こわしてあげる

    作者:菖蒲

    ●tarte tatin
     タルト・タタンは恋をしている。甘ったるい人間事情、人の不幸は蜜より甘い――タルト・タタンは恋をしている人間も、恋に破れる人間も愛しくて堪らない。
    「斬新に斬新を重ねた斬新なゲームねェ」
     間延びする甘ったるい喋り口調。紅いルージュの唇は仄かなアップル・シナモンの香りが立った。タタタン、タタタンとリズミカルに音階を刻んだそのステップは彼女の歩む靴先の下に走る列車の音を思わせた。
     花瞼の下で煌めくキャラメル色の瞳は恍惚に濡れている。色彩を纏ったおんなはファーストフード店に首を傾げながら入り、入口付近で談笑する男子高校生へと微笑みかけた。
    「あなた、恋はしてますかァ?」
     答えは聞かない侭。
     ひゅ、と息を吐く音がする。胸を打ち抜く恋の矢に、赤い雫に溺れる様に少年が沈んでいく。喧しい声を上げた少女の叫声をナイフで遮ってタルト・タタンは微笑んだ。
     まるでドラマの脚本のよう。きっと『そういうもの』だと皆感じてしまうだろう。
    「あたしは恋してるのよ。オニイサマオネエサマ、あたしを愛してくれますかァ?」
     タルト・タタンは恋してる。灼滅者と呼ばれる彼らがいとしいいとしいと泣きながら。
     
    ●introduction
    「新学期、桜の散り際は出会いと別れの季節。だから、彼女は恋をする。
     六六六人衆の序列五六九番のタルト・タタンの行動を察知したの……」
     不安げに告げた不破・真鶴(中学生エクスブレイン・dn0213)の傍らで腹をくぅと鳴かせた高柳・一葉(ビビッドダーク・d20301)が緊張した面立ちで真鶴へと視線を送った。
    「もう一度『あいしあい』を求めたってこと?」
    「高柳先輩の予測通りなの。でも、ちょっと酷い話――千布里・采(夜藍空・d00110)さんが行方不明だった『斬新京一郎』の足取りを掴んだその先にタルト・タタンが居たの」
     斬新京一郎の手引と思われる事件が札幌市内で多数発生している。その一つが、円山公園駅の近くに存在するファーストフード店で発生する殺人事件の顛末だ。
    「タルト・タタンはファーストフード店で談笑する高校生達や店員を虐殺して、みんなを待ってる」
     灼滅者に『恋をした』と豪語しながら殺戮に繰り出した。本能の侭の行為は『ダークネスのなりそこない』と彼女達が称する灼滅者を誘き寄せる為に行われる下劣な行為に他ならない。
    「彼女は前、灼滅者の闇堕ちを狙っていて――多分、今回も同じ。
     皆を待って、闇堕ちさせる事を狙ってるの。斬新京一郎が利用して何か企んでるのかも……」
     解らないと首を振った真鶴の月色の瞳は不安に濡れている。両想いの相手の胸を穿つ恋のキューピッド、恋が成就すればいいと考える彼女は善人ではないから物理行使しかしてこない。
    「タルト・タタンは人間が好き。でも、つい殺してしまうのだというの。
     バベルの鎖があるけど、マナだって頑張ったの。彼女の攻撃手段はハッキリと分かってるから」
     利用して作戦を立てる事が出来るなら――撃破だって叶うかもしれない。
     ダークネスである以上、危険な事には違いないだろう。しかし、灼滅者を待って殺戮に望むならこれ以上は放ってはおけない。
    「ファーストフード店に行けば直ぐにわかるのよ。タルト・タタンはええと、悪目立ちしてるから。
     赤い髪に、キャラメル色の眸をしたエプロンドレスの女の子。武器はナイフと弓――基本的には弓を使うの」
    『恋してますかァ』の問い掛けは戦闘スタイルにも関わるのだという。
     恋をしている相手には弓を使った遠距離射撃を、恋をしていない人間には近接でのナイフを使った攻撃を好んでいる。
    「前と同じね。恋をしてるかしてないか。恋してる相手には恋のキューピッドになる……。じゃあ、私達が恋してるかしてないかを答えれば戦闘方法が変化するの?」
    「うん。だからそれを利用すれば――」
     上手く作戦が立てられる筈。真鶴は頷いてからぎゅ、と兎のぬいぐるみを抱き締めて灼滅者を見回した。
    「一般人は殺害されてるから、救出することはできない。でもね、タルト・タタンを灼滅できる可能性はあるの。
     今回の事件はね、その、なんらかの方法でタルト・タタンの力が弱められてるみたい。誰の何の為の策略は分かんないけれど……」
     殺された誰かの分まで、ハッピーエンドを掴みとれる筈だと真鶴は小さく呟いた。
     出来れば闇に引き摺りこまれないように――無事に戻ってきてと両の手を組み合わせて。


