京ごよみ ―嵯峨嵐山 桜列車と花夜店―

    作者:西宮チヒロ

     嵐山、小倉山、烏ケ岳。
     大堰川を囲うようにして延びる山々の、緑に抱かれたようにさえ想うその近しさが好きなのだと、娘は笑んだ。
     ――嵯峨・嵐山。
     今年もまた、彼の地は春色に染まっている頃だろう。

     幾多もの桜と露店で日中から賑わいを見せる、渡月橋の袂にある中ノ島。
     そのあちらこちらにある長椅子に腰掛けて、のんびりと桜の天井を楽しむのも良し。
     橋の上から川沿いの桜並木を眺めたり、川岸に座りながら対岸の山桜と橋の共演を楽しんだり。夜になれば、今度は屋台の明かりに灯る花を愛でるのも良いだろう。
     約200本の桜を有する天龍寺の、その多宝殿を囲む枝垂れ桜はまるで花絵巻。総門をくぐり、長く参道を経て本道に至るまで、淡い桜色に包まれる二尊院では、花ひとつに数百枚もの花片を持ち、椿のように花ごと落ちゆくという『二尊院普賢象桜』も、丁度見頃に違いない。

     手を伸ばせば触れられるほどに近く感じる、嵯峨嵐山の桜たち。
     とりわけお勧めなのはトロッコ列車なのだとエマは言う。
     ディーゼル機関車に引かれた、そのどこか懐かしい赤とオレンジの観光列車は、トロッコ嵯峨駅を経て25分間、桜咲く山間をのんびりと走る。
    「確かに綺麗だろーけどさ。電車からの桜なら、このあいだ都心に行くとき見たぜ?」
    「ちっちっち。カナくん、まだまだですね」
     きょとんとする多智花・叶(中学生神薙使い・dn0150)に、小桜・エマ(高校生エクスブレイン・dn0080)はどこか得意気に指先を振ると、
    「なんと! 窓を取り外したオープン車両なら、桜並木を間近で見られちゃいます! つまり――」
    「写真、取り放題……!!」
     レトロな車両と桜の揃った画を思い浮かべ、俄然瞳を煌めかせる叶に、エマの瞳もつられて緩む。
     風を切りながら流れる桜を愛でつつ、途中、渓谷を渡る鉄橋の上などで小停止した折には写真も撮ることができるトロッコ列車。
     柔らかな青空の下をゆくのは勿論、ライトアップされた宵にゆくのもまた一興だろう。

    「あ。12歳~14歳くらいの人なら、法輪寺で『十三まいり』をするのも良いかもです」
     数え歳で13歳になる子等が、これまで健やかに成長できたことへの感謝とともに、益々の智恵と福徳を授けてもらえるよう虚空蔵菩薩に参拝する『十三まいり』。
     1、2歳程度――現在中学1~2年生までの年齢であれば、多少年齢が過ぎていても大丈夫だと添えたエマに、叶もならばと興味津々。
     水屋で手を清め、献香、参拝を終えたら、漢字を一文字、供え物として筆でしたためる。
     簡単でも、難しくても構わない。
     自分にとって大切な漢字をひとつだけ記したら、祈祷やお守りを受け取り帰路につく。その時に気をつけることもまた、ひとつだけ。
    「お寺さんの袂にある石橋……ううん、その先の渡月橋を渡りきるまでは、絶対に後ろを振り向いちゃダメですよ?」
     ――折角授かった知恵が、零れちゃいますから。

