北の鍋、雪中御殿

    作者:佐伯都

     冬の日本海を見下ろす高台に、かつてニシン漁で財を成した網元たちがこぞって建てた鰊御殿(にしんごてん)がそびえている。今は地元の漁師や若手料理人たちが経営する割烹レストランへ生まれ変わり、豊かな海の幸はもちろんのこと、冬は多彩な鍋料理を楽しむことができた。
     白い雪を敷き詰めた庭の向こうには、鉛色の冬の海。
     掘りごたつがいくつか並んだ大きな座敷からの眺めに、冬の北海道を満喫しようと訪れた観光客が見入っている。
    「何か、日本海側にはこういう立派なお屋敷が今も少しだけ残ってるんだって。ニシン漁って本当に儲かってたんだねえ」
    「あそこの床柱も黒檀(こくたん)なんだって。すごいよねー」
     内部のしつらえには北海道には自生しないヒノキをはじめ、本州から運ばれてきた木目の美しいケヤキやタモがふんだんに使われており、往時の隆盛が忍ばれる。
     流行に敏感な棟梁が建て主の要望をとりいれて和洋折衷の様式にしてみたり、美しく生漆を施した廊下、鴨居には精緻な彫りの欄間も備えられ、当時の北海道においては飛び抜けて豪華な造りなのが特徴だ。
    「あっ、ほらほら鍋が来たよ」
     お待たせいたしました、と紺色の着物姿の女性が、湯気を噴く大きな土鍋をテーブルへ乗せる。分厚い蓋を取ると、ふつふつと音をたてる色鮮やかなトマト鍋。
    「『タラのアクアパッツァ風トマト鍋』でございます。ひと煮立ちさせてからお召し上がり下さい」
     そう言いながら土鍋を置いた卓上コンロに火を入れ、着物姿の女性は一礼して去って行く。
    「そろそろいいかなー? ……あ、れ?」
    「トマト鍋……だったよねえ……?」
     数分後、客が蓋をとった中身はなぜか、鮭の切り身がふんだんに入った石狩鍋にとって変わっていた。
     半信半疑で先ほど応対した着物の女性を呼ぼうとしたものの、店にはそんな女性はいないとの返事が返るばかり。
     
    ●北の鍋~雪中御殿
    「ちょっと名前が勇ましい、とっても可愛い女の子からおみかん貰いました!」
     冬の大切なビタミン源ですよねー、と松浦・イリス(ヴァンピーアイェーガー・dn0184)はほくほく顔で皮を剥いている。
    「あっ成宮さんもおすそわけどうぞ。葉っぱがついて当たりですよ」
     そりゃどうも、と成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)は何かのお手本のように葉を一枚つけた蜜柑を受け取った。ルーズリーフを広げ、そこへ重しのように蜜柑をのせる。
    「早速だけど、北海道の鰊御殿に都市伝説が出たので退治してきてほしい」
     氷雪に閉ざされた真冬の北海道、しかも寒風吹きつける日本海を望むとある高台に、かつてニシン漁で財を成した網元による鰊御殿が建っている。
    「今は改築されて地元の漁師や若手料理人が経営する割烹レストランなんだけど、いわゆる洋風鍋なオーダーをするといつのまにか中身が石狩鍋になってる……という」
     一見無害そうに思えるが、店側に何ら落ち度はないのにクレームになりかねないのは考え物だ。
     一般人に害をなす都市伝説は何とかしなきゃ、ですね! と何でかイリスが妙に目をきらきらさせている。恐らく食欲センサー反応中。
    「都市伝説は紺色の着物を着た女性の姿をしているけど、店は営業時間中で他の客の目もあるし、都市伝説を戦闘で灼滅することは避けてもらいたい」
    「それ、どうやって灼滅するんですか?」
    「簡単だよ。出された石狩鍋を完食すれば、都市伝説は満足して二度と出てこない」
    「ああ……これまで厨房に戻されて、泣く泣く捨てられてきたってケースですね……」