    参加者
    ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)
    殺雨・音音(Love Beat!・d02611)
    黒乃・璃羽(ただそこに在る影・d03447)
    メルキューレ・ライルファーレン(春追いの死神人形・d05367)
    狼幻・隼人(紅超特急・d11438)
    東堂・昶(赤黒猟狗・d17770)
    炎谷・キラト(失せ物探しの迷子犬・d17777)
    シェスティン・オーストレーム(小さなアスクレピオス・d28645)

    ■リプレイ


    「恋っすか」
     息をする様に恋をして。瞬く様に愛を求める。
     両の腕が愛情を抱くとは別に、刃を握りしめたのは、少なくともギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)の眼窩に広まる赫く塗れた血溜まりの所為に他ならないだろう。春には程遠い札幌の、震える様な風に畏れる事もなく、ギィは頬に伝う汗を気にも留めず林檎の薫を纏った女をその視界に収めた。
    「恋ならいつでも溢れるくらいしてるっすよ。恋して愛して抱きしめて――殲具解放」
    『序列』としては五六九。キャラメル色の瞳の少女を苛立ちを含んだ眸で見遣る狼幻・隼人(紅超特急・d11438)は人気の失せたファーストフード店で「恋してますかァ」と間延びした問いにデジャヴュを感じて「だから」と小さく付け加えた。
    「前にも言うたやろ、してへんて」
     前線に立つギィと隼人の背後で自動ドアが来客を伝えるメロディを堪えず流し続けている。右耳で揺れた愛おしい人の色に、メルキューレ・ライルファーレン(春追いの死神人形・d05367)が浅く吐いた息は嘆息の音色を含んでいた。
    「斬新な愛(ゲーム)。まるで『誰か』の受け売りですね……ならば、なんて軽い恋でしょう」
     朗々と歌い上げる様に告げたメルキューレの傍らでやけに怜悧な瞳をタルト・タタンへと向けた黒乃・璃羽(ただそこに在る影・d03447)は「タルトに林檎……アップルタルト? うん、美味しいですね」と軽い冗句を告げて見せた。
     四人の灼滅者の気配に誘われる様に現れた六六六人衆は灼滅者との逢瀬を楽しみにしていたかのように気分を高揚させている。
    「あたしを愛してくれますかァ?」
    「愛してなんかないですよ」
     薄らと色付く唇は、只、淡々とその言葉を否定した。茫とした璃羽の言葉に「まァ」と灼滅者を意外そうに見つめたタルト・タタンはナイフを手に灼滅者と向き直る。ぴちゃり、とメルキューレの黒い爪先が赫く染められていく。
    「――ひでえことするもんだぜ」
     震撼とした空気を切り裂く様に。軸足に力を込めて、地面を悠々と滑る炎谷・キラト(失せ物探しの迷子犬・d17777)はその身から噴出させた焔を勢いの侭にタルト・タタンへと叩きつけた。
    「ここでしっかり終わらせときたいな」
    「終わり?」
     言葉の意味を理解できないと唇を尖らせる女へとキラトは八重歯を覗かせて伸ばしかけたその手を下ろす。
     従業員側の入り口から六六六人衆の包囲と一般人を保護するグループの指示を同時にこなす為に東堂・昶(赤黒猟狗・d17770)の背に隠れながら戦場へと足を踏み入れたシェスティン・オーストレーム(小さなアスクレピオス・d28645)は小さく息を飲んだ。
    「――……そんな」
     押し殺した声は絶望にも似て。乱雑に倒れた一般人の死骸の上でワルツを踊る様に優雅に佇む六六六人衆の感性が理解できないと交通標識を握りしめたシェスティンは唇を震わせる。
    「メルお兄さん……」
     友情の芽生えた先は対岸の人。間に挟まれた絶望の林檎は相も変わらず新参者に口癖のように問い掛けた。

