愛欲の代償

    作者:篁みゆ

    ●愛欲の代償
    「――わかった」
     ビルの最上階、窓の前に立って外を見ていた男は通話を終え、机の上のボタンに手を伸ばした。すぐに聞こえてきたノックに応える。
    「お呼びでしょうか」
    「ああ。岡留を処分したい。弘瀬、任せていいか?」
    「……よろしいのですか?」
     入室して机を挟んで男の後ろ姿を見つめるのは秘書なのだろう。髪をきっちりまとめて結いあげて、清楚なスーツ姿の女性だ。
    「ついに色香に狂って裏切りやがったからな。もう使いものにならない」
    「……かしこまりました」
     弘瀬と呼ばれた秘書はその美しい顔に笑みを浮かべることなく、きっちりと頭を下げて部屋を辞した。
     

    「よく来てくれたね」
     教室に足を踏み入れると、神童・瀞真(大学生エクスブレイン・dn0069)が穏やかに灼滅者達を迎えた。椅子に腰を掛けるように示し、全員が座ったのを確認すると彼は和綴じのノートを開く。
    「軍艦島の戦いの後、HKT六六六に動きがあったようだよ」
     彼らは有力なダークネスである、ゴッドセブンを、地方に派遣して勢力を拡大しようとしているらしい。そして、ゴッドセブンのナンバー3、本織・識音は、兵庫県の芦屋で勢力を拡大しようとしているのだ。識音は、古巣である朱雀門学園から女子高生のヴァンパイアを呼び寄せて、神戸の財界を支配下においているようらしい。
    「ヴァンパイアたちは神戸の財界の人物の秘書的な立場として、その人物の欲求を果たすべく悪事を行っているようだね」
     瀞真は一度息をつき、そして続ける。
    「とある会社の社長が弘瀬という美人秘書に岡留という男の始末を依頼するよ。岡留は社長の指示に従って、ライバル的な位置にいる有力者達の妻や愛人と深い関係になって、愛人たちから情報を探りだすとともに都合のいいように扇動する仕事を請け負っていたんだ」
     けれどもその彼が、とある男の後妻であるちさとという女性を本当に愛してしまい、駆け落ちを企てた。岡留を見張っている社長の部下からそれは伝わり、弘瀬の手下である強化一般人たちがその始末に乗り出すというわけだ。
    「強化一般人の数は6名。岡留が車を留めてちさとを待っている地下駐車場で彼らは岡留を始末する」
     強化一般人たちが地下駐車場に現れる数分前に岡留はタバコを吸うために車から出て、車体に寄りかかって立つ。岡留がタバコを吸い終わるより先に、強化一般人たちが襲ってくるだろう。また、ちさとはこの地下駐車場近くの美容院にいて、戦闘が始まって少しすると待ち合わせ場所である駐車場にやってくるから注意が必要だ。
    「駐車場には戦闘の妨げになるほどの車は留まっていないけれど、身を隠すに困らないくらいの車や柱はあるよ。強化一般人たちは岡留の赤い車を目印にやってきて、車に寄りかかっている彼を始末して去るつもりだ」
     なんとか岡留を助けて、強化一般人達を倒さねばならない。
    「接触する間に良いタイミングとしては、エレベーターを降りてきた強化一般人たちが岡留の車の前で彼に声をかけた時。短いやりとりの間に割り込むのがいいだろう」
     岡留は警戒心バリバリの状態だ。雇い主を裏切っただけでなく、有力者の妻を略奪しようとしているのだから当然のことだろう。彼を逃がすのならば、声掛けに気を使う必要があるかもしれない。
    「ASY六六六の狙いは、HKT六六六のミスター宍戸のような才能を持つ一般人を探し出すことのようだね。その一環として、一般人に手を貸すような事件を行っているようだ」
     彼を助けるのも、その企みを挫く一端だよ、瀞真は告げてノートを閉じた。


    参加者
    日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)
    識守・理央(オズ・d04029)
    穂都伽・菫(煌蒼の灰被り・d12259)
    安藤・小夏(折れた天秤・d16456)
    エリノア・テルメッツ(串刺し嬢・d26318)
    神成・恢(輝石にキセキを願う・d28337)
    ルナ・リード(朧月の眠り姫・d30075)
    ローレンシア・カヴェンディッシュ(黄昏のローラ・d32104)

