黒猫と小さな図書館

    作者:

    ●出逢い
     何と無く、思いつきだった。いつもと違う道を選んで下校する荻島・宝(タイドライン・dn0175)は、長い石段を下りきり目の前を横切った影に、ふと足を止めた。
    「あっ、猫!」
     飼い猫だろうか。すらりとしたスタイルの良さも、差し色無い黒く艶めく毛並みも、赤いリボンも金の瞳も――全てが綺麗で愛らしくて、宝は思わず目元を緩める。
    「可愛いなぁお前。……あ、さては武蔵坂学園の灼滅者! ――なわけないか。あはは、こっちおいで?」
     穏やかに笑って、ひらひらと手を振ってみる。しかし、それには見向きもせずに華奢なその身をひらりと翻すと、黒猫は白い塀の向こうへ消えた。
    「あーあ、行っちゃったか。可愛かったのになー……って、あれ? 此処ってもしかして、入れる?」
     再び歩き出そうとして、宝は進路に塀の途切れる場所を見つける。
     ぽっかりと空いたその門に据え付けられた看板には、塀が囲う建物の名の一番上に――小さな黒猫の絵と一緒に、『私立図書館』と書かれていた。

    ●黒猫と図書館
    「どっちかっていうと俺犬派なんだけどね。でも、やっぱり猫も可愛いよね」
    「宝くん、動物好きだものね」
     過日出逢った猫との思い出を語った宝に、唯月・姫凜(高校生エクスブレイン・dn0070)は笑顔で応えた。
     返事の代わりに嬉しそうに笑顔を返した宝は、一緒に語らっていた教室の学生達へ顔を向ける。
    「話が逸れたけど、何が言いたいかって――つまりは、黒猫のお陰で見つけた図書館へのお誘いなんだ」
     私立図書館――件の黒猫が塀を乗り越え入っていった白い建物である。
     あまり大きな規模の所ではなかったが――読書や調べ物、勉強に限らず静かな時間を過ごすには良さそうだったと、記憶を辿る宝は語った。
    「それと、庭! まだ開館してたから俺少し覗いて来たんだけど、図書館をぐるっと囲う感じで庭があったんだ。それこそ読書するのに良さそうな!」
     その図書館の中庭はレンガ造りで、ベンチこそ数少ないものの季節柄花壇に花が咲いておらず、腰掛けて読書するに良さそうだったという。
     まだ寒い時候ではあるが――『日当たりの良い場所を選べばきっとそんなに寒く感じない筈だから!』と宝が語った所で、姫凜は苦笑しながらスマートフォンを取り出した。
    「……そうね、それなら今度の週末。日曜日なら、寒気が和らいで暖かくなるみたいよ」
    「決まりだね、日曜日だ! 俺は、折角の縁だから猫のこと調べてみようかなって思ってるんだけど。姫凜ちゃんも行く?」
    「勿論! 本は好きだし、私は気になる本を何冊か借りて中庭で読書しようかしらね。一応、ブランケット持って行こうかな」
     話が纏まったところで宝と姫凜は笑顔を交わすと、くるり、と再び教室の学生達へと向き直った。
    「君達は、どうする? ――小さな図書館で、どんな1日を過ごす?」
     それは、空が春へと1歩近付く或る休日の昼下がり。
     1匹の黒猫が誘う小さな図書館が、学生達の穏やかな笑顔を待っている。


