Remembrance Melody

    作者:西宮チヒロ

    ●afflitto
     遥希。
     小さいころ引っ越してきた隣人。バカやってきた幼馴染み。喧嘩もするけど、一番隣が居心地のいい腐れ縁。
     だから、お前が綴った歌詞を一番理解できるのは俺で、俺の乗せた曲を歌い上げられるのも、お前しかいなかった。
     互いの音が共鳴して、身体ぜんぶで放った音がまた、内に染み入ってくるような、あのライブでの感覚。
     それが、俺は堪らなく好きだった。
     ――好きだった、はずなのに。

     下北沢のちいさなライブハウスから出発してから数年。
     今や毎週末の夜、渋谷の大きなライブハウスでの枠を貰えるほどになった俺たちだけれど。
    『翔真! お前、なんで今日のライブ来なかったんだよ! 悠介がフォローしてくれなかったから、どうなってたと……!』
    「遥希……悪い。……ちょっと、具合が悪くて」
    『……』
     電話口の声が僅かに途絶えた。
     呆れたのだろうか。それとも嘘に気づいたのだろうか。ひとつ息を吐いた気配の後、穏やかなあいつらしい声が耳許に響く。
    『……それならそうと、連絡くらいしろよ。今日はレコード会社の人も視察に来てたの、お前も知ってたろ?』
    「ああ……本当、ごめん」
     少しずつ、確かに増えてきてる雑誌の取材や、自主制作アルバムの販売枚数。
     インディーズでは相応の知名度になってきている。メジャーデビューは目前。昨日までは確かにそう息巻いていたのに。
    『とにかく、ゆっくり休みな。来週、また視察に来てくれるらしいから……そこで、オレたちの音、存分に聞かせてやろう?』
    「…………ああ」
     そう返した声の無感情さに、あいつは気づいただろうか。

    「……大丈夫か? 翔真」
     背後からの心配げな声に、反射的に顔を上げて振り向いた。下北沢にある、馴染みのライブハウス。その初老の店主へと笑みを作る。
    「ん……大丈夫。悪い、マスター。こんな遅くまで居座ってて」
    「かまやせんよ。それより気晴らしに弾いていくか? お前の好きなジャズでもクラシックでも、歓迎するぞ?」
     皺の刻まれた目許を緩め、店主は言いながらステージに佇むグランドピアノを見つめる。

     ――君の絆を僕にちょうだいね。

     昨日の夢の中で聞いた、少年の声。朧に覚えているのは、宇宙服を着た誰かの姿。
     そうして目覚めた時から、ぽっかりと胸に空いた穴。
     なあ、遥希。どうすればいい?
     お前の歌声が、あんなにも好きだった感覚が、音を重ねたいと焦がれる想いが。
     俺はもう――思い出せないんだ。
     
    ●allegramente
     絆のベヘリタスと関係が深いであろう謎の人物が、対象の『最も強い絆を持つ相手との絆』を奪い、代わりに『絆のベヘリタスの卵』を、その頭上に産みつけている。
     冬空の茜色が染め上げる放課後の音楽室で、小桜・エマ(高校生エクスブレイン・dn0080)はそう口火を切った。
    「今回絆を奪われるのは、翔真(しょうま)さん、大学1年生。同い年でバンド仲間の幼馴染み、遥希(はるき)さんとの絆を奪われてしまいます」
     彼の頭上に生み付けられたベヘリタスの卵。
     それは宿主となった一般人の『最も強い絆以外の絆』を栄養として成長し、1週間後に『絆のベヘリタスの新しい個体』として孵化してしまう。
     卵は、ダークネスや灼滅者なら目視できるが、触れたり攻撃したりはできない。
     が、卵の栄養となった絆の相手に対してのみ攻撃力が減少し、そして被るダメージが増加するという弱点も持ち合わせている。
    「つまり、皆さんが翔真さんと何らかの絆を結ぶことができれば……ベヘリタスは、皆さんに対して弱体化するんです」
     上手く絆を結び、孵化した直後を狙い、敵がソウルボードに逃げ込む前に灼滅する。
     逆を言えば、真っ向から闘えば敗北は必至である強敵に対して、それが唯一つの勝機に他ならない。
     エマはそう言い切ると、続けて2枚の写真を取り出した。端正な顔立ちの黒髪青年が翔真。柔らかな栗毛の童顔青年が遥希だと、言葉を添える。
    「翔真さんと接触できるのは、土曜日の夕方以降の数時間のみ。彼はその時間、下北沢のライブハウスにいます。
     そこで、折角ですし……ブッキングライブを活用して絆を結んではどうでしょう?」
     ブッキングライブ――ライブハウスが主催となって行う、複数のバンドによる共演ライブのことで、件の下北沢のライブハウスでも毎夜行っている。
     これに参加し、翔真も巻き込み共にセッション(演奏)をする。相手がバンドマンならば、音楽による交流が最も効果があるだろう。娘の提案は、そういうことだった。
    「時間的に、演奏は2~3曲まで。彼の馴染みのロックでも良いですし、ジャズやクラシックも好きみたいでから、それでも良いかも。彼はバンドではベース担当ですが、ピアノもお上手みたいです」
     『メンバーが足りない』『ファンだった、是非一緒に演奏して欲しい』など、巻き込む理由は色々と考えられるだろう。頼まれ事には弱いようだから、余程不自然な理由でなければ、共に演奏してくれるはずだ。
     奇しくも同日の夜21時には、渋谷のライブハウスで彼等のバンドが出演するライブもある。
     下北沢の店から渋谷の会場までの移動時間は、30分。
     まだ、絆を、チャンスを繋げられる可能性は残されている。
    「確かに在った理想の音を覚えているからこそ……今、その音が出せないであろうことを一番知っているのは、他の誰でもない、翔真さん自身です。その辛さは……私も、解りますから」
     だからどうか。どうか――よろしくお願いします。
     右手の薬指の指輪を包み込むように手を重ねると、エクスブレインの娘はそう、祈るように瞳を閉じた。


