笑みを喰らえば

    作者:高遠しゅん

     目の覚めるような青を見せていた空が、茜色に色づいていく。
     夕食前の観光客は昼間と変わらぬ賑わいで、国際通りを歩いていた。 
     飲食店や土産物屋が多く並ぶ通りを見下ろす建物の屋根の上に、彼らはいた。
    「なんて気持ちが悪いんだろうね、人間の笑顔ってさ」
     男は目を細める。
    「仰るとおりです」
     跪く黒いスーツ姿の女は、風に遊ぶ長い黒髪を低い位置で結んだ。
    「じゃあ、行って」
    「ご期待に添えるよう努めます。スマイルイーター様」
     建物の屋根から、女は身を躍らせた。気付いた観光客が悲鳴を上げる中、女は落下するわずか一瞬の間に、一振りの刀を手にしていた。
     パンプスの爪先が地面に着くやいなや、女は独楽のように回転する。悲鳴と血しぶきが同時に上がった。
     国際通りが惨劇の場と化していく。
     スマイルイーターと呼ばれた男は、それを感情のない目で見下ろしていた。


    「HKT六六六の新たな動きだ。軍艦島の戦いから、落ち着く暇も与えられない」
     手帳を開き、ぎっしりと書かれた頁を繰って、櫻杜・伊月(大学生エクスブレイン・dn0050)は集まった灼滅者たちの目を見た。
     HKT六六六は、有力な配下であるゴッドセブンを地方に派遣して勢力を拡大しようとしているらしい。そのうちのナンバー5、スマイルイーターと呼ばれる六六六人衆が、沖縄で行動を開始したことを予知したと言う。
    「沖縄の国際通りが目下のターゲットだ。急いで沖縄に向かってくれ」
     伊月は手帳の文字に眉をひそめた。
    「スマイルイーターの灼滅は、今回は諦めてほしい。奴は沖縄の各地に爆弾を仕掛けている。どこにどれだけの爆弾があるかは不明だが、灼滅されれば爆発する仕組みだ。最悪、島まるごと吹き飛ぶ可能性も否定できない」
     国際通りで起こると予知された事件の阻止と、配下ダークネスの灼滅が今回の依頼だと地図を示した。

     戦闘は、国際通りの端に発生する。夕方とはいえ、観光客の数は少なくはない。しかし、時間帯はちょうど夕食時、50人ほどが通行人として間近にいるという。
    「避難誘導には俺がつく」
     それまで片隅で聞いていた刃鋼・カズマ(高校生デモノイドヒューマン・dn0124)が、声を上げた。他にも何人かの声が上がる。
     伊月は頷いた。
    「機会は一瞬。女が建物から飛び降りようとしたとき、真下の観光客を強引にでも逃れさせ、灼滅者で固めれば一般人の被害は押さえられる」
     それ以外に事前の策で一般人の通行をなくしてしまえば、スマイルイーターはバベルの鎖で察知し、どこかへ消えるという。
    「スマイルイーターは、戦闘が終わるまで屋根の上で眺めている。手出しはしてこない」
     そこからどう灼滅者達が動くかは、任せると伊月は言った。
    「目の前のダークネスをみすみす見逃さねばならない気持ちは、理解している。だが今回は、一般人への被害を未然に防ぐことを第一に考え、動いてほしい」
     コーヒーがぬるくなっている。缶を飲み干して、伊月は溜息をつく。
    「……奴らにとっては全てが遊びだ。腹が立つな」


    参加者
    泉二・虚(月待燈・d00052)
    万事・錠(ハートロッカー・d01615)
    橘・蒼朱(アンバランス・d02079)
    フェルト・ウィンチェスター(夢を歌う道化師・d16602)
    システィナ・バーンシュタイン(カリスマモフモフ師・d19975)
    不動・大輔(旅人兼カメラマン・d24342)
    儀冶府・蘭(正統なるマレフェキア・d25120)
    小鳥遊・劉麗(カリスマモフモフ師の助手・d31731)

