パンドラの瞳

    作者:来野

     夢を見た。多分、夢だったと思う。
    「君の絆を僕にちょうだいね」
     枕元で少年が囁く。声に聞き覚えはない。あの不思議な格好は宇宙服だろうか。ニュース映像で見たことがある。
     目が覚めると、世界は茫漠とした闇だった。そうだ。これが、今、俺の住む世界だ。
     だから、あれは過去の記憶だというのでなきゃ、夢なんだ。
     
     総合病院の渡り廊下。カツ、カツ、という小さな音が聞こえて来た。
     清掃係の女性がモップの手を止める。年の頃は初老。名前は、史子(ふみこ)さん。
     腰を一つ叩いて伸ばし、目の前を行き過ぎる男性へと和やかな声をかける。
    「こんにちは。暮木(くれき)さん」
     しかし、返事はない。男性に付き添う看護士が驚き、気まずげな視線を投げてきた。
    「いいよ、いいよ」
     史子さんは笑い、行ってと促す。
     暮木のつく杖は白い。だからこそ視覚以外は鋭敏で、いつもならば声を聞き分けて歩み寄ってくれる。史子さんにだけは。
     なのに、今日はどうしてしまったのか。曖昧な顔付きで顎を引いただけだった。
     その姿は、彼がここに入院した直後を思い起こさせる。道を断たれた者の静かな拒絶。
     エレベーターに乗り込む背を見送って、ひっそりとため息をついた。
    (「なんだろうねえ。私ときたら」)
     寂しいのだ。ずいぶん前に息子に先立たれて、彼に面影を重ねていたに違いない。自分だけという優越感もあった。
    (「患者さんに甘えちゃあ、いけないね」)
     自らに言い聞かせて背を向ける。
     今、暮木の頭の上には、卵が一つ乗っている。しかし、それは目に見えない。紫と黒の不気味な卵だった。
     
    「視力を失った男性の名は、暮木・希生(くれき・のぞみ)。航空機パイロット志望の21歳、大学生。頭の上に乗っているものは、ベヘリタスの卵」
     石切・峻(高校生エクスブレイン・dn0153)は、そう切り出した。絆のベヘリタス。教室内で囁かれる名に頷き、続ける。
    「もう、耳に届いていると思う。絆のベヘリタスは強力なシャドウだ。どうも、ヤツと関わりのある人物が、一般人から絆を奪って卵を産み付けているらしい。これが次から次へとベヘリタスに孵化するのかと思うと眩暈がする」
     眉間を押さえる。
    「厄介な話だが、孵化した直後を狙えば条件によっては弱体化を期待できるかもしれない。そこで、ベヘリタスがソウルボードに逃げ込む前に皆で撃破して欲しい。お願いします」
     頭を下げる峻。
    「条件は、孵化する前に対象である暮木と縁を結んでおくこと。卵は産みつけた相手の持つ絆を養分として育つらしい。そして一週間後に新しい個体として孵化するが、宿主と絆で結ばれた相手に対しては攻撃力が減少し、かつ受けるダメージが増加してしまうという弱点を持っている」
     よって、それを利用すれば灼滅も不可能ではなくなるだろう。
    「暮木は入院中なので、起床から消灯までは院内のどこかで顔を合わせることができる。が、相手はものが見えない。視覚以外に訴えないと気付かないので気をつけて欲しい。ちなみに史子さんだが」
     峻は、人差し指を立てた。
    「彼女には道具や中庭の花に話しかけてしまう癖がある。君たちには無いか? そういうこと。暮木はバケツと話している彼女に親しみを覚えたらしい」
     見えないからこそ想像力を共有するのが嬉しかったのだろう。
    「接触から孵化まではおよそ二日間の猶予がある。病室、食堂、中庭、屋上などが彼の行動範囲だ。移動中は付き添いがいるが、その他は大概一人でいる。家族は滅多に顔を出さない」
     治療費を工面するため。それに対する遠慮も鬱屈の一つかもしれない。
    「孵化は二日目の夕刻、無人の屋上で訪れる。使用するサイキックはシャドウハンターと鋼糸に似たもの。姿は仮面をつけた巨大な芋虫で、胸に閉じた一つの目がある。これは少しずつ開き、全開になるのは戦闘開始10分後。その時にはソウルボードを通じて逃走してしまうので注意して欲しい。そうなると灼滅はかなわない」
     峻は告げる。
    「相手の戦闘力は非常に高い。だから、事前の関係構築が重要だ。これは友好な関係に限らない。ただ、絆のベヘリタスを倒すと失われた関係は戻るので、その後のフォローも必要となる。内容によっては難しいかもしれないが」
     ともかくと続く声は硬い。
    「無事に帰ってきてくれ。それが俺の一番の願いだ。どうか、よろしく頼みます」