     石狩鍋は、大根や人参、キャベツのざく切りが満載され、ふんだんに鮭の切り身が入った正統派の味噌仕立て。仕上げに振りかけられた山椒の粉の香りも絶品だ。
     食べても何ら害はないので安心していい。ついでに言えば8人で何ら無理なく完食できる量だ。
    「その後は自由にオーダーして構わないから、皆で掘りごたつ囲んで美味しい鍋を楽しんでくるといいよ」


    参加者
    殿宮・千早(陰翳礼讃・d00895)
    高宮・琥太郎(ロジカライズ・d01463)
    アグニス・テルヴァ(選定された炎の御子・d10917)
    琴葉・いろは(とかなくて・d11000)
    八坂・善四郎(万能一心・d12132)
    客人・塞(荒覇吐・d20320)
    銀城・七星(銀月輝継・d23348)
    八千草・保(天澄風光及びゆーの嫁・d26173)

    ■リプレイ

    ●おまたせいたしました
     ふかふかの銘仙の座布団に、正座の苦痛を堪えずにすむ掘りごたつ。
     日本海に面した大きな座敷は存外明るく、紙の代わりに三分の二ほどガラスが入れられた障子の向こうには、ちらちらと雪が舞う雪深い日本庭園が見えた。
     アグニス・テルヴァ(選定された炎の御子・d10917)は興味津々といった様子で周囲を見回している。
    「ね、みんなで鍋を囲むのもニホンの冬のダイゴミなんでしょ?」
    「あとは籠に盛ったみかんでもあれば、完璧ですっ」
     これこそ日本の冬のお茶の間の風景です! と両拳を握って請け負う松浦・イリス(ヴァンピーアイェーガー・dn0184)に、殿宮・千早(陰翳礼讃・d00895)は何かこう、色々ツッコみたい気分になった。
     畳二枚分はあろうかという大きな座卓。その上には卓上コンロ。
    「あ、すんませーん! お茶のおかわりください!」
    「……しかし鍋にイクラって、結構インパクトあるな……」
     八坂・善四郎(万能一心・d12132)が早々と空になった湯飲みを掲げる傍ら、銀城・七星(銀月輝継・d23348)はメニューに載せられた石狩鍋の写真に見入っている。
     その石狩鍋の写真には、彩りとして色鮮やかなイクラが散らされていたのだ。果たして火の通ったイクラが火の通らぬもの同様美味かどうかは、七星には定かではない。……一説によるとあまりオススメはしかねるようだ。
     オーダーを取りにきた従業員へトマト鍋を注文し、しんしんと雪が降る庭をながめながら待つ。ランキング上位へ常に名を連ねるクラブに属する身である客人・塞(荒覇吐・d20320)にとって、ただ食べてそれで終了、とはある意味物足りない依頼だったかもしれない。
    「タダで石狩鍋食べられるだけにちょっと気が引けるけど、これもお仕事だから」
    「……まあ、戦闘も人払いもいらない灼滅依頼ってのはどんなものかと思ったけど、なかなか悪くないな」
     しかしかねてからの知人である高宮・琥太郎(ロジカライズ・d01463)がほくほく顔で掘りごたつに収まっているのを眺めていると、塞もたまにはこんなゆるゆるな案件も悪くない、という気分になってくる。
    「せめて全力で美味しくいただいて、供養にさせてもらうしかないよね!」
    「ええ、本日こそは私達が、見事鍋の底をご覧に入れてみせましょう」
     掘りごたつの中にこっそり相棒の若紫を潜ませた琴葉・いろは(とかなくて・d11000)は、足元が見えないように折りたたんだ道行を脇へ置く。真っ先に若紫に気付いた千早は、そしらぬ顔で自分の上着をいろはの傍へ寄せた。
     上方出身の八千草・保(天澄風光及びゆーの嫁・d26173)にとって、石狩鍋という鍋料理は未知の世界だ。どんなものなのだろう、と好奇心と期待につい顔が綻ぶ。
    「大変おまたせいたしました」
