バレンタインデー2015~愛情をひとつ

    作者:牧瀬花奈女

     放課後の武蔵坂学園を、一人の男の子が歩いている。
     制服からして、小学生だ。人通りの少ない廊下を、特に周囲を気にした風も無くてくてくと歩いている。両手には、小さな包みを抱えていた。
     帰り支度をしていた灼滅者は、その姿を見て首を傾げた。あちらの方向は、特別教室のある一画。小学生の男の子が、放課後に何の用だろう。
     もしや、いたずらでもするつもりか。脳裏を過った考えを否定する材料は、今のところ無い。
     素早く支度を終わらせ、灼滅者は鞄を持って男の子の後を追い掛けた。微笑ましいものならまだいいが、危ない事をしようとしているのなら止めなければ。
     男の子は調理実習室へ入って行った。入り口付近で追い付いた灼滅者は、男の子の首根をつかみ、こらっとこちらへ引き寄せる。
     ひゃあ、と頓狂な声を上げてこちらを向いた男の子は、蜜柑色の瞳をぱちぱち瞬かせた。
    「……せんぱいもチョコ作るの?」
     予想だにしていなかった言葉に、今度はこちらが瞳を瞬かせてしまう。
     聞けば、この調理実習室ではチョコレート作りが行われるのだという。男の子は、その準備の手伝いを頼まれたのだそうだ。
     はたと壁のカレンダーを見る。すっかり忘れていたが、もうすぐバレンタインデー。そろそろチョコレートの用意をしようという話になっても、何もおかしくない。
    「そうだ。準備できたから、参加する人呼びに行くの手伝って」
     否とも応とも答えぬうちに、男の子は灼滅者の手をすり抜けて調理実習室を出て行く。
     仕方なく、灼滅者はその後を追った。
     