     触れるほどに近しい春へ。
     今年もまた、逢いにゆこう。


    ■リプレイ

    ●春心地
     嵐山駅に降り立てば、鮮やかな緑が出迎えた。
     大きく包み込む稜線の対面には、拓けた裾野をゆく川。その川辺は勿論、中州となっている公園や山の合間まで、あちらこちらに春が溢れる。
    「いやはや、いい天気ですねぇ……」
     春の陽を手で遮ると、流希はぶらりと歩き出す。往く先は決めず、今日はゆるりと、時間に誘われるままに。
     天龍寺の多宝殿を彩る枝垂れ桜。普段はより厳かであろう空気はどこか和らいで、こういう雰囲気は好きだと彩歌が笑う。
    「最近、悠一くんとデートしてる?」
     わたしよりは優先しないと拗ねちゃったり。そう微笑する樹に、
    「お兄様は恋人、樹さんは親友、で、枠が違いますから。……けれど」
     同じ家で暮らしているせいか、新鮮さが失われてきたのかも。
    「樹さんは?」
    「うち? もう2年は一緒に住んでるから……」
     新鮮さは確かにないかも、と頷く樹。桜の簾を潜りながら、そうして娘達は答えを探し始める。
     二尊院普賢象桜――幾枚もの花弁を重ねた一房の、その陽を透いて尚一層煌めく白と、重ねた一片たちが作る薄影の妙。
    「……この地で、これまでずっと何を見てきたのだろうな」
     儚く美しいその生の在り方を羨んできたけれど、近頃はそれすらも正しいのか解らない。
    「俺は、どう或るべきなのだろう」
     来年の蕾が花開くまで考えてみよう。そう決めるみをきの掌へ、問いへ答える変わりに淡紅がひらり舞い落ちた。
     法輪寺への道すがら、渡月橋を渡ってゆく厚子。その後方を歩いていた叶へと、振袖姿の紅緋は声をかけた。藤色に彩雲柄のそれは、和歌山の実家が誂えたもの。
    「そーだ。紅緋は何の字書くんだ?」
    「私は『虚』にしようかと」
    「難しい漢字知ってんだなー。……って、どーした?」
     並んで歩きながら急に口を閉ざした少女に狼狽すれば、
    「カナさんカナさん! こうしてお話したかったですよ。色々押しつけたりしてごめんなさい!」
    「あー……うん。解ってくれりゃいーよ」
     恋愛なんて全然解らないけれど。そういう感情は色んな人と巡り逢う中で知らぬ間に芽生えるものだと思うと、少年は口端を上げる。
     橋を渡った先、右手にある石橋を渡っていると、背に届く馴染みの声。
    「進級おめでとう! いやー……こんなちっこかったのが、もう中学生とは。月日は早い物だなー……」」
    「ありがとな、周……って、どんだけおれ小さかったんだよ!」
     健在のツッコミにけらけらと声立てながら、周が尋ねるのは心に決めたその一字。こっそり耳打ちで伝えられたそれに満面の笑みを見せると、人生の節目にぱしゃりと記念写真。
    「あ、カナ君だー。カナ君もお参りなのですか?」
    「お、シエラもか! 一緒に行こーぜ」
    「はい! 日本の神社仏閣で、何をどうすればいいのかはさっぱりだったので嬉しいのです」
    「そか。じゃあ、まずあそこで手ぇ洗うのからかな。――あ。穂純、ほーずみー」
     桜柄の春色着物の少女を呼び止め、褒めて褒められはにかみ返しながら、皆で向かう受付所。
     手を清め、献香と参拝を終えて。貰った紙を手に、悩み顔。
    「なぁ、みんな何て書いた?」