     ――「あなたは恋してますかァ」

     とん、とシェスティンの肩を叩き前線へと飛び出した昶はシールドで身を護る様にしっかりと構え声を張り上げた。
    「恋なンざするワケねェだろうが、クソッタレ!」
     粗暴な響きであれど、その行動からは乱雑さを感じない。ぺちょり、と薄気味悪い音をさせ靴底を血で濡らしても昶は気にはしないと標的を見定めていた。夕陽が店内に伸び上がり、影が奇妙に形作る。
     璃羽の足元から伸びた影に綺麗と返す感性が六六六人衆にはあったのだろうか。彼女から薫る林檎に鼻孔を擽られ、弟はこの匂いは好きだろうかとぼんやりと考えた殺雨・音音(Love Beat!・d02611)は普段の通りお洒落に余念はない。
     コスプレ会場にしては血腥く、強行に陥り涙を零す人々ばかりではあるが彼女は生きて戻る為ならばどんな嘘だって吐くのだと柔らかく微笑んだ。
    「タルトちゃん、あっそび~ましょ♪ タルトちゃんが殺(あい)して欲しいなら、思いっきり恋して、愛してアゲルッ」


     従業員入り口側で待機している海島・汐(高校生殺人鬼・dn0214)にシェスティンは戦闘開始後に生存者の避難を優先していた。彼女の言葉を真摯に聞き、お姉さんぶって見せた智香は「シェスさんの指示の通り行きましょうか」と小さく頷いた。
     苛立ちを見せた静香の発した言葉にタルト・タタンの弓が爪弾かれれば、疾風迅雷で滑り込んだ里桜が周囲の一般人のカヴァーへと飛び込む。
    「……頼まれた以上、全力を以って一般人を助けなければな」
     昶のサポートとして立ち回る里桜に、メルキューレの無事を祈る侑紀が小さく頷く。逃げ伸びる事を優先に、出来得る限りを願った彼等をシェスティンは不安の眼差しで見つめていた。
    「大丈夫だよ~♪ ネオン達は誰も欠けることなく頑張らなくっちゃねっ」
     ふわり、と巻いた髪に映る林檎の薫は、六六六人衆とは違うながらも共通する精神構造を持った音音なればこそか。海の引き潮が来る事もなく、彼女の胸は弟で満たされている――彼が為と高校生の少女が思い込むに十分な事だったのだろう。
     其々が『恋をして』『恋をしない』。そんなちぐはぐな戦列は六六六人衆を翻弄する為だったのであろう。しかし、彼女は幸福そうにナイフを手にし、前線へと躍り出る。
    「みんな揃って『愛』しましょう」
     後方をカバーする隼人を切り裂くナイフはその名の通り。ジグザグ。まるで曲芸を思わす手捌きに彼は拍子抜けしたように唇を震わせた。
    「お前――前より弱くなっとらんか? 恋する乙女は強くなるっちゅうけど……」
     何かあったのか、と。六六六人衆が何らかの理由で弱体化した理由を問いたださんと彼は声を震わせた。足元から伸びる影が喰らい付き、女を阻害すれどタルト・タタンはふるりと首を振るのみ。
    「愛し方が間違ってるんすよ。愛して愛されて、やられっぱなしとはいかないっすよ」
     背丈ほどあるであろう黒い刃で宝玉がぎらりと光る。碧眼を細めて隼人の背後から攻撃を受けとめたギィは正に『戦艦』と謂わしめるド級の一撃を女の肩へと叩き落とした。
    「――狩られるばかりの小動物ではいられないんですよ」
     俄かに唇に浮かんだのは玲瓏な美貌を持つメルキューレからは思いもよらぬ残忍さ。
     Phileasを飾った白百合が、柔らかに揺れている。彼の耳朶を飾ったペリドットと同じ柔らかな色は堪えずその刃でも煌めいている。
    「貴女の刃と言葉程度で感じる心はありません。生憎林檎の様に脆くなく七竈の様に冷たい感性ですから」
     七度竈に入れても燃える事は無い。その紅い実を焦がす事もなと言う『白い花』は淡々と告げた。破邪の光りを放つ、斬撃は彼を激励しついでタルト・タタンのエプロンドレスを赤く染めていく。
    「今です!」
    「闇堕ちを狙ってンじゃねェよ!」
     メルキューレの声に反応し、苛立ちを抱いたままに昶が前進していく。射干玉の瞳がぎらりと鋭い煌めきを宿し、駆ける靴底で地面を一気に蹴り上げる。
