心を潤すTender Rain

    作者:

    ●霞の雨は柔らかに
     ――小雨が降っていた。

     帰り道。取っ手にキリンのマスコットをぶら下げた水玉模様の傘を差し、唯月・姫凜(高校生エクスブレイン・dn0070)は空を見上げる。
    「もう、雪は降らないかしらね……」
     肌に触れる空気は温かく、雨空でも、雲の切れ間からは夕陽色の光が差していた。長雨にはならないかな、と姫凜は見上げた視線を前へと戻す。
    「催花雨(さいかう)、……でもないわよね。花を咲かすには、もっともっと降らないと」
     降る雨は霧と見紛うくらいに淡く優しく、微かな音を立てて見える世界一面に降り注いでいる。
     その微かな雨粒を弾く傘の音が耳に心地良く、聞き入るように瞳を閉じるけれど――雨粒にきらきら光る世界を見逃すのが勿体無くて、姫凜は直ぐに光を瞳へ受け入れた。
    「きれいね。……ありがとう」
     キリンのマスコットを軽く指でつついて、姫凜は優しく微笑む。
     礼は誰へ向けたものか――嬉しそうに道行く少女の真実は、己が心と雨だけが知っている。

     ――春の夕暮れ、帰り道。空は、静かに静かに春の雨。
     何をするか、何を思うか――誰にも等しい恵みの雨が閉ざす世界へ、ようこそ。


    ■リプレイ

    ●帰路
    「貴耶、用意いいなぁ」
     昇降口で折りたたみ傘を広げた貴耶に、さくらえは感心しきりに呟いた。
    「お前は傘は持ってきたか?」
     様子から察するに無いだろうと解りつつも――貴耶がさくらえに問いかければ、案の定『んーん』と緩い返事。
     貴耶がさくらえへと傘をさしかけると――さくらえは、待てとばかりに手で制す。
    「せっかくだしさ、濡れて帰ろうよ? これくらいならそんなに気にならないし」
     煙る様な優しい雨にそう言って空見上げるさくらえがどこか嬉しそうだったから、分かった、と溜息交じりに一言返し、貴耶も傘を折り畳む。
     歩き出す2人が向かうは貴耶の家だ。さくらえにとっても嘗ての住まいで、今でも『家』と言える場所。
     ――帰ったら、直ぐに2人分のバスタオルを用意しよう。
     今日を彩る優しい雨に、貴耶は感謝する様に微笑んだ。

    「柴先輩!」
     補講にションボリしていたのが嘘の様。校門近くでの予期せぬ再会に、乃絵の顔に笑みが浮かぶ。
     卒業した観月だが、成績表を忘れ呼ばれたらしい。補講の自分を茶化す声は卒業前と変わらないけれど――その後並んで道行くその間は、いつもより憂鬱そうで言葉少なだ。
    「いつも頑固な髪が更に跳ねたりして、大変なんだよ」
     問われ観月が口にしたのは表向きの理由。心に在るあの声は、こんな優しい雨の中にも掻き消える程淡くて――誰にも明かさぬ思いに僅かに瞳を曇らせた時、袖口をちょい、と何かが引いた。
    「雨の日って、髪膨らんじゃいますよねー」
     明るく答えた乃絵の手だ。事情は知らない、でも今隣には私がいるよと言いたげなその僅かな触れ合いに、観月はしかし応えない。
     応えはしないけれど――その手を、振りほどくこともしなかった。

    (「どちらにしようかな」)
     橙の空の下、昭子は青空色の傘の翳し下ろしを繰り返す。
    (「こんなにあかるい雨があるなんて」)
     雨に濡れること。雨音を聞くこと。湿った雨の匂いも――知らないことが嫌で武蔵坂学園に来て、もう直ぐ2年。
     見上げる空は高く、世界はまだまだ広くて、遠い。
    「……虹、出ないでしょうか」
     塗れるも厭わず結局傘を下ろした昭子は、誰かも見上げる美しい空へと向けて、呟き優しく微笑んだ。

