黎明庭園

    作者:中川沙智

     そこは自然公園のひとつだった。
     四季折々の花が咲く、それだけではない。ガーデニングの本場・イギリスからガーデナーを招待し契約して、ただ自然に溢れるだけではない造形美を作り上げた庭園。迷路のような花の小径、区画により色を変える花壇、花が咲き零れるアーチの下で揺れるブランコ。
     壁に蔦を這わせる葉すらハートの形を描いている、遊び心に溢れた空間だ。
     春の早朝。
     石畳を踏み往けばネモフィラが出迎えてくれる。どうやらその区画は花を青に統一しているらしく、サイネリアや矢車菊、勿忘草などが慎ましくも咲き誇り、ひどく清廉で、瑞々しい。
     植木鉢やプランターは自然そのままの木の色。水路に浮かぶ蓮の葉を視線で追うのもいいものだ。そんな中、朝の清々しい光が差し込めば――淡い碧と柔らかい黄色に照らされれば。
     肺を洗うような、透明な青が世界を包み込む。
     
    ●Nemophila insignis
    「そういえばご無沙汰しちゃってたけど、あの庭園にまた行きたいなぁって思ったのよ」
     今年になって刷新された庭園のパンフレットを開きながら、小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)は茜色の瞳を細める。去年の誕生日にも皆で訪れた庭園で、その日の想い出がよっぽど格別だったらしい。表情に浮かぶのは高揚と、期待だ。
     とはいえ広々としたそこは到底一日で回りきれる場所ではない。
     パンフレット上で今年大きく取り上げられているのは、テーマを『黎明庭園』と題されている箇所だ。
    「……朝の空気ってどうしてあんなに澄んでるのかしらね。どうやらこの庭園、自然の静けさや陽の光で、くっきりと浮かび上がる青っていうのをテーマにしてるみたい」
     水辺が多いのもこの庭園の特徴だ。池に大きな魚のオブジェが横たわり、高台から水が流れ落ちる様は小さな滝のよう。水路に囲まれた麗しき天使像は、そこで固い絆を誓うとそれが永遠になるという言い伝えもあるらしい。
     優しくも清冽な朝の空気の中で、散策するというのもきっと素敵だ。
     庭園を眺めるもよし、カフェスタンドがあるから飲み物を注文してカフェテーブルで寛ぐもよし、写真撮影に挑むもよし。鞠花もデジカメを持ち込むようだし、勿論携帯のカメラでも十分だろう。
     飲み物はカフェスタンドで買わなければいけないが、食べ物はよっぽど特殊なものを除けば持ち込みも可能らしい。軽食からお弁当、お菓子を持ち寄る客もいるようだ。
    「年度末年度初め、何かと慌ただしいから息抜きしたかったの。ね、よければ一緒に行ってみない?」
     気が向いたら一緒しましょと踵を返し、鞠花は教室を去った。
     そのハミングは春の風に吸い込まれ、きらきらとした音符に紛れていく。