    ■リプレイ

    ●誘われるは本の森
     優しい日差しが差し込む3月初旬、日曜日。白壁の建物には1人、また1人と訪れる人の影。
     公立のものに比べれば、規模は圧倒的に小さい――噂の図書館を訪れた流希は、早速1冊、棚から選び出した本を手に席に着いた。
     開館まだ間もない周囲には、本を捜索中か読書に興ずる姿もまだ僅か。そして空間は、どこも等しく静寂だ。
    (「時を気にせず、読書に浸れる……至福のときとは正にこのことなのでしょう……」)
     本を開いて、行を辿る――流希の平穏な時間は、まだ始まったばかり。
     心赴くままに棚から本を選び取ってきた緋由も席へつくと、静けさを味方にひたすら本の世界へ入り込む。
     電子工学の専門書に、推理小説。猫の絵本もあるかと思えば、今手元で捲るは若者向けだが英文書――緋由が傍らに積み上げた本達はその種類を問わず、年齢からは考えも及ばない難しい本も中にはあった。
     黙々と文字を辿る緋由を、今は邪魔するものは何も無い。
     本好きが故か、のんびりながらも慣れた様子で1人本の森を進む瑠美は、程なく目当ての作家コーナーへと辿り着いた。
     1冊、美しい翡翠色の背表紙へ手を伸ばす。すい、と引き抜き何枚か頁を捲れば、横から『あ』と小さな声がした。
     翡翠色の本を見つめる――姫凜だ。
    「……これかしら?」
    「あ、ごめんなさい。いいの、別の本を――」
    「どうぞ」
     ふわりと上品に微笑んだ瑠美は、翡翠色の本を姫凜へ差し出す。
    「え、でも……」
    「以前、読んだことのあるものだったから。この作者さんは、人の情景を描写した文章がとても美しくて、お勧めよ」
     言って瑠美は、同じコーナーから藍色の背表紙の本を手に取る。
    「……ありがとう。私も、この作者さん、大好き」
     嬉しそうに笑った姫凜。同士との小さな出逢いに、瑠美は優しく微笑んだ。
     返却カウンターに本を差し出して。以前からこの図書館を知っていた零は、新たな図書を求めて書棚へと歩を進める。
    「……うん?」
     その時――突き当たりの棚の影に、小さな影が横切るのが目に留まった。
    「あれは黒猫、かな?」
     図書館はペット持ち込み禁止だろうに――注意すべく、飼い主はいないかと辺りを見回してみるが、それらしい人影は無い。
     もう一度棚の影を見遣ると、猫は幻の様に姿を消していた。
     そこへすれ違う様に姿を現したエドヴァルドは、時折宛て無く手に取る本の猫率の高さに、翡翠の瞳を優しく緩める。
    (「黒ネコさんが教えて下さった図書館というのはとても不思議ですね」)
     手に取る本を通しての、多くの猫との出逢いは微笑ましい。今度は逆に猫のいない本を探してみようかと、少し楽しい気持ちで道を行く。
    「これは……『メガネ図鑑』?」
     自然と手に取ったそれは、実家の眼鏡屋を思い出して心もほっこりする様で。
     エドヴァルドは、本を脇に抱えると良い席を求め再び歩き出す。
    「今日は何読んでんの?」
     向かい合わせに席へついた古都子へ、春夜は小声で話し掛けた。
    「……」
     無言のまま掲げられた本は、密室系のミステリー小説。
     傍目にはそっけないその行動を返事に出来るのも、この行動が返事だと伝わるのも――親しい間柄があってこそで。
    「……ふっ」
     らしさに小さく噴出して、春夜は読んでいた文庫本で笑いを隠す。
    (「こっちゃん、楽しそう。こーいうの、ちょっと新鮮だな……俺はこっちゃんの傍ならどこでも幸せだし」)
     一方で、古都子もまた思っていた。
    (「図書館とは意外だった。立川はもっと賑やかな所が好きな奴だと思っていたが」)
     顔を上げて見る春夜の表情は、本に隠れてはいるが楽しそうな笑顔。それが自分のせいとは露知らず、古都子は僅かに笑みを浮かべた。
    (「改めて、誘ってくれた立川には感謝しよう。……静かで良い所だ」)
     思いは少しズレながらも。互いに楽しい時間は、ゆっくりと過ぎて行く。