     お世話になった人に。友達に。それから――大好きな人に。
     一緒にチョコレート、作りませんか。


    ■リプレイ


     調理実習室に、甘い香りが漂う。浮き立つ気持ちを閉じ込めたかのような優しい香りの中で、集まった灼滅者達は思い思いに調理器具を動かしていた。
     華月が作るのは、大事な人への贈り物。湯煎もテンパリングも細心の注意を払って、美味しくなるように気持ちをこめた。一口大の銀カップに甘さ控えめのビターチョコを流して冷やしたら、ラズベリーとスライスオレンジを砕いた物をトッピング。
    「うん、美味しいって言って貰えると良いな」
     アイオライトを削りだしたような瞳を細めながら、大切な人の事を思う。いつだって危険の真ん前にいる人で、それは自身で課したのであろう事だから、止める事は出来ないけれど。それでもこの一粒を口にしている時くらい、落ち着いた時間を過ごせるように。
     幸せだって、感じてくれたら。こんなに嬉しい事はない。
     自分達は周りの人の目に、どう映っているのだろう。少しそわつきながら希沙の後をついて歩き、小太郎はふとそう思う。
     恋人。そう自覚するには照れが勝るけれど、隣にいるのは確かにいとしい人。何が作りたい? と希沙はペリドットの瞳を輝かせた。
    「簡単なんはトリュフかな。それともナッツとかビスケットとか入ってる方が好き? チョコはスイート派? ビター派?」
     きさはどっちも! と笑んだところで、浮かれ故の質問攻めに気付いて赤面する。知らんかったことが減ったら、きみにもっと近づけた気がするの。そんな可愛らしいひとに、小太郎は芯から参ってしまいそうになる。近付きたいのはオレも同じです、と照れ隠しの咳払いをひとつ。
    「第1回らしくトリュフにしましょうか。チョコなら何でも好きですけど……今日は、シンプルで甘いのがいいです」
     お願いします、希沙先生。調理器具を手にする小太郎に、希沙はしゃんと姿勢を正す。
     湯煎にかけられたチョコと一緒に、心も蕩けて行くよう。味見する? と希沙が誤魔化すように摘んだチョコを差し出せば、小太郎は反射的にそれを銜えてしまう。唇をかすめたそれが、希沙の指だと気付くまで数秒。陽光に照らされるままの肌が、二人そろって、赤く赤く染まった。
     素敵なレディになって見返してやる。クラブの後輩に言われたのはいつだったか。
    「あいつに男が求める真のバレンタインチョコとはどういう物か……教えてやる!」
     そう言うアンカーは、実に手際良くチョコ作りを進めて行く。その動きに違わず出来上がりも見事。それに満足しながらも、アンカーははたと思い当たる。
     彼女が拙いながらも頑張って作った手作りチョコ。男の子にとって肝要なのは、その部分ではなかろうか。
     上手だねと通りかかった望に誉められたが、アンカーはがっくりと項垂れたままだった。
     去年より膨らむ想いを届けたくて。柚姫は丁寧にチョコで薔薇の花びらを作って行く。色は七色。鮮やかに開く花弁は胸に咲き誇る想いにも似て。
     誰かにあげるの? そう問う望に、柚姫は微笑んで頷いた。
    「今年もたくさんの素敵な気持ちを分けて下さったクロくんへ。少しでもこのチョコで倖せな気持ちのお返しができると嬉しいのです」
    「きれいだし、喜んでもらえるといいね」
     手元を覗き込んでふにゃりと笑った望に、柚姫は作った薔薇の一輪を差し出した。素敵な巡り合わせに、感謝を込めて。
    「おおー、朝比奈ちゃん上達しましたね!?」
     チョコを刻んで行く夏蓮の手際に、花色は目を丸くした。
    「今お料理特訓中でね、卵焼きも上手にできるようになったの!」
     今度お弁当食べさせてあげる約束したんだー! と明るく笑う夏蓮に、なるほど彼氏のためにかぁと納得する。
     夏蓮が作るのはホワイトとビター、二色のトリュフ。クリームを混ぜて香り付けする間に、花色は葉っぱの形をしたクッキーの生地を危なげなく完成させる。
     一つは冷蔵庫へ。もう一つはオーブンへ。所定の時間が過ぎ、出来上がったならば試食会。どうどう? と勢いこんで尋ねる夏蓮に、これなら先輩もびっくりするに違いありませんと花色は笑顔を見せた。
    「ふふふ。では頑張ったご褒美にこの限定商品、お花クッキーを1枚あげちゃいます!」
    「こんな可愛いの貰ってもほんとにいいの?」
     大切に食べるねと、夏蓮は大好きの想いを込めてぎゅっと花色に抱き付いた。
     恵まれない男子に強請られたは良いけれど。ハードル上げすぎだっつうなー、とぼやく鈴に、けど楽しそうよ? と依子は笑って見せた。
    「べ、つに、楽しいけど……」
     抑えた様子ながらも緩む頬がちょっぴり憎らしくて、鈴は依子のほっぺたを軽く引っ張った。
     何を作るのかと問われて依子は、甘いのとビターのと作って彼の好みを調査する予定、とビターチョコを手に取った。ここではビターチョコベース、胡桃入れたブラウニーを。依子の想い人は優しいひとだから、何でも受け取ってくれるだろうけれど。お菓子の味ひとつだって、好きな人の好みに近付きたいと願うのは、とても自然なこと。
    「あー熱いー! チョコと一緒に溶けろ」
    「あら、惚気じゃないですよ」
     ゴムべらを手に言う鈴の頬に、軽くお返し。
     鈴が作っているのは、マーマレードをちょっぴり仕込んだフォンダンショコラ。私が菓子作るのって意外? と問えば、依子はううんと首を横に振った。彼女が実は家庭的なのを、依子はちゃんと知っている。貰った人はきっと、笑顔になってくれるに違いない。
     出来上がったら、冷めないうちにお茶をしよう。フォンダンショコラは焼きたてが一番美味しいから。


