番い喰らい

    作者:遊悠

    ●淫魔の遊戯
     暗い一室で愛を囁き合う男女の声が聞こえる。
     しかしどうにも様子がおかしい。男と女は、目の前の影に跪いているのだ。
    「くふっ――」
     その光景を冷ややかな微笑を以って眺めるのは、清楚な服装と裏腹にどこか妖しく蠱惑的な風貌が、酷くアンバランスな淫魔、リア。
     跪いている男女の表情は共に恍惚の一色であり、そこからは既に人間の尊厳などは読み取ることが出来ない。
     この男女は一組の夫婦だった。嘗ては永遠の愛を誓い合い、共に仲睦まじい生活を行っていた者達。
     だが最早お互い愛し合った伴侶を顧みることは無い。その瞳は既に淫魔に魅了されている。リアはその様子に一層嘲笑を深めた。
     番いの愛を虚仮とし弄ぶのが、この淫魔の無上の遊戯だったからである。そして――。
    「(嗚呼、楽しい。でも……こいつ等にもそろそろ、飽きてきたわね……くふっ、くふっ、くふふふふ)」
     新たな玩具を夢見て、淫魔の瞳は愉しげに輝いた。


    「みなさん、御機嫌よう」
     説明を受けるべく集まった灼滅者達の前に、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)が僅かに頬を染めて現れた。
    「とある淫魔が一般家庭を襲撃する事件を予測しました。今回の任務は、みなさんにその淫魔を灼滅していただく事になります」
     姫子は手持ちの地図を広げ、その白く細やかな指先である一点を指し示した。
    「襲撃が予定される家はこの場所にあります。時間は日没後の宵闇時ですから、この辺りで警戒を行うならば、人目を気にする事無く接触する事ができるでしょう。……襲撃される家には、新婚一年目の仲睦まじい夫婦が生活を行っているようです」
     姫子の表情が僅かに曇る。
    「この淫魔は、結婚してまだ間もない家庭だけを狙って自らの虜にして行くようです。飽きればまた新たな獲物を見つけて――その繰り返しです。これ以上被害者が増える前に、止めなくてはなりません」
     宜しくお願いします。姫子はそう言葉を続け、丁寧な辞宜を見せた。
    「淫魔は護衛として、一対の男女を引き連れているようです。……恐らくは、既に彼女に魅了し尽くされてしまった、夫婦の成れの果てなのでしょう。強化されているとは言え、一般人に近いこの人達は、そこまで驚異的な戦闘能力を持ち合わせていないはずです」
     ですが、と。姫子は言葉を一旦区切る。灼滅者達に逡巡を許す暇を作って。
    「この男女は淫魔を守るように、皆さんの前に立ちます。淫魔だけを狙えばそれで済む話なのですが、身を犠牲にする事も厭わないほど、心身ともに魅了されている状態です。どう戦うかはみなさんにお任せ致しますが、この男女の対処も任務の重要な点になると思います」
     出来うるならば、あまり大怪我はさせないように――そう呟きながらも姫子は眼を閉じる。
    「みなさんならば大丈夫だと、信じます。……肝心の淫魔ですが、全員で挑めば勝てない相手ではないようです。が、油断は当然の事ながら出来ません。魅惑の歌声と鋼の糸を使用して襲い掛かってくるみたいです」
     姫子は改めて皆に向き直り、はっきりとした口調で告げる。
    「手強い相手ではありますが、愛し合う人達の純粋な想いを踏み躙り、弄ぶ――そんな事は決して許されないはずです。みなさん、決して負けないでくださいね」


    参加者
    シャルロット・ノースグリム(十字架を背負わせる者・d00476)
    紫月・灯夜(煉獄の処刑人・d00666)
    香祭・悠花(ファルセット・d01386)
    明智・雄大(譲れぬもの・d01929)
    アリス・セカンドカラー(暇を弄ぶ・d02341)
    火室・梓(質実豪拳・d03700)
    白伽・雪姫(アリアの福音・d05590)
    久世・瑛(晶瑕・d06391)