    ●光満ちるは温もりの庭
     ――日差しが柔く、優しく中庭を照らしている。
     芥汰が初めて好きになった生き物――猫達が生きる物語達は、彼の優しい記憶も相俟って、肌には時折寒く感じる中庭に在っても心に温もりを灯してくれていた。
     やがてゆるりと微睡んで――穏やかな眠りへ落ちていく芥汰を、みゃう、と微かな声が更に深くへと誘う。
    「そういえば、荻島が見たって言ってた黒猫は、何処行ったんかね……」
     そう呟く膝元に本人が佇んでいたことは、目覚めた芥汰の膝に残った温もりが教えてくれることだろう。
    「黒猫の誘う図書館か……中々良いトコじゃねーの」
     大事そうに本を抱き締める凛空に手を引かれ、カイルは図書館の入口を抜けた。
     吹く風はまだほんのりと冷たい。少しでも寒くない様にとカイルが風上に立ち繋ぐ手をやんわりと握り返すと、凛空は嬉しそうにほわりと微笑んだ。
    「カイルさん、この本一緒に読もう……!」
    「……はは、凛空らしいチョイスの本だな」
     そんな凛空が掲げた本は『猫色Days』。或る猫の1日を描いた物語だ。彼らしい選択に思わず笑顔を零すと、カイルはふわり、凛空を脇から抱き上げる。
    「わわっ……」
    「これなら寒くねーし、一緒に読めるだろ? 漢字は難しいだろうし、俺が担当でな」
     そのまますとん、と胡坐をかいた上に乗せて。背中に心に、兄弟の様な温かな時間の予感に、凛空も思わずはにかんだ。
     光を穏やかに受け取りながら、源一郎は1人、ゆるりと読書に耽っていた。
     ぱらり、ぱらり。分厚い本の頁を1つ捲る度、老猫の恩返しや怪異、様々な猫との出逢いが描かれている。
     元々は民間伝承のレポートが目的だったが、興味深い猫と人との邂逅に時を忘れて熱中すれば――ふと、視線を感じて顔を上げた。
    「――わしも、邂逅できたのう」
     笑んで見つめる黒猫の金瞳は、間も無く草葉の影へと消えた。
     此処と決めた花壇の一角に積み重ねた本を下ろした修太郎に、同様に本を下ろした郁は笑顔を向ける。
    「図書館は普段手に取らないような本も読めるのが楽しいね」
    「うん。でも昔読んだ本をもう一度読み直したくなったりもするんだよね」
     そう言って彼が1冊手に取ったのは、小さい頃に読んだ童話の続刊だ。当時とは装丁や挿絵が変わっており、まるで違う本の様でもあるが――ぱらりと捲るページの先には、懐かしい世界が紡がれている。
    「本が好きなんだね」
     眼鏡の奥から本を見つめる優しい視線。いろんな話を聴けるのも、新たな一面を知るのも嬉しくて――ふふ、と思わず笑んだ郁に、修太郎も相好を崩した。
    「椿森さんは? 何かお勧めの本とか作家さんとかいる?」
    「私? 私が好きなのはクレヨンの国の話とか、あとは――」
     出逢った本達との思い出の数だけ、弾む会話は春へ向かう空に解けていく。
    「わたしの好きな本はいっぱいあるけどね」
     そんな優しい空の中、ひよりは大好きな紗奈の声に耳を傾ける。
    「今日は、猫さんの絵本。皆の気持ちをお手紙に乗せて運ぶお話だよ」
    「わぁ、素敵!」
     大きな絵本を片端ずつ2人で支えて。やさしいその物語は、紗奈の優しい朗読によって更に温かくひよりの心へ落ちていく。
     用意した湯気立つ紅茶は脇にふたつ。ブランケットはふたりでひとつ――この時、この温もりの心地良さに、次第にひよりの大きな翡翠の双眸はまぶたの奥へと……。
    「……ひよりちゃん、寝ちゃった?」
     ふと肩に感じた温かな重みに、紗奈は朗読を止めてひよりへと振り向いた。
     春咲く様な優しい微笑み。夢の世界へと旅立ったひよりを紗奈がそっと撫でて微笑めば、ひよりは幸せそうにふにゃりと笑って――さなちゃん、と小さく呟いた。
    「外を選んで正解だったな」
     吹きぬけた風の心地良さに、嵐は本読む視線を上げると、笑んで作楽へと声を掛けた。
    「……あ、ゴメン。本を読むの邪魔してんな」
    「いや、嵐さんとお話が出来る方が嬉しい」
     頁を捲る手を止め、答える作楽も仄かな微笑み。読書こそ目的でも、心許す友との語らいは、やはり何にも勝る誘惑だ。
    「嵐さんは何の本を持ってきたんだ?」
    「あたしの本? ……世界のお菓子特集」
     向けられた本の、表紙には愛らしいお菓子達。可愛らしさに作楽が思わず相好を崩した時、目の前の友人からは、ぐぅ、と空腹を訴える音がして。
    「……そろそろお昼時だな」
    「よし、作って来たサンドイッチ様の登場だな」
    「自分もクッキーを用意してきたんだ」
     1度本を脇へと置いて、2人同時に鞄をごそりと漁り出す。
    「……ふっ」
     シンクロした動きに、思わず零れた笑みはまだまだ、幸せな時間の入り口。
    「修斗、この絵本読んで!」
    「かしこまりました」
     頷く大好きな執事・修斗の微笑みに、裕也もまた笑顔を浮かべる。
    「ある所に、陽だまりが大好きな黒猫が……」
     温かな日差しの下、修斗が朗読するのは黒猫が主人公の絵本だ。優しきその声に聞き入る様に時折瞳を閉じながら真剣に耳を傾ける裕也は可愛らしく、修斗はくすりと優しく微笑んだ。
    「――黒猫が見つけた新しい陽だまりはシワだらけの優しい手のおばあさんの膝の上でした……おしまい」
    「よかった、どうなるかと思ったんだ……にゃんこさん、良かった!」
     ありがとう! と咲いた裕也の無垢な笑顔。優しい物語に共感した純粋な笑顔が眩しくて、修斗は瞳を優しく細めると、次を求めて立ち上がる。
    「ふふっ……ほかの絵本も探してみましょう」
     手を引いて、目指すは図書館。大好きな笑顔が、もっともっと咲く様に。