     脳裏に浮かぶのは、闇から救い出された恋人の事。これで憂い無くバレンタインを楽しめるなと、光明は赤い瞳を細めた。
     彼の手が紡ぎ出すのは花弁。ホワイトチョコにアルコールを飛ばした椿リキュールを加え、花弁を一枚ずつ丁寧に作り上げて行く。何よりも白く堅い花を作る傍ら、萼と葉、そして枝を作る事も忘れない。
     花弁を一枚一枚つけて行き、組み上がったのは白椿。愛しい人の年の数だけ連ねれば、甘い花束が出来上がる。
    「さて……刃は喜んでくれるかなぁ……」
     慎重にラッピングをしながら光明は独り言つ。欠けてしまって使えなかった花弁達は、ブラックコーヒーと一緒に食べてしまおう。他の皆にお裾分けするのもいい。光明は緩く笑んで、コーヒーカップを手に取った。
     日本のバレンタインはどうしてチョコなのだろう。さてはチョコレート会社の策略かとカイリは思うが、そこはそれ。楽しければ良かろうなのです。
     共に参加したリヒトは既にエプロンと三角巾姿。一緒に作ると渡す楽しみが半減な気もするけれど、これはこれで楽しい。
     カイリが白いエプロンを着けて似合いますか? と微笑めば、リヒトは胸が暖かくなるのを感じた。服装の可愛らしさと小さな体で料理する愛らしさ。二つが合わさって、ぽかぽかした気持ちになる。
     チョコを刻んで湯煎して。テンパリングまではリヒトの仕事。カイリが小さな手でチョコを丸めて冷やすと、トリュフチョコとフルーツのチョコがけの出来上がり。
    「あーんして下さい、リヒトさん」
     目をきらきらさせる恋人にねだられるまま口を開けば、口内に広がる甘い味。これからも、こんな甘い平和な時間が流れますように。
     バレンタインは女の子にとって特別な日。1年前には言葉に出来なかった想いを、紡はチョコに溶かして行く。
     刻んだチョコを湯煎し、丁寧にテンパリング。温度を確かめながら丁寧に作業を進めるうち、ふと大切な人との思い出達が脳裏を掠める。
     また今年も一緒に同じ時間を過ごして、大事な記憶を綴っていけるよう願いも込めてドライフルーツを内に隠したチョコを丸める。
     パウダーを降らせて仕上げたならば、4色12個のチョコを四季と1年になぞらえて円形の箱に納めてラッピング。結んだリボンには、赤い薔薇の蕾を添えた。
    「先輩、喜んで、くれるかな」
     今年は、ちゃんと、言葉も一緒に、届けるの。
    「文子様、お手伝いしてくださいませんか?」
     普段もあまりお料理はしないものですから、とマルクトが申し出れば、文子は快く頷いた。
    「大丈夫、一番大事なのは気持ちを込める事だもの!」
     気持ち、をちょっぴり強調しつつ、力強くがっつぽーず。本当は私も二回目です、というのは秘密。
     マルクトが作るのはフォンダンショコラ。まずはレンジでバターと刻んだチョコレートを温める。スムーズに進める文子の傍ら、マルクトはどうしても手際が悪くなってしまうけれど、初めてならば仕方のないこと。いつも冷静な彼女の奮闘する様子が可愛らしくて、ついくすくすと笑ってしまうのはご愛嬌。
     丸めたガナッシュを、文子は苺とビターでコーティング。チョコペンで模様を描いて行く。
    「マルクトさん、はいあーん」
     一つだけ作ったハート模様を大好きの気持ちを乗せて差し出せば、マルクトはあーんと口を開けて受け取る。
    「……わたくしのも、おひとついかが?」
     出来立てのフォンダンショコラを一つ、マルクトが同じように差し出すと、文子はうれしと口を開く。らぶ、いただきます。
    「御厨君、一緒にミルクチョコ作らない?」
     隅の方にいた望にそう声を掛けたのは樹斉。チョコを作ると聞いては参加せずにはいられない。大きく頷いた望を伴って、樹斉は調理台に立つ。
    「なんか包丁で刻んで湯せんにかけるんだよね」
     そう言って包丁を手に取る望に、湯せんって何度と尋ねれば、分かんないと頼りない返事。刃と湯に気を付けつつ試行錯誤を繰り返すうち、二人は何とか突破口を見付けた。
    「……ここでちょっと刺激とか入れた方がいいかなー」
     型に流し込む段になって樹斉が取り出したのは、パチパチするお菓子。それは止めた方がいいんじゃないかなぁ、と望が止めると、樹斉は大人しくそれを納めた。最初は基本に忠実に。
     完成して包みに包んだら、一つは望にあげようと樹斉は思った。これからもよろしくねの気持ちを込めて。
     だって、チョコは友達と一緒に食べてもいいのだし。