    参加者
    八絡・リコ(火眼幼虎の葬刃爪牙・d02738)
    レイン・シタイヤマ(深紅祓いのフリードリヒ・d02763)
    碓氷・炯(白羽衣・d11168)
    鳳蔵院・景瞬(破壊僧・d13056)
    桜乃宮・萌愛(閑花素琴・d22357)
    御納方・靱(茅野ノ雨・d23297)
    雨時雨・煌理(南京ダイヤリスト・d25041)
    陽横・雛美(すごくおいしい・d26499)

    ■リプレイ

    ●道標は折れている
     消毒薬の匂いが鼻につく。病院の朝は早い。
     白い扉を開けて、御納方・靱(茅野ノ雨・d23297)は室内へと頭を下げた。
    「今日から職場体験でお世話になります。掃除させてもらいますね」
     上から下までしっかりと支度を整えた彼を疑う者はない。
    「ゴミ箱君今日もご苦労様」
     てきぱきと動き回る。事前にゴミを用意して不自然な無音を作らないほどの手の込みようだ。バイト生活のたまものか。
     暮木は四つ並んだベッドの一番奥にいた。邪魔をせず静かに座っている。
    「使い込まれたものって愛着が湧くんですよね」
     靱の照れくさげな声に顔を上げた。史子さんへの態度と似ていたが、それとはまた別種の当惑も感じられる。
    「病院の備品は……」
     暮木はその先を口ごもる。あまり話さないのだろう。低く艶のない声だった。周囲はまだ違和感に気付いていない。
     その時、配膳ワゴンを押すカラカラという音が聞こえて来た。他の患者は自ら食事を取りに行くが、見えない男にはそれが難しい。そこへトレイを運んできたのは雨時雨・煌理(南京ダイヤリスト・d25041)だった。
    「初めまして、本日から数日間職場体験でお世話になります」
     体験者が二人揃ったことで信憑性が増し、若いのに感心だねえと目を細める患者もいる。煌理はベッドテーブルへとトレイを置き、暮木へと声をかけた。
    「食事と外出のサポートをさせていただきますが、何か至らぬところがあったらお申し付けください」
    「ありがとう」
    「あ……お一人で大丈夫ですか? なんなら手を……」
     少しの逡巡を見せてから意を決し、暮木は出汁の匂いのする皿の縁に触れた。
    「これ、何だろう」
     そうして煌理の目を頼り、料理の内容を教えてもらってから箸を使う。薬を届けに来た看護師が今日は残さなかったのねと珍しげな顔で笑った。

     午後になると院内には病人以外の姿が増える。
     それらをよそに中庭のベンチに腰を降ろしている暮木の前に、足音が一つ止まった。
    「史子さん避けてるみたいだけどどーしたの、心配してたよ?」
     降って来た声は聞く者に魅惑的な女の子のもの。八絡・リコ(火眼幼虎の葬刃爪牙・d02738)だった。
    「うん? 何を?」
     負の心証すら薄い。その様子を見てリコは今朝の事を思い返す。史子さんに声をかけてみたのだった。
     聞き出してきた馴れ初めを口にしても、暮木にはなぜその話題なのかがわからない。思ったとおりだ。
    「バケツのこととか覚えてる? 本当に何も思わなくなっちゃった?」
    「覚えてはいるけれど、君は史子さんのご親戚か何か?」
     リコは持参したクッキーの包みを差し出した。
    「ううん、入院している人がいるから。これ、クッキー。お見舞いに作ってきたけどお医者さんに止められたんだ」
     ドライフルーツやチョコレートと種類も様々なクッキーだ。甘い香りが風に乗った。
    「んー……きっと気分が沈んでるんだよ。美味しいかはともかく、甘いもの。ちょっとくらいなら気分転換にいいでしょ?」
    「頂戴します」
     ラブフェロモンの効果で暮木は嬉しげな笑顔を見せる。手にしてその場を離れた。