     そこへ、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
     大きな土鍋を運ぶ紺色の着物の女性。一見するかぎりでは、どこまでも普通の一般人にしか見えない。
     座卓の上の卓上コンロへあぶなげなく土鍋を据え、火をつける手際に一切迷いはなかった。いかにも手慣れた熟練従業員、の雰囲気がある。
     ある程度中身に火は通っているらしく、トマトの香りがかすかに漂ってきた。果たしてどういう原理で中身がすり替わるのか、内心千早は不思議で仕方ない。サイキックエナジーの不思議パワー恐るべし。
     いろはは都市伝説の女性を引き留めるべく声をかけようとしたが、その意図を知ってか知らずかにこやかな声が続いた。
    「一煮立ちしたところでどうぞ。熱いので十分ご注意下さい」
     いつが食べ頃なのか、と話しかけるつもりだったいろははそのまま声を呑み込む。にこにこと笑顔で言いきり、それでは失礼いたします、何かございましたら遠慮無くお声がけ下さいませ、と言いおいた女性はさっさと厨房へひきあげていった。

    ●ひとにたちさせてからどうぞ
     肩越しにその背中を見送り、いろはは苦笑する。
     考えてみれば、壊れた機械のように同じ行動を繰り返すだけの都市伝説を、ここで引き留めたところでどうなるわけでもなかった。ただ食べて欲しいだけなのだから、こちらもありがたく甘えさせてもらえばよいのだろう。
    「何ともいじらしい都市伝説だな」
    「こんな都市伝説ばっかりなら平和なんだろうけどな……」
     千早の呟きに塞が同意した。ご当地名物をアレするアレな怪人の依頼にまったく事欠かない武蔵坂にいると、可愛いものだとすら思えてくる。
    「しかし紺色の着物姿の女性って事は、鰊御殿に縁ある人物だったりしてな」
    「さあ、どうなんだろ? そこらへんは何も言われてなかったよな」
     塞の推理に、うーんと七星が首を傾ける。
     卓上コンロを扱えるところを見るとそう古い時代の人物ではないようだが、何しろ他愛のない噂話からぽこぽこお気楽に発生したりもするのが都市伝説。真相は闇の中だ。
    「でもお座敷に着物姿とか、違和感ない都市伝説だよね。空気読まないご当地怪人だったら、雰囲気ぶちこわし」
     ふつふつと音を立てはじめた鍋に気付き、アグニスは小さく笑いながらとんすいを隣のイリスに手渡す。
    「ご当地だったら頭がまんま鍋とか、鮭の切り身になりそうですね。和風全然関係ないレストランに乱入してきて、石狩鍋食べろー、みたいな」
    「ま、さしあたって、この鍋の完食をめざそっか」
     真面目な表情で善四郎が蓋に手をのばした。
     分厚い蓋を取ると、濃い蒸気と一緒に味噌と鮭、野菜のいりまじった独特の出汁の香りが舞い上がる。キャベツや大根と人参、タマネギに、飾り切りの入った椎茸と長ネギ。ふっくらと煮えたピンク色の鮭の切り身に、善四郎と七星が小さく感嘆の声をあげた。
     家で作るものは基本的に洋食が多いうえ、鍋をするとしても水炊きなどがほとんどな七星にとって、味噌味の鍋とは少々不思議な感じがする。
     何より善四郎に至っては、魚が入った鍋自体が未体験ゾーンだ。肉に野菜に豆腐どーん、といったものしかこれまで経験がない。
    「ま、美味しく食べさせてもらうとするか。いただきます」
    「いただきます」
     折り目正しく手を合わせた七星にならい、保もにこにこと笑顔で軽く両手を合わせる。胸の中で都市伝説に感謝することも忘れない。
    (「ありがとうさん、いただきます。皆と味わわせていただくよ」)
     いろはが彩りよくとんすいに具を盛りつけ、別添えになっていた山椒の粉を振ってから琥太郎に手渡した。
    「いっただきまーす! 殿やイリスちゃんも食べてみなよー」