    「雨が降ってるとなんでか静かに感じるよな……」
     音や人の気配が遮られる雨の世界。購買最後の1本だった傘の淵から空を見上げる咲良を見つめ、奏樹は胸を押さえる。
    (「なんかせかいにふたりっきりになっちゃったみたい」)
     嬉しい様な寂しい様な不思議な感覚だ。でもやっぱり、咲良と過ごすこんな何気ない日常がかけがえないと思える――その理由を、奏樹はちゃんと解っていた。
     そして、いつしか視線を落として彼女を見つめる咲良も、また。
    (「『世界に二人きりになったみたい』とか考えてんのかな。言わなくても表情がころころ変わって面白くて……すげー可愛い」)
     いずれ伝える想いを決意して――奏樹が濡れない様、咲良はそっと彼女の肩を引き寄せた。

    「なんか贅沢な景色じゃない?」
     夕暮れに雨に――そこへ青空色の傘を広げれば、春の頭上に豪華な景色が出来上がる。
    「本当だ、一度に色んな景色楽しめて贅沢だね」
     くすくすと笑う優希に春も微笑む。しとしとと降る雨の中、2人が目指すは春の限定、桜味のスイーツだ。
     雨はぱらぱらと、止まない音色を奏でている。そこに春がちょっぴり音痴な鼻歌を乗せれば、やがて優希も重なった。
     雨の日独特の寒さが春はあまり好きではなかったけれど――今日を特別と思えるのは、きっと彼女が一緒だから。
     優希も同じだ。雨が好きかと問われ、嫌いじゃないよ、と答えた声が穏やかだったのは――季節に融けそうな春色の少年が、隣で笑んでくれるから。
     何時もより優しい今日の雨。2つの心は寄り添って、その歩みの様にゆっくりと時を、記憶を刻んでいく。

    ●雨に重ねて
     傘を差して歩く道――霧の雨は、傘をすり抜け肌に触れる。
    (「光が透ける雨も綺麗だよねぇ」)
     目に映る景色の美しさに、雨が好きだと実感して千巻は微笑む。
    (「雨上がりの時間、私一番好きかも。世界がとっても綺麗に見えるから」)
     鞄には、もう使わない高校の教科書達。これらを濡らして帰るのも、卒業の記念としては『良い思い出』になる気がして、千巻は迷わず傘を閉じる。
    「濡れて帰ろう。……ふふ、変な人に思われちゃうかな?」
     でも1人の今日なら、それも構わない様に思えた。

    「そう言えば、今日は夕方までバイトだって言ってたな」
     優志は、不意に道行く足を止めた。
    (「傘、持って行かなかった気がする。寄り道ついでに迎えに行こうか」)
     共に暮らす大切な人。歩き慣れた道を外れ彼女へ至る道へと入れば、新たな道には発見も多くて。
    (「新しい生活が、良い意味で変化を齎してくれたらいい」)
     厳しい寒さの緩んだ後――春の日々を思い、優志は穏やかに微笑んだ。

    「いやはや、雨というのもまた良い物ですよ……」
     傘を広げ、雨の世界を行く流希は、空を見上げて独り呟く。
    「親と子の 息吹感じる 春の雨。 一句詠んでみましたが…………ここは一つ、濡れて帰ってみましょうか……」
     肌撃つではなく包む雨。濡れて帰っても、着替えればきっと問題無い――そう考えて流希は広げていた傘を仕舞った。

    「今日は喋らないのね?」
    「んー……何か勿体なくて」
     言葉少なに姫凜と道行く狭霧の鼓膜を、微かな雨音が揺らしている。
     花に草に煌く雨露も、湿った土の匂いも。何もかもが優しい世界は光に満ちて美しい。眩さに瞳を細め空を見遣れば、雲間からは天使の梯子――。
     足を止めた狭霧の視界が、じわりと揺らぐ。
    「……あーあ、ビニール傘持ってくれば良かった! 傘越しの空を眺めながら帰るだけでも楽しそうなのにね」
    「……狭霧くん」
     思わず震えた声に、姫凜からの答えは無い。
     しかし、滲む視界に映る姫凜は、答えの代わりに狭霧を撫でて、穏やかに微笑んだ。