     メルキューレの刃にふらりと体勢を崩すタルト・タタンの横面を苛烈な勢いで叩きつけたシールドに「あ、」と女の声が小さく漏れた。
    「チョーシこいてんじゃねェぞ、クソアマ」
    『闇堕ちゲーム』の響きを厭う様に、頬に飛び散る血を拭った昶がシェスティンへの攻撃を阻害する様にその立ち位置を考慮に入れる。
     小さな彼女は「汐お兄さん、お願いします」と後方での活動に勤しむ仲間達へと視線を零しタルト・タタンとも似た不思議の国の少女のエプロンドレスのスカートを大きく揺らした。
    「――どう、されれば恋されてると感じ、愛されたと感じ、ますか……?」
    「死して離れる愛はないでしょォ。あたしは恋のキューピット、皆を繋いであげるだけ。
     あたしが愛されるなら――殺された時こそ、一番に愛されたと感じる瞬間。殺(あい)さなきゃ、殺(あい)して貰えない」
     じっとりと、舐める様に見回すその視線に彼女は身構える。春めいた優しい容姿の彼女を護らんとキラトはムジカフィクタの切っ先をタルト・タタンへと向ける。くぐもった音を立てた『調律』の手段は敵を斬る事しかないのだろうか。無力感を押し込めた彼は「オレ達の事サポート、お願いしてもいい?」と柔らかくシェスティンへと告げた。
    「あのさ、聞きたい事があるんだけど」
    「あたし、お喋りだから何でも話しちゃうけどォ」
     あくまで、御友人に話せる範囲でとウインク一つ。キラトへと情愛を向けた女へ彼は額から伝う汗を拭って声を震わせる。
    「この駅を選んだのはアンタのシュミ?」
    「デートに、この場所はお好みじゃなかったのかしらァ」
     直観的に、愛や恋の他には思考を裂いていないのだろうか。要領を得ない言葉にキラトが不安を抱き、継続する戦闘の打開策を探す中、背を向けた先へと璃羽が渾身の一撃を叩きこむ。
    「デートしたい場所を答える義理も、恋をしているかも。
     闇堕ちさせたがる貴女に応える必要を感じません。淡々と倒れて頂けませんか?」
     怜悧なナイフを思わせる言葉を切り裂く様に矢が宙を斬る。
     璃羽に狙いを定め地面を踏みしめたタルト・タタンの身体を受けとめて隼人が眼前へと縛霊手を振るう。
    「連れへんな? 折角会いに来てやったんに。
     相変わらず愛だの恋だの解らんやっちゃな。灼滅(ころ)してやるからさっさとやろうぜ?」
     にぃ、と唇が弧を描く。紅いバンダナが頬に触れ、至近距離の女は「好きよォ」と冗句めかして告げた。
    「久しぶりだな。俺たちのこと覚えてる?」
     頬を掠めた鏃に顔を上げたタルト・タタンの瞳が爛々と笑みを形作る。
     小次郎と、一葉。食べ物を口にした一葉の視線が逸れ、奥へと消えていく様子をタルト・タタンは詰まらないと小さく眺めた。
    「タルト・タタン」
     ぐ、と言葉を飲みこんで。小次郎に付添った恵が声を震わせる。彼にとって『彼女』の存在はタルト・タタンの『愛情』を否定する大いなる判断材料になっていた事だろう。痛みを和らげ、出来得る限りに遠くへと告げる恵は拳を固め戦乱の最中で視線を此方へくべた女へ小さく笑みを零した。
    「私は、こいをしてるよ」
     囁く恵の声音に治胡は「耳付きッ!」と音音を呼ぶ。咄嗟に往く手を遮った音音は「危なぁ~い」と常と変わらぬハイテンションで告げた。
    「六六六人衆ってのは『こういうヤツ』ばっかりだ」
     愛し合いと殺し合い。そんな決定的に違う感性を同じと思う――彼らの事が分からない事は両者とて同じなのだとこの場の誰しもが思っている事だろう。
     鼻に付く林檎の香りを振り払う様にギィが斬艦刀で空気そのものを切り裂いた。彼が求めるロマンスも、彼の周りに存在する甘い恋愛も全てこの女の前には存在していないだろう。しかし、情を酌み交わした相手にまで危機が及ぶ可能性が、六六六人衆を止めないことにはないと彼は理解している。
    「『愛』の定義が違うのは良く分かったっす。それじゃあ灼滅(し)んでもらいやしょうか」


