守りたい。キミを、あなたを。

    作者:雪月花

     薄暗い部屋の隅に、何かが蹲っている。
    「……ごはん持って来たよ、てっちゃん」
     早苗は盆に乗せた食事を持って、そっとドアを潜った。
     こっそり作ったおにぎりと、夕食の残りの味噌汁、そしてお茶。
     隅っこで蹲っていた何かがもぞりと動く。
     彼女と同じ年頃の、幼馴染の少年だった。ぐるると喉が鳴る。
    「だ、大丈夫……?」
     険しい顔をして歯を食い縛っている幼馴染に、慌てて机に盆を置いた早苗は側まで来てしゃがみ込む。
     が、触れるのを恐れるように少年はじりじりと後ろに退ってしまう。
    「お前、こそ」
     怪我は、と低く抑えすぎて掠れた声が問うと、少女は弱々しく笑みを浮かべ、つるりとした片腕を掲げて見せた。
    「もう大丈夫よ。てっちゃんが治してくれたじゃない……」
     早苗の声は震えていた。
     泣きそうになりながら、獣じみた様相に変わっていく少年をじっと見詰めていた。
     彼が怖いんじゃなくて、彼が『いなくなってしまう』かも知れないことが怖くて。
     逃げ腰の少年に、自分から触れる勇気も持てずに。
     それでも大丈夫、と呟く。自分に言い聞かせるように。
    「てっちゃんは私が守るよ。今度は私が、守るから……」
     
    「暮坂・哲暁(くれざか・てつあき)。それがイフリートとなりつつある少年の名だ」
     神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)はそう言い放った。
    「彼は最近になって、『獣になる恐怖』を感じ始めていたようだが、そんな時不運にも幼馴染の早苗という少女が苛められているのを目撃してしまった。煉獄の如き怒りに震えた哲暁は、闇に沈みゆく心のままに力を振るい、苛めた側は愚か早苗にまで火傷をさせてしまったんだ!」
     ルービックキューブを手にする腕に、力が篭る。
    「彼は今、早苗の家に匿われ、獣への道を刻一刻と歩みながらもそれに抗い続けている。だがこのままでは遅かれ早かれ、ダークネスと化す運命に変わりはないッ」
     無意味な程に力説するヤマト。
    「ひとたびイフリートになってしまえば、彼を守りたくて傍にいる早苗のことすら分からずに焼き殺してしまうだろう。そうなってしまえばお前達には灼滅して貰うより他ないが……もし、灼滅者として生き残る可能性があるのなら、この闇落ちの状態から救い出してやって欲しい」
     哲暁は、2階の早苗の部屋にいる。
     早苗本人は昼間には部屋に鍵を掛けて普通に学校へ通っている為、留守を狙うつもりならそれも出来るが、哲暁への心象を考えるとお勧め出来ないという。
     早苗を脅したり、力尽くの行為に出てしまうと、更に哲暁の暗い炎に油を注ぐことになりかねない。
    「哲暁に会うには、まず早苗を説得して鍵を開けて貰うのが好ましい。まさにキーマン!」
     いいこといった、という顔をしているヤマトは放っておいて。
    「……失敬。だが、哲暁に対してだけでなく、早苗への働き掛けも状況を大きく変える鍵になるだろう。そのことをよく踏まえて、どんな態度や言葉で接するか考えてくれ」
     戦うことになってしまえば、哲暁は凄まじい破壊力で以って灼滅者達を迎え撃つことは必至だ。
     彼が持つサイキックはファイアブラッドのもののみだが、その威力たるや武蔵坂学園の灼滅者から見て優に数倍はある。
    「だが、お前達や早苗の想いが届いていれば、哲暁の精神がダークネスに抵抗し、押さえ込むのを容易くしてくれる可能性はあるかも知れない……!」
     カチリ。
     キューブを回して色を揃えたヤマトは、しっかりと灼滅者達を見据えた。
    「この少年少女の運命は、お前達の肩に掛かっている……! 悔いのないよう、精一杯ぶつかって行け!」


    参加者
    榊・那岐(斬妖士・d00578)
    川原・世寿(歩み出した愚者・d00953)
    フレッカ・フレイムベル(まつろわぬ炎の民・d01970)
    森田・依子(深緋の枝折・d02777)
    白弦・詠(白弾のローレライ・d04567)
    千景・七緒(揺らぐ影炎・d07209)
    栗原・嘉哉(中学生ファイアブラッド・d08263)
    鈴鹿・巴(王子様に憧れる体育会系少女・d08276)