    ■リプレイ

    ●番い喰らいのリア
    「あら……?」
     灼滅者達と淫魔の邂逅は、驚くほどあっさりと行われた。男女の番いを伴う淫魔リアは、堂々とした佇まいで一行の目の前に現れたのである。
     男女の首元には鎖の伸びる首輪が見える。鎖を握り一対の男女を犬のように制するのは、どこか人の心を惑わせる長い黒髪が特徴的な淫魔。まるで動物の散歩の最中、出会った人間に挨拶を交わすような気軽さで、灼滅者達の前で佇んだ。
    「淫魔、リアだね」
     香祭・悠花(ファルセット・d01386)が一歩前に出てリアを威嚇する。その様子に淫魔は楚々たる仕草で微笑を浮かべた。
    「まあ。くふっ……ええ、相違ありません。そういう貴方達は誰? 親密なお友達になりに来た、という雰囲気でもないようですけども……ダークネスならば、邪魔をしないでいただけます? 私は個人的な楽しみ以外は、あまり興味がありませんから」
     それだけ告げて灼滅者達をにべも無く通り過ぎようとする淫魔。それを明智・雄大(譲れぬもの・d01929)が遮る。
    「そうはいかない。俺達は灼滅者だ。人の心を弄ぶ輩を許すわけにはいかない。何があろうと絶対に、だ」
    「灼滅者?」
     灼滅者。その単語を呟きながらも反芻し、リラは大いに笑い出す。それは哄笑や嘲笑の類などではなく、失笑に近いものだ。
    「くふっ……くふふふっ、灼滅者。スレイヤーですって? 別のダークネスが粉をかけてきたのかと思いましたけど、ただのダークネスの成り損ないが、この私の前に立つなんて。何て可愛らしい」
     笑う淫魔に久世・瑛(晶瑕・d06391)は臆する事なく言葉を綴り、シャルロット・ノースグリム(十字架を背負わせる者・d00476)もそれに続く。
    「人の恋路を邪魔する輩は馬に蹴られて、ですよ」
    「残念だけど、断罪の時よ」
     笑いを止めない淫魔は、飼い犬に等しい男女を己の身に撒き付かせ、ゆるりとその頭を撫でる。
    「断罪ねえ……人間を飼う事が罪なのかしら? 私はとっても優しいの。一人切りは寂しいだろうから、愛し合う二人の番いを飼ってあげる事にしているし、ご褒美だって沢山あげているわ。この子達も悦びこそすれ、文句を言う事なんてありえないの。人間はダークネスの家畜よ。でも、それじゃとても可哀想だから、私はたっぷりと愛を与えて慈しんであげるの。言わば慈善よ。良い事なの。それが解らない?」
    「解りたくもないね」
     紫月・灯夜(煉獄の処刑人・d00666)が吐き捨てる。俄かに淫魔の表情が憮然に歪んだ。
    「ああ、そう……所詮は出来損ないね。お馬鹿様だわ。子供を飼う趣味なんて無いけど可愛いペットの玩具くらいにはなるかしら。さあ行きましょう、エリカにサトル」
     その言葉を皮切りに、灼滅者達と淫魔の間で敵意が渦を巻いた。