    「お味噌が良い香りですね。味噌と鮭の相性も抜群です」
    「なるほど、山椒で臭みが大分抑えられて食い易くなるんだな。キャベツとかタマネギとかちょっと洋風っぽい感じもするけど、確かにこれは美味い」
     実は七星の指摘は的を射ており、現在の石狩鍋の原型は今も石狩市で営業を続ける、明治期創業の割烹料亭が考案したと言われている。まかないとして漁師が鮭の切り身やアラを煮込んで食べていたものに、キャベツやタマネギなどの西洋野菜を使ったり、魚の臭みをおさえる山椒を振るなど、独自の改良を加えて世に送り出したらしい。
    「寒い時期やとあったまりますし、おだしにお味噌がよう利いてるね……美味し」
    「さすが北海道を代表する郷土料理。美味いな」
     自宅ではほとんど食べる機会のない鍋に、保と千早は満足げな様子だ。主人に了解を得てから、千早は掘りごたつの中に身を潜める若紫へ、いつも守ってくれてありがとな、と鮭の切り身をシェアしてやる。
     独特のコクと甘みを備えた味噌味は、身体も心も温まる味。熱々の鍋をはふはふ言いながら大人数で囲む風景に、いろはが相好を崩す。
    「やはりその地方に伝わる料理には、それだけの理由があるものですね」
    「寒い時期に雪を見ながら暖かい部屋でお鍋食べるって、何か贅沢してる感じ」
     もともと日本の出身ではないアグニスには、見るもの全てが目新しく、そして興味深い。
     あっという間にあらかじめ入れられていた具材は底を突き、琥太郎がやる気満々で菜箸を取る。
    「それじゃ残りの具を追加するッス! じゃんじゃん入れ……って、痛い! 痛い!」
     だばぁと鍋に具を全投入しようとした琥太郎の手を、塞が横から電光石火の速さで繰り出したおたまで叩き落とした。恐らくLV56術式型手加減攻撃と、LV56神秘型フォースブレイクの図。南無。

    ●あついのでおきをつけください
    「何するんスか塞センパイ! 何か今おたまがマテリアルロッドになってなかったッスか! て言うかそもそも思いっきり叩いたッスね今!」
    「生煮えになったらどうする。こういうものは火加減を見つつ煮えづらいものから先に入れ、アクで固くならないよう具の位置にも配慮しなければならない事を知らないのか」
     普段はクールなふりをして周囲のことには興味なさげな顔をしているが、背景にゴゴゴゴゴと擬音が並びそうな勢いで眦を吊り上げ、おたまを握りしめる塞はどこまでも本気だ。
     うわ先輩目がマジッス、と青くなった琥太郎を、思いきりよそ事を見る目で千早がながめやる。友人の絆って儚い。
    「ちょっと、殿! 塞センパイになんか言ってやってよ暴力反対って!」
    「静かに食べろ、琥太郎。食いっぱぐれたくなければ鍋奉行には大人しく従っておくものだ」
     千早、鍋奉行の部分には反論しないどころか全肯定らしい。
    「ところで隠し味に乳製品、特にバターを入れる事もあると聞いた。どうだろうか」
    「いいな。許可する」
    「ねえ塞センパイ、オレと殿の扱い全然違うよね!? なんかすっごい違ってるよね!!?!」
     琥太郎としても食いっぱぐれは嬉しくないので、ちぇー、と口を尖らせつつも大人しく鍋奉行・塞の采配に従うことにする。そんな大騒ぎをよそに善四郎はちゃっかり好きなネギと椎茸を大量確保し、ご満悦だ。
     いろはは着物裾を直すふりをして、こっそり鮭の切り身をもう一枚若紫に持っていってやる。そのついでに忙しそうに立ち働く従業員や厨房のほうを伺うと、黒光りする立派な柱の向こうから誰かが見ていた。
     美味しいものを美味しく平らげてもらう、そんな満足感が漂う笑顔。ふわりと紺色の袂が小さくなびいて、跡形もなく消えた。
    「……」