    ■リプレイ

    ●切なる願い
     傾き掛けた日差し。
     ホームルームに入ったのか、塀を隔てた中学校の敷地からは特に気になる声や音も聞こえず、静かなものだ。
     建物の影にいると風が吹き抜けていくのもあって、結構涼しい。
    「あははっ♪ みんな、今日はよろしくねっ☆」
     明るく笑った鈴鹿・巴(王子様に憧れる体育会系少女・d08276)が、皆に握手などスキンシップを求めてくる。
     こちらこそと応じたり戸惑ったり、色々反応がある中。
    「よ、よろしくねっ」
     フードの下から俯きがちに視線を向けた千景・七緒(揺らぐ影炎・d07209)も、はにかみながら手を握り返した。
     彼が自分の掌を眺めながら、
    「一緒に頑張る仲間……ふ、ふへへ」
     と嬉しそうに笑うものだから、なんとも言えない空気が漂う。
    「こうした私達の姿を見せるのも、哲暁さんにはいいかも知れませんね」
     彼らの様子を微笑ましげに見守っていた森田・依子(深緋の枝折・d02777)が目を細めると、しっとりとした霞のような気配を纏った白弦・詠(白弾のローレライ・d04567)もふふ、と微笑んだ。

     単車をふかす音が近付いて来て、電柱に寄り添うように立っていた川原・世寿(歩み出した愚者・d00953)は振り返った。
     右耳の十字架が揺れる。
    「はぅ、フレッカさん」
     ライドキャリバーを駆るフレッカ・フレイムベル(まつろわぬ炎の民・d01970)が小さな少女の側に乗り付けた。
    「動きは?」
     鋭い眼差しで、少し離れた斜向かいの家を見上げつつ少年が尋ねる。
    「まだ、何も……」
     世寿は早苗を説得する面々と分かれ、哲暁が早苗の留守中出て行ったりしないか見張っていたのだ。
     巴達からの連絡もまだない。状況を伝えた彼女がそちらはどうでしたか、と聞き返す。
     家の気配を探りつつ、少年は嘆息した。
    「残念だが、哲暁が負傷させた連中と引き合わせるのは難しいな」
     彼は哲暁の逆鱗に触れた者達を探していたけれど、早苗を苛めた生徒達は、各々の家に篭っているようで会えそうな様子ではなかった。
     哲暁が自分自身を許すのに、その邂逅が必要だと思ったのだが。
    「あいつのことはあいつ自身が乗り越えないと、か……」

     その頃、6人の灼滅者は校門脇の路地で、下校する中学生の中に早苗の姿を探していた。
     部活動に向かう者が多いせいか、門を潜る生徒はまばらだ。
    「あの子じゃないか?」
     栗原・嘉哉(中学生ファイアブラッド・d08263)が視線で示した先。
     大人しげな眼鏡を掛けた少女が、小走りに玄関前の階段を降りて来るのが見えた。
    「こんにちは」
     よく通る柔らかな声が、早苗の脇から掛かる。
     振り向いた彼女は灼滅者達を怪訝そうに見た。
    「お伺いしたいことがあるのですが、お時間いいでしょうか?」
     声の主、依子はおどおどする早苗を安心させるよう、優しい微笑を浮かべて尋ねた。
    「不審に思われるのも仕方ありませんが、僕達は暮坂君と同じものです」
     人のよさそうな雰囲気を醸す榊・那岐(斬妖士・d00578)はそう続ける。
     見せるのが早いかと軽く指先を傷付ける嘉哉。七緒も同じようにすると、2人の指からぽうっと炎が点った。
    「それは!」
     哲暁と同じ類の力の片鱗に、目を見開く早苗。
    「僕らは彼の仲間、なんだ」
     七緒が微笑むと、那岐は状況を説明した。
    「今彼は、自分の中のとても危険な闇と戦っています。そして、僕達はその戦いを援護する為にここに来ました」
     己の心に潜む闇のこと、自分達のこと、そして同様の力を持つ者が集う学園のこと。
     灼滅者達は代わる代わる話していく。
     巴は学園のパンフレットを持って来ていた。外部向けのものではあるけれど、地方の人に武蔵坂学園の存在を伝えるには相応に効果があったようだ。
    「俺も彼と同じ状態を経験したんだ。今はこの通りだけどな」
     でも、と嘉哉は真剣な顔で言う。このままでは理性も何もかも失い、全てを燃やし尽くす存在になってしまうのだと。
    「ボク達になら、暮坂クンを助ける手助けが出来るんだ!」
     既に彼らのことを信じ切って、縋るような眼差しの早苗に、巴は彼女の心こそが哲暁の癒しになり得ると伝えた。
    「早苗ちゃんの持ってる温かい心が、今の暮坂クンには必要なんだ!
     だから勇気を出して!」
    「本当に、私も助けになれるんですか……?」
     希望の光が見えたか、身を乗り出す早苗。
    「早苗は、暮坂が大事なんだね……」
     感動したようにしみじみ呟く七緒。中性的な無邪気な笑顔なのに、何故か漂う微妙な残念臭を感じて瞬きする早苗に、那岐はしっかりと頷く。
    「彼は必ず勝ちます。ですから早苗さん、暮坂君を信じて応援して下さい」
     早苗はなんとか安心したようだ。