    ■リプレイ

    ●Sunrise colours
     薄く水を張ったような透明な青を、朝の兆しが優しく染める。
     花に囲まれたベンチに腰かける保の膝は悠の特等席、髪を撫でる指先すら心地良いし、預けられたぬくもりはいとおしい。
    「ゆーさん、青はお好きですか?」
    「澄んだ蒼は心が洗い流されていくようでの、落ち着くのじゃ」
     夜明けの空と浮かび上がる花畑をふたりで眺める。視界に広がる新しい一日の始まりに、美しいと感じたのはどちらだっただろう。自然と交差した眼差しに囚われる。悠の瞳の紅が鮮烈で、保の鼓動が跳ねた。
     やがて耳に届く、健やかな寝息。
    「愛してるよ。ずっと、一緒にいてくださいな」
     夢でも逢えるようにそっと、手を握った。
     早朝の黎明庭園には静謐が横たわる。まるで太陽が未だ口を閉ざしているかのよう。眠さも忘れるほどの鮮烈な青い光景に明日等は息を呑む。妃那も目を細めながら囁いた。自然と零れた、本心だった。
    「良いところですね」
    「この時間はまだ冷えるっすね。皆、身を寄せ合うっす」
     この日ギィの傍らを歩くのは『ふたり』の恋人。はたから見れば少し不思議な三人は水路に囲まれた小径を進む。流麗な調べの如き路を抜ければ、先には固い絆を誓うとそれが永遠になると噂の天使像。
     視界に美しい天使像が目に入っても、妃那は変に都市伝説にならなければいいけれどと心配してしまう。灼滅者の性というやつかもしれない。それでもロマンチックなことには変わりないから、そっと心に留めておこう。
    「絆を改めて誓いやしょう。絶対に、手を離したりはしないっす」
     想いを籠めて口づけをかわそうとするギィに、明日等はひらりと躱してたしなめる。
    「もう! 素敵な場所だからってあまりはしゃぎすぎないでよ」
    「誓うのはいいですけどね。永遠というのは、身もふたもないですがちょっと嘘くさいですね」
     妃那の淡々とした苦笑も朝の空気に溶けていく。
     目覚まし用にあたたかいコーヒーでもカフェスタンドで購入しようか。今ある絆は確かだかあら、きっと今日も素敵な一日になるに決まっている。
    「いやはや、春の朝というのはこう、なんとも気持ちのいいものですよ……」
     流希が深く呼吸をすれば、身体の細胞のひとつひとつが生まれ変わる心地になる。去年とはまた違う趣があると視線を巡らせれば小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)の赤い髪が目に留まる。
     誕生日おめでとうございます、そう声をかければ鞠花は笑顔を綻ばせる。そして流希が取り出したのは持参したウククレだ。
     つま弾けば、光の欠片。
     誕生日を寿ぐ曲が、春の庭園で奏でられていく。

    ●Garden
     きらきらと満ちた朝日の中で、【青春蒐集倶楽部】の皆の笑顔は更に眩く輝いている。
     少し眠気が襲ってきても、皆がいればきっと平気。瑞々しい自然には癒し効果があるというし、のんびり楽しむのもいいものだ。
     綺麗な曲線を描く蔦に触れ、アシンメトリーが美しい葉の一枚一枚を眺め、哉斗が真剣な面持ちで言う。
    「持って帰ってじっくり見たいな」
     時計作りの職人気質からはどうしても抜けられないらしい。傍らで佐祐理は庭園に向けてカメラを大切に掲げる。シャッターを切ると、想い出のページがもう一枚。
     と、璃依がそわそわと視線を向けてくる事に気が付いた。
    「ひょっとして、BOSS、ちょっと撮ってみます?」
    「わかった? だってヒヨが珍しく人型形態っ。こ、これは激写だー」
     ファインダーの向こうで、仲間内の末っ子のようなひよが軽やかにくるりとターン。
    「みんなとお出かけ、はじめてですっ。ひよ、がんばって早おきしたです!」
     お写真とってとってですーと無邪気にほにゃり微笑み融かせば、つられて笑みを零す人と人型初めて見た! と驚く人と。誰もが楽しそうなのはおんなじで。
     ゆっくり時間を過ごすならばと、一行はカフェスタンドに到着していた。黎明庭園が解放されている期間は早朝でも特別に営業しているらしく、リヴィアの手元にはオレンジジュースが渡る。
    「……ひよくん、少しいる?」
    「わああ、いいですかっ?」
     グレープフルーツジュースを飲んでいたひよはご機嫌、互いにジュースを交換っこしたらシトラスの香りが胸いっぱいに広がっていく。
    「あ、部長、こちらです~」
     佐祐理が手招きした時には既にダッシュ済み。璃依の手元には佐祐理お手製のサンドイッチがいくつも確保されていた。すさまじい勢いで咀嚼するから、リヴィアはくまのぬいぐるみの首を傾げさせる。
    「……ぼす、早いです」
     金平糖をつまんでいた哉斗の視線が気になるけれど、璃依は『自然の中で食べるのが気持ちいいんだっ、ちゃんと自然堪能してるぞっ』とサンドイッチを食べながら言い訳。ちなみに多分そういう意味だろうなと思うけれど、食べながらだったのであんまりよく聞こえなかった。口の中に物が入り過ぎ。
    「でもホント、自然いっぱいで仲間もいて美味しいものもあって、すっごい幸せ♪」
     璃依の口元にはパンの欠片がついたままだったけれど、満面の笑顔はそれが本当だよと何よりも雄弁に語るから。
     つられて皆の笑顔が弾ける。幼い頃以来となる人との外出も、たまになら悪くない。そう感じる哉斗の眦が微かに、和らいだ。
    「やっぱり良い季節ですね~」
     佐祐理が伸びをすれば、こころ豊かに吹き抜けていく、黎明の風。