    ●禁じられた遊び
    「先陣を切ります。皆さん私に続いて下さい……!」
     一陣の風のように走り出した火室・梓(質実豪拳・d03700)が一番槍となった事を皮切りに、灼滅者達の攻撃が始まった。
    「うん、任せて――くすっ、こういうのはお嫌いかしら?」
     梓に続き、アリス・セカンドカラー(暇を弄ぶ・d02341)が自身の影を触手のように繰って、リアへと差し向ける。
    「やぁんっ♪ なんて恐ろしい! エリカにサトル、私を守護しなさいッ!」
     リアには攻撃が届かない。番いの男女が堅固な砦のように彼女の前に立ち、その身を盾にしているのだ。
    「あ、ぁっ……リア様、嬉しいですぅ♪」
     アリスの触椀に絡み取られ、エリカが声をあげる。どこか艶めいた、歓喜の声。それは縛られる苦痛からではなく、リアの役に立った事による喜びからのようだ。
     アリスは舌打ちし、複雑そうな表情を浮かべる。
    「へ、変態……もとい、厄介な。これじゃ攻撃が届かないわ。――何より、随分仲のいい処を見せ付けてくれちゃって……!」
    「くふっ、くふふふっ。可愛いでしょう? 自慢のペットですもの」
     リアの歪んだ笑みに向けて、遠隔の白刃を放ちながら白伽・雪姫(アリアの福音・d05590)が静かに呟く。
    「本当に……悪趣味……こんな……おばさんなんかに……騙されて……」
     追撃の如く雪姫は言葉に毒を乗せて、リアを討つ。淫魔の白い肌にうっすらとした青筋が浮かんだ。
    「っ……おばっ……エリカ、サトルッ! まずはその糞生意気な小娘から、血祭りにあげてやりなさいッ!」
     淫魔の怒号と共に、男女の瘴気が砲弾となって雪姫を捉える。挑発の代償として手傷を負う雪姫だったが、表情は涼しげなものだった。
    「……怒り方も……三流ね……おばさん……」
    「一々癇に障るッ!」
     リアの怒りが雪姫に向けられている間隙を縫って、悠花と霊犬『コセイ』が行動に移る。
    「コセイ、いきますよー!」
    「わふっ!」
     六文銭の射撃と剣から放たれる、サイキック閃光。息のあったコンビネーションは、エリカとサトルの動きを鈍らせる。
    「な――よくも私のペット達を!」
     主従の連携には、主従の連携を。リアは高らかに、情熱的に歌声を奏でる。夫婦達の傷が速やかに回復していく。
    「ああ、幸せです、リア様ぁ……」
    「こんなにも満たされるだなんて、エリカは幸せものですぅ……」
     癒しを受けた番い達は、正体無く喜びに染まる。
    「埒があきませんね……殴ったそばから回復されては」
     夫婦の様子に対する嫌悪感と共に、梓は苦々しげに呟いた。

    ●堕ちた歌声
    「駄目か……」
     魅了に狂う夫婦に対し、瑛が使用を試みたのは『魂清めの風』だ。しかし淫魔の魅了は深く、さほどその効果を発揮することが出来なかった。
    「すみません、この風ではあの二人を止めることが出来ないみたいです。あの二人を何とかしなくては!」
     瑛は雪姫に天使の歌声を捧げながらも、顔を顰める。
    「了解した。俺と紫月で夫婦を無力化する」
    「その間に、あのいけ好かない淫魔を潰すって事だね。布石役、上等だよ!」
     雄大と灯夜の手加減を加えられた――とはいえそれでも充分な威力がある――一撃が、番いの男女へと向けられる。それを待ち構えていたかのように、シャルロットが強大なバスターライフルを構えて、淫魔に狙いを定める。
    「動きは既に捉えているわ。これは避けられないわよ。標的――淫魔リア。罪状――色欲。七つの大罪の一つ。断罪――開始ッ!」
     シャルロットのライフルが、咆哮をあげる。発射されるエネルギーの奔流は、番いの壁を超えて、淫魔を掠める。
    「くぅっ……何時までそんな雑魚達と遊んでいるの!? 主人の窮地を、命を賭して守護なさいッ!」
     リラの金切り声が力となって、エリカとサトルにぶつけられる。
    「はひ、リア様っ……ぐ、ぇっ……」
     その瞬間梓の身体がサトルに撃ち当てられ、そのまま彼の身体を宙に舞わせ、大地に沈める。
    「失礼。何かをされる前に、決めさせていただきました」
     梓の丁寧な一礼。その背後でアリスがエリカを締め上げる。
    「くすくす。私はやっぱりこ・っ・ち☆ 本当は血を吸ってあげたいところだけど……うふ、お楽しみはあと、で♪」
    「後は……おばさん……一人、だけ……」
     雪姫に続いて、灼滅者達が淫魔の周りと取り囲む。包囲状態、一種の詰みのようなものだ。
    「使えない……これだから人間は使えないのよ。まるで、駄犬以下の――」
    「貴女が一人でも、こっちはがんがん行かせて貰いますよ! コセイ、アタック!」
     言葉を遮るように霊犬と共に淫魔を翻弄する動きで、悠花の光刃が淫魔を切り裂く。
    「ちょっ……」
     リアの白い肌の上に幾重もの赤い筋が浮く。
    「今です、一気に叩き込みましょう!」
     瑛の号令と共に、最後の一撃をと身構える灼滅者達。しかし――。
    「調子、こいてるんじゃねぇぇぇぇぇッ! この、ダボ助どもがぁぁぁッ!」
     追い詰められた淫魔の激昂。激情の絶叫が、呪いの歌声となって一堂に叩きつけられる!