     話が纏まってからは早かった。
    「異変が起きたら直ぐに向かう。任せるぞ」
     早苗の自宅前で皆と合流した後、何かあった時の為に玄関先に残るフレッカに灼滅者達は背後を任せる。
     いよいよ、闇に呑まれそうな少年を助けるのだ。

    ●想いよ届け
     軽いノック、耳慣れた自分を呼ぶ声、鍵を回す音。
     聞こえていた筈だけれど、哲暁は隅で蹲ったまま、上目遣いに開いた扉の向こうにいる人々に視線を向けた。
     まるで捨てられて不信に駆られた犬か、手負いの獣のようだ。
     早苗は灼滅者達の顔を見て、意を決したように一歩部屋に入る。
    「大丈夫よ。この人達は、てっちゃんを助けに来てくれたの」
     彼女にそう言われ、鋭い目を灼滅者達に向ける哲暁。
     刺激しないよう、依子はそっと前に出た。
    「はじめまして。私達は……貴方が今悩んでいる力と、同じ力を持ってる者です」
     ギラつく目を見据えると、近しい存在が同じような状態になった時のことを思い出す。
    「貴方の持つ炎の力……護りたくて使ったその力は、よく知り、向かい合うことで暴走を防げるもの、です。
     大事な人を傷付けたくない、と思っている貴方の、力になりたくて来たんです。お話だけでも、聞いてみませんか?」
    「話……」
     依子の真摯な言葉に少しだけ顔を上げ、ぽつりと返す哲暁。
     聞く耳はある。そう踏んだ七緒は、珍しくきりっと表情を引き締めた。
    「早苗を傷つけるのが怖いんだね。最悪、君が獣になっても、早苗に手出しはさせない。僕らが灼滅してあげる」
     でも、と言葉を切り、更に語り掛ける。
    「それで傷付く彼女の心までは、僕らじゃどうにも出来ないよ……早苗も怖がってるよ、君が消えるのが嫌だって」
     だからどうか、その獣に打ち勝って。
     大事な娘なんだろ? そう言われて哲暁ははっとしたような顔をした。
    「君自身が、その獣から早苗を守るんだ。僕らが手を貸すから」
     七緒の言葉を肯定するように、仲間達も固唾を飲んで見守っている。
    「今よ、ぎゅ~って抱きしめてあげて!」
     そう言いつつ、巴は思わず両手の拳を握り締めた。
     頷いて、早苗は哲暁の許へ歩み寄り屈む。
    「てっちゃん……私、てっちゃんを助けたいよ。その為なら、何も怖くない」
     想いの篭められた細い腕が、優しく哲暁を包み込む。
     温もりが心地良かったのか、腕の中の少年はゆっくり目を閉じる。
     すうっと、周囲に張り巡らされていた刺すような気配が薄れたような気がした。
    「……やった!?」
     皆が安堵の思いで顔を見合わせた、その時。
    「……めだ、逃げろ……早苗っ」
     哲暁が引き絞るような声を漏らした。
    「……てっちゃん?」
    「は、離れて!」
     いつでも庇えるように注意を払っていた世寿が、咄嗟に早苗の腕を引き、哲暁から引き剥がす。
     間一髪、少年の身体から炎が噴き上げた。
    「そんな……」
     愕然とする早苗と彼女を抱きしめている世寿を背に隠しながら、詠も思わず息を詰める。
     哲暁は咆哮を上げて網戸を蹴り倒し、ベランダの手摺を越えて飛び降りた。
     それを追って皆ベランダに走る。ただひとり立ち尽くす早苗に、詠は振り返った。
    「危ないから、ここからでいいから闇に抗う彼へ、君の想いを篭めた言葉を聴かせてあげて」
     歌うように、彼を救うには貴女の声が必要だと囁いてふわりと微笑む。
    「君の声は……必ず、届けてみせるよ」
     ガトリングガンを抱え、詠は白い服の裾と淡色の髪を靡かせ飛び降りた。

