知の館を守れ

    作者:柚井しい奈

     窓ガラスが音を立てて割れた。くるりと回転する山羊の足。木製のテーブルに散らばった破片が冬の日差しを反射してきらめいた。
     等間隔に並んだ背の低い書架の上をつぎはぎの獣達が移動する。
     山羊の足が動く。蹄に引っかかった本が床に散らばった。北海道、札幌・小樽……地名の入ったタイトルが食い破られた。咀嚼音。無人だった館内にもはや静寂などない。
     獣――ブエル兵は次から次へと本を表紙ごと貪った。
     
    「正月早々ですが、皆さんのお力が必要となりました」
     今年もよろしくお願いします。それでも新年の挨拶は忘れずに、隣・小夜彦(高校生エクスブレイン・dn0086)は一礼の後にバインダーを開いた。
     判明したのはソロモンの悪魔・ブエルの動きだ。獄魔大将として灼滅者の記憶にも新しいだろう。
    「ブエルは武神大戦の戦いで力である知識の多くを失ってしまったらしく、知識の再収集をするために、ブエル兵を図書館へと放ったようなのです」
     幸いにも図書館の多くは年末年始で休館中だ。人的被害はない。だが、放置すれば襲われた図書館の蔵書全てが犠牲になってしまう。
     小夜彦が眉間にしわを寄せた。
    「学習、研究、娯楽……知識を求める全ての人の利用に供するのが図書館です。その財産を文字通り食いつくそうなど……いえ、失礼しました」
     職員や利用者の落胆はもちろんのこと、ブエルが力を取り戻すのも避けたい。
    「皆さんには図書館の防衛に参加してもらいたいのです」
     目的の図書館までの地図を机に広げ、一同を見渡す小夜彦。町立で平屋建てのこじんまりした図書館だが、低い書架を採用した開放感のあるつくりをしており、住民にも親しまれているらしい。
     ブエル兵は窓から侵入し、手近にある旅行誌や紀行のコーナーから書物を食い荒らそうとしている。近くには児童書コーナーがあり、読み聞かせスペースを利用すれば本の被害を減らせるだろう。
    「現れるブエル兵は4体です」
     近距離で山羊の足を回転させることによって追撃を食らわせる打撃と吹雪を起こす遠距離攻撃、それに範囲の味方を回復する技を持っている。
    「皆さんなら後れを取ることはないと信じています。俺にはこれ以上のお手伝いはできませんが、どうか被害を食い止めてきてください」
     深々と頭を下げて、小夜彦は灼滅者を見送った。



    参加者
    三兎・柚來(無垢な記憶の探求者・d00716)
    神坂・鈴音(魔弾の射手は追い風を受ける・d01042)
    錠之内・琴弓(色無き芽吹き・d01730)
    暴雨・サズヤ(逢魔時・d03349)
    ユリアーネ・ツァールマン(咎負の鳥・d23999)
    月島・海碧(凍刻の狂詩曲・d26917)
    月夜野・噤(夜空暗唱数え歌・d27644)
    凍月・緋祢(コールドスカーレット・d28456)