    ■リプレイ

    ●ステキな命ではないけれど
     薄暗い地下駐車場に蛍光灯の冷たい灯りが降り注ぐ。ぽつぽつと車が停まっているが、中でも目立つのは岡留のものだという赤い車だった。
    (「岡留さんのしてきたことや浮気のことも考えると、自業自得かな、と思うところはあるのですけど」)
     スロープ側出口に比較的近い柱の陰から赤い車を目の端に捉え、日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)は心の中で呟いた。思う所はあるが、ASYの思う通りにさせることがもっといけないことだと自分を納得させる。
    (「なんというか、どっちもどっち善人なんて居やしない。むしろ、こんなどこぞのドラマみたいな展開は勘弁して欲しいわね」)
     岡留の車の近くに身を隠したエリノア・テルメッツ(串刺し嬢・d26318)は小さく息をつく。今はやるべきことをやるしかない。
    「駆け落ちなんて今時ロマンのあることだな」
    「岡留もちさとも、例え無事此処で駆け落ち出来ても先が明るいようには思えないけど」
     小声で呟いたローレンシア・カヴェンディッシュ(黄昏のローラ・d32104)にエリノアも小声で返す。駆け落ちの結末までは灼滅者達の知るところではない。穂都伽・菫(煌蒼の灰被り・d12259)がちらりと運転席へ視線をやると、これからの自分達が歩む苦難の道を知っているのだろうか、岡留は渋い顔で腕を組んで座っていた。
    (「駆け落ち……ま、ダークネスのやらかしに比べれば可愛らしいですよね」)
     別の柱に隠れて時を待つ神成・恢(輝石にキセキを願う・d28337)はちらりと岡留を見て思う。だが彼の意識は岡留よりも地元界隈で騒動を起こす敵達に向いている。
     恢の近くで待機している識守・理央(オズ・d04029)は岡留の様子をうかがっていた。岡留がドアを開けて車から出て、車体に身体を預けた事で、その時が近いと悟る。岡留がポケットからタバコを取り出し、火をつけた。この煙草が平穏に吸い終わることはないということを、灼滅者たちは知っている。
    (「……まあ、さ個人的には。個人的には……無条件に守りたくなるような人間じゃないよ。岡留たちは」)
     エレベーターの近くに隠れている安藤・小夏(折れた天秤・d16456)は、複雑な気持ちを隠せない。
    (「でもさー、なんだ。……手を伸ばして、全力だせば、救える命を前に手を抜くようなカスにゃあなりたくねぇのよね」)
     岡留もちさとも諸手を挙げて守りたくなるような行いをしている人物ではないのは確かだ。それでも、小夏は自分の想いを再確認して、目の前の命を救うために大きく息を吸う。
    (「うっし、がんばっか。浮気女と寝取り男でも……や、だからこそ、生きてた方が後悔して反省するかもわからんしね」)
     ウィン……小さくエレベーターの動く音が聞こえた。小夏は隣のルナ・リード(朧月の眠り姫・d30075)と視線を合わせて頷き合う。敵が降りてこようとしている。
    (「愛というものは本当に面倒なものですのね全く」)
     軽くため息をついたルナは次の瞬間、視線を据えて。
    (「取り敢えずは与えられた任務を遂行致します。私情は挟みません」)
     チン……エレベーターのドアがゆっくりと開く音がした。