    ■リプレイ


     陽が傾き始めた。
     茜色に照らされる国際通りは、多くの観光客が談笑しながら歩いていた。
     昼間から歩いていれば軽く汗ばむほどの気温、冷たいものを食べて歩くにも丁度いい。土産物の袋を片手に、数人の若者が日陰で春の沖縄甘味を満喫している。
     あるいはスマートホンを片手にゲームに興じる者がいる。どこにでもいる学生らしい、ラフな服装の少女だ。待ち合わせなのか、時折顔を上げて周囲を見渡している。
     ふいに通りすがりの誰かが声を上げた。頭上を指さす者がいる。
     そう高くないビルの屋上に腰掛け、足を遊ばせている男がいる。その傍には女らしき姿もある。
     観光客の足が止まった。あの二人は飛び降りるのではないだろうかと。通常であれば、そんなところに人間がいるはずがない。緊迫した空気の中でも、携帯電話を掲げ、写真や動画を撮影する野次馬が集まり始める。
     ついに女の方が屋上の端を蹴ろうとした。最も人が集まっている場所を選ぶように、膝を曲げて勢いよく跳んだ――瞬間。
     人波が大きく揺れた。心をめちゃくちゃに揺さぶられ、小さな子供が悲鳴を上げた。
    「こっから全速力で離れろ!」
     万事・錠(ハートロッカー・d01615)の恫喝に、蜘蛛の子を散らすように崩れていく。錠はその先に、散っていく通行人を誘導する相棒の姿を見た。
     うずくまり動けなくなった母子を不動・大輔(旅人兼カメラマン・d24342)と霊犬・牙が抱えて跳ぶ。悲鳴を上げる少女をシスティナ・バーンシュタイン(カリスマモフモフ師・d19975)が飛び出し突き飛ばす。
     待ちかまえて受け止めた友人達がそのまま走っていくのを横目に、小鳥遊・劉麗(カリスマモフモフ師の助手・d31731)もまた、転んだ少年を横抱きにして駆け、両手を広げ呼ぶ友人二人に投げ渡す。手荒だが、手段を考えている暇など無い。
     逃げろと叫ぶ声が周囲に響きわたる。蝋燭を灯し語られる怪談が、パニックを起こした観光客達の胸をざわめかせ、更にその場から遠ざける。
     しゃがみ込んで動けない男を強引に放り投げた儀冶府・蘭(正統なるマレフェキア・d25120)は、刃鋼・カズマ(高校生デモノイドヒューマン・dn0124)が受け止めて走る姿を目の端に捉えた。
     すべては同時に、一瞬に行われた。
     空中で手の中に生み出した刀を振りかざす女。地面に降り立つその間合いで放った月の如き衝撃は、普通の学生と見えた少年少女達が瞬時に展開した、盾と剣に阻まれた。
    「行こうか、相棒」
     橘・蒼朱(アンバランス・d02079)が音楽プレイヤーのイヤホンを外し、相棒のビハインド・ノウンを呼んだ。滲むように空中に現れたそれは、女の視線を塞ぐように位置を変える。
     フェルト・ウィンチェスター(夢を歌う道化師・d16602)も、背後に一般人を庇いつつ構えた交通標識をくるりと舞わせる。
    「みんなの笑顔を奪うなんて許せない!」
     女は一旦距離を取ると、周囲の人波が整えられ速やかに場を去っていくことと、彼らを守るように遠巻きに壁となって立つ者たちを確認する。無表情のなかにも、僅かに眉を歪めているのは苛立ちを表すのか。
    「――灼滅者」
    「お前は何者だ。何故、人を殺す」
     泉二・虚(月待燈・d00052)の足元には、雑踏に踏みつけられた土産物の袋が無惨な中身を覗かせている。それは今、ここで確かに起こった一瞬の救出劇を物語っていた。