    「わたしは『明』と……常に明るく皆を照らしたいのです」
    「おー、シエラらしーな。穂純はー……」
     振り向いた隣では、丁寧に書き終えられた『道』一字。ゆっくりと筆を置いた少女は、満足げな笑顔を見せる。
    「ねえねえ、叶君の漢字は?」
    「そうです。カナ君は何を書いたのですか?」
    「んー……色々悩んだんだけど、これにしてみた」
     ぺらりと見せた紙に認められたのは、形はやや崩れぎみながらも、一生懸命さの籠った『叶』の字。
     誰かの願い、自分の想いを、どんな時も諦めたくはないから。叶えたい。叶えてみせるという、それはちいさな誓い。
     記念に数枚、桜華やぐ今日を写真に収めたら、
    「振り向いちゃ駄目だぞ! 見るなのタブーは大事だしな」
     周に背中を見守られながら帰路につく。
     少しだけ伸びた背丈で一歩一歩進んでゆく未来。
     渡月橋を渡り終えれば、ほんの少し大人になった気分。今までもこれからも、辿る軌跡はすべて――私の大切な道。
     青の紋付に銀灰袴姿で記した『健』の字。健康第一、名は体を表す。両親から貰った名なら、その想いも願いも尚更に。
     片や春の緑に桜咲く着物姿の陽桜が選んだ『幸』は、己と皆が幸せになれるように頑張る意思表明。
    「叶も参拝出来たか?」
    「おう!」
    「叶ちゃんも一緒にご利益、だね!」
     振り合ったその手を、今度は重ねて。菓子を貰ったら余計に減った腹を満たすべく、
    「慌てず脇目も振らず、前進行くぞ!」
    「うん! 一気に!」
     ひおに追い越されないよーに、だよ? と悪戯っぽく笑う少女と並びながら、足取り軽く花見弁当の店へと向かう。
     中州にある公園の屋台で食べ物を買い込んだら、手近な長椅子へ。
    「ツァーリ、……食べる?」
    「やった、ありがと!」
     嬉しそうな横顔に微笑むと、少女も残りの団子を頬張った。柔らかな甘さが消えて、そうしてまた花を仰ぐ。
    「ね、アンジュ。こっち、向いて?」
     そう耳許に飾られたのは、空から零れた花一輪。可愛い、と向けられた笑顔は、あたたかくて愛おしくて。柔らかな花弁に触れながら、ありがとうと綻ぶ娘は、ツェザリにとって何よりも綺麗な花だ。
     大好きな笑顔と、淡く優しい春のいろ。
     あなたと一緒だと、世界はこんなにも眩しい。
     緋色の晴れ着姿のゼノビアは綺麗で可愛くて、緋世子がたまらずなでなでぎゅむっとすれば、ぎゅっと返るぬくもり。
     2人のママの色。炎の色。そして名前。絶対に間違えぬ、無くさぬようにと何度も練習した『緋』の字。大好きだよ、緋世子ママ――貰ったお守りを包み重ねた掌揺らして、美味しい屋台目指して渡月橋を歩く2人の反対側。傍らで零れる微かな声に、朱彦は欄干に凭れていた身体を起こした。
    「朱、彦さ、んは、さ、くらす、きで、す、か……?」
     綺麗なのにすぐに消えてしまう花。それが勿体なく恐くもあるのだと言う初衣に、青年は緩やかに眸を細めた。
     勿論、初衣の気持ちも解るが、限られた時間だからこそより綺麗に見える花。
    「そう思うと、俺はそんな桜が好きやなぁと」
     共に見にこられて良かったと、思う心は互いに同じ。
     だからまた来年も共に。それに応えるかのように淡く微笑んだ初衣は再び、空映し、陽に煌めく桂川を静かに見つめた。