     壁に飛び散ったインクの様な赫は次第に黒ずんでいく。白衣の裾を汚した飛沫にシェスティンは背後で避難活動をする灼滅者達を庇う為にその身を挺する。
    「走馬灯使いで、少し、誰かを生き返らせて、貰っても」
     こくん、と頷いた汐と一葉はお手伝いだと死者を一時的に復活させる。仮初の命を与えた対象は中年の男だろうか。ファーストフード店の店員と思わしき制服をべっとりと食品で汚した彼が顔を上げれば、目の前には武器を構えた少年少女達の姿が存在している。
    「逃げて!」
    「あっちに近づくなよ」
     二人の忠告など耳に入らない。凄惨な現場に怯えたように走り出すその背中は数日中に自然な死を迎える事になるとしても、灼滅者達は不憫だと視線を向ける事さえも許されない。
     消えるか――消えないか。
     その二択の内、前者であると見抜いたのは少なからずともこの戦場に存在した灼滅者達全員が死体へと気を配って居たからだろう。
     愛情に塗れた侭、女は「悲しいわァ、あたしのことは放置なの?」と恋慕を胸に走り寄る。
     寸での所で受けとめて、璃羽が淡々と押し返せばその動きを誰にも阻害されなかった女は己の傷に構う事無くナイフを上空から振るい込む。
    「ッ――」
    「危ないっす!」
     ぎん、と鈍い音を立て音音の眼前に迫った刃をギィが受け止める。
     後方から回復を奏でた音音は「あっりがとぉ~♪」とハイテンションに告げ、弟の名前を唇で呼んだ。彼が居るだけで、自分は幸福になれる気がして、音音は両の足へと力を込める。
     サポートに立ち回る仲間達のお陰もあってか、弱体化したタルト・タタンに深手を負わす事は出来ている。周囲を包囲した事もあってか逃走の欠片も見せず――最初からこの場で『灼滅者に殺(あい)して貰う心算だった』のであろうか――にっこりと微笑みを浮かべている。
    「ネオンは壊されて何かあげないよ。がんばったね、って何時もの声で、褒めて貰うの」
     色付く唇が愛を奏でる。愛しい人を求める様に、その紫苑の瞳は不安を雪いだ。
     血濡れのタルト・タタンの頬を切り裂く白磁の刃をメルキューレが翻す。赤く染まったカソックを持ち上げて『人形』的なそのかんばせに僅かに恋情の色を差した。
    「貴女の鏃は私の元には届かない。それでは、ご機嫌よう」
     淡々と、別れの挨拶は彼の唇から毀れた唯一のや優しさであったのだろう。
     指先で僅かに夕焼けの残滓を反射した誓いの印に彼は勇気付けられる様にその刃を再度振り下ろした。
    「素敵な休日だったわァ」
    「人生の休日にしてやンよ。ブチのめされた気分はどォだ?」
     狂犬は噛みつく様に女へ告げる。ぽたぽたと落ちる紅色の雫に女は赤い林檎から漏れだす果汁を思い出したように「美味しい」と己から滴る赫を舐めとった。
    「しあわせ」