     乱れた後れ毛を耳にかけ、女は些かの感慨もなく言葉を重ねた。
    「灼滅者なら、それだけで殺す理由になる」
     瞬時に身を低くし地面を蹴れば、どす黒い殺気が渦を巻いた。呼吸すらできない闇が、女を囲むように陣を組んだ灼滅者達を呑み込まんと襲いかかる。
    「真面目系女子って可愛いよな。眼鏡も似合うぜェ、オネーサン?」
     正面からの斬撃を、交通標識で辛うじて防ぐ。風圧でざくりと裂けた肩も気にせず、錠は無表情の女を見上げてにやりと笑った。大きく振り回した赤の標識が、身をかわす女の腹を浅く薙ぐ。
     一瞬でも意識を逸らせば、重い攻撃が降ってくる。蘭は補佐に来た友人達を視界の端に捕らえ、無事を願ってから女に集中する。手にした魔導書がおのずと開き、原罪の紋章を描く頁を示した。
    「あなた、人を殺してなんとも思わないの?」
     ちらりと横目で女は蘭を見た。紋章を刻まれても、女の表情は変わらない。
    「あんたはダークネスを殺すとき、どう思うのさ。それと同じだよ」
    「!?」
     返事と共に銀光が一閃する。
     息を呑んだ蘭を守るように、間に割り込んだのは蒼朱の相棒、ビハインドのノウンだ。半ば身体を断ち切られても、怯む様子など見せることはない。
     ノウンの影から蒼朱が飛び出した。轟と音立てて回転する杭、バベルブレイカーの先端が女の脇腹を捉え穿ち抜いた。
    「高みの見物とは、いいご身分だな。おまえのご主人は」
    「あの方の邪魔はさせない」
     強引に身をよじって女が距離を取れば、背後を狙うのはシスティナの愛銃、銘を『Dear Snow』。制約の魔力を乗せた弾丸が放たれれば、避けきれず肩を砕かれた女が苛立ちに眉を歪めた。
    「……殺す」
     部下が襲われていても、スマイルイーターは建物の屋上で足を遊ばせ、降りてくる気配はない。灼滅者達は、沖縄に爆弾を仕掛けているというスマイルイーターに、手を出さないと決めていた。
    (「最悪、島ごと吹き飛ぶ可能性……か」)
     システィナはエクスブレインの言葉を思い出す。爆弾の位置を知っているなら、女の口から聞き出せればと考えるが。
    「『あの方』の目的って、どんな?」
    「素直に教えるとでも思ってるなら、相当のお人好しだね」
     女は刀の一閃で返すだけだ。問いかけるだけ無駄だろう。
    「何がお前を、そう作り変えた」
     笑いを嫌うのはスマイルイーターの意思なのか、それとも女自身も同じなのか。魔力の霧を纏い、虚が駆けた。女は目を細め正面から切り結ぶ。
    「流儀もなく隷属するのでは、真の殺人鬼とはいえぬが」
     女は一瞬怪訝な顔をした。唇が冷笑の形を取る。
    「あんた、さっきから面白いこと言うね。私はとっくに真の六六六人衆なのにさ」
     強烈な一撃を刀ではじき返し、女は明らかに小さく笑った。笑いながら死角に回り込み、切っ先が狙い違わず虚の急所を貫いた。
    「虚さん!」
     カラフルなリボンが後方から放たれ、虚を覆い包み隠し引き戻す。とん、と軽く地面を蹴ったフェルトが、入れ替わるように前に出た。
    「もしまた笑顔を奪う気なら、ボクらがみんなの笑顔を守ってみせる!」
     細身の杖の先端には、回るスロットマシンの意匠がある。金貨のマークが揃ったなら、黄色い光が放たれてダメージの多い前衛たちの傷を塞いでいく。
    「胸糞わりいな……」
     業の臭いがきつすぎる。この女からも、見物中のスマイルイーターからも。大輔が低く呟けば、真紅の鉄塊にも似た斬艦刀にデモノイド寄生体が這い登る。
     利き腕と一体化した刀を軽く片手で構え、吐き捨てる。
    「いちいち問答なんて面倒くせえ。この女は喋らねぇよ」
     視線で呼べば霊犬の牙が、斬魔刀を咥えて駆けてくる。大輔もまた駆け、女の頭上高く跳んだ。大上段からの振り下ろし、戦艦をも断ち切る超弩級の一撃が、女の肩に食い込んだ。牙の斬魔刀も女を切り裂く。
    「あっはは、可笑しい。おかしいよ、あんたたち」
     黒いスーツを更にどす黒く染め、数歩下がった女は笑う。
     声を上げ、いかにも可笑しいと言わんばかりに。傷を押さえて身をかがめ、壊れた玩具のように笑い続けた。
    「なにが可笑しいの、私たちのことがそんなに面白い?」
     実戦経験の少ない劉麗は、信頼する友人でもあるシスティナと視線を交わすと、女に問いかける。
     独自の序列を持つ六六六人衆は個人主義で、何者かの下につくなどあまり聞いたことがない。スマイルイーターとは、ゴッドセブンとは何なのか。それらを束ねるHKT六六六とは、宍戸と呼ばれる人間は何を考えているのか。
    「私を殺したって何も変わりゃしない。あの方は目的を成し遂げる!」
     叫びは狂気をはらんで、女の傷をみるみる塞いでいく。
    「私はミチル、スマイルイーター様の捨て駒さ。あの方のために、一人でも多くのニンゲンどもを殺すのが私の役目。殺して殺して殺しまくって、ドブネズミみたいに腐って死ぬのが役目なンだよ!」
     あからさまな変貌を目の当たりに、一瞬の空白が生まれる。ダークネスは瞬時に距離を詰め、長い黒髪がなびいて劉麗の頬に触れた。誰かが、危ないと叫ぶ声が聞こえた。
    (「……斬られる?」)
     背筋に冷たいものが走る。劉麗の目の前に、庇うように小さな影が現れた。ナノナノのイクノディクタスが、一刀のもとに両断されるのを目の当たりにする。
    「イクさん!」
     消えていくナノナノの小さな声に、劉麗は我に返り掌の中にオーラを溜める。追尾するオーラの塊は、避けようともしないミチルの腹を突き破った。
     灼滅者達は視線を交わし陣を組み直す。
     完全な灼滅に向かって。