     お菓子作りは好き。香乃果が作るのはチョコトリュフ。ショコラとホワイト、抹茶の3種類を可愛く箱に並べれば、きっと見た目にも楽しい。
    「ねえ、皆は誰にあげるの?」
     香乃果や薙乃からレシピを教えて貰いながら、ふと思いついたように彦麻呂が尋ねる。まるい黒の瞳が、いたずらっぽく輝いた。
    「友達と、あと彼氏にあげる用を作りますよー」
     チョコマフィンを作りつつ答えるのは火華。ナッツやチョコチップで彩られたマフィンは、見た目はちょっと不思議だけれどきっと美味しいはず。
     私のは友チョコだよと言う香乃果の言葉を聞いてから、彦麻呂の目は縁へと向いた。
    「渡橋ちゃんはやっぱりハイナさんにあげるの? 付き合いだしてから何か進展あったのかにゃー?」
    「ええと、そうですね、ハイナさんにもちゃんとあげますよ。進展といっても、それほど大きな変化は無いと思います」
     ニヤニヤしつつ問い詰める彦麻呂に、縁は苦笑。家族と、お世話になった人に。そう思いながらゴムべらを動かした。
     火華ちゃんや縁ちゃんは本命さん用かぁ、と薙乃は赤茶の瞳を笑みの形に細める。次いで脳裏を過った人は、慌てて打ち消した。別にあげる人もいないし、友チョコだけどねっ、と誰にともなく言い訳して作るはトリュフチョコ。香乃果や彦麻呂も交えて、チョコ作りは着々と進んで行く。
    「彦麻呂ちゃん、ガナッシュを丸める時は氷水とかで手を冷やしておくと良いよ」
     香乃果に言われ、ひゃー、冷たい! と氷水の冷たさに首をすくめた彦麻呂は、冷えた指先を火華の首筋にぺたり。今触ったの誰ですか、との叫びには手を後ろに回して誤魔化した。
     本命チョコを作る人が多いようで、心がほわほわする。そんな香乃果の前で、火華は恋人用のチョコに義理の文字を書き書き。これくらいなら、きっと笑って許してくれる。
     土台のチョコを作り終えた縁は、アザランでデコレーション。細かい作業が楽しくて黙々と手を進めるうち、チョコは綺麗な銀色に彩られて行く。
     全ての工程が終われば、机上に築かれるチョコの山。試食会の最中にも、恋の話に花が咲く。
     わたしは友達にあげるけど、と前置きして、薙乃はドライフルーツを飾ったチョコを一つまみ。
    「い、いっぱい出来たし、兄……家族にあげたりもするかもだけどねっ」
     頬を薄く染めて言う薙乃に、彦麻呂はうんうんと笑って頷いた。
     作り過ぎてしまったのなら、仕方ない。
     シマエナガさんはチョコ大福、頑張っちゃうわ。そう言って切り餅を取り出したのは、ゆきだった。お正月の残り物だけれど、残り物には福が来るというし。
     きらきらと碧眼を輝かせる夜深に続いて、手伝いながら自分のも作ってみたいわ! と海が手を挙げる。
     水をひたひた、チンしてお砂糖一緒に練り練り。作業に集中するうち降りた沈黙を、引っ付いちゃったのよ! と悲鳴混じりのゆきの声が破る。慌てて夜深と海が引き剥がし、濡れ布巾とタオルハンカチで丁寧に拭く。
    「まあ。夜深ちゃん、海ちゃんありがとなのよー」
     シマエナガさんに戻りました! とゆきは笑顔をひとつ。
     梨衣奈が作るのはガナッシュを使ったチョコケーキ。お菓子作りは久々だから、ちょっとドキドキしたけれど、チョコに生クリームを混ぜて作ったガナッシュの出来映えは良い感じ。
    「私でよければ教えるわよ?」
    「あ……ありがとうございます」
     自信無さげな手つきで作業を進める海月に、梨衣奈は柔らかに笑んで申し出る。二人の作業の傍ら、ゆき達のチョコ大福が完成した。
     歪な完成品を前に、夜深はむむっと難しい顔。けれど海が手作りのあたたかみが伝わってくるわねと微笑むと、すぐにその顔も綻んだ。
    「作るのすっごく上手そうだったの、ちゃんと見てたよ!」
    「作成。上手だタ、かナ……」
     照れる夜深に、海は自分のチョコ大福を示して見せる。ちょっと大き過ぎた気もするけれど、食べ応えはきっと十分。
     固まりきらない星型チョコに海月が触れてしまう間に、梨衣奈のチョコケーキも焼き上がった。
    「ね。ね。ちょっと試食会、しちゃいましょ」
     目を輝かせたゆきに、否の声が上がろう筈も無く。少女達はいそいそとお茶会の準備を始めた。

     お世話になった人に。友達に。それから、大好きな人に。
     ぎゅっと詰まった愛情をひとつ。

    作者:牧瀬花奈女 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年2月13日
    難度:簡単
    参加:26人
    結果:成功!
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