    ●花列車
     準備万端のカメラにチケット。車両を写真に収めた海月は、足早に列車に乗り込んだ。
     浮き立つ心に混ざる、初乗車の緊張。小さなこころを乗せたトロッコは、出発の音を響かせてゆるりと走り出す。
     桜のトンネルを過ぎて、渓谷を渡る鉄橋で小休止。落ちぬように車窓から切り取った風景は、一際煌めく1枚。
    「わ、エマ殿見てください……! 写真、綺麗な写真が撮れました……!」
    「本当……! きっと、海月ちゃんの心のきらきらが映ったからですね」
     ふわり花咲く娘2人の声と心を、あたたかな風が乗せてゆく。
     与四郎たっての希望で乗ったトロッコ列車も京都も、奏哉にとっては初めてで。浮かれてしまいそうな心に溶ける風と列車のリズムは、微睡むほどに心地良い。
    「わ。桜の、トンネル……!」
     溢れる春色を見逃さぬようきょろきょろ忙しない後輩に、あまり見ていると首を痛めるよ、と思わずくすくす笑み零せば、
    「ふふ……桜を眺める、そうちゃん先輩」
    「あれ、よっちゃん。もしかして撮ったの?」
     変顔かもしれないから削除お願い、と顔を隠す素振りで頼む奏哉に、ならば共にと言う与四郎。――桜を背に、自撮りに挑戦。
     春の手を引き、弾む足取りでゲットした窓際席。譲ってやる前に奪われた遵は、視界を遮る春色ポニーテールをわしゃわしゃ。
     ちいさく揺れて止まった列車。撮ってあげるから降りてみてくれば? と春が言えば、そこから始まる賑やかな応酬。
    「置いてかれたら寂しくて泣いちゃうのはお前だろっ」
    「哀しくてもひとりで帰る。桜をみる度、しっしのこと思い出すね」
    「フツーに俺との楽しい旅行を思い出せっての!」
     塞いだ耳許で尚もメガホンハンドで騒いでくれる遵。じわりと滲むその声に揺られ舞う桜色へと指を伸ばせば、今度は遵が先に奪っていった。
     去年はカフェ、今年は列車。
     場所は変われど、大好きな友達と眺める桜はいつだって喜び色。
     おひさまが出てる時に桜を見たいというるりかには、陽の下の桜が良く似合う。
    「ね、香乃果ちゃん。一緒に手、伸ばしてみようよ」
     笑顔で誘うるりかに頷き手を伸ばせば、ふわり舞い降りた一片。そっと抱き寄せたそれは、霞のように柔らかで、優しくて。満開の春を掴まえられたよ、と香乃果も微笑み返す。
     桜色に満ちる心。過ぎゆく景色は勿体ないけれど、次の季節へと繋がっているから。
     共に過ごしてくれた感謝を、大好きの言葉とともに。
    「こんなに天気が良くて桜が綺麗なんだから、厳も笑えば良いのに」
    「言われてそうそうツラ変えられるかよ」
     眉間を寄せるも、希の豊かな表情は多少羨ましくなくもなく。流れる風は柔らかなで、見事なモンだ、と色付く心地に細む眸。
    「いま、笑った? 厳、厳! もう一回! 写真撮るから!」
    「……ンだよ。こっち見んな。花見しろ」
     そう渋面を作りながら顔を押しやろうと伸ばされた手は、けれど陽に和らぐ髪へと舞い落ちた一片を払ってくれたから。
    「また乗りに来よう?」
    「そうだな」
     当たり前のように返してくる友人は、やはり良い奴。
     飛び出した萌火を負って、ギンもびゅーんと最前車両へ。ダンディな運転手さんかと問うていれば、音を響かせ止まる列車。