    ●再び、館内へ
     心ときめく本の森。その中でイコが見つけ出した1冊は、平安貴族な猫達が物語る古典文学。
     高校生になる前に、少し背伸びした勉強だ。しかし、古人が紡ぐ物語は紐解くには春を待てない魅力を感じて。だからイコは窓辺の席、隣に座る円蔵へと教えを請う。
    「『教えて?』」
     声を禁じて、広げたノートに書き記す。静謐なる図書館の最中、すらすらと綴られる文字を音で感じた円蔵は詩集に興ずる視線を上げ、僅か瞳の端を緩めた。
    (「静かではあれど、……無音ではない、この空間。幸せのひとときですねぇ」)
     すんなりと解を綴り返しながら、思いついた様に言葉を添える。
    「『イコさん、大好きですよぉ』」
     音にはならぬ、愛の囁き。受け取った想いをそっと赤いハートで包むと、イコは柔かに微笑んだ。
     窓際の席、熱心にノートへペンを走らせるのは桜子だ。
    (「戦争とか色々あるけどさー。結局はまだスネカジリな学生さんなワケで)
     日々戦いに励む灼滅者達も、本業は学生。テストの結果がお財布の厚みを左右するのが現実である。
     遊びも戦いも勉強も。わらじを三足は履いて頑張る桜子はふと、真横にふわりと浮かんだ黒い影に手を止めた。
    「あ……!」
     金瞳の美しい黒猫は、まるで微笑む様に桜子の顔を覗き込み――しかし素早い身のこなしで、本棚の影へと消えていった。
     パターンの参考になりそうな本を山盛り積み上げ机に向かう民子は、本を1頁捲る度、ノートに書き出す手が止まらない。
    (「名前、年代と――この図案のモチーフ何かな?」)
     創作意欲も掻き立てられる、新たな図案との出逢い。それらを纏める民子はふと、本の中の1つの写真に手を止めた。
    「あ、これ……」
     黒猫が齎した縁で訪れたとはいえ、こんな専門書の中にすら、猫。
    「三毛猫柄なんてのも可愛いかもね」
     民子はふ、と小さく笑うと、早速浮かんだ図案を白いノートに書き出した。
    「誘い、ありがとうございました。星見の時も、今日も」
    「こちらこそ。来てくれてありがとう」
     窓際の席にいた宝へ声を掛けた陽斗は、一緒にどう? と向かい席を勧められ、かたりとそこへ腰掛ける。
     借りてきたのは大好きなバスケの本と、息抜き用に猫の本と――参考書だ。
    「試験勉強?」
     問われどきりとして、陽斗は参考書に目を落とす。学力は上げたい。しかし、理由はそれだけでは無かった。
    (「……分からない所聞かれて、答えられるだけになっておきたいから」)
     宝は、そんな思いに気付いていたのだろうか。
    「……解んなかったら言って。一応先輩だからさ、多少は力になれると思うよ」
     笑んでそう言い、後は視線を本へ。深く問わず会話を終えた宝に肩の力が抜けた陽斗は微笑むと、鞄からノートを取り出し、参考書を紐解いた。
    「微積分とかもう訳わからん」
     間も無くに迫った高校最後の試験。教本を前に唸る鈴に、依子は解法のポイントを1つ1つ伝えていく。
    「そこはさっきの公式を……」
    「うー、公式がこうで、えーと」
     依子の丁寧な解説に、少しずつ鈴のペンの進みは速くなる。その様子に安堵しながら、依子も物理の教本を捲った。
    「……そっか、グラフにするとこうなって、そんでこうか!」
     ぱちん! やがて頭の中でピースが噛み合った鈴が、ばっと解答済みのノートを依子へ掲げ、満面の笑顔を見せた。
     達成感に満ちたその顔に微笑を返した依子は、返事の代わりに鈴のノートの隅に黒猫を描く。
    「『後で中庭で休憩しますか?』」
     無音のメッセージに、鈴も何やらそこに書き足し始める。
    「『おやつほしいにゃー』」
     魚の絵を添えた鈴のおねだり。堪らず噴き出した依子と鈴の中庭仲良しご褒美タイムが始まるのは、しかしあと1問解いてから。