    参加者
    睦月・恵理(北の魔女・d00531)
    日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)
    蓮咲・煉(ルイユの林檎・d04035)
    村瀬・一樹(ユニオの花守・d04275)
    新沢・冬舞(夢綴・d12822)
    桜木・心日(くるきらり・d18819)
    メリッサ・マリンスノー(ロストウィッチ・d20856)
    鮫嶋・成海(マノ・d25970)

    ■リプレイ


     紫紺の空に残った一筋の陽が板張りの床を茜に染める。そこに響いていた音はやがて止み、ライブカフェ『Vesperal(ヴェスペラル)』は再び静寂に包まれた。
    「荒削りだが、耳に心地良い音だ。いいだろう、合格だ」
     ヴァイオリン、ピアノ、篠笛にタップダンス。
     異色のバンド構成に驚きを見せていた店主も、聞き終えた試奏に満足げな笑みを浮かべた。
    「ありがとうございます!」
     睦月・恵理(北の魔女・d00531)と日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)が愛器を下ろすと、村瀬・一樹(ユニオの花守・d04275)も弾む呼吸を整えた。エイティーンで大人に転じた桜木・心日(くるきらり・d18819)が、そのひょろりと高い背を曲げ深々とお辞儀する様に、ローディー(付き人)として脇に控えていた蓮咲・煉(ルイユの林檎・d04035)共々、倣って頭を下げる。
    「皆、お疲れ様」
     労いながら、煉は鞄から取り出した飲料水を仲間へ手渡した。ちらりと見た時計の針は、17時半。
     先に試奏を終えていたロックバンド組に続き、まずは潜入に成功した。あとは、本番で翔真を誘うだけだ。
    「ロック組は、この時間に打診するんだよね」
     思案の色を浮かべる一樹に、心日も柔らかな髪の奥の瞳を窄める。
    「翔真さん、誘いに乗ってくれるかな?」
    「きっと、大丈夫ですっ」
     煉も確りと頷くのを見ながら、恵理は楽しそうに笑みを洩らす。
    「ええ、日野森さん。私もそう思います」
     大丈夫。
     例え仲間たちとは異なる場所でも、『音』溢れる此処に居る彼ならば。