    ■リプレイ

    ●静寂を破るもの
     休館中の札を下げたチェーンをまたぐ。1台も車の止まっていない駐車場に立つと、その建物は一層こじんまりしているように見えた。
     町の人たちが大事にし続けているからこそ成り立つのだろう。暴雨・サズヤ(逢魔時・d03349)は口元をストールに埋めたまま建物を見渡した。
     窓越しに見える整列した書架。ぴたりと閉じた自動ドアの向こうには新年の開館カレンダーに読み聞かせ会のポスター。
     歩を進めながら神坂・鈴音(魔弾の射手は追い風を受ける・d01042)は眉を吊り上げた。
    「ピシッと詰まった本棚って見ていて気持ちがいいのに、それを荒らすどころか、からっぽにするなんて許せないわ!」
    「知識とは、自ら深めていくものであり、手軽に貪り喰らおうとは無粋にも程があります」
     月島・海碧(凍刻の狂詩曲・d26917)が頷けば、胸元で懐中時計が揺れた。
     ブエルを回復させるわけにいかないのはもちろんだが、本を守りたいというのもまた灼滅者の一致した気持ちだった。囮に持ってきた古新聞を持ち直す錠之内・琴弓(色無き芽吹き・d01730)。
     横に回り込めば事務室らしき窓はブラインドにさえぎられ、鉄製の通用口からも中の様子はうかがえない。建物の外側を一巡りして、一同は顔を見合わせた。
     凍月・緋祢(コールドスカーレット・d28456)が思案げに表情を曇らせる。
    「さすがにどこもきちんと戸締りされていますね」
     できることなら事前に館内に入って下準備をしたかったのだけれど。
    「窓なり鍵なり、どこか壊さないと入れそうにないか」
    「……です」
     ユリアーネ・ツァールマン(咎負の鳥・d23999)の指摘に、月夜野・噤(夜空暗唱数え歌・d27644)の頷きは戸惑いを含んでいて、巡る視線が問いかける。
     ブエル兵が突入する予定の窓を割れば被害は増えないけれど、さすがに気づかれるだろう。なら他の場所を壊してでも入るのか?
    「ここで考えてたら、ブエル兵が来ちゃう……かも」
     ことりと首を傾ける三兎・柚來(無垢な記憶の探求者・d00716)。外で見つかって逃げられでもしたら、どこでどんな被害が出るかわからなくなってしまう。
     もとより、可能ならばという程度で考えていたことだ。一同は頷くと建物の影へと移動した。
     やがて近づく気配。
     ガラスの割れる音を合図に、灼滅者達は駆け出した。