    ●代償はいつかきっと、この後に
     カツカツカツ……6人分の足音が交じり合って地下に響き渡る。岡留は一瞬強化一般人達に視線を移したが、特に気に留めた様子もなくタバコを吸い続けた。だが敵は岡留の赤い車を目指して進んで行く。赤い車を囲むように広がりつつ、敵の男が口を開いた。
    「岡留だな」
    「ぁ? そんな大勢でなんの用だ?」
     タバコを落として足で踏み消した岡留の問いには、スラリと抜かれた武器が、語る必要はないと言っていた。その武器が岡留を狙う前に、赤い車の近くに隠れていた理央が敵男性陣から熱量を奪った。
    「なっ……」
    「誰だ!?」
     誰何の声に答える前に、恢が掌からオーラを放つ。ビハインドの玄が追うように同じ男を狙い、菫は重ねて男たちから熱量を奪った。ビハインドのリーアが敵と岡留の間に入るように動き、攻撃を仕掛ける。
    「……!」
    「仕事でね。お前達を始末しに来たんだ」
     グラサンに腕時計、代紋、帽子とあからさまな格好をしている理央。プラチナチケットが、彼を同業者だと認識させる。自分を助けたように見えた灼滅者達を岡留は警戒の視線で見つめている。自分の立ち位置を見極めようとするように。
    「信じてもらう必要はないけど君に死なれると不利益があるから護るね?」
     岡留を護るように位置どった小夏が傷の深い男の懐に入り、拳を繰り出す。
    「まあ、こちらの仕事と無関係な人に死なれると後処理が面倒なのですよ」
     小夏の言葉に添えて、菫はプラチナチケットを発動させた。小夏の霊犬ヨシダは、小夏を追う。
    「どこの組織のもんか知らないが、助けてもらう義理は――」
    「助ける? 勘違いしないでいただきたい。あちらに用があるだけです……退いて頂けますか?」
     そっけなく言葉を紡いだ恢。彼から発せられる王者の風の威力に、岡留の威勢も削がれていく。
    「車に乗ってさっさと逃げろ! 貴様に死なれると後始末が面倒なんだよ」
    「で、でも……人を待っ……」
    「ぐずぐずするな!」
     ローレンシアに怒鳴るようにされて、岡留はのろのろとではあるが車に乗り込もうと動き始めた。ローレンシアと霊犬のクロエはそんな岡留と車を守るようにしながら、敵の男性陣を狙う。
    「お前達は弘瀬の部下ね。弘瀬の手駒は潰させてもらうわ!」
    「なぜそれを!」
     声を上げたエリノアは、槍を回転させながら敵へと突っ込んでいく。自分達の所属を知られていると分かった敵は、焦りを抱いたまま灼滅者達を見やった。
    「邪魔です。早く消えて」
     ようやく車に乗り込んだ岡留を威圧しながら急かすようにルナは冷たく言い放つ。聞こえたエンジン音に逃してたまるかと動こうとする敵達を、その言葉の温度そのままのような冷気が襲う。
    「……」
     話すと皆が作り上げた裏組織の雰囲気を壊してしまいそうと判断した翠は、車中の岡留にスロープを指し示した。このために確保しておいた出口。岡留の車が翠の横を抜けていく。
    「行かせない!」
     敵女性陣が車を狙う。翠から守りの符を受けた小夏とローレンシアが、その攻撃を遮った。段々と、エンジン音が遠ざかっていく。
    「追え!」
    「ザッケンナコラー! こっちこそ行かせねぇぞ!」
     理央のナイフから放たれる独の風が、男たちを蝕んでいく。
    「ねぇ、弘瀬ってどんな女?」
     熱量を奪い、冷気で包み込む様子は拷問のよう。恢はそっと問いかける。
    「お前達に話して聞かせるのももったいないくらい、素敵な方だ……」
    「ふーん、そう」
     彼らに機嫌よろしく対応なんてできない。ある意味お決まりの反応を得て、恢はつまらなそうに呟いた。そんな彼の心中を悟ったかのように、玄が一番傷の深い男を痛めつける。
    「一人ずつ、減らしていきましょう」
     菫の放った魔法の矢が、玄の横をすり抜けて男の首元を射抜く。男の体はそのまま冷たいコンクリートに倒れ伏して動かなくなった。リーアは次の相手を素早く見極めて、攻撃へと動く。小夏が身体を回転させて同じ相手に迫り、ヨシダは小夏の傷を癒やす。
     男たちが刃をぎらつかせて理央とエリノアへと迫ったのを、ローレンシアとクロエがタイミングよく間に入って代わりに受けた。その流れでローレンシアは『わがまま座布団』に刻まれた祝福の言葉を癒しの風に変えて前衛を癒やし、クロエはなお傷の深いローレンシアを癒やした。
     回復にあたったローレンシア達の横をすり抜けて、エリノアはもう一度男たちへと迫る。
    「慄け咎人、今宵はお前が串刺しよ!」
     吸血鬼配下の強化一般人は育ての親を思い出させる。胸糞が悪くなり、自然、槍を持つ手に力が入る。勢いづいた一撃で吹き飛ばされた男のうち一人が、倒れたまま動かなくなった。