     廊下の先から少年の声が聞こえて来る。和服に身を包んだ碓氷・炯(白羽衣・d11168)のものだ。
    「お爺様に元気を分けてあげて下さいね」
     しかし、そこには彼しかいない。足を止めたのはまず看護師の方だった。炯は恥じ入るように視線を落として道を空ける。
    「全てのものに神様が宿っている、だから大切になさい、感謝なさいと小さい頃からお爺様によく言われましてね。いつの間にか癖になってしまいました」
     暮木はリアクションを見せない。やはり喰われている。それでもあきらめない。
    「姿も見えない神様ですけれど、いつも見守って頂けているようで素敵ではありませんか」
     暮木の肩先が微かに揺れた。炯が包みを差し出すと、看護師が受け取って微笑む。
    「あら和菓子。上品ですね」
     彼らしい見舞いの品だった。
     自分がもらうべきものか。暮木は悩み、しばらくは炯から漂う馥郁とした香りの中にいる。その場を離れる時にやっと口を開いた。
    「相手にだけ見えているのは怖くないか」
     看護師が「お爺様お大事に」と頭を下げた。

    ●近しき者を差し出せば
     二日目。暮木は廊下の端の長椅子に腰を降ろしていた。歩み寄ったのはレイン・シタイヤマ(深紅祓いのフリードリヒ・d02763)。
    「隣に座っても、大丈夫ですか」
     暮木は頷き、心持ち片側へと寄って残り半分を空けた。
    「お一人ですか」
    「はい」
    「私も、今は病室から追い出されてしまって。家族水入らずだって」
     家族。光のない男の横顔が微かに動いた。
    「従兄が入院しているんです。お兄さんと同じくらいの年の」
     レインの話しぶりは堂々たるものだが、そう口にした時は翳りが入り混じった。だからといって悲嘆に暮れる様子は見せない。あくまでもすっきりと語る。
     そして、膝の上に置いた本の表紙を開いた。ページを繰ると小さな鳥が羽ばたくようなパララという音が立つ。
    「……本」
     暮木が呟く。
    「古典の、予言をする釜の出てくる話を読んでいました」
     釜と呟いたきり、暮木はしばらく動かない。眉根を絞って長いこと考え、それから彼女の方を向いた。
    「ぶんぶく……は、違うか。予言しない」
    「雨月物語です」
    「う」
     疎い男の頭にも、彼女の興味のあり所は伝わったようだ。
     お大事に。その場を離れる時に暮木は言った。どこの誰へと向けた言葉なのかは、レインのみが知る。

     次の場所は中庭だった。メジロが飛び立つと梅の花びらが落ちる。淡い芳香に柔らかな声が入り混じった。
    「一人でも大丈夫……って言ったけど、ちょっと怖くなちゃった」
     桜乃宮・萌愛(閑花素琴・d22357)の声だった。花へと語りかけている。暮木が足を止めた。聞き覚えがあった。ためらいがちに問いかける。
    「病棟へはたどり着けた?」
     萌愛が振り返った。
     昨日の彼女は迷子だった。装うつもりが本物になってしまったところで、暮木と看護師に出会った。その時に手術のための2~3日の検査入院と告げてある。
    「……ちょっと不安で……お花さんたちなら聞いてくれるから……」
     ぽつりぽつりと語り始める。貧血がひどいこと。内臓に問題があるかもしれないこと。両親は共働きなために一人で入院しているということ。
     そして立ち上がろうとして、何かにつまづいた。ずっ、と音が立つ。
    「え」
    「きゃあ! はわわ……ぶつからないで良かった……驚かせました? ごめんなさい」
    「驚いたよ。大丈夫か?」
     ええ、と答えて萌愛は笑む。暮木は肩に触れて彼女が無事なのを確かめ、頷いた。
    「お兄さんと話したようで、不安、どこかへ行きました、ありがとうございます」
     そう言って去る身軽な足音に「いや」と短く答え、花の落ちてくる方を向く。見えない。
    「むしろ俺の方が」
     遅すぎる呟きに重なる音があった。からり、という下駄履きの音。仄かな匂い袋の香りと共に鳳蔵院・景瞬(破壊僧・d13056)が、やってきた。
     彼はまず遠くへと案内を頼んで看護師を引き離している。暮木を一人にさせた陰の功労者だった。
    「おや、君は先程の!」
     暮木が振り返る。
    「……私は武道を齧っていたが腕をやってしまってな」
    「それは……」
    「だが、お蔭で見えなかったものが見えるようになった。目に映るものが世界の全てではない、ということだな」
     伏せたきりの目蓋の裏で眼球が動くのがわかる。声はない。景瞬が、おっと、と続ける。
    「つい説教臭くなってしまったな、すまない!」
     病院だけに僧服は身に着けていないが、僧とは説教するもの。それを理解しない暮木は押し黙り、やがて、杖を頼りに歩き始める。
     すれ違う瞬間、囁くほどの声でこう訊ねた。
    「それを見続ければ、治さなくてもすむかな」
     踏み込んだ下駄の勇気に跳ね返るどす黒い泥のようだった。
     影が交わり、離れる。