     耳に残る言葉に恵が、里桜が息を飲む。咄嗟にカヴァーに入った昶とギィの背後から息をする間も、瞬きをする事さえも許さぬ様にメルキューレと璃羽の攻撃が叩きこまれて行く。
    「タルト・タタン……」
     名を呼んだキラトは恋も愛も解らないと無垢な少年の様な顔をして六六六人衆の横顔を見詰める。髪を飾ったヘアピンが、愛情なのか友情なのかは分からない――この女なら答えを知っているのかと見つめた眸に意味深に微笑んで、彼女は静かに目を伏せた。
     とん、と。胸を穿ったのは伸び上がる影。蠢く蛇を思わせる黒き象徴に彼女は淡い息を吐く。
    「あーそういや、お前の言う様な意味なら俺はお前に恋しとったのかもしれんな」
     じっとりと、濡れた影から滴り落ちる。赫の意味を隼人は知っていた。言葉を震わせて、キャラメル色の瞳が歓喜に濡れた。
    「嗚呼、」
     殺(あい)していたとは彼は告げない。愛しいから壊したい。恋をする事が何より愛おしくて、殺(あい)してあげたい。
    「だからこそサヨナラや。お前にとっちゃそういうもんなんやろ? 残念やな」
     スローモーションの様に、赫は滴った。傷だらけになり顔を上げたギィにとっては愛し方と言う差異が大きすぎて、彼女を理解する事は出来なかったのだろう。願わくば殺して見せるとこの場の幾人もがそう考えていた筈だ。
     兄の死に際よりも残酷で、それで居て芸術品の様に消失していく死体達にキラトが覚えた一抹の不安は潜在的な恐怖心からくるものだったのだろう。
    「――あたし、とっても、幸せよォ」
     いとしいいとしいと泣きながら。灼滅者ならきっと『愛』してくれるから。
     言葉の意味が理解できずとも、直向きに彼女の想いを組み取らんとしていたシェスティンは「さよなら、です」と小さく彼女の横顔へと告げた。
     事切れた女さえも、融ける様に消えていく。
     走馬灯使いで逃げた一般人は消える事は無かったのだと戦闘中も確認していた璃羽は掌の中で消えた一般人を眺めて小さく息を吐く。
     差し込む夕陽の翳りが強くなり林檎の残り香も外へと流れて消えていく。
     ファーストフード店の入店音さえも非現実の様なものに思えて。
     嗚呼――夜が来る。

    作者:菖蒲 重傷:ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039) 狼幻・隼人(紅超特急・d11438) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年4月21日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 7
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