    「萌君っ! すっごく綺麗っ!」
    「やっべー、ほんと綺麗だな……!」
     遠く、遠く。澄み渡る青と山々を彩る鮮やかな花たち。熱くなる胸を押さえる萌火に、ギンは向けた笑顔を淡いそれに変えた。
    「ギンー、一緒に写真とろーぜっ!」
    「ふふっ、喜んで!」
     そうして娘は、また笑う。
     舞う花で心の穴を埋めんとする幼馴染み。無自覚に心偽る彼が、本当は誰と此処へ来たかったのか。その写真を誰に見せたいのか。知っているけれど、気づかないふりのまま。
     気分上昇な春陽に引かれ、月人も対面に腰を下ろす。
     頬を撫でる柔らかな風と花の香。流れゆく桜並木を撮りながら、さり気なく月人の横顔も収めれば、向けられた視線にわたわたと後ろ手に隠す携帯電話。
    「そ、そう! お弁当作ってきたの」
    「お、春陽の飯って好きなんだよ」
    「……そんなに好きなら、毎日作ってあげても良いのよ?」
     零れた声と心が、春に溶ける。
     陽だまりに染まる黄の座席。緩やかな揺れと春の空は微睡みへと誘うけれど、この春を眼と写真に収めると決めた今日ばかりは、我慢。
     咲く桜を見るだけで心が和ぐ。
     煉が教えられた最初の『綺麗』がそれだったからかもしれないけれど、心に染みたのはきっと、桜の、春の魔法。
     後で寺も巡ってみよう。そうして茜色の橋を見送ったらまた此処に来て、夜に眠らぬ花を見よう。
     今日ばかりは血は燃えず、影は刃を成さぬ。唯、からっぽの身体を春に浸す。
     音軋ませながら、視界を流れていた淡桜と新緑が緩やかに静止する。
    「モデルさん、ひとついい笑顔ちょーだい」
     手摺に肘をついていた葉が、身体を起こして口端を上げる。そのやり取りに去年を思い出したのだろう。ひとつ瞬いた彼女の瞳が、忽ち緩む。
     撮られるのはまだ不慣れだけれど。後で桜湯を飲ませてあげよう、と思いながら、自分でも解る『良い笑顔』で問いかける。
    「ねえ、去年は桜の匂い解らないって言ってたけど、今は?」
     ファインダーの向こうで、春色に笑う千波耶。ふわり髪が揺れて届いた、仄かな桜の匂い。
     ――ああ、今わかった。
     心地よいリズムを刻みながら、山間をゆくトロッコ列車。
     桜色の風が運んだ光弁に誘われたのか、懐からひょっこり顔を出した2匹の白蛇には、花弁化粧で春のお裾分け。おめざの春の心地はいかが? と笑顔のイコに、円らな瞳がぱちり。
     互いの写真をと願い出た円蔵に頷いて、大きな額縁めいた車窓と煌めく桜と、愛しいモノクロームを時に刻むイコ。
    「桜のオブさんもオスさんも綺麗ですが、桜吹雪の中のイコさんも負けぬ程、綺麗ですからねぇ」
     ヒヒ、と浮かぶいつもの笑顔。古い一眼レフを構えた円蔵へ、山彩る花と競うように少女は柔らに咲き綻んだ。
    「……もし、僕が」
     花だったのなら。心で続けた凍氷の髪へ、銀次は舞い降りた一房を。
    「お前は、なにかを引き立たせる魅力は人一倍あるな」
     綺麗だ、と微笑み向けた言葉は、ひたむきな彼の事だったのだけれど。知らぬ凍氷は、僅かに瞳を伏せた。
     愛される花になれぬ、引き立て役の溶けゆく雪。もっと知りたいのに。その青の眸に映る世界を知ろうとするほど、遠くなる。