    「翔真。今日のセットリスト、面白いものがあるぞ」
    「面白いもの……?」
     言われて気怠げな様子で覗き込んだ紙面の文字に、忽ち翔真の眼が見開かれる。
    「マスター、これ……」
     それは間違いなく己が作った曲名。仲間たちとの、バンドの代表曲。
     誰が――。
     そう翔真の唇が動く前に、初老の男は店奥の物陰へと、肩越しに声を掛けた。現れたのはいずれも10代と思しき男女。それぞれヴォーカルの新沢・冬舞(夢綴・d12822)、ギターのメリッサ・マリンスノー(ロストウィッチ・d20856)、DJでドラムンベースの鮫嶋・成海(マノ・d25970)だと手短に名乗った灼滅者たちが会釈する。
    「彼等が今夜の奏者だ。折角、本人がいるんだしな。紹介しても構わんだろう? それに」
     男はそこで一度間を区切ると、訝しがる翔真の様子に口端を上げた。
    「お前に、頼みがあるらしいからな」
     促すように灼滅者たちへと瞳を向けると、メリッサがちいさく口を開く。
    「前から、ファンだった……。店主さんから、昔の話も聞いた。よければ一緒に、演奏してほしい……」
     ぼんやりとした表情。けれど、不思議と眼光に力を感じる少女からの頼み事。
    「是非、お願いします」
     頭を下げる成海に倣って冬舞も一礼し、柔和な笑みを向ける。
    「折角の機会、一緒に楽しまないか?」
    「……どうして、この曲を?」
     それは、ひとりの男の恋を綴った唄。切ないメロティラインながらも、ヴォーカルの音域は広く、BPMも210。しかも途中でスローテンポへの切り替えもある曲だ。聴くならまだしも、演奏しようとはまず思わない。
     それでも、灼滅者たちは声を揃えて言った。
     その曲が好きなのだと。
    「歌詞は、翔真の相棒が綴っているのだろう?」
     冬舞の微笑に、青年もまた眦を緩めて首肯する。
    「……ありがとう。俺もこの曲が、一番好きなんだ」


     店内に響いていた拍手が、次の奏者を前に散るように止んだ。
     成海が愛用の黒いターンテーブルへと指を乗せれば、忽ちメリッサのギターと翔真のベースがハイペースな音と拍を刻み始める。
     瞳を閉じたまま、出だしから高音が続くその初音を寸分違わず当ててきた冬舞に、翔真は愛器を爪弾きながら眼を見開いた。
     翔真が何を想っているかは知れない。
     けれど、心に空いた隙間があるなら吹き飛ばせば良い。
     遥希と比べたって良い。彼との絆を思い出せ。その想いを声に乗せる。
     メリッサの奏でる主旋律に、翔真のトレモロが繊細なリズムを重ねてゆく。
     普段娘が親しむサブカルチャー系の曲にも、ロック調のものが増えてきた。今日のために予習と練習を重ねてきたからこそ、今のメリッサには惑いはない。
     いつもの甘いワンピースではなく、ロングロックTシャツに身を包み、じわり音に溺れ始める娘。
     姿は全く違うのにどこか遥希が重なり、翔真は眩しそうに瞳を細めた。
     サビが来る――ベースの変化を捉えた成海は、右のレコードを素早く入れ替えた。
     ヘッドフォンから流れ始めた曲を、スライダーとイコライザーで調整する。
     欲しい音、欲しいリズム。
     手慣れた仕草で求めるそれにあわせると、成海は盤上に指先を滑らせ、軽くスクラッチする。
     低音から一気に高音へ、繰り返しながら音階を駆け上がるメロディ。
     男の語り口調の歌詞を辿るたび、共鳴するこころ。
     会場の隅に見えた煉を映していた双眸をそっと閉じると、冬舞は急に緩やかになったテンポにずれることなく、囁くような美声で詩を紡ぐ。
     メリッサが、その細い指先で弦を巧みに振わせて音に感情の彩をつける。再びピッチを上げたギターの音色。高らかに響く歌声に、成海も口許を綻ばせながら瞼を閉じた。
     ねぇ、いつも隣で奏でられたのは、誰の音ですか?
     失いかけている大切なもの、少しでも良いからもう一度手にして欲しい。
     鼓膜を、全身を震わせる心地良い音たち。呼応するように身を揺らしながら願うように翔真へと視線を移せば、確かな変化――現れ始めた歓びのいろに、成海は一層笑みを深めた。
     翔真のベースに、メリッサが、成海が、そして冬舞が、奏で合い競い合って、ひとつのうねりとなってゆく。
     嗚呼、心惹かれるのは誰?
     大音量の音が店一杯を高揚感で満たし、そうしてそれは拍手喝采へと変わる。
     各々気に入りの一音を鳴らしながらのメンバー紹介を終えると、尚盛り上がったそこへ、続くジャズ組が姿を見せた。


