あるポールダンサーの末路

    作者:佐伯都

     ネットバンクの残高をスマホから確認して、由奈(ゆな)は白みはじめた空を仰いだ。
     だめだ、どう考えても今月も赤字だ。それもこれも全部、昔の男に押しつけられた借金のせい。絡みの少なそうなクラブでのポールダンサー、という方向で手打ちにしたけれど、結局ステージがはけるのを待ち受けていた客にお持ち帰り、という流れもここ半年で珍しくなくなってきた。
    「あーあ……もうやだ」
    「お困りですか?」
     泣きそうになりながら髪をかき回していた由奈の背後から、甘い声音が聞こえる。
    「あなたをお店のトップにしてあげましょう」
    「は……?」 
    「あなたの魅力を私が磨いてあげる。そして一緒に、このすすきのの夜を支配するの」
     由奈に彼女の誘いを断る、その発想はなかった。たとえ彼女がアリエル・シャボリーヌと呼ばれる、人外の存在だとしても。
     
    ●あるポールダンサーの末路
     昨今軍艦島の戦いの影響が様々に現れてきているが、九州を基盤とするHKT六六六にも動きがあったようだ。
    「ゴッドセブンと呼ばれるダークネスを派遣して、勢力拡大を狙っている」
     その中のナンバー6、アリエル・シャボリーヌが遠路はるばる『北の歓楽街』こと札幌市すすきのに標的を定めたらしい。成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)は札幌市中心部の観光マップを開き、その一角へ指先をおろす。
    「このあたりの、色々大きな声じゃ言えない事やってるクラブに勤める女性を籠絡して淫魔化させ、配下を増やしている」
     かつ、アリエル達はすすきのの有力なパフォーマーにパフォーマンス勝負を挑み勝利することで、この界隈の淫魔的な支配権を確立しようとしているようだ。
     このたび淫魔となった女性は由奈と言い、とあるいかがわしいクラブでポールダンサーとして働いている。
     昔、悪い男にかなりの額の借金を押しつけられ、その返済のためにこういった店で働くはめになったようだ。
    「ただ、淫魔になる前はそこそこ真面目にやっていたのに、力を得たことで色々なもののタガがこう、吹っ飛んだらしくて。これ以上放っておくと、これまで彼女を店の外でも食い物にしてきた客から死人が出る」
     肝心な部分を意図的に端折って、樹は机の上に広げていた観光マップを閉じる。
     由奈は朝6時頃、すすきのの外れのホテル街から徒歩で自宅アパートへ帰宅するはずだ。時間帯や場所柄も含め、ほとんど周囲に人通りはない。
     由奈は完全に闇堕ちしているため、救うことはできないだろう。
    「せめてできるだけ苦しまないように対処してやるのが、せめてもの温情だと思うよ」
     短く溜息をついて、樹は開きっぱなしになっていたルーズリーフを閉じた。


    参加者
    凪・辰巳(蒼の唱剣士・d00489)
    喜屋武・波琉那(淫魔の踊り子・d01788)
    皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)
    天埜・雪(リトルスノウ・d03567)
    高峰・紫姫(牡丹一華・d09272)
    茂多・静穂(千荊万棘・d17863)
    若林・ひなこ(夢見るピンキーヒロイン・d21761)
    冬城・雪歩(高校生ストリートファイター・d27623)