    「傘も差さずどうしたの」
     ふわりと頭上に差した影と雨粒を弾く音に、リアンはそっと振り向いた。
    「使わないのは、俺の自由」
    「はは、確かに自由だけれどね」
     差し出された傘の主・ギルドールが笑えば、リアンは更に続ける。
    「雪も雨も何で降るんだろう。打たれてそれを感じるのも不思議……お前は? 何でそれを使うの」
    「濡れるから?」
     率直に答え、ギルドールはぱちん、と開いていた傘を閉じる。濡れるから傘を差すと聞いたばかりなのに――リアンが首を傾げると、ギルドールはにっこりと笑んだ。
    「傘を閉じるのは、僕の自由」
    「……変なの」
     ふ、と表情緩めたリアンに、ギルドールは内心驚く。
    (「君が感じている事を共有したいなと。ちょっと思ったんだけど……」)
     貴重なものが観れた、と。2つの笑顔を交し合い、雨の帰路はまだ続く。

     公園からは優しい歌声。
     天仰ぐ視線を、歌い終えてもそのままに。傘の下で陽桜は思いを優しい雨空へ送る。
    「ひお、ちゃんと約束守りました。奇跡はちゃんと起きるんだって思いました」
     諦めなければ、願いは叶えられる。勿論それは、決して簡単なことではないけれど。
    「これからもひおは、想う道を走ります。だから」
     見ていて欲しい――答えの返らぬ空へ向かって、陽桜は優しく微笑んだ。

     傘の下、空を見上げるアリスは、独り戦い続けた日々を思う。
    (「『頑張らないと誰も見てくれない』……そう、思ってきた、けど……」)
     しかし、一緒に喜び、泣き、笑う人がいる学園生活を過ごして――アリスが今日の雨に感じるのは、以前とは異なる思い。
    (「くすぐったい……でも、無くしたら、ダメ」)
     心地良さに戸惑いながら――その感情の正体は、アリスにはまだ解らない。

     立ち止まったサキも、心には温もりが込み上げていた。
    (「学園に来るまで、1人で居るのが、当たり前だったのに」)
     毎日の様に会う人達が居る不思議。そして、帰る瞬間の惜しむ様な複雑な感情――その正体は、良く解らない。
    「もしかしたら、これが、寂しいってこと、なのかな……」
     明日、皆にも聞いてみようと。再び歩き出した彼女の明日には、きっと優しい笑顔達が待っている。

     纏う雨から確かに感じる冬の終わりに、葵はそっと瞳を伏せる。
    (「きっと、僕の中でも冬が終わろうとしてる」)
     感情を、笑顔に封じ込めてきた――でも触れれば冷たい氷の笑顔が、いずれ来る春に溶けたなら。
    (「弱さを受け入れて、乗り越える為に笑顔でいたい。そこに何が残るかは、その時考えたらいい事だよ」)
     今はこの雨を楽しんでいたい――春を前に、葵の回り道はもう少し続く。

    ●光の中に
     夕焼けに降る雨はきらきらと眩しい。バイト名残の花香を纏い、希沙は青空の傘を差して歩いていた。
     憂鬱だった筈の景色を綺麗とこんなにも素直に思えるのは――きっと大切なものができたから。
    (「……逢いたいな」)
     湧き上がった想いのままに、指先が携帯電話の上を滑る。
     呼び出し音の先に――やがて出るだろうあのひとと、目に映るこの景色と、雨上がりの虹が見れたら嬉しいから。

    「ましろちゃーん、迎えに来たよー」
    「鏡おにーちゃん!」
     メールでの救難信号に、鏡が向かった駅西口にはましろの姿。ありがとう! と素直な義妹の笑顔に、鏡は思わず相好を崩す。
    「傘なくって、どうしようと思った……でも、雨の日は色々な音がするから、すき」
     世界中が歌う様――ましろの表現が、ストンと鏡の心に落ちる。酷く優しい今日の雨粒は、とても柔らかく音を奏でるから。
    「そうだね。じゃあ世界の歌を聴きながら、一緒に帰ろう」
     差していた傘を手渡し、鏡が折り畳み傘を鞄の中に探ると、ましろは待ってとそれを制した。
    「今だけは、おにーちゃんを独り占めしたいから。おにーちゃんの傘に、お邪魔させてほしいなぁ……」
    「しょうがないなぁ……」
     愛らしいおねだりが、義兄として嬉しくない筈は無い。優しく笑むと、兄は妹を傘の中へと招き入れた。