    「結局、何も分からずじまいか」
     ミチルもスマイルイーターも、理解するには至らなかったと独りごち、虚はミチルとの距離を詰める。至近から足の鍵を断ち斬れば、ミチルの片膝ががくりと落ちた。
     刀を支えに身を起こし、尽きぬ殺気を迸らせても、戦いは既に決したようなものだ。
    「ほら、血化粧も悪くねェだろ?」
     裏切者の銘持つ、破邪の聖剣。非物質化させた剣がミチルの魂を引き裂く。声にならない苦鳴を混ぜ、唇を血に濡らしながらも笑い続ける女を、錠はまだまだ遊び足りないという様子で見やった。
     両側から回り込むのは、システィナと劉麗。
    「大丈夫だね?」
    「はい!」
     二人の息の合ったコンビネーション、オーラキャノンが両側から炸裂する。ミチルが支えにしていた刀が音立て折れ、アスファルトに零れ溶け流れる。
    「あは、ははは……」
     ミチルの虚ろな瞳が捉えたのは、頭上から降ってくる巨大な真紅の刀。立てない足で無理矢理かわせば、左腕が肩ごと宙に飛んだ。
    「面倒はさっさと終わらせたいんだよ」
     大輔が振り下ろした斬艦刀を構えなおし、霊犬の斬魔刀がもう片腕も手首から断ち落とす。ミチルの笑いはまだ止まらない。
    「終わりにしましょう。殺し合いは、たくさんです」
     蘭が利き腕を異形化させる。強大な鬼腕に拳を作り、低い姿勢で地面を蹴る。風を切る勢いで駆けて、下方から凄まじい胆力でミチルの身体を殴り飛ばせば、背骨の折れる鈍い音が聞こえた。
    「もう一人だって、殺させないんだからね!」
     軽快なステップを交えて歌うフェルトのディーヴァズメロディが、ミチルの瞳を虚ろにさせた。視線は遠く、空を、見下ろすスマイルイーターを捉えているようだ。
     ミチルの顔から狂気が消えた。
     年相応の女性の顔を取り戻す。
    「それじゃあ、さよならだね」
     膝立ちから崩れようとするミチルを、両側から蒼朱のバベルブレイカーと、そのビハインド・ノウンの霊撃が貫いた。
     けふ、と息を吐いて。
     仰向けに倒れたミチルの身体が、端から粘液となって流れ崩れていく。
    「……これ、で」
     最期の息を吐いて、ミチルは笑った。
     ひどく無防備な、満足そうな微笑みだった。


     人通りの絶えた国際通りに、静寂が訪れる。
     ぽとり、と。何かが降ってきた。赤黒い切り口を見せる、何か。雨のように、霰のようにぽたぽたと音を立てて、辺り一面に落ちてくる。
     ――ご褒美。
     囁くような声が聞こえた気がした。
     恐ろしいほど強かった業の臭いが消えたことに、大輔が気付く。スマイルイーターが姿を消したのだ。
     追うことはしないと決めてはいたが。
    「なに……これ」
     灼滅者達の身体の上にも降ってくる赤黒い雨は、すぐに止んだけれど。一面に降って散らばる『物』から、想像できるものはただひとつ。
    「人間の、かけらだ」
     呻くように蒼朱が呟く。男女の判断、何人いたかすら判別できないほど、細かく刻まれた人間だ。指先が転がっているのがわかる。
     六六六人衆の行くところに、殺戮と屍体はつきものだ。
     通行人はすべて救出できたけれど、どこか通りすがりに、もしくは屋上にいた人間が理由もなく殺されていたのだ。腐臭を放つ断面から、時間が経った物だとわかる。
    「そんな、ひどい……」
     無事に倒せたなら、仲間と沖縄を楽しめると思っていた。フェルトと劉麗は涙を堪えて俯いた。
     至極単純、そして最も効果のある六六六人衆からの嫌がらせだ。あるいは、役目を果たして無様に灼滅された、ミチルへの褒美だったのか。
     今の力でできることをやっていけば、いつか倒す機会もあるはずだと信じていても。蘭は無力感に息を詰める。
     学園は全ての事件を予知できない。もし予知できたとしても、全てを防ぐ力は無いのだ。
    「絶対次は、殺してやる。喰ってやるよ」
     絞り出すような錠の声が、全員の心を示していた。

     茜色の空に星が瞬き始めるまで、灼滅者たちはそこから動けずにいた。

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年3月26日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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