    ●灯る想い
     手を重ね、幽玄なる音と花で満ちる平安神宮の神苑を巡る。
     語らい作るは、2年分の京の春を形にした春メニュー。
     毀れるほどの深い紅へ、繋いだ掌を翳す。その桜の天蓋を見立てた桃色クレープの中には、春思わせる新芽色の抹茶ケーキ。響く音色は音符型のチョコレートにして、きらきらと。まだ肌寒いから、飲み物はホットのカフェラテやミルク。抹茶ラテに桜の紅茶に。
     満開の夜桜に、満開の笑顔。
    「想希、綺麗や」
     悟の囁き声。頬に、熱が灯る。
    「……君が咲かせた花です」
     抱き寄せられた肩に寄り添うと、想希は幸せ色に綻んだ。
     風がミルクティ色の髪を靡かせるたび、ひらり舞う一片が淡く光る。春色のワンピースに身を包み淡く笑む横顔は、恵理の想い描いたように桜の精を思わせた。
    「ねえ叶君。描いている所を撮って貰えませんか?」
     下書きを終え、筆を下した恵理の提案。列車と夜桜と美女2人。こんな素敵な画は滅多にないと言ってのけると、苦笑めいた笑顔で頷いた叶も静かに愛機のシャッターを切った。
    「……ああ、いい風だわ。桜が夜に溶け出してきているみたい」
    「……夜に溶けた桜は、また戻ってくるでしょうか」
     いつの間にか恵理を映す翠の双眸。謎かけです、と言葉を添えると、娘はまた、その視線を車窓へと移した。
     灯る桜並木を過ぎゆく最終列車。
     残照に染まる渡月橋の、その奥山に響く汽笛。
     忘れたいのに鮮明な記憶。独りでは到底叶わぬ帰郷の連れ合いとして居られる喜びを胸に、大丈夫かと小太郎は窺う。
    「大丈夫。笑えるのは、きみのお陰」
     触れるぬくもりが愁いを包み、強張る手を解いてくれるから、まだ内で過去が燻るも、見上げた光溢れる世界を知れた。
     過去も思い出も、喜楽で上書いていけばいい。
    「あなたがそうしてくれているように……ずっと、傍に居ます」
    「……ありがと。きさも」
     小指で結ぶ約束。
     優しい時間と思い出を。願い瞼伏せた小太郎に抱き寄せられ、愛おしい熱に希沙もそっと眸を閉じる。
     瞼の裏に浮かぶ桜。きみと同じ、優しいいろ。
     紳士然と手を引くカリルの気遣いに、鏡子は照れながらも心からの感謝を。
     お好み箸巻にたこ焼き、焼きそば。綿飴の甘い匂い。楽しそうに紹介するカリルへと、鏡子も眸を煌めかせながら笑顔で頷く。
     賑やかな灯りを背に向かったのは、静寂に佇む夜桜の許。綺麗だと零し重なる声に、少年ははっと少女を見る。
    「桜もですが、鏡子さんも白くておきれいなのです!」
    「……わ、えと、その……ありがとう……」
     一瞬にして赤らむ頬。俯きながら囁いた後、
    「カリル君の笑顔も、満開の桜のように素敵だったよ?」
     顔上げほわり笑う鏡子へ、まさに満開なのです! と一層笑顔が深まった。
     蝋燭に灯され、夜に浮かび上がる紅桜。朧の届ける花弁しか知らなかった娘は、溢れる彩と胸を満たすほどの香りに心躍らせる。
     伸ばした両の掌に毀れた、幾つかの光花。感謝と共に手渡された花篝を受け取ると、朧はそれを姉の髪へ。
    「来年も……一緒に見たい、な」
    「ええ。これからは自由です。2人で色んな思い出咲かせましょうね」
     寄り添うぬくもり。触れる唇。心が跳ねるこの想いはきっと、次も同じ。
     白に薄紫の花咲く着物へと毀れる緋頼の髪を眺めれば、少しくすんだ淡青の長着に白羽織を着た白焔へと一つの問い。
     あれから変わったところ。
     己も他と同じだと知った。義理や未練を抱えるが為に、潔くいけぬ。故に少しばかり己を許し、殺したくないものも出来た。
    「わたしは……生きる事をきめたよ」
     兵器故に短命。大切な人を護る為に死ぬのだと思っていた。けれど今は、どんな時でも生き抜くと信じてやまない。
    「だから、付き合ってくれる?」
    「勿論。閻魔に会う時は、きっと一緒だ」
     その言葉は、特別な中のひとつだという証。
     花仰ぎ、掌重ね。未来を願い、次の花見の約束を交わす。
     夜店の灯りが花を点し、宵に浮かぶ桜は夜店に彩を添える。想像よりも美しい夜桜に誘いの礼を告げた都璃は、進級祝いの一品を選ぶ叶を眺めながら、エマご所望の桜茶を並んで味わう。
    「えっと、前は今思うと結構恥ずかしい事言ったな、と思うんだが……」
     ――今年もよろしく。
     ぼそり声零す様に、くすりと笑い頷くエマ。
    「私こそ。……いつもありがとう、都璃ちゃん」
     苦しい記憶の残る場所だけれど、それでもまた逢いたいと願う景色たち。独りでは出せぬ勇気も、皆となら湧いてくるから。

     だから、次もまた誘って良いですか。
     春を歓ぶ、愛おしい古都へと。

    作者:西宮チヒロ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年4月26日
    難度:簡単
    参加:49人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 13/キャラが大事にされていた 3
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