性は、力なく肩を落とした。
     燃え盛るような色の髪が、どこか生気なく垂れ下がる。


    「改めて見りゃええ女やん。その姿が一番似合うで?」
     サーカイザーへの変身を解除した大和が、人の姿へ変じた炎獣を眺め、どこか軽くそう口にする。
     が、すぐに真面目な表情を浮かべて。
    「さて、俺らに負けたんやから、もうこんな力ずくの方法は取らんと約束してくれるな?」
    「……ワカッタ。傷モ、深イ。シバラクハ養生シテイヨウ」
     どこか項垂れて見える炎獣の女性の瞳を、武器を収めた久良が真っ直ぐに見つめる。
    「もう一度、クロキバを信じて欲しい」
     炎獣はその言葉に返答することなく、源泉の背後に繁る山林へと姿を消した。
     その背を見送り、久良はぽつり。
    「たぶん俺は甘いんだろうけど、ね」
    「イフリートとの関係はどうするべきなんでやしょうね?」
     ギィもそう嘆息する。結局のところ、武蔵坂学園としてはイフリート達の目的、ガイオウガの復活を許すわけにいかない。
    「いつかは、学園と全面戦争することになるかもしれないでやすし」
    「そのときは、今度こそ容赦せずに灼滅するだけよ」
     引き絞った弓弦のように張り詰めた、リステアの声。青い瞳は炎獣の消えた方角をきつく見据えている。
    「お疲れ様でした、にゃぁさん、わんさん」
     と、ファムネルエルシスは両手のパペットに優しい眼差しを向けて。
    「お疲れ様」
     翠葉は千里の傍らに立ち、優しくねぎらいの言葉を掛けた。
     千里は無言のままこくんと頷く。友人の優しさを、労わりを肌で感じても、まだ素直に甘えることはできなくて。
    「んじゃ、風呂でも入って帰るか」
     大和の言葉にそれぞれ頷く灼滅者達。
     歩き出す仲間達に続こうとした唯が、ふと足を止める。
    (「わたし達はどこに向かってるんだろう」)
     ――穏健派、武闘派、ガイオウガの復活。武蔵坂学園の灼滅者として、いつか突き付けられる選択。
     白く凍る景色から、その答えが返ることはない。

    作者:悠久 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年1月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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