    ■リプレイ

    ●もしものはなし
     まだ若いのに、いかがわしい場所で自分自身を切り売りするような職に就かなければならず、あまつさえ返しても返しても終わりの見えない借金地獄なんて、どれだけ苦しかっただろう。
     同じ女に生まれついた身として、由奈の境遇を思うと冬城・雪歩(高校生ストリートファイター・d27623)は溜息しか出ない。
     さすがに由奈には同情したくなる所だが、今や『由奈』はもうどこにもおらず、『由奈であった』淫魔が残るだけ。
     自分で作ったわけでもない借金を肩代わりし、そこそこ真面目に返していたという彼女。ならばこれ以上彼女を汚させないうち、淫魔を討ってやるのが温情というものだ。
    「どんな境遇であれ、誰かを犠牲にする選択をした時点で見逃す訳にはいきませんからね。せめて誰かを殺す前に、止めなければ」
     恐らくここに集った多くのメンバーの心情を代弁していたであろう、茂多・静穂(千荊万棘・d17863)の声を聞きながら、高峰・紫姫(牡丹一華・d09272)はそっと溜息をつく。
     もし可能なら、まだ人であるうちに由奈を救いたかった。しかし、それがある意味傲慢な発想であることも紫姫は承知している。たとえ人であった時に出会っていても、助けられたかどうかなんて結局は誰にもわからないのだ。
     欲望に飲まれて力を振るう、そんな姿に悲しささえ感じる。
     宿敵である淫魔が憎くないとは言わない。けれど紫姫には、どうしても共感してしまう部分がある。
     そしてそれが、自分自身の闇に通じているのかどうか、今はまだ何もわからないけれど。
     それにしても、その手の職業の人を狙うとは実に淫魔らしい作戦だと、凪・辰巳(蒼の唱剣士・d00489)は思っている。いつかアリエルと相見える日が来るなら、そのためにも自分達ができる範囲で阻止していかなければならない。
    「『商売後』だからこんな時間になるとはいえ、人の貴重な睡眠時間を奪いやがって……」
    「まあまあ、いいじゃないですか。まだ早朝だから今日一日、ラーメン食べに行ったりたっぷり観光できます!」
     睡眠をこよなく愛する皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)のぼやきに、札幌ご当地アイドル(ただし男の娘)を自負する若林・ひなこ(夢見るピンキーヒロイン・d21761)が元気よく答えた。もうすこし暖かい時期であれば数分歩いた先にある中島公園のベンチで昼寝をオススメしていた所だが、三月下旬ではさすがに寒すぎる。
     そんなやりとりを少し苦笑しながら眺め、喜屋武・波琉那(淫魔の踊り子・d01788)は足元にすりよって来た小さな相棒をひと撫でする。
     霊犬ピースがふるりと嬉しげに尻尾を震わせ、つい微笑ましい気分でそれを見守っていた天埜・雪(リトルスノウ・d03567)の表情に緊張が走った。
     周囲にひとけもなく、由奈が完全に堕ちているならば。
     きっと、由奈にも自分達がただの人間ではない事はわかるだろう。そう雪は予測していた。
     陽がさしこみつつあるホテル街のはずれ、妙に薄着な女が姿を現す。
     首すじからのぞく赤い鬱血の跡。どこか酔ったような目で、道路を塞ぐように立つ灼滅者達を、ゆらりと由奈は眺めやった。
    「おはようございます。そして」
     ごめんなさい、と続いた紫姫の声に、由奈は眉根を寄せた。何を言われているのかよくわからないのと、内容が不満であるのとが半々、といった所だ。
     つ、と眼鏡のブリッジを中指で押し上げた辰巳が一歩前へ出る。
    「由奈さんだね? ……あんたに怨みはないんだが、覚悟して貰う」
    「札幌のご当地ヒーロー・若林ひなこ! 全力で参りますっ!」
     みらくるピンキー☆めいくあっぷ! の掛け声と共に、裾の長いワンピースとレースキャップのメイド服姿のひなこが現れる。