    ●Blue flowers
     写真に広がるのは新緑の翼。花だけではなく緑も見事なその区画では、煉瓦で細い道を作ったかと思えば芝生で鳥の模様が浮かび上がる仕掛けだ。
     カフェスタンド側のテーブルには幾つかのプランターが彩りを添える。椅子に腰かけ、大輔と未完は撮った写真を眺める。どれもよく『綺麗に』撮れていて、とても大輔らしいのだけれど。
    「そういえば、せっかくなんだし一緒に写真撮ろうよ」
    「木下さんと写真とかおそれ多すぎるよ……!」
     未完の背に衝撃が走ったとか。これは一世一代の大事件。未完のオーダーメイドの一張羅を大輔に着せてから、デジカメの自撮りモードでハイチーズ。
     出来栄えはというと、
    「あ、やばい。俺半目になってんじゃん」
     嘆く大輔に対して、未完は喜びを表情に乗せる。『綺麗に』じゃなくて飾らない彼が、そのままがいいから。自然そのままを映したありのままのそれが何より、好きだから。
     彼女の持つ空気は森そのもの。花の小径で佇む恵理は歩を進めると、その先で鞠花に出逢った。寿ぎの言葉とこの場所を教えてくれたことへの感謝を、そして手作りマーマレードを贈る。
     英国の血統が成せるのか、イングリッシュ・ガーデンの持つ風は自然と身に馴染むよう。
    「ああ、本当に新鮮な風……! これは本当に宜しい息抜きですね……どうか、ゆっくり休んで下さいね」
     瞬く鞠花に伝えるのは、情報を伝えるエクスブレインの役目への礼。恵理の細やかな気遣いに、ほにゃり笑顔が届くのは数秒後。
    「早朝、けド……大丈夫? ちゃンと、起キてル?」
    「んー……起きて、る。眠いデスガ」
     もうすぐ初夏を迎えるとはいえ、朝方はいまだ肌寒い。眩さに目を細めつつ、芥汰は夜深を引き寄せる。ぬくもりを満喫する最中、
    「ほラ、あくたん! 目、覚めル、青色ヨ! 綺麗!!」
     にぎやかな声に呼ばれて視線を向けると、花弁揺らすのは清楚な青い小花たち。徐々に覚醒する意識の中で芥汰はひとつ提案を。折角だし遊んで行こう。
    「こっちは夜深の、夜深は俺の瞳の色をした花を、探し当てる競走でもしてみましょ」
     ご褒美は互いの寝顔、手がかりは互いの彩宿した爪先。青い世界で君を探して、そして。
    「ネモフィラの面影、似てる」
    「あ! 是……勿忘草!! 一番、あくたん瞳色。相似かモ!!」
     気が付けば君自身を探している。春の風が青色燈すふたりを優しく包み込む。
     さて、勝者はどちらだろうか。
     焦がすのではなく空に染み往く、朝の光。
     朝焼けは世界のはじまりと、今日もその世界に自分が生きていることを教えてくれる。噛みしめながら、希沙は手帳に色鉛筆を滑らせる。
     ネモフィラは大切な友達を思わせ、サイネリアは心に響く綾。光を齎せば自分だけの朝が、手の中に。
     祝いの言葉を鞠花に届けて、希沙は宝物を分け合うように囁いた。
    「朝の澄んだ空気はきさも好きです。たくさん綺麗なもの見れたから良いことありそで」
     あたしも篠村さんに会えたから今日は幸せ! なんて鞠花が眦を下げれば、希沙もおひさまみたいな笑顔でおやつのクッキーをプレゼント。
    「篠村さんが見つける幸せはとても綺麗な色で、あたしは好きよ」
     似た景色を好きなもの同士、肩を寄せ合い朝を噛み締める。
     何だか今日は、きっといい日になりそうな気がする。