     満足した、ということなのだろう。いろはは立派な柱の向こうへ軽く頭を下げ、気を取り直したように座卓へ向き直った。
     バターを投入したことでコクが増したまろやかな味になり、追加の具も十分に余裕を残して完食する。元々十分に完食できる量と明言されてもいたが、せっかくの多彩な鍋を堪能せずに帰る手はない。
     まだ物足りない顔のアグニスに気付いたイリスが、座卓の片隅に寄せられていたメニューを手に取った。
    「一人分からオーダーできるみたいですし、それぞれ好きな鍋を食べてから帰るのもいいですよね」
    「だいじょうぶ、おなかがいたくなってもおくすりがあるよー」
     色々な意味で準備万端な善四郎が、胃腸薬が入った茶色の瓶をからころと振って笑う。
    「やった、それじゃオレごま豆乳のちゃんこ鍋ー! すいませーんちゃんこ鍋追加、ごま豆乳でー!」
     ごま豆乳……女子力……とぼそぼそと呟いた千早を琥太郎が目ざとく睨みつける。
    「女子力高いって言うな! 美味しいじゃん豆乳鍋!」
    「高宮、いいから座れ。俺はもう一度石狩鍋をゆっくり頂こう」
     琥太郎と千早の騒ぎを苦笑しつつ眺め、塞は熱い玄米茶を一口すすった。
     そうしてひとまず依頼を完遂した灼滅者たちは、それぞれ思い思いの場所へ散っていく。ここで七星は、ちょうど座敷の反対側で待っていた【La Lune bleue】の面々と合流することにした。
    「姉さん、秋姫、真波、待たせたな」
    「お疲れ様ー」
     鍋パーティー新年会、といった風情でシアンや悠里、そして悠が七星を迎える。「それじゃあ、さっそく鍋パーティー開始ねっ☆ 石狩鍋はじめてだわー」
    「北海道は初めてだけど、雪がすごいね! ほんとに地面に積もるんだね」
     鍋に先駆けて悠はしばらくの間、外で雪遊びを満喫していたらしい。ふかふかの新雪では雪玉が作りにくかったことや、実は日本庭園は除雪されているがそれ以外の場所は子供の身長くらいは積雪があったことを、興奮気味にまくしたててくる。
     トッピングとして乗せられていたイクラは火が通らないようなあらかじめ除け、後乗せできるようにしてあった。
    「真波は魚大丈夫だったっけ」
    「サケとか豆腐、好きだよ! 野菜は微妙! ……豆腐とサケで埋めればいいのに」
    「真波、お前鮭もいいけどちゃんと野菜も食えよー」
     シアンは北海道は都合二度目だが、前回は五稜郭直行で全く遊んでいく余裕がなかったので、今回は郷土料理をしっかり堪能する気満々らしい。
    「あ、ナナさっきやってるから食べ方わかるわよね? お鍋任せたわっ♪」
    「了解、オレがやるよ。姉さん、たぶんもう煮えてるから器貸して」
     シアンの隣にちんまり座った悠里も、湯気をあげて煮える鍋に興味津々のようだ。魚も野菜もバランス良く盛られた器をうけとり、悠里は満面の笑顔になる。
    「さけもたらも大好き。いただきます♪」
    「あー秋姫、山椒大丈夫か? 熱いから気を付けて食えよ」
    「大丈夫、……っ」
     んむむ、と鮭の切り身に口をつけようとして黙り込んでしまった悠里に苦笑し、七星はとんすいごと受け取って冷ましてやった。
    「七星ありがとう、悠、あーんってしてみて」
    「うわぁ、お野菜あまーい! 鮭も美味しー♪ いくらも結構イケるわ」
     悠里ちゃん、悠くん、美味しいわね、と笑いかけるシアンに、年少組の二人も笑顔を返す。
     外の雪はまだ、降り止まないようだった。

    ●しめはぞうすいかうどんがえらべます
    「それにしても、雪ぱねぇわ……」
     善四郎は一人分の塩海鮮鍋を、庭に面した小上がりへ持ち込んでいた。大人数で賑やかに鍋をつつくのも楽しいものだが、一人こうして風情を楽しみつつゆっくり過ごすのも乙なものだろう。