    ●かていのはなし
     しかしその頭から爪先までのすべてが、いつものピンク色ではなくぬばたまの黒に染まっていた。鎮魂の黒。
    「何か言ってる意味よくわかんないんだけど。――まあでも、要するにあたしのことをいろいろ邪魔しに来たよってことでいいのかな」
     肩にかけていたバッグをぽいと放り捨て、由奈は迷いのない足取りで灼滅者達へ近寄ってくる。
    「『accensione』」
     封印解除した辰巳の左手へ長剣が顕現したのを見たのか、由奈はどこからともなく銀色の長棍めいた武器を引き出して構えた。自分の身長よりも長いそれをするりと中段へ据え、由奈は笑う。
    「知ってる? うちは18歳以下はお断り、なんだよね」
    「ポールダンス用のポールですか……変わった戦い方だね。戦い難そうだよ」
     でも、それだけにどうなるかが雪歩には興味深い。
     初手として神霊剣を選んだ辰巳の斬撃を、由奈は余裕をもって躱した。雪を護る盾のように姿を現したビハインドの足元をすりぬけ、霊犬ピースが走る。
    「わたし達は武蔵坂学園の灼滅者。闇堕ちしてダークネスとなった貴女を、これ以上のさばらせるわけには行かない」
     問答無用で攻撃するのは気が引ける、というのが波琉那の正直な所だった。なので、きちんと自分たちが武蔵坂学園の灼滅者であり、由奈の敵である事を明確にしておきたかったのである。
     しかし由奈は波琉那の台詞を鼻で笑った。
    「言ってる事、よくわかんないんだよね。俺の身体が忘れられないようにしてやるとか、何かすごい勘違いしちゃってる奴ら黙らせて何が悪いの?」
     灼滅者とダークネスの間の溝は、決して埋められることがない。たとえ無駄だとしても、波琉那としてはきちんとさせておきたかった。
    「……ゴメンね。悲劇はもう終わりにしよう」
     せめて長引かせず、これ以上の怨みや悲しみを由奈が抱えずにすむように。波琉那はバスターライフルを苦もなく担ぎあげると、手練れを思わせる、流れるような動作で引き金を引いた。
     一瞬ひるんだ由奈の脚を、幸太郎の妖冷弾が霜のおりたアスファルトへ縫いつける。
     逃走を警戒する幸太郎は、最後方で由奈の動きを注視していた。ダークネスの貴族と表現されるヴァンパイアや、もともとの能力が高いノーライフキングなどには及ばぬものの、狡猾で立ち回りのうまい淫魔は敵前逃亡の恥などどうとも思わないはず。
     逃走経路を探すようなそぶりを見せればすぐに警告できるよう、幸太郎は目を凝らす。早朝の依頼とあって多少睡眠不足だが、灼滅者の身体ならなんとかなるだろう。
     【el cumbanchero】を掻きならす雪の視界、空気を乱打する音波が物の輪郭を激しく揺らす。真正面から狂おしい衝撃を喰らった由奈が二歩三歩とたたらを踏み、手にしたポールを足元へ突いて体勢を立て直した。
    「何だ、あんたらもあいつらと一緒じゃない」
    「どういう意味でしょう」
     純粋に意図がわからない静穂は、油断なく盾と剣を構えたまま眉根を寄せる。
    「わかんないなら、あたしの気持ちもわかりっこないよ!」
     ぎらりと獰猛な光を宿したが静穂を射抜き、まるで自分の腕の延長のように銀杖が突き上がった。そこから流しこまれてきた、身体の内部を蹂躙する衝撃に静穂はあやうく膝をつきそうになる。
    「くうッ……く、ふ、ふふふ、この程度じゃまだまだ!」
     しかし静穂にとっては、多少のダメージなど何の問題にもならない。痛みは、彼女にとって贖罪の証なのだ。