    ●癒しと施しと偽りと
     午後。保険の外交員と一悶着した後、暮木は中庭へと一歩踏み出した。賑やかな声が聞こえて来る。
    「やっほ~、みんなの友達、雛美ちゃんだよ♪」
    「ぴぃちゃんだ!」
    「ひ・な・みちゃんだよ♪」
    「ぴよちゃ~ん!」
     ピンク色の二頭身ヒヨコこと陽横・雛美(すごくおいしい・d26499)が子供相手のキグルミのボランティアに励んでいた。着ているわけではないのだが今はそれで良い。
     当人の気も知らない子供たちは背中のジッパーを探したりと可愛くない。雛美の目つきがやさぐれる。
    「あーダルイわ」
     本音がこぼれた。その一部始終を背後で聞いていた暮木は咄嗟に口を押さえた。横顔から険しさが消える。
    「……っ、ぶ」
     こらえたのだが、吹き出した音が微かに漏れた。はっ、と振り返った雛美はフレンドリーに歩み寄る。
    「やっほ~」
    「やっ、いや、頑張らないで」
    「……」
     なんとなく戸口の段差に並んで座った。
    「あぁ、疲れた。どこか落ち着く場所はないかしら。食堂のご飯おいしい?」
     ラーメン美味しいよと子供たちの声。暮木が首をひねる。
    「俺は食ったことないけれど。でも、落とし玉子だっていうからな」
     かき玉じゃないと残念そうな顔をしてから訊ねた。
    「仕事?」
    「違うわ。ボランティア」
     無料奉仕。なおさらきつかろう状況に眉根に力を込めて額を抱えた。俯く。自分は治療費を喰らう者だ。
    「なぜ……」
     今度は雛美が首を傾けた。
    「なに? かき玉ラーメンが好きなのかしら。今度差し入れするわね。約束」
     その一言に、深く俯いた暮木の眉根がまた複雑に力を込めた。目尻の雫が重さに負けたなら、もう笑い涙ではごまかせない。
     ここは『またおいで下さい』を言ってはいけない場所。重たい縁につぶれそうな肩にその『約束』の軽やかさは切なく儚い。
    「ありがとう。雛美さん。……暮木です」
     杖を置いて右手を差し出した。
    「俺は何を用意して待とう」
     陽が傾く。夕刻が訪れる。静かに歩み寄ったのは煌理。屋上への案内を暮木は彼女に求めていた。
     手を取り、今、無明よりも深い闇へと踏み出す。