    ●本を守れ
     ガラス片の残る窓枠に足をかけながら噤がサウンドシャッターを使用する。音の閉じた館内に響く靴音はガラスまじりで耳障り。かまわず飛び込めば、先頭のブエル兵が書架に並ぶ本を蹄にかけているところだった。
     無造作に力を加えられた背表紙が歪んで、床に落ちる。獣が顎を大きく開けて。
    「そこまでにしてもらおうか」
     眉を吊り上げ、ユリアーネが交通標識を掲げた。標識は青。ばらまかれた光線にブエル兵が振り返る。
     書架の前にサズヤが体を割り込ませた。山羊頭の前に広げたのは持ち込んだ地図帳。
    「……こっち」
    「ここの本は、皆のもの……だから食べちゃダメ、だよ?」
     一撃加えた柚來が跳ねるように一歩下がる。視線だけを動かして、読み聞かせスペースの場所を確認した。日当りのいい場所にパステルカラーのカーペットが広がっている。
     蹄持つ足が回転する。耳障りな呻き声が空気を震わせた。
    「こっちにおいでなんだよ」
     シールドで書架の前にいるブエル兵を殴りつける琴弓。
     回転数を上げたブエル兵が反撃しようと前に出る。4体ともが書架から離れたのを見て、緋祢はマテリアルロッドを構えた。開けた場所に誘うべく、じわりと一歩後ろへ。
    「あなた方の運命は……ここでお終いです」
    「マナーも守れぬ無粋な来訪者には早々に退館していただきましょう」
     海碧が目を細めるや、前に出たブエル兵の周囲が一瞬にして冷え込む。毛皮が白く凍りつき、軋みをあげた。
     持ち込んだ古新聞をカーペットの上に投げ、鈴音は交通標識を一振り。
    「『横風注意』! ブエル兵の知識に叩き込んであげてね!」
    「ん」
     サズヤのエアシューズが炎を纏う。灼滅者達が最初に狙いを定めたのは守り手に位置するブエル兵。攻撃を叩き落とそうと回転を速める足に火の粉が散った。
    「持ってきた雑誌なら、食べてもよかったんだけど、ね?」
     柚來が細身のロッドを振り下ろす。溜まってしまった音楽関係の古雑誌だから丁度よかったんだけど。虚空で足を回転させるブエル兵達は敵を前にして知識を貪るほど愚かではなかったらしい。
     それならそれで、この戦いに勝ちさえすれば図書館の本に被害を及ぼさずにすむというもの。灼滅者達の攻撃に力がこもる。
     後ろにいたブエル兵が笑い声を上げた。古びたちょうつがいのように軋んだ嘲笑が傷を癒す。
     集中攻撃を受けたブエル兵も自ら回復する一方で、火力の高い2体が吹雪を放ち、蹄を振り下ろす。怒りにまみれた攻撃が重なり、ユリアーネは息を詰めた。透き通る翼をひとつ震わせ、氷を払い落とす。指輪から生み出した魔力はナイフのように鋭く毛皮を切り裂いた。
     いくら防御を固めているとはいえ、全員で集中攻撃すれば氷まみれのブエル兵は次第に動きを鈍らせる。
     さらに攻撃を加えようとして――。
     別のブエル兵が琴弓の背をしたたかに打ち据えた。すばやく回転する足が追撃を加える。
    「っ、今はだめなんだよ」
     ポニーテールが跳ねる。体勢を整えながら足元でうごめく影に言い聞かせた。短く強く息を吐いて、体力を回復させる。
    「その力は……削いでおいたほうがよさそうです」
     緋祢が右足を一歩踏み込み、体をひねった。蹴り上げた左足は激しい風を呼び起こし、小さな竜巻となってブエル兵を守りごと薙ぎ払う。氷が軋んで山羊の口から苦悶の声が零れた。嘲笑が響くたび積み重なっていた力が薄れる。
    「みんなに力を!」
     噤の体から吹き上がった白き炎が前に立つ仲間を包み込んだ。駆ける菫色。予知を阻む力を借りて、サズヤのウロボロスブレイドが蛇のごとくしなる。巻きついた刃が毛皮に食い込み、肉を切り裂く。悲鳴を上げた山羊頭に炸裂する鈴音のダイダロスベルト、夢幻橋。
    「……ん」
    「ダイちゃんっ!」
    「ギ、……ガアァッ!」
     絶えず回転していた足の動きが緩やかになり、地に落ちると同時にその姿は掻き消える。これで1体。
    「次は回復役ですね」
     海碧が指を伸ばす。熱を奪われた毛皮に霜が降りた。このつぎはぎの獣は知識を文字通り喰らい尽くそうとするだけで、著者の苦労も、印刷して製本されるまでに込められた思いも、無視している。受け取らないどころか、そこに目には見えない様々なものがあるということを理解していないのだろう。
    「粗末に扱って良い本等ないのですよ」
     青い瞳を細める。
     仲間の攻撃が後に続く。けれど。
    「遠い……」
     前衛の動きに阻まれて、回復役のブエル兵に接近戦を挑むことはできない。遠距離の攻撃手段をひとつしか持たずに来た柚來と琴弓の攻撃は見切られてしまう。火力を担う2人の攻撃が思うようにヒットしない。
     ガラガラと山羊頭が嘲笑う。
     吹き荒れる吹雪に琴弓は一歩飛びのいた。自らの影さえもが嘲笑っている錯覚に首を振り、傷を癒す。
     低く唸ったブエル兵が突進してきた。ブーメランのように弧を描いて、回転数を高めた足がユリアーネの脇腹にめり込んだ。
    「うぁ……っ」
     蹄の強烈な一撃。長い髪が宙に舞う。体がくの字に折れた。敵の攻撃の大半を引き受けていたのだ。蓄積したダメージは彼女の膝をつかせてもおかしくなかった。
    「……っ、まだ、休むわけにはいかないよね」
    「今、回復、します!」
     噤のダイダロスベルトが長く伸び、ユリアーネの体を一瞬繭のように包んだ。強く輝いたかと思えば帯は解け、防御の力を残して元に戻る。
    「助かるよ」
     視線は敵に向けたまま、ユリアーネは武器を構えなおす。
     夢幻橋を攻撃のために展開しようとして、鈴音は瞬いた。最初に強化を兼ねて交通標識を振った後、攻撃を続けてきたけれど、前衛が自らを癒すのは何回目だろう? 皆は、彼女が想定していたよりも早く回復を必要としていたのでは?
     肩を大きく上下させる仲間の背を見渡して、鈴音は顔をしかめた。深呼吸ひとつ、ダイダロスベルトの動きを変える。
    「ダイちゃんっ、癒してあげて!」
     毛皮を焦がし、あるいは凍らせたままブエル兵は嘲笑を続ける。だがその笑い声とて、余裕からくるものではない。
     緋祢が槍の穂先を向ける。
    「これ以上長引かせたくはないですね」
    「私が崩しますから、後に」
     海碧の影がカーペットを走った。刃と化した先端が弾き返そうとする蹄を避けて毛皮を大きく切り裂いた。その傷口めがけて緋祢が穂先から冷気を放つ。
     悲鳴が響いた。
     サズヤが後に続く。掌に集中させたオーラを解き放つ。
     嘲笑う声がかすれていく。
    「負けない……です!」
     噤の放った白炎が灼滅者に力を分け与える。
    「今度は、当てる、から」
     柚來の影が兎の形に飛び出して、ブエル兵を覆い隠した。笑い声が途切れる。
    「皆の憩いのこの図書館、絶対に守らせていただきます」
     海碧が残る2体を見まわした。守り手を狙った際に巻き込んだ冷気で毛皮はすっかり凍り付いている。ここまでくれば、敵はもろい。
     武器を構えなおし、灼滅者達は刃を閃かせた。