    ●淫夢は終わって
    「ぐッ、催眠か……!」
     雄大が膝をつく。淫魔の怨嗟の歌声は、這いずる寄生虫のように灼滅者達の前衛に蝕み、正気を薄れさせた。
     闇の歌声に魅入られた者達は、夫婦を魅了していた力の本質に気付く。心を失わせる闇の力――それによる空洞な支配。リアの述べていた慈愛などそこには一欠けらも存在しない。
    「ああっ……もう、本当に、本当にイヤ! 手を噛まれるっていうのはこの事よ! こちらが、折角、優しくしてあげてるのに。楽しくさせてあげてるのに、愛してあげているっていうのに! 素直に甘えてれば、少しは長生きできるっていうのに! 本当に、馬鹿! 人間はお馬鹿様よねぇッ! やっぱり、そうよ――頭の足りない家畜は、一匹残さず屠殺してあげるのが、本当の優しさかしらねえッ!?」
     目の前にいるのは、最早醜悪さを形作ったような闇の塊だった。悠花は怨嗟の歌声を癒しながら、凛とした瞳でリアを見据える。
    「――あなたの言う事は愛なんていう尊いものじゃないですよ」
    「……おばさん、醜い……」
     雪姫もそれに続く。当然のようにリアは怒りをより激しくし、牙を剥く。
    「人間風情が、出来損ない風情がッ! 上位存在の私に、意見をするんじゃ――ギッァァァ!?」
     瑛の清めの風で正気を取り戻した灯夜の一閃が、淫魔の闇を切り裂いた。
    「俺たちはその闇を灼く。だから、灼滅者なんだ。出来損ないなんかじゃあ、無い」
    「私の、顔……よくも、よくもおお――ッ!」
     リラは滴る自身の鮮血を赤い糸のように紡いで、灯夜に斬撃を加える。苦し紛れの一撃だったのかも知れないが、それは未だ充分な威力を秘めていた。
    「ぅ、あっ……っ……後は、頼んだよ」
    「任せて。今度は、仕留める」
     崩れ落ちる灯夜の背後で、シャルロットの銃口が輝いた。
    「お前達、なんか、にぃぃぃぃぃッ!」
    「断滅、完了」
     リアの断末魔と、シャルロットの放火の音は高らかに鳴り響いたのは、ほぼ同時だった。

    「大丈夫ですか?」
    「ああ、問題ない。俺の事よりも、問題はあちらだな」
     瑛の清めの風を受け、ぼやけた頭の中を整える雄大。視線の先には魂を抜かれたかのように呆ける夫婦の姿があった。
    「ダークネスに魅了されていた心は、暫くすれば元に戻るでしょう。しかし今まで行ってきた事が記憶になるのならば、心の整理は時間がかかるかもしれませんね」
     梓はそうひとりごちた。
    「ねえ、アリスさん」
     悠花がアリスへと声をかける。
    「んぅ?」
    「せめて、今の戦いの記憶だけでも曖昧にしてあげてはどうでしょうか?」
    「んー……エリカさんだけなら張り切っちゃうけど。ふふ、冗談。それじゃあ、この私アリスが、淫魔の事なんて忘れさせてあ・げ・る☆」
     アリスは唇に指先を当てて、そう冗談めいて笑みを浮かべる。その姿は、先ほどの淫魔よりも淫魔らしく、様になっていた。
     灼滅者達はそんなアリスのささやかな冗談に、少しだけ張り詰めた空気を緩ませた。

    作者:遊悠 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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