    ●地獄の門が開くとき
     日暮れ時の屋上。その卵は内側から貪られるようにして割れた。
     ぼてりと地に落ちて膨れ上がったものは胸に亀裂の入った巨大な白い芋虫、蚕。サイキックエナジーの大食漢、餓鬼のごとき幼生の誕生だった。
     靱がすばやく声をかける。安全な場所は調べてあった。
    「危険です。こちらへ」
     駆け寄った景瞬と共に外階段への降り口に誘導しようとしたが、匂い袋の香りに気付いた瞬間、暮木は抗った。
    「君、腕は」
     猶予がない。説明はともかく退避させる。炯が外界との音のやり取りを断ったその時、ヴォッという異音が屋上に響いた。無数の白く粘付く糸が灼滅者たちを覆い尽くそうと広がる。
    「……ぅっ!」
     巻かれ、阻まれ、敵との距離が開く。糸が絡みついた箇所から嫌な匂いが立ち、冷たい痺れが広がり始めた。退避に離れた者たちは無事だが、それ以外がまずい。
     煌理が機械剣のごときクルセイドソードを抜いた。祝福の文言を風に乗せ、振り払う。ビハインドの祠神威・鉤爪は前へ。
     スターゲイザーで足止めを狙った萌愛が、あ、という顔で唇を噛みマテリアルロッドを手にした。
    (「ベヘリタスは逃がさない、ここで必ず消します!」)
     駆け込み渾身で振るったロッドからフォースブレイクの魔力を注ぎ込むが、ぐんっと頭をもたげて退った芋虫は這い逃げようとする。
     蓋を開けてみるまでわからなかったこの戦い、灼滅者側は総じると守りが固かった。追うには攻撃力が足りない。
     だが諦めない。レインの声が響き渡る。
    「その闇を、祓ってやろう」
     WOKシールドを展開し、エネルギー障壁を大きく広げて味方を守る。ビハインドのモトイは狙撃の位置へ。
    (「貴様らは、総じて全てを奪いすぎだ。容赦など知らぬよ」)
     脇から回ったリコが敵の足許へと駆け込み、急所を狙う。ザッという一撃。リコの足許に飛び散るどす黒い体液。
    「イ、イイィ!」
     仮面の芋虫が不気味な声を上げた。胸の一つ目が薄く開き始める。倒れないのか。反撃のきつさを考えると一度下がるしかなかった。
     入れ替わって前へと出たのは雛美。確実に当てることを大切にエアシューズを駆る。床を黒く焼いた爪先がシャドウへと炎の一撃を蹴り込んだ。
    「ギッ!!」
     虫が怯む。入った。ずんっという重たい振動が灼滅者たちの許へと広がる。ダークネスの洞にも似た口腔がボッと黒い球体を吐いた。
    「っあ!」
     食らったのは萌愛。だが、持ち応えられた。脇腹から焼け付くような毒の腐食が広がるが鈍い。固く唇を噛んで耐える。
     このままでは逃げられかねない。炯の許からどす黒く殺気が生じて床を這い、敵を包み込もうとする。
    (「絆を奪うとは残酷なことをしますね。貴方の目的が何であれ、僕が今出来るのは一つだけ。殺します。えぇ、完膚なきまでに」)
     身を揉んだシャドウが振り払って逃げる。また、目蓋が上がった。中で何かが蠢いている。
     その時、退避を担った二人が戻って来た。靱が形を変えた巨腕を構え、敵へと駆け込む。鋭い一撃に風が巻いた。
    「……!」
     ザクリという音は響いたのに、巨大な虫は頭を持ち上げて彼と対峙する。大口を開いた。
    「ゴッ!」
     何かがきらめいたと思った次の瞬間、靱の胸が引き裂ける。顎から頬へと点々と熱い飛沫が迸った。すかさず護符をはためかせるのは景瞬。下駄の歯がガツンと固い音を立てる。
     時間が過ぎる。斬り込む者には短く、守る者には長い時間だ。
     全身に細かな傷を刻んだシャドウが柵に背が付くところまで追い込まれる。追いすがろうにも灼滅者側の足も赤黒い跡を引いて、今にも膝を突きかねない。全員の意識がまだ残っていること自体が存在への粘り強さといえた。
    「くっ!」
     レインが地を蹴った。妖の槍の穂先が闇を走る。鋭く突き出した先で芋虫の目が大きく開いていた。
    「オ……!!」
    「……!」
     白目などどこにもない。真っ黒な眼球が灼滅者たちの姿をくっきりと映し、音もなく一つ瞬いて消えた。耳をつんざくような金属音が響き渡る。
     槍の先にあるのは大きく外へとひしゃげた柵だった。

     シャドウはソウルボードへと逃げ去った。
     静寂の中に灼滅者たちの荒い息遣いだけが残る。
     カツリ、と杖の音。彼らに向けられた望みはただ一つ。
     生きていると声を上げることだった。

    作者:来野 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年3月12日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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