     鍋の中には分厚い帆立に今が旬の寒タラと、鹿の子の飾り切りが入ったイカ、そして大ぶりの海老。魚介の旨みがぎゅっと凝縮された鍋は、おそらくいい年齢の大人なら辛口の日本酒でも所望したくなる所だ。
     ……成人したらいつかここで一献楽しもうそうしよう、とひそかに決意して、善四郎は湯飲みを煽る。今はこの玄米茶で我慢、だ。
     アグニスとイリスは詩乃を加えた三人で別の席へ移動し、それぞれ一人分の鍋をオーダーしている。アグニスはどうも石狩鍋に変化する前のトマト鍋が気になっていたようで、興味津々といった顔で鍋の中を凝視していた。
     酸味とコクの強いトマトベースのスープに、少し焼き色がついた寒タラ。洒落た形に切られた人参に、どうやらドライトマトらしき塊も見える。
    「何だっけ、『タラのアクアパッツァ風トマト鍋』……だったっけ。石狩鍋とは全然違うね」
    「ブイヤベースとも違う感じですよね……私トマト鍋にすればよかったかな」
     詩乃と揃いの塩海鮮鍋を頼んでいたイリスは、少々羨ましげな顔でアグニスの鍋を覗きこんでいる。
    「少しシェアしませんか! 私の海老あげますから!」
    「やっぱり冬はお鍋ですね。松浦さんは何がお好きですか?」
     なにぶん山育ちの詩乃は海鮮を食べる機会そのものが少なかったこともあり、海の恵みには好きなものが多い。そして函館育ちのイリスは、海のものなら極一部を除いて食べられないものはなかった。
    「うーん、やっぱりイカが一番好きかもしれない。函館のイカは焼いても煮てもお刺身でもなんでも美味しいし! ……塩辛以外は……」
     何かこう、どよんとした空気が漂った一角を横目に、保は窓際のカウンター席へ急ぐ。そこでは高いスツールに座り、脚をぷらぷらさせて悠が待っていた。
    「うまく事が運んだようじゃな。何はともあれ、お疲れ様じゃったの」
    「うん、ありがとうさん。お待たせやね……」
     さいわい悠の前の鶏塩鍋は運ばれてきたばかりのようで、待ちくたびれた様子も見せず保へ鷹揚に笑いかける。
    「ほれほれ、いーっぱい食べてはよぅ大きくならねばの。大きくなるには良質のタンパク質を取らねばな」
     年上ということでそうなっているのかどうかは完全に不明だが、保の『旦那』を自負する悠は、レンゲに一口大の鶏モモ肉を乗せてずずいと差し出してきた。
     曰く、あーん、というやつだ。
    「……。えっと……」
     応えるべきかどうするべきか、急転直下の展開に保は赤くなって俯いてしまう。保の葛藤を知ってか知らずか、悠は一歩も譲らぬとばかりにレンゲをさらに近づけてきた。
    「……君が食わねばゆーも食えぬじゃろうが。それとも何かね、ゆーの鍋は食えぬと言うのかね!?」
    「いやそんなん言うてないし……ゆーさんの鍋なら、いただきます」
     さんざん逡巡したあげく、保は意を決して口をあける。ぱくり、と鶏モモが保の口に消えた事を確認して、悠は実に機嫌よさそうに笑みを強めた。
    「よしよし、これで安心してお食事開始じゃな」
    「……うん。美味しいやね、これ。ボクも同じのにしよかな」
     それがよかろ、と年上の余裕を見せつけていた悠だったが、保が隣の席に腰を落ち着けるや、こっそり小声で耳打ちしてくる。
     ……その、実はな。
     ……実はお腹を空かせて待っておったのじゃ。
    「……」

     雪はまだ、降り止まない。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年1月22日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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