    ●打ち勝つ為に
     灼滅者が次々庭に降りると、前傾姿勢で肩を揺らして哲暁が待っていた。
    「は、はぅ~」
    「大丈夫です、慌てないで」
    「落ちても受け止めてやるさ」
     恐る恐る2階の屋根から降りようとする世寿を、那岐と嘉哉が下から手助けしているところに、フレッカを乗せたライドキャリバーが家と塀の間を急旋回し、駆けつけた。
     解体ナイフを手に既にフードを目深に被り、臨戦態勢だ。
     灼滅するしかないのか?
     失意が皆の脳裏を過ぎる。
    「ううん、まだ希望はあるよ!」
     苦しげに身を捩る姿を見て、巴は縛霊手を構えた。
    「ええ、僕達が諦めちゃいけない……コギト・エルゴ・スム!」
     那岐も哲暁の姿を真っ直ぐに見据えながら、目前にカードを掲げ叫ぶ。
     その言葉は、自分への戒め。二度と闇に呑まれない覚悟と誓いが篭められていた。
     そして自分を手放すなという思いが届くよう願いながら、那岐は手にした日本刀の鞘を撫でる。
     彼はまだ戦っている。
     自分の中で悪足掻きを続ける、どうしようもなく巨大な獣と。
    「幻獣は陽炎にて燃えさかれ!」
     解除コードを紡ぐと、嘉哉と同じ体勢を取り影業が動き出す。
    「キミの心に巣食う闇は、全てボクたちが受け止めるっ!」
     見得を切った巴が一撃を見舞う。網状の霊力が広がり、荒々しい炎を吐く獣を押さえつけた。
     が、哲暁の上半身を包む炎が膨らみ、奔流となって前衛陣を襲う。
     凄まじい火力に焼かれながらも、フレッカは温いなと口端を吊り上げた。
    「この程度で俺達は止まらん――全開で来い、全てを吐き出せ!」
     彼の言葉通り、暴力的な炎が庭を舐め、荒れ狂う。
    「っ、無茶するなよ?」
     食らう筈の炎を肩代わりされ、嘉哉は七緒に声を掛けたが。
    「大丈夫、仲間の盾になれたんだから……嬉しいくらいだよ、ふへへ……」
     焦げつきながらも彼は嬉しそうで、嘉哉の目が点になる。さっきの凛々しさは何処へいってしまったのか。
    「光よ、善なる者を救いたまえ……!」
     一気に消耗していく仲間達に、世寿は必死に祈り、眩い癒しの光と優しい風を送り続ける。
    「早苗さんを守りたいなら、こんなところで負けてちゃ、駄目なのですよ!」
     叱咤を送る彼女を守るように立ち、詠も天使の如き歌声で皆の傷を癒していく。
     歌声に混じる、幼馴染を呼ぶ少女の声。詠は緩く笑みを浮かべた。
    「思い出すんだ、あの娘を救ったお前の炎を! お前の魂を!」
     フレッカはキャリバーの突撃と共に、解体ナイフに自らの炎を宿し哲暁に叩きつけた。
     間髪入れず、鉄塊のような剣が炎を逆巻きながら振るわれ、依子が声を張り上げる。
    「負けないで! 自分と、自分を信じてくれる人の声を聞いて!」
     今の哲暁とかつての己を重ねて。
     守りたいものを守れなかった、止められなかった。その後悔までは味わわせないように、この炎は律することが出来るものだと身を以って知らしめる為に。
    「そこまで闇に耐え続けた君は強いです。後はその闇を従えるだけ、早苗さんが待ってますよ」
     後列に迸る炎を遮り、刀身を翳して堪えながら、那岐も声を掛け続けた。
     ベランダにしがみ付く早苗と獣の目が合った、気がした。
    「まだやり直せる、俺だって獣になって燃やしたり壊したりした! だけど人に戻れた! だから諦めんな!」
     荒ぶ炎を掻い潜り、強く告げる嘉哉が影を放つ。
     自らがならんとしているモノに似た影を、哲暁の腕がガッと掴む。
     反撃はなかった。
     何重にも掛かった捕縛もあるが、それだけじゃない。
     哲暁は四肢を張ったまま何かを堪えるように震え……瞳には薄く光が差した。
     狂獣は持ち得ない、理性の光だ。
    「頼む……俺を止めてくれッ!!」
     吼え猛る、願い。
     応える為に、灼滅者達は一斉に動き出した。
     スナイパーの位置に移動したキャリバーは命に従い機銃掃射。同時に攻勢に回った那岐が獣の死角に回り込む。
     灼滅者達の獲物は急所を外しながらも、一気に叩き込まれた。
    「がはッ……」
     哲暁は所々抉れてしまった芝生の上に倒れ込み、獣の気配は燃え尽きたように遠のいていく。
     那岐はほっと息を吐くと、刀を納めた鞘を撫でるのだった。
    「てっちゃん!」
     転げ落ちるように階段を降りた早苗が、リビングの窓から靴下のまま飛び出してきた。
     仰向けに寝かされ、世寿の掌から温かな光を注がれている哲暁の姿を見て、見開いた目に大粒の涙が溜まっていく。
    「大丈夫ですよ、さぁ……」
     優しく手を差し伸べた依子が、早苗を哲暁の許へ導いた。