    「今の演奏を聴いていたら、居ても立ってもいられなくて……どうか1曲、お願い出来ませんか」
     恵理に続いた煉はそう言うと、メンバーを手短に紹介した。是非にと一礼した一樹に続き、翠や心日たち皆が頭を下げる。
    「先程の貴方の演奏が……今日の風と、とても合う気がしまして」
    「風……?」
     不思議そうに瞳を丸めた翔真へと、娘は手にしたヴァイオリンをひとつ響かせた。
     語るは、己の音の根源。セッション相手は世界を創る自然たち。彼等の『音』を故郷の大地と民の血で捉えたら、秋畑の金色のそよぎ。冬の大気に染む焚火。夏風に運ばれる草の香りのように、己の音はセッションの『空気』となる。
    「……解った」
    「ありがとうございます。すぐにセッティングしますね」
     煉はそう言うと、言葉の通り忽ち舞台を整えた。確認を終えて舞台袖へと退くと、残った5人は定位置に着く。
     曲は、児童文学を元にした誰しもが識る海外映画の劇中歌。主人公の田舎娘が紡ぐ、穏やかな歌。
    「君達は好きなように弾いて構わないよ。それがジャズの醍醐味だしね」
    「――はい!」
     互いに視線を巡らし、笑顔を交して。
     ひとつ、心日が紡いだのは優しい高音。ほろほろと零れるような連符に翔真の低音が加わり、緩やかにセッションが始まった。
     ちいさく頷きあった翠と恵理が、共にメロディラインを引き継いだ。遷移してゆく和音に流麗なビブラートが加わって、朗々と歌う。
     Bメロへ移りながら、翔真がじわりとテンポを上げた。弾むような打鍵を追うように重なるのは、リズミカルな一樹の靴音だ。
     今は唯、曲にあわせて耳に心地良い音を鳴らすだけ。
     一樹から引き継いだ音を、心日と翔真が僅かに潜めたことに気づいた恵理が、弦を下ろしてメロディを翠へと譲る。
     ほわり微笑んだ娘は、唇を引いて一層清らかな笛の音を響かせた。
     柔らかに、楽しげに、六本調子の漆の篠笛が紡ぐ情緒ある音色は、どこか木々に囲まれた静謐な社を思い描かせるほどに美しい。
     次いで主題を請け負うのは恵理。曲の流れを、風を感じれば、自ずと音は溢れ出すもの。澄ませた耳に届いた鮮やかな音たちに微笑すると、恵理は歌うように、語るように、心のままに音を紡ぐ。
     その気持ちは、一樹も同じ。
     テクニックよりも、皆が楽しめる演奏をする。それが、手先は器用ではないけれど、音に乗って動くのは大好きな自分ができること。
     見えるもの。聞こえるもの。脚だけじゃない。全身で音を楽しみながら紡ぎ出した一樹のステップ。そこへ心日のピアノが寄り添った。
     いつもより何倍も弾む指先。
     それは今、思うように音を奏でているから。今が、どうしようもなく楽しいから。
     下手でも構いやしない。重なる鍵盤の、そして皆の音に、胸が一層高鳴ってゆくのが解る。まるでこの全身が音を奏でているよう。
     夢のようなひとときに、指先が弾み、音が駆ける。いつもなら怒られる弾き方も、今は気にするものか。全力で弾んで、走って、この心地が皆に――翔真に、伝わればいい。
     バンドも、そしてローディーも今日限りのことだけれど。
     皆の懸ける想い、重なった音が呼び起こす、1年半前に煉が知った新しい世界は、本当だから。
     この胸の震えが、彼の芯に、届くように。
     幾度目かの主題の後の高まりへ向けて、5人の音が華やかに響き渡りながら彩を増してゆく。一樹が軽やかに舞台を渡り、ひとりひとりに煌めく音を届けたら、最後。高く澄んだ和音の共鳴が消えるとともに、翔真へと微笑みながら、ピアノへと寄り添い足を止めた。
     沸き立つ歓声と拍手。この2曲で感じた奏でる愉しさと高揚感に、翔真はちいさく笑みを零した。


    「あー……こんなに気持ちいいのは久し振りだ」
     裏口から外へと出た翔真は、そう言って伸びをした。
    「和風のジャズ、できていましたでしょうか?」
    「ああ。俺も愉しかったよ、日野森さん」
    「翔真さんと一緒にセッションできて本当に良かった。ありがとうございます」
     そう言って一樹が添えるのは己の過去。
     失った夢。支えてくれた相棒――嘗ての同級、そしてビハインドだった少女の歌。だからこそ、今宵の音が彼を埋められたのなら、共鳴出来たのなら嬉しい。
    「……相棒……」
     擦れる声で呟いた翔真の、その整った顔に影が落ちる。
     途端、頭上にあった紫黒の不気味な卵がぐらりと揺らいだ。ひび割れる音と共に走った亀裂に気づくと、灼滅者たちは手早く力を解放し、人払いと音封じを展開した。
    「なっ、バ、バケモノ……!!」
    「――翔真さん」
     姿を顕にした異形に戦く青年への、明瞭な声。
     あれは、1年半程前に出逢った『音』のこと。
     気付いたら震えていた。全身で感じることが、あれ程に気持ち良いなんて。
     出逢いが遅過ぎたとは思わない。生きてその音に出逢えたことが奇跡だから。
    「私は、皆の音を守って行きます。――翔真さんと『仲間』の音も」
     だから、と煉はその茜の眸で影を見た。極彩花の杖を手に、凛と告ぐ。
    「それを奪おうとするその化け物、燃やしてあげる」