    ●ゆめのはなし
     半獣化した腕を振るいながら、雪歩は由奈を追い詰める。
     一度ダークネスに堕ちてしまったら、それはもう由奈ではなく淫魔という名の別のもの。たとえどれほど由奈と同じ顔であろうとも、言動に面影があろうとも、彼女の身体を奪いとった全く別のもの。
    「だから、容赦はしない」
     灼滅させてもらうしかない。由奈という人間はもう、どこにもいないのだ。
     裾の長い衣装で蹴りに入るモーションを隠すように近付き、回し蹴りの要領で放ったグラインドファイア。ぎゃりぎゃりと銀棍の表面を削るような激しい擦過音と一緒に、由奈の全身を炎が呑み込んだ。
    「気持ちはわかりっこないって言うけれど……元カレに恨みを晴らしたいですか? その苦しみを誰かにぶつけたいですか?」
     アリエルの誘いを受け入れた時点で、由奈はもう被害者ではなくなっている。ならば加害者となる前にここで潔く散るべきだ、とひなこは考えていた。由奈が眦を吊り上げる。
    「ぶつけるもなにも」
     全てを諦めたような、投げ出したような目。
    「力があって人数が多いほうが、勝つって事でしょ!」
     脈絡がないように聞こえる由奈の台詞の意味を、ひなこは理解できなかった。ただ二人、意味を察した幸太郎と辰巳だけが一瞬、痛みを呑み込むように唇を噛む。
    「正直、あんたに同情の余地はある……」
     だがそれでもあんたをここで止めなきゃならない、と辰巳は血がにじむような声をあげた。
    「御凪流・鳳仙花、弾けろ!!」
     下段に下ろされていた刃先が大きく円環を描き、左脇腹から右肩へと鋭く切りつける。いわゆる逆袈裟のちょうど逆進、切り下ろしではなく切り上げでの斬撃に由奈がよろめいた。
     巧みにプレッシャーをかけに行く波琉那と足止めをばらまく幸太郎が、どれだけ劣勢に追い込まれようとも由奈に逃走を許さない。もとより由奈は随分淫魔にしては攻撃的だったようだが、こういう部分もあまり淫魔らしくはないタイプのようだった。
     思うように攻撃が入らなくなっていくもどかしさに、由奈が口惜しそうに顔を歪める。その表情はおもいのほか人間らしいもので、一瞬雪は眉をひそめた。
     だがしかし、どんな事情があろうと、淫魔に堕ちてしまったものは灼滅しなければならない。それが雪の誓いだ。決して違えることは許されない。
     雪が父と呼びならわすビハインドへ横薙ぎの銀棍が襲い来る。追い詰められた由奈の一撃は細身のビハインドを吹き飛ばすのに十分だったが、そこまでだった。
     由奈の消耗を見て取り、雪は帯のように周囲にへ浮遊していたダイダロスベルトで胴を狙う。雪の目配せでその意図を理解した紫姫が、由奈の死角へすべりこんだ。
     ここまでこんなに苦労して生きてきて、それで不意に得た力に溺れてしまって。それでは由奈を苦しめてきた人間と同じレベルに彼女は堕ちてしまう。
     だから、そんな解決方法を紫姫は絶対に認めない。認められない。
     たとえ苦界の中でもがくような、自分の身体を切り売りするような方法しかなかったとしても。
    「ただ真面目に生きようとした人が報われないなんて……私は絶対に認めない」
     白い刃が由奈の前後から同時に迫る。
     すでに最初から灼滅者の包囲網の中心にいた由奈に、精度を増したそれを避ける方法などどこにもなかった。

     崩れ落ちるように倒れた由奈の身体が、朝日に溶けていく霜のように消えていく。
     このテの、きらびやかな歓楽街というものの裏には数多くの悲しみがつきものだ。幸太郎自身、その悲しみに同情こそすれその行為を見逃すほどには寛容になれない。もとい、それをしたら灼滅者失格だろう。
    「それにしても、こんな場所でモーニングコーヒーを飲むことになるとはな。……俺も大人になったもんだ」
     由奈が倒れた、今はもうなにもないアスファルトの上に一本、幸太郎が缶コーヒーを置く。彼女が好んだかどうかは、もう確かめるすべはないが。
    「アリエル・シャボリーヌか……人間を闇に引きずり込む所業、いつか必ず購わせます」
     静穂の呟きに同意するように、雪歩がやるせない顔で目を閉じる。弔いの祈りを終えたのか、波琉那が長く長く白い息を吐いていた。
    「……あ」
     ほんの少しだけ瞑目してから立ち去ろうとしていた辰巳の頬に、ふわりと大きな六花が落ちてくる、
     ……東京ではもう桜が咲き始めているのに。
    「『北海道では、札幌では、まだ雪が降るんですね』」
     やや痛みを呑み込む表情で、ひなこはタブレットを捧げ持つ雪に首肯する。どうかしたら桜が咲く五月上旬でも雪が降る、北海道とはそういう土地なのだ。
    「貴女に贈るものが、『幸せ』なら良かったのに」
     朝焼けのすすきのに、音もなく淡雪が、花吹雪のように舞う。
     ある悲しい一生を白く閉じるように。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年3月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 5/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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