    ●新たな絆
     目を覚ました哲暁はむくりと起き上がり、不思議そうに一同を見回す。
    「あれ、俺生きてる?」
    「てっちゃん、てっちゃん!」
    「な、なんだよ、早苗……」
     首に抱きつき、早苗はとうとう泣き出した。
    「お疲れ様でした、もう大丈夫です」
     うろたえる哲暁に、那岐はそっと伝える。
    「良く、耐えた。頑張りましたね。2人とも……強い子、です」
     にっこり笑った依子が頭を撫でても、哲暁はまだ呆けている。
    「不思議だな……あんなに苦しかったのに、なんともない」
     呟く肩を、ぽんと叩くフレッカ。
    「簡単だ、自分を乗り越えるなんて――もう、泣かせるなよ」
     フッと口許を緩める彼を見て、哲暁はバツが悪そうに苦笑した。
    「2人の絆の力ってやつだね……ふへへ……」
     そこで七緒がニタニタするものだから、なんだろう、空気が。
     凄く、残念です。
     気を取り直して哲暁を『先輩』と呼び、嘉哉は学園の説明をした。
    「……そこに行けば同じ力を持った仲間が沢山いて、俺みたいな奴を助けたり、一生懸命生きてる奴を守れるようになるのかな」
     逡巡の後、哲暁は決意したように顔を上げた。
    「俺、行くよ。武蔵坂学園に。連れてってくれないか?」
     新しい絆が、またひとつ結ばれた。

    「ありがとうございました」
     玄関の前で早苗が深々と頭を下げる。
     もう何回礼を言われたか分からないが、彼女にしてみれば何度でも言い足りないのだろう。
     哲暁は迷ってから、努めて明るく言った。
    「そんじゃ、行って来るな」
    「てっちゃん……」
     じわっとまた涙を滲ませる早苗に、哲暁は慌てて両手を彷徨わせる。
    「お、おい、一生の別れじゃないんだぜ。ホラ、また荷物取りに戻るし」
    「うん」
    「転校とか……親にもちゃんと話さなきゃなんないし」
    「うん」
    「向こう行っても、電話とかするからさ」
    「うん……」
     そんな遣り取りを、灼滅者達は微笑みを浮かべ、又は静かに、或いはニヤニヤしながら見守っていた。
     巴も内心羨ましく思いつつ、
    「これでハッピーエンドだねっ☆」
     と明るく笑うと、2人は揃って真っ赤になった。

     夕日が皆の影を長く伸ばしていく。
     哲暁と共に離れていく灼滅者達の背に向けて、早苗は大きく手を振り続けていた。
     いつまでも、いつまでも……。

    作者:雪月花 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 3/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 3
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