    ●本は大切に
    「これで終わりなんだよ」
    「さようなら。次は貪るだけでなく、生み出せる生き物に生まれ変わることを祈っておきます」
     琴弓がクルセイドソードを振り下ろし、緋祢のマテリアルロッドが魔力を炸裂させる。畳みかけた攻撃に氷を貼りつかせた体は見る間に傷つき、最後の1体になっていた。それも今、耳障りな悲鳴を残して消え去る。
     誰ともなく肩の力を抜いて息を吐けば、破れた窓から入り込む風が戦いの気配を追いやった。
    「怪我は大丈夫?」
    「問題ないよ」
     眉根を寄せて近づく鈴音にユリアーネは笑みを浮かべる。
    「なんとか無事に終わったでしょうか」
     海碧が息を吐いて館内を見渡す。ガラス片と土に汚れた床。書架から落ちた数冊と、カーペットの上に散乱している持ち込んだ本や新聞。
    「片付けないと……です」
    「……まあ、仕方ないですね」
     書架に駆け寄る噤の背と周囲を交互に見て、緋祢は汗をぬぐった。片付ける本があるのは、いいことなのだから。ちょっと綺麗にするのが大変なのくらい。
    「食べられなくて、よかったです」
    「ん」
     噤が頬を緩めた。少し、傷んでしまったものもあるけれど。まだ、これからたくさんの人に読んでもらえる。サズヤも頷いて本に手を伸ばした。
    「こっちは私がやるんだよ」
    「お願いします」
     窓は割れてるし完全に元通りとはいかないけれど、本はそこにある。誰もが手に取れる場所に。
    「あ……この本面白そう、だね。今度読みに来ようかな」
     書架に本を戻しながら、柚來は瞳をきらめかせた。
     それはきっと、新年の開館日を迎えた図書館に訪れる町の人々と同じ表情だ。書架に並んだ背表紙を見つめ、一同はそっと顔を見合わせた。



    作者:柚井しい奈 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年1月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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