     東口では千慶が、鈴へと自分の傘を差し出す。
    「いいよ私傘さすのヘタだからいらんよ」
     下手ってなにそれ――内心で突っ込んだ千慶は、自分の肩がはみ出してでも同じ傘へ彼女を収める。
    「いやいーよせんけーハミでるよ」
    「いいって別に。どーせ傘は1人用なんだから」
    「いいって!」
    「いやだからいいって!」
     互いに譲らず傘を押し合い――気付いた時には2人すっかり濡れ鼠。
    「……ねぇ俺たちバカなの?」
    「意味ねえー! 傘意味ねええー!」
     声をあげた鈴は、そのままやけくそとばかり走り出した。
    「もういいようちまで競争! 負けたらアイス奢りねハイ今決まりましたヨーイドン!」
    「はぁ!? なに急に競争って……あっ、ブーツでヒールのくせにめっちゃ速ぇ!」
     ぱしゃん! 傘を閉じ、千慶は慌てて前行く鈴を追い掛ける。
     肌をくすぐる柔らな雨に、2人は翌日仲良く風邪をひいてしまうのだが――それはまた別のお話。

     黒革のライダースジャケットに身を包み、路地裏に立つ脇差はビニール傘越しの空を見上げる。
    (「思えば……いつも雨だったな」)
     初めてダークネスを見た日、闇に堕ちた日光へ戻った日――いつも在った雨の中に、今日の様な優しい雨を知ったのはいつの頃だっただろうか。
    「……雨は別に嫌いじゃないさ」
     雨の向こうに仲間の顔を思い出し、脇差は再び歩き出す。
     快晴の空が広がるまで、彼の歩みは止まらない。

    (「……私は、一体誰なんでしょう」)
     空を見上げ、アルベルティーヌは独り思う。
    (「何のためにここに来たのでしょう。もし……記憶が戻った時、その私こそが本当の私なのでしょうか……」)
     見えない過去――渦巻く感情を包む様に、雨は静寂の世界を彼女へと齎して。
    「……こんな気持ちごと、洗い流してくれればいいのに」
     傘を畳んだアルベルティーヌを、雨は優しく迎え入れた。

    「霧江、雨は今でも好き?」
     頷いたビハインドに、桐人の表情は曇る。如何に好きな雨の中でも、霧江が幸せな筈がない――。
    「……霧江は僕のこと、嫌い?」
     差し掛けられた白い傘が、すっと彼の頭上を離れた。柔らな雨の感触に、桐人は自嘲する様に笑う。
    「やっぱり、か」
     それを霧江――妹は、ただじっと見つめている。
    「でも僕は、幸せになりたい。……霧江のことも、幸せにしたいんだ」
     その資格が自分には無いとしても。差し伸べた彼の手に、霧江の手が重なった。

    ●明日へ続く日
     降る雨は時にしっとりと寂しく――でも確かに、心と世界を潤す慈雨。
     偶然見掛けた梗花の傘へと滑り込み、彼の卒業を祝った南守は、『当ててみる?』と問われた彼の学部を思索する。
    「文学部? ……あ、バイト先喫茶店だから大穴でバリスタ学部とか!」
    「残念だけど、外れ。実は教育学部なんだ」
     親友の未来の教職。絶対いける! と南守の太鼓判は素直に嬉しく、梗花が礼を述べると――南守は今度は梗花に問うた。
    「じゃあ俺からも問題。俺が雨をあんまり好きじゃない理由はなーんだ」
     見上げる空は霞む様な淡い雨。傘で手が塞がっちゃうから? と答えた梗花に、南守は静かに首を振った。
    「答えは、桜が散っちまうからだよ……な、今年も桜を見に行こうぜ」
     春の代名詞、桜――瞳に同じ色を宿す少年は、ハンチングを直すと優しく笑う。
    「……うん、今年も見に行こうか」
     雨に流れる桜の景色を、決して嫌いではなかったけれど――過った思いは胸へと秘めて、梗花は穏やかに微笑んだ。