    「追わせはいたしません」
     ルナの蝋燭の紅い炎から飛んだ花が、まっすぐに男を襲う。翠は『神札』に祈りを捧げるようにし、ローレンシアへと飛ばした。
    「このままでは……」
     女の一人が呟いて、男を回復させる。岡留を逃し、仲間を次々と失う今の状況。逃げ帰って弘瀬に報告したとしても処分が待っているのだろう。とすれば邪魔をした目の前の若者たちに少しでも多くの痛手を与えるしかない。そう判断したのだろう、残りふたりの女達が魔法光線で恢を狙った。
    「これ以上追おうとしても追いつけないさ。第一、追わせないからな」
     炎を纏った理央の蹴撃が、男の腹部に深く入り込む。身体を二つに折った男に、恢が『Fomalhaut』を手に迫った。うなじに深々と突き刺さった針を通じて、毒薬が男の身体に流れ込む。恢が注射器を引き抜くより先に男の身体が重力に従って崩れ落ちた。玄は残った女達に攻撃を仕掛ける。
     菫が女の一人に迫るのに合わせるようにして、リーアも動いた。ロッドを叩きつけて魔力を流し込む菫、霊撃を打ち込むリーア。
     小夏はエレベーターが動いていないことを確認して、傷の深い女性へと迫る。その間にヨシダが恢の傷を癒やしに近づいた。
    「貴様等三下に聞いても仕方ないだろうが、俺に似たヴァンパイアを知らないか?」
     距離を詰めてきたローレンシアに尋ねられた女達が首を振るのを見て、ローレンシアは容赦なく暴風を伴う回し蹴りを放つ。クロエはそっと、恢の傷を癒やした。
    「おとなしくしていて」
     エリノアの放った氷柱が、後衛の女を容赦なく突き刺す。ルナの不可視の攻撃が、二人の女の熱を奪い凍りづけにする。翠の舞で喚ばれた清らかな風が、恢を蝕んでいたものを浄化する。
     明らかに、次々と数を減らされて回復も追いつかない自分たちが不利だと敵もわかっているだろう。それでも彼女達は武器を手放さない。三人の攻撃が、今度は理央を狙う。
    「クロエ、みんなを守ってやるんだ」
     ローレンシアの命に従って、クロエがその内の一撃を受ける。
    「楽にしてやるよ」
     傷の深い方の女との距離を詰めた理央は、自身の傷を気にすることなく女の胸元をジグザグに切り裂いた。途切れ途切れの悲鳴と吹き出す血が徐々に勢いをなくし、女は倒れて動かなくなる。
    「玄」
     短く名を呼んで、恢は中衛の女へと迫る。恢が注射器を突き刺すのに合わせるように、玄も攻撃を繰り出した。
    「リーア、私たちも……」
     菫とリーアも恢達に倣うように女へ迫り、追い詰める。追い詰められた女の瞳に、安堵の色が見えたのは気のせいだろうか。
    「っ!」
     菫達と入れ替わりに彼我の距離を詰めた小夏が、思い切りアッパーカットを決める。女の身体が一瞬、宙に浮いた。ドサリと女が音を立てて落下する間に、ヨシダが理央を癒やす。
    「そろそろ終わらせてやろうか?」
     ローレンシアとクロエが、最後の一人となった女を追い立てる。
    「本当は楽になんてさせたくはないけれど」
     この強化一般人にとって楽になること=倒されることならば、自分の目的とも一致している。ならば。エリノアの放った氷柱が、女の肩口に突き刺さった。
    「ひっ……!」
     だが、じわじわと迫る死の恐怖に耐えられなかったのだろう。女は灼滅者たちに背を向けて走りだそうとした。だが、彼らがそれをやすやすと見逃すはずはなく。
    「愚かでいらっしゃるのですね」
     ルナの蝋燭から放たれた紅い花が女の背に咲く。花に弔われるように女は膝をつき、うつ伏せに倒れて動かなくなった。

    ●彼らの未来は見えねども
    「お疲れさまでした」
     ドレスの裾をつまんでお辞儀したルナに、仲間たちも口々にお疲れ様と告げる。傷ついた仲間を癒やし、それぞれ帰途へつく準備をし始めた。
    「結局、使い潰される鉄砲玉……あんた達も、哀れだ」
     そっと強化一般人たちの躯に、理央は手を合わせた。倒す事が支配から解放してやる救いだったというのは詭弁かもしれない。だから、純粋に彼らの死を悼んだ。
    「……」
     菫はそっと、視線をスロープの方へ向けて。
    「……どうか、お幸せに」
     呟いたのは、困難の道を歩み始めた二人への祈り。
     岡留とちさとの愛は祝福されぬものなのかもしれない。けれども幸せであれと願ってしまうのだった。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年3月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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