    ●紐解く人へ結末を
     共有するブランケットから。隣り合い触れる肩から。伝わる鼓動と温もりは時を経てもきっと離れず、互いを想う度また近付いていく。
     小太郎の緊張を雪の様に溶かしていった希沙の声は今、まるで旋律を紡ぐ様に彼女の大好きな絵本を朗読している。
     甘く優しく鼓膜を揺らす声――ふと重みを増した肩で微睡む小太郎に気付いて、希沙の旋律はふっと途切れた。
    「……小太郎くん、寝ちゃうの?」
     思わず零れた言葉は、寂しさの欠片――霞む視界の中にその欠片を確かに見つけ出した小太郎は、ぎゅっと希沙の手を握る。
     そのまま、今度は小太郎の口から旋律は紡がれた。
    「……きみは何で、きさの望みが判るんかな」
     希沙の耳を擽るそれは、囁く様な星の歌。いつかの約束の子守唄に、ぎゅっとその手を握り返して、希沙はゆっくりと瞳を閉じた。
     旋律は、途切れない――夜を恐れる君が、穏やかに夢へと渡るまで。
     背中合わせにシートに座る響と綾乃には、静かな読書の時間が流れている。
    (「とはいってもー……」)
     先ほどから、響の視線はちらちらと綾乃を窺っていた。
     本に没頭する綾乃は、時折目の前の物語に紫紺の瞳を輝かせる。今日は図書館デートだ、それは望んだ通りのことと言えたが――なにぶん綾乃が大好き過ぎて、今日の響は本に集中できそうになかった。
    (「真剣な表情、素敵だな……」)
     ――と。綾乃を見つめる響はふと視界の隅、小さな黒い影に気付いた。
     金瞳でこちらを見つめる黒猫――綾乃の邪魔にならぬ様、響がし、と口元に指を立てて見せると、綾乃が気付いて顔を上げた。
    「――? なんだか心地いいですね。いい気分で本が読めます」
     微笑んだ綾乃に、響の胸も高鳴った。見れば、黒猫はもう姿が見えなくなっている。
    (「綾乃さんともっと仲良くなれますように!」)
     黒猫の齎した小さな幸福に、響は願掛けを添え、微笑んだ。
    「やっぱりカフェ絡みなの?」
    「学校で読むよりはいい気分転換になるしね」
     カフェ自営の専門書を手に笑う勇弥の勉強熱心さに、見習って頑張ろ、とさくらえは自身の本をぽんと叩いた。
     和装や日本髪関連の専門書だ。予想外の品揃えに勇弥が首を傾げると、さくらえは思い掛けない言葉を放った。
    「美容師になろうと思って」
     え、と驚きに目を丸くした勇弥に、さくらえはくるりと背を向け、立ち上がる。
    「……いい機会だし。進路決定宣言くらいはしといてもいいかなーってさ」
     気に掛けていたさくらえの進路。それだけに、この尊い決意表明は勇弥の心を大きく揺らした――やがてちらりと視線向けたさくらえの瞳に映ったのは、心から嬉しそうな勇弥の笑顔。
    「――そっか。やりたいこと、決まったんだな。美人にも美形にもなれるさくらなら、絶対に最高の腕の美容師になれるさ」
     頑張れ、と。あまりにも真直ぐな勇弥の声援と笑顔に、さくらえはくすぐったそうに微笑んだ。
    「わ、きれいなお庭なのです……!」
     図書館内で宝に声を掛け一緒に中庭へと出た朋恵の前には、手入れの行き届いた美しい庭があった。
    「花咲く春が楽しみな庭だよね。あの黒猫は、この庭を知ってたのかもなぁ」
     言いながら花壇に腰掛けた宝に倣って、隣に朋恵も腰掛ける。
     そのまま手に持つ本の頁を捲れば、沢山の猫達の冒険譚が描かれていた。
    「あたしも猫さんにお会いしたくて、こんな絵本を読もうと思っていたところでしたです」
    「あはは、そっか。沢山の猫に出逢えそうだね。……あっ、この猫あの黒猫に似てる」
    「……えっ、こんなに可愛かったのですか?!」
     宝と2人、談笑しながら。噂の黒猫には会えずとも、物語の中に生きる沢山の猫達と朋恵の出逢いは穏やかに進んで行く。

     1匹の黒猫が誘った、小さな図書館での1日――館内までも自由闊歩するあの黒猫がどこへ行ったのか、何者なのか、それを知る人は居ないけれど。
     人と沢山の物語を繋ぐ一時を。小さな図書館は、今日も明日も明後日も、本を紐解く全ての人へ、出逢いと結末を連れてくる。

    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年3月3日
    難度:簡単
    参加:33人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 9/キャラが大事にされていた 5
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