    「お陰で助かったわ」
     買物袋を提げるサズヤへ、巳桜は笑顔で語り掛けた。風邪を引きやすい彼女がきちんと花柄の傘の下に収まるようにと――巳桜の荷物を引き受けるサズヤの肩へ、ふわりと柔らかな温もりが触れる。
    「暴雨くんも濡れない様に気を付けなきゃ」
     巳桜が羽織っていたストールだ。どうも、と小さく聞こえた後に、珍しくサズヤから巳桜へ問いが降ってくる。
    「姫神は……雨が、すき?」
    「え? ……ええ、好き。雨の降る音を聴いていると心が安らぐの」
     微笑んで、巳桜はそっと耳澄ます。ポツポツと優しい雨音の他に――ぱしゃん、ぱしゃんと聞こえる2人の足音に気がつくと、そこから創造し口ずさんだのは哀愁漂う雨の歌。
    (「桜が咲く、その時は……あまり、雨は降らない方がいい」)
     即興の旋律に聞き入りながら、いずれ花咲く春を思って――サズヤはそっと瞳を閉じた。

     夕食へ変わる食材を抱え塞がった手を口実に、円蔵はイコの傘へと収まった。
    「……おや?」
     友禅華やかなそれは、嘗て彼が彼女へ贈ったものだ。そこに喜びを感じながらも円蔵の心に留まったのは、以前より近い彼女の瞳。
    「わたし随分背が伸びたでしょう? コーコーセイになれば、きっともっと追いつくわ」
     嬉しそうな彼女の笑みは、雨露の世界に一際きらきら甘く輝く。だから円蔵は手は添えられぬとも、そっと小さなくちづけを落とした。
    「もっと大きくなって下さいねぇ。キスがしやすくなりますからぁ、ヒヒ」
     驚きに頬は薔薇色。しかしやがて再び笑顔の花を咲かせたイコと身を寄せ合い歩く速度はゆっくりとして、雨霞は2人だけを、小さな世界へ閉じ込める。
    「……少し回り道をしていきましょう」
    「! それなら、わたしもっと空の見渡せる場所をしっているの……!」
     未だ、さよならじゃないことが嬉しくて。煌くイコの瞳を見つめ、円蔵は微笑んだ。

     夕陽色を抱く空へ、煌介は片手を伸べた。
     間も無くこの春、無くなる【理科棟】――寂しいのは当然。でも不思議と見つめる雨は、寂しさ煽るより門出を祝福する様に思えた。
     物思うその視界に、透明なビニール傘が割り込む。
    「傘差すのも勿体無い感じですけど、でも煌介先輩に風邪はひかせられませんので!」
     視界を閉ざさぬ空透く傘は千穂のもの。こんなに優しい春の光と雨だから――気遣いに煌介は、しかし謝辞と併せて悪戯心をねじ込んだ。
    「……感謝、千穂。けど、秋帆に悪い」
    「秋帆くん?」
    「ちょっ……」
     不意打ちの悪戯心に、煌介に倣って空に手伸べていた秋帆は慌ててばっと向き直る。
    (「……イヤでも秋津の傘に入れて貰える機会は値千金というか逃したくないというか」)
     葛藤する様子ににまりと笑んだシンは、悪戯に便乗することにした。
    「うんうん、千穂との相合傘なんて羨ましい」
    「っておいニヤニヤすんなよ埜口サン!」
     割り込む様に千穂のビニール傘へと入る秋帆に、シンは笑いを堪える。しかしこんな他愛ない遣り取りも幾度と繰り返した帰路も、同じままではいられないと思い出せば切なくて。
    「秋帆がどうしてもって言うなら、私の傘に煌介が入ればほら、ね?」
     それでも、この時間が愛おしいから空も晴れそうな笑顔を浮かべ、シンは煌介に傘を差し出す。
    「シン、甘える……感謝」
     変わらぬ表情の代わり、煌介の瞳の奥も笑む様に輝いた。
     自分で持つより高くなった傘の下、秋帆の隣で千穂も笑う。季節も景色も移ろうけれど、挨拶は、『またいつか』より『また明日』。そんな願いに、秋帆の口許も優しく緩む。
     夕陽が差すほど淡い雨なら、空には虹もかかるだろうか。虹の麓を見付けたら願いが叶うらしいけれど――今日も明日も、次に虹の架かる日も、春が来れば花はまた咲き、彼らは何度だってまた会える。
     だから、辿り着いた終着点で――彼らは笑顔で、またこう言葉を交わすのだ。
    「また、明日!」
     優しい雨が、その笑顔を見守っていた。


    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年4月6日
    難度:簡単
    参加:37人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 14/キャラが大事にされていた 3
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