     真っ向から闘えば、敗北は必至である強敵。
     そう聞いていた相手の身体に確実に増えてゆく傷は、灼滅者たちが翔真との確かな絆を結べたことを意味していた。
    「残り3ターン」
    「よし! これなら、行ける……!」
     冬舞の合図に、タクトのように獲物を振いながら紡がれた一樹の歌声が、影を更に蝕んでゆく。
    「ちょっと怒っているのです……痛いの、いきますですよ!」
     言葉以上の怒りを抱いて、翠は真剣な眼差しで敵を睨め付ける。
     絆は当人の生きてきた証。
     しかも最も大切な人とのそれを餌にするなど、赦されはしない。
     翔真の理想の音はきっと、遥希と悠介がいなければ出せぬもの。
    「わたし、ぜひその音が聴いてみたいですので、絶対に助けますのですよ!」
     翠はそう言い放つと、一気に間合いを詰めて手にした御幣をその腹へと振り下ろした。抉られる傷口と注ぎ込まれる魔力の痛みに、絶えきれず影は声にならぬ悲鳴を上げる。
    「そんなの、当たらない……」
     切り返すように繰り出された敵の鋭糸は、既に勢いを逸していた。メリッサはその軌道を読み切ると、身を躱しながら強烈な彗星矢を放つ。
     あと少し。
     ならば、今更傷など構いはしない。煉は未だ燻る傷を厭いもせず駆け出した。並び奔る冬舞と共に最中で宿した炎ごとその脚を叩き込めば、瞬く間に四肢を包んだ炎に炙られ、影はその醜い身体を更に歪ませる。
     流星の煌めきを纏った重い一打を喰らわせた恵理は、音楽と友情を侮蔑した罪人へと無慈悲な眼差しを向ける。
    「こそ泥とのセッションはちっとも心楽しくなりませんね……翔真さんの音を盗んでおいてこんな無様な戦い方ですか?」
     動くこともままならぬまま、か細い呻き声を洩らしたそれを、心日の華奢な体躯から伸びた巨椀が後方へと吹き飛ばした。その機を逃すものかと、相棒たるライドキャリバーが放った銃光を辿るように肉薄した成海が、静かに吼える。
    「テメェが奪って良い様な薄い絆じゃねぇンだよ……音を楽しむ気持ち、愛する心、一滴残らず返しやがれ」
     怒気を孕んだ拳が顔面を捉え、不気味な仮面もろとも影を抉り貫けば、悪しき影は弾けるように霧散し――無に帰った。

    「大丈夫か、翔真」
    「あ、ああ……ありがとう。でも、君達は一体……?」
     未だ残る怒りを鎮めるように一息吐いた恵理が語った事実は、やはり直ぐに理解されにくいもの。
     だから、彼女は笑って言う。
    「私達、ロックバンドなんです」
     自分達は、人間を舐めきった泥棒怪物共に抗う者。だから貴方も負けないで、と。
    「すれ違い全てを、戻ってきた音の喜びで埋め尽しちゃって下さい」
    「戻ってきた、音……そうだ! ライブ……!!」
    「今、20時5分。まだ間に合うよ」
     時計を見遣った一樹に続き、成海が問う。
    「荷物は?」
    「全部搬入してあるはず……!」
    「なら、あとは向かうだけですね」
    「ほら。その手で、奏でるんでしょ」
     立ち上がろうとして蹌踉めいた身体を咄嗟に支えた煉が、その冷え切った掌をぬくもりで包む。
    「翔真。相棒とのセッション、次に会った時に聞かせてくれ」
    「……寧ろ、私達も見に行っちゃうのは、だめ?」
    「あっ! わたしも、ぜひ聴かせていただきたいです!」
     冬舞の問いに続いた、煉や翠の希望を断る理由なぞ、青年にありはしない。是非にと大きく頷くと、
    「お疲れ様。じゃあ、また後でね!」
    「いってらっしゃい」
     見送る心日たちの傍らで、メリッサが尋ねる。
    「音楽は、楽しいですか……?」
    「――ああ、勿論!」

     幾度も振り返りながら手を振る青年。
     いつか、貴方は私たちを忘れてしまうけれど、私たちはきっと、覚えているから。
     ――私は貴方の音、好きですよ。
     駅へと駆け出したその背へと、成海はちいさく微笑んだ。

    作者:西宮チヒロ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年2月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 12/キャラが大事にされていた 0
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