    ●Kindness
     夜明けが空を染める頃合に外出する事自体が新鮮だ。こんな散歩デートも幸せで、拓馬と樹の胸中にあたたかさが広がる。
     手を繋ぎのんびり歩いて、辿りついたのは天使像。
     周囲の水路は澄んだ流れで朝日を弾き、まるで凝るもやもやまで流してくれるよう。そんな樹の曇った表情を見て、少しでもここで晴れやかな気持ちになってくれればと拓馬は願った。
    「俺はこれからもずっと樹と一緒に生きていく。俺の心もいつだって君と共にある」
     誓いとともに腕を伸ばし、拓馬は樹を柔らかく抱きしめる。口づけを落とせば、樹の素直な気持ちがそっと零れるよう。
     どうかこれからも傍にいて。一緒に生きていきたいから。
     ガラスと共に朝に満ちる青を、泳ぐ。
     歩を進めるうちに浸り沈んでいくようだ。烏芥がゆっくり深呼吸すると、肺腑にも蒼が染み渡る心地。そうして洗い流される、裡にこびり付いた何か。
    (「……おいしい、のだろうか」)
     色も味も無質な世界にじわり色を含ませる。こんなに胸を張ったのは初めてかもしれない。
     水音に導かれて辿りついたのは天使像だ。何かがこみあげてくるけれどそれでも。
     見失わないようにと、願う。
     杏理は鴻崎・翔(高校生殺人鬼・dn0006)の手を引き庭園を進む。奢りの約束はなくともきっと杏理の願いなら頷くだろう翔と共に、鞠花へと祝いの言葉を届けよう。
    「小鳥居さん、Joyeux anniversaire a toi――お誕生日おめでとう!」
    「きゃーありがとう、嬉しい嬉しい!」
     去年と同じく三人で記念撮影。被写体になるのは慣れた? と問えば二人揃って視線が逸らされた。雄弁すぎる答えに杏理は微笑みを零す。
     視界に入ったのは勿忘草。バベルの鎖がある灼滅者の身だと、その花言葉は重たく聞こえたりもするけれど。
    「……Ne m'oubliez pas. 忘れないよう何かを残しておくのは、きっと良いことでしょう?」
     日々を重ねた次の年にも、また写真が撮れるように。
     小さくもささやかで、それでいて柔らかい青を持つ花達がふたりの歩く道を彩るよう。夜明けに佇む夕暮れ色を探せば、見覚えのある姿をむしろ歓迎するように手を振ってくる。
    「小鳥居さーん、おはよう! そしてお誕生日おめでとう!」
    「あっ小鳥居さん! お誕生日おめでとおはようございますー!」
    「わーん二人とも大好き嬉しいー! おはよう!」
     額にキュートな肉球を残した宗佑が差し出したのは、お手製アレンジクラフト手提げに包袋。日和が気に入ってもらえると嬉しいですと指し示す。
    「じゃーん! わたしのお道具箱が火を吹きましたっ」
    「日和さんのお道具箱、魔法の秘密道具みたいだった……」
     カメラと柴犬と白ポメのシールがときめきポイントをダイレクトに直撃していく。贈り物に使えて嬉しいと言ってくれるその言葉が、幸せで。
    「やだこの袋も包みも捨てられないじゃないやだー!」 
     感激のあまり瞳をきらきらさせた鞠花がそっと覗き込むとふたつの贈り物。
     羊毛フェルトの小鳥と環繋ぎ杏の花を紡いだ手毬のストラップに、まめちわバースデーカード。今年はちゃんと肉球だけ捺せたようで、鼻スタンプは残っていなかった。残っててもいいのよと鞠花がついつい本音を零す。
     お昼寝姿の霊犬ズに和んでいるうちに、宗佑がぽつりと呟いた。
    「実は俺も写真苦手だったんだ」
     鞠花が大きく目を見開く。けれど、と続きを唇に乗せる。
    「……皆で紡いだ軌跡を残せることって、きっとしあわせだよ」
     だから今年も写真を撮ろう。鞠花の眼の奥がじわり熱を帯びる。隣で頬を寄せ合うくらいの距離で、日和がお日様色の瞳を細める。
    「わたしはね、写真大好きです。宗佑君と小鳥居さんとの思い出の印、ずっとずっと、大事にしますね」
     だから笑おう。想い出を残していこう。
    「はい笑って笑って! 本年度の黎明も笑顔でまいりましょう!」
    「最高の笑顔、準備OKです!」

     優しく優しく花は咲く。
    「……少しずつ、被写体になるのも嫌いじゃなくなるかも」
     黎明の中くっきり輪郭を露わにする庭園で、鞠花はひときわ鮮やかに微笑んだ。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年4月29日
    難度:簡単
    参加:23人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 6
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